8/31/2012

他人の戦場

記憶シリーズをお届けしよう。もう昨日から今日にかけてずっとパソコンに向かっているので、もう書ける事が記憶の中にしかないのです。

いま浮かんできた記憶は、あれは、たしか大阪から就職のために東京へ出て来た春、それも新人研修ほっかほかの4月のことだったと思います。新入社員の仲間と仲良くサッカーの試合を見に行きました。Jリーグです。たしか前園とかが活躍していたときです。たしか前園がその試合でもいました。

そのとき、小雨の中、その試合をずっと見つめていて、僕の胸に去来した思いは、なんと悔しさでした。その試合は熱い熱い試合でした。みんな歓声をあげていました。でも、ぼくの頭に鳴り響いた声は、しょせんは他人の試合じゃないか!ここはおれの戦場じゃない!ということでした。まだ20代も前半の熱い熱い時代だったのかもしれません。なにがJリーグだ、他人が闘うところを見て胸を熱くしてたってどうしようもない、そんな思いにさいなまれてしまったのです。あれから苦節20年弱、私は自分の戦場で戦っていると言えるのでしょうか。まだかもしれませんが、あのころよりは少しは。

まあいいでしょう、ここダンキンドーナツ、今日はエアコンを入れてもらえなくて、汗がでてきました。じっとり蒸し暑くていらいらしています。そんなモードでいくことにしましょう。


しかし環境とは恐ろしい物で。ぼくがいまヘビーローテーションで聞いている曲はセレーナ・ゴメスの「Love you Like A love Song」です。これをもう繰り返し聞いてみます。どうにも耳に気持ちいいのです。セレーナ・ゴメスとは何者か?知りません。ぜんぜん知りません。ただ、ここダンキンでもバリ島のどこでも何度も何度も耳にするうちに、なんかいい曲じゃん、ということで、ネットで探してyoutubeで聞いているというだけのことなんです。そうです、ご多分に漏れずぼくは究極のミーハーなんです。流行ってる物が好き。それだけなのです。しかし、日本でセレーナがどれほど有名かわからないのですが、これだけは言えます。たぶん日本にいたらぼくはAKB48を繰り返し聞いていたでしょう。それほどまでにミーハーなのです。しかしここバリ島まではAKBが伝わってこないのです。そのぬくもりが。なので、ぼくはセレーナ嬢にぬくもりで耳を温めることになったのです。

これが環境の力です。まるで中学生のころ、そう80年に戻ったかのように洋楽ばかりを聞いています。耳に入ってくるのが洋楽しかないからです。マルーン5、かっこいいですね。アデール、いいですよね。そして何よりお気にいりなはリアーナ嬢です。「Don't Stop The Music」かっこいいですね。映画にもでていました。かわいいです。生意気そうなところが大好きです。

そして、それはどれもこれも日本のTVも映画もマンガもラジオも聞けないというこのインドネシアな環境がつくりだしたニューミーハー現象なのです。


何がいいたいのか、それはわかりません。
おまえらはおまえらの戦場へ赴け、まずはそれだけです。

これはリアーナの話とはぜんぜんつながってないよ。いまもう暑くて混乱しているのです。西日まで差してきました。ちくしょう、こんなところあと5分ででてってやる!


そしてぼくがサーフィンの話ばかりをするのもこのニューミーハー現象なのは言うまでもないでしょう。来たらわかりますが、バリでサーフィンしないほうが不思議ぐらいなものです。とくに男性諸君は。そっちがスタンダードなんです。思えばすごいところです。ただミーハーだというだけで、いつしか三日とあけず波乗りにいくようになってしまうのです。すごい運動オンチでおとなしい女子が、いつのまにか自分のサーブボードをオーダーしてしまう、それがバリ島なのですから。なにしろ他にやることがない!


そして日本にいるあなたは、自分がずっぽりとはまりこみ、自分だけのこだわりと大切にしていることが、日本型のニューミーハー現象にずっぽりはまっているだけなのかもしれませんよ。そのことがわかるのは、他のニューミーハー現象にずっぽりはまったときだけなのですが。。

ぼくはこのミーハー力をつかって、いろいろやっていきたいと思っているのでご協力おねがいしますm(_ _  )m



8/30/2012

千代田区図書館

最近、ここ一週間ほど、なぜか千代田区図書館へ通った日々のことがフラッシュバックする。なので、ちょっと書いてみることにする。

あれは、いつごろだろう、たぶん3、4年前、ぼくは新富町の友人宅に居候しながら、明日を憂えて暮らしていた。仕事をしていなかった時期だ。しかし、ただ何もしないというほど苦痛なことはなく、ぼくは何かリズムを欲していたのだろう、いつしか千代田区図書館へパソコンを持って通うようになった。
千代田区図書館はたぶん東京で一番仕事をしやすい図書館だ。まず、図書館が表立ってそれをサポートしてくている。朝起きて、開館の10時?に遅れないように自転車で向かう。30分もすれば席がうまってしまうのだ。自習席みたいな席が100席くらいあって、パソコンのための電源とインターネットもついている。ここはビルの上のほう9階とかにあって眺めもよく静かでとても快適なのだ。階段をひとつ登れば食堂もある。ぼくはある時期、毎日のようにここへ通って朝から閉館までいたものだ。閉館もしゃれたもので、お勤めする人が仕事帰りでも利用できるようにたしか平日は夜の10時まで空いていたと思う。素晴らしい。本当に見上げたと思う。さらに千代田区住民以外でも誰でも利用可能なのだ。その昔、神戸引きこもり時代に、神戸の三宮図書館にいって本を借りようとしたら、「ここは神戸市の図書館ですので神戸市民以外はご利用いただけません」としたり顔で言われたときの落胆を思い出す。神戸市よ、千代田区を見習ってほしい。神戸市の税金で運営されてるからって神戸市民に限定するなんてあまりに了見が狭いじゃないか。図書館なんか市民以外に開放したって大丈夫でしょう? 千代田区図書館を主導する人たちはほんとうに先進的でセンスがある人たちだと思いましたよ。

で、そんなバグースな千代田区図書館に通ったなあ。窓からは皇居のお堀が見えたなあ。なんかしゃぼん玉を吹き出しながら街のお知らせをして回るおかしな車が置いてあったなあ。などということを思い出す。近くにある靖国神社もいったなあ。

まあ、この記事のメインの目的のひとつは、仕事ができる図書館がないかと探してる人がいたら、千代田区図書館を一押しします!ということです。ほんとうにいい図書館です。
なんせいまホームページを見てみると、こんなフレーズが踊っています。

「あなたのセカンドオフィスに。もうひとつの書斎に。平日夜10時までご利用いただける、いままでにない"図書館"です。 」

もうこれですから。ほかの図書館とはちがうはずです。かっこいいー。センスあるなあ。


そしてなんかこの記憶の泡がぷつぷつと湧いてくるそのわけはなんだろう。
まあとくに理由はないか、今の状況はこの頃の感じに似ているのか、そんなところでしょう。あの頃は、とっても心細くて孤独だったがなんとなく味わいがあったなあ。なんだろう。もう戻りたくはないけど。


ああ、寅さんが見たい気分だよ。

チャングー本格挑戦1

昨日は夜、マクドナルドで深夜1時までパソコン作業をしていました。それで、ねむねむで帰って今日、朝、ベッドのなかで目覚めます。なぜかもう疲れています。体がぐったりとだるい。筋肉痛みたいな。おかしいなここ3日サーフィンしてないのになー。で、今朝は、早起きできたらチャングーという家からバイクで40分くらいの中級者向けのビーチに行こうかなと思っていたんですが、んーどうにもベッドから起きられません。ぐずぐずニ度寝します。そして三度寝くらいぐずついたあと、いま何時かなあと思って時計をみると、なんと8時39分!あれ、まだ朝だ!これは…ということで、急いで、となりのワルンへいって朝食をかきこみます。

しかし、食後もまだ迷っています。別にいつもいくクタビーチでいいんじゃないか、と。わざわざチャングーまでいって波がなかったり、ぜんぜん乗れなかったらいやだな。でもまあ、こういうときは保守的になっているときで、つまり、失敗するのがいやだ、という思想になっている時なのです。長年の学びでわかってきました。それはじり貧の思想なのです。だから、ここはあえて、よーし、じゃあチャングー行ってやる、行って波がぜんぜんなくても、うっかり潮を読み間違えて、珊瑚礁が露出しまくりの無駄足状況になろうとも、今日のところは行ってみた、というだけでOKとしようじゃないか!という思想にきりかえたのでした。あえて失敗してやろうという思想です。もったいない思想の逆をいく思想ですね。ぼくはもったいないという言葉があまり好きではありません。なんか節約思想という面もありますが、どこかケチくさく、損をしたくないという思想にも聞こえます。いや、この言葉がぼくの口から出るときは、ということです。僕の口から「もったいない」と出る時は、地球資源や社会全体のことを考えているのではなく、たんに、自分が損をしたくない、というだけのことなのです。

余談でした。そして、おらーーという勢いでバイクを走らせました。今日はジャワ人がお盆みたいな感じでみんな地元に帰っていて、かつ、バリ島がガルンガンという祭日なので、道がガラガラです。毎日これだったら楽なんだけどなー。ということで、結構あっという間にチャングービーチに。

で、ここからいろいろ書こうと思ったのですが、ちょっと面倒なのでもうはしょります。
結果は、波はばっちりありました。でも、慣れない海はいつもそうですが、だいたいブレイクポイントを探してパドリングしているうちに力つきて、肝心の波にありついたときにはもう体力が残ってないというお決まりの状況になりました。でもいいんです。これを繰り返すうちに慣れてきてなんとかなるものですからね。

とりま、週1くらいでチャングービーチに通ってみようかな、という気持ちになりました。なにごとも、少しずつ、猫に近づくみたいに近づいていくのがいいのです。それでいいのですから。

ここのいいところは、このビーチのサーファーはみんなすごくフレンドリーです。ピースな感じ。なんででしょうね。波の取り合いが熾烈ではないから? 沖を見ながら波打ち際をうろついていると、サーファーがすぐ、あっちから沖へ出れるよ、と教えにきてくれました。あ、そこから沖に出れるんだね、ありがとう!と言ってサンキューしましたが、実は、ポイントの遠さにおじけづいて、もう今日は海に入るのやめようかな、と思っているところだったのでした。でも、アドバイスきいちゃったし、ここで帰るわけにいかないので、意を決して海へざぶん。ここはリーフで足がつかないので、はっきりいって恐いのです。疲れたーとなっても足がつけない。歩いて帰ってこれないから、とにかく腕でパドリングしないと生還できないのです。でもまあ突入。なんとかなりました。というかなんとかなる範囲までしか沖へいかないようにしていました。これでいいのです。僕は自分の分をわきまえているのです。無理はしないのです。

いま、僕が考えているのは、いまというのはまさにいまこの瞬間のことですが、現代日本は音楽を取り戻さなければいけない、ということです。




8/28/2012

おれはミドルタイドを狙う男

ここ2日ほど、朝、9時半に起きるようになった。急にいい時間に起きられる。不眠症の谷間にさしかかったのかもしれない。谷間ということは、普段は不眠症、ということですが。

そして昨日は、ドーナツで4時頃まで仕事して、クタビーチへ。ちゃんと潮の状態をウェブでチェックした上での通勤である。ずばり、ミドルタイドを狙うのだ。ミドルタイドとは、干潮と満潮の間だ。つーっても干潮(ロータイド)と満潮(ハイタイド)以外はミドルタイドなんだけどね。ハイタイドぎみのミドルタイドが一番いい波が立つ事がわかってきたのだ。

もう波乗りの話はいいや。なんか同じだ。

そうだ、ぼくは週に2日は波乗りに通うようになって5ヶ月、それでも毎日、小さな感動がある。それを書き残しておこう。それは、波あるかな〜とバイクにサーフボードを積んで走って、いっぱいとまってるバイクの列になんとか割り込ませて駐車して、ボードを抱えてビーチに降り立つ。あれ?だいたい波がないように見える。というか、ちょうどいいベストな波が立っていることはまずない。で、すこし観察する。少し待てばいい波が来るかもしれない。その時のために体力を温存しなければならないのだ。などと思いながら、海を眺めて座っていると、ビーチボーイがサーフィンしないのか?と不思議そうに声をかけてくる。ぼくは、波が上がるのを待っているのさ、と言う。おお、サーファーみたいだ、と思う。しかし、すぐさまビーチボーイに言われてしまう「カモーンtaka、何を待っているんだい、ほらそこにいい波が立ってるじゃないか!」と。

それでぼくもようやく、あれ?と今気づいたようなフリをして、あ、ほんとだ、波あるね、じゃ、いってきまーす、といってボードを道連れに海へ歩いていくのだ。
何度も同じことをしているからもうわかっているのだが、単におっくうなのだ。毎回。サーフィンはやっぱり疲れるスポーツである。波をかきわけかきわけ沖へ行かなければならないし、波がきたら必死でパドリングしなければならない。いざ始めてしまうと楽しくて疲れも忘れるのだが、それでも毎回、海へ入る前はおっくうでしかたがないのだ。

で、しぶしぶな感じで海へ入る。軽くストレッチして、リーシュコードを足に結んで、ボードを小脇に抱えておそるおそる海へ入る。この季節、水が冷たいのだ。「冷めて〜」わかっていても声似出してしまう。くるぶしくらいまで水につかって、いよいよ諦めて海へ深入りしようとするそのせつな、はっと空の広がりに気づく。あーー海だ。海なんだな。左右にえんえんと続く海岸線。遠くに見える建物、ゆるい魚眼レンズみたいに見渡しきれない空。ああと声が漏れる。気持ちいいな〜。

これである。この瞬間は、毎回、毎回、同じことを体験しているはずなのに、毎回、いいなあ、と小さく感動してしまうのだ。ああ、ここは海なんだなあ。


そういえば、ある学説によれば、人類はそのムカシ、何百万年も昔、波打ち際で暮らしていたそうである。ちょうどそのころの化石が出土しないのだ。その理由は化石が残りにくい環境で人類というか類人猿が暮らしていたからだという説だ。それを「アクア説」という。波打ち際で暮らし、魚や貝をとって生きていた。外敵が襲ってきたらザバザバと海へ逃げ込んだ。海中で親子でばしゃばしゃ遊んだ。その証拠が現代の我々にもあるという。それは水かきだ。我々の手の指の間に、わずかに水かきの痕跡があるという。たしかになんかそれらしい感じの皮膚があるね。これは他のサルにはない特徴だそうだ。そして何より、海と見ればわくわくして泳ぎたくなるような陸上動物はそれほど多くない。人間くらいだ。人間はその遠い記憶により、海が懐かしくて仕方がないのだ。それを生命記憶というらしい。ぼくを海へいざなっているのもこの生命記憶なのかもしれないのさ。


とはいえ、ふとももあたりまで海につかる頃には、そんなことはもはや一ミリも考えられず、ただほかのサーファーを避けながら、狙ったポイントへいち早くたどり着こうと、早足の水中歩行を試みるばかりなのだ。



8/27/2012

バカンス法


先日、ヨーローッパにバカンスがあって、日本にないのはなぜだ?という記事を書きました。
それでちょっと調べてたら、どうもヨーロッパには「バカンス法」という法律があるみたいで、その法律によって、何日間の休暇をとらせるべき、というのが決まってるみたいね。

例えばフランスでは有給休暇が5週間(35日)あるらしい。それを使ってバカンスに行くんだね。
日本は法律で定められた有給休暇は 最低10日とのこと。

労働基準法的なことで決まってるってことね。ということは、あれだ、労働基準みたいなのは日本はヨーロッパの後を追っているわけだから、いずれ日本にもバカンス法が制定されて、日本人も夏は一ヶ月休むよ、ということになるのかもしれないね。50年後とかには。きっとそうなるだろう。

そのころにももっと様々なことが激変してる可能性あるけどね。


なんかそれが法律で決まってることだとわかったら急に興味がなくなってしまった。。まあヨーロッパといえども、政治を使って社会全体でそうしてきたということだもんね。なにか不可思議な秘密があるわけではなさそうだ。たぶん文化の違いというよりは時間の問題だと思う。欧米的(資本主義的)社会の仕組みを日本は取り入れて日が浅いから、ヨーロッパよりゆっくり進んでいるだけなのだろう。向かう方向はきっと同じだ。

そして、昨日、バルセロナに住む友人と久しぶりにコンタクトがとれ、しばらくチャットしていた。
ぼくは、日頃の疑問をぶつけてみた。スペインは失業率が25%を超えているそうだが、みんなどうやって暮らしてるんだ?と。中でもバルセロナはみんながハッピーに暮らしているそうじゃないか(高城剛調べ)。ほんとにそうなのか?と。

すると友人は、本当にそうだ、と。バルセロナはヨーロッパで一番ハッピーな場所だと思うと。世界でも有数のハッピーな場所だと思う、ということだ。そして、バルセロナに限っていえば経済は決して悪くなく、失業者にも行政の手当が分厚いから、みんなちゃんと暮らしていけてる、とのこと。物価も高くない、とのこと。

うーん。そう聞いてもまだイメージできない。まじかよ。そんなうまい話があるかよ。
で、一ヶ月どれくらいで暮らせんの、と聞いてみると、まあ1000ユーロもあればそこそこ暮らせるぜ、とのこと。今なら10万円くらいか。小さい部屋なら400ユーロであるよ、とのこと。なるほど物価は思ったより安そうだ。

なんか、一回これは検証してこないといかんなーと思う。なんか悔しい気持ちがにじむ。正直、スペインなんか国力というか経済力というか、技術力も何もかも日本よりずっと下だろうという偏見をぼくは持っているのだ。まあ大国アメリカ、なんだかんだで世界の知性イギリス、みたいなアングロ系に比べて、スペインなんか陽気な兄ちゃん達でしかない、としか思えない。そんな国に、経済で世界第3位(?)の日本がなんで暮らしの豊かさで負けなければならないのか、。そこあり得ないでしょう、と思う。あいつらロクに働いてないはずだ。日本人に比べると。なんたってシエスタというお昼寝文化の国である。生きるという闘争をなめきっているんだ。

そんなお昼寝野郎どもが楽しく暮らしてて、しかも貧しくても幸せ、とかじゃなくて、普通にiPhone持ってて(おれもまだ持ってない)、Mac Bookなんかももってて、エアコンのある部屋にすんで、クラブで遊んでいるわけだよ。海外旅行も行ってるはずだ。許せないね、そんなの。そこには何からのカラクリがあるとしか思えない。いまだに南米から搾取を続けているのか。。果たして。

その謎をとく旅に出なければならない、という新たな使命感をいまひしひしと感じています。







8/22/2012

夢中飛行

今日は10時台に起きることだできた。最近、「LOST」という海外ドラマにはまってしまって、つい夜更かししてしまうのだ。シーズン1を見終えたところだ。とはいうもの、昨夜は「ドラゴンタテューの女」という映画を見ていました。なんか重い感じになる。

そして、昨夜は久しぶりに夢中飛行に成功する。なにかというと、夢の中で空を飛ぶのだ。これはなかなか大変で、夢の中なのに半分目覚めている、という意識状態でしか成功しない。

昨夜、夢の中で、ふと気づくと何人かの仲間と高い橋の上を歩いていた。そしてふと気づく。これは夢の中なのだと。そして、ふと思いつく。夢の中ならば、飛び降りても死なないはずだ。そう思うが矢先、ぼくは橋の上から飛び降りていた。相当高い。ビル5階建てくらいの高さはあっただろう。珍しく躊躇なく飛び降りた!落ちる落ちる。落ちて行くGをびんびんに感じる。これが気持ちいいのだ。ふわーーという感じ。実際に高い場所から落ちた事ないのに何でこれを感じられるのだろう。しかし、一目散に落ちている。途中で、地面に叩き付けられたら夢でも痛い思いをするのだろうか、と逡巡が入る。でも、だめだ、ここでヒヨってはだめだ、せっかくのチャンスなのに!という声も聞こえた。ぼくは目覚めてしまいたいのを我慢して夢の中で落下し続けた。すると、次の瞬間、空を飛んでいた。さっきまでの落ちるGではなく、こんどはグワーーンと上に向かうGを感じる。そして並行飛行に入った。ぐんぐんと空を行く。やった!ついに飛べた!久しぶりだ。不思議なことに空は薄暗く、というか色がない。モノトーンな空だ。ぐんぐん飛んでいくと、ぱっと視界が開けた。高架を走るモノレールのような電車が見えた。どこだろう?そう思った瞬間、目覚めてしまった。

これが俗に言う「夢中飛行」だ。実に、数年ぶり。もしかすると10年ぶりとかかもしれない。10代の頃のある時期、毎日のようにこの夢中飛行ができたときがある。眠りに入る刹那、意識して「飛べ!」と念じると、飛べたのだ。見知らぬ街の上空を飛び回ったものだった。あれはただの幻想の記憶だったのかとも思っていたが、昨日、たしかに経験することができた。やっぱりあれはあったのだ。

あれはとても気持ちいいのだ。そらを飛ぶ体感がたしかに感じられるのだ。また今日も飛べるだろうか。



8/21/2012

バイクを修理

今日はかねてから気になっていた、バイクの修理に行ってきました。
なんか最近、バイクがめちゃくちゃよくパンクするのです。今月だけで3回?パンクしてます。これは何かおかしいのではないか?ということで、ホンダの修理屋さんに行ってきました。
どうやらタイヤのチューブだけじゃなくて外側の交換が必要とのこと。つまり、摩耗しすぎているらしい。おまけにライトの電球も切れちゃってる。その交換もお願いする。さて、いくらかかるだろう。。ドキドキしながら見積もりを待っていると、でました、なんと総額2千円!安い!おもわず、2万円ですか?と聞いてします。ノーノー2千円、とのこと。安いねえ。パンクの修理だけで2千円くらいつかっちゃったよ。早くHONDAに持ち込めばよかった。ちなみにパンクの修理とは、バイクのタイヤの中に自転車にチューブみたいなのが入っていて、それによく穴があくのです。釘を踏んだりするとなります。よく踏みます。

修理に1時間かかるということで、歩いて近所の散策へ。この道は毎日のように通っているのだが、いつもバイクで通り過ぎるだけ。今日は歩いてみます。
途中、ニューヨークに住んでいたというインドネシア人のいる食堂で牛のテールスープを食べて、さらに歩いてスマトラから来たというおばさんがやっている食堂でマンゴージュースを飲んだり、だらだらしていたらあっと言う間に1時間がたっていました。

そして、パンパンの空気が入った真新しいタイヤを見て、もっと早く交換すればよかったと思いながら、なんか元気がでてきて、さて、仕事いくか!ということで一路バイクを駆りました。と思いきや、すぐにバイクがエンスト。エンジンがかからない、あ!ガソリン入れるのわすれてた!そうです。バリで恐いことのひとつのこのガス欠があります。もうどこへも行けなくなります。そして、都合の悪い事に、今日はインドネシアの祝日で、そこかしこにあるガソリン屋さんが軒並み閉まっています。
あちゃー困ったー。と困った顔でバイクを押して歩いていると、バイク修理屋を発見。ガソリンある?と聞くと、あるとのこと。ほっと胸をなでおろす。
でもガソリン置いてるように見えないけどなあ。と思っていると、おっちゃんがどっかのバイクからガソリン抜き取って僕のバイクに入れてくれました。お金はいらない、とのこと。うわー助けてくれたんだ〜ありがとうございますー。ということで、すこしガソリン入れてもらって、最寄りで開いてるガソリンスタンドを教えてもらう。

なんだかんだこのような好意に支えられてなんとかバリ島生活やってる感じです。やっぱみんな親切。おれは最近このバリ人の親切を信頼しちゃって、なんとなる、と思うようになってしまった。立ち往生してれば誰かが助けてくれるだろう、そんな甘えが忍び寄っています。それはいいことだよね。でも、いましめます。


そして話しは大きく飛んで、三木成夫の講演の録音を聞いていました。
あーわずかに涙がにじみます。ためになって面白いなあ。

胎児の世界と命の波 三木茂夫先生最後の講演 前編
http://www.youtube.com/watch?v=052QQ-h6Fz8

この中にも出てくるけど、ニュージーランドにムカシトカゲという天然記念物がいて、なんと2億年前のままの姿だと言われていて、寿命は100歳を超えるとのこと。見た目もなんかかわいい。泣ける。100歳のトカゲ、泣ける。2億年前からいる。すごい。

これ、音声だけなんだけど、ぜひ動画で見たかった。スライドショーをやっているからです。ムカシトカゲを見たい。



8/20/2012

生きる目的なくなった

とくにバリ島に来てから、生きる目的がなくなってしまうような感覚になった。

おっとその前に、近況、最近、毎週、ナチュラルという建設中のエコビレッジに通っているのですが、そこについに家が建った!インドネシアはジャワ島の古民家を移築したのだ。なんともかわいいハウスであった。中の広さは6帖くらい?それを拡張工事して8帖くらいにする感じかな。三角お屋根で板の壁も淡い緑色にペイントされていてかわいい感じ。なんでも60年前のものらしい。壁や柱の木はけっこうボロがきていたが、しっかりと建っていた。家を建てる作業はコンクリ基礎工事をのぞくと4日間で建ってしまったとのこと。あっと言うまだ。まだ部品を組み立てるだけだからね。
で、それを一緒に見に行った友達と意見が完全に一致。それは、自分も家を建てたくなった!というものだ。
そう、自分「で」家を建てたくなったのだ。わずか4日で建った超シンプルな古民家を眺めていたら、家とかってセルフビルドで建ててちゃっていいんじゃない?って気分になったわけです。これなら自分でも設計できるでしょう、と。もちろん、地震もあまり心配いらず、夏の酷暑も冬の寒気も心配いらないバリ島ならば、ということですが、ここで住むなら家は適当なつくりでいけるんじゃない?ということなのです。

そして、その日の夜は、ウブッドという高地にあるバリ人の家で映画の上映会に呼ばれていました。そしてその会場となった2階建ての家は、バンブーという竹でできていたのでした。太っとい竹ですが。竹の家いいね〜!とここでもまた歓喜に包まれていました。聞くと、職人4人くらいで3日とかで建てたとのこと。バンブーはドリルで止めるだけで簡単だから、とのこと。

家建てたいな、自分で。そんな気持ちがむくむくと湧いてきた一日でした。
バリなら、ということですが、10帖くらいの平屋をバンブーと板としっくいあたりでセルフビルドしたら面白いんじゃないかな、と思います。まじで。


で、なんだっけ、あ、生きる目的ね。
もうどうでもいいやその話題は。それよりね、サーフィンうまくなりてえ、なかなかうまくならねえ。しかし、もうロータイドには満足できなくなってる自分を今日、はっきりと自覚しました。ハイタイドのうねりからしか乗りたくない。ロータイドのスープなんて乗ってられない、少なくともそこまでは来た、そういうことです。
しかし、そのハイタイドのうねり、パドリングが弱くて乗っていけません。波にがんがん追い越されていきます。かなしい。今日も腕が疲れただけで終わりました。きっと明日は。。




8/16/2012

とある重大な

今日は最初の半年間住んでいたサヌールというところにレンタルバイクの代金を支払いに来ています。ついでに昔よくいった海辺の食堂へ。いつものママがいた。いつものなしチャンプルーを食べる。ここは目の前が海なんだけど、本当に静かな海。小さな風の音が聞こえるくらい。あーこんなに静かなところだったのか、と少し驚いた。

そして、日本から届いたはずの郵便物を捜しに中央郵便局へ。人がすごい待っている。小一時間待っても呼ばれないので、今日は断念することに。まあ、バリだから。。
そして、またまた昔毎日のように通っていたカフェ"6Points"へ。仕事をする。

かつて、たぶん高校生ぐらいのときって、どこから来てどこへ行くのか、人は、自分は、どこから来てどこへ行くのか、みたいな昔の誰かが放った、いや、もっと大昔からずっと放たれて来たであろう疑問を、ぼくも同じようにずっと考えていたような気がする。

ある意味、どうでもいいことだ。その疑問はきっと解けないし、その回答に近づいたからといって、明日のご飯が食べられるわけではなく、来月の家賃が免除されるわけでもない。日々を生きて行くのに必要なものはもっと具体的なものだ。具体的なスキルだったり、具体的な情報、そして、身近でおしゃべりできる人たちだろう。

とはいえ、日常をつつがなく生きていたはずなのに、なぜかそれ以上、同じ生活を続けられなくなっちゃうひとたちもいる。なぜだかわからないが、なぜかもうできなくなっちゃう。そういうひとは概して現実社会への対応能力が割と高く見えるひとたちでもあったりする。

一昔前は、それはアクシデントとして見過ごされてきたが、昨今、そうした人の割合が思ったより多くなってきて、いろいろ騒がれたり右往左往している。

ふむ、まあいいや。

なんか書きたい事からそれたようだ。


書きたい事はあれだ、この前、タナロットという観光名所のお寺にいったとき、夕陽を見にみんなでバイクでいったとき、途中、えんえんと続く美しい田園の中を走っているとき、ときどきすれちがう、地元の高校生ぐらいのカップルが、ノーヘルでバイクに2ケツしてて、そしてたいてい後ろに乗っている女の子は髪がながくて笑顔がかわいくて、とってもうれしそうに何かおしゃべりしながらバイクを走らせているのとすれちがいながら、髪がさーっとなびくのがきれいだな、なんかお前らいいな、おい、と思いながら、もしぼくの眼がムービーカメラだったら、今のワンシーンだけで映画がはじまるのにな、と思ったりしていた、この感じをちょっと何か形にしたいのにな、と思ったりしているということなんだ。




8/14/2012

バリで何を書こうか


おひさしぶりです。
今日はチャングーというちょっと田舎のカフェで仕事をしていました。
というか、今日はいつもの職場ダンキンドーナツに向かう途中で、んーどうも毎日同じ場所も飽きるなあ、ということで、急遽、スミニャックという場所のカフェにいって2時間ほど仕事して、そこが閉まったのでそのままドライブして、ここにきたという次第です。

ここ2日ほど、日本からきた友達の友達にサーフィンを教えたりなんだかんだで楽しくしていました。はやり人と話すことでいい感じになりますね。いろんな人とおしゃべりしたいです。

バリ島も10ヶ月を超え、ある程度わかってきた感はあります。なにかこの経験をいかしてライフハッカーにオリジナルな記事でも書いてみたいところなのですが、何をかけばいいのかわかりません。

モデムはここのを買え、とか、このカフェで電源つかえるぞ、とかあんまり具体的な事書いてもしょうがないしねー。
でも具体的なことを抜かせば、ただ毎日カフェでパソコンをいじってるだけなので、それは東京のカフェで仕事をしているのと何らからわないわけです。つまり、バリ島で暮らすとこんなにすごいよ!とか、こんな意外なことがあるよ!とか、あんまり感じないのです。まあリゾート地なのですから。

もしかすると、もう一度どこかへ移動すれば、バリ島のことが見えてくるのかもしれませんね。


昨日は、夜の10時も過ぎたころに、明日帰国するという友達を最後の遊びに連れていこうとしているその矢先に、またもやバイクがパンクしてしまいました。コンビニの前でどうしたどうしたといって話しかけてくれたバリ人が、まだ空いてる修理屋さんを探してきてくれまいた。というか、たぶん閉まってる修理屋さんに無理行って開けてくれたんだと思います。バリ人、やさしい人はとことんやさしい、というか、一部のお金にあざとい人をのぞけば、多くは善良なひとたちです。

まあそんなこんなで、一度治ったパンクが走り始めたらまたパンクしたりなどなどしながら、結局パンク修理に一時間ほど費やし、その間、ふたりでバリコーヒーなど飲みながら雑談していました。最後の夜なのにごめんね。。ということですが、これもバリなのです。パンクは日常茶飯事なアクシデント。ほんとの深夜じゃないだけラッキーだったという他ありません。

こういうときはじっと待つしかない。こちらの予定通りにはいかない。それは海と同じです。

サーフィンが癒しにつながる1つの大きな要素は、それは、海が自分勝手だということです。
海はこちらの都合にあわせてくれない。こちらが海の都合に合わせなくてはいけない。でも、海にはある一定のリズムがあって、つまり、満潮、干潮、うねりなどのリズムはあらかめ把握することができますので、まったくのでたらめなわけではない。だから、現地人が明日は波がいいよ、と言ったらだいたい本当に波がいい。でも、やっぱり行ってみるまで実際のところはわからないのです。

そういうものと毎日のようにつきあっていると、ある種の諦観のようなものが芽生えてきます。まあ、あちらに会わせるしかしょうがないし、出たとこ勝負でいくしかない。そこそこ遊べたらめっけものなわけです。(あ、ちなみにぼくはまだ初心者の部類に入るので、上級者はもっと海が読めるのかもしれませんが)

まあ、そんなことも友達になったばかりの友達と話しながら、バリの夜を疾走していたのでした。パンク修理がやれやれ終わって、さあ、出発というときに、友達になったばかりの友達が言いました。

なんだかこの珍道中をずっと続けたい気分だよ。

あ、ほんとだね。とんだ珍道中。でもこのまま眠くなるまで走って、どっかの軒先でどきどき野宿して、そんなんでも全然かまわないよね。

珍道中こそが旅であり、人生であり、そして日常なわけではないでしょうか。

8/06/2012

むー


バリに帰って来てなんか風邪ひいた。
風邪を気にせずサーフィンいったら、久しぶりに流されて、3度目くらいの死ぬ思いをした。
実際はまわりに人もいるしレスキューも見てるから大丈夫なんだけど、自分的には岸に戻りたいのに戻れなくなって超パニック。
なんとか岸にたどりついたときには、頭痛もするし吐き気もするしで、サーファーらしからぬ胎児のような姿勢で砂浜に寝転がっていました。途中、日本人らしきサーファーが会釈をしていく。ぼくは半笑いで体をくの字にしていることしかできませんでした。げーしんどい。気分悪い。体も動きません。水も飲みました。

しかし、ぼくはこの時間を実は少しだけ好きだったりします。体の回復力を信じてじっと待っている時間です。
どこかでわかっているのです体験的に。いまはとんでもなく苦しいけど、1時間もたてばほぼ回復するであろうことが。だからとりあえずじっとしているこの時間。ほんとうは50メートル先の木陰に行きたいのだが、そこまで歩いてもいけないこの状態。だから寝ている。しかし、時間がたてば確実に回復するというささやかな信頼。

そして、30分ほどでしょうか、なんとか歩けるまでに回復し、荷物を置いてある木陰へ。水を飲んで、急にお腹がすいていることに気づきます。ご飯を食べに近くの屋台へ。そして、ヌードルをかきこみます。腹に染み渡る。実にシンプルな肉体です。

とはいえ、やはり、無理がたたったのでしょうか、風邪はひどくなるばかり。すっかり風邪声です。とはいえ、土曜日はまた、緑の畑「ナチュラル」へ遊びにいきました。炭素棒を畑に打ち込みます。炭素棒とは竹のきれはしのことです。それを畑に埋め込むと空気が入るとともに栄養になるとのこと。面白いですねー。

そんなこんなで、日曜日は一日中、寝込んでいたした。
今日、月曜日、ようやく復活の兆しが見え、またダンキンにきて少し仕事。なんとかなりそうです。

今週こそ中級者の波のビーチに行きたいのですが、おっくうでのびのびになってます。
うーん。あさってぐらいに乗り込みますか。



今日はなんとなくyoutubeをまた見てしまう。
三島由紀夫のインタビュー動画など。
三島由紀夫は現代日本を偽善がまかり通っていると見ていたようだ。
もっと真意を知りたいと思う。

そして司馬遼太郎の動画も見ていた。
司馬遼太郎も昭和以降の日本、とりわけノモンハン事件については書けないと言っていたらしい。取材は10年にもわたって行なっていたのに、一行も書けなかったと。書いたら発狂して死んでしまうだろうと自分で言っていたらしい。
どういうことか。


バンドンで、ちょっと衝撃的な壁画をみた。
なんかの記念館かなんかの壁にかいてあった絵なのだが、
調べてはいないが、それはどう見ても、軍刀を持った日本軍がインドネイアの民を斬りつけているような血なまぐさい絵だった。

え?となる。なんでバンドンでこんな絵が??
あれ、インドネシアにとって日本軍はどういう印象なのか?以外と知らないことに気づく。調べてみると、バンドンはオランダの軍司令本部があった場所らしい。日本はそこを占拠した。つまり、なんらかの戦闘はあっただろうし、少なくともバンドンに日本軍が駐留していた。

よっぽど印象が悪いのか。
しかし、それも含めてインドネシア政府の情報操作だという考えもあるみたいだし、まあすぐにはわからないだろう。

しかし、日本人の男として、インドネシアあたりはなんとなく居心地が悪いのは純然たる事実だね。気のせいかな。


8/02/2012

あのあと急展開

先日、バンドンにいると書きました。そして、初日の観光はさんざん、排気ガスにまみれて苦しかったと書きました。そして翌日こそは風光明媚なスポットを目指すと。
その夜、ぼくはウェブを調べて、ここなら景色もよく気持ちいいはずだ、という街の名前を調べ挙げていました。そして、宿のスタッフに行き方もバッチリ聞いてありました。

あとは朝を待つだけ。
そして、朝がきて、コーヒーとパンでゆっくり朝食。仕事を少しします。そこで、あ、そういえば、帰りに飛行機まだとってなかった、ということで、さらにその翌日の飛行機を予約、さて、いざ観光に、と思った矢先。。。

予約したチケットメールをよくよく見ると、なんと今日の日付が!
あーーやってもうたーー!またやーー!
ということで、翌日の飛行機をとるつもりが、本日の飛行機をとってしまったのでした。どうも48時間以内のフライトは変更もキャンセルもできない、とのこと。このチケットを諦めるか、いっそ今日帰ってしまうか。。。

自分のばかやろう、とののしりながら、小一時間考えます。
いろいろ考えた結果、考え疲れしてもう帰りたくなってきました。。
そうだ、帰ろう。

ということで、急遽、当日の夕方の飛行機にのってバリに帰還したというわけです。

まあ、こんなんが旅だよね。ということで。でもインドネシア国内旅行、楽しかったので次回はジョグジャカルタあたりを攻めたいと思っています。

今日は、ひさびさにサーフィン。
でも波が小さすぎて、すぐにあがりました。最近、いい波に出会えない。。
欲求不満がたまります。とはいえ、7月はサーフィンさぼりすぎたせいか、おなかがポッコリしてきました。あれれ。あれれ。お腹ってすぐに出るんだねー。くわばらくわばら。

8月は波乗り一本で行きたいと思ってます。ベストシーズンなんですから。

ということで、不満げに海を眺めていたら、観光業を学んでいるというインドネシアの学生さんからインタビューを受ける。たまにあります。日本人ということですね。
バリのどこが好きか、などなど答えます。

そして、バリ島のおとうと小次郎の食堂へ。なんと小次郎、彼女ができたらしい!なんと日本人の!どうりで、あんまり駆け寄ってこなくなったわけだ。お兄さんより彼女、なんですね!まあいいでしょう、命短し、です。

ということで、また今日もダンキンでパソコンです。

ふーところで、最近、田嶋陽子さんの応援サイトを仲間とつくってます。
http://chanbaka.blogspot.com

まあ見てやってください。まだまだ作成途上です。

ではー