知人を尋ねて伊豆にいったりしていました。
伊豆は2回目。朝の小田急線に乗って向かいます。朝の7時台、東京方面とは逆向きなのにかなり混んでいて、小田原ちかくまで座われませんでした。東京(を中心とした生活圏)って本当に広いんだなーってあたらめて思います。バンコクは、30分も電車に乗れば、端から端までついてしまいます。
久しぶりに日本に来て、見かける人がぜんぶ日本人かと思うと、妙にわくわくしました。この人たち全部、しゃべりかけて知り合いになることができます。友達の友達とすぐに友達になれる。そういうのがやはり東京はスムーズです。バンコクではあれほど苦労している友達づくりが、サクサクいきます。そうだ、やっぱり環境だったんだ。と一応、環境のせいにしておく。
伊豆へ向かう途中。真鶴あたりで海が見えた。サーーっと広がる深く少し色あせた群青色の海が見える。海はいい。やっぱり海はいいな、と思う。伊豆では、図書館を作る手伝いをしました。送られてくる寄贈書をパソコンで登録していく作業です。古い本もたくさんありました。ぱっと手にとって、きれいだけど古そうな本だなと思って発行日付けをみたら、40年前の本でした。40年。。本ってもつんだなー。物理的に保存がきくんだなって改めて思う。40年の時をへて、僕の手の中にある。ページをめくることができる。やっぱり紙の本で残しておくってことが何か大事なことな気がした。紙の本を旅をする。電子書籍も旅をするのだろうか。
会う人ごとに、いつまで日本に?と聞かれる。あいまいな答えを返す。別に帰る場所があるわけでもない。ああ、本当の根無し草になったんだな、と思う。東京で久しぶりに会った友人たちはみんな地に足付けて生活をしていて、街に根を下ろしている。街の友人たちとリアリティーを共有しながらしっかり結びついて生きている。僕はもうその輪の中にいないんだな、としみじみした。すぐにこの地を離れていく人、昔の仲間からさえもそんな目で見られている気がして、さみしいような不思議なような感じがした。もちろん、僕自身がそう言っているのだから当然のことなんだが。
それでも、友人たちが家に泊めてくれたり、会おうと言ってくれるのはうれしいものだ。不思議な気がする。自分は淡白で冷たい人間であることを知っているからだ。だが、もうそういうことで自分語りをするのもよそう、と思う。友人に会う、ということが昔より大事なことになってきている。お互いに会いたいと思える友人がいる、それは得難いものかもしれない。一杯の杯をともに傾けておいしい、それは得難いものかもしれず、まさに、友あり遠方より来る、また楽しからずや、なのであろう。
日本に帰ったら本を読みまくるつもりでいたが、その気持ちもすっかり薄まっている。不思議なものだ。
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