7/31/2012

バンドゥンの悲劇


バンドゥンの2日目。午前中は仕事をして、昼から散策に。
とりあえず、宿から地図をみながらやみくも歩いてみる。これが僕のいつものやり方だ。とにかく徒歩、どこだっていい。たまたまの宿の近くの道路でいい。そして、一応聞いておいた、目抜き通りをめざして歩く。迷う。暑い。でも歩く。なぜなら、バスの乗り方を知らないからだ。

そして、「アジアアフリカ」という名の大きな道路に出た。なるほど、たしかにでかくて立派な道路だ。しかし、ほんとうにただの道路で、お店もなにもない。ふと見ると、人力車のおじちゃんがおいでおいでをしている。乗ってみる。なんか適当に噛み合ない話をしていたら、おじちゃんは走りだしてしまった。どこか行き先がなんとなく決まってしまsったらしい。おとなしく乗る。どうせ人力車、迷うほど遠くまでは行かないはずだ。そして走ること15分ほど、いろいろ路地を抜けた気もするが、同じアジアアフリカ道路の少しいったところに着地していた。あいかわらず何もない。

おじちゃんに、どこか高いところへ登れる場所へ行きたいのだが、と言ってみる。身振り手振りで説明すると、わかった!と言ってまた走り出した。おとなしく載っていると、またアジアアフリカ道路のもといた場所に戻ってきていた。そして、ほらここを登れ!と指差したその先には、歩道橋があった。。たしかに少し高いところだ。もうあまりの暑さに元気をなくしていた僕は素直に降りた。そして、最初200円と聞いていたので、色をつけて300円を渡そうとしたら、500円だという。往復したから500円なのだ、と。そして、服をぱたぱたさせて、おじさん頑張りすぎて疲れちゃったよ〜というアピールをした。おれは、ややや、これはぼったくる気だなと思うが、もう疲れていたのとおじさん、たしかにがんばったのでとりあえず400円で手を打つ事に。

そしたら、そこに大きなモスクがあった。イスラム寺院だ。歩いて行くと、トイレがあったので入る。なぜか地下に階段を下りていく。と、そこでは人々が足を洗っていた。足だけでなく、顔や手も念入りに洗っている。あーこれは礼拝の前にお清めをする場所なんだと納得。ぼくもみんなのマネをする。そしておそるおそる別の階段をのぼって寺院の中へ。

そこでは人々が壁にむかって立ったり正座したりぬかづいたりしてお祈りをしていた。敬虔な感じだ。ぼくはお祈りこそしなかったが、壁際にもたれてその静かな雰囲気を味わっていた。これがイスラム教か〜。ふだんはヒンズー教のバリ島にいるが、ここバンドゥンはどっぷりイスラム圏のようだ。みんな敬虔な感じ。お昼の礼拝に来ているのだろう。しかし、産業資本主義にどっぷりの日本人の僕は、こんな疑問を感じてしまう。こんな平日の昼間からみんながお祈りに来てたら、経済回らないんじゃない?と。たしか一日に何度もお祈りするらしいし、ほんとにそんなことしてたら、仕事がはかどらないじゃない?と思ってしまうのだ。と同時に、こうやってちゃんと毎日祈りにくることを習慣にしている人たちってすごいな、とも思う。見ていると、なんかちゃんと神に祈ってるっぽい。瞑想してるような感じかな、と思う。とすれば、毎日瞑想してるってすごいな、と。
そんなことを思いながらいつのまにか昼寝をしてしまった。気がつくと一時間ほどがたっていた。

そそくさと退場して、ウォーキング観光を続ける。しかし、しかし、ここからは悪口。街が汚い。薄汚れた感じ。さぶれた地方都市なのに人口だけたくさんいる、みたいな印象。道もゴミだらけ。車とバイクの排気ガスで息も苦しいくらい。スモッグがかかってて、遠くに山らしきものが見えるだが、ちゃんと見えない。
なんか、失望。これがかつてインドネシアのパリと呼ばれた街なのか。。。

物もらいもたくさんいる。今日だけで5人以上にお布施した。貧しいんだな、この街は。それが第一印象だ。
不思議な気持ちになる。イスラム寺院はあんなに立派で、お祈りする人々はあんなにも敬虔だった。この人たちはいい人たちにちがいない、そう思わせる雰囲気があった。でも一歩外にでると、ゴミだからけでカオスで臭い。このギャップは何なんだろう。お寺をあんなにきれいにしておける人たちが街をあんな状態で放置するなんて。。

ここには、なにか僕のわからない文化の何かがある気がする。価値観の何かというか。もしかするとイスラムの人たちにとって街とはどうでもいい場所なのかもしれない。お寺などの聖域に比べると。わからない。どうしてゴミを拾わないのか。

これは悪口というより不可解なのだ。どういうことなのだろう。
そして、どぶ川の上に橋を渡すように立てられているスラム?街い迷い込んだりして、夕方までてくてく歩きました。スラムなどというと失礼なのかもしれない。下町と呼んだ方がいいのかもしれない。貧しそうではあるが人々の目は決して荒廃していない、子ども達も楽しそうにたわむれていた。

とはいえ、排気ガスにまみれての市内観光、どっぷりと疲れ、失望が体にまとわりついてしまいました。そうだ、美人の産地バンドゥンというのも、なんというかその、まあ、簡単にいっちゃうと、裏切られた気持ちです。。
これが一番痛い?

とはいえ、ここで終わるのもなんなので、明日は少し郊外にある中でも風光明媚らしいエリアに行ってこようと思います。期待はあんまりしてませんが、なんでも見てみよう、という感じです。

バンドゥン

今日はインドネシアのバンドゥンという街に来ています。
マレーシアはクアラルンプールからバリへ帰ろうと思っていたところ、他の街によってみようかな?と思い立ちました。飛行機代も数千円ちがうだけです。

前から行ってみたかったバンドゥンという街へ行こうかな?と急に思い立ち、そのまま翌日のチケットを買って来てしまいました。
何を隠そう、バンドゥンは美人で有名な街です。美人ばかりということで、インドネシアの芸能人はほとんどこの街の出身だそうです。それを検証しにまいりました。

今日は夜に到着したので街の様子はぜんぜんわからず、宿に到着して、近くのフードコーナーへ。うーん賑やか。店員達も楽しそうにしています。なんかみんな若いな。高校生のような感じ。

なにか地元の料理でも食べようかなと思っているところに、呼びかけられてふと見ると、日本食の屋台が!チキンかつカレーが!もう逃げる事はできませんでした。200円払ってカレーを注文。お味は、、ご飯が固いのをのぞけば、ちゃんと知ってる味!でした。まあまあ満足。

そして美人のほうは。。うーん。たしかにおっと目を引く女性もちらほらいますが、美人だらけ、という印象ではない。なんとなく残念。でも明日は街を歩いてみます。どうなることやら。

ごめんね写真がなくて、カメラ壊れたから。しかも今日、iPodまで壊れた。なんだろうどんどん壊れていく。iPodはそろそろ寿命なのかもしれない。6年くらいはつかったかな。
カメラとiPodがつぶれたということは、iPod Touchを買えということかな?などと考えておりました。どうせ日本帰国時の電話がわりに何か欲しいなと思っていたところです。ちょっと考えます。

ところでバンドン、なんとなく盛り下がりましたが、まあ百聞は一見にしかず、ここに来れただけでも半分は満足です。なんだろう、10ヶ月前、バンドン出身の人に出会い、いつかはバンドンに来てくれ、と言われていましたが、そのころは、なんだかすごく遠いところに思え、なにせバリさえもまだ来たばかりで、とても他の街へいく余裕なんかない、一生のうちにいつか行くかどうか、という感じがしていましたが、なんかよくわからないうちに降り立ってしまいました。すっかりインドネシアにも慣れてきたということなのかもしれません。来てみたら普通の街です。バリから片道4千円くらいでこれます。エアアジア万歳ですね。

そうなるともっといろいろなところにも行ってみたくなりましたが、ぼくは有名な観光地には今回もいかないでしょう。なにせ街からバスで2時間とかかかる。温泉とか火山があるらしいのですが。。いいんです、ぼくは普通の街の普通の人々を見たいだけなのですから。

明日は、おしゃれカフェがあるというエリアに行ってみようと思います。そうそう、子の待ちは、別名、インドネシアのパリだそうです。期待してます。




7/30/2012

マレーシア


いまマレーシアに来ています。なぜならば、それはビザの更新のためです。クアラルンプールです。

そして、例のよって例のごとく、着いた初日にカメラが壊れました。もうあわてません。いつものことです。
ぼくはなぜか、ここぞという旅先でカメラが壊れたり、なくしたりします。
オランダ旅行中などは、たぶんカフェがどこかに置き忘れ、戻ってももうありませんでした。
すごくお気に入りのcanonのコンパクトデジカメだったのです。IXY40というやつです。
おれはほんとに薄くて軽くてかっこよくてお気に入りで、その後継機種よりも断然かっこよかったので、大事にしていたのです。
それをオランダでなくしてしまった。盗まれたのかもしれません。
そして、次の滞在先ドイツで、さんざん悩んだあげく、旅先で写真を撮れないことほどさみしいものはない、という結論にいたり、ドイツはベルリンで泣く泣くカメラを新調したのでした。
そう、普段カメラを持ち歩いたりしない、あまり撮影意欲のない僕ですが、旅に出るとがぜんカメラマンになってしまうのです。

そう、それで、泣く泣くまたキャノンを手に入れて、ドイツ語のマニュアルと、ドイツ標準の充電器と格闘しながら、なんとか使っていたところ、わずか1週間後、こんどはスイスかどこかへ発つ前の空港で、充電中の電池をそのまま置き去りにするという事態にあいなったのでございました。これは泣けた。本当に。

また、泣く泣く充電器を買い直す、という事態になったわけです。

余談が長くなりました。

そんなこんなで、カメラが壊れている私ですが、おなじホステルに泊っている人に、すまないが、ブログに載せたいので、マレーシアの写真ちょうだい!と懇願したところ、かようなよい写真が送られてきたので載せることにします。


これは、誰もが知っているだろう、マレーシアの名所中の名所、ペトロナスタワー!
ビル全体が光ってきれいでした。
一応、ちゃんと目の前まで行きましたよ。

そして、いきなりひとつの感想をつぶやく。

マレーシアの首都、クアラルンプールの、その中でも一番の繁華街、ブキットビンタン通りを歩いていたのですが、ヤナセ、みたいな外車のショールームがちらほら立ち並んでいました。もうぴっかぴかです。東京と変わりません。マレーシアももうこういう国なんだねーと思ってみていましたが、いま、バリ島に長期滞在中のぼくの目から見ると、ヨーロッパ高級外車というものは、クアラルンプ−ル級の大都会でしか機能しないものなんじゃないか、ということです。

ベンツがバリ島を走ってても、いまいちありがたみがありません。なんか土地に合わないというか。
でもクアラルンプールでは、やっぱり目を引いて、真っ赤なフェラーリが2台並んで走り抜けたりすると、おお〜、となぜか羨望の目で見てしまうのです。

それはやはり、クアラほどの大都会になると、その貧富の差と申しましょか、フェラールに乗れる人と、スラムに住む人の対比が目に痛いほど明らかで、どうせなら、ファラーリ側に少しでも寄って行きたいという気持ちになってしまうからでしょうか。

バリ島では、まあましな家に住みたい、とは思いますが、フェラーリを所有してみたいとはみじんも思いません。フェラールではあぜ道は走れないし、サーフボードも積めません。

だから、ひさびさの大都会を歩きながら、ふーむ、なるほど、と何か合点がいくような気がしていました。これは大都会という現象が起きているんだな、と。大都会という現象の中で機能するもの、機能しないものがある。
大都会という現象はきっとマネーが集中していないと起きないのでしょう。


すみません、なんか急に眠いっす。寝ます。

7/24/2012

屋根にペンキを

屋根にペンキを塗るところを見たのだ。
白いペンキが黄色いペンキか忘れてしまったが、長い長いはしごに腰掛けて、君が屋根にペンキを塗るのを見た。おれが近くにいくと、ペンキ缶を左手に、ハケを右手にもって振り返ったその頭には帽子のつばが赤く見えた。大きな声で俺の名前を呼んだのだ。太陽がじりじりと暑すぎる。眩しくてよく見えないかったが、二カッと笑っているらしい元気でよろしい!

なんかそんな夢を見た。

一年くらい、まったくお金を使わないで、つまりお金に触れもしないで生活してみたらどんな気分がするだろうか。急に狩猟生活みたいなサバイバル世界に突入してしまうのだろうか。農機具だって買うのお金いるしね。

このまえ、naturalで畑の畝づくりを手伝った。スコップでこっちの土をあっちに持って行くだけでへとへとに疲れきった。一緒にやった友達と、たったこれだけの作業がこんなに大変なのか。土って重いんだね、、という会話をしていた。機械化万歳!と心の中で叫んだ。ミニシャベルがあれば、2人で1時間かかった作業が5分でおわるだろう。機械化のおかげでどれだけの人間が生きられるようになったかはかりしれない。まじ産業革命あってよかった〜。そんなことなど思っていた。要はいいバランスをどうとるかということなのだ。

あんなスコップだけでちまちまやってたら俺たち飢え死にするぞ!ってまじ思ったわけです。昔の人すげーーとも。

いいバランスとって、ペンキ塗りたいわ、おれは。お前がペンキ塗ること笑ってみながら、波乗りにでもいってきまーす、したいわ、ほんと。





道の仕事

バリ島の大通り、サンセットロードには小銭をせびる子ども達がいる。信号で止まると、待ってましたとばかりにこども達がよってきて手を差し出してくる。毎日、朝から深夜までいる。5歳〜10歳くらいのこどもたちだ。中には赤ちゃんを抱えている子もいる。

最初にうちはかわいそうだなと思って、小銭をあげていたが、毎日毎日いるし、意外と元気そうだし、よく見ると影に親がたっててこどもを見張っている。つまり、親がいないストリートチルドレンというわけではなく、親に言われて小銭をせびっているのだ。
それを知ったとき、なんだよ、と思って以後、お金を渡さなくなっていた。

だが、さすがに深夜12時に赤ちゃんを抱えた女の子に手を出されるとつい、小銭を探してしまう。小銭をわたさないとプイとむこうへ行ってしまうクソがきは無視するようになったが。

ところが、最近、あれは彼らの仕事ではないか?と思うようになった。孤児ではない、ということでだまされた気分になっていたが、いくら親がいるからといっても、朝から晩まで道で車やバイクに手を出し続けているのは事実であり、彼らの生計の手段になっているのは確実であり、親が仕事してないのも事実かもしれないが、あれはそれでこどもたちの仕事といっていいのではないか、と思うようになった。

仕事なんだから稼いでもいいのである。あとはこちら側がいくらあげたいのか、もしくはいつあげて、いつあげないのか、誰にはあげて誰にはあげないのかという微妙な指向があるだけなのだ。

ということで、ぼくは機嫌が悪くなくて財布に小銭があって、まあくそガキじゃない奴だったら、銭を与えることにしている。

あれを仕事考えれば、あの子達はすごい長時間働いてる。マジでけっこう稼いでる可能性もあるが。。まあそれはおれの預かり知らぬところである。

でもおれより稼いでいるようなら、当然、1円もあげたくないところではある。

という、なんか変なことも書いてみる。

7/20/2012

昨日は

昨日はおとついに出会った人たちとまた再開して遅くまで酒盛りをしていました。ひさしぶりだなーこういう感じ。楽しいなあ。そこで、ペロというあだなを頂戴する。いろいろ短縮したかたちがペロ。由来は聞かないでほしい。でも、その音感を気に入る。これから芸名はペロになる。

ちなみにその場で言い渡された他の人のあだなは「キンタマー二犬」と「
野生のカウパー」だった。おれはましなほうだった。

そして、不思議なインドネシア人から、やや、お前の声はシンガーの声だ。歌いなさい。と言われる。明日から歌うことにする。まず9度目くらいのアコースティックギターに再入門するか。どうしてもギターを引けるようにならないおれは、向いてないのかやる気がないのかどっちかなのだろう。


そして、今日は午後からインドネシアの布を買いに言った。腰にまくのだ。最近、パンツを洗うのが追いつかなくてノーパンでいることが多くなった。これでいいんじゃない?などど思う。とはいえ、パンツ的なものはやっぱあったほうがいいのかもね。

そして、おれを兄と呼ぶローカルの中学生がいる食堂へいく。ここでは、「今日のスペシャルよろしく」と言うだけだ。きょうは煮魚だった。

そして、いまいつものダンキンドーナツ、ここでは、何もいわなくてもコーヒーとマフィンが出てくる。

同じ事を続けるといいこともあるものだ。

とはいえ、また2ヶ月に一度の一時出国だ。こんどはマレーシアかな。いやーめんどくさい。

バリ島にもローソンが出来始めた。なんと「おでん」まである!すごいことになってきたものだ。バリでローソンのおでんが食べられるとは。。どちらかというと、うれCです。

日記風にしてみると書きやすいかなと思ったけど、そうでもない。



7/19/2012

natural

昨日はリョーコの家でホームパーティーにご招待いただいた。

行ってみると日本人の男の人が4人もいた!びっくり。
ひさしぶりに日本人男子を集団で見た。びっくりしてしばらく口がきけなくなってしまった。
でもしばらくしてうちとけてくると、歳も同じくらいで、面白い人たちだということがわかってきた。

ひとりは、バリ島でエコファームをつくっているとのこと。完全オーガニックで野菜をつくるということらしい。炭素循環農法?とかいうのらしい。すごいやる気が伝わってくる。めちゃくちゃ楽しいとのこと。Naturalというファームらしい。こんど遊びに行きますということにした。

もうひとりは、バリで仙人みたいに暮らしていて、お金をほとんど使わない暮らしをしているとのこと。
もうひとりは、日本から視察旅行できていて、エコファームで勉強しにきたとのこと。将来は自分もエコビレッジをつくりたいと言っていた。

もうひとりは、美容師で、お店をやめて次の仕事をする前にバリ島にヨガをやりにきたとのこと。

そういえば。こういう感じなつかしい。

ぼくもちょっと前、いろいろ旅をしていたとき、アメリカのエサレン研究所や、千葉の田んぼや、メキシコの日本人や度や、様々なところで、人生のトランジションにいるひとたちとたくさん会話してきた。それまでの仕事を辞めてとりあえず旅に出たというひとや、人生に疑問があって何かヒントがほしいというひとや、離婚しようか迷っているひと、いろいろ。久々にそのことのことを思いだした夜でした。

そういえば、先日のブログでは、短い日数でバリにくるのはもったいないと書いたが、僕がバリ島に来た初日のことを思い出していた。そのとき、サヌールの静かな静かな海に行き、浅瀬になって向こうの小さな島みたいなところまで歩けるところを、膝まで水につかりながら、そろそろと歩いて、風がぴゅるるーという音や、凧が上空高くはためくのを見ながら、ああ、空が青いなあ、とどこかほっとして、前日までの生活はいったいなんだったのだろう、と不思議な感覚になりながら、静けさを噛み締めていたあの午後のことを。

それだけ、東京とバリの間ではギャップがあったのを思い出していました。こんなところに暮らすという選択肢もあるのか、と、不思議な、ポカーンとした気持ちになったのを思い出す。

もちろん、その後、結局そのちょっと田舎で静かすぎる街には退屈してしまったり、いろいろあるのだが、でも、少なくとも、バリ島初日には、結構なインパクトを受けていたことをリメンバーしていたのでした。

だから、もし、何か呼ばれる感覚などがあるのなら、たとえ3日といえどもバリにくる意味はあるのかもしれない、と思い直したりしていました。空気というのは、やはり、本当に十分距離を離れることでした味わえないものもあるのかもしれません。

とはいえ、おれなどは、もはやバリにもすっかり慣れてしまって、青い空も、海も、なにもどこか退屈な日常の部類に入りかけていたりして、これはいかんな、と思います。でもまあそんなもんでしょう。

きっといろいろなひとに会い、いろいろ、今の自分から見るとなとんでもない生き方や働き方をしているひとに会って、それでもちゃっかり生きているひとにあって、知り合いになること。それがカギなのかも、と思います。そうすれば、そのひとの生き方がどれほど自分の現状とかけ離れていると思えても、そのひとの在り方の1%くらいは自分に入ってきます。自分の一部になるのです。そういうものが飽和したとき、きっとひとはたどたどしい一歩を知らないうちに踏み出すことになるのでしょう。

とうまいこと言ってみる。


ないところにあるものをつくるとき、ひとは協力し合うのだろう。

7/17/2012

働き方

働き方シリーズ続編

いまの日本、働き方だけが本当に不自由で、他のことと比べて自由度が段違いに低い気がする。バリ島にいて、友達からバリ島に遊びにいきたい、という声をよく聞くのだが、だいたい、行けても4日だよ、とか、お盆だけ、とか、そういう感じだ。それは日本の仕事の慣習がそうなっているから仕方がないんだけど、おれはそのたびに、え、それはちょっともったいないんじゃない?って思ってしまうのだ。バリ島まで日本から安くても7万円くらいかかる。夏のハイシーズンなら10万超えるだろう。10万かけてきて3泊4日とかしか遊べない。欧米人見ると、最低2週間。だいたい一ヶ月くらいおるね。

じゃあ欧米人が恵まれているかというと、彼らは意外とお金もってない。たぶん日本人が4日で使うお金を2週間かけて使うとか、そういう感じだと思う。たぶん一回の旅行に使えるお金はそれほど格差ない。ただ、使える時間が段違いなのだ。なんでこうなってるんだろう?これほんとに解けない謎なんだよ。3年前にヨーロッパ旅行したときからの。彼らは普通の普通の人が一ヶ月のバケーション行っちゃうんだから。そのへんのラーメン屋も店閉めていっちゃうんだから。おれオランダで見たんだから。お医者さんだって90日のバケーションとってたよ。

なんで日本は一ヶ月のバケーションとれないの?と問いかけても誰も答えられない。誰もが主体的に決めたことではないからだ。法律で決まってるわけでもない。ただ、みんながそうだからそうだ、としか言えないのではないか。事実、僕自身がオランダ人から何で?と聞かれて答えられなかった。

しかし、調べていないが、ヨーロッパも昔はバケーションなかったと思う。ながい時間をかけて、そのほうがいろいろいいよね、という風に変わって来たんだと思うね。調べようかな。

日本だって昔は週休2日じゃなかったし。

でも、日本人にもバケーションを!運動を起こすというのもなんかちがう気がするし。
この働き方の硬度はいったいなんなんだろうな。遊び方は無限にあるのに。ほんと、ありとあらゆることが可能なのに。世界中に旅行いけるのに。北極でオーロラみることだってできるのに、働き方を変える事だけがこんなにも難しい。

なんだろう。どういうことだろう。たとえば、給料4/5でいいから、週4日勤務で行かせてもらいます、っていうのがもっと簡単にできるようになればいいのにね。

なんだろう、そういう問題でもないのかな。
「仕事」とはいったいなんなの?というのが僕の長年の命題なんだな。解けないなぞだ。





7/16/2012

酔っぱらった〜

土曜日は、友達にBBQに呼ばれて、行ってみたところ、熊のような外国人が集まっていて、そこは格闘道場らしく、わいわい飲んでいたら、ぼっこぼこに酔っぱらってしまいました。テキーラのダブルくらいのを3回くらい一気飲みさせられて、もう何年ぶりかというほど酔う。楽しかったがしんどかった。少しその場で寝てから帰りました。

あれほど酔うのは久しぶりだけど、もういいや、という気持ちになる。体がきつい。
しらふであれくらいのテンションにもっていけるといいな、などと思う。

そういえば、ある知人は酒飲めるけどあえて飲まないと言っていた。なぜなら酩酊している時間がもったいないからだと。彼は本を書こうとしている。

まあでも、なんか知らない外国の女の子となぜか「乾杯」を大声で歌ってたなあとか、あれ、おれなんか面白いことになってるな〜というかすかな記憶が残ってていい感じではありました。そういえばケツも出してたような気がするなあ。


日曜日は友達とご飯を食べにいってしゃべり倒していた。やっぱおれおしゃべり好きだわー。仕事論などを侃々諤々話す。

結局、社会から求められる職能をもっていることが最大のリスクヘッジになるのだろう。という結論に自分的にいたる。つまり、ぼくはもともとITのエンジニアだったんだけど、アメリカのエンジニアなんかは、たとえばGoogleとかのエンジニアは、たとえGoogle内で上司ともめたりして解雇されても、ただちに他の会社で働けるだろうし、そう思いながら働いているだろうから、会社員という形をとりながらもとても自由なんじゃないかと思う。いいよ別のここで俺をいらないというならアップルいくし、最悪は友人たちと起業しちゃうから。みたいなノリで働いてる奴はとっても自由で独立してるんだと思う。

逆に、フリーランスや自営業ですよ、といっていても、太いクライアントに切られたら来月から倒産という立場にいて、太客の顔色ばっかりうかがって自分の言いたい事もやりたいことも何もできてないようなら、それは不自由な状態で、結構つらい感じだろう。

だから、会社に雇われる、雇われない問わず、まずは、いまの雇用主や取引相手だけに依存しないよ、合わないならいつでもお別れしましょうね、あくまで対等だぜ、って思えているかどうか、実際にそういう行動にでれるかどうか、みたいなところなんだろうと思う。

なんだろうな、俺もそんなに職業経験が豊富なわけじゃないからわからないし、本当の自営業ってしたことないからわからないけど、まあとりあえず飯食うぐらいはなんとでもなる!って思っていられるのが人としていい状態なんだとは思う。

すげーわがままなワンマン社長とかいて、すげー思いつきでどんどん契約決めちゃったり、部下への指示も二転三転してすげー困ったチャンみたいな人いるけど、でもそれで少なくとも自分(と家族)は食えてきてるんだから、たいしたものだと思ったりね。わがまま好き放題しててちゃんと飯食えるってすごいなーと引いた目でみれば見えたりしてた。もちろん部下からすると、ほんとこいつはパワハラか!みたいな時もあるんだと思うけど、それはパワハラ会社を、ファックユーっつって辞められない部下側の悲劇でもあると思うわけ。部下側の落ち度といってるわけじゃないよ。パワハラ上司は裁かれてしかるべきだと思ってる。でも、神経すり切れるまで我慢する前に、なんとなく、もうこの会社辞めます、次行きます、みたいなノリでびゅんびゅん乗り換えちゃうくらいでもいいんじゃないかな〜って。かつて僕の上司で、おれは胃が半分ないんだよ、みたいなことを自慢げに言う人がいたけど、当時は、おお、企業戦士、やっぱそのテンション必要なのかな〜、とかぼんやり思ったりしたこともあるけど、今思えば、お前、やっぱちがうんじゃない?って思ったり。もちろん、自分がよければいいんだけど。明らかに体はやめてくれって言ってたわけだから。でも諸事情でその状況から抜けられないんだとしたらそれはとっても不幸だなと。おれはその状況からは逃げ続けよう、とは思ってる。

重い話になってきた。まだ頭が重いからかも。けっこう酒残ってるわ。





7/13/2012

続き

とはいえ、こういう言葉もぼくの中に共鳴しているのです。

それはたしか五味太郎さんが言ったことばですが、
大人達がやみくもに心配ばっかりしているのはよくない。大人達が心配ばかりしている中を育っていくこどもたちはどうなるのだ。こどもたちは、安心の中で育つ必要があるのだ。大人達はこどもたちに、何も心配いらないよ、あなたたちが巣立つまで、わたしたちが守ってあげるから、と言わなければならないのだ、と。

これを聞いたとき、そうだ!という声がぼくの中に起った。
もちろん五味さんの真意は、現実を見据えながら、適切に自己判断しながら、ということではあるとおもうが、心配だ心配だ、危ない危ない、と言うだけというのはそれはそれで最悪だ。具体的な行動を起こさないのなら、ただ危ないというのはよそう、と思ったりした。

そして僕の中でも、ぼくが放射能汚染のことをどのくらいに捉えているのか、不確かだ、としか言えない。いまは日本にいないから、身体のアラートは鳴らないし、普段は忘れている。

なんかもうこれ書くのいやになってきた。きっと読む方もいやだろう。
なんかもっと楽しいことをやっぱりね。


昨日は

ちょっと最近、ブログが書けなくなってきたので日記にしようと思ってる。
昨日あったことを書けばとりあえず、何かは書けるからね。

昨日は、また朝からダンキンドーナツで仕事。
もうおれ完全に常連だから、注文しなきても「コーヒー?」と聞いてくる。
なんかちょっと恥ずかしい。なんで恥ずかしいのだろう。
商売的には、貢献してるはずだし、この店が席が埋まることもないので長居しても害はないはず。でもどこかで、こんな毎日来て5時間も6時間も粘ってすみませんね、という気持ちがしてくる。これはなんだろうね。

まあ、いいとして、コーヒーとマフィンをたべて仕事開始。仕事以外にも動画みたり、いろいろしちゃうけど、とにかくまあやる。
そんで、昼過ぎに家にかえって、サーフボードとって海へ。いつものポイントへ。
おとついビーチに忘れ物してしまったサーフ着を弁当を売っているおばちゃんが持って帰って洗ってくれたらしい。ありがとうといって受けとり、海へ。
しかし、波は小さい。すぐ飽きてしまって陸へあがる。

気がつくと、真ん中のフィンが折れている!またやってしった。。
最近ではもうショックも起きない。もうこういうものなのだ。サーフボードは壊れる。治せばいいのだ。ということでフィンを買いにいく。いまいちなフィンしかないが、まあ知り合いの店なので文句言わずに買う。

ビーチに帰るとビーチボーイが、もっといいフィンがもっと安く知り合いから買えたのに、といわれる。そんなこといっても。。。なんかバリってこういうこと多し。ぼくが何かを買うと、かならず値段を聞かれて、もっと安いところがあった、といわれる。最初は悔しがっていたが、もういい。1円でも安く買おうという発想は人生を無駄にする思考だ。というか、面倒だ。だいたいオKでいい。

イギリス人サーファーが2人いた。結構気合い入ってる感じのプロな匂いがぷんぷん。話しかけようかと迷ったが、どこか気持ちが疲れており、やめた。最近、こういうこと多い。コミュニケーションへの欲望より、疲れた、という気分が勝ってしまう。なんか残念だ。昔は外国で外人見かけたら片っ端から話しかけてたときもあったなあ。。

最近、取り組んでいたiPhoneアプリの翻訳の仕事が一段落する。日本のアプリを英語化するという仕事。しかしこれは難儀した。この仕事を通しておれは気づいた。おれには日本語から英語への翻訳は不可能なのだ、と。
Google翻訳や辞書を駆使して、英語にすることはできる。まあ、意味は通るくらいの英文にはなっているだろう。しかし、それは本当に合っているのか、誤解を生まない文章になっているのかは、「わからない」のだ。文字通り、感覚としてわからないのだ。英語の自然感覚を持ち合わせていないということだ。

英語圏で販売される有料のiPhoneアプリの英語が、そんな「わらかない」レベルの英語でいいはずはない。これは現状のおれではどれだけ時間をかけても同じだろう。
幸いなことに、ネティティブの友達を巻きこむことに成功した。で、全文ネイティブ君にリライトしてもらったのだ。返って来た文を見ると、まるで違う文章になっている。あーこんなに違うのね。ということで、友人に頼り切ってなんとか納品完了。しかしなんともしんどかった。自分で最後ケツが拭けない、って仕事はしんどいんだね。つまり、最後の最後でおれがむちゃくちゃがんばればだいたいの仕事はなんとかなるわ、って結構思ってたりするタイプなんだけど、今回は、もうネイティブ君がやってくれなかったら終わりだなってことがビンビンにわかったので、なんか心穏やかじゃなかったです。でもすごくナイスガイなので、心配いらないんだけどね。でもほっと一息ないまです。


そして、昨日、とある動画を見ながらふと思い出していました。それは、あの震災直後の日々のこと。

あの頃、ぼくは本気でパニックになっていました。3.11の翌日から、原発がやばいことになってるらしいと知ってから、逃げた方がいいんじゃないかって毎日思いつめていた。信頼する知人からは逃げろコールがきていた。おれも真剣に逃げることを考えていた。が、逃げなかった。一番の原因は、仕事があったからだ。というか、こういうおかしな思考になっていた。今逃げたとする、会社は1週間程度休んだっていいはずだ、でも、その後どうする?放射性物質の降下が問題なら、事は1週間では済まないだろう、それならば、どこかで会社をやめるかどうか、みたいな決断をしなければならないだろう、しかし、苦労してやっと見つけた雇われ先なのだ、今後いまのおれの年齢でまともな雇われ先が見つかるだろうか。。また履歴書書いて、とかまっぴらだよなーと。

かたや、命の心配をしながら、そのことで眠れないくらい心配になりながらも、もういっぽうでは、再就職の心配でへきへきしていた。そして、周りの人に心配性だと思われるのもいやだった。でも、必死に放射性物質を緩和するという昆布を買いにいったり、食料を買いだめしたりした。もうちぐはぐのパニック状態だったのだ。

いま思えば、笑い話かもしれないが、ゲストハウスの友人と、もし放射能がまじやばくなったら、廊下のこの部分をビニール袋で封鎖しよう、などと話し合っていた。結構まじで。そこまで考えるなら愛知の実家に逃げればよいのだが、どこかで、思考がばらばらになっていたようだ。

で、あとから聞くと、どうも3月15日あたりに結構な量の放射性物質が東京にも降り注いでいたらしいじゃないですか。冗談じゃなかったってことでしょう。おれも食らってますよ。なんかおれ鈍かったのかなあ、といま思ったりしてます。生命体として鈍かったのかなあ、と。

まあでも、いろいろな情報が錯綜してるので、究極の本当のところはまあよくわからないままなんですが、でもね、やっぱり、なんか悔しさは感じたんですよ。生命の危機とまで感じて、体からアラートびんびん鳴ってたのに、再就職のこと気にして動けなかったということに。なんだかなあ、って。これがおれの実態なんだなって思った訳です。

あともう一個、やっぱり、自分だけ逃げたみたいに思われたくなかったというのもあるのかもしれない。ゲストハウスでみんなで住んでたし、東京に実家があってどこへもいき場所がないって友人もたくさんいる。高齢者の知人だっている。そのひとたちを置いて自分だけ逃げるのかっていうのも考えていた。
でもその一方で、ハウスの韓国人なんかには、できるだけ早く日本を出た方がいい、と指示していたのも事実。あのあと、ちょっと早まったかな、なにも帰国させる必要なかったかな、と思いつつ、でも今は、やっぱり帰ってくれてよかったかも、とも思った。つまり、完全にシロじゃないわけでしょう?15日あたりの危険度は。まあそんなこんなつらつら考えると内蔵のあたりがいやーな感じがしてきます。

とはいえ、僕の中にひとつの命題が生まれている。いや、昔からあるんだけど、生計をたてるとは一体なんぞや、ということ。生計のせいで、生計のせいで、生計のせいで、、、













7/12/2012

レオ帰る

昨日、レオが帰っていった。
かわった奴だった。30代のアメリカ人だが、本国で3ヶ月働いて外国を9ヶ月旅をする、みたいな生活を10年くらいやってるという。
実はバリ島にいるとそういうやつにたくさん会う。おもに欧米人の20−30代だが、珍しくない存在だ。だいたいみんなインドに行く。物価が安く行く場所もたくさんあって刺激が多いからだろう。インドを基本として、いろいろな国を回るようだ。あとは基本となる国はタイみたい。つまりは外国人に取って長期滞在がしやすいということだろう。

レオもインドータイと回ってきて、サーフィンをするためにバリ島に上陸。2ヶ月くらいいたのかな。最初はバリ島は3日で出て他の島へ行くといっていたが、なんだかんだでバリ島にいたようだ。最後はタイにいた彼女が合流し、一緒に旅の続きへ旅立った。これから、また東南アジアを回ったあと、ロンドン、ベルギーと回ってアメリカへ帰るという。お金ぜんぜんなさそうなのに、よくそれだけ旅をするものだ。
でもさすがベテランという風貌で、空港で出会った時になにより驚いたのはその荷物の少なさ。小さめのリュック1つしかもってなかった。よく観察してると、いつも同じ服をきている。それでいて不潔な感じはかもしだしていない。もう本当にミニマムに旅をする術を身につけているのだ。

もうひとりの知り合い同じくアメリカ人のクリスなどは、同じく世界を回ってきて、バリにたどりつき、途中でロシア人の彼女などつくって道連れになりながら、バリにきて、もうお金が底をついたという。一ヶ月4000円のアパートを確保し、仕事を探すといっていた。先日合ったとき、英語教師の仕事がようやくみつかったとのこと。1年間の契約をしたそうだ。この身軽さ。タフさ。

ひとつは、やはり全体文化の違いもあるのだろう。ぼくが出会っただけでも、3、4人はそんな旅人がいた。ぜんぶアメリカ人だ。つまり、そんなにとっぴなことではないのだろう、アメリカでは。あいつもやってるからおれもやろうかな、てなものだろう。もちろん、おまえら、将来どうするんだ?と老婆心が起きる。おれが言うことじゃないが、他人を見るとそう思えてしまうのだ。学生そこそこならいざしらず、もう35歳とかでおまえ、旅が人生だなんていい気なものだな、と。それ、つづかないでしょ?と心配してしまうのだ。しかし、余計なお世話なのだろう。そのつどそのつど、なんとか生きるすべを見つけていくだけの話だろう。


ところで、僕はファニーガイらしいね。
昨日、よくいくビーチでインドネシア人やらレオやらと談笑していたら、インドネシア人のとある女の子が、あなたと話すと楽しい、という。あなたは私を笑わせる、という。おれ、このコミュニティーでは面白い事何一つ言ってないけど?つまり、基本が英語だから、おれは面倒になって黙っているか、最低限のことしか発言しないことが多いのだ。しかし聞いていると、どうやら見てるだけで笑えるということらしい。そしたらレオも爆笑してて、takaが翻訳者だというだけで笑える、といいやがった。つまり、おまえの英語力で翻訳なんかできるのか?という笑いなのだ。失礼なやつだ。おれは必死に、話すのと読むのか別の能力で、おれはありとあらゆる英文を読む事ができるのだ、と主張した。わかったわかったと笑っている。おれ、そんなに英語下手になってる??ちょっとやばいな、と思う。さいきん日本語も下手になってきてる気がする。圧倒的に会話量が少ないのだ。


しかし、今日も7時半起き。朝日を浴びながらの起床だ。
極端だなまったく。しかい朝は朝というだけで気持ちがいい。


7/11/2012

昼を取り戻す


ここ3日、やっと昼を取り戻すことができた。
朝型に戻ったのだ。
今日などは、9時頃起きたし、昨日などは4時だったけれども、まあ朝起きて、夜寝る事ができるようになった。
やっぱり昼型のほうが安心感あるね。夜型は孤独感が半端ないというか、いけないことしてる感があるからね。

しかし、夜は夜で、没頭することができるのは事実だね。他に何もできない、どこにも行けないから、まあ結局はネットとかしちゃうわけだが、でもそのとき興味ある事ずっと調べたり、ずっと動画みたり、なんか無駄なことを集中してやる時間になる。もちろん仕事も一気に片付けたりする。それが夜だ。

でもやっぱり朝はいいよね。
昨日などは4時に目が覚めてしまって、本当の朝日が差してきたよ。
ほんと、差し込んでくる感じだね。朝日ってなんだが懐かしいね。朝日ってけっこうまぶしいから太陽を直接みることはできないから、空間を感じるしかないんだけど、あのシャープなうすいオレンジみたいな空間の色は、どこかおばあちゃん的な色あいだと感じる。ちょっとくすんで懐かしい色なのだ。

ああ、懐かしいなあ、とか思いながら、玄米を炊いていました。
そして、いつものダンキンドーナツへいく。ここで昼過ぎまで仕事をする、という日課ができつつある。

そういえば、この7月でフリーランスになって1年がたつことになる。人生で初めて、フリーランスで長期に生き延びたことになる。まあ、ぶっちゃけ貯金はまったくできない程度の家計だ。日本への帰国代金は出せるのか?という危うい状況。でも、まあ、なんとか生き延びた。

ぼくにとって、生き方とは働き方なのかもしれない、と思う。
いかに、疲弊しないように働くか、という命題だ。もっとポジティブに言えば、いかに毎日いい感じで仕事をするか、ということだ。

いや、いま仕事という言葉をつかったが、「仕事」とは必ずしもお金が稼げることを意味しない言葉だと思うので、つまり、お金が入らなくても何か他者にとって価値ある行為だと思えばそれは仕事と言えると思うから、だから、なんだ、単純に生活するためのお金を稼ぐ行為、その内容がどういうものであるか、という命題だ。

いままではぼくはそれは、誰かに雇われる、という形態でしか経験してこなかったが、この一年ははじめて、誰にも雇われない、という形態で経験した、ということだ。

もちろん、自営業と言えるようなかっこいい感じじゃなく、1社から仕事をもらってるだけの不安定さなのだが、それでも雇われているのはやっぱりいろいろ違った。なにしろ、時間に縛られなくなったのが一番大きい。歩合制なので、働く時間は自分で決めればいいのだ。これはずいぶん楽だった。ぼくには波があって、体調のいいとき悪いとき、集中できるとき、できないときがある。フリーランスになる前、会社で働いているとき、自分は怠けているのではないか、という懸念がつきまとっていた。給料分の仕事をしてないのでは?とか、同僚より仕事の質が低いのでは?という懸念が頭をもたげた。と思ってたまに奮起するが、それは続かないものがあった。いつも周りにどう思われているのかヒヤヒヤした気持ちでいたのが事実だ。

今はちがう。実際のところは編集さんに聞いてみないとわからないところだが、ぼくの仕事の質が悪ければ、単純に仕事が回ってこなくなるだけだろう、と割り切れるので、あんまり余計な懸念をもたなくなった。まあ自分でOKだと思える成果を提出する、それが相手のOKラインに達していれば、次の仕事がくる。シンプルだ。尋ねたことはないから実態はわからないが、自分ではそう思ってる。だから、まがりなりに1年仕事を回してもらえたということは、まあOKラインの仕事をしてくれたと考えていいのではないか、ということだ。

ちょっと待てよ、あまりにも志が低いこと書いてるな、おれ。社会人20年近い人の書く事じゃないね、これ。学生とかに読ませられない。

まあでもひとつわかったことは、企業で働いているときは、自分が誰にどう評価されているからお金がもらえているのかが、どうもなんだかよくつかめないな、という感じがあったな、ということだ。だからどこかで疑心暗鬼っぽくなっていた。フリーだとその分がごっそりなくなるので、けっこう楽だな、という。雇われないという不安定さと引き換えに余計な懸念を落とす事ができた、という感じだ。

だから、これある意味楽なので、この感じで今後も生き延びたい、というのがフリーランス1年目の抱負です。といいながら、やぱりだらだらだらだらする自分がいるのですが。。。

やっぱりもう少し稼がないと、金の心配がつのるのでつらいです。

7/06/2012

ひさびさに海


おもえば、ここ2週間ほど、海にいっていなかった。
昨日、マクドナルドでPC仕事などをして、帰宅したら朝だった。
またすっかり夜型になっている。

で、寝ようとしてもなんだか寝つけず、あー困ったなあと思っていたら、そういえば、今、海いってもいいんじゃないか、という声が聞こえてきたので、行って来た。

すごい久しぶりーという気がした。
どこまで上達したのかわからないほど初心者に戻っていた。
また、小波をまっすぐ滑るところからやり直す。でも楽しい。
やっぱりサーフィン楽しな。改めて思う。

徹夜明けだし、ちょっと体を動かすだけのつもりが、結構1時間くらいやってた。
やっぱりもう一度、今度こそ、という気持ちになってします。なかなか思ったようには乗れないから。

そして、ああ、なんだかうまくなることにガツガツしてたのかな、と思った。
もっとリラックスしてやろうよ、と自分に言う。楽しみのためにやってるんだからさ。
ということで、肩の力を抜いてだらだらと波乗りをしてきました。

海はいい。
今日はなんか、波がシュワー、シュワーとノイズのような音をたてていた。
なんだろう。この ビーチでこの音を聞くのははじめてだ。
波のコンディションによって音が変わるのだろう。
不思議と落ち着く音だ。やっぱり海はいい、そう思う。

ビーチで、久しぶりに会うビーチボーチと会う。
おーひさしぶり〜。などとしばし談笑。
しかし、彼は昨日、ビーチの仕事を辞めたところだという。
I am bad man. と言って少しさみしそうな顔をした。
決して意気揚々の転身というわけではないのだろう。
そうかーということで、さよならする。

思い立って、久しぶりの会う別のビーチボーイのところへ。
懐かしい顔があった。でもあんまり感動はない。なんか普通。2ヶ月くらいじゃそれほどでもないんだね。
また、来るよ、といって帰る。

帰宅すると、ビザの手続きを頼んでいたエージェントがパスポートを持っていく、とのメール。
待つことにする。

パスポートを受け取ると、こどもが遊びにきた。
小一時間遊んでいたが、どうも気分が乗らない。先方もそのようで、そそと帰っていった。

そして、夕方まで寝て、また今マクドナルドで深夜作業。こんどはいつ昼型に戻るのだろうか。。。
やっぱりペースメイカーになるような何かが必要だ。それはやっぱりオフィスのようなものかもしれない。
強い意志かもしれないが、それはたぶん持ちせていない。

7/05/2012

妙な風邪

妙な風邪をひいて寝ていました。
なんか熱もなんにもないんだけど、いまいち起き上がれない。寝てばかりいました。
だれてるだけでしょうか。

いちおう今日から、復活。たまっていたあれやこれやをこなし中です。

しかし、大飯原発が再稼働らしいですね。
えーーという反応。ほんとに? んー。
さいきん情報追ってなかったけど国民投票はどうなったのかな。
なかなか事が進まないなー。

日本の「明るい未来」に原発はもう入ってないはず。
遅いか早いかなんだけど、なかなかどうして。

というか、いまマクドナルドなんだけど、酔っぱらいの外人にめっちゃ絡まれた。まあご機嫌系だからましなんだけどね。ふーー。なかなかどうして。

とはいえ、まだやることが山積みなので、作業に戻りマッス。