11/29/2012

選挙があるね

今度選挙があるね。僕も在外投票しようかな。間に合うかな(汗

今日、ちらっと各党の代表者討論を見ていて、野田さんの顔みていたら、あれ?と思う。それは、この人ってあの民主党の代表だよね?と。
あのとき、地震があって津波がきて、原発事故が起きたとき、国民に嘘をついた、少なくとも事実を伝えなかった民主党政府の代表じゃないか、と今更のように思う。

それも怒りとかじゃなくて、普通に不思議な気持ちだ。あのとき、枝野さんの「ただちには影響ありません」の真意を勘ぐり、結局、後であれは国民を欺いたと言ってもいい言動だったとわかり怒りを感じたことを思い出す。放射能飛散の不安の中でもう政府は信用できない、と肝に銘じた。

でも、まあ、そのときの菅さんからは変わったといえ、震災当時の政府の対応を、何の反省も謝罪も見直しもしていない同じ政権だ。その口が何を言おうと、なかなか真に受けることなどできない。だからといってほかの政党の言うことなら真に受けられるのかと言うとそうでもない。いわば僕の中で選挙というものの有効性は、数年前、民主党に入れ続けてやっと政権交代を果たした末に、ほんとにびっくりするほど何も変わらなかったときに、ぼくのなかで信憑性を失ってしまったのだ。

ということで、投票に行かないかもしれない言い訳を長々と書いているだけなのかもしれません、どうもすみません。一応、原発是非の住民投票にはおれ署名してるから、そっち方面で一票投じて行きますので、はい。

というかね、なにかこのーこんなにたくさんブログ書いているのに、みぞおちのあたりがかゆいわけよ。なにか、書き足りない何かがある。それはなんだ。結構おおっぴらに戦争や天皇論なんかを書いてきたけど、書けば書くほど混迷が深まった。また時を置いてリベンジするつもり。

というか、大きなことを論じるのはある意味、罠だ。
大きなことは粗くなる。雑になる。雑に考えて、断定的に決断を下してもしょうがない。というか、まあ、選挙は言った方がいいけどね。もちろん。

なにが言いたいかというとね、つまりね、わからん。

今日は、最近仲良くなったドイツ人のプログラマーくんとお酒を飲みにいく。それだけでかなりハイになっている。楽しみなのだ。お友達。やっぱり外国人と話すと不思議だから楽しい。今日もお国事情をいろいろ聴いてたんだけど、ドイツはあんまり社会問題がないと言っていたよ。もうそれだけで面白い。同時代に生きてて似たような仕事と似たような生活してるのに、なんか背景がえらいちがうみたいだぞ、という面白さだ。

根っこが違うという、それはどういうことなのか。日本国で生まれて、日本で育ってきたということはどういうことなのか、そういうことを知りたくなる。でもたわいない話をしているうちは、別にただ外国語をはなす人、という違いしか思わない。価値観違いすぎて言ってることがわからない、などということはみじんもない。でも何かが決定的に違うはずなのだ。それを探りたい。などといいながら、ただ、今日はひとりぼっちの夜を過ごさなくてよさそうだ、という安堵感があるだけなのかもしれない。

というかね、年齢って止められないものかね。おれはいまから若者をもう一回やりたいよ。だってまだ何にもやってない、というか、やっとなんとなく自分の向きたい方向がわかってきて半歩ぐらい踏み出したところなのだ。いまからなんだよ、君、ちょっと待ってはくれないかね、君。思い出を返上してもいいからさ。どうせ20代、30代のころなんて、記憶喪失みたいにあんまり覚えてないんだよ、たぶん精神的にパニクってたからだろう。ほんと、思い出なんて全部返すから、ちょっと時間をさ、

いや、そうでもないかも。ただ、20代くらいの、とにかくこれから!みたいな奴らをみてるとそこはかとなく悔しくなるだけなのかもしれない。(おまえら時間いっぱいあっていいよね!)それにやっぱり思い出は連れていく。いろいろあったからね、それなりに。というか、不条理なんだよバカヤロー!と叫んでみても時間は1秒も止まらないという不条理。

これはあれだよ、若い奴らに宣戦布告してるんだよ。25歳くらいで、僕もあと5年若ければ、とか、30歳くらいで、もう若くないから、などとほざいてるやつはコロすっていってるんだよ。 その分俺にくれよ、ってことなんだよ。あきらめるならおれにお前の時間をくれよってことなんだよ。

おっと熱いことを書いてる風になっちゃった。またなっちゃった。いかんねこれは雑になってるサイン。いまね、ドイツくんが仕事終わるの待ってるから暇なんですよね、ええ。

というかね、なんか書ききれていないんだよ、まだこれでも。ちくしょうもやもやするなあ!





Don't mess!






これはオフィスのキッチンコーナーである。手前にコーヒーをいれようとしてカップが置いてあるのがご覧いただけるであろうか。

先日、いつものようにコーヒーを飲もうとしていたら、スタッフの女の子がてくてくやってきて、コーヒー飲むの?と聞いてきた。飲むよ、と答えると、takaが使ったあとはいつも汚くなっている、気をつけなさい、と言われる。あ、怒られちゃった。。

まさかタイまできてお小言を頂戴するとは思わなかった。なんだか地味に落ち込む。おれ、そんなに汚してるかなあ。。たしかにコーヒー豆とかこぼしてたのかもしれない。

というか、このスタッフの子がお小言マニアなのかもしれない。そういえばこれ意外にも、以前、使ったスプーンを流しにおいて(油がついたので)、別のスプーンを使おうとしたら、ちゃんと洗ってそのスプーンを使いなさい、と怒られたし、タイ人の小さい女の子に僕が手を合掌してサワディーカップとあいさつしたら、幼い子供に対して手を合掌させてはだめ、と怒られた。なんでも、年上の者が手を合掌させると、年下の者も同じようにしなければならなくて大変なのだそう。つまり、手を合掌させるのは、日本でおじぎをするのと同じ意味を持つそうで、まあつまりはかしこまりすぎるということだろう。

やっぱりこいつがお説教好きなだけだな、これは。。まだ大学でたばかりの小娘のくせに、キーー!となるかと思えば、ぼくは昔から怒られキャラなのでなんだか逆にしっくりきたりしていた。


 今朝は、サーフィンの夢を見ていたようだ。日本のどこかの海岸でいい波が立っている。駅をおりたらすぐ海という駅だ。実際にはそんな駅はない。夢の中だけの架空の駅なのだが、夢の中で僕はその駅の名前が思い出せず、ずっと悩んでいた。辻堂?鵠沼?ちがうな、江ノ島?茅ヶ崎?ちがうな、たしかのその間にもうひとつ駅があったような。。などと。


最近、ふとした瞬間に、いや、最近でもなくずっと前からあったのだが、ふっと軽い絶望感に教われる。そのテーマは「家族」だ。

簡単に言えばお金のこと、つまりは甲斐性だ。ぼくの一番嫌いなことばの1つ、それが「甲斐性」だ。甲斐性がない、甲斐性がある、もどかしくぞっとした気持ちになる。

つまり簡単にいえば、いまの感じで仕事を続けていっても、おれひとりならなんとか生きていけるが、とても結婚して家族をもつことはできないな、という未来予想図がぽつっぽつっと浮かぶのだ。

百万歩ゆずって奇特な女の人がいて、なんでもいいから一緒に暮らしましょう、ということはあるかもしれない。でも、子供を学校に入れたり、子育てができるくらいの家に住んだり、などと考えていくと、ああ、金がいるなあ、とがっかりするのだ。

そんなことは、誰もが思い、誰もがそれぞれでなんとかやりくりしていることなのだろう。というか、世のお父さんがたは、そのためにがんばっているのだ。

ぼくの絶望とは、ああ、僕はたぶんその我慢ができないだろう、ということだ。それがわかっていることなのだ。家族のために、子供のために、何かしらの我慢してお金をかせいでくる、それができそうにないのだ。

ということは、わがままな働き方のままで、いっぱしの人並みの収入をとってくる、それしかないのだが、その未来もはるか高見に望めるだけで、それができるという実感はなかなか湧いてこない。

ではひとりさみしく生きて行くのか、というと、いや、おれ最近こども好きだし、やっぱパートナーと言える人もいてほしいな、と思ったりする。

じゃあお前、がんばるしかないだろう、と最後通告が脳内でなされ、この毎朝繰り返される絶望劇は幕を下ろす。で、さっさとシャワーを浴びて仕事仕事!となるのだが、仕事場について数時間もすると、ああ、この何倍働けばこれでいいという収入が得られるのだろう、とまた意識は漂いはじめる。要はさぼりたいだけなのかもしれない。と今思った。

おっと危ない、大事なところを書き忘れた。それでもなお、しみじみとした幸福もまた毎朝感じることができる。こういう感じだ。とはいえ、なにはともあれ、今こうして健康でそれなりに辛くもなく生活できているじゃないか、脳内の絶望は以前よりずっと軽くなっている。これは一種の幸福状態といって差し支えないんじゃないか?という。

ああ、よかったな。と軽く安堵する感じだ。でもまたすぐ、でもこのままでは家族が。。と絶望小劇場が始まるのだが、まあようはその繰り返しでなんとか生きている。

いま住んでいるアパートの1Fに小さなコンビニがある。24時間じゃないけど昼前ぐらいから夜の12時まで開いている。 ここの店員の女性がなんだがすばらし人だ。いつ見ても、にこやかに機嫌よさそうにしている。一日店番するのは大変だろうに。いつもお店に入っていくと、くりくりと愛嬌のある眼で元気に、でもおだやかに、サワーディーカーとあいさつしてくれる。そしてレジを打つと、たどたどしい日本語で値段を言おうとして、間違えて、僕に直されて、ふふふっと笑う。

ああ、徳が高い人だな、と思う。このような人と一緒になったらもしかして幸福になれるのかもしれない、などと妄想したりする。でもなんだが僕は徳の高い人とは恋の落ちないだろうという、これまた軽い絶望の入ったばかみたいな未来予測が脳にふわりと舞い降りる。そんな日常だ。









11/28/2012

人が集まる場所


これは、今日の昼間につくった、タイの灯籠流しで使うガトンというもの。真ん中にロウソクみたいなのが刺さってて、川に流すのだそう。日本みたいに死者の魂を送るのではなく、川に対して感謝を捧げるという意味があるらしい。

今日はこれをオフィスのみんなで作っていました。ぼくのはうまくできて、西洋人たちが驚いてくれた。さすがアジアのテクニックだ!と言いながら。日本人なら誰でもこどものころに笹の葉っぱとかで工作した経験があるよね。だから最初から結構うまくできました。

で、本当はこれを川に流しに行きたかったんだけど、一緒に行く人がいないというか、オフィスのみんなで行くのかと思っていたら、みんな行かないと言う。そのかわりに映画の上映会をするのだという。

ぼくはどーしよーかなーって思ってたけど、なんとなくオフィスに残っている。一人で川に行ってもなんだかさみしいし(またさいみしいだ!) 、それよりも人が集まってる雰囲気のほうが居心地がよかったりしている。ざっと30人弱のタイ人が集まってる。デザイン関係のドキュメンタリー映画みたい。学生から社会人まで集まってる。

人が集まるって集まるってやっぱり大事なことなんだなって思う。ただ集まってるだけでもなんだか楽しいし、新しい知り合いができるっていうのも大事なことだよね。

といってるうちに上映が始まってしまった。なんとなく映画チラ見しながら書いてる。デザインはどこか憧れがあるけどなかなか接点がないもののひとつだ。IDEO社の本なんかはけっこう読んですごい共感したりしたけどなー。

つーかやっぱり灯籠流しみてこようかな。ちらっとね。。




映画評:「ヒミズ」(園子温監督)

昨夜は遅くまで園子温監督の「ヒミズ」を見てしまった。
映画を見ている間に繰り返し心に浮かんだことは、もう、楽しいことしかブログに書かないぞ、ということばでした。

とにかくかわいそうな子供たちが出てくる。もともとこの映画をみたきっかけは、まずそもそもバンコクの駅前で売っていた、ということと、(つまり、数少ない日本映画20本くらいの1本として置いてあった)、園子温監督が震災後にガレキの中で撮った映画だということを聞いたからでした。

園子温が震災をどうしたのか、まずそれを見てみたかった。もともとヒミズは漫画のほうでは読んでいた。でも、なんかやっぱり暗いというか、ハートにこたえるので、わざわざ映画でも見直したいとは思ってこなかった。

とくに近年、ここ2年くらいか、震災以降なのか、暗い映画とか暗い小説とか、もういらない、という気持ちになっていた。欲しいのは希望だし、希望というほど深刻なものよりも、もっと「楽しげ」なものが自分の人生に必要だと感じていた。

深刻になるのは簡単だ。でも楽しげでいることはなかなかどうして難しい。つまりはご機嫌でいたいのだ。

で、噂は聞こえていたがなんとなく敬遠していた 映画「ヒミズ」であるが、昨日DVDを買って見てみた。

主人公の俳優、女優が素晴らしい。みずみずしいことこのうえない。

最後、走るシーン、あの、主人公の顔がすばらしい。クールにすべてを達観したかのように、諦観したかのように走り出す主人公であるが、茶沢のがんばれ!の声に、スクールウォーズの「悔しーです」の顔になってしまう。あの、どうにも胃から突き上げるものが顔をゆがめてしまうところに、ほっとした。

しかしあんなかわいそうな子供たちが実際にいるのだろうか。広い日本、1億人もいればいるにちがいない。いや、そういうことじゃない。もしかしたら、多くの子供が思春期をくぐり抜けてくるときに感じるやるせなさ、なのかもしれない。

そして、今朝、昨夜の衝撃か、はたまたただの夜更かしのせいか、朝から思い頭をゆらしながら通勤途中、映画のことをぼんやり考えていて、ああ、世間が狭いと子供が大変なんだな、と思った。

自分の周りの環境が苦しいとする。それは家庭だったり学校だったり、親戚、ご近所だったり、そのどこにも本物の感触がしない、というか、どうにもやるせない、とする。
子供は、大人になったらここを出ようと思う。出て行こう。どこか本当の人たちが住む場所へ行こうと思う。

で、適当に動けるような年齢になって別の街にいってみても、

あれ、なんか何書こうとしたか忘れちゃった。

やっぱりね、遠くまでいけば全然違う大人に出会える、そういう世界のほうが楽だ。テレビの影響か、そもそもそういうものなのかわからないが、出会う人出会う人がみんな同じ言葉を話すだけだとしたら、そこはちょっとした地獄、大きなゆるい牢獄だ。

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さっき、Macの電源が切れてしまった。なんと今日は電源コードを忘れてきてしまったので、いま家まで取りに帰っていました。

だからもー楽しげなことしか書かないって言ってるそばから小難しいこと書いちゃったなあ。いかんなあ。

今日はタイの「灯籠流し」みたいなセレモニーをやる日だそうです。オフィスでなにやら企画を用意してくれてるそうなので、楽しみです!

こんな感じかなw







11/27/2012

アイ子16歳問題

いまaneと名乗る謎の人物から、「アイ子16歳問題」とは結局なんなんだ?というコメントが届いた。誰だろうアンネフランクかもしれないが、潔く答えることとしよう。

アイ子16歳問題とは、忘れもしないぼくが中学生のときの事件だ。
まず前提として、当時「アイコ十六歳」という映画が公開されたことを言わねばならないだろう。富田靖子主演で結構話題になったはずだ。

あれは僕がたしか中学2年くらいで、評議委員という学級委員みたいなのになっていたときだ。あるとき、学校のイベントとして映画の上映会をしよう、という企画が立ち上がった。体育館で全校生徒が見るのだ。いや、学年全員くらいだったの規模かもしれない。

とにかくそういう企画があり、先生たちが選んだ10作品くらいの候補から、各クラスの評議委員たちが集まって上映作品を決めることになった。

評議委員たちの投票で、上位2つの映画が選ばれ、その2つで決戦投票することになったのだ。忘れもしない残った2つの映画とはイギリス映画「炎のランナー」そして、「アイコ十六歳」だ。

はっきり言って「炎のランナー」はいわゆる優等生映画で、オリンピックを目指す若者の努力と苦悩と栄光、みたいな映画だ。先生が見せたがるような映画だった。「アイコ十六歳」はまあふつうの高校生が好むような明るい青春ドラマだ。弓道部に所属する16歳の女の子が主人公だ。

その2つを巡って評議員の中でどちらにするか紛糾、最後は決戦投票になるのだが、途中、それぞれを押すメンバーが議論を戦わせた。ぼくは何が、使命感というか、絶対そうすべきだという熱い気持ちをなぜか持ちながら、「炎のランナー」を絶賛主張した。アイコ十六歳?あり得ない、そんなくだらない娯楽映画、わざわざ上映する必要なんかない!

ぼくは揺るぎない決意と確信をもって決戦投票に挑んだ。果たして。結果は、僅差で「炎のランナー」が勝利した。ほんの1、2票差のほんとの僅差だったのを覚えている。
ぼくは、「へーアイコ十六歳みたい映画を見たい人がそんなにいるんだ?」と意外に思ったのを覚えている。と同時に、なにか所在ない違和感もほんのかすかだけ感じていた。でもそれが何かわからなかった。

そして、時は過ぎ、上映会の当日。僕たちは意気揚々と体育館に集まった。証明が落とされ、真っ暗の中を「炎のランナー」が上映された。

ぼくは凝視していた。そしてぼんやり考えていた。どこかさびしい気持ちがするのはなぜだ。これでよかったはずなのに、絶対こうすべきはずだったのに、どこか心がうきたたないのはなぜか。いや、中学生の僕にそんな分析力はない。これは後から考えての意味付けなのかもしれない。

とにかく、映画は面白くなかったのだ。それは真面目な、優等生的な、努力は報われる的な、それでいて抑えめな、ヒューマンな映画だった。感動はできた。でも面白くはなかったのだ。そして、どこかみんなに申し訳ない、と言う気がした。アイコ十六歳は僕がつぶしたようなものだ、そう思っていた。そして、みんな、アイコ十六歳を見た方が楽しかっただろうな、とくに女の子たちはアイコ十六歳を見たかったんだろうな、アイコ十六歳を上映すれば、もっとうきうきとしたはしゃいだ華やいだ上映会になったんだろうな、と思えてしまったのだ。

そして、映画が終わり、エンドロールが静かに流れている余韻の中で、少しかなしい気持ちになっていた。それは映画そのものがそうさせたのかもしれないが、ある事実に気づいてしまったのだ。それは「実はぼくもアイコ十六歳を見たかったのではないか」ということだ。ほんとうは。
 
でもなぜか、男子ということで男子的に格好つけたのか、 たんに恋愛の混じる青春ものを見るのが恥ずかしすぎたのか、つまらない選択をしてしまった、と自覚した。そう、はっきりと自覚した。ぼくは、自ら、つまらない方を選んでしまった。
まじ、みんな、ごめん。 

 もちろん、投票の結果なのであり、僕以外にも半分の人は「炎のランナー」を選択したのだ。だからそんなに思い詰めることはないのだが、つまり、ぼくもアイコ十六歳を見てみたかった、そのことに後々気づいていくことになるのだ。そしてそのことは、映画をみるまえから本当はわかっていた。ただ気づけなかっただけだ。

そして、後日アイコ十六歳を見てみたら、やっぱり面白かった。


つまり、アイコ十六歳問題とは、こういう、自分の本当の気持ちとはうらはらに、間違った選択をしてしまうことを指すようになった。それはかっこうつけだったり、臆病だったり、なんやかやなのだろうが、それは、選択した後になってわかることで、でも直後にただちにわかるようなことだ。

ほんとうはアイコ十六歳を見たかった。そのことを認められない自分は、中学2年のあの評議会の教室に置いてきたいのだ。みんなでアイコ十六歳を見て胸躍らせればよかった。

もちろん、じゃあ実際にアイコ十六歳を上映していたら、「炎のランナー」にしとけばよかったと思ったのかもしれない。選択なんてそういうもでもある。

でもね、やっぱりね、そう、よく覚えているのは、みんなに悪いことしたなあ、という気持ち。おれがかっこうつけたばっかりにみんなのお楽しみを奪ってしまった。

もちろん、みんなはアイコ十六歳が最後まで候補になっていたことを知らなかったので、後で責められたりはしなかった。 だから僕の心の中でだけ、ひっそりと後悔されたのだった。








昭和の空


この写真は今朝通勤途中でとった空の写真だが、「昭和の空」と名付けた。
なんか、子供の頃にみた空に似てるなって思って。たぶん電線とか電柱が似ているんだろう。

 最近ずっと戦争のことを考えてきたけど、それで、戦前、戦中の日本はどんな社会だったのかと思ったりしてたけど、やっぱり戦後がどれほどゆがんでいるのであれ、自由が増したことだけは否定できない。言論の自由なんかもそうだよね。

戦中は、政府の批判をするだけで、日本は負けると言うだけで、警察に捕まった。今では考えられないことだ。だが、本当にあったし、警察で拷問されて何人も死んだ。ただ、戦争に反対しただけで、である。

あの頃の日本人がどれほど逞しく、どれほど純粋であったとしても、(まあそんなことはないと思うけど)、そんな政府や警察を拝していたのだ。決して戻りたくはない。

あの麗しき江戸時代だって、きつい身分制度があったし、基本的に自分の身のフリは藩主がすべて決めたはずだ。これは武士だけなのかもしれないが、脱藩といって、生まれた藩から出て行くだけで切腹、下手をすれば家族も投獄された。そんな時代を美化してもしきれるものではない。いや、というか普通にそういう社会には僕は生きられない。もはや自由を知ってしまったのだ。

自由とは、甘美な麻薬である。と誰が言ったか忘れたが、一度知ると後戻りできないものである。人類の歴史は、大筋は、個人の自由を増す方向で着実に進歩している、とフランスの学者が言っていた。

それが時代の大きな流れ、時流というものである。個人の自由という既得権益を得た者は、それを決して手放さないだろう、思えばお金というのも自由に直結している(ように見える)からみんな欲しいのである。

おっと、また大きなことを語り始めてしまった。違うのだ、わざわざ昭和の空の写真を載せたのは、バンコクのささやかな日常を綴りたかったからだ。

でも日常らしき日常などとくにないわ。朝オフィスに行って、夜帰ってきて屋台で飯をかき込んで、家に帰ってシャワーを浴びたらまたパソコンを開いて映画や、ダウンロードしてあった動画を見る、寝るまでそうしている、そんなダラけた日常なのだ。

基本的に出不精なのはバンコクにいても全く変わらない。なんだかなーって思う。わざと家にネットを引かないようにしたのだが、そのかわりにDVDを見たりするようになっただけだった。本当は本を読みたいのだが、DVDより本のほうが3倍も高いという事実の前に膝を屈している。本が高くなった。

あ、でもこれ面白い現象だよね。昔は映画のDVDって高かった。 4500円とかしてたでしょう?だからレンタルビデオが流行った。てか日本では今でもそうか。バンコクでは正規品を買っても300円で買える。最新の映画も揃ってる。まあレパートリーは少ないけどね。だからついつい暇だと買ってしまうのだ。

そのかわりに本が高い。日本の本を買うと、1.5倍という感じだ。物価格差も考えると、えーっと思うほど本が高く思える。本って贅沢品なんだね。しくしく。

もうだらだらモードになってきた。とくに面白いこと書かないから忙しい人はここで読みのをやめて結構です。


おれ、原発のことまだ日本で議論になってるのが信じられない思いです。
一回事故があればあれだけの国土が奪われる。人体への影響うんぬんの前に、すでに、半径20キロが立ち入り禁止で、いつ解かれるあてもない。汚染された、という事実はゆるぎないだろう。つまり、いろいろ科学的調査の結果、20キロ圏内の放射線物質、ぜんぜん人体に問題ないです、住んでもお米作っても全然オッケー!、世界中が20キロ圏内の野菜ばんばん買ってくれるって言ってるよ!なんて到底なりそうもないでしょう。どえらい損失をしてしまったのです。海だって、魚だって、。

国土こそが有限、これ以上失うわけにはいかないのです。なんで国土喪失という観点で議論がなされていないかが不思議。電気の発電コストの差なんて知れたものでしょう、国土喪失に比べれば。

結局、また大きな口をたたいてしまいました。そういうモードなんでしょう、ここ最近は。しょうがないですね。

また記事を変えて、身近なことを書きたいと思います。





11/24/2012

朝ご飯







これが毎日の朝ご飯の典型例である。
おかずは自分で選ぶ。これは、野菜炒めと卵焼きの2品が選ばれている。
この卵焼きが中にひき肉が入っていてめちゃうまなのだ。ついつい頼んでします。

まあいいとして。

今日は土曜日だけどオフィスに来ている。今日も、だけど。さっき通り雨が降った。今日はいつものフロアでテック系のイベントをやっているので2階の会議室に来ています。いつも男が9割なのだが、今日は珍しく僕以外はタイの女の子が3人。ひとりは何かフルタイムの仕事をしているけどこれから起業を目指すというたぶん20代。ひとりは、フリーランスのwebデザイナー、このオフィスのサイトも彼女がつくったという。もうひとりは、プロダクトデザイナーで、来年から日本の美術系大学院に行くそうだ。日本語ぺらぺらだ。

そういえば昨日会っていた友達の友達もタイ人の女の子なんだけど、日本文化が大好きだというオタクの子だ。日本のアニメやジャニーズが大好きなのだという。タイのニュースより先に日本のニュースをチェックするのだそう。

というように、タイにいると日本文化が好きだという人にちょくちょく出会う。アニメ、ゲーム、ファッションがアピールしているようだ。まあそれはもう知ってることだよね。でもやっぱり、実際に日本が好きで日本語覚えて日本の大学いくぞっていう人に会うと、なんだか恥ずかしいやらうれしいやらの気持ちになるね。

まあおれとはあんまり関係なんだけどね。日本のクリエイーターがまじ優秀だということでしょう。優秀なんていう言葉はちがうか。なんかかっこいい物、すごい物をつくってきたということだ。

雨があがって、珍しく涼しそうな空模様になってきた。さっき例の女の子、オフィスのマスコットの3歳の女の子がドアをかちゃっと開けてノゾキにきた。ハロー!と言ってみたが、今日はやっぱりお返事できないみたいで、困った顔して行ってしまった。

 しかし、面白いことに気づくんだけど、相手が日本語を話すと、急に僕は上位にたてることに気づく。なんとなく気分的に「よしよし、くるしゅうない、」という気持ちになるのだ。最初、はじめしてのときは、ナイスチューミーチュー、アイアムタカ、などとぎこちなく会話をはじめ、どこかおどおどと会話を続けていくことになるのだが、

相手が「わたし、日本語ベンキョーしてます」などと、日本語を片言でもしゃべろうものなら、「あ、そうなんだ?日本語うまいじゃん!」みたいに急に親しみがわいて、弟よ、みたいな気分になれる。

これが言語の力なのかと思う。英語のネイティブたちは世界中でこの気持ちを味わってるかと思うとズルいぜ、と思う。英語が母語だというだけで、コミュニケーション上で自然とちょっと優位にたてるのだ。

だから、日本語をどんどん輸出して、みんなが少し日本語はなして、しかも、日本語をうまくなりたいと思う人が世界に増えれば、日本人は急に自身がついたり、ともすれば威張りだすのかもしれないとさえ思う。

昨日、今日と日本語を少し話すタイ人としゃべってるので、なんか楽勝気分で楽しく過ごせている。なにせ相手はちょっと気をつかってしゃべるのだ。わたしの日本語、ジョーズじゃないから、、って。

今晩は、ラオス行きの電車で知り合ったベルギーの酒飲み野郎といっぱいやることになってる。外人だけど緊張しない、なぜなら、彼は前もブログでちょっと書いたが、日本語の小説が大好き、独学でおぼえた奇妙な日本語を操る日本語学習者なのだ。たぶん会話は日本語で行われるので、おれはさながら兄さんの立場に自然となることがわかっているのだ。

だからみんな、がんばって日本文化を輸出して、世界で余裕かまそうじゃないか!などと思う今日だ。









11/23/2012

よく眠れると手がしびれる

最近、割とよく眠れるようになってきた。
あきかわらず寝付きは悪く、昨日も3時くらいまで起きてたんだけど、朝起きたとき、眠った、という感覚がちゃんとある。これがないときもあってそれはけっこうしんどい。寝たのに寝た感じがしない日がつづくこともあるのだ。

でもここ最近は目が覚めたとき、手にちからが入らない。若干しびれてる。ぎゅっと握れない感じで握力がなくなってる。そのとき、ぼくはやった、と小さくうれしむ。
なんか、よく寝た証拠のような気がするのだ。

でも喜んでいいのかにわかに怪しくなってきた。なぜなら、いまこれを書いている午後1時、まだぎゅっと握れない。大丈夫か?
でも、脱力して目覚めた朝はちょっとほっとする。ふだんは寝ているときも体に力が入っているようで、起きたときにもう疲れていることも多いのだ。

今日は朝オフィスに出向くとインターネットが故障しているとのこと。直すのに1時間かかるというので、オフィスのコワーカーと一緒にカフェに行った。

カフェの名前はGoose Coffee、白い家みたいなカフェだ。もしかすると、こうした一軒家タイプのおしゃれカフェは東京に負けてないバンコクなのかもしれない。すべてがかわいいくおシャレだ。それでいてゆるい空気がながれている。

このカフェは毎日オフィスの行き帰りに通るのだが、あんまりお客が入ってない。まあ1組くらいがいつもいるぐらいか。ちょっと分かりづらい場所にある。

で、カフェに入っていくと、いかにも新人っぽい女の子が恥ずかしそうに応対してくれた。なんだが、こういう瞬間をぼくは愛す。テーブルに座り足がむずむずすると思ったら、犬があいさつに来ていた。鼻を触ると少しだけ湿っていた。

コワーカーの彼女はエスプレッソを、ぼくはアメリカーノを注文。あつあつのおいしいコーヒーを新人っぽい女の子が恥ずかしそうに持ってきた。いいね。

フランス人はタコ食べないってほんと?みたいなどーでもいい話をして、時間をつぶす。

 まあね、どうでもいいんだけどね。

あ、そういえばコワーカーはフランス人だったから原発どう思うって聞いてみた。私にとっては問題ないって。日本は地震があるから別かもしれないけどって。

そうだよね。原発そのものうんぬんもそうだけど、なににも増して日本は地震大国。他の国と同じ基準でやってちゃだめだよね。そんなことを改めて。

 というか、歌が歌える人ってずるいな。うまくってことだけど。
歌うだけで音楽になるなんてずるい!






11/22/2012

書きあぐねる

戦争のことを最近ずっと書いてきて、なんかバチッと書けない。
なんでか戦争のことは書いて書いてもイライラしたものが残る。それは戦争が悲惨なものだったとかそういうことじゃなく、理屈が通らない、どこまでいっても。

もしかするとそれが戦後、戦争が語られなくなった理由なのかもしれない。学校の先生だって語り得ないのだ。学者だって語り得ない。
立場を固定すれば何かは言える。日本の侵略戦争は二度と繰り返してはならない、という立場ならいくらでも物がいえるし、あれは大東亜戦争でありアジア解放の戦いだったという立場に固定すればそれはそれで本が10冊書けるだろう。だが、なんか違和感がぬぐいされない。

語り得ないことがあるということなのだろう。戦争は、ひとひとりの体験を超えている。一人の頭に入りきらない現象だったのだ。それはただ起きてしまった。もちろん、誰かに責任があったり、もしかすると国民全員に責任があったり、もしかするとよその国にも責任があったりするのかもしれないが、とにかく、よくわからん、という立場からなかなか移動できずにいる。

まあいい。本当はもっとスラスラと解釈していけるのだと思っていた。事実さえ知れば。でもそうでもなかった。

戦争を起こさないための言葉があるとしたら、それは自己言及的なものになるだろう。つねに話す対象の中に自分も含めていこうとする態度から発せられる言葉は、安易に戦争になど結びつくことはないだろう。ちょっとこれいじょうの説明はいま無理だが、哲学者塚原誠司氏の自己言及というワードにぼくは未来の言論を見る。

それと同時に、ひと独りを救う言葉は、自己を自己に限定しない、引き受けきらない言説なのだろうと思う。あなたはあなたのようでいて、あなただけの責任ではいかんともしがたいところを生きているのだ。ほら、これも書ききらない。フライングぎみに書き始めてしまった。

イメージでいうならば、向こうから圧力がやってくる、向こうから悪がやってくる、とき、あなたは正面からそれを受け止めることなどできない、すでに背中には穴が空いて、吹き抜けようとしている。事実、吹き抜けるのだ。受け止めればただちに四散する、個人の力など原爆を前にした鉄の装甲車に等しい。こっぱみじんか蒸発だ。

そのときこそ背中に空いた亀裂のことを想え。そして亀裂を吹き抜けていく風を感じろ。そうだお前は空疎で軽い肉体だ。だがそれでいい。その風を感じられるなら、まだやるべきことがあるとわかる。風は風なのだ。吹き抜けていくのが風の使命である。誰にだって使命があるのだ。

むなしいと思ったなら、振り返ればいい。風が遠ざかるのを見る。風は見えるのだ。そして、どうする?
後ろ向きにちょっと歩いて、風にもたれて不思議な感覚を味わうという。あなたがもたれられるほど風はパワーを持っている。そのパワーでしばらく遊んで、二三歩後ろ向きに歩いたら、また前を向いて、そして、にやっと笑う。風はごーごーいっているが、たまにやむこともある。吹いたりやんだりが風のリズムなのだ。

今日、ひなたぼっこをしていて、超暑いと思って覚悟して外にでたら、意外とマイルドな日差しがあって、それでも日本の夏くらいの日差しなんだが、3分くらいは気持ちよくたたずんでいることができた。タバコはすわないがタバコを加えた気分になって、肉体労働者みたいに座って太陽の方をちらっと見上げたら、顔がにやけてしまった。おもしれえ、これからどうなるかまったくわからねえ、いったいなにがどうしたらからこうなったのか。

まあいいじゃねえかと思う。歳とともに図太くなってきたようだ。もはや誰も見てやしない。 適当にしてりゃあいいんだ。なんていう気持ちが芽生えていることに、心強く思ったり、あれ?ちょっとおれ成長遅すぎなんじゃないか、と思ってずどーんとした気持ちになったりしたが、さっきコーヒーのつもりがココアを入れてしまって、久しぶりでけっこううまかったし、今は今でおしっこを少し我慢しながらこれを書いている。まあ、つまりは滑稽だ。


BTS






なんの変哲もないプラットフォーム。これはバンコクのエカマイという駅だ。BTSという高架式の電車です。通勤時間帯は普通にラッシュになります。どうですが、この写真、ほんとに変哲ないでしょ?日本の都会と何ら変わりません。

まだバンコクにきて2ヶ月たたないのですが、たまに、あれ?おれバンコクにいるんだっけ?となります。あまりに日本に近いので違和感なさすぎて異国にいることを忘れてしまうのです。

リタイアのひともたくさん来ています。定年してからタイで暮らすってどういう感じなんでしょう。たとえ家族や友人たちと離れてしまったとしても、なお居心地がよいということでしょうか。

ぼくはと言えば、でも似たような感じかもしれません。日本の友人たちに会えないせいでさみしい思いをしておりますし、人の輪も広がりにくい。なんでわざわざこんなことしてるんだろう?ってたまに思います。

でも孤独を補う何かがあるからここにいるはずです。それは日本と比較した良さというよりは、日本にいないという体験は日本以外の国でしかできない、そんな感じのことです。その体験をするためにいるわけであり、日本とタイを比較してもどうしようもないことです。

さみしさには効用もあって、日本にいたら友達にならないであろう人たちと友達になったりしますね。年齢や社会的立場がかけ離れているようなひとたちです。外国人だってそうですね。日本にいるよりはずっと友達のラインに近くにいます。しょうがないから話しかけるんです。さみしくなって。

友人の子供が高校生になるという。その子とはその子が5歳のときによく遊んだ。もう高校生。すごい!と思う。そして、会ってみたいな、とちょっとだけ思う。その子とはその子が9歳のときに一度会った。まるで別人にようだった。顔つきも変わっていたし、すっかりオーラが落ち着いていた。あんなにやんちゃでせわしない子供だったのに。

静かに座って恥ずかしそうにしていた。僕のことを覚えているのかは聞かなかった。なんとなく知ってる感じ、くらいの感じでこっちを見ていた。

そしてその子がいま高校生だという。こっそり写真を送ってもらった。もし会ったなら、その子が覚えていないであろうあれやこれやを話してやれる、それが楽しみでもあるし、なにそれ、そんなこと覚えてない!とはねつけられそうな気もするが、それもまた悪くないだろう。

しかしそれを逆に考えれば、ぼくが覚えていない僕のこどものころを、何人もの大人が記憶しているということだ。親兄弟以外にも。逆に、成長を見守ってこなかった人だからこそ鮮明に覚えている記憶というものがあるのだろう。ぼくが3歳のときどんな子供だったのか、そんな大人に聞いてみたい。ね。

いまちょうど聞いていた音楽が終わりました。


自由と対等

勇ましいシリーズ

朝から。昨夜、ついに、かわぐちかいじ氏の「ジパング」を読了した。全43巻。大長編であった。面白かった。

それでやっぱり戦争のことをYoutubeで調べたりしてた。
それで、思ったのは、あ、命が対等じゃなかったんだな、ということ。
特攻隊の動画とかを見てて、特攻隊のことを考えると難しいなーって気持ちになる。

それは、特攻隊が祖国民を守るために命をかけたという事実と、それはまぎれもない事実だが、特攻を命じた上官たちは命をかけなかった(らしい)という事実にだ。
祖国のための命を散らしたのは無垢な若者ばかりで、大本営のえらい人たちは戦後も生き延びたり、アメリカ軍に捕まって戦犯となった。

旧陸軍には戦陣訓というのがあったらしく、「生きて虜囚の辱を受けず」というのがあって、つまりは捕虜になるくらいなら死ぬまで戦え、ということだと思うが、そんな勇ましいものがあった。

それゆえか、日本軍が勇敢で死を恐れなかったとしてある意味美談として語られるが、僕自身をそれを聞くとどうも胸が熱くなるのだが、それを発したトップ、東条英機は生きて虜囚の辱を受けたのである。

もちろん、天皇陛下の玉音放送があったので、それを聞いてなお戦うというのは陛下の心に反するということだったのだろうが、特攻隊で亡くなった英霊からしたら、あれ?という感じじゃないかと思う。死ぬの俺だけ?みたいな。

まあ、ちょっとバカな風に書いてしまったが、理屈で考えるとそうなっちゃう。若い人たちが死に、偉い人同士は手打ちをした。それが太平洋戦争だったと言ってもいい気がする。

いや、それがあらゆる戦争の基本形なのではないだろうか。民が死に、統治者同士は手打ちをする。

ジパングでも劇中出てくるが、日米が講話をするシーンにどうにも違和感を感じてしまう。日米の全権大使がスーツきて、どこかのでかいホテルかなんかで、シャンデリアの下で、きれいなテーブルの上で、終戦協定にサインする。つまり手打ちだ。

つき先月まで大砲打ち合って、玉砕、特攻、殲滅、悪魔を打ち倒す、とやっていたのに、いざ講話となれば、偉い人がのこのこ出てきて仕立てのいいスーツ来ちゃって、敵同士のはずなのにいそいそとサインして握手なんかしたりする。

おまえら今その場で殺し合えよ、とか一瞬だけ思ってしまう。だってお前らの下で若者が何万人死んだんだよ。にっくき敵の大将だろ、素手でもいいから首かっきってやれよ。とか。もちろんめちゃくちゃなこと言えば、だけど。

なんで血みどろに殺し合った後で、紳士然として握手ができるのか。それがわからない。日米だけじゃない、フランスとドイツもずっとそんなことやってきてるし、どこも同じだ。戦いの後で握手する。それが武士道、騎士道ということなのだろうか。それにしてはあまりにも血みどろにすぎた。しかもお前死んでないし。



11/21/2012

眠いね

今日は、9時に起きた。最近11時過ぎに起きていて、昼間が少なくて一日があっと言う間に過ぎ去りすぎるので、早起きしてみた。

するとどうだろう、とても眠い。久しぶりに目覚ましをかけたのだが、ひとつ気づいたことは、ぼくは眠いくせに、アラームが鳴る前から起きてるということだ。そのとき見ていた夢の内容もばっちり覚えている。それは夢というにはあまりにも思考に近かった。

で、いま10時過ぎ、へろへろ歩いて途中朝ご飯を食べてオフィスまで到着したが、頭がぼわーんとする、これでは仕事の集中力が落ちてしまう、早起きしても逆効果なのではないか、と思いながらコーヒーをすすっています。

おかしな日本語をしゃべるフランス人が朝からビジネスパートナーらしきタイ人の子とホワイトボードを使って会議をしています。なんだか楽しそうだな。ぼくもビジネスパート菜ーみたいな人がいて、毎日会議とかしたいです。いずれはそういう形態に移行したい。ひとりも自由で気に入ってるけど、インターアクションが少ないと眠ってしまう。

昨日の夕方のことです。ついにあの子がサワーディーカーしてくれた。あの子とは、オフィスのお掃除にきている女の人がたまに連れてくる子供の女の子です。4歳くらいかな。かわいい。かわいいのですが、ぼくは出会ってからずっと無視されてきました。かれこれ一ヶ月。なんか目も会わせてくれないし口も聞いてもらえません。

でも、まあ、よくあることなので、なかなかなじんでくれないな、とさみしく思っていたろころが、近年ささいな変化が現れ始め、ふと気がつくと僕の席の後ろでおままごとしていたり、僕がコーヒーをつくりにキッチンにいくとそこにいて、逃げずにずっともじもじしていたりしました。でも僕が声をかけるやいなやそそくさと逃げていってしまったのですが。

それが、機能の帰り道、お母さんに手を引かれて幼稚園かなんかからルンルンでかえってくるあの子に会いました。お母さんにうながされて、ついに、僕のほうを見てお手手をあわせてサワーディーカーをしてくれたのです。それはもう飯うまでしたよ。

かわいいというのはすばらしいことです。

いつもは冷蔵庫のように寒いオフィス、なぜか空調がついてなくて、汗がでてきました。まったく極端です。ちょうどいい、みたいなことがなかなかない。ふう。

そういえば、オフィスに毎日顔が変わる女の子がいて、毎日どきどきしてしまいます。なんか、毎日見るたびに顔の印象が変わるのです。だからはっきりとした像を結べません。それで、よく会うとじろじろ見てしまうようで、なにか?みたいな顔をされることがあります。今日は濃いめの化粧をしているようです。昨日は(たぶん)すっぴんでした。明日はどうなんだろう、というか、どういうリズムで変えているんだろう、ということを考えはしませんが、日本の女の子にはない行動形式だよなあと思って、

最近たまに海が恋しくなります。あの音が恋しくなります。あの開放感が。あの、海にざぶざぶと入っていって、腰までつかって広すぎて見渡せない空を見上げたときに、なぜか二やっとしてしまうあの喜びの感じを懐かしく思います。海にかえりたく思います。

でもバンコクはいろんな人がいるのでそれはいいです。出会いの予感が常にあります。予感だけはあります。とにかくあと半年、仕事中心で、性格上かなうならばですが、たぶんきっと特に何の働きかけもできないのでしょうが、うーん、とうなりながら過ごしたいと思っています。

さて、メールみますか。


11/20/2012

アイコ16歳問題

たったいま、後悔してきました。
とても悔しい思いをしています。とってもささいなことですが、悲しい気持ちでいっぱいです。それは、イヤフォンを買い間違えたという思いです。

簡単に説明しましょう、今日イヤフォンを買った、結構2週間くらい迷ってなんとか買った、それが耳に入れたとたん、ただちに何か間違いを犯したらしいことに気づいた。そういうことです。

買ったのはSONYのDR-ex14とかいう3千円しないくらいのやつです。だから、金額的にそれほどショックというわけではない。それよりもそれほど音が悪いわけじゃない。ただ、ぼくは買う直前に迷っていたのです。

ぼくはイヤフォンを買いにはるばる5つくらい遠くの駅まで行った。ぐるぐる探しまわって3時間を費やした。そして、なんとなく候補を2つにしぼった。それは、SONYのマイク付きイヤフォン、3千円しないくらいのもの。もうひとつはマイクがついてないけど音がいいらしい3千円超くらいのもの。

まあ簡単に言うとね、やっぱiPhoneで使うからマイクつきじゃないとね、ということで選んだのです。それは至極合理的な結論です。そして、どうせおれの耳なんか音を聞き分けられる訳がない、と思ってのこと。

でもね、聞き分けられていたのことに買った後に気づいたのです。マイクついてないほうは視聴できたのでしたのね、そしたら、スコーンと抜ける気持ちいい音が響いてきてびっくりしたのね、あれ、この曲こんないい音するんだ本来は、って。ちなにも最近のヘビローテ曲のAkonのRight Now nananaです。これがスコーンとどこかのホールで聞いてるみたいないい音で聞こえた。あれ、すごいな、と思ったのに、どこかで気のせいかな、って思い直してしまったのです。これ忘れないように太字にしとくわ。いい教訓だわ。

で、結局、機能を優先させて買って、すぐ後悔したのでした。僕の耳ががっかりした音をききました。文字通りがくっと音がしました。胸のあたりで。僕の耳は、音を聞き分けられていたのです。残念ながら。そして、その違いはかなりの違いでした。プレミアムの生ビールと、発泡酒くらいの違いです。喜びの分量が違う。

ずっと飲んでるとわからなくなりますが、最初の一口の喜ぶがまるで違うのはおわかりでしょう。そういうことがイヤフォンにもあったのです。

ぼくはこのことを忘れない。ぼくは昔、同じことをして後悔した。それがアイ子16歳問題です。それを教訓としたはずなのに。。

アイ子16歳問題がなにかはまた後日ご説明しましょう、話せば長くなります。とにかく、生理より機能を優先してしまった今日のこと、後悔とともに忘れない。きっとこのことが僕の人生をつまらなくさせている。もっと取り除きたい。

快感を取り上げてしまった。わずかなお金と機能を優先することによって。理性のささやきで感性を黙らせてしまった。その日のこと、忘れない。

きっといつか、思い立てたら、いいイヤフォンに買い直す。きっといつか。



11/19/2012

きょうは調子がいい

なんでしょう、今日は調子がいいです。
ここ数日、集中力が落ちていたようで、なかなか翻訳をフィニッシュすることができずカリカリしてたのですが(なんだか翻訳能力が落ちた気さえしていたのです)、今日は頭が冴えています。

こういうのってリズムっていうことなんですかね。今日は何時間でもやれそうです。が、このあと用事が入ったので出かけるわけなのですが、でも仕事にからむ用事です。

最近、保坂和志という人のサイトをなんだかずっと見ています。
小説家なんですが、ちょっと異色というか変わった小説を書いています。
変わっているのですが、もっとも刺激的な現代小説かと認められているというか、芥川賞をはじめ数々の賞を受賞、本もいっぱい出ています。

この人、どういう経緯で知ったかというと、前の記事で出てきた僕に映画を教えてくれた監督、矢崎仁司さんが、以前、知り合いの小説に僕がてくるんだよ、と言っていたので、それは読まねば、と思って名前を聞いて探しにいったのが、保坂和志の『プレーンソング』という小説でした。

でも… 読めなかったのです。わずか数スページで挫折、いや、もう少し読んだと思いますが、とても読了はできず、つまり、面白くなくて、結局、矢崎さんらしき人が出てくるところまで読めなかったのです。惨敗でした。

で、まあしばらく忘れていたのですが、ずっと頭に残ってて、たまにウェブなど見てみると、エッセイはすごい面白いのです。芸大で講演した録音も聞きましたが、めちゃくちゃ面白いこと2時間言いっぱなし。なんだ、保坂さん、面白いじゃん!

でも、、小説は読めないのです。つまり、ぼくが保坂氏の小説のレベルに達していないということなんです。これは。ぼくの感受性や小説を読むスキルのようなものが、最先端の小説を読める領域に至っていない。だってエッセイは面白く読めるわけですから、保坂さんの感性はぼくはとっても面白いはずなんです。でもその保坂さんが一番魂を込めている小説が読めない、それはこちらがわの至らなさなわけです。

だからいつかはリベンジしたいと思っています。というか、そういうものがまだあるというのがうれしいです。面白いのはわかっているのに、その面白さに自分が至っていない、というものが。なかなかありませんよ。ただ面白くないものはいっぱいありますけどね。

ということで、保坂氏の小説を昨日は探しまわっていたのですが、バンコクの小さい書店には置いてません。ましてや古本屋などには皆無です。そういうとき、ああ、日本っていいな、と思います。日本語の本が読み放題なのですから。

というか、誰か挑戦してまた感想おしえてくださいよ。保坂和志。大き目の書店なら本がいっぱいあるはずですよ。

なんか今日はひとつも面白いこと書いてない気がするな。。
いまちょっともう出かけるから焦って書いてるからかな。申し訳ありませんね。どうしよう。親戚が今日結婚しました。って身内のはなししてもしょうがないね。

あ、ちょっと今日は無理だわ。また考えておきます。なにも浮かばなかった。

11/18/2012

さみしい論

今日はいつにもましてさみしい。
このさみしさはもしかすると友達がうんぬんというのではないのかもしれないね。



遠くに見えるこのビルは、希望のビルと呼ばれています。僕によって。
このビルは毎日オフィスまで歩く道すがらにあるのですが、はっと目に入るたびに心がスカッとしてじわーんといい気分になります。

なぜでしょう。別に何の思い出もありません。ただ、バンコクに来た最初のころ、もうほんとうに初日や2日目に、あたりを散策しているとき、バンコクってどんな街なんだろう?と歩いているときに何度も目にした覚えがあります。つまり目印にしていたのです。形がわかりやすいからね。

とにかく、このビルを見かけると、ああ、なんか楽しいな、って思うんです。ほんの一瞬だけ。で、さみしい論。なんだかね、さみしいのね。

というか、いま、思ったこと書いておく。つまり、さっきから記憶が流れ始めて、いろいろ思い出しているのです。それが僕をさみしくさせています。
ひとつは、若い頃映画が好きだったころの記憶。西にいい映画ありと言えば場末の小劇場でも偵察にいき、東に名作ありと聞けばツタヤをひっくり返して探したものです。

そして、いま、かつて僕に映画のことを教えてた監督さんのデビュー作の記事を見かけて、それは白黒な勢いの16ミリ映画なのですが、それはまだ見たことがないのですが、見たことがないだけにどんな映画だろうと想像し、きっとただならぬ何かが潜んでいるにちがいないと思いを馳せたあの頃のことを。

というか、思いを馳せたのはついさっきでした。そういえばあの映画を見れなかったな、と。

なんというか、映画の中に、なにかすごく大事なものが埋まっている、そう思ってやまなかったころがあるのです。その期間はたぶん7年くらい。

あれはなんだったのでしょうか、いまではすっかり映画も見なくなりました。こどものころ、世界は今より広かった。それはたぶん、現実と幻想の区別がまだあいまいだったからでしょう。ぼくは覚えています。自分がウルトラマンかもしれないと、家の裏でかくれて変身の練習をしたり、いつかM27星団からウルトラの父が迎えにくるかもしれないと、ひっそりと夜空を見上げたりした日のことを。

あのころは、銀河系のその向こうまでもが自分とつながりがあった、その向こうから今にも呼びかけがあるかもしれないとドキドキしていたあのころ。
そして、入道雲の上に王国があると思っていたあの頃。思っていただけじゃない、ぼくはそれを、見た。たしかに見た。雲の上に、黒い騎士たちが槍をもって並んでこちらを見下ろしていた。あそこにいけば、別の国がある。それを信じていたわけではないが、疑いもしなかった、そんな頃がある。その頃は雲の上でさえも自分と関わりのある国だった。

というように、とてつもなく広い地平を生きていた、そんな気がしませんか?いまや大人になり、子供のころにはないあれやこれやを知り、あの人この人と深いような人間関係を結び、恋などもたまにするのですが、それが何だというのですか。

いや、こどもの頃にかえりたいなどと言うつもりはありません。あの頃はよかったということでもないのです。ひとつの事実を述べるだけです。こどもの頃は、頭の中の世界もリアルワールドど地続きだったという事実を。

書くと少しさみしさおさまる。
iPhoneの電源がもうすぐ切れます。今日は充電ケーブルを忘れてしまったのです。iPhoneが消える。少しそわそわします。わずか2週間前には僕の手の中になかった人だというのに。




いつも食べているお店、核武装論




毎朝食べているご飯屋さんです。
エカマイ駅からソイエカマイを上がっていくとあります。
おかずが8品くらいあって2つくらい選んでご飯に載せて食べます。

だいたい野菜を食べるようにしています。でも卵は毎日のようにたべちゃいます。オムレツみたいなの。中にひき肉が入っています。おいしいのです。
写真は女の子がおかずを選んでいて、お店の人がよそってるところですね。おかずの数で値段がかわりますが、おかず2品だとだいたい30バーツ(80円くらい)です。



そうだ、核武装論を書きます。いきなりだけど忘れるから。
きょう、あ!と気づいたことがあって。僕はいままで核のことを考えるとき、核爆弾は一般市民を巻き添えにする兵器だとばかり思っていたのです。それはやはり原爆の記憶があるからですね。

でも、核ミサイルは必ずしも民間人のいる場所で使われるとは限らない、むしろ兵器なのですから対軍隊に使われると考えるほうが自然です。
つまり、核爆弾の一番あり得る使い方は、たとえば、何の因果か日米で再び戦争になったとします。米軍の太平洋艦隊が日本に向かっているとします。空母もあって爆撃機も300機ぐらい積んでいる。

それを太平洋の大海原で迎え撃つのです。日本の原子力潜水艦が一隻、静かに迎え撃ちます。太平洋艦隊に向かって核ミサイルを発射。ミサイルは無事艦隊の真ん中に着弾し、戦艦、空母50隻からなる大艦隊が一瞬で灰となりました。戦果上々です。

どうですか。これが一番考えやすい核爆弾の使い方です。敵の軍隊を殲滅するために使う。民間人は巻き添えにしない。それなら、ありなのかも?と思ってしまったのです。

いやいや、ここで僕の立場を明言しておかなければならないでしょう。僕は核武装反対原理主義者です。いかなる理由があろうと、核兵器は世界からなくなるべきだと思っています。うっかり人のいるところに落ちたら取り返しが全くつかないからです。あまりにも悲惨にすぎる。

ですが、こんな風にも考えちゃう。じゃあ、小さい核弾頭を積んだ小さいミサイルだったらどうか? 小さいというか、まあ海で艦隊に大して打って、半径10キロかもしれませんが、ある程度まとまってる軍隊を殲滅する。

どうせ戦争なのですから、軍隊は全滅してもしょうがありません。両軍その覚悟で出ていくわけです。ならば、軍隊だけを殲滅する、軍人だけを殺す核兵器はありなんじゃないでしょうか。

つまり、核、核、というか、めっちゃ強いミサイル、ということです。爆撃機100機で空爆するのと同じだけのダメージをミサイル一発であたえる。ただそれだけのことです。

でもやっぱりだめ?放射能がいけないのでしょうか。放射能が汚染するからいけないのでしょうか?では放射能が出ない核爆弾だったらどうでしょう。水素爆弾というものもあります。何爆弾でもいいですが、威力は核爆弾と同程度、だけど放射能汚染がない爆弾なら、人道的といえるのではないでしょうか。殺すのは軍隊だけです。

どうでしょう。ただの強い兵器ならすでに自衛隊だってたくさんもってるはずです。つまり、核兵器はなんでだめなんでしょうか?それが放射能をまき散らすからでしょうか?それともあまりにも破壊力がありすぎるからでしょうか?

破壊力がありすぎるからだめ、というのはちょっとおかしく聞こえます。いかに破壊力を増すか、を切磋琢磨してきたのが軍事開発というものだからです。中程度の破壊力ならいいよ、なんて軍事大国の戯れ言です。小国こそ、一発で大艦隊をやっつけられる最強兵器が必要なはずです。放射能が汚染するからだめというなら、水素爆弾でいいでしょう。

どうですか。これは詭弁です。ですが、核兵器反対と一口で言っても、なにがいけないのか、となるといささか怪しくなってきます。石原都知事が会見を見ましたが、彼は核を持たなくても抑止力は持てる、と言っていました。つまり、核兵器は日本にいらない、ということです。え?石原さん、核兵器、いらないんだ?とちょっと意外で、ほっと胸をなでおろす気持ちがするとともに、

でも、石原さん、核兵器じゃなくても衛星をつかった兵器でもいい、みたいなこと言ってたな、とよくよく振り返ってみると、やっぱり抑止力と言うだけあって、結局は「最強兵器」を持とう、と言ってるわけです。

衛星からレーザービームがばーん!みたいな、感じかどうかしりませんが、結局は敵の艦隊を殲滅できる兵器じゃないと抑止力にはならないでしょう。じゃあ衛星レーザー兵器ならありなのか。なんか、核兵器じゃないからいいか、みたいにあやうく言いそうになってる自分がいましたよ、ええ。

まあ、これくらいにしときますか。まだジパング、続きがあるのですから。


P.S.
いま補足。いま、ところで水素爆弾ってどんな爆弾だったかな?と思って調べたら、水素爆弾も核爆弾の一種らしい。つまり、放射能、出ます。だから上記で水爆、水爆といっているのは「放射能を出さないけど核兵器並みの威力を持つ爆弾」と読み替えてください。でもそれでわかった気がする。つまり、そんな爆弾、まだ世界にない。開発されてないわけです。だから、やっぱり最強兵器は核兵器なんですね。つまり、さっきのはただの思考実験ですね。もしそんな爆弾があればそれは持ってもいいのか?という。






11/16/2012

コップが汗をかいていたころ

夏休みの風景を取り戻すか葬り去るかしたい。

今朝も頭に浮かんできたのだ。今朝、といっても昼間、いつもの道をオフィスに歩いていくとき、あ、セミがいない、と思う。セミがミンミンいってないのです。あ、夏じゃないんだな、と思う。こんなに暑いけどあの日本の夏とは違うものなんだと気づくわけです。

なんであんなにセミ鳴いてたんだろうね。よくあれに耐えてたね日本人は。ぼくも嫌いじゃないけども。

こういうコップがあったのを覚えておいででしょうか。コップに何か絵が書いてある。なにかのキャラクター、ウッドペッカーとかそういうのだ。なんとなく磨りガラスの淡い感じで絵があって、そこに水を注ぐと… あら不思議、鮮やかなウッドペッカーが登場!みたいなガラスのコップあったよねえ。あれはどこへいったのか、たいがい何かのおまけでもらえた。まだカルピスの濃厚な瓶が夏の冷蔵庫の主役だったあの頃のことです。

カルピスの瓶から濃厚なカルピスがすこし漏れて甘い匂いを放っている。それをコップに注いで氷をいれて、水道から水を注ぐ。曲がるストローをさして、今日は何色のストローにしようかちょっと迷って、赤と白のストライプにすることにして、ストローをコココと曲げて、飲む。そんな夏があった。

すべての色がもっと濃厚で、暑いんだけどただ暑いだけであり、ありとあらゆる麦茶のコップが汗をかいていた。その夏のことです。

ビニールのクロスがかかったテーブルにひじをつくと、ベタっとくっついてちょっと気持ち悪い、あの夏のことです。

あの夏は、あの入道雲はどこへいったのか。ほぼ同じような気候、同じような風景はここバンコクにもあるのですが、なにか違うのです。あの夏じゃない。短パンのあの夏じゃない。

ところで。ぼくがこれはやめられない、と思っていることを教えます。それは、一年中サンダルでいられることです!これはやめられない!
ぼくは、本当に靴下がきらい。家に帰るとすぐに脱いでいました。もうすぐに。一瞬で脱ぐ。まず靴下脱ぐ。それからリラックスタイムがはじめるわけです。冬でも靴下脱ぐ、もうそれはマストなのです。そして、同じく靴が嫌い。靴、脱げそうなところでは常に脱ぐ、会議中でもテーブルの下が誰にも見えないようなら靴脱ぐ、個人の机なら確実に中で脱いでいる、とにかく怒られなさそうなシチュエーションなら常に靴脱いでいたのが俺なのです。

ところが。もう一年以上、靴はいてません。これはらくちんだ。まじ、らくだよ。いやーらくだよ。うれしいよ。やめられない。靴なんてあんなもの、だれが発明したのか。あんな窮屈なものバカヤロー。

だから、ぼくは、足は、夏を取り戻した。そう思っています。ザマー見ろ!


ザマーミロ!

寒い

このオフィスの唯一最大のマイナスは、寒いことです。クーラーが効き過ぎなんです。何度か、いろんな人(主にタイ人じゃない人)が、クーラーを下げてくれと言ったのですが、そのときは喜んで温度を上げてくれるのですが、また翌日になると同じぐらい冷えています。冷蔵庫みたいです。なんでかなーって思ってなんだか疲れてしまっています。毎回言わなくちゃいけないって面倒だなって。。スタッフ、基本的にいい人たちなんだけどなんでかなー。なんでわかってくれないんだろうか。。

でもこれはタイではよくあることらしく、タクシーでも寒いと言っても下げるフリだけをしてぜんぜん冷房緩めてくれなかったとか、オフィスが寒すぎてセーター着てるとか、聞きます。タイ人にとってはこれが普通の温度ということなんでしょう。で、僕ら外国人の快適温度にあわせるとタイ人たちは「暑い」わけです。なかなかこれはやっかいな問題です。。うまくやっていきたいところなんですが。。なんだかイライラしています。

社会問題のことを考えると、嫌な気持ちになることに気づきました。それは、自分の中に価値観があやふやであることがわかるからです。たとえば、格差問題があります。タイにも乞食の人たちがいます。駅の下に赤ちゃんを抱えて、紙コップをジャラジャラいわせてお金を入れてくれというわけです。一日中います。ぼくは、ああ、かわいそうだな、と思ったり、そんなとこに毎日いたら目障りだな、と思ったり、なんかほかにすることないのかよ、と思ったり、こんな風になっているのは理由があるのだろう、と思ったり、こんな社会はよくないんじゃないか、と思ったり、いろいろ思うわけですが、でも、結局のところ、乞食がいるのは本当に間違っていることなのか、わからなくなるのです。

自分の中で、どうせ他人でもあるし、よくわからないのです。彼らは本当に不当に痛めつけられている人なのかどうか。日本のホームレスも同じです。生活保護があるんだから、路上で生活する必要はないはず。つまり自分の自由意志でそうしている、ということなんだろう、と思うわけです。だったらそれでいいじゃない、とも思ったり、いやいや、やっぱりつらい目にあわされているんだろう、と思ったり、でもわからなくなるわけです。

そういう目をぐぐっと拡大して、貧富の差があることが悪いことなのかなんなのかわからなくなるのです。事実あって、自分は中間のどこかにいて、でもそれはどこの国でもそうだし、いつの時代でもそうだったわけで、何もおかしなことじゃないのかも、とも思ったりするのです。ただわかることは、自分についてだけ。自分はもう少し裕福になれるならなりたいよ、そりゃあね、ということだけなんです。

なんでわからないんだろう、と思うんです。

もう解決できないんじゃないかと思うんです。これは絶対量の問題じゃないんです、たんぶん。ほかの人と比べてどうか、という問題は難しいのです。つまり、これは何度も書いてあるけど、ぼくがもっと裕福になりたいというとき、それは絶対量の問題ではなく、相対的な位置の問題なのです。なんとなくみんな程度には裕福でいたい、とか、そういうことなのですから。勉強の偏差値みたいなものです。ぼくが上にいけば誰かが下にいくのです。終わりなき戦いです。その戦いから逃走する、そう思っていたのに、逃げられそうにないのです。

だいぶ足を抜けてきたつもりはあります。社会の中の名声やなにやのことは相当どうでもいいと思えるようになってきています。裕福という問題もだいぶレベルを下げています。お金持ちと言われる人間になりたいなどとは全く思わないのです。でも、やはり、もっと裕福になりたいという気持ちがとどまることはありません。それがなんだか悲しいのです。悲しいというか、残念です。





11/15/2012

走馬灯の正体

あ、もう一個だけ書かせてもらうわ。ごめん、まじ。でもいいじゃんんブログなんだし。

あのねーおれ、死ぬ間際に見るといわれる走馬灯の正体がわかった気がしたんだ。

恐ろしいことなんだよ、これは。あの走馬灯はね、おれ見た人に聞いてみたいんだけど、よく走馬灯って人生で体験したこと、見たこと、が生まれてからの場面がぜんぶ再生されるっていうふうに言うじゃない?でも、あれ、ちがうんだよ。

ほんとうは、本当の走馬灯は、体験しなかったもの、見なかったものが再生されるんだよ。そっちばっかりが再生されるの。生まれてからいままでの全人生の中でね。おぎゃあと生まれてからこれまでの、とくにまあ物心がついてから今までと言ってもいいのだけど、いや、たぶん母体にいるといからのことだろうけど、そっちはまあメインじゃないんで、つまり、忘れてもいないこと、つまり、一瞬たりとも意識に記憶をとどめなかったような記憶が、ぜんぶ再生されると考えていい。

そういう記憶ってあるんだよね。つまり、目には入ってきてるんだけど、意識が向かなかったから記憶にならなかった記憶。なんか矛盾したこと書いてるけど、身体的には覚えてるんだけど、一度も「解釈」しなかった記憶なんだよ。

そういうものが、ばーーーーーーーーっと思い出されるの。これってすげー恐怖じゃない?!だって、ぜんぜん知らない人生を見ることになるんだよ。明らかに自分の人生なんだけど、明らかに記憶がないことばっかり見せられるの。あれ、そんなことあったっけ?あれ、あのときあの人、あんな顔してたんだ??あのとき、おれは、こんな印象をもったんだ??って。

もう死ぬというのに。もう一切の取り返しがつかないというのに、ぜんぜんちがった人生があったこと、あり得たことじゃないよ、あのときあっちを選んでいれば、とかそういうことじゃないよ、あのときこういう風にも感じていた、とか、本当はあのときあの人もいたよ、とか、なんというか、事実的には全部同じなんだけど、あんたが感じてきた印象、解釈してきた現実は、半分もなかったんだよ、ということがわからせられる。

ゲーテはたぶんこれを見た。だから人生は冗談みたいなものだ、って言ったんだと思うな。知らないけど。でも、それならわかるじゃない。あんなに考えに考えを重ね、なおかつ自分に正直に生きようとしてきたゲーテが、そのゲーテでされ、半分の人生も生きてこなかったということが知らされるわけです。体験していたのにしていなかった体験がどれほどあったのか、ということを。

これはほんとに恐ろしいことであると同時に、これ以上の解放はまた、ないのです。


もうこれ最後

はっきり言います、いま仕事がうまく進まないのでブログに逃げています。なんか仕事っぽいじゃん書くのってw

で、もうこれ最後、今日3つめだから。おれはね、まあ「ワークシフト」も読んだし、というか前々から「仕事」ということが僕の恐怖のメインテーマであるわけなんだけど、つまり、どんな仕事をして生きていこうか、ってことなんだけど、で、それと、戦争とか原発とか格差とか自殺率とかそういう話をぜーんぶまとめて言っちゃうとね。

ぼくはすぐこう考えちゃうんです。戦争?いずれはなくなるんじゃないかな。なんというか、戦争が、もめ事の解決として殺し合うことだとすると、何百年、何千年後かにはそういうことはやっぱりしなくなってるんじゃないかな、と。そうじゃないと人類には未来ないし、でもそういう方向で進んでると思う。もちろん途中で第3次世界大戦みたいなことは起きるかもしれないけど、そうやって揺れながらも戦争がない世界へ向かって進んでいくんだと思う。

原発ももっと早くなくなると思う。もちろん既得権益うんぬんで国内が割れたりいろいろするんだろうけど、どう考えても最終処理ができず、一発の事故で半径20キロの国土が使用不能になるような技術は捨てた方がいい。ということになると思う。古い技術として捨てられることになると思う。フロンガスだって捨てられたわけで。なにも核開発が最新技術ぶってる必要はないんだよね。人間は技術開発を止められないのだとしても、それは違う方向に向かうはずなんだよね。だからある意味ぜんぜん心配してないの。原発なんてもうすぐなくなるでしょ、どのみちって。

核爆弾だって、あんな使えもしない武器がいつまでも抑止力とか言われてるわけはないんで、ベルリンの壁のように、まさかというタイミングで撤廃されちゃうんじゃないかって思う。あんなもの持ってどうかしてたね、って。だからある意味心配してないの。

それよりも仕事のほうが怖いの。仕事をしなくちゃいけないということが。つまり、戦争も原発もなく、核爆弾もなく、格差も貧困もなくなった世界がいずれくるだろう。でもそんな世界がきたとしても、なんか仕事はせなならん、ね。と。

たぶんどんな平和な世界がきても、何をして社会に貢献していくのか、とか、何をして情念を燃やしていくのか、みたいな問題はなくならない気がするのよ。お前は社会でどんな役割を果たすのか、という問題というかね。

だからおれは仕事のことで悩んでいるとき、100年後の世界を先取りしてる気分がするよ。ある意味贅沢な悩みだけど、100年後もきっとなくならない悩み。人と人が相互作用しながら生きていくということは1000年たってもかわらないのだからね。

なんか疲れてるからぬるいこと書いちゃったな。いまオフィスでふいにハナレグミが流れてきた。なんの歌だろう?ジャマイカンソングかな。もちろんタイ人のスタッフがかけてるんだよ。センスいいよね。あ、あれだ、なんとかタイム、って曲だ。忘れた。

この曲をきくと一気に10年前に引き戻される。あの、まったく先が見えない暗闇にはまり込んでしまった気分で田んぼの中に立ち尽くしていた日々を。ああ懐かしきあの日々。いま思えば幸せな日々なり!





人口問題

すべては人口という切り口で説明がつくんじゃないかと思うんです。

人口動態みたいなことで。
前から書いてるけど、世界で幸福度が高い国って、人口が少ない国なんですよね。2006年のランキングで1位のデンマークは500万人しかいない。2位のスイスが790万人、3位のオーストリアが840万人、4位がアイスランドで30万人、5位がパナマで350万人ね。
どう?日本の10分の1の人口もない。比べちゃだめでしょう、とさえ思う。

日本は一億三千万人ですからね。なんで一億人の日本と500万人のデンマークが同格なんだ??って単純に疑問なんです。人口が20分の1なのに同じ一票ですか?みたいな。50万人でも一国としての独立権があって、国際社会から認められているわけでしょう?なんかずるいよね。国際社会では1国分の発言権を有してるわけだから。同じなの??って。逆から言えば、中国やインドからしたら、10票分よこせ、ってなるよね。

だから国という単位ってすごくいいかげんなんじゃないかって疑ってるわけです。
まやかしというか見せかけというか、なんかここに見過ごされてる何かがあるぞって。

人口の多い大国になると国内の格差が広がる。それはたぶんもうどうしようもないことなんだと思うね。なんか人間はそういうことになってるような気がするなあ。

だから日本が格差社会になってきたというなら、それは人口増とか都市部集中、とかそういうことが要因な気がするね。グローバリゼーションとかイデオロギーじゃなくてね。


人間なんてどこでもだいたい一緒なんじゃないかな、ある意味で。人の集まりは。あとたぶん、景気の問題も、人口の中の年齢の比率みたいなのでぜんぶ説明つく気がするね。高齢化した国は景気よくならないんだよ、たぶん。これから経済が伸びる国は人口構成的に若い国。そういうだけのことなんだと思うね。経済政策うんぬんじゃなくてね。

だからもし日本国を憂うなら、人口的をところをどういじくれるか、なんだろうと思うね。もっと直裁的に言えば、国のたがを緩めることだろうなあ。独立の単位を小さくして。つまり、日本が3つの国になって、それぞれが国際社会で一票ある、となったらなんだか強いじゃない、世界の中でも。で、日本人はそのどこにでも住める、みたいなね。いいよね、そういうの。準国家みたいな枠組みというか。

まあ適当な放談ね。





アーティストとご開陳

なんか書くことねえ。
ライフハッカーの編集さんからプロフィールを載せるから書いてくださいと言われて、すぐ書こうと思いつつ、なんかちょっとは面白い感じにしようとか思ってたら一ヶ月くらいたっちゃって、完全にタイミングを失って、もう先方も怒ってるかもしれないし、「あれ、いまごろですか?」と言われるのも恐れで、書けなくなってしまった、わずか数行のプロフィールが、である。

でも、プロフィールって僕にとって鬼門で、つまり、たいていの場合、場違いな思いをするのです。以前、哲学サークルの仲間で雑誌を創刊する相談をしているとき、編集長から、簡単なプロフィールを書いてくれ、と言われて、一応哲学の雑誌の編集部員ということだから、哲学に関係あることを中心に書いてくれと言われて、よく考えると、いや、考えるまでもなく哲学的経歴などゼロなので、ゼロです、と言うと、ほんとだね、と笑われた。そして、あなたの場合、そうだな、エサレン研究所(精神世界のメッカみたいな場所)に行ったことがあるぐらいしかアピールポイントがないね、と断言され、さもエサレン研究所という何か大学みたいな研究機関に留学していたかのようなプロフィールを書いたことを思い出していた。実際、エサレンはどちらかというと保養所みたいなもんであり、いた期間も3か月くらいのものなのだが。

関係ないことばっかりやろうとしている自分がいる。いつでも困る。履歴書を書くときいつでも困るのです。履歴書なんてもう書くこともないと思いますが、ないことを切に願いますが、あんたいったい何ができる人?と問われることほど恐怖なことはないのです。

まあいいとして、表題の件を書くと、あれは半年ほど前だろうか、バリ島で、こいつは本物!と思えるアーティストに出会ったのです。それは海でした。ビーチで、いつものようにサーフィンがてら海を眺めていると、となりに初めてみる顔がいました。どうやらバリ人のようです。髪の毛ぼさぼさで紙になにやらぐちゃぐちゃと記号のようなものを書いています。なんか危ない人かなー、と思ってなるべく視線を合わせないようにしていたのですが、なんとなく声をかけられたかかけたかして話はじめることになりました。

で、それ何書いてるの?と聞くと、計算しているんだよ、と言うのです。よくみると、筆算みたいなことをいっぱい書かれている。大人のくせに2桁と2桁の筆算かよ、と思う。98x55みたいなかけ算を一生懸命やってるのです。バカな子かな、と思っていると、「ゼンブキュウ」と日本語で言いました。

まあぐっとはしょって言うと、かけ算の独自の解法を編み出したとかで、どんな数字同士のかけ算でも9をうまく使うとあっと言う間に答えが出るそうなのです。で、試しに3桁x3桁とかの複雑な計算をさせてみると、あっと言う間に答えを書いてしまいます。携帯に計算機で確かめるとあっています。あれ?なんでそんな速く解けるの?ということで、ほかにもいろいろ出題しましたが、あっと言う間に、つまり3秒くらいで解いてしまいます。あれ、天才?

これは「わたしの型」なのだと言います。見つけたのだと。そのほかにも、初めてきく数学の法則をいくつか教えてくれました。自分で考えたとのこと。あーこういうやつが天才と言うんだな、とぼくはちょっとヤラレタ気分でいたところ、こんどは、絵を見る?と言ってきます。なになに?というと、携帯で写真を見せてきます。めっちゃうまい感じで像とかアフリカの民族とか、カラフルにしかもセンスよく描かれています。あんた描いたの?と聞くとそうだと言います。

おいおい、絵まで描けるのかよ、と驚愕していると、これ、面白いよ、といってまた別の絵を見せてきます。なにやら不思議な筆跡で肖像画みたいなのが描かれています。不思議な絵だなーと思っていると、これ、髪の毛、と言います。???なんだろうと思っていると、なんと自分の髪の毛を紙の上に散らして描いてあるとのこと。おまえ、それすごいじゃんか、クリエイティブすぐるじゃんか!ということで、ここらへんにくると僕も態度がすっかりかわっています。

さっきまで、この怪しい兄ちゃんとは口きかんとこ、と思っていたのに、今は、このお方はすごいお方だ、もっと話を聞きたい、となっていたのです。そして、ふと目がとまると、彼のはいているビーチサンダルが不思議な形をしています。土踏まずのところがぐぐっとせりあがっているのです。立体なのです。なんだこれ?新型のサンダル?と思ってきくと、自分でつくった、と言うのです。このほうが人体にとって自然な形なのだと。なんでも、木の樹液を固めてつくったそうです。おいおい、こいつおかしいよ、やばいよ。

ああ、と理解できた気持ちがしました。この人はアーチストなんだ、と。これが本物なのだ、と。

本物のアーチストはぜんぶおかしいのです。絵がうまいだけとか、そういうんじゃなくて、もう存在自体がおかしい。そして、何かこいつから学ぶべきことがある、と思わせるそんな存在です。

で、この記事の教訓は、すごいアーチストがいたよ、ということではありません。教訓は、こうです。早く見せろよ、です。おまえ早く絵とか見せろよ、って。あやうくただの怪しいやつで済ますところだったじゃないか、ということです。おまえ、ビーチで汚い格好できたないノートに汚い字でかけ算みたいなのずっと書いてたら、おまえ声なんてかけられないだろう、ということです。もっとアーチストらしくしとけよ、と。ボブマーリのTシャツくらい着とけよ、おしゃれにしとけよ、ということです。

俺の目は節穴なんだから、という反省と、あ、やっぱり他人のことって一目ではわからないから、説明するのって大事なんだね、ということです。なにもアーチストに限りません。自分がどんな人間であるか、初対面の人はぜんぜんわかってない可能が本当にあるんだな、というなんか恐ろしい実感がふーーっとやってきたのです。

おれだってどう見られてるかわかったもんじゃないな、油断してたな、という。でも何をどうすればいいかわからないんだけどね。こぎれいにはしておかないとね。




11/13/2012

仇討ち

わからなくなる話シリーズ

最近、ジパングを読んでいるので戦争のことを(また)よく考えています。

で、仇討ちというのがありますよね。武士の時代、父親を殺された息子は、成人すると仇討ちの旅に出かけるのです。それは家族総出で見送られ、がんばれよ〜!ということで送り出されるのです。それは親孝行でさえあったのです。父親の無念を晴らす、これほどの親孝行はありません。もちろん命がけです。

そして、見事親の敵を打ち取ったら役所に届けます。役所にそれはまぎれもなく仇討ちである、と認められると、まあ簡単に言うと罪にならなかったわけです。人を殺しても。復讐をしてもです。そんな時代がそれほど遠くない過去にありました。わずか百何十年か前です。

で、そういう物語を映画なんかで見ても、僕は疑問に思いません。なんて野蛮な、とは思いません。そういう時代だったんだな、と思うだけです。逆に、命をかけて仇討ちした若者には、あっぱれ!とさえ思うわけです。

で、なにかというと、それはいつの時代までさかのぼってそうなのか、ということです。あと、どんなことならそうなのか、ということです。同じ江戸時代でも、犯罪人の疑いがある人をふつうに拷問していた、と聞くと、なんて野蛮な!と思うわけです。いくら江戸時代でも、罪が確定してもいない人を半殺しにして自白させたり、それはひどいでしょう、と思うわけです。

また、切り捨て御免はいただけません。武士ならば町人を切っていいわけです。ちょっと失礼なことをされたと言って切って殺してします。これなんかも、あり得ない!と思う訳です。なんて傲慢な!武士のくせになんて傲慢な!となんとなく、矛盾したことまで言ってしまいたくなります。武士だからこそ切り捨てるくせにです。

ですが、武士の腹切りは、野蛮だと思わないわけです。もちろん、現代では野蛮な行為だと思う訳ですが、江戸の武士が、たとえば何かの失敗の責任をとって切腹したと聞くと、あっぱれ!とか思う訳です。それぐらい命がけで武士という仕事をしていたということで。

つまり、単純に人を殺す、人が死ぬことが野蛮だとは思っていないわけです。もちろん、一昔前、ということで言えば。

では、70年前ほどならそれはどうか。第一次、第二次世界対戦あたりの戦争についてはどうか。明らかにあの頃は戦争は普通の行為でした。どこの国もやっていて、敵になったり味方になったりめまぐるしく入れ替わりながら戦争をしていたのです。

太平洋戦争終結時に敵であったイギリスだって、日英同盟のころは同盟国。仲間だったのです。だから、戦争はいわば外交の激しい側面、ぐらいの意味しかなかったのかもしれません。当然、起こりえることとして、いや、戦略的に戦争をしかけたり、引いたりしながら、他国とのせめぎ合いをしていたということです。

で、急に太平洋戦争が終わって「戦争=悪」みたいになった。でも、戦争は悪じゃない。あれ、これ前も同じこと書いてるな。それだけ府に落ちないことだからでしょう。戦争は外交の一手段なのです。

というかね。僕たちは圧倒的な暴力の元で平和を保っているという事実があるのです。例えば尖閣、竹島の領土問題、これを個人の話に置き換えてみます。
僕が隣の家と領土問題を起こしたとします。おい、うちの敷地になに家たてようとしてんねん、となったとします。しかし隣の家は、そこは自分の土地だと主張します。

この場合簡単で、裁判に訴えれば、土地台帳など諸々調べて裁判所がどっちの土地なのかを決めてくれます。基本的にその判断を受け入れるわけです。それでも受け入れず、あくまで俺の土地、となってお互いがひかない、ついにはお互いの家を壊し合うような事態に発展したとしましょう。そうなれば裁判所経由で警察が出てきます。

隣の家を壊すという僕の個人的な暴力は、警察という大きな暴力で封じ込まれるわけです。力づくで逮捕されて刑務所にいくわけです。不法侵入とか、器物破損とか罪状がつくわけです。

司法と、巨大な暴力、この2つで我々の社会の秩序は守られている、それはひとつの真実なわけです(もちろん良心や和の精神で支えられているというのも真実の1つです)。

で、国際間のもめ事の難しいところは、司法も巨大な暴力(警察)も、ちゃんと機能していないところです。どこか信頼できる裁判をやってくれる機関があるでしょうか?国連ですか?中国とのもめ事を国連が解決してくれますか?たぶん、難しいでしょう。常任理事国などという制度もあります。で、まあそれでもなんとか国際裁判とかで判定がついたとしましょう、尖閣諸島は日本の領土です。で、中国がそんなの知らん、といって占領してきたら?警察は動いてくれるでしょうか?巨大な暴力は。アメリカですか?アメリカはただの1つの国ですから、その力にゆだねるわけにはいきません。それはフェアではなくなる。では国連ですか?国連軍が出張ってくれるでしょうか?出張らなさそうですね。

だから、国際間のもめごとは、当事者同士でなんとか解決、第三者の助け舟があったとしても基本は当事者同士で解決するしかない、というのが現状なわけです(ですよね?)

そうじゃないならチベットは早々に国際裁判に訴え、国連軍が出張っててもおかしくありません。でもそういうことは起きないのです。アフリカとかに出張りますが。

だから、難しいのです。それが世界の現実なのです。世界に司法もなく、警察もないのです。法律だってまともにはないのです。すぐに破られ、破った国を罰することもできないくらいのいいかげんな取り決めしかなのです。

だからどうしましょう。そうなるとやっぱり、暴力が強い人間(国)が思い通りに振る舞い始めるのは道理です。人間はそんなものです。
そんなことは常識だったのが、第一次、第二次世界大戦の頃だったのではないでしょうか。なにをつべこべ言うか?まずは暴力が強くないと話にならんだろうに、と。それが富国強兵なわけです。暴力というと暴という字がいかにも悪く見えますが、まあ「力」、軍事力と言ってもいいのです。ですが、それは結局は相手を力づくで言うこときかせるために使われる力なのですから暴力と表現してもさしつかえないわけです。

結局暴力が一番効率よく平和らしきものを演出できている、というのが世界の現状なのではないでしょうか?それを抑止力とか、力の均衡などと呼ぶわけですね。

で、もちろんそれでいいのか、というと、なんだかそれってダサいよね、と言わざるをえません。強いもの勝ちだなんて。


今日もまた堅苦しい話になってしまいましたが、おい、世界ってそうなっているよな、という合意というか、共通認識を世界の若者との間につくっていったらどうかな、とか思います。いきなり平和を目指すのではなく、今、実態として世界はどう回ってる?というのを。それは立場や利害や文化がちがっても、共通の認識はもてるはずなんだと思います。だって現実を見るだけいいんですから。どうなんでしょうね。








11/11/2012

書評:「ワークシフト」しつこく続き



これはスターバックスです。いつもタイトルを決めてからブログを書くけど今日はあとでいいや。いま保坂和志「考える練習」っているWEB連載読んでたら面白いと思った。そのなかで、希望を語るとバカだと思われるって書いてあって、なんか、あ!と思う。

ちょっと前から「ワークシフト」という本の書評を書こうとしているんだけど、まだ書けていないことがあって、それは、あの本に著しい違和感を感じた、ということなんです。

なんか、そんなことしか書けないのかお前は、って作者にいいたい気持ちがあったんです。読後に。でもそれがなんなのかうまく言えなかった。

働き方がかわる。おもにインターネットのおかげで、また、人々の意識の変化によって、はたまたグローバリゼーションのさらなる蔓延によって、かわる。前にも書いたがそこには基本的には希望が見られている。もっと自由に、自分らしく、自分を活かして働けるようになるわよ、ということだ。

でも、その裏で、悲観的な側面も語られる。たとえば、石油などエネルギー資源の高騰により、移動が制限されるというのだ。飛行機が高くて乗れなくなるとかそういうことだろう。そのせいで、自宅に籠もりっきりで過ごす人も出てくるだろうと言っている。お金がなければ移動ができないのだ。これを新しいタイプの孤独と貧困と言っている。

また、中国やインドの安い労働力と知らないうちに競争させられて、いつのまにか貧困層に落ちてしまう労働者も出てくるだろうという。グローバリゼーションだ。格差もグローバルになるということだ。アメリカの底辺は、中国の底辺と同じ収入になっちゃうよ、ということだ。

だから、時代を読み、未来に付加価値を認められる職種を見極め、賢くスキルを身につけていくべきだという。そしてジェネラリストよりスペシャルリストになることが重要で、それも専門性がすぐに陳腐化するから、「連続スペシャリスト」を目指すべきなのだという。

笑わせるな。と僕などは思ってしまう。なにが連続スペシャリストだ。これが本当に世界で何本かの指に入る経済学者の言うことなのだろうか。そんな未来予測、聞いたってしょうがないじゃない。そんな程度なら週刊ダイアモンドに毎週毎週書いてある。

もっと夢のある話を聞きたかった。現代の延長としての未来予測などに何の価値があろうか。だが悩ましいのは、この僕だって、青臭い理想主義がまかり通る世の中など、二度とこないだろうとわかっていることだ。なにはともあれグローバリゼーションは進むし、世界に格差は広がり続けるだろうと予測する。

だがやはり、果たしてそれでいいのか?といいたくなるのだ。社会の変化においてきぼりにされて孤独になったり、貧困になったりする人をどうするのか。それが問題なのであり、社会の変化にうまく乗っていく方法、などは聞いてもしょうがないのだ。

僕はわかっている。自分の論理はすじが通っていない。適当にことばを投げつけているだけだ。なんだろうまだこの違和感をうまく言えそうにない。なにか怒っている。それは、弱者を救え、と単純に言いたいわけではない。僕だって弱者に手を差し伸べているのかと言われると、イエスとは言えない。

僕だって平均よりちょい上の暮らしを常にしていたいと願う小市民なのだ。だが、和魂洋才、という言葉をいま思い出す。西洋には和魂がない。もうそれははっきりしているじゃないか、と思う。西洋にはサバイバルしかない。もうそう言っちゃうよおれは。いま、かわぐちかいじの「ジパング」読んでるところだからね!

洋才はすばらしい。ぼくだって快適にネットしながらコーヒー飲みたいときはスタバにくるのだ。というか、この、毎日一番長くおつきあいしているMacBookProちゃんだって、最近入手して溺愛しはじめたiPhoneだって、アメリカから来た。アメリカ精神がつくりああげたすばらしいプロダクトなのだ。

ぼくが来ているTシャツだって、ゲバラのプリントがでかでかとあったとしても、西洋からきたものだし、ぼくが背負ってるリュックもクイックシルバーだ。洋の技術、デザイン、発明はやはり優れている。

いま、Macが若干フリーズしていた。5分ほど待っている間に、気持ちがすこし恥ずかしくなった。また威勢のいいことを書いてしまったようだ。

なんというかさー、力が強くても、頭がよくても、経済力があっても、軍事力があっても、知略があっても、グルーバルな視野を持っていても、すばらしい文明を誇っていても、すばらしい文化を持っていても、それでも、他人のものを奪っちゃうだめ。他人の自由を奪ってはだめ、というプリンシプルがいま必要な気がする。

自分の自由を守るために戦うことは必要であるが、それは本当にリーズナブルな範囲の行為なのか。

おっとこれ以上は犯罪者を牢獄に入れることの是非とかにもなってちょっと面倒なので、やめとく。えっとなんだろうなー、そう、「ワークシフト」、なんつーかそこには何か大事なものが欠けていて、それが僕をいらいらさせる。それはなんつーか、弱さへの共感みたいなものというか、もっと人間のどうしようもなさへのもどかしさ、というか、なにかそういう要素がすっぽりと抜け落ちている。昼間しかない、平板なSF映画に出てくる未来みたいな未来しか描かれていない気がしたのだ。

やはりこの記事も「ワークシフト」の書評ということにします。








11/07/2012

まだ始まってもいない

今日、気がつけば誕生日だった。本当は2日前に気がついてたんだけど、でもそれまではマジで忘れてた。でも節目なのだ。40歳になるのだ。

でも、いつもどおりなんでもない朝が来た。いつも通り頭が少し重い感じで起きて、睡眠記録アプリをチェック、あれ?昨日は割りと眠れたはずなのに浅い眠りが80%とかだ。でも睡眠効率はいいみたい。というか単なるデータなんだけど。最近、睡眠に楽しみが増えた。で、あ、と気づく。今日で40歳か。結構な節目なのだが、実感はない。というか、こう思う。よし、今年からがんばろう。これはおだやかにそう思えた。つまり、本当に駆け出しなのだ。まじな話、翻訳業はまだ1年、フリーランスも1年、実績も将来の保証もなにもないのだ。来月の保証さえない。貯金もない。そんな人生をまさに始めたところなのだ。去年はまあ助走みたいな。今年から、腰を据えてがんばっていかなければ。ふわっとだけどそんなことを思う。まだ始まったばかり、いや、始まってもいないくらいだ。もう体力は落ち気味なのだが。。25歳くらいだったら、と何度か思うことがある。あのころ、早朝3時まで勉強してそのまま会社、とか、朝まで飲んでそのまま会社、とか平気でやってた。好奇心も溢れんばかりになった。初めてのアメリカ、ロサンゼルスに行ったとき興奮して、路線バスの中でだぶだぶズボンのいかつい黒人に話しかけたり、たまたま後ろの席にいた大学助教授とえんえん話したりしていた。いまよりずっとずっと英語力がなかったころだ。とにかく新しいことに絡んで行く、そのことだけで興奮できたし、エネルギーもつきることはなかった。

だが、振り返りはしまい。あの頃のほうがエネルギーはあったとしても、今のほうが、ヒリヒリと生きている。その感じは悪くない。

ここ何晩か、未来少年コナンのテレビシリーズを5話づつぐらい見ている。懐かしい。意外とストーリー忘れてる。これが今の夜の楽しみだ。

今日はタイ語学校を見学にいく。そして、さっき、ヘッドフォンをしながらもくもくと仕事をしていたら、 突然暗くなり、オフィスのスタッフが集まってきた。サプライズだ。ケーキにロウソクでバースデーをしてくれた。おーーうれしいね。恥ずかしくてどぎまぎしてしまった。でも、ケーキ、おいしゅうございました。僕は誕生日、どうも苦手で、大抵は黙っている。今ではフェイスブックがあるからみんなからメッセージがもらえる。ちょっと恥ずかしいけどこれも悪くない。これを機会に普段連絡しない人ともコンタクトがとれたりする。

僕も日本を出てから1年、さみしいさみしいなどと毎日思ってきたが、多くの人から自分が友達と認識されていることに改めて驚く。改めて考えると驚く。結局、みんなが僕のことをどう思っているかなど、よくわからないのだ。おおげさな意味じゃなくてね。

去年生まれたメイッ子がもう歩くのだという。なんということだ、光陰矢の如し、飛んで帰りたくなる。子どもはあっというまに成長する。でもそのあっと言う間に、無限ともいえるファンタジーの時間を過ごしているのだ。時間は平等なんかじゃない。ぼくももう一度、ファンタジーの世界へ帰っていきたい。大人として。大人としてファンタジーの世界へ帰る。その入り口を見つけにいくのだ。それが40歳にやることなのだ。










11/06/2012

モチーフ

父親をめぐるモチーフ。

女優になった少女は、まだ見ぬ父親からの手紙を待っている。


なんとなく、以前から、戦後の日本をひと言で表すなら「父不在」になるだろうと思っていた。

僕には子どもの頃から父親が家にいるので、父親を知らない人の気持ちはわからない。あるいはそれは、自分を振った恋人が、もう二度とは会いたいと思わないけれど、よりを戻したいとは露ほども思わないけれど、忘れては欲しくない、たまに思い出して、ああ、あの人とつき合っていればどうなったかな、などと思ったりはして欲しい。などと思うようなそういうような感覚なのだろうか。

ゲーテいわく、物語にはすべからくモチーフがあるというが、このモチーフというもの、日本語になっていないあたりが、やはり日本にはなじまないのか、いまいちどういうことを言っているのかわかりにくい。

たとえば、ゲーテいわく、次のようなものがモチーフというものらしい。



美しいまつ毛をふせたきりの、セルビア娘の貞淑さ。

花嫁の付き添いとして、自分の恋人を第三者のもとへ連れていかねばならない、恋する男の心の葛藤

恋人のことが気がかりで、娘は歌おうとしない、楽しそうだと思われては困るのだ。

若者が未亡人と、老人が処女と、結婚するという、狂った風習についての嘆き。

母親が、あまりに娘を放っておきすぐるという。若者の嘆き。

馬が娘に主人の心のたけを洩らす、打ち解けたたのしげな対話。

娘は、好かぬ男にすげなくする。

美しい給仕女。恋人は、客の中にはいない。

恋人を見て、やさしく起こしてやる。

夫は、どんな職業かしら?

おしゃべりして、恋の喜びを逃す。

恋する男は、他国者、昼に娘を見ておいて、夜に娘を不意打ちする。





なんとなく、わかる。ゲーテを身近に感じる。
しょせん、 ただのドイツ人だ。ゲーテなどありがたがるなら日本の文学者を追いかけた方がずっと意味があるだろう。なにせぼくは日本人なんだから。しょせんは異人だ。だが、異人は異人という価値がきっりちあるのだ。異文化は異文化というだけで価値があるのだ。異文化なのになんとなく理解できるというところと、異文化だからよくわからない、という両面があるゆえに多大な価値を持つのだ。

人は本当に感動したら隠れるのではないだろうか。ぼくが、人生で一番感動したとき、僕は急いで人前から隠れた。とても人には見られたくない感じになっていたからだ。感動とはそういう身体が先に反応して制御不能になってしまうような体験なのだ。どうすればそのような体験ができるのだろうか。感動をプランすることができるだろうか。

 今日、さっき、コワーキングスペースで、起業したい人のための簡単なワークショップがあったので参加してみた。起業のためには、まず潜在的なカスタマーと問題を見つける、というのをやった。 だれが顧客になるのか?顧客のどんな問題を解決するつもりなのか?というのを、各自が自分の起業アイデアを出しながら話し合っていくのだ。ぼくはもっぱら聴講生みたいに聞くだけだったのだが。
つまり、さしたるアイデアはないし、英語で説明できないからだ。

講師がホワイトボードを使って生き生きとケーススタディーを解説していく。生徒たちもかんかんがくがく、お互いのビジネスプランについて意見を交換する。楽しげだ。ぼくもなんだかわくわくしてくる。これから起業しようという若者たち、やはりエネルギーがある。タイの東大といわれる大学のMBAの生徒もいた。めっちゃ早口で頭がよさそうだった。ぼくは聞き取れないわ、しゃべれないわでずっと黙っていた。わかったときだけ、イエースとか言ったりして。でもなんだがうずうずしてきて、なんだこのうずうずは、と思っていたら、正体はホワイトボードだった。ホワイトボードを見ていると、起業の講義などできるはずもないのに、とりあえずおれにしゃべらせろ、という気がしてくるのだ。とりあえずペンをおれによこせ、と。で、何についてしゃべればいい? そうやって僕の授業は始まったものだった。起業についてだって、何かは話せるだろう。口からでまかせだ。

ホワイトボードで話したい、ということだけは改めてわかった夜だった。




写真復活するよ!

そうだ、iPhoneを入手したのでもう写真がとれるのだった。
ではいきなり、これ。




これは僕がいま通っている、コワーキングスペースHubbaです。
きれいでしょう?もともとは外人の家だったらしい。えらい金持ちやね。
バンコクはエカマイという地域にあります。僕の家から歩いて15分。

こういう一軒家のオフィスっていいですよね。なんか豊かな気持ちになります。庭もあります。だいたいここに一日8時間くらいいます。仕事とネットしてます。


これは内部の様子。だいたいぼくははじっこに座ってます。

とりあえず、カメラ復活祭としてアップしておきます。


11/05/2012

人生に引きはあるか

ある重大でどうでもいいテーマがある。
それは、人生に引きはあるか、というものだ。

なにかというと、たまに出てくる吉福さんが、言っているのだ。
人生には引きがある。それについて

人生が求めている「引き」がある。あらゆる人にプロセスがある。そのプロセスをしっかり歩むこと。どんな人でも、サインが出ている。それを読み解く。

と、とある講演で言っていた。

まあ解釈すると、人生には運命のように、ある方向へ自分を導こうとする力が働いている。それになるべく抵抗せずに従っていくとスムーズに生きていける。どこかで立ち止まり、抵抗すると、人生に問題が起ってくる、まあそういうような感じだろう。

自分のプロセスをしっかり歩むこと、それが大事だと言う。
そのプロセスとは、自分の能動的な意識が作り出すものではなく、あらかじめ決まっている類いのものだということですね。

ちょっとした運命論ですね。

なんとなく話つづかない。今日は調子悪いのかもね。

だから別の結論めいたことを言うと、ぼくがかれこれ、良い顔して死んだなあと思える著名人たちは、どこかで、手に負えないもの、知り得ようもないもの、の存在を認めていたように思う。
その人たちとは、ゲーテ、三木成夫、ジョーゼフキャンベル、だ。
ひとりは、まあいろいろなことをしたけど一応くくりとしては作家、ひとりは解剖学者、ひとりは神話学者だ。

彼らはなんとなく、いい感じで老い、いい感じで死んだように思える。それは書いたものや写真など見るだけだが。この共通項は、自分は自分の知り得ない何かによって突き動かされている、といったようなことの知覚だったのではないかと思う。

研究の果てに、もしくは先にそう思っていたのかもしれないが、そういうものの招待を追い求め、追い求め、たが同時に、決して解明しきれないだろうこともわかっていた、そういう気がする。だのに良い顔して死んでいける。

それはあの世とか帰る場所というよりは、いまこの現在もコンコンと自分に影響を及ぼし続けているなにがしかの力のようなもののだと思う。そんな感じがする。
背中の向こうから、なにかコンコンと注がれ、突き動かそうとする何かが流れ込んでいる、そんなビジュアルが見える。あくまでイメージの世界ね。

これは重大なことでもあり、どうでもいいことでもある。
人生は何か方向性が決められており、いやおうもなくそっちへ引っ張られていくものだ、という現実認識をするということは、結構重大なことだよね。あるいみ、非科学的みたいなことを真剣に信じてそう生きてみようとする生き方をするということだから。と同時にどうでもいいことであって、だからといって、ただちに何か生き方を変えたり、社会の中でうまく生きていけるようになったりはしないであろうからで、どっちみち今日の仕事をうまくこなし、妻や子どもたちとうまくやって、友人知人といい関係をつくっていく、という日々の行ない、努力になんらちがいはないからだ。どんな風に人生をとらえようと、今日できることに大差はないのだ。と思う。

 でも、やっぱり、まじだぜ、と言えるところの、スピリチュアリティーを見つけていくというのは大事なことのような気がする。ただ、いい気分になったり、慰められたり、共感しあえるようなスピリチュアリティーではなく、いや、まじなんだよ、これ、まじなんだよ、と腹の底がギリギリしって、血がふつふつと低温で沸騰してくるようなそんなスピリチュアリティーの何かだ。

まじでそういう風になってると思うんだよ、というやむにやまれず行動を変えてしまうような何かだ。というか、どう思おうと突き動かされていく何かだ。

そういうものがあるのかないのか、あるとしたら、それはまじか。まじなら、どこでそれが行動に現れるのか、そんなことを考えたり、がっかりしたりしてる今日です。







iPhoneを手に入れた

知人からiPhone4を格安でゆずってもらいました。まさかのiPhoneです。当分買う事はないだろう、いままでいらなかったんだから、これからもいらないだろう、そんな風に思っていました。でも、いざ使い始めるともう便利で面白くて、ずっといじってしまっています。なんだかうきうきすると同時に残念な気持ちにもなっています。

ここまで、2012年のこのときまで、僕はスマートフォンを使わずに過ごしてきたのです。日本でもガラケーを愛用、海外ではもっとしょぼい3千円の携帯を使ってきたのです。スマフォ中毒などは僕には無縁だと思っていたし、無縁にしなければと思ってきました。そうでなくともパソコン中毒気味にPC画面ばかりを見つめているからです。でも、手に入ってしまった。。いっそ有効利用していきたいと思っています。


昨日は、英語学校を見学に行ってきました。スタッフもいい感じ出し、生徒も楽しそうでいいかも、と思う。エレベーターで一緒になった日本人の男の子とそのままスタバでお話ししてきました。あいかわらず人付き合いに飢えています。英語。しかし、気がつけば、僕は今のオフィスで英語スピーカーがわんさかいるのですから、彼らとがんばって話せばいいだけなのだと本当はわかっています。ただ、なんか、おっくうなのです。。英語を上達したいのに、しゃべるのがおっくうなのです。。まずはこの壁を自分で超えるしかないでしょうね。。

今日隣に座ったフランス人は、少し不思議な日本語を使います。池袋に住んでいたそうです。けっこう出会います。日本に住んでいた外国人。日本もなにげにメジャーカントリーなんですね。

 だからむしろタイ語を習おうと思い直しています。タイ語はやっぱ基礎を教わった方がよさそうですし、せっかくタイにいるのですからね。思えば、日本にいるとき、日本にいる外国人が日本語を片言も話せないと、まったく何しに来やがったんだ、日本文化をレスペクトしてないのか、といぶかっていたものですが、ぼくはついぞインドネシア語を習得しませんでした。1年もいたのに、です。申し訳ありません。

タイこそはリベンジ、きちんと片言くらいは話せるようになりたいと思います。ということで、一応、やります宣言して、あとあと自分にカツをいれるために書いておきます。タイ語、やります。

そうだ、この話をしよう。
昨晩、うれしになってiPhoneアプリをいっぱい入れてしまいました。その中に、かねてから試してみたかった、睡眠状態を記録するアプリがあります。
「Sleep Time」というのですが、なんでも、振動とかなんとかで、浅い眠り、熟睡、などの状態を計測して、記録しておいてくれるのです。すごいですね!
やってみました。

まず、12時半くらいにベッドに入り、アプリをセットしました。しかし、わたくし、睡眠は得意ではありません。いつものように寝つくことができません。1時半くらいに、結局寝れなくて電気をつけて起きてしまいました。で、iPhoneなどいじります。いつものことです。寝れないのです。

でも、3時半くらいにはようやくまぶたも閉じてきて、いつの間にか寝ていたようです。アプリに記録されていました。睡眠時間6時間6分、睡眠効率96%!!

なんと、6時間の睡眠の間に3回も熟睡しています。しかもグラフを見るとかなり規則正しい睡眠サイクルを描いています。あれー?おれちゃんと寝てるの??
いや、そんなことはない、この6時間の間だって、エアコンを消しにいったり、枕の位置をかえたり、毛布を探したり、もしかするとトイレにさえ行ったかもしれません。おぼろげに記憶があります。とても朝まで熟睡などはしていません。でもグラフではけっこうまともな睡眠のように見えます。

もしかすると、僕は、不眠症といいながら、結構眠ってる??
もしかすると、朝起きてすでにだるい、みたいなのはプラシーボ効果なのかも、と思ったりしました。眠れないと思い込んでいるから、朝だるく感じる、というか。
どうでしょう。でも夜の間にじたばたしていることは事実。理想的な睡眠には程遠いはず。でも、思ったよりは眠れてるのかもね。とりあえず、今後もデータをとっていきたいと思います。





11/03/2012

映画評:「魔女の宅急便」(スタジオジブリ)

予告通り、魔女の宅急便を見たよ。
バンコクではDVDが300円で買えるのです。

魔女の宅急便は昔見た、と思っていたけど、ぜんぜんストーリー覚えてなかった。新鮮な思いで見ました。

ゆーみんの主題歌が、なんかすごいセレクトだな、と思っていたけど、あの曲「ルージュの伝言」が、主人公の女の子キキが大事にしているラジオから鳴るんですね。あのシーンははっとしました。うきうき感が伝わってきます。

ずばり、この映画は、僕のなかでは、仕事をする、というテーマの映画ですね。
飛ぶこと以外に何のとりえもないと自分で思っているキキが、見知らぬ街でひとり、どう仕事をはじめ、生きてゆくのか。13歳です。これは、社会に出て行く誰もが経験する気持ちなんだと思います。

そして、ぼくの長年の疑問がひとつ答られたような気持ちにもなりました。
それは仕事とは一体なんなのか?という疑問です。

キキは、13歳のある満月の夜、魔女の修行のために家を出て見知らぬ街で暮らすことになりました。
キキは、家族や友人に見送られて夜を空をホウキに乗って飛び立っていきます。

途中、ひとりの魔女の女の子に出会います。彼女も魔女の修行をしているという。いわば少し先輩です。そして、彼女はキキに尋ねます。「あなたは何ができるの?」と。その先輩魔女は、占いができるそうです。近頃は恋占いもやるのだそうです。占いを仕事としてその街で生きているということですね。そう魔女の修行とは、一人で見知らぬ街へおもむき、自分の力で生きてみる。なにか仕事をしてみるということでしょう。
そして「あなたは何ができるの?」と聞かれてキキは少しうろたえます。とくに何も得意なことがないからです。いろいろ考えてます、と言ってその場はお茶を濁します。

 ここまま解説してしまいそうなので一気にはしょっていきます。

キキは、「自分は飛ぶことしかできない。ほかにとりえがない」と悩みはじめます。でも、その飛ぶことが仕事になる、と思える出来事があります。パン屋のお客の忘れものを、主人の代わりにお届けしてあげたのです。人が歩けば30分はかかるであろう道のりをホウキに乗って3分でいける。お届けしてあげられる。そのことに気づいたキキは、すぐにこう言います。「電話をひかなくっちゃ」

いいですね、すぐに宅配便を始める気になっているのです。このフットワークがいいですね。
そしてまあ紆余曲折、初恋、冒険活劇などありながら、魔女の宅配便として街のみんなに受け入れられていくことになります。仕事をはじめたのです。人の役に立ち始め、そのことで生活の糧を得るようになったわけです。

あーこれが仕事の起源か、とひざを打ちました。
大きな街には様々な人がいて、様々な営みをしています。様々なニーズが生まれる。そのどれかを受け持つ。自分の得意なことで人の役にたつ。喜ばれる。それが仕事の起源なわけです。

パン屋やパンを焼く才能が、画家は絵を描く才能が、魔女には空を飛ぶという才能がそなわっている、誰しもなにかしらの才能が備わっている。劇中そのようなことも語られます。


ぼくは以前、農業こそが飯を食うための仕事なんじゃないか、と書きましたが、人の営みはもっと複雑です。いろいろな営みがあるのです。仕事は常に、新しく発生しつづけたっていいはずです。人の営みも新しくなっていくのだから。だから、まあ、なんでしょう、何かやってみればいい、ということぐらいしかない(笑)教訓が。

飛ぶことしかできないキキは飛ぶことで仕事をはじめました。






11/02/2012

サンディー来襲

日本でも話題になってると思うけど、いまニューヨークにハリケーンが来襲してて、いろいろ被害がすごいみたいね。ぼくが翻訳してる翻訳元サイトのLifehackerも、なんとサーバーが水没してサイトがダウンしている。もう一週間。そのおかげで今週は仕事が急に減ってしまいました。

いま手元に一本だけ。これは寝かせている最中。何ヶ月ぶりに宿題がない状態に。うれしいようなうれしくないような。つまりはそれだけ収入が減るのです。

とはいえ、久しぶりにさほど罪悪感なくネットサーフィンなどできる時間がやってきました。そして、なんかブログも書きたいことがない感じ。

なんか今みょうな幸福感があるのだけど何だろう。お腹がじわじわと温かくなるような幸福感。何にもいいことあったわけじゃないのにね。なんでしょうね。大手を振って遊べるから?そんなことで幸福になっちゃったらまずいよね、これ。ちがうといいんだけど。

昨日、「となりのトトロ」を英語で見てみた。もう話はばっちりわかってるから大丈夫。あるウワサを検証しようと思って。友達から聞いたんだだけど、途中、物語後半からメイとさつきの影がなくなるんだって。メイが迷子になったあたりから。それを、あそこでメイとさつきは死んだんだ、最後にお母さんのところまで猫バスで行ったのに、とうもろこしを置いてきただけで、会ってない、ほんとなら、お母さん!って抱きついてもおかしくない場面だ、ということらしい。

で、そのことを念頭に見てたけど、ぼくはその解釈はちがうなあ、と思った。
まず、影がないことだけど、そんな特別に影がない!と感じなかった。夕方や夜だしね。あと、お母さんに会いにいかなかった理由だけど、あれだよ、トトロに会ってるときは、ちょっと異次元に行ってるんだと思う。だから普通の人間には見えないんだよ。だからお母さんに会えないの。猫バスとかが田んぼをつっきっていくとき、村人のそばを通ってもだれも気づかない。つまりは、魂だけが猫バスに乗って走ってく、みたいな感じだよね。まあそういう解釈をぼくはしました。

次は「魔女の宅急便」を見るよ。


11/01/2012

原発論

原発の議論がどうしてこうも紛糾するのかな、と考えていた。

これが天然ガスを利用した新しい火力発電所建設の是非なら、ここまで紛糾しなかっただろう。

原発のことになると、どこかみんな熱くなる。一気にヒートアップする。中間が無い。ぼくも熱くなる。僕は原発反対。だから、原発推進の人と話すと、もう推進と聞いただけでなんか腹がむかっとする。
もうすぐに言い負かせてやろうという気になる。他の発電に比べて本当はコストが高いとか、GEの発電所は危険だとか、原発マフィアがどうのとか、そういうのは本当はどうでもいい。ただ、もう感情的にむかっとするのだ。

なんでだろうか。

核兵器もそうだ。核武武装論も。
なんか議論したくもない気持ちになる。あんなものを持ちたいなんてどうかしている、という感じだ。
核武装論者を見ると、お前アレだろ、ほんとはヘタレなんだろう。強い武器持って強がりたいだけの弱虫なんだろう、と言いたくなる。

そんな僕であるが、日本が核兵器以外の軍備で、世界4位とか5位とにランクされることは意に介さない。一億人もいる大国なんだからそれくらい軍備あってもいいんじゃない?とか思うばかりだ。
日本に空母があるかとか、ミサイルを原子力潜水艦があるのかどうか、とか知らない。あまり興味もない。まあ、あってもいいんじゃない、大国なんだから。くらいの感じ。

だが、核兵器だけはなぜか別なのだ。1発あるのかないのか、それが大問題なのか。さながら踏み絵のような感じだ。
いったいなんの踏み絵なのだろうか。

例えば、日本の戦闘機と軍艦でどこかの国に大爆撃をすれば、核兵器に匹敵するくらいの被害は与えられるのだと思う。何日間か空襲すれば、もう街を壊滅させるくらいわけはないと思う。東京大空襲でもあれだけの被害なのだ。いまの兵器ならもっといけるだろう。

だが、核兵器一発ぴゅーんと飛ばせるか、それがとにかく大問題なのだ。世界的に。

まあとんでもない威力があるのは間違いないから、当然なのかもしれないけど。

でもやばいことに、僕のなかの深層を探って行くと、日本も核武装してアメリカや中国に一目置かれるところを見てみたい、という気持ちが実は結構あるのに気づく。

本当は強い、怒れば恐い、牙を剥けば誰よりも恐ろしい、爪を隠した鷹、眠れる獅子である日本を見てみたいという気持ちもある。世界がそうささやくにを見たい、と思う。日本、本気で怒らせるとうやばいよ〜って中国も韓国もささやき合うのだ。本気で戦争したら勝てないよ〜って。
アメリカさえもペンタゴンの中で小声でささやきあうのだ、日本だけは本気にさせるな、と。唯一我々に歯向い、互角に戦える国なのだから、と。


最終戦争は終わったのだろうか。石原莞爾が唱えた、日米による世界最終戦争は、1945年に終わったのだろうか。それともまだこれからなのだろうか。

だが悲しいかな、日本の核爆弾がアメリカに飛んでいくところを僕は見たくない。もう十分に友達ができてしまった。中国にも飛んで欲しくない。あとでとんでもなく後悔し、心引き裂かれるのがわかる。たぶん、日本中がその後100年間、うなだれて生きることになる。もう十分にうなだれてきたじゃないか。

21世紀は、核を打った国が滅ぶのだろう。まずそれは人心という意味で。自国の核が、どこかの国民を数十万人単位で一瞬にして消滅させたことを知れば(たぶんとんでもなく惨い動画がYoutubeにばんばんアップされる)、人心がもたないだろう。海外旅行にも行けなくなる。というか、国内でテロの嵐になるか、それを恐れて旧ソビエトのような密告社会になるばかりだろう。そんなところで生きてはいけない。

そんなことは重々わかっているのに、それでも核を持つことが抑止力としてちゃんと機能しちゃってるように見える。それが世界の状況だ。

世界はロジカルには成り立っていない。もっとエモーシャルであり、わかんないけどとにかくそうなの!というノリで成り立っているように見える。

で、原発か。原発もなんか、ただならぬパワーを保持するのか否か、という選択なんだと思う。
もうヤバいヤバい、そうまさに巨神兵を飼っておくかどうか。その選択なんだと思う。ドーベルマンをペットにすべきか、みたいな。

うっかり子どもが噛まれたら死んじゃうよ、とも思えば、ドーベルマン飼っとけば強盗殺人者がきても大丈夫、とも思う。

ドーベルマン、我々は一回噛まれた。そのまえは他人にけしかけられて喉元をいかれた。お前を信じていいのか。でもドーベルマン、やっぱりちょっとかっこいい。どきどきする。でもよだれをたらした醜悪でもあり、みぞおちのあたりがギザギザする。



書評:「ミーナの行進」(小川洋子)



子どもの本を大人が書くのはなぜだろう? ふとそんな疑問が浮かんできた。ついさっき、冷房が効きすぎたオフィスで午前中の仕事を終え、太陽を浴びに外に出てみたときだ。

それはあるイメージが脳裏に生まれ、過去に実際にみたシーンかのように、どこかの外国でたまたま撮ったスナップ写真の1枚かのように繰り返し再生されることによる。

それは、イタリアの地方の駅前の小さな本屋、もしくは日本のちょっと田舎の街で一軒だけある小さな本屋、そんな本屋から、おかっぱの女の子が(たぶん5歳くらい)が、一冊の本を大事に抱えてとつとつと出てくる。少女はちらっと振り返り、自動車が来ないかなどを確認して、家に向かって歩いていく。

そんな光景だ。そしてこのイメージは「ミーナの行進」(小川洋子)のあるパートを読んだ時に生まれたものだ。たぶんそんな情景が描写してあったのだろう、だが、わずか昨日のことなのにもううろ覚えだ。

そしてそのイメージを脳内で見ているとき、冒頭の疑問が浮かんできたのだ。なんで、大人が書いた本をいたいけな子どもが大事そうに抱えていくのか。宝もののように抱えて、ドキドキしながらそっとページを開くのか。きみたちのほうがずっと純粋だぞ。君たちの方がずっと世界をわかっているかもしれないんだぞ。

でも、あ!とまた別の記憶が蘇る。それは、バリ島でよく僕の部屋に遊びにきたシー君のことだ。となりの子どもだ。3歳の男の子だ。
しー君はよく僕のところへ来ると、ノートはないの?と聞いて、ノートを出してあげると、ペンは?と聞いて、ペンを渡してあげると、自分で描くのではなく僕に絵を描いてくれとせがんだ。魚を描いてくれ、と言う。サメを描いてくれ、だったり、レレ(なまず)を描いてくれだったり、長い魚を描いてくれ、だったり、大きな魚を描いてくれだったり、お母さんの魚を描いてくれだったり、友達の魚を描いてくれだったりした。

ぼくはまあリクエスト通りに描くのだが、何度も同じ絵を描くようにせがまれると少々めんどくさいし、それにそもそも絵を描くのは子どもである君の仕事だろう、子どもこそが絵を描くべきだと思うわけで、「しーくんが描きなよ」と言ってペンを渡す。だが、ちがうと言う。僕に描いてほしいのだと言う。

んーー。僕が絵を描くところを見てても面白くないだろうに。。なんで自分で描かないのかな?と僕はいぶかる。こいつ、絵を描くのがメンドクサイだけなんじゃないか、などと腹が立ってくることもある。

でもだいたいいつも絵を描いてくれと言ってくる。それも結構詳細なリクエストを出すのだ。ぼくは、あるとき、何十匹もサメを描かされたあと、もう半切れになって、いーくん描きなよ、と言った。しーくんは、「かけないもん」と言う。ぼくは、描けないなんてことはあるか、と思う。なんでもいいから自分なりに描いてみればいい。ほら、描きな、といって強引にペンを握らせた。
しーくんは、うつむき加減で、しぶしぶといった風情でペンをとり、魚を描き始めた。つぶれた楕円形のようなものが描かれた。目や鼻らしきつぶつぶが描かれた。そして「やっぱりかけない」とつぶやいた。たしかに。たしかにそれはおよそ魚には見えなかった。あ、ほんとに描けないんだ?!と僕は驚いた。

そうか、3歳だとまだサメとか絵が描けないんだ。。

ここが面白いと思った。つまり、自分ではサメがうまく描けない。でも僕が描くサメがサメらしいことはわかるのだ。なのに自分ではうまく真似ができないのだ。そういうことがあるんだね。

だから僕にサメを描いてくれ、描いてくれとねだるのは、ある意味、学習しようとしているのかもしれないなと思う。サメの描き方を学ぼうとしているのかもしれないな、と。どう描けばいいの?とは決して聞いてこない。ただひたすら、サメを描いてくれと言うばかりなのだ。でも同じサメの絵を何十回描いてもいつも喜んでいる。飽きないのかな?と思ってたまにバリエーションを加えるのだが、それはそれで喜んでくれるが、やっぱり「このまえかいたやつ」を描いてくれと言ってくることが多いのだ。

 数が重要なのだ。繰り返すこと。何度も何度も繰り返しサメが描かれるところを見ること。たぶんそれがどこか重要であり、もしかすると、ただサメが描かれる過程を見るのが楽しいのかもしれない。何も無い白い紙に、今まさにサメが描かれる、というその不思議が。

 みたいなことを思い出しつつ、それと子どもが大人の書いた本を喜んで読む理由と重ならないかな、と思ったりしていた。

子どもは自分では本は書けないのだ。物語が書けないのだ。でも、それを読み、それを楽しむことはできる。それにドキドキすることはできるのだ。でも自分では同じようにはまだ書けないのだ。だからひたすら不思議なのだ。本に書かれた物語というものが。

一冊の本で旅にでられたあの頃を思う。子どものころ、僕はどんな風に本を読んでいたのかな、と思い出せそうで思い出せないはがゆく少しせつなく、そして温かい気持ちを、ぼくはこの「ミーナの行進」を読む途中で何度か持った。

それは江戸川乱歩の怪盗二十面相シリーズであったり、少年探偵団の小林少年であったりした。ぼくに日本語を教えたのは、怪盗二十面相かもしれなかった。ぼくは、小林少年が七つ道具を出すたびに興奮し、ドキドキして憧れやるせないほどだった。それは小学校の図書館の中だったり、本を借り出して、家の畳の上で没頭しているときだったりした。

偉大なり、江戸川乱歩。

そういえば、ラオスに行った帰り、列車の中でベルギー人と友達になった。彼はかたことの日本語をしゃべった。
日本の文化が好きで独学で日本語を勉強しているという。がさごそとコンビニ袋の中から、漢字の教科書と、日本の小説(フランス語版)をいくつかみせてくれた。いま読んでいる夢野久作の「ドグラマグラ」が最高だと言う。「オモシロスギルヨ」と言う。そして日本の文化は「スゴイ文化デス」と言う。とにかく「オモシロスギル」らしい。こっちもいい気分になってきて、何時間も日本語でしゃべっていた。初対面なのに僕のことを「オマエ」と呼び続けられるの気にならなかった。

 「ミーナの行進」、子どものころのミーナに会いたくなった。そして大人のミーナにも。そして、本が好き、ということを書いた小説なんだろう、と思った。