2/09/2013

大人の世界



チャオプラヤー川のほとりの下町。なんとなく昭和。狭い路地にこどもがいっぱい。駄菓子屋におばちゃんが鎮座。なつかしい気持ちになる。

バンコクの下町に引っ越したい気持ちにもなった。オフィスに通うのに1時間かかる。ちょっと現実的じゃないな。でもただ滞在するなら、下町のほうが楽しそうだ。物価もさらに安いそうだ。

昭和といえば、花柄のポットだ。象印だ。あのころは、花柄プリントのキッチン用品であふれていた。家具調コタツもあった。家具調とは何だ? 家具のような風合いの、という意味だろう。コタツはそもそも家具じゃないのか。つまりは、木の木目が印刷してあるピラスチック合板だったのだろう。それを木製の家具のように見て使ってね、という不思議な打ち出しだったのだ。

家具調のTVもあった。木目が入っていた。覚えている。家具調の車まであった。木目っぽいペインティングがほどこされていた。あれはいったいなんだったのだろうか。

「文化住宅」というのもある。ぼくは文化住宅の由来を聞いたとき、びっくりした。文化住宅とは、僕の中では、ちょっと家賃が安い木造2階建てくらいの古いアパート、という意味になる。高層マンションもいいけど文化住宅も味があるぜ、という感じで使う。

しかし、もともと文化住宅とは、文化的な生活を送れる住宅、という意味であり、庶民の、若い夫婦の憧れの的だったという。田舎の農家から出て来て、都会の文化住宅に住むのがステータスだった時代があった。それもまた昭和の一側面だ。

で、なんだっけ。

なんとなく、「言葉」やネーミングのおかしさ、とか、庶民はイメージを生きるんだ、とか、なんとかいう方面を書こうと思ったが、その気がなくなってしまったよ。

そして、いま、タイトルを「大人の世界」に決めた。
いま、思い出していた。神戸は三宮にあったお好み焼きやのことを。
おばあちゃんが1人でやっていて、深夜まで開いていて、何十年も使っている鉄板が油が盛り上がってでこぼこになっていて、でも、そこのお好み焼きが一番おいしいことを誰もが知っていて、それでいてすごく安くて、そばめしもあって、深夜族たちにこよなく愛されていたお好み焼きやのことを。

ぼくはそのころ、水商売のはしっこみたいなところでアルバイトしていて、そのお好み焼き屋には本格的な水商売のおねーちゃんやお兄さんたちが仕事空けに空腹を満たしにやってくるところで、なんとなく、わくわくしたものだ。

20そこそこの僕にとって、神戸三宮の夜の世界は「大人の世界」で、ちょっと背伸びしてはじっこにひっかかっておきたい、ちょっとした憧れの、未知の世界の、ドキドキさせてくれる入り口のような感じだった。夜の先輩たちに連れられて遊んでいることが誇らしかったりした。

そして、さらにさかのぼると、僕は覚えているのは、小学6年生くらいのとき、親戚のお兄ちゃんがよく車で僕の家にきていた。大学生だった。そして、夏休みになったら、友達同士で車で海へ行くと言っていた。

僕は、夏、家族や親戚一同で海へいった。海へと走る高速道路で、窓から山がちな景色を眺めながら、海の予感にわくわくしながら、窓から走り去る緑を目で追いながら、今頃、あのお兄ちゃんは友達と海へいっているのだろうか、と思った。そして、僕も大学生になったら、車で、自分たちだけで、男女混合とかで、海へ行くのかなあ、と思ったら、現実感のないわくわく感が襲ってきた。

そんな日がいつか来るとは到底思えない。小6と大学生ではあまりにも距離があった。僕もいつか親とじゃなくて、自分たちだけで、海へ。まさか、でも、普通だ。きっとそうなる。普通にそうなる。そう思ったらにわかにドキドキとしてきた。無視しておきたいくらいにドキドキしていた。

というように、大人の世界へ入る予感、その入り口にいるんだという臨場感、そういうものがかつてあった。

いま思う。大人の世界を欲している。自分が大人になったら、まわりに大人がいなくなってしまった。

いや、本当は今でも大人はいて、大人の世界は僕を待っているのかもしれない。ただ、かつてのように、ただ月日がたつだけで、彼らと同じになる、なってしまう、という人生に押し出されていく、生物として成長させられていく、というあの感覚だけはもう戻ってこないのかもしれない。それが生物的に子どもと大人の分かれ目なのかもしれない。

ああ、大人たちよ、ぼくもあなたたちの世界へ仲間いりする未来がくるのでしょうか。大人たちよ!

なんてことを書いている今聞いている曲はビックポルノの「キングタイマー」です。




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