1/15/2013

ホーチミン

ホーチミンにいます。

ものすごく騒がしい街です。バイクと車、騒音、排気ガス、そしてひっきりなしに声をかけてくる商売人。アジアだなーって。

でも、バイクのおっさんが血走った目で怪しく声をかけて来る横には、日本とかわらない近代オフィスビルが建ってって、スーツをびしっと来たビジネスマンやOLがぞろぞろとランチに繰り出す光景は、ほんと日本とかわりません。進歩とカオスが急激にミックスした街という感じ。

昨日は、宿で日本人の男の人と一緒になり、夜中までべらべらしゃべりながらほっつき歩いていました。けっこうレアな映画や監督のことで盛り上がり、面白い出会いだなあとうなずきあっていました。なんか久しぶりに旅らしい感じで楽しかった。

とはいえ、ショッキングな出来事も。まあ詳細は言いたくないけど、ああ、おれってほんとダメなんだなあ、ということがまたあって、こういうときって同じテーマで立て続けに事が起こるよね。もう自分にイライラする。無意識に対して宣戦布告をしなければならない、そんな気持ちがしています。

無意識とは面白いもので、意識より先回りしていろんなことを行いますね。
例えば、触れたくない話題があるとする。それは、もう本当に触れたくない話題で、ふだんは意識に登らないようにしているほどのテーマがあるとする。

すると、その話題をふられると、急に聞き間違えたり、耳が聞こえなくなったりする。これは本人にとっては、本当に相手の声が聞き取れなかった、という体験として体験される。だから、「え?え?今なんていったの?」と聞き返すことになる。相手が、もう一回言う。でもまたうまく聞き取れない。で、「え?何?なんて?」とまた聞き返す。そういうしているうちに、相手は、バカにされたような気になって怒ってしまう。

でも、本人は相手が何で怒ったのかわからない。だって聞き取れなかっただけだもん。相手の滑舌が悪いんじゃないかぐらいに思ってる。でも相手は、こんなにはっきり言ってるのに、お前わざとはぐらかしてるだろう!となる。

でもまあおうおうにして、本当の本当にわからないんじゃなくて、心のどこかでは、何か自分の方がおかしいことをしたんじゃないか、という感触だけはある。だけどそれについてはうまく考えられない。つまり頭脳が働かないのだ。特定のテーマに対しては。

そういうことが僕にもよく起きる。頭脳が止まる。止まるというか、一瞬にして乱れる。理解力が極度に低下して、会話もままならなくなる。無意識が全部しくんだことだ。言葉になる以前の意識が、その話題を回避せよ、と命じている。命ずるなどというほど自覚的な行いではないのかもしれない。ただひたすらに、無意識が逃走を試みる。


意識で、つまりは言語かできた言葉で、いくらつべこべと理屈をこね回していたって、大事な場面ではいつも無意識が優位になる。無意識に支配されて生きて行くのがたいがいの人間なのだ。

ならば無意識を意識化していくことで、人生の自由を取り戻すことができるのではないか、というのが過去10年くらいの僕の関心であった。

理論的には合ってると思う。だけど、どうやってそれをやるか、は未だに問題だ。たぶんそれは、日常の細かい行いの中でしか実践できない種類のものなのだ。一週間集中してすごい合宿をしても人生は変わらない。

あれ、何を書いてるんだっけ。あ、嫌なことがあった。それも自分だけの原因で。ちくしょうめ。

とはいえ、今は、下調べしてあった、「ノマドカフェ」を無事発見、快適にパソコンをしている。WIFI無料、電源使い放題、でいてすいていて静か、というカフェがドンコイ地区のVincom Shopping Centerの地下2階(1階かな?)にある。
出典はこちらのノマドワーカーのブログで教えてもらった。
http://cyrilmazur.com/2012/08/nomad-work-in-ho-chi-minh-city.html

あ、それから、ホーチミン、なぜかFacebook.comとyoutube.com、さらにはgoogle.comがブロックされているようだ。社会主義だからか。
でも、youtube.co.jp や google.co.jpはアクセスできた(笑)
ご参考に。





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