1/31/2013

誰も帰ってこいと言わない問題

ちょっとまたスランプしていました。今日あたりから復活。おれは習慣の力をなめてるんだな、という感想。最近、ライフハッカーでも「良い習慣をつくる」的な記事が増えている。アメリカでもみんな習慣作りに苦労しているのだろう。

会社勤めにはいろいろメリットがある。まず、習慣がつくれること。とりあえずよっぽどのことがない限り決まった時間に会社に行く。前日に飲み過ぎても、どうも不眠症が続いていたとしても、よっぽど体調が悪くない限り、オフィスへ足を運ぶことになる。

よくも悪くも生活が規則正しくなっているのだ。人間とは弱いもので、というか俺は弱い人間で、強制されないとひたすらダラダラしてしまう。そしてそのことがまたネガティブな思考を生む。負の連鎖だ。ダイエットやエクササイズがなかなか続かないような感じだ。

ついダラダラしてしまう。だからたいした量の仕事をしていないのに、いつも仕事に追われている感じになる。やばい、そろそろ提出しなくちゃ、という「締め切り感」だけが俺を管理しているのだ。これではジリ貧だ。

とはいえ、直接の知り合いではいないが、聞くところによるとおもに夜中に仕事をしている人たちもいる。彼らは自分専用のオフィスを持っていて、好きな時間に好きなだけ仕事をするようだ。僕がウォッチしている五味太郎氏も夜中派らしい。朝日が出てから眠るそうだ。夜の方が集中できるのだろう。

でも僕の場合、夜に集中できる環境がない。自宅ではどうもだめだ。そうなると、やはり朝方とはいかなくても昼型くらいでがんばっとかないといけない。あと夜型になると孤独感がはんぱなくなるのも痛いところだ。

まあ永遠の課題なのだが、今すぐどうこうなりそうもない。思えば朝に強い時期など人生で一度もなかったのだ。いつも眠かった。

まあそんなこともありつつ。でも意志の強さでなんとかする、みたいなモデルはどうも難しい。なんとか意志の力を使わずにものごとを整えていく、っていうのが今後の主流になるだろう。

たとえば、失業率の問題があるとする。日本で失業率があがっている、としたらそれは、ある必然があるのかもしれない。例えば、日本は物質的、社会資本的に十分に豊かになったので、つまり、効率がかなりよくなったので、みんながみんな働かなくても社会が回っちゃうようになった、のかもしれない。

そこに意志の問題を導入して、探せばある、だの、今の若者は、だの、老害だ、だの言っていても始まらないのかもしれない。つまり、誰かの意識を変えろ、という問題にしてしまっては。

そうではなく、単純に「社会」のサイズを変えるだけでいいのかもしれない。社会のサイズが大きくなると、仕事にあぶれる人が増える、というのが人間のつくるシステムの法則なのかもしれない。

ならば、道州制でも、経済ブロックでもなんでもいいから、結ぶ付きの強い社会のユニットサイズを今の半分にしてみる。それだけで、世の中に「仕事」が増えるかもしれない。

一時的には社会の効率が落ちるかもしれない。市町村合併と逆のことをするのだから。でも、社会を効率化したあげくに失業者が増え、効率化から受ける恩恵よりも、失業などの痛手のほうが大きいようでは元も子もない。つまり、社会が効率化したので、一部の人は遊んで暮らしててもいいですよ、とはなかなかならないのが人間社会だ。

ちょっと何の統計データも調べずに書いているので大間違いを言ってるのかもしれないが、なんとなく、そういう、横から攻める、みたいな解決方法こそが有効な気がするのだ。

具体的にどうするか、はなかなか言えないけど、「意識」や「意志」の問題にしているうちは何事も解決しねーだろうーなー、という漠然とした予感がある。

それを自分にもあてはめると、なにか自分の習慣や意識を変えたいなら環境をいじるのがよさそうだ、となるわけ。

なんか長くなっちゃった。

というか、最近、ふと、このまま翻訳とかそっち系の仕事していくなら、東京に帰った方がいいのかな、と思いはじめてて、それとなく何人かにこぼしてみたところ、みんな見事に、帰ってこなくていいよ、的なことを言う。まあ、そうだね。。おれもそう思う。なんとか、海外に居ながらサバイバル道をもう少し探ってみようと思い直す。

そんな日々。はあ〜。なかなか、なかなか。








1/24/2013

帽子屋さんカフェ



今朝起きるとき、なにかさみしげな夢を見たようで、起きてからしばらくベッドから動きたくなかった(昨日は流星の夢をみて超きれいだったんだけど)。

でも、とりあえず今日も元気じゃないか、と気合いを入れてシャワーを浴びる。タイのシャワールームは簡素だ。換気扇もないし、シャワーとトイレが本当にいっしょくたになっていて、シャワーを浴びれば便器も水びたしだ。というかシャワーのついでに水洗いしちゃうぞ、という手軽さである。

どれもこれもタイの気候のおかげだ。つまり、冬がないので、シャワールームの窓なんて開けっ放しでいいし、床だってそのうち乾いている。暮らすのがイージーな土地だ。日本なんて、ご先祖よくがんばったな、あんな夏熱くて冬寒い土地で、と思う。梅雨も台風もある。でもそのおかげで、あれほど繊細でバラエティー豊かな文化が育まれたのだと思う。

そして朝の瞑想を執り行う。前にも書いたが、iPhoneのおかげですっかり習慣になった。手軽に時間を計測できるというだけのことで、習慣が1つ成り立つのだ。意志の問題ではなかった。

そして、オフィスへ向かう途中でいつものようにご飯を食べて行こうとするが、今日はなんだかどこもま満杯。お昼時間とガチンコ合ってしまったようだ。んーーと迷うも、並ぶのもいやなので、そのまま帽子屋さんへ行ってみた。

昨日行った帽子屋さんだ。コーヒーがお目当てだ。帽子屋さんは外のテラスでランチを終えたところだと言う。もうランチは食べられましたか?と聞くので、まだです、と答えると、試作中のサンドイッチをいかがですか?と言う。ぜひぜひ、ということでちょうどよい感じになった。

帽子屋さんの話がおもしろすぎて、2時間くらい居座る。コーヒーのおかわりもごちそうになった。ものすごくかいつまんでいうと、帽子屋さんはタイや日本だけのマーケットだけを考えているのではないという。日本人がタイで帽子をつくってほかの国に売ったっていいはずだ、と言う。中国や台湾華僑やユダヤ人はみんなそうやってるぞ、と。

たしかに。なんかそれを聞いた瞬間にアドレナリンが少し出た。おっとそういう発想なかったね、俺。スケールでかいね、帽子屋さん。そのほかにも、タイの格差社会の仕組み、日本の「常識」のおかしさ、ビジネス成功者のアンテナの張り方、などなどたくさんのお話を聞く。

最後に年齢を交換したら、わりと年下だったので、まあ見た目からわかっていたけど、うっっとなる。お若いのにご立派。おれなんておれなんて。。うう。。でも、面白いからまた来ます、ということで席を立つ。


いろいろ新しいことを聞き過ぎて、あたまがぼやーんとしているけど、ひとつだけ書くと、タイの社会システムについて、んーどう考えればいいんだろう、と、なった話。

タイは、超格差社会らしい。王族と官僚、一部のお金持ちが富の大半をぎゅうじっていて、それは親から子へとひたすら受け継がれるそうだ。相続税もなく、所得税もとても低いそうだ。ある意味、一部の上流階級が庶民から富を吸い上げているとも言える。でも、庶民はひたすら王族を愛し尊敬し、王族は庶民のためにそれなりのインフラと社会保障を整備している。

だから、庶民が庶民として生きていく限りは、それほど困らない。通常医療もほとんど無料らしいし、学校だって行ける。ただ、階層を移動することは非常に難しい。貧乏な家に生まれた人が、お金持ちになるのは難しいらしいのだ。日本などよりはずっと。

でも、それはそれで社会は安定している。国民は各階層に分かれて、おのおのの生活を謳歌している。微笑みながら暮らしている。ぼくもタイの印象はとにかく「明るく平和」な国だなあ、というものだ。

でも、この仕組みを日本に持ってって、階層社会つくって安定させて、それぞれの階層でそこそこ楽しく生きていきましょう、と言ったらみんな納得するだろうか。しないだろう。平等への志向がずいぶん強いのが日本の特徴のようだ。そういうことも、アジアで暮らしていると見えてくる。日本での実感とは逆というか、世界から見たら日本はまだまだ平等社会なのだという事実。まあどこと比べるかによるけどね。北欧なんかはもっと平等度が高いのだろう。

幸せってなんだかよくわからないな、って思い始めてしまった。格差社会と知っても、タイってみんな(日本より)幸せそうな顔してるよなあ、っていう体感はやはり変わらないのだ。

でも、僕の周りのタイ人は比較的裕福な人たちばかりだからかもしれない。知らないうちに金持ち階層とだけつき合ってるのだろう。英語が話せるというだけでそれは上流階級なのだ、たぶんこの国では。だから、中流以下の人とは友達になりにくいのだろう。

で、やっぱり思うのが、上流、中流、といってるけど、それはいったい何の指標なのか、ということだ。まあお金のことだけど。教育レベルも比例しているし。

まあまた話飛ぶけど、日本はタイを参考するわけにはいかないだろうな、と思う。やはり日本国民は、格差がなるべく少なくて、それでいてみんなそこそこ自由、という方向へ舵を切りたがってるはずだ。じゃあお手本はやっぱりスウェーデン、デンマーク? なんか違う気もする。

てなことを考えながらも、帽子屋さんみたいな人に出会うと、もう少し海外にいてみようかな、という気持ちもワイてくる。なんとなく、やっと今ぐらいから何かがわかってくるんじゃないか、という予感がした。









1/23/2013

帽子屋さん

オフィスの向かいに、帽子屋さんができていた。
オーナーは日本人だった。アパレル関係の仕事をずっとしてきたらしい。帽子屋さんはコーヒーショップも兼ねていた。ネルドリップの美味しいコーヒーをいただく。おもちで作ったワッフルもサービスしていただいた。おいしかった。

久々に本当においしいドリップコーヒーを飲んだ。こっちではどこの店でもマシンでコーヒーを淹れている。自然と濃い感じになる。スッキリしたドリップコーヒーはやっぱり僕は好きだ。

一緒にいったドイツくんが、そろそろ名前で呼ぼう。マイケルが、モチって何?と言ってきて、なぜか僕は爆笑してしまった。もちを知らない人がいる。当たり前だけど。もちの説明に苦しむ。一緒にいったタイの子、ポイは、ライスブレッドだよ、と説明していた。お米のパン。かわいい表現だね。でも、イメージつかめないだろうな、と思ったらまた笑えてきた。

そう、その帽子屋にいくときのこと。前から日本人の店だ、コーヒーもある、とは噂に聞いていた。でも、言った人が皆、あそこは本当のコーヒーじゃない、カフェイン抜きのデカフェだ、と言っているのを聞いていたので、なんとなく足が向かなかった。

でも、今日、一度くらい行ってみるか、と思って、でカフェでもいいから行ってみるよ、言うと、マイケルも行くと言う。よし行こう!と出かけようとしたところ、ポイが、私も行きたい、と言った。帽子が見たいのかもしれない。でも、なんだかクスっと笑ってしまった。

そして3人で本当に真向かいの、歩いて10秒のお店に探検に出かけるとき、なんだか幸福感があった。わくわく。とても小さい気持ち。でも、なんだか、いい感じ。

そして、こんにちわ〜っと入っていくと、しゃれおつなオーナーと、品のいい、タイ人スタッフたちがサワディーカーっと出迎えてくれた。すごくおしゃれで、すてきなお店だった。ソファーもある。ゆっくりした。

珍しく、ああ、こんな家に住めたらいいな、と思う。ここは大きな邸宅の1階をお店に、2階を住居にしているそうだ。お庭も明るくて静かですてきだった。ほっこりした。ああこんなところで午後のコーヒーを飲めたら、いい暮らしだな、と思う。

普段、家的野心はあまり持たないように抑圧しているのだが、今日ばかりは素直に、こんな家に住めたらすてきだな、って思っちゃった。

明日も来ます、てなことを言いつつ、オフィスへ戻る。これからここでおいしいドリップコーヒーが飲めるのかと思うと、ほかほかとした気持ちになった。

そして、このオフィスには危険な特徴がある、それは、リッツが食べ放題なことだ。あのお菓子の王様、パーティーの陰の立役者、リッツが、毎日毎日、いっぱいになっているのだ。基本的に僕しか食べていないようで、昨日から減っていない。でもぼくは一日に、リッツ半箱分くらい食べちゃうので、スタッフの人はたぶん2日に1回は補充する目にあっている。すまない。でもおいしいのだ。こんなに毎日食べられるお菓子ってほかにある?

昨日などは、昼間オフィスでさんざんリッツを食べたのにもかからず、家の帰る途中のコンビニでまたリッツを買ってしまった。リッツ中毒の様相だ。

と思っていたら、昨日あたりから、リッツにクリームがはさまっている新種が現れていた。オフィスに。おいおい。。これではおれに溺れろ、といっているのに近い。書いてるそばからいま、リッツをとりに行っちゃった。言うまでもない。

今日は三島由起夫の動画を見ていた。やっぱり、三島がなんであんな行動で自決したのかさっぱりわからない。最後の演説も聡明な三島にしては支離滅裂に聞こえた。いったい何がしたかったのか。とはいえ、気がおかしくなってるようにも聞こえなかった。そして、三島の幼少のころの写真を見たら、あ、おれに似てる!と思った。非常に珍しいことだ。自分に似ている人にはめったに会ったことがない。でもぼくの子どものころの写真にどこか似ていた。顔にしまりがないところが似ていた。

慌ててトイレで鏡を見てみたら、もう似ていなかった。ぼくの顔はしまりがついてしまっていた。なんだか残念な気持ちになる。そんな険しい顔しなくていいのに、って自分に言いたくなった。

でもマイケルが撮ってくれた帽子をかぶった自分の写真をみたら、しまりのない顔をしていた。まだしまりのない顔もできるじゃない、と少し安心した。でもそれはよそ行きの顔なのかもしれない。この顔がみんなが僕をみるときのベースの印象なのだとしたら、それはかなりよそ行きだよ、ってことだなと思ったら少し悲しくなった。

そして今度は久しぶりに横尾忠則のツイッターをぐいぐい読んでみた。やっぱり横尾さんは面白い、なんでこんなひょうひょうとしているのだろう、もうかなりのお歳なのだが。ぼくはなぜか横尾さんの書いているものを読むと、心が安らいでくる。えらいお坊さんの話やスピリチュアルリーダーや、ビジネルリーダーや、そのほかのアーティストの前向きなお話を聞いているよりずっと、横尾さんのいまいち意味不明のよもやまばなしを聞いているほうがずっとずっと元気がもらえるのはどういうことなのか。

横尾さんの絵は、怖いからいまいちよくわからないんだけど、ぼくはかつて資生堂が主催する横尾さんのトークショーに行って、横尾さんに何かを質問してじきじきに答えてもらったんだけど、何を質問したのか忘れてしまった。

いや、本当に思い出せない。意外だ。あ、思い出した、横尾さんは未来のことを心配しないのはなぜか、とか、なんとかそういう質問だった。
横尾さんは、1時間後くらいのことしか考えないそうだ。たとえば、1時間後の新幹線に乗らなくちゃ、くらいのことしか。明日の予定は知らないことが多い、みたいなこと言ってた。すごい境地だ。

人類の宝みたいな人だから、もう一回、生で会いたい。というか、一度お話をしてみたいな。よもやまばなしを。

今日は、なんとなく、やることが尽きた。まだ8時半。マイケルも帰ってしまった。夜をどうやってすごそうかな、と思ったら、んーって気持ちになった。

なにかひたすらそればっかりやっていたいようなことがあればらくなんだけどなあ。

1/22/2013

都会の屋台で

仕事でタイに来ていた友達と、伊勢丹前の屋台でタイスキを食べた。なんかいい気分だった。日本で言うと、新宿、みたいな場所である。一番の繁華街の歩道に屋台がずらっと出ていて、タイ人たちがわらわらわらわらと食事をしている。楽しそうだ。ぼくらも混じって食べていた。

始めての屋台タイスキで、手順がわからずまごついていると、隣の席の若いカップルが、身振り手振りで教えてくれた。卵を先に割入れるのよ。そして、魚介は一気に投入する。野菜もがっつり入れて、フタをして待つのだ。

おいしかった。これから友達がきたら、これだな、と思う。

4月に帰る。なんとなくまだ時間があるのに、秒読み、みたいな気分になる。なんとなく、ただ移動している生活にも限界を感じ始めている。帰国したらいろんな人に会おう。

最近、少し気づいたこと。英語で面白い話ができない、ということ。これが以外にきいてる。どうしてもまじめな話になってします。なんというか、ズラしていくような、意外性のある笑い、みたいなものは、外国語ではとうてい表現できないのだ。

そうなると、だんだん面白い事が思いつかなくなってくる。ここで言う面白いことというのは、あくまで言葉遊び的な面白いことね。本格的に何かをする、という活動的な意味合いではない。

たまに日本人に会っても、すぐにはおもしろ回路が起動しない。なんだか、あれ、おれってこんな感じだったっけ?と自分で思っちゃったりしていた。

なんか不思議。外国は鬼門。思い返せば、外国にいてすごく楽しかったことってあまりない。短期の旅をのぞけば、いつもどちらかというと退屈だったり苦しい思いをしている。でも、また海外に出て来てしまう。どういうことなのか。

しかし、今年は、少し、ささやかな、野望が新たに生まれている。なにかまとまった仕事をしたいと考えている。久しぶりのプロジェクトだ。だが、まだ、アイデアは未定だ。

今、ひたすら本が読みたい。日本語の本だ。いつもAmazonで買おうか迷いながらも、日本に戻ってからまとめて読もう、と思い直したり。やっぱりいい情報は本になっているのだ。インターネットがいくら花盛りだとしても、読み応えのあるものは、インターネットで無料でただよっていたりはしないのだ。

なにも無料でくれとは言わない。しかし、一冊2千円の本を、取り寄せや自炊をするとさらにお値段アップしてしまう本を、好き放題に読んでいくとそれなりに家計に響くのだ。

300円くらいにならんものか。だったら読む速度以外の制約はなくなる。電子出版になれば、売価300円でも著者には従来並の印税が行くのではなかろうか?

図書館とは優れたシステムである。電子図書館などあれば最高中の最高だが、あらゆる出版社は倒産してしまうだろう。でも音楽ではすでに、定額制の音楽聞き放題サービスが、欧米で主流になりつつあるという。月に10ドルで、最新のヒット曲からすべて聞き放題だという。

本も似たような仕組みがあり得るのかもしれない。本が読み放題なら、月に10ドル、20ドル、の定額なんて屁みたいなものだ。それでずっと毎月払い続けるのだから、出版界にとって安定収入の道が開けるのではないか。でも音楽よりももっと膨大だからなあ本の世界は。

でも何か地殻変動は起きるだろう、本の世界でも。Kindleには期待できない予感がするが。。

本は「知」の世界などと言われるがそれは違う。本は遠くの人と出会うメディアなのだから。ある意味、出会い系なのだ。


1/19/2013

ラディカル・オーラル・ヒストリー



 今日は僕にとって大切な本を紹介しよう。
『ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』だ。

この本との出会いはよく覚えている。あれは5〜6年前か、ぼくは神戸三宮のジュンク堂にいた。毎日、本屋に行くのが日課だった。毎日本を買うのも大変なので、たいていは立ち読みをして、気に入った本があれば買う、という日々だった。

あるとき、ふと、黄色っぽいオレンジ色の背表紙が気になった。つかつかと近づいて手に取ってみた。かなりの大型本で、アボリジニがどうたら、と書いてあった。まず、表紙のポップな感じがいいなあ、と思った。そして、ペラペラとめくってみた。

正確には記憶していないが、冒頭、著者がぼくに語りかけてきたのにびっくりした。
記憶のイメージだけを頼りに書くと、

「やあ、ぼくは保苅 実、歴史を研究している大学院生だよ。僕は今、アボリジニの村でオーラルヒストリーのフィールドワークをしているんだ。これから僕が面白いことを語って聞かせるから、楽しみに聞いて欲しい」

みたいなノリだった。まさにこういう友達に話すみたいな文章がつづられていた。そして、どうしてこの研究に入ったか、従来の歴史学にどんな疑問を抱くようになったか、などなどが、静かでユーモアながらも熱い情熱を感じさせる文章でつづられていた。

僕はなぜか急に興奮し、これは絶対買わなくてはいけない本なのだ、と決めてしまって、速攻でレジに持っていった。そして、すごくうれしい気持ちになった。

家に帰って、僕にしては珍しく、鉛筆で線をひきながら、興奮しながら読んだ。内容はうまくは語れない。従来の文化人類学のあり方を批判しているのはよくわかった。西洋の、ないしは先進国の視点で、先住民の話すことを「解釈」することの短絡さ、傲慢さを突き上げようとしているのがわかった。先住民の話す歴史神話を、解釈ではなく、そのままの事実として聞くことはできないのか、ないしはそうすべきなのではないか、という問いかけがあった。

たとえば、あるアボリジニの長老は、ジョン.F.ケネディーが我々を助けるために村にやってきた、と言った。そのような史実はない。だが長老はそう言う。こうした場合、文化人類学的には「解釈」を行う。これは何かのたとえ話をしているのだ、と解釈したり、ケネディーとは何か別のものの象徴なのだ、と解釈したり、さらに言えば、なんらかのきっかけで彼らはそう思い込んでしまった、と片付けてしまったりする。

ところが著者は、それではいけないのではないか、と言う。ジョン.F.ケネディーは本当にアボリジニに会いにきたのではないのか、と問うのだ。

これ以上は実はぼくもきちんと考えられていない。というか、考えれば考えるほど自分が「解釈」をしようとしていることに気づくばかりだった。

そして著者は歴史には身体性があると言う。歴史とは身体で感得すべきものなのではないか、と問うのだ(正確な言葉使いは忘れたので、はちょっと僕流になってます。。)。

そして著者は彼らの歴史を身体で聞くために、アボリジニの村に足しげく通い、共同生活をしながら学ぼうとしていた。

いま思い返しても面白く思う。ぼくは今でもこの著者の主張をきちんと理解していないのだ。よくわからないけど、僕もそう思う、みたいな感覚があるばかりだ。ロジカルにはなかなか近づけない内容だったのだろう。よくわからないけど、僕もそれが大事なことだと思うんだよ、よくわからないけどって。

そして、本書の後半は、著者が死に向き合っていく手記が手短に語られる。彼は本書の出版を待たずしてがんで亡くなってしまうのだ。最後まで明るく、希望が語られているように見えた。

本書の最後で、著者は自身が尊敬する歴史学者のことばを引用する。

「書くということは、深い井戸に石を落として、水しぶきが聞こえるのを待っているかのようだ、と言ったことがある。だが友人は、それは違うと言う。彼によれば、書くということは、グランドキャニオンにバラの花弁を落とし、爆発を待っているようなものだ、と。」

そして、最後の署名の前に、こんな言葉で締めくくるのだ。



さて、僕もこうして、一枚の花弁を投げ込むことができた。
ゆっくりと爆発を待とうではないですか。

保苅 実




彼が落とした一枚の花弁は、僕の中に何かを起こしたのは間違いない。それは爆発とは呼べないものかもしれないが、僕の中の何かを興奮させ、どこか「うれしい」という気持ちを遠い空に向かって放たせた。

このうれしさは何だったのか、それをいま、感じている。それを感じているこの瞬間がもう、少し、うれしいわけで、つまりはやはり大切な本なのだ。


1/17/2013

ベトナム戦争記念館

せっかくベトナムに来たんだから少しは観光しておこうかと思って、お姉さんが日本に留学したことがあるというジュース屋の彼女がおすすめしてくれた観光スポットは戦争博物館だった。

へー、と少し意外な気持ちに。でも行ってみることにした。そして、圧倒されてしまった。そこにはベトナム戦争時に戦場カメラマンがとらえた数々の戦場の写真が写っていた。圧倒されてしまった。これだけ多くの実際の戦場シーンを矢継ぎ早に見たことはなかった。

最初は、入り口に飾ってある戦車に駆け寄ったのだ。へーこれが実際に走ってた戦車かあ、そして、よく映画にでてくる米兵を乗せるヘリコプター。ジャングルに兵士を送り届けるあの胴長の輸送用ヘリだ。まずその質感に驚く。素朴は鉄のかたまりでしかない。

もうちょっとハイテク感があるかとおもったが、鉄の板を丸くしてプロペラをつけただけ、みたいな質感。これがよく飛んでたなあ、という感じ。戦闘機もあったが、それも同じだった。こんなものがよく高速で空中戦やってたもんだなあ。と。すごい昔の兵器を見ている気がした。

でも、建物の中は写真ばかり。とびきり悲惨なものが多い。日本の戦場写真家の写真もいっぱいあった。

村が一個焼かれたり。村人全滅したり。話で聞くのと写真で見るのは違う。
もちろんここはベトナム、ベトナム側のプロパガンダとして機能している博物館のはずである。それでもそこに写っていることは事実の一部であることは間違いないのだ。

ぼくは、うわーーと思って、戦争は僕の手にはとても追えない、と思った。
戦争になると、あり得ないことがドンドン起きて行く。1つでも大事件だということが、毎日のように起きていく。命の取り合いの場、それは、日常とはかけ離れた非現実空間になってしまうのだということがミシミシと伝わってきた。

たぶん、良い戦争のやり方などないのだ。戦争になれば、戦場では泥臭い生きるか死ぬかのやり取りが必ず発生するのだ。その現場では、日常で培った倫理や道徳、理性なんてものはぶっ飛ぶのだろう。というか、戦場に行く若者の多くは、極限状態で自分がどう振る舞ってしまうか知らないはずである。あまりに日常とかけ離れた未体験の場所だから。

僕だって、もしうっかり戦場に送られたら、何をしでかすかわからない、と思う。ライフルを持たされて、ジャングルを歩いていたら、敵かもしれない村人が現れたら。打たなければ爆弾を投げ付けられるかも知れない状況になったら。打ってしまうだろう。それが戦場の正義なんだと心に言い聞かせて。

べつに民間人を殺した兵隊を擁護しているわけではない。でも、なにか戦場とは圧倒的な場所なんだ、というのだけはわかったのだ。あそこに立った時点ももう負けなのだ。

戦場に立たないようにする、立たせないようにする、そこが勝負のしどころなんだ、と感じる。館内を一周するころには、すっかり心は左翼になっていた。

というか、始まってしまったら、絶対に手に負えなくなる、それが戦争なんだと思った。

戦争には戦争が始まるだけの状況とプロセスがあったはずだ。直前になって戦争だけを回避することなどできない相談なのかもしれない。ただ、正しい戦争とか、適切な戦争をするということは、ほぼ無理であり、いずれは獣を野に放つことになるのだ。

やばい、やばい、これは手に負えない、こういう世界からはずっと遠ざかっておきたい、日本が戦争なんで、ぶるぶる、あり得ないことだ、という背筋寒い感がゾクゾクと襲ってきた。これはやばい、無理、やめたほうがいい。絶対。

そして、今回も何やら大きなテーマを書いてしまったが、もっと身近な幸せを追求して生きよう、と逆に改めて心に誓う気持ちになった。もっと手に負えるところで生きていこう、手に負えないことには手を出さないようにしよう、と。

戦争、あれは手に負えないよ、やばいです。




1/15/2013

ホーチミン

ホーチミンにいます。

ものすごく騒がしい街です。バイクと車、騒音、排気ガス、そしてひっきりなしに声をかけてくる商売人。アジアだなーって。

でも、バイクのおっさんが血走った目で怪しく声をかけて来る横には、日本とかわらない近代オフィスビルが建ってって、スーツをびしっと来たビジネスマンやOLがぞろぞろとランチに繰り出す光景は、ほんと日本とかわりません。進歩とカオスが急激にミックスした街という感じ。

昨日は、宿で日本人の男の人と一緒になり、夜中までべらべらしゃべりながらほっつき歩いていました。けっこうレアな映画や監督のことで盛り上がり、面白い出会いだなあとうなずきあっていました。なんか久しぶりに旅らしい感じで楽しかった。

とはいえ、ショッキングな出来事も。まあ詳細は言いたくないけど、ああ、おれってほんとダメなんだなあ、ということがまたあって、こういうときって同じテーマで立て続けに事が起こるよね。もう自分にイライラする。無意識に対して宣戦布告をしなければならない、そんな気持ちがしています。

無意識とは面白いもので、意識より先回りしていろんなことを行いますね。
例えば、触れたくない話題があるとする。それは、もう本当に触れたくない話題で、ふだんは意識に登らないようにしているほどのテーマがあるとする。

すると、その話題をふられると、急に聞き間違えたり、耳が聞こえなくなったりする。これは本人にとっては、本当に相手の声が聞き取れなかった、という体験として体験される。だから、「え?え?今なんていったの?」と聞き返すことになる。相手が、もう一回言う。でもまたうまく聞き取れない。で、「え?何?なんて?」とまた聞き返す。そういうしているうちに、相手は、バカにされたような気になって怒ってしまう。

でも、本人は相手が何で怒ったのかわからない。だって聞き取れなかっただけだもん。相手の滑舌が悪いんじゃないかぐらいに思ってる。でも相手は、こんなにはっきり言ってるのに、お前わざとはぐらかしてるだろう!となる。

でもまあおうおうにして、本当の本当にわからないんじゃなくて、心のどこかでは、何か自分の方がおかしいことをしたんじゃないか、という感触だけはある。だけどそれについてはうまく考えられない。つまり頭脳が働かないのだ。特定のテーマに対しては。

そういうことが僕にもよく起きる。頭脳が止まる。止まるというか、一瞬にして乱れる。理解力が極度に低下して、会話もままならなくなる。無意識が全部しくんだことだ。言葉になる以前の意識が、その話題を回避せよ、と命じている。命ずるなどというほど自覚的な行いではないのかもしれない。ただひたすらに、無意識が逃走を試みる。


意識で、つまりは言語かできた言葉で、いくらつべこべと理屈をこね回していたって、大事な場面ではいつも無意識が優位になる。無意識に支配されて生きて行くのがたいがいの人間なのだ。

ならば無意識を意識化していくことで、人生の自由を取り戻すことができるのではないか、というのが過去10年くらいの僕の関心であった。

理論的には合ってると思う。だけど、どうやってそれをやるか、は未だに問題だ。たぶんそれは、日常の細かい行いの中でしか実践できない種類のものなのだ。一週間集中してすごい合宿をしても人生は変わらない。

あれ、何を書いてるんだっけ。あ、嫌なことがあった。それも自分だけの原因で。ちくしょうめ。

とはいえ、今は、下調べしてあった、「ノマドカフェ」を無事発見、快適にパソコンをしている。WIFI無料、電源使い放題、でいてすいていて静か、というカフェがドンコイ地区のVincom Shopping Centerの地下2階(1階かな?)にある。
出典はこちらのノマドワーカーのブログで教えてもらった。
http://cyrilmazur.com/2012/08/nomad-work-in-ho-chi-minh-city.html

あ、それから、ホーチミン、なぜかFacebook.comとyoutube.com、さらにはgoogle.comがブロックされているようだ。社会主義だからか。
でも、youtube.co.jp や google.co.jpはアクセスできた(笑)
ご参考に。





1/13/2013

大杉栄

ひょんなことから、今、大杉栄の青空文庫を読んでいる。
面白かった。

アナーキストというぐらいだから怖い思想の持ち主だと思っていたので、とくだん興味すら抱いていなかった。でも、青空文庫をみていたら、大杉栄、の名前があって、どれ読んでみるか、と読んでみたら、面白かった。「征服の事実」などは、僕もぼんやりと考えていた疑問について、正面からぶつってる書物だ。

どうして人間界は征服者と非征服者にいつも分かれているのか、という問い。人間の歴史は他民族の征服の歴史ではなかったかという問い。僕の解けない謎、貧富の差はなぜあるのか?にも通じることだと思われる。

この世界は実は奴隷社会のままなのではないか、という問いが芽生えて来る。先進国が主人とすると、発展途上国が奴隷、と見ることもできる。先進国と言われる国の中でも、富裕層は主人で庶民や貧困層は奴隷、と見ることもできる。

それとも、奴隷などというものは、とうの昔に根絶されたのだろか。

あとやっぱりびっくりするのが、大正時代の日本、わずか100年もたってないような近い時代だが、信じられない社会なのだ。「思想犯」というものがあった。共産主義、社会主義を唱えただけで、投獄だ。下手をすれば死刑になった。

いったいなんだそりゃ、と今では思えるが、当時はそれが当たり前の公然の正義だったのだ。ただ、こういう社会の方がいいんじゃない?と口にするだけで、取っ捕まる。なんという社会だ。それが数十年前の日本だった。

ずいぶん自由になったものだ。それは文句なしで喜んでいい。いい社会になってきたのだ。やはり。

面白いのはそれは日本だけのことではなくて、フランスなどでも同じだったらしい。大杉栄も、フランスのメーデー(労働者の集会)で、演説をして、フランス警察に捕まっている。フランスでも、思想犯、というのがあったのだ。

ぼくは、右翼か左翼かと言われるとどうも右翼よりなのかな、と自分で思い始めていたが、大杉栄は魅力的だ。大杉栄はアナーキストだ。アナーキストは左翼に入るのだろうか?でも大杉栄は、共産主義者は味方のようでいて敵であった、と書いている。

アナーキストは無政府主義者と書くが、どういう意味なのだろう? 本当に政府を、つまりは統治機構をなくしてしまえ、という思想なのだろうか。共産主義だって、社会主義だって政府はある。だから無政府主義と言われてもイメージができない。

でも大杉栄は魅力的だった。とにかく痛快な感じだ。ぜんぜんテロリスト的ではない。どちらかといえば牧歌的でさえあった。

「生の拡充」などは、ああ、そうだよ、そんなことが僕にとっても大事なんだよ、と言いたくなる書物だった。けっこう昔にそういうことを考えていた人がいたんだね。まあ僕の場合はだいぶスケールが小さいけれど。

大杉栄みたいな日本人がいたことを知れて、なんだか気分がよくなった。
あさってからベトナムにいってきます。


1/11/2013

Stay foolish

昨日、翻訳していた記事は、Stay young enough to do everything. というタイトルがついていた。何にでも挑戦できるだけの若さを保ちなさい、という感じだ。

この記事とは直接関係ないけど、この題名からぼくはスティービジョブズの Stay hungry Stay foolish. を思い出し、Youtubeでジョブズのスピーチ動画を見直してみた。

あれ?こんなこと言ってたっけ?以前見たときには見逃していたようだ。彼は、生まれてすぐ養子縁組に出されたそうだ。そのとき、本当の両親は大学院生で、まだ育てることができない。だから養子に出すのだが、迎え入れ先の条件として、ぜったいにこどもを大学までいかしてくれる人、というのをつけていたそうだ。

しかし、当初決まっていた迎え入れ先は生まれた赤ちゃんが男の子だと知ると、養子を辞退したそうだ。次に名乗りでてきたのは、男の子でもいいと言ってくれたそうだが、母親は高卒で、父親は高校さえも出ていなかったそうだ。

ジョブズの生みの母親は、最後の最後で養子縁組のサインを拒絶する。しかし、迎え入れ先の夫婦は、絶対にジョブズを大学まで行かせる、と約束したそうだ。それで、ジョブズは育ての親のところへ行った。

そしてジョブズは無事大学に入学するが、そこは私立大学で学費がとても高い大学だったそうだ。そして、両親が一生かかって貯めたお金があっと言う間に学費に消えていくのを目の当たりにし、その割に大学に通う事自体に意義を見いだせず、ジョブズは退学を決意する。そこからがジョブズのクリエイティブの旅の始まりだった。

つまりは、ジョブズは、自分の存在意義をかけてクリエイティブの旅をしていたのだろう。自分は何のために貧しい両親のお金を使い果たそうとしているのか、自分は何のために生まれたのか、と自分に問うたことさえあったかもしれない。

ジョブズのプレゼン能力とか、そんなのささいなことだね。

そして、とてもジョブズにはなれないと思う。もちろん、そもそも全然ちがうんだけど、つまり、ジョブズのクリエティブの秘密、とかなんとかをいくら盗んだって、なんだかぜんぜんちがう、と思う。おれは大学んとき、両親のお金の心配など一度もしたことはなかった。時代がバブルだったのもあるけど、適当に遊んで卒業して、そこそこの大手企業に入ればいいんだろう、とすべてをなめてかかっていた。

ところで。

いまトンローという大きな道沿いにあるスターバックスに来ている。ものすごく快適だ。パソコンを使ってくれと言わんばかりに、各席に電源が用意してある。金曜の夜8時。店内は6割ほどの入りだ。勉強をする学生、仕事する人、打ち合わせをしている人々だ。そういえば。バンコクではネクタイをしている人を滅多に見ない。電車に乗っていても、スーツをびしっと着込んでいる人はたぶん見た事がない。

ビジネスマンもいるはずである。半袖のシャツとか来てるのかな?ある意味、熱帯のバンコク、ネクタイにスーツなんか着てたら倒れてしまうだろう。日本では少しまえ、クールビズなるものがあった。今年もあったのかな?もう少し昔なら省エネルックだ。
なんで夏に着る仕事着を半袖ネクタイなしにするのに、首相の号令がいるのか。そんなの個人で、少なくとも企業単位で決めればいいはず。あ、そうか基本は公務員向けの号令か。でも、そういうのも何か外から見ていると滑稽だ。ほほえましくもあるけど。

さておいて。

日本全体がどういう方向に進むのか、などということは実はそれほど重要な問題ではない。日本がどういう方向へ進んだとしても、その社会の中で個人がどう生きていくのか、という問題はほぼ変わりなく残るだろう。ぼくにはそっちのほうがずっとずっとずっと重要なのだ。申し訳ないけれども。

なんて書くと、また、そんなこと言ってるわりにはお前いつまでもフラフラしてるな、はっきりしろよ、と自己つっこみがやってきた。申し訳ない。

かつて日本軍が中国軍よりも強かったのは(ぼくが読んだ文献が事実だとすれば)、それは、中国軍が大将の権威と威光と恐怖のもとに統率された寄せ集め、もしくは雇われ軍だったのに対して、日本軍は小隊単位で自己判断して戦闘を行える自立した個人(戦士)による軍だったからだそうだ。あ、思い出した、漫画「日露戦争」に書いてあったんだ。そして、戦う意志も集団ではなく、個人個人が有していたのだと。だから不利な状況でも決して逃げ出さずとことん戦ったのだと。

なんて話もあるし。

先日、ひょんなことから知り合ったタイ人の地元へ遊びにいってきた。市内からタクシーで45分くらい。ローカルな場所だった。友達はお寺でお供え用の花を売っていた。1つ20バーツ(60円)。お参りの仕方を教えてもらってはじめてタイ式のお参りをちゃんとしてみた。静かな気持ちになった。どんな遊んでいる若者でも、お坊さんのことはすごく敬っている。お寺の中ではびしっと礼儀を守っている。いい感じだな、と思う。もちろん、それは窮屈さにもつながっているのだろうが、俗世間のお金のルールとは違うルールで回っている世界も大切にされている、それはやっぱり人間にとって安全なことなのだろう。

ありがたいことにぼくも仏教徒なんだな、とお経を聞きながら自然に手を合わせている自分の身体の作法を好ましく思った。


先日、日本に留学したいんだけど、大学側とうまく連絡がとれない、というタイ人の相談にのった。というか、代わりに電話で話した。その大学の事務局は、英語が話せる人がいないらしい。僕が、タイ人の留学希望者が、メールを出しても返事が来ないと言ってますよ、と言うと、それは英語ですか?と聞く。そうです。と言うと、すみません、こちらに英語が堪能なものがいないので返信が滞っているのかもしれません、と言う。

留学生を受け入れている大学院の事務局に英語ができる人がいないのか。。軽くショックを受ける。かなり有名な国立大学である。で、ぼくがタイ人の子のかわりにいろいろ質問していると、すごく面倒くさそうに対応してきて、とりあえず募集要項を送るからそれを読んでくれ、と言う。

それも昨年度のだという。今年の募集要項はまだないんですか?と聞くと、「それどころじゃないですよ」と言った。

なんだか、、大変そうだ。。僕はかなりムッとしたけど、あまりに対応が悪いので、でも、これが何かを象徴してる気もした。まあここの大学だけの問題かもしれないけど、たぶんコストカットとかで人員も減らされ、事務局のスタッフも疲弊しているのだろう。タイからの来年の留学生のことなんか知らないよ!という感じだった。

なんて、もったいなことするんだよ、と思う。タイからわざわざお前のところの大学に金払って学びに行きたいって言ってくれてるんだ!と。おまえ、日本の大学教育なんて興味ない、って言われたらどうするんだよ、興味もってもらえる今のうちに、世界の若者に日本を知ってもらうチャンスじゃないか!と。だいたい金も払うっていってるんだぞ(しつこいけど、これってすごいことだと思うので。タイ人からしたら日本の学費は高いはず。なのに他の国じゃなく日本を選んでくれるありがたさを僕は感じるのです)

ぷりぷり怒って電話を切った。後日談によると、どうも受験条件が折り合わなかったそいうで、そのタイ人は別の大学を目指す事にしたとのこと。それはそれでよかったのかもしれない。まあ、事務局の対応と、大学の教育レベルは別ものだろうけれども。

でも、いまふと思うのは、日本はいっそ、いろいろ逆手にとって教育大国になればいいのかも、と思う。世界の、アジアの若者がみんな日本に留学したがるようになれば、外交上もかなりいい感じだし、日本びいきが増えれば経済などいろいろもプラスに決まっている。日本語も輸出できれば、僕みたいに日本語で仕事している人間は大助かりだ。日本語人口が増えるのはかなりいいことだ。

教育とはやはり、ビジョンだろう。世界をどうしたいのか、そのためにどんな人を育てないのか、そういうコンセプトというか、志が重要だ。たとえば、お金をたくさん稼げる人材を育てたいなら、それも1つだ。だが続く時代の価値観はそれではないだろう。

そんなことも思いを巡らしつつ、仕事に戻ります。



バタついてます

なんだか年が明けてもばたばたしている。
ビザの更新でまた出国しなくちゃいけなかったり、あれやこれやだ。

この前、オフィスの近くにできた新しいアパートを見に行った。
オフィスのメンバーには特別価格を提示してくれるとのこと。

いま写真を載せようと思ったのに、見つからなかった。確かに撮ったのになあ。まあこんな感じでどこか段取りが悪い日々が続いている。

あいかわらず浅睡症も続いている。最近はもう、眠れてなくても強引に起きる作戦を敢行している。つまり、寝起きに既にぐったりしている。それでも強引にオフィスに行って、2−3時間もすると、まあそこそこ仕事ができるくらいには目が覚めてくる。

すごく健康に悪い生活をしている。
と思っていたら、昨日一緒に食事をしたバンコクに長く住むMさんから、肌つやが良い、来た当初よりも良くなってる、バンコクが合っているんじゃないか、と言われる。

ふむ、外見上はそれなりに健康に見えるらしい。じゃあよしとするか。外見にも疲れが現れて来たるようならまた対策を練ろう。

というか、久しぶりにあった人たちとおしゃべり、すごく楽しかった。4人で6時間くらいもべらべらしゃべっていました。なんかワインもかなり飲んだ。

Mさんから、ぜんぜん酔わなくなってる、つまらない!と言われる。前回はビール一本で完全に酔っぱらい、べらべらと恥ずかしい身の上話をしゃべり倒したそうだ。半分くらいしか覚えていない。

とはいえ、バンコク丸3ヶ月が過ぎた。あと3ヶ月。早いものである。
今年に入ってから、できるだけ外に出るようにしている。誘われたら、たいていの催しには行くことにした。やはり交友関係も広げておきたい。交友関係も健康の一要素だということに気づく。

毎日、家とオフィスの往復で、何人かの同じ人ばかりと顔を合わせていると、知らないうちに行き詰まってくるようだ。話す内容とかも代わり映えしなくなってくる。すると、脳の回転も悪くなるのだ。つまり刺激が必要。この場合に必要な刺激はインターネットからはやってこない。やはり、生身の人間と会うことからしか得られない刺激があるようだ。

バンコク、3ヶ月経って思う事は、暮らしやすいな、ということだ。
要素はなんだろう。ひとつはインフラが整っているということだ。街のサイズも適度に小さく、電車を使えばだいたいのところへ30分以内で行ける。タクシーが安いのもありがたい。45分走って街のはずれまでいっても、5、6百円ですむ。普段のちょい乗りなら150円とかで行けてしまう。すっかり終電を気にすることもなくなった。

それから、オフィス環境があること。コワーキングスペースだ。インターネットも早い。これと同じ条件を日本で見つけるのは結構難しいだろう。あったとしてもかなりコストがかかるだろう。

そしてもちろん物価の安さだ。ざっくり言うと日本の半分だ。最近景気がよいそうで、物価がどんどん上がっているみたいだが、それでも安いな、といつも思う。とくにご飯が安いのがいい。全部外食しているが、一食100円から200円でそれなりに満足できる。もちろん屋台飯になるけど。ちゃんと野菜も食べられる。

それからもちろん、タイ人の人柄もあるだろう。なんだろう、とりたてて親切だと感動することは別にないのだが、嫌な思いをすることも全然ない。ということは、やっぱりみんな親切なのだろう。普通に暮らしてる分には、ノーストレスという感じだ。

そうだ、日常の中でストレスを感じることがほとんどないのだ。しいて言えば、廃棄ガスが臭い、とか、昼間は暑すぎる、くらいのものだ。あと、結局外人なのでビザの取得とかが面倒だということ。でもそれぐらいだ。

なんだかバンコクいいじゃない、というのが3ヶ月目の感想だ。軽いノリで暮らし始めることができる場所だ。もちろん、ビザの問題をのぞけばだけど。でも景気がいいのだから、贅沢を言わなければ就職するのは難しくないのかもしれない。日系企業もたくさん来ている。

あと、いろんな国にすぐ行けるのもいいね。なんとなく何でも気軽な国、それがタイなんだね。もちろんまだ痛い目にあってないだけなのかもしれないけど、こっちで長く住んでいる日本人たちも、みんな楽しいと言っている。

わずか3ヶ月前は、バンコクなんて全然ノーマークだったのに、今では、また戻ってこようかな、と思い始めている。とりあえず拠点にするにはいい場所だな、と思う。日本への飛行機も安いしね。

まあね、でも海がないのがね、残念だけど。サーフィンにこだわってると、極端に選択肢が狭くなるからね。。そこはちょっとまだ回答がないところ。サーフィンはぼくが唯一続けられそうな運動で、健康のことを考えるとサーフィンのある生活をしたほうがいいに決まっているのだ。

まあ、そんな感じかなー。3ヶ月目の感想。



1/08/2013

現在には現在の



昨日、またゲーテのこの言葉を思い出していた。「現在には現在の権利がある」だ。

話は飛ぶが、また、数年ぶりに思い出していたことは、新宿のそば屋で偶然相席した白髪の紳士(というにはエネルギーがありすぎたが)に言われたこと、「あんたまだまだ小粒だ。大海に出てもっと恥をかきなさい」だ。

もちろん酒の席でのこと、特段深い話をしたわけでなし、よくある人生の教訓というやつだろう、でも、なんだか耳に残った。恥をかきなさい、というアドバイスがどこか珍しかったからかもしれない。

といいながらもすっかり忘れていたのだが、最近、2、3、恥ずかしいことをしてしまったからかもしれないが、恥をかくってなんだろう、ってふと考えたりしていた。

恥ずかし思いをしたあとで、でもそれは、やはり何らかの行動の結果であり、何か結果が見えないことに向かって足を踏み入れてみた証しでもあるのではないだろうか。
もう恥ずかしい事しかやらないぞ!と気炎をあげたくなるときさえある。

日本では既得権益を守る人たちがあらゆる変化をつぶそうとしていると言う。既得権益を守りたい勢力と崩したい勢力の戦いが始まるのだと見えるときもある。でも、既得権益の開放が本当の問題ではない。既得権益にしがみついている人々、それはたぶん僕自身も含まれる、が、既得権益を手放してでもやりたい何か、いきたいどこかがないことがさみしいことなのだ。自分をその中に溶かしこんでしまいたくなるような何かだ。

まあそうは言っても、理想的にすぎるのかもしれない。現実のあれやこれやに対応することで手一杯なのだ誰だって。自分だって。

誰もがどうしても忘れていたいこと。時は過ぎ行くということ。変化は止められないということ。それに比べたらあらゆる社会問題なんてものの数ではないのだ。

なんて言ってみても、どうすることもできないのさー。

今日は、久しぶりに午前中に割とスッキリと目覚める事ができた。だいたいわかってきた。やはり、夜の心理状態によるらしい。夜にモヤモヤしていると眠りにくい。考え事がつづく。ということは基本的に毎日モヤモヤしてるという事実。

昨日は少し気分の爽快なことがあって、そうなると、なんだか眠る許可を自分に与えることができたのだ。

脳との戦いばかりをやっている私です。自分の脳が、自分の思い通りにならない。これはいったいなんなのでしょうかね。この脳という臓器は。まったく、言う事を聞かない奴だ。おまえは、いつまでもぶつぶつと言って、なんだ、おまえは。

夜の屋台飯を控えるようになったらお腹がひっこんできた。わかりやすくていいね、お腹はわかりやすいね。

そうか、脳もそうなのかも、本当はわかりやすい臓器なのかもしれないね。ちょっと検討しよう。



1/04/2013

バンコク生活費


チャオプラヤー川。

最近また引っ越しを考えていて、候補となるサービスアパートを見に行った。なかなかよかった。

ところで、バンコクの生活費を教えます。

アパート(光熱費込み):約1万バーツ(ざっくり3万円弱)
 8畳くらい、エアコン、ほっとシャワーあり、駅至近、でもデスク、ソファ、キッチンはなし。ベッドと洋服箪笥だけ。

ビザ代:6ヶ月で2千バーツ(ざっくり6千円)
飲食代:ピンキリです。下は一食30バーツ(90円)から、ちょっと高いときは500円くらい。僕の場合、コーヒーも飲むし、ビールも飲んだりするのでざっくり、一日千円。月に3万円(遊び代含む)。

オフィス代:4600バーツ/月(1万3千円)

あと、通信費が、僕の場合、月にデータ通信1.5GBまでの契約で350バーツ(千円くらい)iPhoneで使っています。たしか無制限で800バーツ(約2300円)

ということで、固定費は、アパート+オフィス代で 約4万3千円
飲食費で、月に3万円、その他もろもろも出て行くので、ざっくり最低8万円。まあだいたい10万円前後、モノを買ったり、ビザ取得旅行すると、+1〜2万円という感じ。

大きな目安としては、まあ贅沢せずにそこそこで暮らしたかったら月に10万円。
安アパートでかつかつでやるというなら、6万円くらいでいけるかも。
逆に、快適に過ごしたいなら15万円はほしいところ。です。
バリ島よりちょい高いかな、でも、バイクレンタルやビザ更新代がないからトータル同じくらいかな、というところです。

やっぱり日本にいるよりはずっと気が楽なのが正直なところ。
毎日出て行くお金が少ないというのは楽ですね。飛行機代や旅行保険なんかは結構かかってますが、住居と食べ物が安い、というのは本当に楽です。酒とかのんじゃうとすぐお金が飛んでいきますけどね。

まあ三ヶ月ぐらいのビザは普通に取得できるので、ぽっかり人生の時間が空いてしまった人は住みやすくいのでおすすめです。本当にのんびりしたいならチェンマイがいいらしいです。


今年はひとつの抱負を立てました。それは、細かく行動する、というものです。
どうも昨今の自分を鑑みるに、行動している時間よりも考えている時間のほうが長い。それを変えてみようという試みです。

というか、ライフハッカーの翻訳をしていると、なるほど、様々な人が様々なライフハックを教えてくれます。そんな影響もあるのでしょうか、自分の生活を少し改善してみようと思うのです。

「めんどくさい」とか「まだ条件が揃っていない」といって躊躇しているが、いつも気になっていることがあれば、少しだけ行動してみようと、ということなんです。それはたぶんほんとうにバカみたいな話です。

たとえば、今日などは、アパートを見学に行きましたが、それなどはもう2ヶ月も前から、あそこのアパート見にいかないとな、と思っていた場所なのでした。徒歩でいける距離です。それでも、なんだかんだと理由をつけて行っていない。そのくせに、ずっと気になっているのです。

なんでそういう風に自分がなっているのかわかりません。昨日も書きましたが、行動がっ合理的ではないのです。

気になってて、それをするのに時間は1時間もかからなくて、何がどう転んでも何のリスクもない、そんなことが、2ヶ月もできない。これはいったいなんなんでしょう。

個々に見れば、今日は仕事を優先だ、とか、ほかの物件情報も集めてから一気に回ろうだとか、その日その日の言い訳はあるのですが、引いた目で見れば明らかにただの言い訳なのです。でも、やらない。でも、気になる。この構造。この構造をなんとかしたい、いうのが2013年第1クオーターの行動プランです。

とはいえ、やることは単純で、「これこれこういう理由でできない」と頭に浮かんだときは「では今日できるところまでやろう」という発想に切り替えることです。つまり、門の前まで行ってみよう、という。

準備が整っていなくてもジャブだけ打っとこう、というスタンスにするのです。そのスタンスにすると、今日、2件のタスクが片付きました。手紙を出すことと、アパートを見学すること。どちらも朝の時点では、なんとなく気が進まないからやめよう、と思ったことなのです。

郵便局の場所もはっきりしてないから、ちゃんと調べてから行こう、とか、そういう理由がついていたのですが、ああ、今年の格言は「門の前まで行ってみる」だったな、と思って、とりあえず電車に乗ってみたいのでした。すると、1時間もかからずに2件とも達成していました。しょーもない事例で申し訳ないですが。

そうかーと感慨にふける。こういう感じになるのかー。んー。なんでもないことなのに、なんで初動のときにあれほどストレスがかかるんだろう、、んー。なんだろう。

この謎をとくのが第1位四半期の目標です。


1/03/2013

ライフハック的な

今回はちょっと、ライフハック的なことも書いてみようかな、みたいな。
ライフハッカーの翻訳をしている割には、ライフハック系のことを書いてないのは、いかがなものか。

では、ひとつ。具体的になれば解決策は見つかる、という話。これはまあよく聞く話だとは思う。しかし、僕の場合「キレる」という要素が途中に入る。

こんなことがあった。
バンコクに来て、3ヶ月、簡素なワンルームアパートに住んでいる。家具もなにもないぶっきらぼうな部屋だが、僕が入るまえにリフォームしたようで、壁も家具も新品の感じだ。いいじゃん、と思っていた。

ところが。あるとき気がつくと、部屋が汗臭いことに気づいた。いつも、外から帰ってくると最初に気がつくのは汗臭さなのだ。

それほど不快ではないが、でも気にはなる。さすがはバンコク、いつも汗ばかり書いているから、部屋まで汗臭くなるのか。そういえばいつも洗濯してない服が散乱している。そういえば、シーツや毛布もぜんぜん洗濯してないや。。

ということで、なるべく毎週洗濯するように心がけはじめた。ところが汗臭さはいっこうに減らなかった。いつも帰宅するとぷーんと汗臭い。なんかやだな、これでは友達も呼べないぞ。

でも、どうしていいかわからず放置していた。たぶんシーツだろうと思っていた。2週間以上洗わないのはざらだし、毎日寝汗をかいているはずだ。でもなあ。、シーツ洗うの面倒なんだよなあ。。乾かすのも大変だし。

それでもなんとか重い腰をあげるように努力はしてみたものの、何ら改善は見られなかった。もしかしてら、もう部屋中に汗の匂いが染み着いちゃったのかも。そんな風にも思っていた。湿気の多いバンコク、また、安アパートの壁だってどんな素材かわかりはしない。匂いがつきやすい素材なのかもしれない。とはいえ、壁を掃除する気にもなれず、あーあもう面倒だなあ、と思う毎日だった。

つい先週のことである。あるとき、外から帰ってきて、ドアをがちゃりと開けた。ぽーんと鼻をつく汗の匂い。おいおい、やっぱり汗臭いねー。ちくしょう、いったいなんだこれは、待っててもこの匂いは消えない、それなりに洗濯の回数は増やしたはず、どないせーちゅうねん!とぼくは瞬間的に小さくキレた。怒りがわっと湧いた。

そして、お前かー!といってシーツの匂いをぐわっと嗅いだ。そしたら、なんと、ほのかないい匂いが。あ、そういえば洗濯したばっかり。じゃあ、おまえかー!と毛布を。たしかに少し汗臭い、でも強烈ではない。こいつじゃない。ここでふと我に返った。

じゃあなにが汗臭いのか。壁に鼻を近づけてみた。壁は壁の匂いしかしなかった。床を嗅いでみた。タイルの床はタイルの匂いしかしなかった。部屋を見渡すが、ちょうど洗濯を干しているところで、ほとんどの服はベランダにあった。近くにあった服をかいでみる、あれ?臭くない。

なんだ?なにが臭いんだ?ぼくははっと足下をみた。そこには、2ヶ月前にラオスに行ったときに買った、ワラで作った草履があった。そういえば、なんか一回、これ臭いな、と思って履くのやめたんだっけ。。

嗅いでみた。臭かった。こいつだ。こいつがワラの中でなにか微生物が発酵したのかしらないが、絶妙な汗臭い匂いを発散していた。ぼくは速攻でゴミ袋に叩き込み、その足で外にあるゴミボックスに放り込んだ。

それから、部屋の匂いはかなり改善された。たぶん、まだ靴とかサンダルとか、洗ってない服とか放置してあるので少し何からの匂いを発散しているようだが、気をつけないとわからないくらいになっていた。

長く書いたが、不思議なもので、およそ2ヶ月ほども、「原因不明の匂い」と戦っていたのだ。いや、戦わずにただ困っていたのだ。

確かめることもなく、勝手に原因はシーツだと決めつけ、シーツを洗う頻度の問題と決めつけ、忙しい日常、シーツを毎日洗う余裕などない、どうせ数ヶ月で捨てるのだから、替えのシーツも買いたくない、だからもう僕はこの匂いからは永遠に開放されないのだ、というジレンマに勝手に陥っていたのだ。

シーツをまじまじと嗅いでみることもなく。

ドアのすぐ下に放置してある、草履。そいつをなぜ疑わない。いや、今思えばそいつが臭いことは知っていた。だから履かないでいたのだから。でも、合理的に一個づつ匂いを嗅いでいって原因を究明しなかったのか。あれほど毎日イラついていたのに。

今となってはわからない。不思議だ。だが、僕はわりとそういう傾向がある。以前、下北沢の木造アパートに住んでいたとき、ネズミと格闘した。あのときもそうだった。

冬になってネズミが出るようになり、夜中にお菓子やナッツなんかをぼりぼりと食われた。最初は面倒で放置していたが、あまりに食われるのでお菓子を箱にいれたりしてみたが、箱ごと食われたりしていた。脅かせばこなくなるかと思い、ボリボリやりだしたら、奇声を発して追いかけたりした。

しまいには、鉄のかごを買ってきて、そのなかの食べ物を全部いれて防御することにした。かごを何個も買ったのでそれなりの投資になってしまった。それでもたまに入れ忘れた食べ物をかじられることがあった。毎日ほんとにイライラしていた。そんなことを数ヶ月続けたあと、夜、ふと壁に気配を感じて目をやると、ネズ公がリスみたいに張り付いていた。鼻をひくひくさせていた。夜とはいえ電気はこうこうとついているのに、である。そして、白昼堂々、僕の前を横切り、台所のほうへ行った。

ぼくはその瞬間、キレた。なめやがって!てめー俺と目が合いながら、まだ食べ物あさるつもりか!と。どんだけ人間様をなめてやがるんだ!!ということで追いかけ回していたら、ネズ公がシュシュシュっと玄関口の下の隙間に消えていった。

あれ?と思って見に行くと、そこに小さな隙間が空いていた。ここから出入りしていたのだ。ここを塞げばいいのではないか?ということで最初は段ボールを詰めたのだが、一夜にしてぼろぼろに噛み砕かれていた。最後は金網を張った。その日からネズは出なくなった。

いま思えば、すごく簡単なこと。ネズミは部屋に住んでいたわけではないから、どこかの穴から入ってきていたのだ。そこを塞げばいいだけだったのだ。そんな鉄のカゴで食べ物を防御などしていないで。ただ穴を探して塞げばよかった。でも、その発想が出なかった。小学生でも出せるシンプルで合理的な回答に数ヶ月間もたどり着けなかった。ぼくは本当に頭がいいのだろうか?

長くなりましたが、これが教訓であります。

あとほんの少し合理的になればあっと言う間に解決策が見つかることがあるのに、何ヶ月もその問題に気をもんでいる、イライラしてる、なんてことがあるのではないか?

たぶんそれはその問題を持ってしまったこと自体に腹をたてすぎて、解決するより、そのいらだちにフォーカスし続けてしまったゆえだろう。なんで俺がこんな目にあうんだ!という気持ちに浸り込んでしまっていたのだ。

ただ、確かめる、という行為で、あっと言う間に解決することがあるのである。

汚い話ばかりで、申し訳ない。





1/02/2013

地球環境と私の生活

ちょっと重い話題をいってみよう。地球環境と私、だ。

環境問題も自分の中に答えが見いだせないテーマの1つだ。

まあいろんな問題があるが、温暖化、大気汚染、水汚染、土壌汚染、そのあたりでいってみる。

まあ単純にいって、地球環境が汚れてきていることはわかる。バリ島の海はゴミだらけ、下水の匂いがするビーチもある。(サーフィンしてたけど)

日本の海だって昔よりは確実に汚くなっているはずだ。少なくとも100年前よりは。空気も。なにもかも。

そして、地球温暖化には諸説あるが、つまり、温暖化などしていない、むしろ寒冷化しているという見解もあるし、CO2が気温に与える影響はほとんど無視できるほど少ない、という見解もある。その逆もある。

しかし、温暖化を別にしても、CO2をガンガン排出することが、CO2などと限定しなくても、あらゆる排気ガスなるものは空気を汚すことは間違いない。つまり、生命にとって有害な物質が少なからず含んでいることは間違いない。

ここで大きな問題が分けれてくることがわかる。まず、大気汚染の問題と、ゴミ問題だ。

ゴミ問題から言う。僕が毎日排出するゴミ、もちろんもともとは何からの商品なのだが、それは、地球が短期間には処理できない「ゴミ」としてどこかに蓄積されることになる。ゴミ処理場だ。これは少なくともゴミ処理場の土壌を汚染し、周囲の空気も汚染するはずだ。

そして、消却処分をすれば物体としてもゴミは消えるが、そのぶん、汚染物質が大気にまき散らされることになる。

ならば、できるだけゴミを出さない、ということになる。つまりそれは商品を買わない、ということにかなり近いことになる。買ったもの、手元にきたあらゆる商品は、飲食物をのぞいて、全部ゴミになる運命なのだ。だからなるべくモノを買わない、消費しない、というのが環境的には正解になる。単純な理屈だ。

と同時に、消費しないということは、逆に立場にたてば、製造しないということだ。なるべく製品を作らないほど環境によい、ということになる。製造業の復活、などと言ってていいのか?ということになる。

本当に地球環境を考えるなら、トヨタも日産もソニーも、パナソニック、本田もなにもかも、Appleでさえ、活動を停止したほうがいいことになる。まあ他の企業が穴埋めしてしまうだけだろうが、その企業としての環境倫理を原理的に追求するなら、モノ作り自体を止めてしまうのが一番環境に良いのは言うまでもないだろう。

そして、よく言われることかもしれないが、原始時代といわねども、まあ江戸時代くらいの生活にみんなで戻れば、環境汚染はかなり低減するはずである。少なくとも国内で石油などのエネルギーの使用を一切やめてしまえば(つまり、自動車はゼロ台になり、電気も止まる)、数十年のうちに空気はクリーンになり、水もさらさら、田園風景美しいあっぱれな日本、美しい日本が復活することになる。

いま、ゴミ問題と大気汚染を一緒くたにしてしまった。まあ結局は同じ問題だったわけだ。

でも、それは嫌だな、というのが僕の直感的な気持ちである。やってみればまんざらでもないのかもしれないが、とても不便である。パソコンが使えないなんて、ネットが使えないなんて、電車に乗れないなんて、ちょっと考えられもしない。

不便で済まないことだってある。高度な医療も機能しなくなれば、以前は助けられた命が環境にやさしくしたせいで助けられなくなった、ということにもなる。救急車も動かない。消防車もやってこない。第一、農業機械が動かなければ、農作物の生産性もぐぐぐっと減ってしまう。みんな農業に就かなければ食べ物もおぼつかないだろう。

当たり前のことを長々と書いてしまった。まあつまりは、江戸時代まで戻ると環境的には理想なんだけど、そこまでできないよね?という地点にくる。じゃあどの地点までなら戻れるか、どのくらいまでエネルギー消費を減らせるか、ということになる。

もちろん、画期的な技術革命でエネルギー効率を上げていって、利便性はそのままで、エネルギー使用量を減らしてしまうという方向もある。その場合でも、少なければ少ないほどいいわけで、結局、どの程度のエネルギー消費、もしくは、どの程度の汚染なら良しとするのか、という設定問題が出てくるはずだ。

これは国家レベル、世界レベルで調整していくしかない問題に思えるが、個人に適用することもまた、可能だろう。

自分が使うエネルギー量、自分の活動が排出するC02やゴミを、自分基準で減らす、ということだ。これももちろん、減らせば減らすだけいい、となると、江戸時代問題が出てきてします。

つまり、ど田舎に引っ込んで、石油も電気も使わない自給自足の生活をするのが一番だということになる。もちろんパソコンやインターネットも使わないほうがいい。車も乗っちゃだめだし、飛行機なんて言語道断、ということになる。

そうなると、それはちょっと無理、となる。エネルギー消費をなるべく減らせといわれても、やはりクーラーは欲しい。寝るときは我慢したとしても、オフィスにクーラーがなければ俺は怒って帰ると思う。仕事にならない。そしてなによりも、飛行機乗りたい。クーラーを使う時間を減らせ、と言われば、がんばってみようかな、扇風機でいいかな、とおも思うが、飛行機にのる量を減らせ、と言われると、余計なお世話だ!言いたくなる。

同様に、電車もエネルギー使うから電車もなるべく乗るな、バスも乗るな、と言われると、おまえ、おれから行動の自由を奪うのか!と拳を振り上げたくなる。徒歩と自転車県内で生活してろよ、と言われると、おまえ正気か?と言い返したくなる。

つまり、ここにおいて、自発的エネルギー削減にも失敗するだろうな、という自分が見えてしまう。というか、そもそも何がどれくらいエネルギー使うのかを全部調べないといけないし、その上で自分は毎年どれくらいのエネルギーまでに制限するのかを決めることになるが、それは面倒が過ぎる。

ここで僕は途方に暮れる。あれ、おれ、環境を守る気ないんだわ、結局。みたいな。もちろん、今以上に悪くするつもりはさらさらないけれども、おまえ、来年はエネルギー消費おさえるために、あれもするな、これもするな、となったら、もう、うるせー!となるのである。それどころか、お金さえあれば飛行機乗り倒していろんな国に行きたいと思ってるし、もっと大きな家に住みたいし(つまり電力使うだろう)、まあでもそれくらいかな。

ということで、結論がでない感じになってきたけど、絶対的に明らかな問題として立ち上がっている環境問題に対して、自分のスタンスが決まっていないというのが現状なのである。

とはいえ、決めていかねばならないだろう。少なくとも自分にこどもが生まれて、ものごころがついて、お父さん、僕は地球環境を壊したくない、どう生きればいいですか?と問われてしますその前には。

ずっと避けてきたこの問題、少し考え始めなければいけないようです。ぼくは何も我慢できないにんげんだとは思いますが。。



新年散歩:ルンピニー公園など


あけましておめでとうございます。
この写真は、ルンピニー公園です。たぶんバンコクの中心部で一番大きな公園です。池があってあひるのボートなんかもあって、芝生もあって、きれいでいい感じの公園です。

元旦は、朝起きて、どこかへ出かけようと思い立つ。
普段、土日も仕事することが多いから、ぜんぜん観光していない。なのでかねてから気になっていた場所にいくことに。まずはルンピニー公園。

ジョギングのメッカらしい。さすがにお正月の昼間の2時、ジョギングする人はいませんでしたが、きれいな公園で、憩いの場所になっているようでした。

そして、「歩くバンコク」というガイドブックを開いて、次にどこ行こうかなと思っていたら、電車で4駅くらいでチャオプラヤー川まで行けるようなので、川を見に行くことに。

そのまえに冷房で一休みしようと、道路向かいにある商業ビルを目指します。ビル内をぐぐる回ってほてった体を冷やし、よしそろそろかな、ということでビルを出たときです。そこはビルの駐車場だったのですが、一陣のつむじ風が巻き起こり、コンビニ袋が一枚、ぐるぐるぐるっと風にあおられて舞い上がりました。

あれ、このシーンどこかで見たな、と思い出すと、あれは10年ほど前に見た映画「アメリカンビューティー」のワンシーンであることに気づく。映画の中で、日常、ほとんど感情を見せない男の子が、ビニール袋が風に舞う映像を一生懸命、撮影していて、どうしてこんなに撮るの?と聞かれで、「美しいから」と答える、そんな感じのシーンです。

あの映画は、アメリカの典型的な幸福で成功しているように見える家庭が、その実、嘘で塗りかためられたバーチャルライフであることを告発した映画だったように思います。

僕は、駐車場を舞うコンビニ袋を見つめながら、あの映画とは違う、と心のなかでつぶやきました。そして、静かな幸福感がこみあげてきました。

風に舞うコンビ二袋と、それを見つめる自分、そして、今から歩いて出て行く街、それらは僕のとってもはや地続きのものなのです。切り離された別の世界ではない。なくなっているんだ、という感触がやってきました。

そしてぼくは、その光景を映像におさめる必要性も感じず、コーヒーでも飲もう、と繁華街を目指してトラフィックな国道をスタスタと渡ったのでした。

コーヒーとサンドイッチのあとで、手紙を書くと約束した人への手紙などを書いたあとで、電車に乗って川を目指します。

乗ること15分、タクシーン駅をおりると、すぐチャオプラヤー川が広がっています。やはり川はいい。心がぱあーーっと開放されるのを味わいながら、このまま船に乗って行こうかな、と一瞬考えます。しかし、どうやら少し頭がふらふらしているようです。太陽にあたりすぎたのかもしれません。船はやめておこう、また今度にしよう、と思う。

ふと見渡すと、たくさんの外国人観光客が連れ立ってわいわいと船に乗り込んでいました。ああ、そうかホリデーなんだ。急な眠気が襲ってきます。さて、帰ろう。でも、せっかく知らない街に来たのだから、少し歩いて散策してみよう、と思い立つ。

とりあえず隣の駅まで歩こう。てこてこ歩いていく。正月だからかしまってるお店も多く、人通りも少ない。そういえば、隣の駅に知り合いが住んでいた。会えたら会いたいな。歩きながらメッセージを送ってみた。すると、なにやら賑やかな音楽が聞こえてきた。なんだかすごくいい音楽。誘われて入っていくと、そこはインドの寺院。たくさんの人が、額に赤い印をつけ、果物や花をお盆に乗せて、祭壇へ捧げているところだった。これがヒンデュー教の新年の祭り事なのか。中には中国系らしく人も何人かいた。中国系でヒンデュー教の人もいるのか。僕は隅のほうでじっと音楽を聴き人の流れを見ていた。

街歩きを再開すること、メッセージが返ってきた。あいにく、知り合いは他の場所にいるらしい。じゃあさっさと帰ろう、と最寄りの駅を目指して歩いたのだが、なかなかたどり着けず、しかたなくGoogleマップを見てみると、2駅ほどとばして歩いてしまっていたようだ。どうりで疲れた。

普段まったく観光しない自分、せっかくだからと「歩くバンコク」に載っていたお店に行ってみることに。迷いに迷ってたどりついたお店は、別のお店があった。というか見つけられなかった。

悔しくなって、どうしてもどこか話題のお店に行きたくなる。3駅ほど電車にのり、おいしいと話題のレストランに直行するも、今日は閉店。もうひとつの店を探しにいくも、閉店。正月だからね。がっかりして、やっぱおれ観光向いてないね、とすねていたら、オフィス友達から、今晩酒でも飲もう、とのメールが入る。

オッケーと返事をして家にたどり着いたら、急激に疲れを感じ、もう目が閉じてゆく。小一時間、眠気と格闘したあと、友達に、ごめん、今日は無理、明日にしよう、とのメールを放ち、そのまま寝てしまった。

というなんということもない元旦を過ごしていました。

今日2日から、初仕事です。早いでしょ。冬休みの宿題がたまっているのです。