4/26/2013

伊豆にいったり

知人を尋ねて伊豆にいったりしていました。

伊豆は2回目。朝の小田急線に乗って向かいます。朝の7時台、東京方面とは逆向きなのにかなり混んでいて、小田原ちかくまで座われませんでした。東京(を中心とした生活圏)って本当に広いんだなーってあたらめて思います。バンコクは、30分も電車に乗れば、端から端までついてしまいます。

久しぶりに日本に来て、見かける人がぜんぶ日本人かと思うと、妙にわくわくしました。この人たち全部、しゃべりかけて知り合いになることができます。友達の友達とすぐに友達になれる。そういうのがやはり東京はスムーズです。バンコクではあれほど苦労している友達づくりが、サクサクいきます。そうだ、やっぱり環境だったんだ。と一応、環境のせいにしておく。

伊豆へ向かう途中。真鶴あたりで海が見えた。サーーっと広がる深く少し色あせた群青色の海が見える。海はいい。やっぱり海はいいな、と思う。伊豆では、図書館を作る手伝いをしました。送られてくる寄贈書をパソコンで登録していく作業です。古い本もたくさんありました。ぱっと手にとって、きれいだけど古そうな本だなと思って発行日付けをみたら、40年前の本でした。40年。。本ってもつんだなー。物理的に保存がきくんだなって改めて思う。40年の時をへて、僕の手の中にある。ページをめくることができる。やっぱり紙の本で残しておくってことが何か大事なことな気がした。紙の本を旅をする。電子書籍も旅をするのだろうか。

会う人ごとに、いつまで日本に?と聞かれる。あいまいな答えを返す。別に帰る場所があるわけでもない。ああ、本当の根無し草になったんだな、と思う。東京で久しぶりに会った友人たちはみんな地に足付けて生活をしていて、街に根を下ろしている。街の友人たちとリアリティーを共有しながらしっかり結びついて生きている。僕はもうその輪の中にいないんだな、としみじみした。すぐにこの地を離れていく人、昔の仲間からさえもそんな目で見られている気がして、さみしいような不思議なような感じがした。もちろん、僕自身がそう言っているのだから当然のことなんだが。

それでも、友人たちが家に泊めてくれたり、会おうと言ってくれるのはうれしいものだ。不思議な気がする。自分は淡白で冷たい人間であることを知っているからだ。だが、もうそういうことで自分語りをするのもよそう、と思う。友人に会う、ということが昔より大事なことになってきている。お互いに会いたいと思える友人がいる、それは得難いものかもしれない。一杯の杯をともに傾けておいしい、それは得難いものかもしれず、まさに、友あり遠方より来る、また楽しからずや、なのであろう。

日本に帰ったら本を読みまくるつもりでいたが、その気持ちもすっかり薄まっている。不思議なものだ。


4/22/2013

晴れたね

東京がやっと晴れてくれました。毛布と寝袋にくるまって迎えた朝、窓一面の朝日を見て、うきたちました。嬉しいな。あったかいのはいいですね。

今日は、新宿に免許の更新に行って来たのですが、失効手続きが必要とのことで、試験場に出向かなければならないようです。ああ面倒だ。でも、あと一ヶ月の猶予があるらしく、少し落ち着く。まあ失効してもいいかも、ぐらいのペーパーなんですが。

そして、新宿の人の波に圧倒されて、そそくさと吉祥寺へ帰還。やはり落ち着く。地元感が出て来ている。これまでの一年半がまるでなかったかのような錯覚を覚える。一瞬の夢でも見ていたような、超短期の旅行から帰ってきただけのような、そんな気持ちになる。全部知ってる感じだからか、まだたくさんの友人が住んでいて、ひととおり会ったからか。

そして、いつのまにか使える電源カフェに変身していたエクセルシオールへ。カウンター席に1つづつ電源タップがあり、みんなPCや勉強などしている。いつ来てもほぼ満席だ。

今朝は、久しぶりに井の頭公園を朝の散歩をした。泊めてくれているタクローくんと散歩した。ここは、バリ島に発つ前、毎朝のようにタクローくんと散歩して、語り合った場所だ。お互いに動き出す前のウダウダとした状態にいたあの頃。懐かしく、日だまりの中で思いめぐらした。いったいあの日々はなんだったのだろうか。あれから何か変わったのだろうか。

なぜこんなに居心地のよい吉祥寺を離れようと思ったのだろうか。なんか、思い出せないような感じ。言葉では言えるけど、実感をともなっては言えなくなっている感じ。タクローのほうもずいぶん生活のあれやこれやが変わっているから、なんだかあの日々をうまく思い出せないで、じっと池のほとりでひなたぼっこしていた。

そして、人に会うごとに話すことになる、バリ島、バンコクでの生活ぶりについて、あんまりバラ色のことなど言えず、もっと悠々自適にやってるんだと思ってた、などとがっかりされながら、何か興味深いことでも話してあげたいと思いながらも、とくに口をつく言葉もなかった。

自分自身、なんであれほども長くバリ島やタイにいたのか、そして、東京の楽しさを感じながらもまたタイに帰るのだろうなと思っているのか、わからないでいるのだが、あえて言葉を探すならば、もっとわけのわからない状態になりたい、というおぼろげな願望なのだろうかと思った。

吉祥寺のゲストハウスに仲間と住んで、渋谷のオフィスに通い、金曜日は酒を飲んで週末は本屋と公園を巡る。

バリ島に住んで、朝から夕方まで仕事して、日が暮れるころにサンセットサーフィン。夜は読書。たまに仲間と酒を飲み、語らう。

バンコクのコワーキングスペースで国際的なフリーランスたちと机をならべ、夜9時、遅めの仕事がはけたら、近所の屋台でビールを一杯。つたない英語でたわいない話をする。

どの生活も、それで事足りるような気がするのに、でも何かが決定的に足りないのだった。それは恋人だろうか? それは、一緒に仕事をする仲間だろうか? 親友だろうか? 家族? 出会い? パーティー? エクササイズ? 勉強? やりがい? 刺激? 安らぎ? 夢? 現実? 


いや、足りないわけではないのかもしれない。ただ、いつだってただ不満なだけなのかもしれない。不満でいたいのかもしれない。

とはいえ、今日も翻訳の依頼メールが送られてくる。ほぼ平日は毎朝、送られてくる。ピコンという音をたてて、「本日の編集候補です」と編集者からメールが送られてくるのを見ると、やべ、溜めてる分を早く片づけないと、という焦りとともに、ありがたいことです、とほっとする気持ちがする。まだ出版社の人たちとは顔を合わせたことがない。顔もしらずに仕事を送ってくれる、不思議な足長おじさんのような気がした。でも、今週、会いに行く。









4/21/2013

帰国の洗礼

いま、ジャパンからの手痛い洗礼を受けています。まず、なんだこの寒さは。あったかい服など持ち合わせていません。毎日震えています。今日は友人にダウンジャケットを借りてきました。なんとかそれで一息。春のぽかぽか陽気を期待していた僕には、まるで日本が歓迎してくれていないと感じてしまいました。

とはいえ、やはり友人たちと会い、語らうのに勝る楽しい事はありません。あーーたのしいなーーー。日本はやっぱりいいな!

ところが、そんな今なのに、僕は風邪を引いてしまいました。しばらく風邪なんてひいてなかったのに。たぶん微熱かなんかあるのでしょう、頭がぼーーっとしています。なんだよ、こんなに毎日友達に会う日々なんてそうそうないのに、なんでよりによって風邪ひくんだよ、と自分の体を叱責したいところですが、調子に乗って何時間も水かけなんてやってたのはお前のほうだろう、と言われて返す言葉がないのです。

ソンクラーーンの後は風邪を引きます。みなさん、気をつけて!
そんなこんなでぼくは、本来なら寝ていたいところを、重い体を起こし上げて、今日も友達に会いにいく。そしてもちろん、カフェでお仕事にいそしむ。ふう。喉が乾き、トイレが近いです。風邪です。

ということなので、とりあえずあんまり予定を詰め込むのをやめにしました。すでにある予定をこなすので精一杯です。なので、しばらく待ってくださいね。5月に入る頃には、体調も取り戻してるはずです。しかし、寒いぜ。

久しぶりの日本、居心地のよさがはんぱないので、思わぬ長期滞在になるかもしれません。もちろん、諸条件が許し合えば、ですが。。

しかし面白いものですね。一年半前、東京からバリ島へ飛んだとき、夜の便で到着し、朝、静かで真っ青な海に連れていってもらって風の音を聞いたとき、視界に収まりきれないほど広い青空を見上げたとき、ああ、おれは、疲れていたんだな、東京で、としみじみ思ったものでした。東京は物理的にも精神的にも慌ただしすぎたんだ、としみじみした。ところが、いま、逃げてきたはずの東京に戻ると、こんなに楽しい場所ある?ああ、おれは海外にいて、さみしかったんだな、もっとこうやって友人たちと毎晩、語らいたかったんだな、などとしみじみしてしまったのです。

もしかすると、どちらが良い悪い、どちらが自分に合ってる、あってない、ということではなく、ただ、移動するとしばらくは楽しい、というだけのことかもしれません。いま東京が懐かしくて新しい場所に感じられていますが、2週間後はどうなのか。それはわかりません。

といいながらも、今日は古巣の仲間たちがお好み焼きを焼いてくれるというので、そそくさと行ってきます。たぶん、ソファーでぐったりすることになるのですがね。カフェで3時間くらい仕事してたらもう頭がぼうっとしてきました。

しかし、物価はほんとに高いね東京! 財布を開くたびに、ああいつまでも日本にいると大変なことになるぞ、と危機感が襲ってきます。早くアジアへ逃れなければ。。

どこへいってもお金の苦労から逃れられない、そんな日々です。疲れます。でも、まあ、とりあえずは生きております。




ソンクラーーン最終日。

無事に帰国しています。

しかし、その前に、15日のソンクラーーン水かけ祭り最終日についてかくべきでしょう。バンコク最大の激戦地帯と言われるカオサーン通りに行ってきたのです。人ごみに行きたくないと渋るマイケルに、とりあえずどんな感じかだけでも見たいから、といって無理矢理ひっぱっていきました。

もう少し過去のことなので、多くを語る気はないですが、パーティーがあまり好きでない僕でも夢中になってしまった5時間でした。
歩くのもままならない、そう、大晦日の初詣状態で歩きながら、沿道からは氷水がびしゃーん、びしゃーんと飛んでくる中を、こっちも水鉄砲で打ち返しながら、クラブ系DJの爆音の中を、お立ち台の上から踊りながら大砲みたいなやつで水をびしゃびしゃ浴びせてくる中を、うおりりゃー、水かけてやるぜー、誰やいま顔面狙ってきよったのは!あいつか、ほらマイケル、敵発見だ、撃て撃て!こら、やっちまえ!あ、水がきれた、補給だ、補給だ、しっかし疲れたちょっとビールでも飲もか。うわ冷て、背中に氷水ぶっかけられたぞ今! こっちも氷水や、めっちゃめちゃ冷たい水補給しよ、どこや、どこで入れれるんやーーー!

という狂乱が昼から深夜まで続くのでした。僕たちは5時間くらいで、マイケルが、「Maybe I feel tired (ちょっと疲れたかも)」みたいなこと言い出して、それを俺が、あと30分いいだろ?的に押し問答していたところを、マイケルが、オーケー、でもとりあえず、出口の方へ歩きながら水鉄砲撃ったらいいんじゃない?みたいに言うところを、いいよ、じゃあそうしよか、と歩き出したところを、ガツっと音をたてて遂に俺の水鉄砲のポンプが折れた。それで、やっと本気で帰る気になれて、あ、壊れてもうた、どうしよ、とマイケルのを顔をみれば、ものすごーーーくほっとした顔で、「つまり帰れというサインだね」と言うので、「まあそういうことやな」と言ってやっと帰ったのだが夜11時ごろになっていました。ちなみに夕方6時頃にインしたはずです。

面白すぎた。それがぼくの感想です。でもマイケルはそれほどでもなかったそうです。そして、多くのタイ人たちも、そういうのは10代で卒業したよ、と吐き捨てるように言っていました。そんなお祭り、ソンクラーーンです。でもタイ人の大人もいっぱいいました。

とりあえず、ソンクラーーンの報告はこれで。

4/15/2013

ソンクラーンは水びたし


4月13−15日はタイのお正月です。ソンクラーンといいます。
そして、盛大な水かけ祭りの日でもあります。

13日はさっそく水かけイベントに行ってきました。
まずは、チットロム駅ちかくセントラルワールドの特設会場です。飲料メーカーがスポンサーになって、コンサート&水かけのイベントが開催されていました。

まず当日の朝、出歩くだけで水をかけられると聞いていたので、完全武装を試みます。といっても、上はTシャツ、下は短パン、ビーサンでOK. ただし、携帯と財布を守るため、あらかじめ買っておいた防水ポシェットを装着します。そして、おそるおそるアパートの外へ出てみると。。あれ? なにも起きていません。人々は普通のかっこうで普通に歩いています。あれ?水かけないの? 

そのまま待ち合わせ場所のショッピングモールまで10分ほど歩きます。何も起きません。してショッピングモールは全く普通に営業しており、人もわんさか詰めかけていました。あれあれ?なんか聞いてたのと違うな。若干テンション下がりながら、友達と合流。

オフィスのスタッフたちが手伝っているイベント会場へ急ぎます。会場に近づくと、特設会場で子どもから大人までが200人くらいかな?もっとかな?入り乱れて水をかけていました。でも、思ったよりずっと小さな規模です。普通のデパートの夏祭り、といった風情。うーん、なんかがっかり。でもせっかくなので、入り口で水鉄砲を購入して、集団の中にインしてみました。

そこかしこから水が飛んできます。気がついたら戦闘モードになって、そこらじゅうの奴らと水のかけあいをしていました。ビシャーーと顔に水がかかります。振り向くと、子どもがこちらを狙っています。すかさず応戦。すると今度は右前方2時の方向から、ドハーーっと大量の水。バズーカ砲みたいなのをもった外人が撃ってきます。そちらにも応戦します。とやっていたら、当然水浸し、あっという間に2時間ほどたっていました。

そんで、たいがい遊んで次どうする?ということに。いま午後3時。友人のうち2人は疲れたということで帰宅。もう一人と一緒に、最大の激戦区と言われるシーロムエリアに移動します。駅についたら。。。もう人だらけで動けない!駅から降りて最寄りのファーストフード店にいくまでに、30分くらいかかりました。花火大会を思い出してくれればそんな感じです。そして、そこに行くまでにもう水浸しの、粉かけられまくりです。

なんとか腹ごしらえとトイレをすまし、改めて外に出てみると、、なんでしょう、道路いっぱいに人がそぞろ歩いています。うん万人という人でですね。ほんと花火大会だと思えばいいです。それで、当然水の掛け合い。消防の放水車が出て、水をぶっかけてきます。もうカオス。怖じ気づいたぼくらは、ちょ、ちょっと、はずれの方へ歩こうね、ということで、一番の密集地帯を避け、集団の外の方へ移動。それでも人、人、人、です。途中、粉を顔に塗られます。ハッピーニューイヤーと言っています。あ、そうか、これニューイヤーのお祭りだもんね。みんな楽しそうです。

途中、泡の出るマシンが置いてあって、みんな泡をかぶって遊んでいます。ぼくらも泡を浴びにいきます。なんだかんだわけがわからず、とりあえず集団を抜けます。疲れた。。ちょっと座りにいこうということで、集団を離れ、道路を歩いていきます。しかし、そこもまた戦場でした。道のところどころに巨大なバケツが置いてあり、子どもたちが待ち構えています。通りかかると、びゅんびゅん撃ってきます。車からも飛んできます。ここも戦場なんだ、、俺たちも応戦します。水浸し、粉だらけ、へとへとになってなんとか屋台街に到着。ご飯を食べました。もう疲れきって少し寝てしまいました。いま夕方5時くらい。人ごみに疲れたので、集団から離れる方向へお散歩。ところどころに水かけ部隊がいて、かけてきます。たまに氷水をぶっかけてくる奴もいます。つめてーー。

一駅ほど歩いて、駅の階段に座ってお休み。一時間くらい動けません。夜はどうする?クラブのある地域でもいってみる?ということで、動き出しましたが、途中で、なんか今日はもう無理だね、ということで解散に。もう体が追いつきません。8時くらいに屋台でラーメンを食べて帰宅しました。そんなソンクラーン初日でした。

ちなみに2日目の昨日は、午前中にチャトチャックのウィークエンドマーケットに買い物に。頼まれていたシルバーアクセを見に行ったのですが、お店もけっこうシマッってて、いまいちいいのがなく、残念。歩き疲れたので、フットマッサージ、45分600円に。
あーきもちいいー。途中で寝てしまいました。そして、昨日の疲れが残りまくりの体と、フットからくる心地よさ、マーケットのにぎわい、よく晴れた空を見ていたら、なんだか、気持ちが前向きになってきました。んー、いろいろ考え過ぎていたなー、まあ、あれがだめならこれでいこう、みたいなw 

そして、午後家に帰ったら、睡魔が。もう体も動きたくないと訴えています。夜に水かけに行きたかったのですが、この日は休憩日とすることに。ひたすら寝ていました。

そして今日ソンクラーン最終日、夕方くらいから、最大の激戦区カオサンを攻める予定です。それまで体力が持てば、ですけどね。。




4/10/2013

結局なんとか

今日は、記念すべき、人生で2冊目の洋書を読了した。日本語で「クローディアの秘密」と題する児童書だ。7割くらいの理解だが、面白かった。ちょっとうるっときた。英語の本でうるっとくるのって、なんか新鮮だ。

しかし、2冊目でわかる通り、僕は洋書を読むのがすごく苦手だ。翻訳を一年やってるのに、本は読めない。新聞も読めない。なんか別のことらしい。でも、なんとか洋書を読めるようになりたいと一念発起して、数々挫折してーの、やっとたどり着いたのが、薄い薄い児童書だった。友達に、いいよ!と教えてもらった本だが、たしかに良かった。

まあ、春だし、なんだかちょっとだけ気分がよくなっているようだ。タイではまったく気候がちがって、いまはむしろ真夏なのだが、それでももはやDNAに刻まれているのか、春がきたんだな、って感覚に少しなっている。日本から入って来る情報のせいかもしれない。

今日、タイの昔話を教えてもらった。嫉妬深い娘と、腹違いの気だてのよい娘の話だ。嫉妬深い娘が意地悪なことばかりをする。でも、最後は気だての良い娘が幸せになるというハッピーエンドらしい。タイ人たちはどんな昔話を聴いて育ってきたのか、にわかに興味がわいた。タイ語はまったく読めないので、タイ語の絵本を読む、あたりを今後の目標にしてみようか。

最近、なんかふと、「利益団体」を作りたいと思い始めた。というのは、夜な夜なインタネットを徘徊して、いろんな人の世直し論を聴き過ぎて、正反対の意見をいう専門家やなんやで頭が混乱してきて、結局、何がいいやらよくわからん、という結論に至る。

どういう日本になれば、人々が幸せになれるのか。ひいては俺が幸せになれるのか。それが見えない。短期的よくても長期的に悪いとか、いろいろいろいろ考えることはある。だから、もうわかんないから、自分と自分の知り合いだけがハッピーになるように助け合っていけばいいんじゃないか、って思うようになった。

とりまそこに力を集中したほうが。でも、じゃあどうすればいいかはわからなかった。ただ、そう思った。身近な人だけが幸せならそれでいいかも、って。とりあえずはね。というか、まあ、不特定多数にとって何がいいことなのか、わからないからさ。体感的にわかる範囲で考えていけばいいやんね、ということで。

というかね、サーフィンしたい。もうバリ島も乾期になった。いい波来てるはず。海に浸かりたい。最近、不健康だと自覚がある。体がバリバリだ。海に浸かってわーーって言いたい。サーフィンしてるときは、知らずと大声だしてた。キターーーとか、言ってた。ふう。でも総合的にはバンコクのほうが心は安定しているみたいな気はする。毎日あいさつする人々がいる。それだけで少し気分が定まるし、週末にひとりで街や本屋をうろつくことができる。それも必要。

なんか、気がついたらまたオフィスに俺一人になっていた。もう夜の9時になるのだ。なんというか、人生何があるかわからないようで、きっちり自業自得だったりもする。とにかく、晩年に、死ぬ間際に、「結局なんとかなったなあ」と言って死にたいものだ。









4/09/2013

英語とはいえ

先ほど、英語ができればどんだけいいのか、と書いたが、書き終わったあとで、あれ待てよ?と思う。

例えば、アメリカの貧困層。かれらは英語ぺらぺらのはずだ。母国語だから当然だ。なのになんで貧困なのだ。アメリカに職がないなら、アジアにくればまだそういう優遇されるし、英語教師の職もある。

まあここで、教育レベル、という壁があることにも気づく。英語がぺらぺらのアメリカ人だって、教育されてなくて、ヤンキーことばしか話せないようでは、英語教師もできないだろうし、ましてや企業は雇わないだろう。

だから、英語圏の奴は英語だけで飯が食えるからいいね、というのは撤回すべきだろう。そこまでじゃない。

とはいえ、英語を1つの学習科目だとすると、ほかの科目に比べて現実的な使い勝手が段違いに大きいぞ、とは断言できる。まあ今の学校教育でいい成績とっててもだめだけどね。もっと無意識でぺらぺらしゃべれるレベルまで行かないと。ま、そういうところで、英語の話はいったん終わろう。


しかし、円安こまるぜ。
おれ怒ってるぜ。一生懸命仕事してても、日銀がちょっと円を刷ったら、相対収入が1割2割と減って行くんだぜ。タイのバーツに変換したときに。家賃が3万円だと思ってたら、いつのまにか3万5千円になってたら、怒るよね? というか、とにかく俺は円高のほうが絶対的に都合いいので、アベノミクスを早く見直して欲しいです。

というように、今の時代、大きな変動に右往左往させられる時代なんですね。リーマンショックなんて、株とか買ってなくてぜんぜん関係ないのに、あおりをくらって失業した人もいっぱいいますよね。困るよね。株買ってた人だけが損するなら自業自得だけど、サブプライム?なにそれ?という人まで人生投げ出し級の影響を食らう。これが現代です。

岡田斗司夫も言ってるけど、Amazonのせいで、街の書店がばんばん潰れてるそうだ。そういえば、おれも最近Amazonでしか本買ってないし。書店、かわいそうだよね。何にも悪い事してないのにお客が減って。じゃあAmazonが悪いかといえば、あんな便利なものないわけでね。辞められないよね。今日もAmazonの古本2冊かったよ。どちらも送料混みで一冊300円くらいで買えた。ブックオフで探すより断然便利だもんね。アマゾンありがとう!って思うのが事実で。でも書店かわいそう、って思うのも事実で。

こういうのってどう考えればいいんだろうね。運が悪かったね、でいいのかな。かつて大型スーパーが解禁されて、商店街がどんどんつぶれたけど、あの流れが続いてるってことだよね。いまだってなんだかんだいってもスーパーで買い物するもんね。便利だから。安いし。商店街は復活してほしいけどね。

こういうのって、時代だから、で済ましていいのかね? それとも、Amazonで買わないで近所の書店で取り寄せ注文するべきなのだかな。多少の不便さは我慢して。でも2週間とか待てないよね。今読みたいのにさ。

まあ、別に新しくもない問題について書いたけど、そういうことがバンバン起きるのかもしれないなTPPなんか加入しなくてもーというのはあるよね。

んーまた答えのないことを書いてしまった。
まあおれは書店じゃないから、とりま関係ないから。Amazon便利で助かった派だからね。でも、そういえば母ガタの実家が呉服屋で、着物が売れなくなって大変そうだったのは、子どもながらにつらい気持ちになったな。だって、悪い事なんにもしてないのに。着物買ってくれなくなっちゃうわけでね。何十年も真面目に商売してきたのにね。まったく世の中なんてあてにならんな、って子どもごころに思ったよね。

さて、こんな世の中、どうやって楽しくサバイブしていけばいいんでしょうね!






英語格差、貧富


バンコクにいて、しみじみ感じるは、英語格差だ。
タイだと、英語が話せるのは1−2割だそうだ。若者に限っても半分以下だろう。たぶん3割以下。
英語が話せる人はたいてい、インターナショナルスクールに通った人だ。基本は高校だろうが、中学とかもあるのだろう。
そういう人は、もうベラベラだ。英語うまいね、というレベルじゃなくて、本とかも普通に英語で読むレベル。
もっと端的にいえば、英語で普通に仕事ができるレベル。僕の周りのタイ人はそういう人がけっこう多い。

彼らは、簡単に言えば、家が金持ちなのだ。だからインターナショナルスクールにも通えたし、留学した人も多い。そして、みんないい車を乗っている。
そして、そういう階層同士でやっぱりネットワークしていて、一緒に仕事をしたり、プロジェクトをしたりしている。
彼らは資金力もあるので、新しいことにもどんどんチャレンジする。ある若者は、まだ30歳未満のはずだが、3つ目の事業を手がけているところだと言う。
先の2つは飲食店らしく、経営的にはうまくいかず撤退したのだという。2つ失敗しても3つ目ができる体力がある。

それは親の資金力だけに限らず、投資をうけるコネクションもあるということかもしれない。
もちろん、彼らに実力がないとは言っていない。実力もあるだろう。だが、チャンスの濃度はかなり違うだろうな、という印象だ。

そして、やっぱり英語ができるといいみたいだ。
給料の高い外資系に就職するにも英語は必須だ。英語ができれば、タイ人枠としてではなく、一般社員として勝負できるのだ。
そういうことは前々から日本でも言われているが、タイはすでにそれが当たり前に起きている印象だ。経済成長する途中でグローバリゼーションがも先に来ちゃった、ということかもしれない。日本は、高度成長が先にあって、その後にグローバリゼーションの波にさらされようとしているわけだ。

で、タイでもみんな英語を覚えたがっている。収入にダイレクトに響くからなおさらだ。
かつての日本みたいに、英語が話せるとかっこいいわね、なんてことではないのだ。生活レベルが変わるのだ。というか、ある階層以上に登りたければ、英語で足切りがあるのだ。

でも、やっぱり英語を覚えるにはそれなりの質の高い教育が必要で、それはやっぱりお金がかかるのだ。
もちろん、英語圏で育ててしまうという手もあるが、それもやっぱりお金がかかるのだ。

だから、偏見かもしれないが、お金持ちがますます有利になっていく、という風にも見えてしまう。
いや、そうじゃない、ただ、階層社会だというだけなのかもしれない。当たり前のことなのかもしれない。
自分の階層にあった職業につけばよく、下層階級には未だに英語は不必要、ということかもしれなく、逆に上流階級では英語ぐらいできないとコミュニティーに参加すらできない、という現実なのかもしれない。

だから、家がすごい金持ちなのに、英語があまりうまくない(といっても十分話せているのだが)タイ人の友人は、僕は英語がうまくないから。。とコンプレックスを持っている。友人のネットワークの中でも英語力のなさを実感させられてしまうのだろう。

はっきりいって俺は悔しい。英語、つまりはイギリス語が、いよいよ世界共通語としてのさばってきたのだ。
すでになっているのだ。世界で活躍したいなら英語は必須なのだ。明らかに。英語圏に生まれたどんだけ楽ができたことか。
例えば、これから発展するというミャンマーでは、英語教師の収入がかなり高くなっているそうだ。上の方の階級はこぞって子どもに英語を学ばせるのだろう。世の中が見えていれば当然そうなるだろう。

俺たちが時間と労力を使って英語を必死に覚えてる裏で、英語ネイティブたちは、何ら努力せず仰ぎ見られ、おまけにお金まで稼げてしまうなんて!
でもこれが現実である。アジアにいるとよくわかる。やっぱりなんとなく、西洋人が上に位置づけられているのだ。悔しさがにじむ。

もちろん、これは単なるやっかみに過ぎない。日本人に生まれたメリットもたくさんあって、僕だってそれを享受しているはずだ。
だから、何が言いたいかわからなくなったが、いま、子どもに英語を学ばせた方がいいのは事実なのだ。まず、それを実感しているということ。

もしかすると、高性能の自動翻訳機が発明されて、語学力というのが一切価値を失う未来があるかもしれない。これはSFではなく、どうもあり得ることらしい。けっこう開発が進んでいるらしい。コンピューターがまさかの将棋名人に勝つ時代である。10年前は考えられなかった。はっきりいって俺はショックだった。

だから、きっとそういう未来は来るだろう。でも、それが30年後なのだとしたら、やっぱり今の子どもには英語を習わせておくほうがいいのだ。

身もふたもないことを言っているのだろうか。でも僕にこどもができたら、そしてお金があれば、インターナショナルスクールに通わせてあげたいとは思う。それが事実。

別の未来としては、日本語がもっともっと世界に広まって、日本語で十分世界相手の仕事ができるようになるかもしれない。だが、今のところその兆候は見えない。

もちろん、英語さえできればいいのか、というとそれはノーだ。当たり前だ。その職業のスキルが一番大事だ。でも英語ができれば、同じスキルレベルでもチャンスは段違いに広がるぞ、ということなのだ。

もう僕は、いまから英語ペラペラを目指すのもしんどいので、ネイティブ並の人たちと全く同じ土俵で勝負することは考えもしていないが、ちくしょう、まだまだ西洋のターンは続くのか、とは思うのだ。これはなんだ、なんとかならんのか。



4/07/2013

好きな事やってるんだな


昨日、MBKという大衆大型デパートに買い物にでかけた。すると、野外の特設ステージで何かやってる。盛り上がってるので、見に行くと、JAPAN-TRENDなる催しをしていた。日本祭りだ。よく見れば、たこやきとか日本風の屋台がでている。そして、そこは、まさに小さな秋葉原になっていた。

ステージはまだ誰もいなかった。そこに、なにやら音楽が流れた。前奏だ。すると、僕の斜め後ろくらいから突然怒声があがった。そして、5、6人の男の子たちが狂ったように叫び、踊り出した。ステージには、セーラー服姿の高校生らしきタイ人たちが7人くらい出て来ていた。

あ、これはAKB48的ななにかだ!これがオタ芸か!そうなのです。もうここまで及んでいたのです。ステージにはなにやら日本語のアイドル曲が流れています。聞いたことはないけど、AKB的な曲です。そして、振り付けを合わせて一生懸命踊っています。そして、ステージの下では、オタク風の男の子たちが、秋葉原と同じようなかけ声をかけていました。いったいどこで覚えてきたんだ。。まるでそっくりです。

ああ、文化が丸ごと輸入されている。少し感動です。しかも、面白いのは、きっと、この子たちはTVに煽られたり、メディアに乗せられてやっているのではないのです。タイのメディアにそこまで秋葉原文化は浸透していないはず。彼らは、Youtubeなりを見て、独自に研究、独自にダンスを覚え、独自に衣装をつくり、独自に「日本語」の歌を覚えて、今日のこのステージを迎えたのでしょう。

そして、ステージ上のアイドルたちだけじゃなく、ファンのあり方まで輸入されていた。日本で見て来たのかもしれません。とくかく、こちらも独自でかけ声の掛け方を覚え、独自でファンの衣装をそろえ、独自のコミュニティーを築いていたのです。

そして、なによりも、とっても楽しそうでした。ステージも、ステージの下も。通りすがりのアラブ系?の旅行者風の女子たちもめっちゃテンションがあがった風で、ステージに駆け寄っていきました。たぶん秋葉文化はしらないでしょうから、単純にこの場の雰囲気にときめいてしまったのでしょう。

そして見渡せば、コスプレイヤーがたくさんいて、そこらじゅうでプチ撮影会が開かれていました。僕もカメラを向けると、ニッコリわらってくれました。コスプレしている男の子も結構いました。小学生かな。みんなかわいかったです。

そして、お、なんか聞いた事ある曲が流れてきたのでステージに目を戻します。女の子たちが、とっても楽しそうに、たぶん完コピしたのでしょう、見た事あるような踊りを踊っていました。ふいに、涙がにじんできました。あれ、なんか今感動したぞ。ああ、そうか、みんな本当に楽しそうだなあ。好きでやってるんだなあ。

そして、よく見れば、真ん中左に立っている女の子は、その身長や体つきからして、男の子のようでした。セーラー服でかわいく踊っています。ああ、すごいな、タイなんだな。

まったく違和感ない。見てる方も、ふつうに応援している。この男の子だって、本当にこのアイドルが好きで、踊りたかっただけなのだし、そして、ほら、こんなに楽しそう。

なんかいいもの見たなー、って気持ちで会場を立ち去りました。まあいろいろ思ったけど、ひとつは、タイ人ってやさしいんだな、ってことです。みんななんかやさしいな。


追伸すると、バンコクで半年間、コワーキングスペースで働いてきてわかったことの1つは、ヨーロッパ人でもいわゆるコミュニケーション苦手な奴らがいっぱいいるんだなってことです。ここにくる外国人は、たいてい、フリーランスのプログラマーです。そして、たぶん、タイまでわざわざやってくるヨーロッパー人のプログラマーとなると、けっこうな特殊な部類に入るんでしょうか、変わった奴が多い。ロシアやスイスなんかからもけっこう来てる。

そして彼らが、お前ら西洋人だろうが?と言いたくなるほど、人付き合いが悪い。というか、お前、あいさつぐらいできんのか?と言いたくなる奴もいる。見るからにコンピューターしかできませんという顔をしている。ぜったいリア充ではない。でも、話すとめちゃくちゃ人がよかったりして驚くんだけどね。シャイにもほどがあるだろ!って日本人のおれが説教したくなるレベル。それが実に半数を超えます。

なんか、こういうのも世界的な傾向なんだな、なんて感慨にふけったり、というか、おれも全く同類なんじゃないか、とにわかに胸に手を当てたりしていました。こっちではかなり無口な俺です。

そして、最近ともに思うことは、人間、いじわるなのは嫌だね、ということ。意地悪にはなりたくないなー。いじわるとは、つまり、意地悪なことを言う、ってことね。言わんでもいいイジワルなことを言うとかね。たとえば女装する男の子がいたとして、別にいいじゃん、かわいいじゃん、と言うのか、げー気持ちわるい、と言うのか。そう思っても何もいわずにおくのかわざわざ言いにいくのか。そういうらへんのことね、例えば。

自分にさしたる害がないのなら、ほっといてあげたらいいし、もっといいのは応援してあげたらしい。好きなことを見つけて楽しくやってるんだから。でも反射的になにかいちゃもんをつけてしまう自分は日本人の嫌なところを持ってるな、って思ったよ。





4/03/2013

ちくしょう翻訳上達しねえ

翻訳の話を書こう。

僕の場合、翻訳といっても短い記事を訳すだけだ。
それでも、一日一回は自信を喪失する。うまく訳せない、なんでだ?という文章が必ずあるのだ。わずか数行に、あ、もう一時間以上悩んでる、なんてこともザラだ。

翻訳とは不思議なものだ。自分で考えた文章を書くなら、さすがにここまで悩まない。というか、そもそもそんなに文章に書きにくいことを頭の中で考えたりしない。

やっぱり、翻訳しずらい部分というのは、原文筆者が言いたいことをいまいちつかんでいないときなのだ。どんなに辞書を調べてもわからないこともあるし、意味はわかっても、なんでここでそんなこと言う?という疑問がわくこともある。そういうときは腹がたちます。お前、なんでそんな複雑なこと言うんだよ。もっと素直な言葉吐けよ、アメリカ人なんだから!という感じです。

アメリカ人なんだからロジカルにさくさく行こうぜー、おい。。そう何度つぶやいたことでしょうか。でもね、もしからしたらそういうものなのかも。英語だって日常語なんだから、気の利いたことも言うし、婉曲表現も使うだろう。それが人間同士のコミュニケーションというものなのだ。中学の教科書みたいな会話ばかりではないのだ。

というときに、翻訳について誰かなにか言ってないかな、とインターネットをあさっていたら、山岡洋一さんという著名らしい翻訳家の人がいろいろ言っているのを見つけた。彼はベストセラーのビジネス書とかの翻訳をしていたらしい。

彼がいうには、こと翻訳という世界では35歳ではほんの駆け出し、50歳でもまだまだ修行が足りないくらいなのだそう。翻訳は難しいのだ、と言っている。

もちろん、彼の場合は一冊の本を訳し上げる専門家だ。それがどれほど難しい事かと思うと、寒気がする。ほんの半ページの翻訳で苦しんでいるおれ。300ページの翻訳ってそれどんだけーーーー。

その道のりが想像できない。一年とかかけるのかな? 想像できないほどの積み重ねだ。でもそれでも、世の中には翻訳された本が五万とある。五万どころじゃない、もっとある。そして、それみんな誰かが翻訳したのかと思うと、絶望的な気持ちになる。だって、売ってる本の翻訳、どれもすげーうまいじゃん? つまり、あー翻訳下手だな、なんて思ったことないもんね、本読んでて。つまり、おれが想像できないほど高い領域で仕事をしている翻訳家が、まあ過去を含めてだけど、何千、何百といるってことでしょう? 恐ろしい。。自分が小さく見えることこのうえない。

そして、さらに恐ろしいことに、山岡さんは、しきりに翻訳で食えなくなった、と嘆いている。例えば、既刊の古典の翻訳をやり直したいのだが、古典翻訳ではとても食えないので、積極的になれない、仲間も誘えない、的なことを言っている。

困るなあ。別におれは翻訳家でいくと心に決めたわけではないが、明るい希望がある道ではなさそうだ、というのはわかる。難しいくせに食えない、そんな仕事があるだなんて。それが乗りかかった船だったなんて。。

とひとしきり愚痴ってみても、目の前の文章が急にわかりやすい日本語に変換されていたりはしないので、仕事に戻りますが、なんというか、悔しいですね。こういう悔しさはあんまり味わったことがない種類のものです。このもどかしさは、何なんだあー。うまくできん、うまくできん、うまくできませーん。ああ、ちくしょう!






4/01/2013

最近かいてないがしかし

ブログ、ご無沙汰ぎみ、すまそ。

なんだか時間がない。昨日はオフィスで知り合ったアーティストがイベントをするというので行ってきた。川沿いのぽっかりとしたスペース。

オフィスのスタッフも何人か行くというので、行ってみることに。でも、みんな仕事で遅れるというので僕だけ先に行ってみた。

ドアを開けると、西洋人ばっかりが40人くらいいて、引く。ホストがテンション高く迎えてくれる。ビールを手渡される。なんでも、彼は日本を回って日本のグラフティーアートの本を作ったのだそうだ。見せてもらったが、すごくかっこいい本になっていた。「落書き」というタイトルがついている。日本のグラフティーはすごいんだぞ、と言っていた。確かにすごいクオリティーだった。渋谷とかにあるらしい。帰国したら見に行こう。

なんとなくひとりぼっちでさみしかったので、いったん外に出てみた。さて、どうしようかな、やっぱりパーティーなんか一人でいくもんじゃないな、とトボトボ歩いていたら、おーいと呼ぶ声。オフィススタッフのひとりが遠くから呼んでいた。今着いたのだという。ふたりで会場へ戻る。

会場どんな感じ?というので、西洋人ばっかりだった、と言うと、そっかあ、じゃあ楽しくないかもね、とささやき合いながら。会場に戻ると、またホストがテンション高く迎えてくれて、いまフードができたところだ、と言うので取りにいく。パスタとサラダとガーリックトーストだった。まあ、おいしい。そうこうしているうちに、オフィススタッフが集まりだした。会場ではなにやらアートな演劇っぽいパフォーマンスが始まっていた。

そんなこんなで最後のほうはほかのお客ともしゃべったりして、そこそこ楽しめた。来てよかった。うっかり帰るところだった。でも不思議な気持ちがしていた。アートの集まりなんて、日本ではまあ行かないけど、バンコクだと、わけがわからなすぎて、うっかり来てしまう。年齢層は以外と高く、30、40代以上が中心といった感じだった。子連れもいた。50人ほどいるお客の大半がアーティストやクリエイターだそうだ。みんなバンコク在住だ。

なんというか、西洋カルチャーのいいところの1つは、こうして、ある程度の年齢になってもパーティーやなんやを普通に楽しむところだね、と思った。たぶん50代、60代もいたはずだ。みんな少しだけおしゃれして、少しだけお酒を飲んで、おしゃべりを楽しんでいた。こういうのはいいよね。なんだか年を取る事がそんなに悪い事じゃない気がしてくるというかね。

一緒にいたタイ人たちはみんな20代とか。それはそれで元気がもらえていいんだけど、やっぱ同年代の中にいるとなんだか落ち着くのも事実だったりする。というか、いろいろミックスしてるのが一番だね。ホスト役のひとたちもそういうのを目指してる、もっとタイ人にも来てもらいたいんだ、と語っていた。ナイスガイだった。

まあ、なんだかんだで、人生それぞれに苦しくて大変だけど、それなりに生活を楽しんでいく、そういう技法がいろいろあるのかなって気がした。少しの工夫でいいのかもしれない。もちろん、パーティーしたって根幹のところの大変さは全然かわらないんだけどね。でもなんだか、そーいうものかな、って気もするね。生きて行くって。

というか、なんだ、もっとさ、気軽でいいんじゃない? って言われた気がしたイベントだった。