1/29/2012

もりだくさんの日

昨日は盛りだくさんの日だった。

まず、朝起きていつものオフィスカフェに行き、数時間翻訳の仕事いそしむ。
すばらくすると、Skype着信が!そうです、今日は哲学の会の日だったのです。
うっかり時差を忘れていたのでした。そうか、日本はもう2時なんだね。あわてて帰宅。
スカイプをつなぎます。哲学の会とは、かれこれもう4年ほどつづいている、月に1度、哲学者塚原氏の哲学「自己言及的存在論」のテキストを読み、質疑応答をするという会です。もちろん塚原氏が自ら講義してくれるのです。そして、我々哲学の会は、哲学の雑誌を出版することを目論んでいるわけです。たぶん今年中には創刊号がでるはずです。とはいえ、ぼくは横からやいやい口を挟んでいるだけなのですが。。ひとりの書き手として参加したいのは山々なのですが、いかんせん何の専門領域も持たないのが私なのです。だけども、とても楽しみです。

そう、その哲学の会に日本ではずっと参加していたのですが、バリに来てから参加できずさみしい思いをしていたのですが、スカイプでできるんじゃない?ということでやってみたところ、何ら問題なくできることが判明!したのです。ほとんど違和感がありません。ふつうに議論している気持ちでできます。ただ、やはり画面をずっと見ているので少し疲れますが。でもぜんぜんOKラインです。いやーインターネットってスカイプって偉大だなあ。来月も参加することにしました。またひとつ充実が増えました。

そうこうしているうちに、姉からもスカイプ。昨年生まれたばかりの赤ちゃんを見せてもらいました。とろけるね。ハッピーだね。赤ちゃんを見ているとハッピーになりますね、あれはほんとうに。おじちゃん、がんばらなくちゃ!という気持ちになりました。彼女(姪です)が大きくなったときに、人生は生きるに値する、と正真正銘言ってあげなければなりません。おじちゃんはがんばります。

そして、夜は在バリ10年になるという日本人を紹介してもらいに日本食レストランに。楽しい夜でした。いろんな話をきいて、なんだかバリってやっぱいいかも!と思う。希望がわきました。
希望がわいたポイントは4つあります。

1ずっと懸念だった引っ越し先を紹介してもらえることになったこと。
2ずっと懸念だった初心者でもサーフィンできるポイントを教えてもらったこと(そこで数ヶ月がっつり波乗りすればかなり上達できるとの談話を聴く→やる気が湧いてくる)
3楽しい友達が増えたこと
4バリ島は不思議な神の島だ、という体験談をいろいろ聴けたこと。


これらの話を聴いているうちに、なんだか、これから楽しそうだなあ、というしみじみとしたわくわく感が湧いてきました。

というか、なんか小さなことで一喜一憂してるんだなあ、おれって。もっとスケールのでかいことで悩みたいね、まったく。

だけどまあ、なんか、よかったよ。

1/26/2012

ジョーゼフおじさんが好きだ

体験に向かって駆けていきたい。

ジョーゼフ・キャンベルという神話学者が好きなのです。
なんといっても顔がいい。晩年の顔がさわやかで、いきいきと、いやぴちぴちとさえしている。
http://www.youtube.com/watch?v=tfl5z503yJs

そして、彼は言うのです。
人生で大切なことは意味ではなく体験なのだと、
「人生で大切なことは、日常の行動や体験が自分の最も深いところにあるものと共鳴して、生きていることの無上の喜びを感じること」「いま生きているという喜びこそが一番大切」

と言う。このようなことを、70歳とかになって真顔で、何のてらいもなく、負い目もなく、本当にそうなんだよ、とうような調子で話すことができる人がいる。この人はただのKYなのだろうか。それとも、自分で自分を洗脳してきてしまったごまかし名人なのだろうか。それとも生まれつきの純粋坊やで、そのまますくすくと育ってこれたということなのだろうか。

でも好きなのです。ジョーゼフおじさんが。

日々実際に体験していることと、頭の中で繰り返しささやかれている言葉がかけ離れていったときに、人はおかしくなっていくのでしょう。


バリ島の灼熱のビーチに立ったのならば、サーフボードを小脇に抱えているならば、あとは体験に向かって駆け出していくだけなのです。


といいながら、今日もカフェでPCです。日曜日には海いってきます・・

インドネシア語いよいよ

バリ島ももう4ヶ月弱になる。
のばしのばしにしていたインドネシア語の学習を始めています。
ネットで自習なんだけど。
でもいいサイトを見つけたので、暇なときにレッスン音声を聞いています。
ちなみにここ。
http://www.learningindonesian.com

でも、最近よくよく海外へ来た動機を探ってみると、
英語圏に行ってがっちり英語で生活してみたい、という願望がぼくのなかにうずいているのを感じる。
バリ島は英語はどこでも通じるが、やはり英語圏ではない。
というか、ぼくがひとりカフェでしこしこと翻訳してるだけなので、何語圏にいようがいまいち異文化生活感がない。これはゆゆしき事態だなあと眺めています。

かといって、欧米人つかまえて英語話したり、バリ人つかまえてインドネシア語をわざわざ使ってみたりするのはすごくだるいです。ついついカフェにひとりこもってもくもくとPC作業をしてしまいます。
あと日本人と遊んでしまう。なんか語学留学生のグチみたいになってきましたが。

でもまあ、せっかくインドネシアにいるんだから、かたことのインドネシア語は話せるようになりたいな、と思ってがんばっています。

どうにも胃が

どうにも胃が疲れているようです。
なんか最近毎日だるいなあ、と思っていたところ、どうやら油がわるかったようで、ご飯をたべるたびに、唇がまったりしてしまいます。気持ち悪いです。
たぶん、油っこいもの食べ過ぎに胃が悲鳴をあげているのでしょう。

明日から、ソバ宣言します!毎日、ソバを食べます。玄米はまだです!

1/24/2012

瞑想占い

さいきん、ちょくちょく瞑想をしているのですが、最近のぼくのマイブームとして瞑想占いというのがありますので、ちょっとご紹介しておきます。

まず、瞑想します。
そのときに、時間を計ります。たとえば僕なら15分間を測って瞑想しています。
そのとき、こちらのサイトの音源を使います。
http://www.insightmeditationcenter.org/meditation-timers/
この音源は、再生すると最初にゴーーンと鐘の音が鳴ります。そして15分後にまたゴーンと鳴るのです。途中は無音です。この音源を使って瞑想をします。


やりかたは、
あぐらなど瞑想らしき姿勢をとって、音源を再生します。ゴーーーンです。
瞑想に入ります。煩悩が湧いてきますが、気にしても気にしなくても構いません。
僕の最近のやりかただと、呼吸でお腹が膨らんだり縮んだりするのに意識を向けたりしてみます。
とにかく瞑想らしきことをします。
まああんまり特定の考えにはまり込んで、考え事をしてしまうと、瞑想ではなくなってくるので、はまり込んでる、と気づいたら、呼吸に意識を向けたりして、また瞑想モードに戻ります。
いろんなやり方があるでしょう。呼吸を10まで数えて、また1から数え直すというのを繰り返してもいいし。10秒で吸って15秒で吐く、などを続けてもいいでしょう。

肝心なところは最後にあります。そうこうしているうちに15分がたち、ゴーーーンと音が聞こえてきます。そのときです!そのとき何を考えていたかを覚えておくようにします。
そのとき浮かんでいた煩悩は何か、ということです。

そして、それを今日一日、もしくは今後の自分へのアドバイスだと受け取るのです。

たとえば今日は、まさに「これは瞑想占いとも言えるな」ということを考えているときにゴーーーンと鳴りました。だから、いまこれを書いているのです。これはこのことを書けということにちがいない、と考えるのです。

瞑想占い、やってみてください。たぶんしばらくしたら僕も飽きると思いますが、しばらくは飽きないと思いますのでやってみます。

ちなみに、その前のおことばは「ああ、遊び化すればいいんだ」でした。内容は忘れてしまいました。ただ、遊びかすればいいんだ!とひらめいたときにゴーーンと鳴ったので、急いで書き留めておいたので、いまも覚えています。何かを遊び化すればいいという啓示なのです。なんでしょう。仕事でしょうか。人生全てでしょうか。とにかく何かを遊び化すべく、がんばってみます。

1/22/2012

キネシオロジーやってみた

ぼくは高城剛のメルマガを購読しているのですが、高城さんがキネシオロジーというのを紹介していました。なんか、簡単にいえば、自分にいろんな質問をして、体の反応を見ることで自分の無意識の本音を探る、みたいなことですかね。

とにかく、友人に頼んでやってみました。(基本は2人でやるとのこと)

で、軽くやってみたところ、意外な結果が。意外なようで意外じゃないのかもだけど。

おれ、バリ島もサーフィンもあんまり好きじゃない、という結果が出ました。
あら〜。言われてみると、それほど不思議じゃない。どっちもなんかちょい飽き気味なのです。

で、ハワイが好きみたい。なんでだろうね。それほど好き!って思ったことないけど、キネシオロジー的には、いろんな国の中で一番好き、というか行きたい場所みたい。
あと、高城さんおススメのバルセロナも、最近話題のブラジルもあんまり行きたそうじゃないみたい。

なんかね〜。ちょっと残念。あの楽しいこと探しの帝王、高城剛おススメの場所に行きたい自分であってほしかった。なんか欲望の持ち方がおかしい気がしますが。。。
ハワイなんてなんか普通というか、もう旬じゃないというか、なんか、ハワイに行きたい自分ってあんまり面白くないな〜とか。なんかおかしなこと言ってる気もしてきましたが。

そんで、過去の恋人たちをひとりひとりやってみました。というか、これは友人が勝手にやりはじめたのですが、これはまあ妥当な結果に。つまり、自分の意識とそれほど違わない。あるじゃないですか、あいつはもう大嫌い、とか、あいつはなかなかいい奴だった、とか。

で、総合的にいうと、なんかあれだな〜。なんかおれって自分はこういうものを好きになるべきだ、なってほしい、という自分への好きの強制というか、好きの願望みたいなものが先走ってるタイプなのかな、ってぼんやりと思いました。

体感的で素直は好きよりも、憧れ的な好きが優先するというか。

そう、なによりショックだったのが、最初に間違いなく好きなものから実験してみよう、と思って、コロッケとコーヒーをやってみたいところ、どちらもあんまり好きじゃないという体の反応がやってきました。えーーー!コロッケとコーヒーといえば、ぼくが最も信頼を置いている「好き」の王様なんだよー。
幼稚園に入る前からコロッケずっと好きで、いつもコロッケが食べられる場所ではコロッケを選んできたぼくなのです。そして、コーヒーも豆を自分でガリガリ引いて飲むほどの入れこみようだったのですから。でも、あんま好きじゃないみたいだよ、という結果が。。。

そう言われてみると、今日のコーヒーはあんまりおいしく感じないし、さっき食べたコロッケもおいしくなかったです。

まあね、一喜一憂することもないんだけどね。時と場合で変わるだろうし。

でもね、好きがわからない、ってのがひとつのぼくのテーマなんでね、あーーと感慨深い気持ちになったのですよ。なんかおれ間違えてんのかなーって。

なんか間違えてんのかなー。

淡々とした日々と原発、日本の未来

淡々とした日々を送っています。
だいたい昼前に起きて、ちょい散歩、昼飯くって、カフェオフィスで仕事、晩飯くって帰宅、夜は読書かネット、3時か4時に就寝。こんな感じ。夜更かしが止まりません。フリーランスで早起きは無理だね。もうこんな感じでいいかも。

昨日、芥川賞作家の西村さんと朝吹さんの対談をYoutubeで見てたら、彼らも朝4時くらいに寝るっていってたから、まあいいや。関係ないけど、まあいいや。

そんで、こんどはUstreamで小出教授の原発関係の講演を見てた。いや〜、やってられないね。
教授だけにデータを数値をばんばん言ってくれるから、現状の異常さがよくわかる。
中でもまじか!となったのは、原発以前は4万ベクレル/平方メートル以上の場所は放射線管理区域と言って、そこに入るのも出るのも厳重な管理が必要だったんだって。法律で決まってて。まあ原発の実験室とかね。で、そういう場所に入るには特殊な服きて、手袋して入って、出るときは全部廃棄しないと出られないんだって。ずっとそう決まってた。で、いま、福島では6万ベクレル/平方メートルの場所にも人が住んでて、避難勧告も受けていないみたい。政府は知らんぷりしてるとのこと。これは本当に異常事態だよね。日本は震災以降ずっとパニック状態にあるんだね。他にも、うーん、とうなる事実がいろいろ語られた。ちなみに動画はこちらです。
http://www.ustream.tv/recorded/19899630

まあ、ぼくは政治は苦手なんだけど、ほんとにどうなっちゃってんのか。というか、政府は頼れないということが超明らかになったんだね。さて、どうするか。。僕的には、道州制というか、日本をいくつかのブロックに分けて、ブロック単位の自治力を高めて行くというのが、政府信用できない問題の解決策だと思っているので、そういう未来を見ながら考えていきたいと思ってます。つまり、以前もブログで書いたけどオランダ理論ですね。たぶん2000万人以下くらいの範囲なら、自分たちの地域、自分たちの政府、という意識が持ちやすくなると思うし、不正もやりにくくなると思うので、それ以下の単位に行政を分割して、その地域で自治権をほぼ持つ、ということですね。まあ難しいことはわかりません。イメージで話しちゃってるんで。。これからどうせ混乱するならダイナミックに変わる予感とともに混乱したいですね。わくわくをともなう混乱なら老若男女も乗り切れる気がします。


中長期的に見れば、日本が面白くなるだろうな、という予感がします。それは、どこの国の後追いもしない道を模索せざるを得ないし、もうシステムが機能していないこともわかっちゃったし、変わらざるを得ないけど、どう変わるのか先が見えないからです。
たとえば、ここインドネシアなどは、今後10年の行く末は見えてる気がします。とりあえずは近代化です。とにかく国民がもっと豊かになりたいというモーメントを感じますから。高度成長期ってこんな感じだったのかな、みたいな。車もってない人は車欲しい、田舎の農村出身者は都会で働きたい、工場労働者は自分の工場を持ちたい、欧米人や日本人みたいに外国旅行に自由に行ってみたい、そういう追いつけ追いつけ的なモーメントをやはり感じるのです。それをある程度達成するまではそれがこの国の集合無意識的な目標となって邁進するでしょう。その途中で政治への国民参加とか、女性の社会進出とか、いろいろ日本が辿ってきたのと似たような道をたどる気がします。しばらくは、それでしょう。

でも日本は、追いつきたい対象がもはやないので、アメリカももう全然目標になりえませんから、ヨーロッパだって、ん〜という感じですから、いままでのような経済発展一辺倒ではない目標をびしっと立てるというと、もう手探り状態になるわけです。だから、なんかクラーイ気持ちにもなりますが、どこかダイナミックな変化が起きるんじゃないか、という期待感もまたあります。

ぼくは今国外に出ちゃってるんですが、日本人として、同胞といろいろ利害や文化を密に共有していくことにはかわりませんので、このダイナミックに参加したいと思っています。

まあ、まじめな話はこれくらいにして。

次回、キネシオロジーをやってみた、という話いきます。

1/21/2012

自炊せなあかんな

最近体調を崩していたと申し上げましたが、ある法則を発見しました。
油っこいものを続けて2日ほどたべると体調を崩す、です。全身だるく、風邪のような症状になります。

これはもう自炊すべきだと思われる。
バリにきて、ご飯がどれもおいしい、おいしいと喜んでいたのですが、ぼくが狂気乱舞していたおいしさとは実は、味の素の味だったと今は知っています。残念です。そろそろ味の素の合成アミノの味にも飽きてきました。

しかしこちらで日本食や、胃に優しそうな食事はお高いです。自炊です。自炊をしないといかんのです。
ということで、明日、鍋と玄米買ってきますよ。とりあえず、玄米毎日1食くいます。めんどくさくなければ続けます。
いや、めんどくさいのは決まってます。あとは、健康でありたい気持ちーめんどくささ+玄米のおいしさ=?で決まります。
?がプラスになれば続くでしょう。さて、どうなることでしょうか。

とにかく、油にはもうこりごりです。

1/20/2012

晴れはやっぱりイイ

今日は、ドアをノックする音で目覚めた。なんだ朝っぱらからロシア人か?とドアを開けてみると、宅配のお兄さんでした。日本の友人から荷物が届いたのです!おお、届いたのか、とちょっとたじろく。届いてもらわないと困るのですが、ほんとに届くのかな〜っとすこしバリの郵便屋さんを疑っていた自分に気がつく。届きました。ええ。うれしいかったです。

そして、届けられた漫画本なんかをつらつら見ながらも、せっかく午前中に目覚めたのだから体内時計をリセットしていこう、と思い立ちました。ここ1週間くらい、いつが朝だかわからない生活になっていました。よし、ということで近所の海へ散歩に出かけました。

浜辺をつらうら歩きます。Tシャツを脱ぎました。ちょっとこの顔と腕だけ黒いツートンカラーを是正しておきたくなったのです。太陽がじりじり熱いです。目的地まで行く前に疲れたので、帰ることに。
途中の屋台でミーゴレン(やきそば)を食べる。まだ10代であろう少年がニカッっと笑って注文を受けてくれた。さわやかだね、君!

たまごとトマトと鶏の皮がのったミーゴレン、うまい。
水を買ってがぶ飲みする。
さて、仕事しなくちゃ、ということで家に向かう。
今日は数日ぶりにスカッと晴れた。完膚なきまでに晴れた。これがバリの空だ。これでもか!というように晴れている。青いな〜。晴れたね〜。そこはかとなく幸福感が湧いてくる。やっぱり晴れはいいやね。

なんだろう、ともするとすぐ落ち込んでしまうぼくだが、さっきも散歩しながら、あれもできてない、これもできてない、と若干沈みがちになって歩いていたのだが、やはり、このような空をみると、
ああ、なんかいけそう。ゆっくりだけど大丈夫そう。というゆる〜い大丈夫感がやってくるのです。

まあいいや、うまくいかないことばっかりだけど、ゆっくり大丈夫だろう。とりま気持ちいいな!
という感じです。そのような気分は1分くらいで収まってしまうのですが、余韻はしばらくつづきます。そういまだって少しあります。なんか、まあ、いけるんちゃう、ゆっくり行けば、いけるんちゃう。

そう、バリのいいところの一つは、こう思えることです。
きっと明日も晴れるだろう。明日続きやればいいや。
とか、
もし雨が降りつづいていたとしても、いつかはまたスカッと晴れるだろう、
と「晴れ」に対する信頼がはんぱないことです。
はんぱない。

バリの晴れは裏切らない。晴れたらまた続きをやればいい。
そんな気分にさせてくれる場所ではありますね。とりあえずー。

1/19/2012

スタムダンク

昨日は風邪をひいたようで、一日寝込んでいました。
珍しく頭痛もする始末。
たぶんパソコンのやり過ぎでしょう。2日間でスタムダンクを読破したのがたたったようです。

しかし、今日はまあまあ復活です。
フリーランスになると、おちおち風邪もひいてられないですね。有給休暇なんてものはないからです。
以前なら風邪をひくと「あ、これで会社休めるかな」などという小学生みたいな気持ちになったものですが、今は「やべえ、1日で治さないと」という感じで、妙に慎重になります。本格的に治さないと、微熱でもあろうものなら翻訳という作業はかなり厳しくなってしまいます。頭がクリアじゃないときついっす。

というわけで、1日絶食と寝たきり作戦で無事復活です。

で、スラムダンク、読破しました。なにげに人生初読破です。
ラストは燃えましたね〜。
試合中に三井がここぞというときに3Pを決めたり、絶体絶命でルカワがスーパープレイをしたりすると、晴子がツイーと涙を流すのですが、あの気持ちわかりますね。全力を出し切ったあとにさらに限界を超えたところでのスーパープレイは、やっぱり感動せざるをえません。

もちろん桜木の連続リバウンドも涙がじんわりしますね。

以前、「鷹の目」のほうで、バレーボール部時代は楽しくなかった、他の部活を選べばよかった的なことを書きましたが、そんなどちらかと言えば灰色な部活時代の記憶の中にも、やはり燃えたという記憶はあるもので、そういうシーンが思い返されたりしました。

そういえば、高校最後の大会で、ぼくは一応レギュラーのポジションで予選大会を勝ち進み、これで勝てば本戦出場、負ければ引退という試合で、途中相手に押されて負けそうになったときにこう思ったのを覚えています。「いやだ、まだバレーをしたい」と。負けたくない、とか、勝ちたい、とか、全国大会へ進みたい、とか、そういうアグレッシブな気持ちはなかなか持てなかったぼくなのですが、「明日もバレーをしていたい」という気持ちだけは感じられたようです。そして、辛くもその試合に勝ち、数週間後の本大会出場の権利をもぎとったときに、「ああ、またバレーできる」とほっとしたのを覚えています。
とはいえやはり、全体としていい思い出ではないんですけどね。つまり、挫折の記憶のほうが多い。自分は情けない奴だ、という思いのほうが多かったのです。

いまでも悔しく思います。もっとがんばることはできなかったのか、と。もっと練習してもっと負けん気を出して、ぜったいうまくなるぞ!とか、チームをひっぱるプレイヤーになってやる!とか思う事がなんでできなかったのかな、って。人より1時間早く来て練習したり、休みの日にもトレーニングしたり、なんでそういう風に情熱を燃やせなかったのかな、って思いますね。

長い人生、夢にでるほどトラウマなのは、唯一このバレーボール時代のことなんです。
他にもいろいろつらいことはありましたが、夢にでるほどじゃない。ぼくのなかでは割と解消されているのです。ですが、この部活動時代のことは、何十年たった今でも解消されてないものがるようで、思い出すと苦い気持ちになるのです。

ものすごくおおげさに拡大解釈して言えば、今、ぼくがこうして右往左往しているのも、まだあの時代の仇をとってない、という思いがあるからかもしれません。

スラムダンクの登場人物たちのように、何かに一身に打ち込みたい、たぶんそれが「自分探し」の実態でしょう。まだ見つかったとは言えません。

そう、「自分探し」とはたぶん「本気探し」なのでしょう。本気になれることを探している、もしくは、本気のなり方を探している、ということだったような気がします。

残園ながら、ぼくはいまだに探しているのです。
もっとも「自分」を探してはいません。自分の中に何か「本当の自分」がある、とはちっとも思っていません。本気のなり方を探している、というのが最も近い気持ちかもしれません。
といいながら、本気にならなくてすみように必死に逃げ回っていたというのもまた事実なのです。

スラムダンク、罪なまんがです。

1/17/2012

片付けられないあなたは

今日はどうも風邪を引いたようで、だるいです。
普段夜更かしの体にむち打って朝からはりきっていったサーフィンで思うように乗れず、サーフィンって難しいな、とひとつつぶやきつつ海辺のワルンで食べたナシゴレンが、にんにくが効き過ぎの油ギトギトの具がほとんど入ってないにもかかわらず、いつもいくワルンの2.5倍の値段が言い渡されるのを目の当たりにしながら、これも海への還元さ、とうそぶきながら、やれやれ感満載で、日焼けのお肌ひりひりの中を家路につくわけですが、そういえば前回来たときにサンダル盗まれて裸足でバイクのって帰ったんだっけ、とこころも少しひりひりしながら帰ろうとしたところに、駐車料金だしな、とおじさんから右手を突き出された日には、もうどうにでもなれという気分になろうかというものですね。今日は熱かったです。でも久々の快晴、やっぱり気持ちよかったです。

で、今回書くのは、もうさみだれ式に書きますが、
ぼくはバリに来る少し前、どうも部屋が片付かず、物も思うように捨てられず、人に勧められた「断捨離」なる本に感銘をうけながらも、どうも実行できず、つぎに実家で見つけた「片付けの魔法」なる本もせっせとメモって帰ってきて、いざ片付けに取り組もうにも、30分で挫折し、ああ、おれは本当に意志の弱い人間なんだ、と嘆きに嘆いていたのですが、いざ、東京の部屋を引き払ってバリ島へ行くことになったとたん、それはそうするより他にないという理由で、なんだかんだいって、所有物がキャリーバック1つと一枚のボディーボード、そしてどうしても捨てられない思い出の品々が段ボール3つほどになってしまったのを今思い出し、そのことを書いておきたくなったのです。

断捨離も魔法も効かないあなたは、海外へ(短期でいいから)移住すればいいのだ!と。

(短期でも)移住となれば、部屋を引き払うことになります。そうするとあなた、部屋にあるモノの数々、あなたどうしますか?実家に贈りますか?送料も馬鹿になりませんよ。トランクルーム借りますか?馬鹿になりませんよ。結局、経済的合理性から、人にあげるか売っぱらうか処分する、という選択をせざるをえなくなります。

そういう経済合理的必然性から、いま文字通り、スーツケース1つとサーフボード1枚がぼくの持ち物のすべてです。

そして、バリ島までくると、欲しい物があまりありません。あるにはありますが、それはMacbook Air(10万円)であるとか、iPhone(7万円)などといった、1ヶ月分の生活費に匹敵するような手の届かないものばかりで、その他物欲をそそるものがあまり売っていません。なので、お金がないのと、欲しい物が売ってないのもあいまって、モノが増えません。

別に自慢じゃなくて、生活の場を移動しただけで、いくらがんばってもできなかった状態になっちゃってる、という事実をお伝えするとともに、片付けでもう何年も苦しんでると言う人、モノが捨てられずにもう何年も自己嫌悪に陥ってるというひとは、一念発起、部屋を引き払う、という行動にでることをオススメするとともに、どうせ引き払うならちょっと海外きてみればいーじゃん、とそそのかしたく思う今日なのでした。

のどが痛いです。

1/15/2012

仕事のこと

どうも気がつけば仕事のことを全然書いてないことに気がつきました。

バリ島で一体何をしているのか。
ズバリ、いまのところ、ライフハッカーの翻訳しかしておりません!
なので財政的にはかつかつです。
なかなか時間の融通もきくし、仕事内容も僕に合ってると思うよい仕事なのですが、ライフハッカー運営会社様やこの仕事を紹介してくれた友人にはとても感謝しておるのですが、いかんせん翻訳は時間がかかります。まあ、でもそれはぼくがまだまだだということです、はい。

思えば、6月にIT起業の派遣契約が終わるのと入れ替わるようにして、この仕事をご紹介していただけたのは幸運だったと思います。この仕事のおかげでいまこうしてバリ島にいられるわけですから。

とはいえ、初月の収入は、ズバリ1万8千円!翌月の収入は3万円です。そこからのスタートです。
いまのところ、どのくらい収入があるか、それは言いたくないですね〜。もちろん決して多くはないからですが。目安だけいいますと、近い将来、2桁万円がぼくの口座に振り込まれる日がひとつの記念日となるでしょう。

どうですか。このような状態でもまだ立派に生きているというこの事実を噛み締めてほしいのです。っていったい誰に言っているのか。

ぼくがバリ島にはサバイバルのために来たと言っている意味が少しはおわかりいただけたかと思います。
日本にいたら無事年を超えられたかどうか。。。

とはいえね、いまから2つのことを言いたいと思います。
ひとつは、ぼくは決して現状に満足していないよ、ということ。これから仕事を増やしてがっぽがっぽといきたい所存なのですよ。だから安心してください。ってまた誰に言っているか。

ふたつめはね、ぼくが最近おっかけてる五味太郎氏がとある講演会で言ったひとつの問いかけです。
「この中で年が越せないって人いる?」

つまり、年が越せないほとお金に困ってる人はいるか?という問いかけですね。そこまでじゃないでしょ?ということです。

五味氏はたしか言っていました。(かなりぼくの脳内で変形を受けている可能性がありますが)
いまの日本が問題だ、問題だと言う人がいるけど、実はけっこう悪くない国だぜ。意外と自由にやれる状態にあるぜ、みたいなことを。

そのときは、軽い怒りを覚えながら、あんたはいいよな、あんたは成功しててお金ばんばん稼いでていいよな、と思ったりしたものですが、いまでも若干思っているわけですが、でもこうしてインドネシアに来てみると、うん、日本ってかなりキャパシティあるよなー。日本人に生まれて得してるよなーって思う事が多々あります。主には経済的なことですが。円高の恩恵も多大に受けているわけで。あと生まれたときには日本がすでに近代化してた、ってのもでかいよね。こんな風にふつうにパソコン使えたりしてるとか。もちろん、インドネシアのほうがよさそうだよね、ということはあります。英語教育はインドネシアの圧勝だね。あと、なんだろ、バリ島に限っていえば、やっぱ人がのんびりしてていいな。

ちょい脱線した。

何がいいたかったのか。ああ、そうか。つまり、まあ、日本人なら日本に生まれたことを利用して、まず自分が生きやすい方法を探すといいんじゃないかな。世界を見ればいろいろありそう。その上で、もしいい子だったら、世界の問題について考えたりしたりしてみれば、褒められていい感じだと思うよ!

なんか支離滅裂になってきた。

最後に、バリでも一応仕事してんだぞ!を証明する写真のっけときます。ここが今の職場です。カフェ6pointです!落ち着いて仕事できるいいカフェです。電源カフェです。

立ちました

今朝は9時ごろに目が覚め、なかなか気分もよかったので、ついに念願の朝からサーフィンに行ってきました。行き先は最近見つけたレンベンというポイント。
バイクで15分ほどで到着です。

波は基本なくて、一部のポイントだけ腰くらいの波がある感じです。8人ほどが入っています。
ぼくはといえば、少し離れたところでスープで練習です。
20回ほどばちゃばちゃやったころでしょうか、ついに、5秒ほど立てました。
立てたかどうかは見る人の判断ですが、フエッホーー!イエ〜〜!くらいを叫ぶ時間は立っていました。
とりあえず、一段落つきました。

明日からもまた通います。

とりあえず、プチ報告でした。

1/13/2012

いいサーフポイント見つけた&フィンランドのサーファー

今日は実に1週間ぶりくらいにサーフィンをする気になり、いつものココナッツと呼ばれるポイントに行ったのですが、これが見事に波がありません。んー。ここは波がないときは全くないし、あるときはでかい波来ちゃうんだよな〜。どうも初心者向けじゃない気がする。海に入る気がおきず、とはいえせっかく来たのに立ち去る気もおきず、板を抱えたままぼーっと海を眺めていたら、一台の車がやってきました。バリ人のお父さんと子供2人が降りてきます。どうやらサーフィンをしにきた模様。一緒に海を眺めていたら、おじさんが急に「なみちいさいね」と日本語で言いました。お、日本語だ。どうも今日はだめだねえなどと話していると、どうもこのおじさん、サーフィン詳しそうな感じだったので、初心者向けのポイントがないかと聞いてみました。レンベン、ケタウェル、という一度は聞いた事があるポイントの名前が挙がります。
でもなーそのへんって中級者以上向けなんでしょ?と聞いてみると、ぜんぜん初心者いけるよ、こどもも連れて行くよ、と返事。え、そうなの?ということで、急遽、レンベンというポイントに行く事にしました。
以前一回行った事があるのですが、そのときは波がガルガル〜と逆巻いており、恐れをなして逃げ帰ってきたことがあったのです。でもこどもも入るならオレもいけるよね、ということで再チャレンジ行ってみました。

そしたら、今日は前より少し波が穏やかです。といってもどう見てもまかれたら怪我しそうなでか目の波がガルガルとたっています。でもよく見ると、ガル波はけっこう沖のほうで割れていて、岸の近くはいい感じでスープ(割れたあとの泡立つ波)が泡立っています。
あれ、このスープで遊べんじゃない?ということで、海に入ってみました。
このスープ、結構パワーあります。遊べます。ぼくくらいの初心者にはちょうどもってこいの遊び場です。なんだあ、ここで遊べばよかったんだ〜。だれもいない海でひとりばちゃばちゃと遊んでいました。
明日から、ここレンベンに通えばいいんだ!なにやら希望がわいてきました。
とはいえ、今日もまだボードに立てていないことを告白すべきでしょう。なんか難しいんだよね。やっぱ急に板を短くしたからだなー。ぶつぶつ。

いいでしょう、毎日来ればそのうち立てるようになるでしょう。

そんなこんなで1時間ほど遊んで、雨が降りそうなのでいそいで家に帰ると、アパートに新しい住人が来ていました。あ、ロシア人帰えっちゃたんだな。ロシア人のあとに、どうもサーファーっぽいおじさんが入っていました。あなたサーファー?、と声をかけると、いえーーす、という返事、やあやあと握手をしにいくと、なんとフィンランドから来たとのこと。フィンランドにもサーファーが!あんな寒いところにもがんばって波のってる人がいるんだなあ。なんとも尊敬する気持ちになってやあやあといろいろ話していました。このあたりにいいポイントない?などと聞いてみると、なんと朝5時におきてサーフィンいってるとのこと。10時になると風が吹いてきてだめなんだ、とのこと。
すごい真面目だ。真面目なサーファーだ。また尊敬の眼差しで見つめてしまいました。

よし、おれもせめて午前中に行くことを習慣にしよう、いつか。と心に決め、少しよい気分でシャワーを浴びに帰ったのでした。

ブログのデザインが変わりました!

みなさん、お気づきでしょうか、ブログのデザインが変わりました!
どうでしょうか?takaのブログにふさわしいものになっているでしょうか。
ということで、いきなりですが、アンケートをとります!
右上に「ブログのデザインどうですか?」というアンケートを設置しました。
期間は1週間、「イケてる」「イケてない」「どうでもいい」の3択です。
みなさん、こぞって投票、お願いします。率直なところをお願いします。
takaがデザインしたわけではないので、どんな結果が出ても全く傷つきません。

とりあえず、どうかな?と聞いてみたくなっただけなのです。
さてさて。

1/11/2012

びゅおおおおお〜

今日はさらっと報告です。

ビーチ沿いをつらつらと散歩していたら、耳慣れない「びゅおおおおお〜」音というが聞こえてきました。
?ラジコン飛行機?でもそれらしき機影は見えません。
海鳴り?日本海でもあるまいし、はてな?

どんどん音近づいていきます。ついに音の発生地点に来たはずなのですが、音源を特定できません。
どこから鳴ってるんだ?
あたりをぐるぐる見渡してもそれらしきものがありません。でもたしかにここらへんで音がなっている。
びゅおおおお鳴っている。あたりの空気全体が振動しているかのように鳴っている。

そしていろいろ歩き回り、どう考えてもここだという地点を探り当てました。そこには一本の竹の棒が立っているきりです。
すると

「?!#$」??ア6%?」

突然こんな漫画みたいな驚きがやってきました。
そうです、その竹をよく目をこらしてみたら、竹に薄い切れ込みのような穴が節ごとに空けてあるのが見えたのです。
まさか、このためにこの竹は立っている??
そうです、そうにちがいありません。その無造作に立てかけてある4メールほどの竹は、この音を鳴らすために風の中に立てられているのです。

バリ文化、やっぱりあなどれねえ。

ビーチをあるけば物売りやガイドがしつこくつきまとうバリ島、芸術の島、バリ島はどこへいったのだと思っていたのですが、こんなところにその片鱗を見せていました。あぶねえ油断するところだった。やっぱバリ島はんぱねえ。
こんな観光客もまばらななんでもない海岸に、たぶん自分たちの楽しみのためだけに、その風の音を愛でるためだけに、この竹はここに立てられているのです。さも当然のように。

では、そろそろ音を聞いてもらいましょう。なにやらYouTubeで聞くと不穏な音が鳴っているように見えますが、その場にいると、なんとも別次元、いや、急に別の時間、なつかしの時間、古い魂たちの国に迷い込んでしまったかのような、不思議な気持ちになるのです。聞いてみてください。ビッグな竹笛、はんぱないです。


1/10/2012

バリ島電源カフェ

ここではバリ島でパソコン作業ができるカフェの情報を載せていきます。見つけ次第、順次更新していきますので、たまにチェックしてください。左の「バリ島電源カフェ」から行けます。基本的に、無料WiFiがあり、電源も使えるところを載せていきます。僕もよく出没しますので見かけたらお気軽に声をかけてください。


【6 Point Cafe】
地区:サヌール
WIFIあり、電源あり(室内入り右手壁際の席。タップ複数あり。店員の許可あり)

場所:Jl.Danau Buyan 74 - Sanur
サヌールのバイパス沿いのマクドナルドのすぐ隣です。バイパスを北に向かって走ってきたなら、マクドナルドの交差点を右に入って、すぐです。テーブルはたくさんあります。電源が使える席は、4つくらいあるので、来てみればなんとかなるでしょう。
店員もにこやかきさくで、感じいいです。電源も使っていいよ、と言ってくれました。
ビリヤード台があるのでたまにうるさいときもありますが、概ね快適に作業できるでしょう。
夜は10時くらいまでやっています。



【ダンキンドーナツ】
地区:サヌール
場所:
サヌールのバイパス沿い、KFC(ケンタッキー)の向かい側です。
WiFiあり、電源あり(一番奥の席1つだけ使える)
電源が1つだけであり、現地の人もよく利用するので、電源のある席を確保できない場合もあります。
上記の[6 Point Cafe]のほうがオススメです。
ダンキンドーナツは24時間営業なので深夜の利用に便利です。

てんとう虫の飛ぶ意志

日本ではすっかり冬なところ申し訳ないが、今日は忘れないうちにてんとう虫について書いておきたい。

春になったらまた思い出してください。

みなさん、てんとう虫の「飛ぶ」ことに対する意志は尋常じゃないのをご存知ですか?
その意志はイチローを彷彿させるというか、ちょっとちがうけど、長友真っ青というか、とにかくすごいんです。

ぼくはてんとう虫をみつけるとその飛ぶ意志を確かめずにはいられません。しかし一匹の例外もなく、あいつらは半端ない飛ぶ意志を内に秘めているのです。

こういうことをしてみてください。
てんとう虫を見つけたら、そっと捕まえて、手の甲にそっと載せるのです。そしてすかさず指を上に向けて手の甲を垂直になるようにします。すると、てんとう虫は即座に指の先をめがけてよじ登ってきます。
そして、あっと言う間に指の先端までくると、羽をバッと広げて電光石火で飛び去ってしまうのです。
ここまでわずか2.5秒くらいでしょう。

ほんとですよ。

で、面白いのはここからなんですが、
てんとう虫は、垂直面にしがみついている時は飛び立てないらしいのです。
ですので、必死に壁を登っててっぺんを目指してきます。てっぺん、つまり、すこしでも平で、てんとう虫が背中を上に向けられる場所にくると、すかさず羽を広げ、飛んでいきます。
おわかりでしょうか?

で、こういう遊びが成り立つ訳ですが、
いったい何秒間、てんとう虫を飛び立たせずに手の上を這わせておけるか、というゲームです。
10秒やるのは超難しいですよ!

つまり、手の甲から指先まで2.5秒くらいで到達してしまう奴らです。10秒いさせようと思ったら、彼らが指の先端に到達しそうになるやいなや、こんどを指先が下になるように手をひっくりかえすのです。
そうすると奴らは、指のてっぺんに登ったとおもったとたんに、指先に逆さにぶらさがっていることになります。これでは飛び立てません。
奴らはそれでもめげることなく、1ミリセカンドの躊躇も逡巡もせず、即座にこんどを手首のほう、すなわち上の方をめがけて登ってきます。そして、指の付け根など、すこしでも山になっているところに来ると、即座に羽を広げて飛び立ってしまうのです。まさに電光石火。速いです。

やってみればわかります。やつらは決して迷わず、かたときも飛び立つことへの意志を曲げず、忘れず、そして必ずしもてっぺんや、まったくの平な場所でなくとも、壁の途中のわずかなでっぱりを見つけると、まったく躊躇なく、抜け目なく、チャンスを見逃さずに、羽を広げて飛ぶのです。

ほんとうです。

彼らは本当に迷いがなく、そしてあきらめず、動き続けるのです。そしてついには必ず、飛び立てる場所を見つけ、飛んでいくのです。

このてんとう虫とのゲームにぼくは「勝った」と思えたためしはありません。
いつだって、え、もう飛んだ?というほどすばやく、飛び立たれてしまうのです。

やってみてください。きっとあなたもてんとう虫を見直すでしょう。

1/08/2012

バリ島インターネットモデム:smartfrenで気をつけて

先日、バリ島ではsmartfrenというインターネットモデムを使っていると言いましたが、ひとつ気をつけてほしいことがあります。

それは、サービス期間が切れて自分でプルサ(料金)を払い込む場合の注意点です。

smarfren、2ヶ月のサービス期間が切れると、アクセスしようとしても「Ooops!」みたいな画面が出て、ネットに接続できなくなります。つまり、今後は毎月の料金を入れてください、ということです。

そこで、ぼくはコンビニに行って50000ルピアを払い込んできました。たしかRIMOでモデムを買うときに、毎月の料金は50000ルピアだと聞いていたからです。
で、家に帰ってモデムを接続したのですが、なぜかつながりません。あいかわらず「OoooPs!」画面が出てしまいます。

ぼくは、もしかするとあの店員、プルサのチャージを間違えたな、と疑いました。間違った番号に対して
支払いをしてしまったのかもしれません。

あーあ。でも戻ってクレームを入れるのも面倒なので、こんどは別のコンビニに行ってまた50000ルピアをチャージしました。
(ちなみに、チャージ方法は、店員にモデムの電話番号を見せ、払いたい金額を言うだけです)


で、こんどこそはと帰宅してモデムをつないでみました。今度はたしかに復活しています!ぼくはルンルンとネットをつかっていました。しかし、また翌日、OOOPS!が出てしまったのです。

どういうことだ???

ぼくは怒り心頭でsmartfrenの営業所にどなりこみました。どうなってるんだ!お金は払い込んだのに使えないぞ!でも店員は、プルサがチャージされていません(つまりお金が支払われていない)の一点張り。

ここで押し問答してもしょうがないので、じゃあ、今払うよ、とふてくされて言いました。
すると、ではどのプランにいたしますか、とのプラン表が。

よくみると、プランには、Unlimited(無制限)と、limited(従量制)があったのです。
あ!そうかもしかして!ぼくが振り込んだお金は、自動的に「従量制」のほうに流れてしまって、1日で払った分を使い切ってしまったのかもしれません。たしかにYoutubeとかがんがん見ていましたから。

ちくしょーと思いつつ、Unlimited(無制限)の毎月払いを選択。1か月で90000ルピアとのこと。
これで無事、その後の1ヶ月を使うことができました。
ただし、宣伝文句の3.1Mbpsは従量制のほうのスピードで、無制限のほうは384kbpsが最大とのこと。詐欺だよね〜。でもそれでもバリ島では一番ましっぽいので仕方が無い。


で、本日、2回目の「Oooops!」が出ました。もう1月たったのです。
こんどは営業所以外でのチャージに挑戦することに。近所の携帯屋でプルサをキャリア名[smart]あてにチャージします。すこし余裕をみて100000ルピアにしておきました。
で、家に帰ってOoops!画面の右下にあるログインボックスに電話番号とパスワードを入力してマイページにログインします。メニューから「BUY」という項目を選んで、そこで「Unlimited」の1ヶ月コース(90000ルピア)をBuyしました。

するとどうでしょう、無事、インターネットが開通しました。
これで、あと1ヶ月使えたら、大成功というわけです。

最後に確認ですが、プルサが切れた場合、コンビニなどで払い込むと、自動的に「従量制」になってしまう可能性があります。いくら払い込んでも数日で終わってしまうでしょう。ですので、営業所に行って店員に「無制限」を選ぶことを伝えつつ料金を払うか、コンビニで払った場合は、あとでマイページに行って自分でUnlimited(無制限)のサービスをBUYするようにしましょう。

小さな落とし穴ですが、落ちると腹がたちますので気をつけてくださいね!

1/06/2012

シェア住みのススメ:失恋が隠せない

いま、Facebookで、この前まで住んでいた吉祥寺のゲストハウスで餅つきをやったよ、という写真を見ていて、懐かしい顔を見ていて、ああ、おれここに住んでいたんだな、よかったな、としみじみしたので投稿します。

そのゲストハウスには20人弱くらいで住んでいました。シェアハウスとちがって、運営会社がいる形式です。入居者はふつうのアパートのように運営会社と賃貸的な契約を結びます。ただ、キッチンとかトイレとかシャワー、リブングルームを共有するのです。

まあ、一緒にご飯つくってたべたり、毎月のようにパーティーしたり楽しい訳ですが、ぼくが一番いいと思っていることは、これがまた、失恋も隠せないような付き合いを半ば強制されることです。

もちろん、人によって住み方は自由、他の住人と距離を保っておきたい人はそのように住むこともできます。ですが、社交好きの人は毎日リビングに降りてきて誰彼となく談笑する日々を送ることになるでしょう。そんな楽しい毎日を過ごしていて、あなた、突然失恋したらどうなると思いますか?いや、恋人は他のところに住んでいたり、住人たちに顔も見せたことがないにせよ、です。
本格的な失恋をしたら当然落ち込みますよね?2週間くらい部屋からでてこなくなりますよね?当然生きるために仕事には行くでしょう。いまにも泣き崩れたい内心を隠して職場ではニコニコとなんとか8時間やり過ごすでしょう。そのくらいは大人なら朝飯前です。ところが家にかえってまでそれができますか?なかなかどうして24時間は無理ですね。また、まだ気持ちの整理もついていない頃は、誰にも会いたくないという心境になるでしょう。そうすると、あんなに毎日顔を出していたリビングに一切近寄らない、という行動をとらざるを得なくなります。
そうなると、3日もたたないうちに、あいつには何かあったな、と勘のいい奴に気づかれ、廊下でもふっと目を背けたりしようものなら、とたんにハウス中のうわさです。あいつは何かあったらしい。
で、2週間もたつころ、住人達の秘密の会議が繰り返された結果、どうやらあいつは失恋したっぽいね、85%の確率であたりだろう、という結論がだされます。そして、住人達はやさしくなるのです。

どうですか、ちょっとうざい環境に聞こえますね。
でもなかなかどうして嵐が過ぎ去ってみれば、毎日愚痴を聞いてくれる仲間がそこにいる、という事態になるのです。あんな女よーどうでもいいんだよー、そうだそうだその通り!飲まずにいられるか〜というわけです。

そんな風にお互いの恋愛から失恋、失業から転職までをつかずはなれずの距離で見合った結果、不思議な連帯感が生まれてくるのです。いま、ゲストハウスを離れ、バリにきて、もう結構疎遠で、なんのことはない、誰からもメール来ないんですが、でもたまにチャットが入ったりして、まあなんだかんだと関係が続いていきそうな気配なのです。

だっておれは、あいつらのあんなことやこんなことも知ってるし、あんな顔やこんな顔も見たからなあ。おれも見られたからなあ。親友でも同士でもなんでもないけれど、ある時期いろんな姿を見られあった仲間として今後も生きていくんだろうな、と思ったら、青春時代がぶり返したような淡くせつな楽しい気持ちになったのでした。

長くなりましたが、シェアな住み方、一度はやってみて。オススメです。

待ったら生まれた

忘れないうちに書いておこう。
紹介したい話があるのです。

これはぼくの書くものによく登場する吉福伸逸さんが言っていたのだが、
たしか実話だと言っていたと思いますが、
少し前、それほど昔じゃない時代に、とある南の孤島では出産に関して独自の風習があったそうです。
それは、ここからは少しエグい映像を喚起させてしまう描写になるので、妊婦さんや女子は読まないほうがいいかもしれません。気分がいいときに読みましょう。

そのとある南の島では、妊婦が臨月になると、竹でお腹をさいて赤ちゃんを取り出す慣習があったそうです。いわば超強引な帝王切開です。当然、母親は死んでしまいます。赤ちゃんは村人で育てるということです。そんな風習がずっとつづいていた村があったそうです。

ところが、ある男が、つまり父親になる予定のある男が、妻が死ぬのはいやだ、忍びない、と、妊娠した奥さんを連れて村から逃げたそうです。そして、どんどんふくらむ妻のお腹を見ながらもどうしようもなくそのままにしていた。そしたら、赤ん坊が生まれた。

男は驚き狂喜乱舞し、妻と赤子をつれて村に報告した。それ以降、その村では自然分娩をするようになったそうです。もう母親は死ななくてよくなったのです。

馬鹿みたいな話ですが、たしか実話だったと思います。

ぼくはこの話が好きです。

妻が死ぬことが忍びず、逃げて待っていたら生まれた。そういう話です。

もちろん、妻も赤ちゃんも死んでしまうという可能性も男の頭にはつきまとったことでしょう。でも待った。それ以外にできることがなかっただけかもしれないが、待った。待ったら生まれた。

待ったら生まれたのです。

お叱りを受けています

ずっと更新してなかった鷹の目を再開しました。

きっかけは、某一緒に仕事をしたことがある人から、鷹の目が更新されてないからつまらない、と言われたので、かわりにブログ書いてるんだよ、と言ってみたものの、ブログのほうはつまらない、と「つまらない」を2回も言われたのにカチンときて、じゃあお前がネタ出せよ、と言ってみたところ、見事にネタを送ってきたので、引っ込みがつかなくなって、というかそのネタが面白かったので、再開しました。無事再開できましたありがとうございます。

そして、最近、某Nという奴からもお叱りをうけました。

メールでネガティブなことを言い過ぎだと言うのです。

ネガティブなtakaは見たくない、つまらない、ということです。また「つまらない」です。

つまらない、と言われることほどつまらないことはありません。私はショックを受けました。

そ、それはいかんね。

そしてN師はこうも言うのです。ノッてるときのtakaは最高さ!(二カッ)

そこまで言われたら、おれも考えます。ノっていこうじゃないか。

しかし、ここで立ち止まってしまったのです、待てよ?

おれ、ノリ方をしらないぞ。。

そうです、ノリ方を知らないのです。いったいどうすれば。

N師は、ネガティブにさえならなけりゃあいいんだ、と言います。

ではそれを信じることにするしかありまちぇん。

しかし、ネガティブにならない、というと私などにとっては、現実を直視しない、という意味になってしまうのです、ちがうのでしょうか。

しかしネガティブになると、つまらなくなる、というのはどうにも事実なのであり、ではネガティブを見せなければいいんじゃないか、という仮説が今立つわけですが、いかがでしょうか。

でもネガティブを見せないというと、私などにとっては、嘘をつく、ごまかす、という意味になってしまうのですが、いかがなものでしょうか、ちがうのでしょうか。

どうすればいいのでしょうか。

しかしネガティブを見せることが、自分の真を見せていることになるかというと、それも怪しい。私などは元来もっと自由な人間のはずだ、などというご指摘もあるのです。

ネガティブという免罪符を使ってきたのかもしれません。

2012年は、免罪符を捨てようと思います。

もちろん、ネガティブなときはネガティブにしてるよりほかはないのですが、免罪符は捨てよう、と。

サーフィンにもノリ方があるように、わたしにもノリ方があるのでしょうか。

というか、何に乗るんでしょうか?

やっぱりノルといえば波に乗るんでしょうね。

実はサーフィンで大切なのは「乗るぞ」という意志だったりするとは、湘南サーフィンスクールの先生に教えられたことです。次の波に絶対乗るぞ、って気持ちでやらないとなかなか乗れないよ、って。

まあ、だらだらと書いてしまったけど、2012年は免罪符を捨てる。それを誓いにしつつ、ノっていきたいと思っていますので、しからず。

1/02/2012

認めたくなかった事実

ちょっと前から気づいていたけど、認めたくなかった事実があります。
今日はいやというほどそれがわかったので、認めざるをえないでしょう。
こんな深夜に苦しんでいるのですから。

いまここに(しかしまだ3%くらいはそうでないといいと願っているのですが)高らかに宣言しましょう。
この非情な事実を受け入れる準備ができたことを。
好きだったのに、あんなに大好きだったのに。しかし事実はかくも冷たい。。


そうです、今こそ告白しましょう。

わたくしtakaは、マンゴージュースを飲むと、ひどく腹を壊します。

以上!

夕食でマンゴージュースを飲んでから何回トイレにいったことでしょう。片手では数えられません。

残念です。あまりに残念です。
日本ではおいそれとは飲めないマンゴージュースを安価で飲み放題だというのがバリ島の醍醐味中の醍醐味だと思っていたのですが。しかし、しかし。

マンゴーの中にある何かの酵素かなんかが腹にくるようです。

大好きだったのに。しくしく。

しかし、家にいれば腹を壊したってへっちゃらです。何度でも気が済むまでトイレに行けばいい。トイレで仕事すればいいし、本読んだっていい。時間は何時間でもつぶせます。
なのでこれからもマンゴー上等で生きたいと思います。ただし、飲んだら速攻で家に帰ります。

それだけです!

ノリウェイの森(ネタばれあり)

2012年は村上春樹から始まった(ような気がした)。
悪くないでしょう。

大晦日はパーティーに呼ばれてお酒を飲んで踊って花火を見てHappy New Yearをした。
その後でゲイが集まるクラブに行って、道路まで溢れ出して談笑している人々に混じってポカンとしていたら、グッドスマイルの人にそっと腰をだかれて、僕も抱き返して、しばらく二人のでニコニコしていた。
前にいた人がまたグッドスマイルを返してくれた。なんだがなごむな〜と思いながらダンスミュージックを体に浴びていたのでした。

そして、明けて元日、今日は一日雨が降っていました。
けだるい体をベッドに横たえて、だらだらと寝正月を決め込む。
そう、そして年末に小さな発見があったのです。

それは、うっかり消してしまったのだと思っていた「ノルウェイの森」のDVDが、ぼくのMacの中にちゃんとあったのです。昨年、バリに来る前に見ようと思って借りたのだが、なぜがその頃、借りても借りてもDVDを見ることができず、Macにコピーしては返却する、みたいなことをしていたときがあり、まさかの待ちに待ったノルウェイの森でさえも、その時は見ることができず、でもこれだけはと思ってコピーしてバリにきたはずが、探してみるとどこにもなく、すっかり諦めていたところに、あらぬ場所に保存されていたことを見つけたのが3日前くらい。ディスクの容量がいっぱいになり整理をしようとしていたら見つかったのです。

で、今夜はどこか気分も静かで、ついにこのDVDを再生してみたのでした。

ノルウェイの森、よかったです。

ぼくは、ずいぶん前に小説も読んでいて、そのときから大好きなんですが、映画もそうとう好きになりまいた。

ぼくは小説を読んだとき、ラストシーンが好きで、ラストに主人公がみどりに電話をかけるところが好きだったんです。ああ、最後はこのシーンでよかったな、と。希望が描かれていてよかったな、と思っていたのです。そう、それでいいんだ、と若い主人公に言ってやりたい気持ちになったものです。

小説のときからみどりが好きで、映画でもやっぱりみどりが好きでした。

みどりの誘いを断ったあと、主人公が徹底的に無視されるのですが、こんなシーンがあります。
みどりが友人とベンチに座ってしゃべっています。
主人公がみどりを見つけますが、あきらめて通り過ぎようとしますが、やっぱり戻ってきて、
「ねえ、君と話がしたいんだけど」と言います。
みどりは、「これから友達と約束があるの」的なことを言います。(さっきみたいのにもう台詞忘れた)
主人公は「5分もかからないから」と言います。
みどりは、「話したくないの」と言います。
主人公はあきらめて去っていきます。みどりは厳しい顔で主人公の後ろ姿を見つめます。
このシーンが好きになりました。「話したくないの」というみどりのあまりの正解感に酔いしれました。
それはもうやさしさとさえ応対でした。つんでれとか言うのかもしれませんが、こういうことをストレートにやってしまうみどりが好きなんです。

そして、もう少し時間が経過して、みどりは突如主人公を許します。
そして、いまはだめなんだ、時間が欲しい、という主人公にこう言います。
「いいわ、待ってあげる。(中略)でも私を傷つけないでね。これまでの人生で十分に傷ついてきたから。わたし幸せになりたいの」

いいね〜。幸せになりたいの。このような言葉を私は好みます。

この前のブログで、幸せになるために生きてるわけじゃない、と書きましたが、一気に覆したい気分です。やはりわたし、幸せになりたいの。決まってます。そしてそれを望む権利は誰にだってあるのです。

そして、どことは言いませんが、主人公が放つこのことば
「ぼくは本来、楽天的な人間なんだ」

このようなことばが吐けたら。

これは独り言ではいけません。これは大切な相手に向かって放たれる言葉に他ならないのです。

そして、いま、ぼくのイヤホンからは、ビートルズのノリウェイの森がリピートしていることは言うまでもないことですが、映画を見終わったとき、なにかことばが浮かんできたのを思い出しました。

みんな傷の上を歩んでいくんだな、ということです。

人はあらかじめ傷つくのです。
それは、生まれた境遇やなんやかやには関わり無く、この世に生まれたということで、多かれ少なかれ傷つくことを運命づけられて生まれてくるのです。そしてその傷の上をよろよろと、人に寄ってはがっぽがっぽと歩いていくのです。

そしてその傷への対応方法がその人の生き様となっていったりするのかもしれません。

傷の一番の対処方法は舐めることです。舌で舐めますね。傷には味があるのです。

そして若い二人には希望があるのです。それだけでもういいじゃないですか。十分ですね。
傷と希望と相手がいれば、人生はたいていは十分なのです。

そして、主人公は最後に「きみを愛しているんだ」と言います。

この言葉は小説にもあったでしょうか。失念しました。
ぼくは「え?」っとちょっと驚きました。主人公がそう言うとは思っていなかったのです。
愛してる、なんて言っちゃうんだ?って。

でもこの唐突なことばはやはり、ここに必要だったのかもしれません。
受話器の向こうにはみどりがいたのです。