2012年は村上春樹から始まった(ような気がした)。
悪くないでしょう。
大晦日はパーティーに呼ばれてお酒を飲んで踊って花火を見てHappy New Yearをした。
その後でゲイが集まるクラブに行って、道路まで溢れ出して談笑している人々に混じってポカンとしていたら、グッドスマイルの人にそっと腰をだかれて、僕も抱き返して、しばらく二人のでニコニコしていた。
前にいた人がまたグッドスマイルを返してくれた。なんだがなごむな〜と思いながらダンスミュージックを体に浴びていたのでした。
そして、明けて元日、今日は一日雨が降っていました。
けだるい体をベッドに横たえて、だらだらと寝正月を決め込む。
そう、そして年末に小さな発見があったのです。
それは、うっかり消してしまったのだと思っていた「ノルウェイの森」のDVDが、ぼくのMacの中にちゃんとあったのです。昨年、バリに来る前に見ようと思って借りたのだが、なぜがその頃、借りても借りてもDVDを見ることができず、Macにコピーしては返却する、みたいなことをしていたときがあり、まさかの待ちに待ったノルウェイの森でさえも、その時は見ることができず、でもこれだけはと思ってコピーしてバリにきたはずが、探してみるとどこにもなく、すっかり諦めていたところに、あらぬ場所に保存されていたことを見つけたのが3日前くらい。ディスクの容量がいっぱいになり整理をしようとしていたら見つかったのです。
で、今夜はどこか気分も静かで、ついにこのDVDを再生してみたのでした。
ノルウェイの森、よかったです。
ぼくは、ずいぶん前に小説も読んでいて、そのときから大好きなんですが、映画もそうとう好きになりまいた。
ぼくは小説を読んだとき、ラストシーンが好きで、ラストに主人公がみどりに電話をかけるところが好きだったんです。ああ、最後はこのシーンでよかったな、と。希望が描かれていてよかったな、と思っていたのです。そう、それでいいんだ、と若い主人公に言ってやりたい気持ちになったものです。
小説のときからみどりが好きで、映画でもやっぱりみどりが好きでした。
みどりの誘いを断ったあと、主人公が徹底的に無視されるのですが、こんなシーンがあります。
みどりが友人とベンチに座ってしゃべっています。
主人公がみどりを見つけますが、あきらめて通り過ぎようとしますが、やっぱり戻ってきて、
「ねえ、君と話がしたいんだけど」と言います。
みどりは、「これから友達と約束があるの」的なことを言います。(さっきみたいのにもう台詞忘れた)
主人公は「5分もかからないから」と言います。
みどりは、「話したくないの」と言います。
主人公はあきらめて去っていきます。みどりは厳しい顔で主人公の後ろ姿を見つめます。
このシーンが好きになりました。「話したくないの」というみどりのあまりの正解感に酔いしれました。
それはもうやさしさとさえ応対でした。つんでれとか言うのかもしれませんが、こういうことをストレートにやってしまうみどりが好きなんです。
そして、もう少し時間が経過して、みどりは突如主人公を許します。
そして、いまはだめなんだ、時間が欲しい、という主人公にこう言います。
「いいわ、待ってあげる。(中略)でも私を傷つけないでね。これまでの人生で十分に傷ついてきたから。わたし幸せになりたいの」
いいね〜。幸せになりたいの。このような言葉を私は好みます。
この前のブログで、幸せになるために生きてるわけじゃない、と書きましたが、一気に覆したい気分です。やはりわたし、幸せになりたいの。決まってます。そしてそれを望む権利は誰にだってあるのです。
そして、どことは言いませんが、主人公が放つこのことば
「ぼくは本来、楽天的な人間なんだ」
このようなことばが吐けたら。
これは独り言ではいけません。これは大切な相手に向かって放たれる言葉に他ならないのです。
そして、いま、ぼくのイヤホンからは、ビートルズのノリウェイの森がリピートしていることは言うまでもないことですが、映画を見終わったとき、なにかことばが浮かんできたのを思い出しました。
みんな傷の上を歩んでいくんだな、ということです。
人はあらかじめ傷つくのです。
それは、生まれた境遇やなんやかやには関わり無く、この世に生まれたということで、多かれ少なかれ傷つくことを運命づけられて生まれてくるのです。そしてその傷の上をよろよろと、人に寄ってはがっぽがっぽと歩いていくのです。
そしてその傷への対応方法がその人の生き様となっていったりするのかもしれません。
傷の一番の対処方法は舐めることです。舌で舐めますね。傷には味があるのです。
そして若い二人には希望があるのです。それだけでもういいじゃないですか。十分ですね。
傷と希望と相手がいれば、人生はたいていは十分なのです。
そして、主人公は最後に「きみを愛しているんだ」と言います。
この言葉は小説にもあったでしょうか。失念しました。
ぼくは「え?」っとちょっと驚きました。主人公がそう言うとは思っていなかったのです。
愛してる、なんて言っちゃうんだ?って。
でもこの唐突なことばはやはり、ここに必要だったのかもしれません。
受話器の向こうにはみどりがいたのです。
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