11/27/2012

昭和の空


この写真は今朝通勤途中でとった空の写真だが、「昭和の空」と名付けた。
なんか、子供の頃にみた空に似てるなって思って。たぶん電線とか電柱が似ているんだろう。

 最近ずっと戦争のことを考えてきたけど、それで、戦前、戦中の日本はどんな社会だったのかと思ったりしてたけど、やっぱり戦後がどれほどゆがんでいるのであれ、自由が増したことだけは否定できない。言論の自由なんかもそうだよね。

戦中は、政府の批判をするだけで、日本は負けると言うだけで、警察に捕まった。今では考えられないことだ。だが、本当にあったし、警察で拷問されて何人も死んだ。ただ、戦争に反対しただけで、である。

あの頃の日本人がどれほど逞しく、どれほど純粋であったとしても、(まあそんなことはないと思うけど)、そんな政府や警察を拝していたのだ。決して戻りたくはない。

あの麗しき江戸時代だって、きつい身分制度があったし、基本的に自分の身のフリは藩主がすべて決めたはずだ。これは武士だけなのかもしれないが、脱藩といって、生まれた藩から出て行くだけで切腹、下手をすれば家族も投獄された。そんな時代を美化してもしきれるものではない。いや、というか普通にそういう社会には僕は生きられない。もはや自由を知ってしまったのだ。

自由とは、甘美な麻薬である。と誰が言ったか忘れたが、一度知ると後戻りできないものである。人類の歴史は、大筋は、個人の自由を増す方向で着実に進歩している、とフランスの学者が言っていた。

それが時代の大きな流れ、時流というものである。個人の自由という既得権益を得た者は、それを決して手放さないだろう、思えばお金というのも自由に直結している(ように見える)からみんな欲しいのである。

おっと、また大きなことを語り始めてしまった。違うのだ、わざわざ昭和の空の写真を載せたのは、バンコクのささやかな日常を綴りたかったからだ。

でも日常らしき日常などとくにないわ。朝オフィスに行って、夜帰ってきて屋台で飯をかき込んで、家に帰ってシャワーを浴びたらまたパソコンを開いて映画や、ダウンロードしてあった動画を見る、寝るまでそうしている、そんなダラけた日常なのだ。

基本的に出不精なのはバンコクにいても全く変わらない。なんだかなーって思う。わざと家にネットを引かないようにしたのだが、そのかわりにDVDを見たりするようになっただけだった。本当は本を読みたいのだが、DVDより本のほうが3倍も高いという事実の前に膝を屈している。本が高くなった。

あ、でもこれ面白い現象だよね。昔は映画のDVDって高かった。 4500円とかしてたでしょう?だからレンタルビデオが流行った。てか日本では今でもそうか。バンコクでは正規品を買っても300円で買える。最新の映画も揃ってる。まあレパートリーは少ないけどね。だからついつい暇だと買ってしまうのだ。

そのかわりに本が高い。日本の本を買うと、1.5倍という感じだ。物価格差も考えると、えーっと思うほど本が高く思える。本って贅沢品なんだね。しくしく。

もうだらだらモードになってきた。とくに面白いこと書かないから忙しい人はここで読みのをやめて結構です。


おれ、原発のことまだ日本で議論になってるのが信じられない思いです。
一回事故があればあれだけの国土が奪われる。人体への影響うんぬんの前に、すでに、半径20キロが立ち入り禁止で、いつ解かれるあてもない。汚染された、という事実はゆるぎないだろう。つまり、いろいろ科学的調査の結果、20キロ圏内の放射線物質、ぜんぜん人体に問題ないです、住んでもお米作っても全然オッケー!、世界中が20キロ圏内の野菜ばんばん買ってくれるって言ってるよ!なんて到底なりそうもないでしょう。どえらい損失をしてしまったのです。海だって、魚だって、。

国土こそが有限、これ以上失うわけにはいかないのです。なんで国土喪失という観点で議論がなされていないかが不思議。電気の発電コストの差なんて知れたものでしょう、国土喪失に比べれば。

結局、また大きな口をたたいてしまいました。そういうモードなんでしょう、ここ最近は。しょうがないですね。

また記事を変えて、身近なことを書きたいと思います。





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