11/22/2012
BTS
なんの変哲もないプラットフォーム。これはバンコクのエカマイという駅だ。BTSという高架式の電車です。通勤時間帯は普通にラッシュになります。どうですが、この写真、ほんとに変哲ないでしょ?日本の都会と何ら変わりません。
まだバンコクにきて2ヶ月たたないのですが、たまに、あれ?おれバンコクにいるんだっけ?となります。あまりに日本に近いので違和感なさすぎて異国にいることを忘れてしまうのです。
リタイアのひともたくさん来ています。定年してからタイで暮らすってどういう感じなんでしょう。たとえ家族や友人たちと離れてしまったとしても、なお居心地がよいということでしょうか。
ぼくはと言えば、でも似たような感じかもしれません。日本の友人たちに会えないせいでさみしい思いをしておりますし、人の輪も広がりにくい。なんでわざわざこんなことしてるんだろう?ってたまに思います。
でも孤独を補う何かがあるからここにいるはずです。それは日本と比較した良さというよりは、日本にいないという体験は日本以外の国でしかできない、そんな感じのことです。その体験をするためにいるわけであり、日本とタイを比較してもどうしようもないことです。
さみしさには効用もあって、日本にいたら友達にならないであろう人たちと友達になったりしますね。年齢や社会的立場がかけ離れているようなひとたちです。外国人だってそうですね。日本にいるよりはずっと友達のラインに近くにいます。しょうがないから話しかけるんです。さみしくなって。
友人の子供が高校生になるという。その子とはその子が5歳のときによく遊んだ。もう高校生。すごい!と思う。そして、会ってみたいな、とちょっとだけ思う。その子とはその子が9歳のときに一度会った。まるで別人にようだった。顔つきも変わっていたし、すっかりオーラが落ち着いていた。あんなにやんちゃでせわしない子供だったのに。
静かに座って恥ずかしそうにしていた。僕のことを覚えているのかは聞かなかった。なんとなく知ってる感じ、くらいの感じでこっちを見ていた。
そしてその子がいま高校生だという。こっそり写真を送ってもらった。もし会ったなら、その子が覚えていないであろうあれやこれやを話してやれる、それが楽しみでもあるし、なにそれ、そんなこと覚えてない!とはねつけられそうな気もするが、それもまた悪くないだろう。
しかしそれを逆に考えれば、ぼくが覚えていない僕のこどものころを、何人もの大人が記憶しているということだ。親兄弟以外にも。逆に、成長を見守ってこなかった人だからこそ鮮明に覚えている記憶というものがあるのだろう。ぼくが3歳のときどんな子供だったのか、そんな大人に聞いてみたい。ね。
いまちょうど聞いていた音楽が終わりました。
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