ひょんなことから、今、大杉栄の青空文庫を読んでいる。
面白かった。
アナーキストというぐらいだから怖い思想の持ち主だと思っていたので、とくだん興味すら抱いていなかった。でも、青空文庫をみていたら、大杉栄、の名前があって、どれ読んでみるか、と読んでみたら、面白かった。「征服の事実」などは、僕もぼんやりと考えていた疑問について、正面からぶつってる書物だ。
どうして人間界は征服者と非征服者にいつも分かれているのか、という問い。人間の歴史は他民族の征服の歴史ではなかったかという問い。僕の解けない謎、貧富の差はなぜあるのか?にも通じることだと思われる。
この世界は実は奴隷社会のままなのではないか、という問いが芽生えて来る。先進国が主人とすると、発展途上国が奴隷、と見ることもできる。先進国と言われる国の中でも、富裕層は主人で庶民や貧困層は奴隷、と見ることもできる。
それとも、奴隷などというものは、とうの昔に根絶されたのだろか。
あとやっぱりびっくりするのが、大正時代の日本、わずか100年もたってないような近い時代だが、信じられない社会なのだ。「思想犯」というものがあった。共産主義、社会主義を唱えただけで、投獄だ。下手をすれば死刑になった。
いったいなんだそりゃ、と今では思えるが、当時はそれが当たり前の公然の正義だったのだ。ただ、こういう社会の方がいいんじゃない?と口にするだけで、取っ捕まる。なんという社会だ。それが数十年前の日本だった。
ずいぶん自由になったものだ。それは文句なしで喜んでいい。いい社会になってきたのだ。やはり。
面白いのはそれは日本だけのことではなくて、フランスなどでも同じだったらしい。大杉栄も、フランスのメーデー(労働者の集会)で、演説をして、フランス警察に捕まっている。フランスでも、思想犯、というのがあったのだ。
ぼくは、右翼か左翼かと言われるとどうも右翼よりなのかな、と自分で思い始めていたが、大杉栄は魅力的だ。大杉栄はアナーキストだ。アナーキストは左翼に入るのだろうか?でも大杉栄は、共産主義者は味方のようでいて敵であった、と書いている。
アナーキストは無政府主義者と書くが、どういう意味なのだろう? 本当に政府を、つまりは統治機構をなくしてしまえ、という思想なのだろうか。共産主義だって、社会主義だって政府はある。だから無政府主義と言われてもイメージができない。
でも大杉栄は魅力的だった。とにかく痛快な感じだ。ぜんぜんテロリスト的ではない。どちらかといえば牧歌的でさえあった。
「生の拡充」などは、ああ、そうだよ、そんなことが僕にとっても大事なんだよ、と言いたくなる書物だった。けっこう昔にそういうことを考えていた人がいたんだね。まあ僕の場合はだいぶスケールが小さいけれど。
大杉栄みたいな日本人がいたことを知れて、なんだか気分がよくなった。
あさってからベトナムにいってきます。
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