7/11/2012

昼を取り戻す


ここ3日、やっと昼を取り戻すことができた。
朝型に戻ったのだ。
今日などは、9時頃起きたし、昨日などは4時だったけれども、まあ朝起きて、夜寝る事ができるようになった。
やっぱり昼型のほうが安心感あるね。夜型は孤独感が半端ないというか、いけないことしてる感があるからね。

しかし、夜は夜で、没頭することができるのは事実だね。他に何もできない、どこにも行けないから、まあ結局はネットとかしちゃうわけだが、でもそのとき興味ある事ずっと調べたり、ずっと動画みたり、なんか無駄なことを集中してやる時間になる。もちろん仕事も一気に片付けたりする。それが夜だ。

でもやっぱり朝はいいよね。
昨日などは4時に目が覚めてしまって、本当の朝日が差してきたよ。
ほんと、差し込んでくる感じだね。朝日ってなんだが懐かしいね。朝日ってけっこうまぶしいから太陽を直接みることはできないから、空間を感じるしかないんだけど、あのシャープなうすいオレンジみたいな空間の色は、どこかおばあちゃん的な色あいだと感じる。ちょっとくすんで懐かしい色なのだ。

ああ、懐かしいなあ、とか思いながら、玄米を炊いていました。
そして、いつものダンキンドーナツへいく。ここで昼過ぎまで仕事をする、という日課ができつつある。

そういえば、この7月でフリーランスになって1年がたつことになる。人生で初めて、フリーランスで長期に生き延びたことになる。まあ、ぶっちゃけ貯金はまったくできない程度の家計だ。日本への帰国代金は出せるのか?という危うい状況。でも、まあ、なんとか生き延びた。

ぼくにとって、生き方とは働き方なのかもしれない、と思う。
いかに、疲弊しないように働くか、という命題だ。もっとポジティブに言えば、いかに毎日いい感じで仕事をするか、ということだ。

いや、いま仕事という言葉をつかったが、「仕事」とは必ずしもお金が稼げることを意味しない言葉だと思うので、つまり、お金が入らなくても何か他者にとって価値ある行為だと思えばそれは仕事と言えると思うから、だから、なんだ、単純に生活するためのお金を稼ぐ行為、その内容がどういうものであるか、という命題だ。

いままではぼくはそれは、誰かに雇われる、という形態でしか経験してこなかったが、この一年ははじめて、誰にも雇われない、という形態で経験した、ということだ。

もちろん、自営業と言えるようなかっこいい感じじゃなく、1社から仕事をもらってるだけの不安定さなのだが、それでも雇われているのはやっぱりいろいろ違った。なにしろ、時間に縛られなくなったのが一番大きい。歩合制なので、働く時間は自分で決めればいいのだ。これはずいぶん楽だった。ぼくには波があって、体調のいいとき悪いとき、集中できるとき、できないときがある。フリーランスになる前、会社で働いているとき、自分は怠けているのではないか、という懸念がつきまとっていた。給料分の仕事をしてないのでは?とか、同僚より仕事の質が低いのでは?という懸念が頭をもたげた。と思ってたまに奮起するが、それは続かないものがあった。いつも周りにどう思われているのかヒヤヒヤした気持ちでいたのが事実だ。

今はちがう。実際のところは編集さんに聞いてみないとわからないところだが、ぼくの仕事の質が悪ければ、単純に仕事が回ってこなくなるだけだろう、と割り切れるので、あんまり余計な懸念をもたなくなった。まあ自分でOKだと思える成果を提出する、それが相手のOKラインに達していれば、次の仕事がくる。シンプルだ。尋ねたことはないから実態はわからないが、自分ではそう思ってる。だから、まがりなりに1年仕事を回してもらえたということは、まあOKラインの仕事をしてくれたと考えていいのではないか、ということだ。

ちょっと待てよ、あまりにも志が低いこと書いてるな、おれ。社会人20年近い人の書く事じゃないね、これ。学生とかに読ませられない。

まあでもひとつわかったことは、企業で働いているときは、自分が誰にどう評価されているからお金がもらえているのかが、どうもなんだかよくつかめないな、という感じがあったな、ということだ。だからどこかで疑心暗鬼っぽくなっていた。フリーだとその分がごっそりなくなるので、けっこう楽だな、という。雇われないという不安定さと引き換えに余計な懸念を落とす事ができた、という感じだ。

だから、これある意味楽なので、この感じで今後も生き延びたい、というのがフリーランス1年目の抱負です。といいながら、やぱりだらだらだらだらする自分がいるのですが。。。

やっぱりもう少し稼がないと、金の心配がつのるのでつらいです。

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