1/31/2013

誰も帰ってこいと言わない問題

ちょっとまたスランプしていました。今日あたりから復活。おれは習慣の力をなめてるんだな、という感想。最近、ライフハッカーでも「良い習慣をつくる」的な記事が増えている。アメリカでもみんな習慣作りに苦労しているのだろう。

会社勤めにはいろいろメリットがある。まず、習慣がつくれること。とりあえずよっぽどのことがない限り決まった時間に会社に行く。前日に飲み過ぎても、どうも不眠症が続いていたとしても、よっぽど体調が悪くない限り、オフィスへ足を運ぶことになる。

よくも悪くも生活が規則正しくなっているのだ。人間とは弱いもので、というか俺は弱い人間で、強制されないとひたすらダラダラしてしまう。そしてそのことがまたネガティブな思考を生む。負の連鎖だ。ダイエットやエクササイズがなかなか続かないような感じだ。

ついダラダラしてしまう。だからたいした量の仕事をしていないのに、いつも仕事に追われている感じになる。やばい、そろそろ提出しなくちゃ、という「締め切り感」だけが俺を管理しているのだ。これではジリ貧だ。

とはいえ、直接の知り合いではいないが、聞くところによるとおもに夜中に仕事をしている人たちもいる。彼らは自分専用のオフィスを持っていて、好きな時間に好きなだけ仕事をするようだ。僕がウォッチしている五味太郎氏も夜中派らしい。朝日が出てから眠るそうだ。夜の方が集中できるのだろう。

でも僕の場合、夜に集中できる環境がない。自宅ではどうもだめだ。そうなると、やはり朝方とはいかなくても昼型くらいでがんばっとかないといけない。あと夜型になると孤独感がはんぱなくなるのも痛いところだ。

まあ永遠の課題なのだが、今すぐどうこうなりそうもない。思えば朝に強い時期など人生で一度もなかったのだ。いつも眠かった。

まあそんなこともありつつ。でも意志の強さでなんとかする、みたいなモデルはどうも難しい。なんとか意志の力を使わずにものごとを整えていく、っていうのが今後の主流になるだろう。

たとえば、失業率の問題があるとする。日本で失業率があがっている、としたらそれは、ある必然があるのかもしれない。例えば、日本は物質的、社会資本的に十分に豊かになったので、つまり、効率がかなりよくなったので、みんながみんな働かなくても社会が回っちゃうようになった、のかもしれない。

そこに意志の問題を導入して、探せばある、だの、今の若者は、だの、老害だ、だの言っていても始まらないのかもしれない。つまり、誰かの意識を変えろ、という問題にしてしまっては。

そうではなく、単純に「社会」のサイズを変えるだけでいいのかもしれない。社会のサイズが大きくなると、仕事にあぶれる人が増える、というのが人間のつくるシステムの法則なのかもしれない。

ならば、道州制でも、経済ブロックでもなんでもいいから、結ぶ付きの強い社会のユニットサイズを今の半分にしてみる。それだけで、世の中に「仕事」が増えるかもしれない。

一時的には社会の効率が落ちるかもしれない。市町村合併と逆のことをするのだから。でも、社会を効率化したあげくに失業者が増え、効率化から受ける恩恵よりも、失業などの痛手のほうが大きいようでは元も子もない。つまり、社会が効率化したので、一部の人は遊んで暮らしててもいいですよ、とはなかなかならないのが人間社会だ。

ちょっと何の統計データも調べずに書いているので大間違いを言ってるのかもしれないが、なんとなく、そういう、横から攻める、みたいな解決方法こそが有効な気がするのだ。

具体的にどうするか、はなかなか言えないけど、「意識」や「意志」の問題にしているうちは何事も解決しねーだろうーなー、という漠然とした予感がある。

それを自分にもあてはめると、なにか自分の習慣や意識を変えたいなら環境をいじるのがよさそうだ、となるわけ。

なんか長くなっちゃった。

というか、最近、ふと、このまま翻訳とかそっち系の仕事していくなら、東京に帰った方がいいのかな、と思いはじめてて、それとなく何人かにこぼしてみたところ、みんな見事に、帰ってこなくていいよ、的なことを言う。まあ、そうだね。。おれもそう思う。なんとか、海外に居ながらサバイバル道をもう少し探ってみようと思い直す。

そんな日々。はあ〜。なかなか、なかなか。








0 件のコメント: