2/16/2013



タイ人アーティストシリーズ。
この人は、同じ顔でいろんなバリエーションを描いていた。自分の顔なのかな、と思った。それだけ繰り返し描くくらいだから。でも、どうして自分の顔を何枚も何枚も描きたいのだろう?と疑問が浮かぶ。果たして本人かどうか、しばらく待ってみたが、画家に会うことはできなかった。


インドネシア、タイと回ってきて、1つ感じることは、やはり、両国とも急速に近代化しているということだ。つまりは欧米化と言ってもいいかもしれない。

日本が過去にたどった道を忠実にたどろうとしているかのようだ。もちろん、風土の違いはあるが、それよりも、近代化する、という大きな流れのほうが圧倒的に力をもっているように見える。

マンションを買い、車を買い、iPhone、iPadを買い、洋服に身を包み、化粧をして、クラブで遊び、外国に留学して経営学を学び、ビルを建て、企業を運営し、簡単に言えば豊かになりたい。おなじみのその方向だ。

たまに、結局その方向行くの?面白くないね。と思う事がある。アジアがいま熱い、といってもそれは、遅れて来た近代化、ならびに経済成長をこれから遂げるのだ、という熱気の中にあるだけで、何かとんでもなく新しいものが飛び出す予感はみじんもない。

別に悪く言ってるわけではなく、アジアに日本にないものを求めてたどり着いたとしても、数十年後には似たような感じになっちまうだろうな、という予感を言っているだけだ。

じゃあ欧米に何かあるのかというと、そうも思えない。こっちで出会う欧米人たちも、まあ普通の人たちだ。何かとんでもなく新しい価値観で迫れて、腰抜かしちゃった、ということもない。

国際社会が均質化に向かっているということかな、などと思う。もちろん、このまま均質化するわけはなく、何かとんでもないことも起きてくると思うが、少なくとも今の流れはそうだ、ということだ。

だから何だというと、つまりは、世界の特定の地域に何か新しい文化がある、これから起こって来る、というのはもうないのかもしれない。あるとしたら、国をまたいでくる現象の中に生まれるのだろう。などと言ってみたが、何か具体的なものに触れたわけではない。

でもまあ少しいうならば、例えば日本人同士というだけよりも、国がちがっても、たとえば、同じ職業同士、社会的に同じ立場同士、のほうが断然話が通じるのは、わかるだろう。

苦労の種類が同じというか、そこが問題なんだよねーという会話がすぐに成立する。国際間で違うことといえば、税率とかバケーションの長さ、社会保障の厚さ、くらいなもので、どれもそれほど本質的な問題ではない。

どんな仕事をどう展開するか、というコアな部分は、ほとんどどこの国も似たような条件になっている気がする。似たような障害があり、似たような理由で諦め、似たような理由で諦められないでいるのだ。

とくに国際的な仕事をしていない僕だってそう感じるのだから、国際的な仕事をしている人はビンビン感じていることだろう。

だから何だというと困るのだが、国際競争力、みたいな問題がそれほど重大な問題に思えなくなってきたな、ということだ。もちろん円が強い方が今のぼくは助かるが、じゃあ円が高ければ未来安泰かというと、やはりそれは本質的な問題ではないのだった。

景気がいいときには本質的な問題が勢いの中にまぎれてしまったていただけなのだ。とりあえず金がじゃんじゃか入るし、欲しい物も買えてるし、みんな同じだし、まあいいか、てなことだろう。景気が悪くなって、問題が表面化しただけなのだ。

景気が超調子いいタイにいるからこそそう思うのかもしれない。まあでもたしかに景気はいいほうがいい、のは間違いないけどね。やっぱり人が明るくなるんじゃないかな、景気がいいほうが。でも景気とは一体なんなの?というのはじっくり考えてみないといけないと思う。

景気とは、ある意味、人びとが向かう方向性、欲しいもの、やりたいこと、がはっきりしていて、エネルギーを注いでいる状態を言うのかもしれない。その活気の総量だ。マネーとは実は関係がないのかもしれない。

次の日本の景気が浮上するのは、みんなが「まさか」と思っていた生活を自分たちが実現できると知ったときなのかもしれない。そこに向けてみんながエネルギーをそそぎ始めたら。「まさかできるとは思わなかった」そこにしか未来はない、とぼくは断言する。

その「まさか」は、もちろん豊かさに関することになるはずだが、その豊さとは、個人の絶対感に基づくものになるはずだ。もちろん絶対感だけではないだろうが、よりその度合いが増すだろう。絶対感をぶつけ合うところに調和が存在できうる、というコペルニクス的発見によって、僕たちはもう一度歓喜の中に入っていくのだろう。


2/14/2013

親子ライダー



タイ人アーティストシリーズ。

仮面ライダーみたいんだね。家族かな。母と父がお面をつけている。子どもはウインクしている。お面の下には顔が描かれているのだろうか。

ここのところ、翻訳の宿題を結構片付けることができた。少しずつ集中力が戻ってきたようだ。翻訳スランプは脱したのかもしれない。

ひとつの理由は、いままでなんとなく基礎理論なく翻訳を続けてきたことにあるのかもしれない。というか、翻訳に基礎があるとは考えていなかった。いや、翻訳というよりは日本語の文章そのものかもしれない。

とにかく、ある時から自分が書いた訳文を「読みずらい」と感じるようになった。でも直し方がわからなかった。1つのヒントはあった。とある編集さんが、文を簡潔にする作業が大変だとつぶやいていたのだ。

例えば、「行うことができます」を「行えます」にするだけでずいぶんリズムがよくなる。なるほど。たぶん文章術の基本事項なのかもしれない。意識していなかった。その目で自分の訳文を見ると、「xxすることができます」のオンパレードだった。汗がでた。

まず、それを改善することから始めて、なるべく簡潔な訳文を意識しはじめた。まだ始めたばかりで、それが成功しているとは言えない。が、思わぬ副産物があった。それは、とにもかくにも「指針」が生まれたことで、途方に暮れていたところにやる気が戻ってきたのだ。

それまでは、書き直しても書き直しても、改善しているのかすらわからない、状態が続いていたのだ。最後は勘で提出。

いまでも最後は勘なのだが、それでも最低ラインが生まれた。冗長な表現はとりあえず削ってあるはずなのだ。

そして、ああ、翻訳を仕事にしているくせに翻訳の本を読んでいなかっことに気づく。そして、アマゾンで翻訳術なる本を見つけて買ってみた。まだ読みとおしていないが、「なるべく英語の語順で訳す」など、指針となりそうなことがいろいろ書いてあった。

なんだか少しほっとした。指針が手に入りそうだ。少なくとも「改善」への道が開けた気がした。

日本語だと思ってなめてたな、、これが今の感想である。英語はいまやっているテック系やビジネス系ならまあ理解できる(背景がわかるからね)。あとは日本語力だ。日本語は母国語だ。しかも国語は得意だった。そんなこんなで、翻訳にもスキルがあることをそれほど意識していなかったのだ。

話ちょっと変わるけど、たまにGoogle翻訳に負けることがあります。。20勝1敗ぐらいだけど、たまにGoogle翻訳のほうがすっきりした良い訳文を出してくることがある。たいていは、そんな文章おかしいだろ、って感じだけど、たまに、スコーンといい文章あげてくる。Googleあなどれない。

たまには仕事のことも書いてみました。


2/13/2013

涅槃ロボット



タイ人のアートシリーズ。ロボットの絵。なんかいいですね! ロボットが宇宙の果てで涅槃に入るところです。みたいな。下にちらばっているのも全部ロボットだよ。かわいいね。

フランス人のふうらい画家君が、この人の絵が好きだと言った。へーと思ってじっくり見てみて、あ、おれも好きだな、と思うと同時に、なんか真似したみたいでいやだな、と思う。と同時に、でも少し通じ合えたみたいでうれしいね、とも思う。恋愛かっつーの。画家君は男です。

絵を連続で見て行くという行為は、どこか心の琴線試しみたいなところがあって、自分がどの絵を気に入り、どの絵を気に入らないか、自分でも見てみるまでわからないし、へーこういうのが好きなんだって驚く事もあった。

不思議なこともあった。ある小さな男の子を一生懸命描いてるタイ人の若い画家がした。夜の10時くらいなのにせっせと描いていた。そいつの腕には入れ墨があって、よれよれのきたいないTシャツを着ていて、がりがりだった。

街であったら、眼中にも入らない。つまり、あまりに接点がなさそうな奴だった。ちょっと怖いような感じね。でも、そいつが絵の前にしゃがみこんで、せっせと絵の具を塗込んでいる。ブランコに乗った男の子だ。さびしいトーンだ。閉じ込められた世界にある永遠の公園、という感じの絵だった。

へーお前こんな絵かくんだ。なんでこんな絵かくんだろう? 話を聞いてみたい気もした。やはり絵とはなんらかその人の中の風景を描きだすものだと思うし、そんなムードが彼の中にある、ということだ。それってどんな感じ? まあ絵をみてくれればいいよ、ということだろうけどね。なんかそういうギャップが面白いな、と思う。

五味太郎さんは、美術館を早歩きでさささっと回るそうだ。自分が見るべき絵は向こうから語りかけてくる、みたいなことを言っていた。早歩きで十分なんだと。

バンコクの美術館でも回ってみようかな、と思う。美術館というより現代の作家の絵を見たい。今を生きている人の絵がみたい。そんな風に思ったのは始めてだ。タイ人の描いた絵が、思いのほか自分好みなのが多かったからかもしれない。歴史の残った名画ばかりが僕に「効果」を及ぼすわけではないはずだ。

以前、走馬灯の正体を教えてあげたが、今度はテレパシーの正体を教えてあげたいと思う。と思ったけど上手く書けなかった。まあ、わかると思うけど、受信機の問題で、すでに受け取ってるメッセージをゆがめなければそれがテレパシーになる。人間、いろいろ期待をするからどーしてもメッセージをゆがめて認知してしまうのだ。すでに受け取っているメッセージをそのまま感受できれば、人間の感情や頭の中なんて筒抜けでわかるだろう。

まあ思いつきだけど。あのロボットは、あの絵のロボットね。彼は、きっとわかりすぎてつらくなったから、ロボット涅槃に入りにいったんだろう。ロボットこそがテレパシー使いにもってこいだ。

なんのこっちゃあ、だな。今夜中だからさ。こんな感じ。


カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」のボディーブローが今頃効いてくるのを感じていた。読んだのはもう、4ヶ月前だ。いま、久しぶりに本を手に取ると、中は読んでないけど差し込むような痛みが。ボディーブローだ。

この本にも、テレパシー問題、いや、走馬灯問題なのか、が描かれていたのを思い出すからだ。期待が希望と作り出し、希望が情熱をねつ造する。それは確かに本物の情熱なのだが、どこか作り物だった。偽物の希望につき動かされて、主人公は半生を生きた。社会で活躍した。いつから?それが僕の疑問符だ。君はいつから気づいていたんだい? もしかすると、最後まで気づいていなかったのかもしれない。でも、きっとどこかでは予感が始まっていたはずだ。真実の予感が。表面的には、ある意味では、彼は偽物の人生を生きた。自ら作り上げた。でもそれは、結論的に偽りだっただけで、個別の断片的時間には、本物のときもいくらかは存在したはずだ。いや、たぶんもっと多くだ。

そこで次の問いが生まれる。果たしてそれではダメなのか?と。

ゲーテは死の間際に「もっと光を」と言ったとされている。カーテンを開けてくれと頼んだという。それは、なにやら詩人らしい最後のことばにも思えるし、ある人が言うには、それはある種の挫折を表しているそうだ。最後の最後になって自らの人生を挫折と知ったのかもしれない。だが、たとえそうだとしても、それではいけないのか、と問うことはまだできる。

「今を生きる」という言葉があるが、今を生きてしまっている、が正しいのではないか。なにがどうあろうと、あなたは生きてしまっているし、自分の中の時を止めることすら失敗しつづけている。眼をとじ耳を塞ごうと感受性は記憶しつづける。あなたにできることはそうは多くはないのだよ。いや、むしろ逆なのかもしれない。できることが多すぎてつらくなっちゃうくらいなのかもしれない。いったい何の話なのか。

遅れてきたっていいじゃない。はるか上空に舞い上がってふわふわと追いつけないできたあの日別れた分身が、遅れてきたっていいじゃないか。いま、あなたは、重ならなかった人生の、いや、重ならなかったという強烈な出会い方をしたあの女の手紙を読みながら、遅れてきた自分におかえりを言っているんだろう。そしてまたすぐ忘れてしまうんだろう。そうだ、君には愛する娘がいるからね。ジェニファーがね。

ちょっと主人公にうまいこと言ってみた。うまくもないか。なんだかわからなけど、なんか少しなぐさめてみたくなるのが、カズオイシグロの作り出す主人公なわけで、どこか知ってる人の感じがするのが、カズオイシグロの主人公なわけでね。

そんなこんなしてたら、iTunesから斉藤和義が流れてきて、空気を一気に消し去ってしまったので、ここで終わりにしまーす。




2/10/2013

影のところ注目!



影のところ注目!

最近ちぐはぐだ。最近でもないけど。ずっとだけど。重い重い腰をあげようとしたムエタイに行く予定が諸事情でキャンセルになって、逆にとくに乗り気でもなかったのに朝方まで酒飲んじゃったりして。なにやってんだろーって。時間もお金も使い方間違いまくりで。頭ではわかっている正しいことに一歩進まないこのジレンマ。というか怠け心よ。自分に失望する日々です。

律する心の弱さよ。ちくしょう。なんか腹立ってくる。くそー。

バンコクに波乗りできる海があればなあ。うまくいかねーもんだなあ。バリ島にもっと人がいてコワーキングスペースがあればなあ、、、オーストラリアやハワイの物価が半分だったらなあ、、なんて言っててもしょうがないんだけど。

タイ語を覚える気もすっかり失せた。だって英語で十分だもんね。というよりもっと英語スムーズにならないと。今日もオフィスのメンバーと4人くらいでコーヒー飲みにいったけど、おれだけ会話ついてけてないもんなー。タイ人だってついてけてるのに。なんだかなあ。

前向きな事言わないと、せっかくブログだから。

あーhideみたいなかっこうして歩いてみてーなー。真っ赤な髪して。今日はずっとhideを聞いてたよ。かっこいいよねー。好きだなー。かわいいし。

最近コーヒーがおいしい小さなカフェが家の近くにできた。なんとなく通ってる。豆がいいみたいね。そこでジャパニーズのビーフボールってのがあったから注文したら、ごはんがべちゃっとしてた。。そっちは得意じゃないみたいね、というか日本人が監修してないのかな。

うまいコーヒーがあれば、とりあえず朝を始めることができる。これはまじで。いいことか悪いことか知らないけど、朝ベッドの中でうだうだしてるときに、起き上がるきっかけを見失ってるときに、よし!おいしいコーヒーのみに行こう!と思うとさっと立ち上がれる。

HARRY GO ROUND聞いてるぞー。いま。かわいいいな、かわいいな。

ガンダム、hide、卵かけごはん。その共通点は。外国の連中にわからないなら、それでいいぜ、ということ。おれらだけで愛でてるからそれでいいぜ、100年遅れてこいや、ってこと。

なんの話だか。

また春に会いましょう、ってことだからね。



追記:
冒頭の絵の全体像載せ忘れた。これはバンコクのギャラリーで見たタイ人アーティストの絵です。



2/09/2013

大人の世界



チャオプラヤー川のほとりの下町。なんとなく昭和。狭い路地にこどもがいっぱい。駄菓子屋におばちゃんが鎮座。なつかしい気持ちになる。

バンコクの下町に引っ越したい気持ちにもなった。オフィスに通うのに1時間かかる。ちょっと現実的じゃないな。でもただ滞在するなら、下町のほうが楽しそうだ。物価もさらに安いそうだ。

昭和といえば、花柄のポットだ。象印だ。あのころは、花柄プリントのキッチン用品であふれていた。家具調コタツもあった。家具調とは何だ? 家具のような風合いの、という意味だろう。コタツはそもそも家具じゃないのか。つまりは、木の木目が印刷してあるピラスチック合板だったのだろう。それを木製の家具のように見て使ってね、という不思議な打ち出しだったのだ。

家具調のTVもあった。木目が入っていた。覚えている。家具調の車まであった。木目っぽいペインティングがほどこされていた。あれはいったいなんだったのだろうか。

「文化住宅」というのもある。ぼくは文化住宅の由来を聞いたとき、びっくりした。文化住宅とは、僕の中では、ちょっと家賃が安い木造2階建てくらいの古いアパート、という意味になる。高層マンションもいいけど文化住宅も味があるぜ、という感じで使う。

しかし、もともと文化住宅とは、文化的な生活を送れる住宅、という意味であり、庶民の、若い夫婦の憧れの的だったという。田舎の農家から出て来て、都会の文化住宅に住むのがステータスだった時代があった。それもまた昭和の一側面だ。

で、なんだっけ。

なんとなく、「言葉」やネーミングのおかしさ、とか、庶民はイメージを生きるんだ、とか、なんとかいう方面を書こうと思ったが、その気がなくなってしまったよ。

そして、いま、タイトルを「大人の世界」に決めた。
いま、思い出していた。神戸は三宮にあったお好み焼きやのことを。
おばあちゃんが1人でやっていて、深夜まで開いていて、何十年も使っている鉄板が油が盛り上がってでこぼこになっていて、でも、そこのお好み焼きが一番おいしいことを誰もが知っていて、それでいてすごく安くて、そばめしもあって、深夜族たちにこよなく愛されていたお好み焼きやのことを。

ぼくはそのころ、水商売のはしっこみたいなところでアルバイトしていて、そのお好み焼き屋には本格的な水商売のおねーちゃんやお兄さんたちが仕事空けに空腹を満たしにやってくるところで、なんとなく、わくわくしたものだ。

20そこそこの僕にとって、神戸三宮の夜の世界は「大人の世界」で、ちょっと背伸びしてはじっこにひっかかっておきたい、ちょっとした憧れの、未知の世界の、ドキドキさせてくれる入り口のような感じだった。夜の先輩たちに連れられて遊んでいることが誇らしかったりした。

そして、さらにさかのぼると、僕は覚えているのは、小学6年生くらいのとき、親戚のお兄ちゃんがよく車で僕の家にきていた。大学生だった。そして、夏休みになったら、友達同士で車で海へ行くと言っていた。

僕は、夏、家族や親戚一同で海へいった。海へと走る高速道路で、窓から山がちな景色を眺めながら、海の予感にわくわくしながら、窓から走り去る緑を目で追いながら、今頃、あのお兄ちゃんは友達と海へいっているのだろうか、と思った。そして、僕も大学生になったら、車で、自分たちだけで、男女混合とかで、海へ行くのかなあ、と思ったら、現実感のないわくわく感が襲ってきた。

そんな日がいつか来るとは到底思えない。小6と大学生ではあまりにも距離があった。僕もいつか親とじゃなくて、自分たちだけで、海へ。まさか、でも、普通だ。きっとそうなる。普通にそうなる。そう思ったらにわかにドキドキとしてきた。無視しておきたいくらいにドキドキしていた。

というように、大人の世界へ入る予感、その入り口にいるんだという臨場感、そういうものがかつてあった。

いま思う。大人の世界を欲している。自分が大人になったら、まわりに大人がいなくなってしまった。

いや、本当は今でも大人はいて、大人の世界は僕を待っているのかもしれない。ただ、かつてのように、ただ月日がたつだけで、彼らと同じになる、なってしまう、という人生に押し出されていく、生物として成長させられていく、というあの感覚だけはもう戻ってこないのかもしれない。それが生物的に子どもと大人の分かれ目なのかもしれない。

ああ、大人たちよ、ぼくもあなたたちの世界へ仲間いりする未来がくるのでしょうか。大人たちよ!

なんてことを書いている今聞いている曲はビックポルノの「キングタイマー」です。




2/07/2013

遊びのルール

こんな事を思い出していた。
小学生のとき、地面に足をつかない、という遊びをよくやっていた。あれは小学1年から6年までの親友、水野くんとの思い出だと思う。

地面につかないとは、つまり、石の上でも、ガードレールでもなんでもいいんだけど、とにかく少しでも地面より高くなっている何かの上を移動すること、というルールだ。

このルール1つで、家の周りがサバイバルの地と化す。大きな家のコンクリの塀を、数センチのわずかなでっぱりに足をかけながら、横へ横へと移動していくこともある。すっかり夕方だ。

それで半日は遊べた。なにが言いたいかというと、あの頃は自分たちで遊びを作り出していたんだな、ということだ。たった1つ、地面に足をついたら死亡ね、と言うだけで、めちゃ真剣に何時間も遊べた。つまりは半分くらいそんな気になって遊べたのだ。本当に地面に足をついたら、爆発する。そんな気持ちをお互いの中で高めて、若干張りつめた顔で、最初の壁にとりつくのだ。

公園でやったこともある。ブランコからシーソー、鉄棒から木の上へと、なんとか石の上などつたいながら、たまにどうしてもダメなときは3秒以内ならセーフなるルールを勝手に作り出しながら、ふたりっきりで永遠に遊んだ。

退屈するということがなかった。気にするのはもっぱら、あまり遅くなると親に怒られる、ということだったり、水浸しの服で帰ると親に怒られるということだったりした。つまりは、遊びを永遠と続けることができた。際限なく思いつくことができた。

いや、もしからしたら誇張や美化をしているのかもしれない。あの頃だってみんなで退屈して、おい何するー、何するー、と言いながら、誰もいいことが思いつかずにひたすらだらだらしていたり、つまんないから早く帰りたいな、とか思っていた日もあったにちがいのだ。とはいえ、いかなる環境でも遊びを作り出せた日々があった、という事実は否めないだろう。

振り返って、大人になった僕はよく退屈してしまう。時間があっても何もしたくないから寝ていよう、と思うことも多い。友達といても、別に話すこともないし、君とやりたい遊びもない、と思うこともなる。何が変わったのだろうか。ファンタジーを作る力が減ったのだろうか。

なんだか少しさみしいのだ。おい、何して遊ぶ? 会うなり顔つき合わせて、結局は何をしたって没頭してしまったあの頃がなつかしいのだ。

おい、みんなどういう気分で生きてるんだ? かつての同級生たちに聞いてみたいような、聞いてみたくないような気がする。モラトリアムというには長過ぎる時間をもう過ごしてしまった。空き地はあるのだが、遊びを思いつけない午後3時30分。まだ日が暮れるまでは時間がある。でも、何かをするなら今から始めないと楽しめない。でも、気がつけば空き地に一人で立っている。そんな風景が見えているのだ。

さみしーことを書いてしまった。感傷だ。

おかしなもので、一声かける相手はすぐとなりにもいるし、向こうにもたくさんいる。でも僕は、今から、ひとりでUCCコーヒーに行ってコーヒーを飲みたいのだ。そしてブログを更新したいのだった。さみしーのが好きなのかもしれないね。



手紙が届く

手紙が届くときの気持ちを忘れてしまった。

かつて、手紙をもらったのはいつだったか。絵はがきなら2、3もらったし、2、3出したりする。しかし手紙は。

切手を貼って封をして、手紙を出したのはいつだっかた。しかし、便せんを買いにいくのが好きだったのを覚えている。小学生のときだ。便せんと封筒のレターセットをいっしょうけんめい選んだ。

赤と青とストライプのついている、エアメール用の封筒があって、いつかこれを空の向こうのだれかに送ることがあるのだろうか、とふわっと考えた気がする。

僕はある時期から年賀状廃止論者になった。義理のように慌てて書きなぐるはがき、もらったら出さなくや、出したらもらわなきゃ、の気持ちになるのが嫌いだったのかもしれない。たんに「あけましておめでとう!今年もよろしく」ばかりを20枚も30枚もかくのがめんどうだったのかもしれない。

干支のマークを考えるのもめんどうだった。でも、母親宛に毎年送られて来る、きれいな重ね刷りですられたカラフルな年賀状を見るのが楽しみだった。それは母の昔の同級生かなにかで、すっかり年賀状だけの付き合いになってはいたようだが、それでも毎年、いろとりどりの刷り物を送ってくれていた。

年賀状をさぼり始めたせいで、連絡がつかなくなってしまった旧友も何人かいる。ぼくから年賀ループを断ち切ってしまった。少し後悔しているが、いまではFacebookのおかげでまた探し出すことが可能になった。それはうれしいことだ。


届かない手紙こそが手紙だということもある。
いや、届くのだ。たしかに届くのだが、それは、大きな手紙として届くのであって、紙にかかれた文字の列として届くのではないこともある。

お正月、バンコクで友達になった人たちと書き初め大会をした。ぼくは「手紙」と書いた。意味はわからなかった。あ、いま、少しわかった気がした。手紙とは、宛先があるものだ。そろそろ僕も宛先を書く年齢になったということなのかもしれない。

そういえば面白いことがあって、僕は絵はがきを書く時、宛先は最後に書くのだが、うっかり宛先を書きそびれた絵はがきは、数日でしなびてしまう。つまり、数日たつと、出す気がなくなってしまうのだ。そんなかわいそうな絵はがきたちが何枚もゴミ箱に消えた。

その日のうちに、宛先を書かれた絵はがきだけが、ポストへ投函されることになる。まあそれはただ、こんなくだらない雑事をわざわざ書き送る意味があるのだろうか?という疑問と戦うときに、宛先が未記入の絵はがきは、はなはだ弱い、というだけのことなのかもしれない。宛先が書かれてた絵はがきは、それはすでに手を離れたもので、あとはポストに投函されるのだが、それは、もはや手紙を書いたときの僕とはちがう僕が実行を任せられたタスクなのだ。それはただのタスクであり、ただ、郵便局まで歩き、ポストに投函するだけの仕事なのだった。

そんな手紙を意識しだした僕なのだが、絵はがきの裏に自分の住所を書かなくなった。バリ島にいるときは、郵便物が届かないことがあったからで、送ってもらっても届かないとわるいな、と気になる。また、いつでも気が向いたら引っ越ししようと思いながら生活しているので、来月同じ場所にいるかわからないからだ。出してもらった手紙を受け取れないことほどさみしものはないし、送り主から、届きましたか?と聞かれるのも無粋なことだ。と書きながら、でもなんだかんだいって今の部屋に半年は住みそうだな、と思って、なんだかばかみたいだな、と思う。


なんとなく今、書こうとしたことに近づけていないのを感じている。
ぼくが書きたかったのは大きな手紙のことだ。大きな手紙が届いたから、何度も読み返したけど、返事が書けずにいる、ということについて書きたかったのだ。

そして、直接手渡された手紙よりも、人を介して手渡された手紙のほうがうれしかったりするのはなぜだろうと考えたりしています。

まあすごく簡単にいえば、今、眠いのです。
今日は少し早起きの用事があったので、目覚ましで無理に起きたから、もう、脳が回転をやめたがっている。でもそんなときは、ブログなどを書くのに絶好のときなのであって、つまり、なんとなく、無責任な気持ちになれるタイムだったり、言葉がすべりやすいタイムだったりするのでしょう。

いったんおわる。





2/05/2013

もう少し書く


久しぶりなのでもう少し書いてみよう。

4月18日の羽田行きのチケットを買ったことによって、にわかにジャパンが近くなった。とはいえ、その頃はタイのお正月らしくめぼしいチケットは売り切れ。非常に便利の悪いチケットしか残っていなかった。たぶん到着は深夜、空港で夜明かしになるだろう。うっかりしていた。

タイの面白いところは、よくタイ人に間違えられることだ。この前も、公園でベルギー人と遊んでいたら、タイの学生グループが声をかけてきて、英語の課題でインタビューさせてほしい、と言う。そう、ベルギーくんに話しかけたあと、僕に向かってタイ語でなにかぺらぺらっと言った。ということなんでお友達をお借りしますね、という感じだろう。僕はいちいち僕だって外国人で英語も話しますよ、と言うのもおっくうなので、にっこり笑ってうなずいておいた。

タイには中華系がいるし、ミックスもいるので、アジア人ならほとんどタイ人と言っても通用してしまうだろう。服装だってみんなおしゃれで日本と変わらない。みんなiPhoneもってるし、iPadだって持ってるし、もう日本人を見分けるのは僕だって困難なくらいだ。

ということはつまり、ほぼ街に埋没してしまうことになる。あ、外人がいる、という目線では見られない。どっちかな?的な目線はときどきあるが、結構な確率でタイ語で話しかけられてしまう。最初は喜ばしかったが、外国人と話したい、というタイ人には逆に興味を持ってもらえないこともある。

まあどうでもいい話。あ、でもこうして外国にいるのに埋没してしまうというのはどこか居心地がいいものだ。これと同じことはニューヨークでも感じた。
数年前ニューヨークに行ったときは僕はまだ外国慣れしてなくて、どっからみても日本から来た日本人に見えたと思うが、人種の多様さがそれを凌駕した。いろんなところで道を聞かれたりした。おいおい、おれに道聞いてどーすんだよ!と不思議だったが、たぶん道を聞く人も観光客、アジア系も多いし、お互い見分けがつくわけはないのだ。

日本もそんなんになると面白い。街を歩くと、日本人の顔をしたけど外国人とか、完全なる帰国子女とか、日本のノリが通じない人がいっぱい歩いていたら、なんとなく自由な感じになるのにな、と思う。それが「いい社会」になっているかはまた別だけど、たぶん大丈夫だだろう。そんな気がする。もちろん外国人の顔をした外人がたくさんいるのもいいことなのだが、それだと日本人は甘えてしまう。

あいつらは外人だからということで外人モードに切り替えてしまうのだ。つまりは楽をするのだ。外人にどんな失礼を言われたって平気。年下にため口きかれたってかわいいものだ。だって外人なんだから。でも完全に日本人の顔したやつに日本語で話しかけたら、いまいち通じなかったり、完全に年下なのにため口でばばばっと言われたら、むっとするだろう。そして、当然のようにむっとした態度を見せた後で、相手が実は外国人だとわかったら。。恥をかくにはこっちだ。でも、生理的にはむっとしてしまう。そのはざまで苦しむがいいさ。

と書きながら、それはなんか疲れるなあ、などとも思う。いちいち、こいつはどっちだ?って気にしながら話しかけるのも大変だ。

またどーでもいい話を書いてしまったようだ。

どーでもいい話ばかりを書くのは、自分にとって今大事なことってやっぱりなかなか言葉にならないからだ。書いては消す、消しては書く、で、やっぱり消す、ということになる。

そういうものなのだろう。

このまえ久しぶりに紀伊国屋にいって、日本語の本を物色してみた。1.5倍するから買う気は失せてるんだけど、話題の本など立ち読みする。いろいろ見た結果、一番読みたかったのは椎名誠の新刊エッセイだった。「岳物語」の孫バージョン、みたいに帯に書いてあった。椎名誠にも孫だできたのだ。

僕は実は一番良く読むのは「新書」というか、何か誰かが社会についてもの申しているような本をよく読んでいたのだが、そのときはそーした本を手にとってぱらぱらしたとき、なんだかイヤーな気持ちになった。

社会学者たちの著書たちだ。普段なら大好物なのだが、なんだか、嫌だね、という気分になってすぐ放り出してしまった。

椎名誠の本は、冒頭、しきりに一人称の呼び名について悩むことから始まる。この本をどの一人称で始めればいいか。僕というほど若くないぞ、私などと言うのもたいそうだ、俺が一番しっくりくるのだが今回はなんか違うぞ、わしも使い易いのだがやっぱり違うな、そこで椎名誠はおもぬろに宣言する。「読者たちよ!! 今回は”私”でいくぞ!」と。(記憶がたしかならね。)

おーーと拍手したくなる。うれしい気持ちになる。ぼくは読者たちのひとりなのだ。いまたしかに語りかけられたし、これからもそれが続くのだ。

今思えば買えばよかったなあの本。。そのときは知人のプレゼントを買いにいったので、自分用の本は買わないと決めてしまっていたのだ。

そしてずっと図鑑のコーナーをうろついていた。そして学研の動物図鑑を手に取ったら、ふとある記憶がよみがえった。それは、子どものころぼろぼろになるまで読んでいた動物図鑑にあったアライグマの解説文だ。いろいろ説明が書いてあって最後のしめくくりに、「うっかり近づくとなかば引きずりこまれる。」みたいな文がスパッっと書いてあったのだ。なかば引きずりこまれる?? こどもの僕は「なかば」の意味がわからず悩んだ。しかし、なにやら恐ろしい事が書いてあるのは間違いないようだった。アライグマが爪をがっとのばして僕を穴蔵に引きずり込む映像が繰り返し浮かんだ。それがいわばプチトラウマになった。そのイメージを浮かべては、アライグマ怖え〜と武者震いしていた。よく見ればイラストもどこか凶暴そうに書いてあった。

で、あれは今でもあれなのか!とアライグマを探してみたが、その解説文はなく、当たり障りのないことが書いてあるだけだった。あれはぼくの記憶違いなのだろうか。。

てなことを思い出したり、僕がバリ島でめっちゃ好んで食べていた「バターフィッシュ」なる魚のお姿をはじめて図鑑で拝見したりしながら、うーん図鑑ってやっぱり面白い、とうなっていた。だからプレゼントに図鑑を買った。

図鑑も絵本も、こどもからこどもへと受け継がれていくものだ。紙も丈夫だし。だから図鑑や絵本は普通の本とはちょっと違うのだ。紙の本は自分の興味のため、知識欲のため、そのときの気分で買ったりする。勉強用だとしても、まあ自分用だ。
でも図鑑や絵本は、買うときから未来が少し顔をだしている。図鑑や絵本はきっと、親戚や近所や自分のガキに手渡され、ぼろぼろにされる未来を予見している。それが図鑑の運命だ。

時にはラジコンカーのジャンプ台にされ、ときには昼寝の枕になり、ときには兄弟げんかの武器になりながら、踏みつけにされ、繰り返し開かれ、とじ糸がほつれて飛び出すころには、すっかり飽きられ見向きもされなくなる。成熟したのだ。もはやゲームやワンピースのほうがずっとずっと面白いというわけだ。

でもまた、どこかの小さなこどもが動物図鑑を見つけ、開き、指をさす。キリンさん!











ジャグリング


先週末は珍しく予定がいっぱいだった。ほんとに珍しいんだけど。

金曜は、帽子屋さんとフランスの風来画家と一緒にバンコクのアートギャラリーを見学に行ってきた。20組くらいのアーティストがアトリエ兼展示ブースを借りて、おのおののアートにふけっていた。素人目に見てもレベルが高い。

ぶらぶら見てあるくうちにあることに気づく。たいていの画家が、同じものの絵をたくさん書いていることだ。同じキャラクター、同じ人物、同じモチーフ。そういえば奈良美智とかもそうだったなあ。

僕は絵を描かないのでわからないが、何か同じキャラを繰り返し書く必然性があるのだろう。なんか不思議だな、と思う。例えば書く事に置き換えるとどうなるのだろう。同じテーマについてたくさん書く?なんとなく違うきもする。

フランス人の風来画家は日本にもよく行くそうで、日本のインディーズミュージシャンの曲をたくさんiPhoneに入れていて、タクシーの中で聞かせてくれた。いろんな国のイベントに呼ばれて渡り歩く日々だそうだ。なんだかいいなあ、それ、と思う。

土曜日は、ラオス行きと帰りの電車で偶然一緒になった友達と久々に遊んだ。彼の住む場所まで行ってきた。チャオプラヤ側のすぐ近くだ。僕が住む地域とちがってかなりローカルで車も少ない。路地で写真を撮っていたら子どもたちがピースした。

公園でジャグリングを教えてもらった。彼はとっても上手だ。3ボールに挑戦するももちろんすぐにできるわけではない。でも普段使わない脳を使った気がして疲れたけど楽しかった。彼の彼女と待ち合わせて近くのカフェへ。

お前はプールをやるか?聞かれる。いやー水着もってないよ〜と不思議に尋ねると、いやいやこっちだよ、とビリヤードを突くまねをした。
3人でビリヤードをした。タイ式のビリヤードは日本のナインボールとはちがって、玉を15個つかう。もう何年かぶりだったのに、生涯で一番いいぐらいの出来だった。不思議。ビリヤードてスキルじゃないのかな。精神状態により大きく左右されるのかもしれない。とてもリラックスした時間だった。

日曜日は、知り合いの誕生パーティーに呼ばれて料亭へ。プレゼントを買っていこうと昼前からデパートに出かけたが、何を買えばいいのかわからず、5時間も徘徊してしまう。人のプレゼントは鬼門だ。自分ならこの予算で何を買うかな?と自問するが、ポロシャツがもう1枚必要だ、とか、パンツを買い替えたい、とか、日本語の本を何冊か買うぞ、とか、実用的なものしか浮かんでこなかった。

本も服も人にあげるには難しいものだ。結局、さんざん迷ったあげく、図鑑を購入。めったに自分で買うもんじゃないから、まあ暇つぶしになるしいいかな、と思う。

そして、会場につき、気がついたら徹底的に酔っぱらっていた。焼酎をがぶ飲みしたらしい。酔っぱらいついでに酔っぱらい占いと称して、同じテーブルにいた全員にあることないこと放言してきた。何人かは気分を害し、何人かは感心してくれた。またやっちまった。。まあ暴れたりするよりはずっといいでしょ、と自分をなぐさめつつとぼとぼ徒歩で帰った。

ジャグリングを続けるように、毎日3分間やるように、という言いつけを今日も守った。