昨日は夜、マクドナルドで深夜1時までパソコン作業をしていました。それで、ねむねむで帰って今日、朝、ベッドのなかで目覚めます。なぜかもう疲れています。体がぐったりとだるい。筋肉痛みたいな。おかしいなここ3日サーフィンしてないのになー。で、今朝は、早起きできたらチャングーという家からバイクで40分くらいの中級者向けのビーチに行こうかなと思っていたんですが、んーどうにもベッドから起きられません。ぐずぐずニ度寝します。そして三度寝くらいぐずついたあと、いま何時かなあと思って時計をみると、なんと8時39分!あれ、まだ朝だ!これは…ということで、急いで、となりのワルンへいって朝食をかきこみます。
しかし、食後もまだ迷っています。別にいつもいくクタビーチでいいんじゃないか、と。わざわざチャングーまでいって波がなかったり、ぜんぜん乗れなかったらいやだな。でもまあ、こういうときは保守的になっているときで、つまり、失敗するのがいやだ、という思想になっている時なのです。長年の学びでわかってきました。それはじり貧の思想なのです。だから、ここはあえて、よーし、じゃあチャングー行ってやる、行って波がぜんぜんなくても、うっかり潮を読み間違えて、珊瑚礁が露出しまくりの無駄足状況になろうとも、今日のところは行ってみた、というだけでOKとしようじゃないか!という思想にきりかえたのでした。あえて失敗してやろうという思想です。もったいない思想の逆をいく思想ですね。ぼくはもったいないという言葉があまり好きではありません。なんか節約思想という面もありますが、どこかケチくさく、損をしたくないという思想にも聞こえます。いや、この言葉がぼくの口から出るときは、ということです。僕の口から「もったいない」と出る時は、地球資源や社会全体のことを考えているのではなく、たんに、自分が損をしたくない、というだけのことなのです。
余談でした。そして、おらーーという勢いでバイクを走らせました。今日はジャワ人がお盆みたいな感じでみんな地元に帰っていて、かつ、バリ島がガルンガンという祭日なので、道がガラガラです。毎日これだったら楽なんだけどなー。ということで、結構あっという間にチャングービーチに。
で、ここからいろいろ書こうと思ったのですが、ちょっと面倒なのでもうはしょります。
結果は、波はばっちりありました。でも、慣れない海はいつもそうですが、だいたいブレイクポイントを探してパドリングしているうちに力つきて、肝心の波にありついたときにはもう体力が残ってないというお決まりの状況になりました。でもいいんです。これを繰り返すうちに慣れてきてなんとかなるものですからね。
とりま、週1くらいでチャングービーチに通ってみようかな、という気持ちになりました。なにごとも、少しずつ、猫に近づくみたいに近づいていくのがいいのです。それでいいのですから。
ここのいいところは、このビーチのサーファーはみんなすごくフレンドリーです。ピースな感じ。なんででしょうね。波の取り合いが熾烈ではないから? 沖を見ながら波打ち際をうろついていると、サーファーがすぐ、あっちから沖へ出れるよ、と教えにきてくれました。あ、そこから沖に出れるんだね、ありがとう!と言ってサンキューしましたが、実は、ポイントの遠さにおじけづいて、もう今日は海に入るのやめようかな、と思っているところだったのでした。でも、アドバイスきいちゃったし、ここで帰るわけにいかないので、意を決して海へざぶん。ここはリーフで足がつかないので、はっきりいって恐いのです。疲れたーとなっても足がつけない。歩いて帰ってこれないから、とにかく腕でパドリングしないと生還できないのです。でもまあ突入。なんとかなりました。というかなんとかなる範囲までしか沖へいかないようにしていました。これでいいのです。僕は自分の分をわきまえているのです。無理はしないのです。
いま、僕が考えているのは、いまというのはまさにいまこの瞬間のことですが、現代日本は音楽を取り戻さなければいけない、ということです。
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