9/16/2013

ブログを引っ越しました

突然で申し訳ないですが、ブログを「はてな」に引っ越すことにしました。
このGoogleのBloggerというツールですが、なかなかログインができなかったり、どうにも具合が悪かったからです。というか、きまぐれです、すみません。

新しいブログはこちらです↓。

http://taach.hatenablog.jp/



しばらく↑で更新していきます。

9/12/2013

沖縄から帰ってきた




 沖縄から帰ってきました。一ヶ月半くらいいました。友達がバイクを貸してくれたので、自由に行動していたら、とっても楽しくなってきました。名古屋に帰って第一印象は、空が青くない、でした。やっぱり沖縄の空は真っ青だったのです。毎日、毎日、青と白のコントラストでした。

沖縄は、小さい子をのんびり育てるにはとってもいい場所だなって思った。毎日海で遊ばせてれば丈夫で気持ちのゆったりした子に育つ気がする。近所付き合いもあって、地域全体でこどもの面倒を見るという感じらしいし。高校くらいになると、内地に行きたくなるかもしれないけど、沖縄の子はたいてい、沖縄に戻ってくると聞いた。本人もいってたけど、やっぱり沖縄が居心地がいいらしい。どういうことろが?と聞くと、時間に間に合わせようと急いでる人がいないところ、みたいなことを言っていた。

そういえば、むかし、会社員をしていて電車通勤をしているころ。人身事故で電車が止まると、おいおいまたかよ、困るんだよ、としか思えない自分に驚いたりしていた。ひとひとりが亡くなっている。でも、そのせいで会社に遅刻するのも面倒だ。そういう感情しか湧いてこなかった。都会は人が多すぎる、ただそれだけのことなのだろうけど。


実家に帰ったら姪が来ていた。2歳の姪は、夜、電気を消して眠れない。正確に言うと、夜中に目が覚めた時、真っ暗だと火が着いたように泣くのだ。だから電気をつけたまま寝たりしている。

ぼくは不思議だなあと思って見ていた。でも、そういうものか、とも思う。でも、いったいどうして夜中に目が覚めて、暗闇だと泣くのだろう。怖いのだろうけど、夜が暗いのは悠久の昔からの自然で、人類はずっと暗闇で眠ってきたはずなのだ。それも漆黒の暗闇で。一万年前の二歳児は暗闇で泣いたのだろうか?

謎解きがしたいわけじゃない。ただ、2歳時なりにいろいろあるんだな、っていう以外さだけだ。幼児なんて、バーーっと遊んでバタンキュー、いちど寝たらてこでも起きない、みたいなのを想像していたからだ。もちろんそういうときも多いんだけど、なんだか気難しい人に相手をしているような気分になることも多い。わけのわからないことで機嫌が悪くなったりするのだ。とってもいじわるだったり。でも、それが悪魔の2歳時と言われる普遍的な現象みたいだし、これからもそうやっていろいろありながら成長していくのだろう。

つまり、暗闇で目覚めて泣いたり、突然むずかったり、わけのわからないことで頑固になったりするのが、幼児の「健全」な状態だということなのだろう。





「風立ちぬ」を見た


 先日、「風立ちぬ」を見てきました。沖縄の嘉手納基地近く、連日、米軍最新鋭のF22戦闘機が飛び回っている、北谷の映画館です。

僕には、まず、この映画は戦争と自然災害を描いいるように見えました。戦争、この不思議な人間行為。そして、突然命を奪う自然災害。もっとも、ヒロインの菜穂子は災害ではなく結核という病で亡くなります。しかしそれは、自然が命を奪っていったと言えるものではないでしょうか。自分の日々の行いとは関係なく、もちろん感染経路や体調管理、遺伝体質など、因果関係はたどれるのかもしれませんが、本人が悪いことをしたわけでもなく、危険な行為をしたわけでもなく、ただ普通に暮らしているだけで、患ってしまったと言えます。そして、そんな風に突如やってきた病に、刻々と命の温度を奪われていくのです。東北が思い浮かびます。大勢の命が召されましたが、それは突然で、本人たちの日頃の行いとは、微塵も関係なかったと断言できるでしょう。ただ、大きな自然がやってきて、連れ去っていったのです。

主人公の二郎は、戦闘機づくりに命を燃やします。もちろん本人は戦争の道具など作りたかったわけではないでしょう、ただ美しい飛行機を作りたかったのです。でも時は戦時。自分の力を最大限に発揮できる場所は大手の飛行機会社であり、当時の大手の飛行機会社は戦闘機を作ることになっていたのです。

たぶん当時の時代背景を考えると、戦闘機じゃない飛行機を作れる場所などどこもなく、戦闘機づくりを拒否しても、どのみち徴兵で戦争へ、そんな時代だったはずです。すべてを飲み込んでゼロ戦を設計していたのです。二郎本人の行いや思想とはかかわりなく、戦争という大きな集団のうねりがあって、できることは所詮、そのなかで少しばかりあがく方法があるかないかといったところだったはずです。

まあ端的に言えば、そういう中で、ひとりの人間としてどう生きるのか、という映画だった気がします。それも、どう抗うのか、というよりは、抗いようのない流れに押し流されながらも、いかに輝く日々を生きるのか、という映画だった気がします。

映画を見終わったとき、以外な気持ちになっていました。宮崎駿はここに着地したのか、と。あっちもこっちも睨みながらも、いろいろな思いや昂ぶりを抱えながらも、ふわりとそこへ降り立ったのか、そんな気がしました。