あ、もう一個だけ書かせてもらうわ。ごめん、まじ。でもいいじゃんんブログなんだし。
あのねーおれ、死ぬ間際に見るといわれる走馬灯の正体がわかった気がしたんだ。
恐ろしいことなんだよ、これは。あの走馬灯はね、おれ見た人に聞いてみたいんだけど、よく走馬灯って人生で体験したこと、見たこと、が生まれてからの場面がぜんぶ再生されるっていうふうに言うじゃない?でも、あれ、ちがうんだよ。
ほんとうは、本当の走馬灯は、体験しなかったもの、見なかったものが再生されるんだよ。そっちばっかりが再生されるの。生まれてからいままでの全人生の中でね。おぎゃあと生まれてからこれまでの、とくにまあ物心がついてから今までと言ってもいいのだけど、いや、たぶん母体にいるといからのことだろうけど、そっちはまあメインじゃないんで、つまり、忘れてもいないこと、つまり、一瞬たりとも意識に記憶をとどめなかったような記憶が、ぜんぶ再生されると考えていい。
そういう記憶ってあるんだよね。つまり、目には入ってきてるんだけど、意識が向かなかったから記憶にならなかった記憶。なんか矛盾したこと書いてるけど、身体的には覚えてるんだけど、一度も「解釈」しなかった記憶なんだよ。
そういうものが、ばーーーーーーーーっと思い出されるの。これってすげー恐怖じゃない?!だって、ぜんぜん知らない人生を見ることになるんだよ。明らかに自分の人生なんだけど、明らかに記憶がないことばっかり見せられるの。あれ、そんなことあったっけ?あれ、あのときあの人、あんな顔してたんだ??あのとき、おれは、こんな印象をもったんだ??って。
もう死ぬというのに。もう一切の取り返しがつかないというのに、ぜんぜんちがった人生があったこと、あり得たことじゃないよ、あのときあっちを選んでいれば、とかそういうことじゃないよ、あのときこういう風にも感じていた、とか、本当はあのときあの人もいたよ、とか、なんというか、事実的には全部同じなんだけど、あんたが感じてきた印象、解釈してきた現実は、半分もなかったんだよ、ということがわからせられる。
ゲーテはたぶんこれを見た。だから人生は冗談みたいなものだ、って言ったんだと思うな。知らないけど。でも、それならわかるじゃない。あんなに考えに考えを重ね、なおかつ自分に正直に生きようとしてきたゲーテが、そのゲーテでされ、半分の人生も生きてこなかったということが知らされるわけです。体験していたのにしていなかった体験がどれほどあったのか、ということを。
これはほんとに恐ろしいことであると同時に、これ以上の解放はまた、ないのです。
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