11/22/2012

自由と対等

勇ましいシリーズ

朝から。昨夜、ついに、かわぐちかいじ氏の「ジパング」を読了した。全43巻。大長編であった。面白かった。

それでやっぱり戦争のことをYoutubeで調べたりしてた。
それで、思ったのは、あ、命が対等じゃなかったんだな、ということ。
特攻隊の動画とかを見てて、特攻隊のことを考えると難しいなーって気持ちになる。

それは、特攻隊が祖国民を守るために命をかけたという事実と、それはまぎれもない事実だが、特攻を命じた上官たちは命をかけなかった(らしい)という事実にだ。
祖国のための命を散らしたのは無垢な若者ばかりで、大本営のえらい人たちは戦後も生き延びたり、アメリカ軍に捕まって戦犯となった。

旧陸軍には戦陣訓というのがあったらしく、「生きて虜囚の辱を受けず」というのがあって、つまりは捕虜になるくらいなら死ぬまで戦え、ということだと思うが、そんな勇ましいものがあった。

それゆえか、日本軍が勇敢で死を恐れなかったとしてある意味美談として語られるが、僕自身をそれを聞くとどうも胸が熱くなるのだが、それを発したトップ、東条英機は生きて虜囚の辱を受けたのである。

もちろん、天皇陛下の玉音放送があったので、それを聞いてなお戦うというのは陛下の心に反するということだったのだろうが、特攻隊で亡くなった英霊からしたら、あれ?という感じじゃないかと思う。死ぬの俺だけ?みたいな。

まあ、ちょっとバカな風に書いてしまったが、理屈で考えるとそうなっちゃう。若い人たちが死に、偉い人同士は手打ちをした。それが太平洋戦争だったと言ってもいい気がする。

いや、それがあらゆる戦争の基本形なのではないだろうか。民が死に、統治者同士は手打ちをする。

ジパングでも劇中出てくるが、日米が講話をするシーンにどうにも違和感を感じてしまう。日米の全権大使がスーツきて、どこかのでかいホテルかなんかで、シャンデリアの下で、きれいなテーブルの上で、終戦協定にサインする。つまり手打ちだ。

つき先月まで大砲打ち合って、玉砕、特攻、殲滅、悪魔を打ち倒す、とやっていたのに、いざ講話となれば、偉い人がのこのこ出てきて仕立てのいいスーツ来ちゃって、敵同士のはずなのにいそいそとサインして握手なんかしたりする。

おまえら今その場で殺し合えよ、とか一瞬だけ思ってしまう。だってお前らの下で若者が何万人死んだんだよ。にっくき敵の大将だろ、素手でもいいから首かっきってやれよ。とか。もちろんめちゃくちゃなこと言えば、だけど。

なんで血みどろに殺し合った後で、紳士然として握手ができるのか。それがわからない。日米だけじゃない、フランスとドイツもずっとそんなことやってきてるし、どこも同じだ。戦いの後で握手する。それが武士道、騎士道ということなのだろうか。それにしてはあまりにも血みどろにすぎた。しかもお前死んでないし。



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