8/30/2013

沖縄でも波乗り

先日、ついに念願の沖縄でのサーフィンに行ってきました。台風が近づいて波がたってきたのです。沖縄では恐れ嫌われている台風ですが、サーファーにとっては恩恵をもたらす風でもあります。

沖縄在住の友人たちにシークレットっぽい場所に案内してもらい、ゲットイン。果たして一年ぶりの波乗りは。。。

案の定、パドリングができない。。10かきくらいで腕がぱんぱんになってしまいます。沖へとぐんぐんパドリングしていく友人達にかなり置いてきぼりになりました。ボディボーの女の子たちが憐れみの眼でみているのがつからったです。

しかし、かなり遅れてようやく追いつくと、もうみんな波をつかまえて波乗りを楽しんでいました。先客を含め、10人ほどでポイントをシェアします。みんな笑顔で気持ち良い人たちでした。僕はといえば、波にのるどころか、カレントに流されるのを必死で元にもどるだけで、ぜんぜん波乗りの余裕がありません。あーでも、どこか満足。こうしてボードの上に腹ばいになって波を待っているだけで、すこし幸せな気分です。またこうして波乗りできてる。

そして、一時間も過ぎたでしょうか、セットの波が2,3個続き、みんながひと通り波に乗っていったころ、忘れたようにもうひとつ波がやってきました。これだ!ぼくは必死でパドリング、あっという間に波に追いつかれましたが、気がつくと、ボードの上に立っていました。

あれ、立ってるぞ!おもわず両手をあげて声をあげてしまいました。友達がこっちに気づいて、グッドサインを出してくれます。あー立てたんだなーっと、しみじみ喜びを感じる時間を、波は与えてくれました。かなりのロングライドとなりました。

僕は嬉しかったのです。波乗りが僕を覚えてくれた、そんな気がしました。一年ぶりなのに、一発で立てた。この波に乗る、と心で決めてからはあとは体が勝手に動いたのです。もちろん考える暇などないのがサーフィンです。体が勝手にベストなタイミングでパドリングを開始、ベストなタイミングで立ってくれたのです。ああ、覚えていたんだね、ありがとう。自分の体が誇らしく、波乗りの神様にやさしくされた気がしました。

その日は結局、その一本だけ。でも大満足。爽快な気分で帰途につきました。友人達に感謝です。

また同じ友人たちに連れていってもらった、真栄田岬のシュノーケリング、青の洞窟までのぷち旅行も、すごく楽しかった。崖っぷちの階段を降りれば、そこはもう水族館でありました。カラフルな魚たちがいっぱいいました。それに負けないくらい、スキューバのお客さんもいたけどね。でも、予想外に本格的なシュノーケリングができて、ぼくはうれしかったです。船でいくダイビングは今回は面倒で行きたくないな、って思ってたから。

そして今、よる10時、嘉手納基地ちかくのマクドナルド。満席です。老若男女です。都会と田舎。そんなことを考えました。沖縄は、ざっくり言えば田舎です。都会ではありません。だから、どんどん人に出会っていったり、コアな欲求をみたしてくれる娯楽もありません。仕事的なものがどんどん展開しそうな予感もありません。つまり、チャンスや出会いが転がっている感じはありません。

それが物足りないと思うのですが、海があって、広い空がどこからでもいつも見えています。そのことが気持ちを広くするのは間違いありません。入ろうと思えば毎日海に入れる環境も、やはり心身の健康にはいいことです。

沖縄では、近所づきあいが残っているようで、都会とはちがって、みんな顔見知りのしがらみ社会を生きることになるのでしょう。それは面倒くささや窮屈さにつながりますが、いつも知ってる人に声をかけられるという安心感にもつながります。とくに子どもたちがとっても近くにいます。沖縄にきて、子どもと遊ぶ機会が多かった気がします。そういうのも心身の健康にいいと思われます。

でも、と思います。でも僕はやっぱりもう一度都会の戻るでしょう。たぶんバンコク、そうでなければ台北、日本の都会かもしれません。でも、と思います。でもまたしばらくしたら海が恋しくなって、沖縄や、バリ島やに行くでしょう。実際、そんな風に動いてきています。

そんなどっちつかずな状態を、なんでだろう?どっちかにすればいいのに、と他人ごとのように眺め、困ったな、と思っているのですが、もしかすると、これはとても自然な感情なのかもしれません。都会と田舎、どっちもいいし、どっちもいまいちだし、両方とりたいけど、1ヶ所で両方そなえた場所はたぶん、ないんじゃないかな。だから、僕は移動しつづけることになるんだろう。

都会と田舎、だけじゃなく、外国と国内、ひとりでやる仕事と、みんなでやる仕事、パソコンでやる仕事と、体を使う仕事、そういうのは本当はひとつに決める必要ないのかなって思ったり。現実を見れば、何かを選ばなくちゃいけないかもしれないけど、何かひとつを選んだ時に、それでバランスがとれているわけではないし、ひとつにすることだけが正道ではないと言う気もする。とはいえ、やはり本腰は入れたほうがいい気がするし。いったい何おれはいつまでもをいっているんだろう。。

とにかく、もうすぐ長かった沖縄滞在が終わります。お世話になった友人達に感謝しています。




8/24/2013

沖縄のこと

沖縄滞在が一ヶ月を過ぎた。これくらいいると、日常と非日常が入れ替わってくる。けっこう前から沖縄に住んでいるような気になってきた。そして、果たしてどこから来たんだっけと遠い昔のように思い返す。

こんな話を聞いた。これは、又聞きになるのだが、下北沢のカフェで偶然出会った、ある旅人作家のひとから聞いた話。その人曰く、日本全国いろんな場所にいったけど、沖縄のおじいちゃんたちも面白いよーとのこと。

なんでも、こういう会話があったらしい。沖縄はブラジルなどに集団移民した土地柄でもある。沖縄のあるご老人と話しているときに、その老人は若い頃にブラジルに渡ったそうである。その理由が「戦争が始まりそうだったから、」だそうだ。戦争がおっぱじまりそうだったから、ちょっとブラジルさ行っただよ、ということらしい。

この話あくまでも、ビールを飲みながらの聞きかじりであることを前提で話をすすめます。

なんだかスケールが大きいな、と思ってしまった。戦争はじまりそうだったから、ちょっとブラジルいってくるわ、と聴くと、なんてたくましいんだ、と思ってしまう。これは、お国のために戦うぞ、とか、逆に、命をかけて戦争に反対する、とはまた別の種類のたくましさだ。

おもえば、社会が大きくうねり、ある方向へ雪崩をうって動き出しているとき、それに抗うのは非常に非常に困難なことである。そのとき、俺はこのゲーム降りるぜ、というのもひとつの命の張り方なのだと思う。というか、命の大切の仕方、だね。

まあそんなことより。沖縄いるのに海にぜんぜん入ってない。 というか、この一ヶ月でどう過ごしていたのか記憶があいまいだ。たぶん夏バテでぼーっとしていたのだろう。最近ようやく頭がはっきりしてきた。すこし涼しくなってきたのだろうか。沖縄も暑いが、本土も暑いと聞く。

というか、そんなことより。仕事場にしていたマクドナルドががら空きだったのにほぼ満席になっていた!いま夜の10時。子連れも多い。あ、今日は土曜の夜だ。

 フィンランドは原発の核燃料の処分場を作ったそうである。地中に埋めるのだという。日本も淡々と廃炉して処分してという工程を進んでいかなくてはならない。例えば福島はそれ以外に選択肢はない。福島の原発を廃炉にする工程をしっかりと歩めば、ほかの原発にも応用できるだろう。最終処分の方法はたぶんまだ決まっていない。国を割る議論が起こるかもしれない。でもこれは、脱原発、原発推進を問わず、決めなければいけない課題である。どっちみちもう、使用済み燃料棒は福島で不安全な形で待っているだから。より安全な方法でどこかに「保存」しなければならないのだ。ああ、どっちに転んでもスッキリしない未来である。燃料棒の無害化はまず不可能だからである。ただどこかへ移動できるだけなのだ。海へ流れた放射性物質も、どこかには漂う。海の中で無害化したりはしないのだ。ただ薄まったりするだけである。

 原発のことは国内だけで議論しないで、フィンランドなどの人も交えて、妥当な議論をしていかないといけない。イデオロギーの問題ではないのだ。もっと合理的な問題なのだ。いずれどうにかしなければいけないことを、いつどうするのがいいのか、そういう問題なのだ。













姪のこと

姪がファミリーのイチ員に加わってから、ファミリーというのは血族というようば意味ですが、加わってから、僕の感覚がすこし変わってきている。

まず、なにより、突然やってきたごく近い親族に驚く。突然現れた。傍若無人に大人たちを振り回している。そして、顔が姉のこどものころにそっくりなのだ。もちろん僕は姉が2歳やらのことを覚えてはいない。だが、写真などでみる姉の幼児期の顔にそっくりであり、ぼくがかすかに覚えている面影にも似ている。姪といると二重の意味で子供時代がフラッシュバックする。まず、子どもと遊ぶことで、子供時代の感性が少し思い出すような気持ちになるとともに、姉と遊んだ子供時代をダイレクトにデジャブーするような気もする。

まあ、それはどうでもいいか何よりも、2歳児ひとりにいい大人が4人も5人も振り回されるのを見ていると、これが幸せなんだと思う。こうやって人は突然やってくるのだ。闖入者なのだ。突然やってきて、周囲の人間をさんざん振り回し、また唐突に「俺」や「わたし」になるのだ。すべてが周囲や本人の準備とは関係なく、ガシガシと進んでいく。だがそのことが騒々しい幸せを運んでくるのだ。

沖縄が思わぬロング滞在になっている。いろいろ事情があって伸びているのだが、そのことでまた沖縄の印象も刻々と変わっていく気がする。例えば、とある地元のエイサーも見れた。とても感動した。

正確にはエイサーの練習を見れたのだ。若者たちが50人ばかり、男は太鼓を片手に、女は踊りと歌をうたって、一生懸命練習しているのを見た。風が強く、ときおり雨がばばばーっと降ってくる夜だった。

みんなすごく真剣だった。エイサーがこんなに真剣なものだとは知らなかった。もっとプロたちによる観光ショー的なものだと思っていた。そうではなく、それぞれの地域で、年に一度、旧盆に、儀式のようなかたちで捧げられるもののようだ。その土地の若者が踊りつぐもののようだ。つまり、ある年齢、たとえば18歳から25歳までの男女しか踊れない踊りなのだそうだ。それってなんだかイイよね!



8/22/2013

原点

いま、原点というコーヒーショップに行ってきた。こだわりのコーヒーが出てきた。手作りケーキもいただいた。コーヒーひとすじ30年的なお店だった。

店内にすごいきれいな絵がかざってあって、姪の絵だという。画家の名前は中原ありさというらしい。店内には手作りの凧も飾ってあって、皇室にも献上されたそうである。布張りのかっこいい凧だった。骨組みが竹でできてて、風で音が鳴るという。バリ島でも風で音がなる竹の楽器?がありますよ、という話をしたら、どういう構造なのかとかなり関心をもっていた。小さな穴が開いてるだけです、というと、こんどやってみよう、と言っていた。おまけにその店主は、シャンソンも歌うらしい。まったく芸術家なのだった。

やっぱり芸術家などはうらやましく思う。なにはともあれ、表現する手段と場を持っているということだ。絵本作家の五味太郎は、なぜ表現するのですか?とは愚問であり、それは、なぜ呼吸するのですか?と同じような質問である、と語っていた。とにかく表現する必要があるからするんだ、理由などない、ということらしい。何かを表現せずにはいられない、それも人間の本性のひとつなのかもしれない。

そして、積み上がるものと積み上がらないものについて考えていました。
人類が人類ぽくなってからきっとうん十万年が過ぎた。もっと限定していけば、少なくともここ数千年は、ほぼ現代と同じタイプの人類が歴史を歩んできた。歴史も伝承されている。これだけの歴史がありながら、積み上がってきていないこともある。

歴史などといわずとも、大人から子どもに伝えられないものがある。たとえば、初恋のとき、いや、初めての失恋をどう乗り越えればいいか。それはただ乗り越えるしかなく、大人の体験談をいくら聞いてもほんの少しのなぐさめにしかならない。いや、例が悪かったようだ。

もっと抽象的に言えば、人ひとりが生きていくということに関しては、ほとんど、歴史から学ぶことはない。もちろん、数々の文学、芸術、映画、音楽、TVドラマ、もろもろが、 人生で起きる一大事をさまざまなシミュレーションとして見せてはくれるし、詩人の言葉がこころのよりどころになったと言う人もいるだろう。しかし、どんな一冊の本だって、本当のところ人生を無難なものにする力などないのだ。

振りかかる火の粉は、文学では振り払えない。ただ、やけどしたあと、傷がいえるまでの時間を少しだけ慰めてくれるだけである。火の熱さは火傷して覚えるしかなく、また、火傷をしない人生などは人生と呼べるものだろうか、と言ってみたりさえする。

もっと簡単にいえば、人類が人類らしくなってから、累計800億人の人間が生まれては消えてきったと言われる。それだけの人生がおりなされながらも、人生必勝マニュアルが未だに完成していないのは何故なのか。800億人もいれば、ありとあらゆる人生の迷い道、落とし穴のパターン、正しい選択の仕方が完全に解明されていてもいいのではないか?

シェールガス掘ってる暇があったら、火星までロケット飛ばす暇があったら、人生必勝マニュアルの完成に叡智を結集すべきではないのか。結局火星にロケット飛ばすのは、人類が幸福になるためではなかったか。

実は必勝マニュアルがないわけではない。数々の仏典などはそれに当たるだろう。およそ人間とはなにか、人間が織りなす世間とはなにか、生命の織りなす血宇宙とはなにかを、科学とはちがう方法で徹底的に解明してきたのが仏教ではなかったか。

しかし、である。仏典を熟知に熟知を重ねた弘法大師でも、人生の悩み苦しみからは片時も開放されることはなかったと僕は想像する。これはどういうことなのか。

思考実験してみよう。子どものころから超がつく秀才で、古今東西のあらゆる文献を読みあさり、ほとんど森羅万象の真実に近い知識を身につけた12歳がいるとする。彼はここから、自ら作り上げた人生マニュアルにそって生き、悩み落ち込むこともなく、危機に陥ることもなく、人と争うこともなく、つつがなく、そつなく、賢く、優雅に生きていくとする。すべては彼のコントロール下にあるのだ。彼ほどの叡智の前では、人生など取るに足らない楽勝のゲームでしかないのである。

あなたはそのうような人生を望みますか?  ということになる。

積み上がらないものが苦しいから、積み上がるものにすがろうとした。人類の歴史をそう読み解くことだってできるだろう。

などと言いながらも、ただちょっと仕事をさぼりたかっただけの俺だったのかもしれない。もどります。






8/18/2013

沖縄でお盆が過ぎて




 前も書いたけど、沖縄は空が広い。朝起きて、外に出て、スカッと晴れ渡った空を見ると気分もスカッとする。そして入道雲は僕は好きなのだ。なんかエネルギーを感じる。

沖縄は、適度に起伏があって、丘にさしかかると海がさあーーっと見えてくる。ちょっとスタバに行くだけでも海を見ずに過ごすのが難しいくらい海が身近にある。やはりそれは精神にいい気がする。

沖縄でも僕は観光意欲に恵まれず、近所のマクドナルドやA&Wにパソコンをもって通う日々を過ごしている。それでも、いまこのマックから見える風景は紛れもない沖縄なのだ。すべての色が鮮やかだ。

沖縄の前半は、車がなかったので、少し苦しかった。バスの移動は疲れるし高いのだ。後半は友人にバイクを借りられたので、行動が一気に自由に。それとともに、沖縄っていいところだなーって気持ちが湧いてきた。それまでは、沖縄って不便でやたら暑いところだな、とうんざりする気持ちもあったのだ。

雨もよく降るので、車があれば最高だ。沖縄では何気ないドライブがとても気持ちいい。走っているだけで海がずーーと見えている。自分の車さえ持てたら沖縄に長期滞在も悪くないなと思った。(逆に車がないなら一ヶ月が限界だろうとも)

気付くのは、カフェやマクドナルド、コンビニなどでの店員の対応のよさだ。みんなフレッシュで気持よく対応してくれる。あまりにきらきらした笑顔にうろたえる日々だ。基本、いい子たちなんだな、と思う。沖縄のよさなのかもしれない。




8/13/2013

沖縄の空



沖縄はどこからでも広い空が見える。そして入道雲が浮かんでいる。それが開放感になっている。夏バテをしていました。とにかく暑いです。

そして、クーラーのことを考えていました。いまの仕事、クーラーなしではありえません。パソコンをぱちぱち叩くという作業は、汗を流しながらする仕事ではありません。暑いと頭だってぼーっとしてくるし、とても翻訳なんてできませんね。扇風機があっても昼間は無理です。

ああ、僕がしているのは、クーラーに依存した仕事なんだなーってしみじみ。もちろん、事務系の仕事は全部そうだと思いますけどね。

とある道の駅の、海の見えるテラス席で仕事しようとしたら、すぐに潮風で体がべたべたになってしまいました。パソコンも壊れそうなので、早々と退散。なかなかイメージ通りにはいかないものです。

だから今日も、A&Wというバーガーチェーン店でひとりパソコンを叩いています。窓から真っ青な空が見えるのがおなぐさみ。

さて、暑いからか、気の緩みか、帰国してからめっきり仕事の生産性が落ちてしまいました。移動が多くなってきたのも原因でしょう。移動しながらの仕事、なかなか難しいものです。いつまでもペースがつかめずにいます。

社会をものすごく引いた目でみれば、職、賃金、収入、そのあたりのあらゆる仕組みが、人々の移動と変化を制御しているように見えます。

いま、上空の入道が中から湧いてくるように形を変えていくのを見ていました。この真っ青の中に真っ白ってきれいですね。

A&Wのコーヒーはちょっと薄いです。沖縄に来てから、チョコレートを食べたいと思わなくなっています。痩せるかも?

昨日は勝連城址というお城の跡へ観光にいきました。かつて、ここにお城があり、勇敢な城主は王府に逆らって兵を挙げたのだそうです。

そして、もちろん、ここは沖縄戦の戦場でもありました。

僕がこどものころ、歴史を学んでいくうちに、不思議に思ったのが、太平洋戦争の前に、わりと平和で文化も賢そうな時代があったことです。大正時代です。大正時代、ひとびとは、ヨーロッパの小説をよんだり、ダンスをしたり、なんだかんだで文明的な生活を楽しんでいました。そのことが、不思議でした。その何十年か後には、血で血を洗う戦争に突入したからです。急に特高警察とか出てきて、軍国教育が行われます。時代とはそんなふうに封建時代へと逆行することもあるのかな、と不思議だったのです。

もちろんその裏では富国強兵であり、いつでも戦争ができるように準備が整われていたわけで、戦争の準備をすることは当たり前のこと、もっといえば、戦争が強い国になることは善きことでさえあったのです。それは列強の侵略支配から日本国を、そして「国民」を守るためであったのですから。

当時のエリート軍人は、純粋な心で、胸を張って、軍事教練に勤しんだはずであり、有事の際には敵の戦艦をいかに沈めるか、撃沈するかをピュアな向学心と情熱をもって、考えぬいたに違いありません。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代です。

昨日、オスプレイが飛んでいくのを見た気がしました。遠目でしたが、プロペラが2つある戦闘機が、ジェット機に先導され、飛んでいくのを見たのです。

たぶん、沖縄に基地があることが悪いとか、おかしいとかのその前に、なぜ沖縄に米軍の基地があるのか、それが説明されていないのだと、気づきます。「習ってない」です。

つまり、沖縄に基地があるのは、歴史的経緯もあるが、まずなんといっても、日本としての国防戦略に合致しているから、そこにある、と考えるのが筋です。でも、それがよくわからないのです。首相がかわるごとに違うことを言います。基地が移設されるかされないか、その前に、いったいどういうプランで国防をしようとしているのか、それを議論しないと、個別の基地の是非を問うても仕方がない気がします。もしかすると、そんなプランなどどこにもないのかもしれません。もっといろいろな諸事情が入り乱れて、とりあえず米軍基地がここにある。それだけなのかもしれません。

なんだかよくわかないことが多すぎるな。むかしからそうだったのかな。太平洋戦争の前から、混沌として進んできたのが政治であり、国防だったのでしょうか。

とはいえ、結局は裏で、軍事ってお金になるよねーみたいな世界が展開しているのだとしたら、馬鹿らしい話です。ほんと馬鹿らしい話です。英霊に申し訳がたちません。

なんてこともつらつら考えながら、あ、仕事の手が止まってた!と気づく午後三時なのでした。