3/30/2012

健康

最近、バリに来た隠された理由のひとつを見つけた気がした。
それは、ずばり「健康」だ。

いままであまり健康に気をつかってこなかった。
でもいまここにいて、健康でありたい、と切に願うようになってきている。
そういうことは人生の中でも珍しい感情だ。
たんに年齢がそうさせるのかもしれない。

とはいえ、それほど食事やなんやに気を使ってるわけじゃない。
でも病気や怪我をしないように、って願うようになった。
たぶん一番大きいのはサーフィン。明日もサーフィンに行きたいのだ。

ビーチを歩いていて、石なんかを踏んでチクッとすると、おっとなってあわてて足の裏を確認する。釘やなんやを踏んで怪我をしたくないのだ。海に入れなくなってしまう。

どんだけサーフィンにはまってるのか、というとそれほどでもないんだけど、
明日、海に入れません、と言われるにはいやなのだ。

そして、どうも僕の体はそこかしこが痛んでいたようだ。
そういうサインが体から聞こえてくるようになった気がする。

昨日、バリに長く住んでいる友達にそのことを話すと、
そうだ、そうだ、と合意してくれた。
バリに来ると健康オタクになりますよ、ということだ。
日本で感知できなかった体のいろいろなことが感じられるようになるそうだ。
それによってより健康を意識するようになるという。

うん、たぶんそれだ。
それに、気候も食べ物も水も違う。体も適応するのに必死だ。それでいろんなサインを送ってくるのだろう。これからも長く使う。ぼくを波に乗せてくれるのはこの体ひとつしかないのだ。

といいつつ、ついついコーヒーがぶ飲み、冷房ひえひえ、夜更かしパソコンなどなどをやってしまう自分はどれだけ業が深いのだろう。

まあコーヒーは好きで飲んでるのでいいんだけどね。

そして、小さなうれしい変化が訪れていたことに昨日きづいた。
今だけかもしれないが、鼻で息が吸えるようになっている!

ぼくは、たぶん10代のことから、確かな記憶がある限りでも20代のころから、鼻がつまっていたのだ。万年鼻づまり。普段はまったく息が通らない。基本口で呼吸をしていた。
それが、昨日気づいたら、鼻で呼吸ができるではないか。

理由はわからないし、昨日、今日だけのことなのかもしれない。
しかし、これはなかなかいい兆しじゃないですか。

そしていま、玄米食をどうやって始めようか、思案しているところなのです。
炊飯器でいけるかな、やっぱ圧力鍋が必要かな。

といいながら、今も近所の食堂にいってバリ料理を食べてきてしまいました。
手軽だし、おいしいからねー。

そして今日も、席に座るだけで料理が出てきた。
ここは、お任せの店なのだろうか。
ここに来るのは今日で3回目。最初は「ナシチャンプルー」と注文してそれを食べた。
2回目は、チキンスープを頼もうと思って席でオーダーをとりにくるのを待っていると、オーダーのかわりにナシチャンプルーの皿がトンっと置かれた。あれれ、頼んでないのに。。おいしいからよしとする。
そして、今日3回目、今日はナシチャンプルーでいいから何も言わずに席で待っていた。おばさんも、わかってるわよ、という顔をしてお皿に盛っている。
で、待っていると、トンっと置かれたのは、スープとご飯だった。また新たな料理だ。
んーー思わずうなる。なんか贅沢な感じだ。常連客が馴染みのママのいる店に通っている感覚だ。いいんだろうか。なんとかアサムとかなんとか料理名を説明してくれる。ふむふむ、とつたなく復唱してみる。そうそう、そうよ、と満足げにおばちゃんは帰っていった。

こうなると明日もいかないわけにはいかなくなった。
明日は何が出てくるのか果たして。。。


今日のお任せ料理はこれ:

3/26/2012

夕方に波の乗る


やはり海が近くなったのはよい。最近、毎日のようにサーフィンに出かけるようになった。ただし、夕方である。あの、悪魔の熱中症以来、真っ昼間の太陽が怖くなってしまったぼくは、すっかり出歩かなくなった。なんか昼間しばらく外にいると、かすかな頭痛がしてくるのである。しかし波乗りはしたい。そこで、夕方に繰り出すことになったのだ。夕方というか4時くらい。そのころになるとまだまだ昼間の感じなのだが、太陽のパワーはかなりマイルドになっていて、やばい、倒れちゃう、という感触がなくなっている。いいね、いいね、という感じ。西日に目をさされながら、1時間ほど波乗りするのだ。もうガツガツしない。ガツガツして、その後の1週間を寝込んでしまっては元も子もないのだ。
1時間で充分なのである。明日も波はあるのだ。

最近、いい波だったら結構立てるようになってきた。10回立てなくてうんざりしていても、1回立てるとうれしくて、また10回チャレンジできる。そんな感じでやってます。

最近ぽつりポツリとあたまに浮かぶことばは、幸せでいよう、だ。
別に今がすごく幸せというわけじゃなく、ポジティブシンキングをするべきだ、と言ってるわけでもない。ただ、よくよく考えてみたら、幸せのなり方がわからなくなっている自分がいるばかりなのだ。
もうこの先なにをどうすれば幸せになれるのか皆目検討がつかない。こういう生活でこういうことをしていれば幸せだろう、という想像はつくし、そこへ向かってがんばるという道筋は見えないこともないけど、どうせそんな思い通りにいくわけない、と思ってしまうのだ。1つの板を踏みはずしてもその幸せは叶えられない、のだとしたら、そんな幸せは到底叶わないのだ。
だから、すごい普通に叶えられる範囲でなんとかしたいものだ。だって将来何がどうなると、ああ、これで幸せ、やっとたどり着いた、あとはこれを続けていければもう超オッケー、と言う風になれるのか疑問だ、というか、そんな日が来る気がしない。思い通りにいかないことが多すぎる。

幸せでいよう、というのは、具体的にはバカみたいな話で、今だったら、うまい昼飯を食いにいこう、ということだったり、体調がいいなら波乗りいってみよう、ということだったり、あいつとしゃべると気分がいいから軽くトークしに行こう、ということだったり、そういうものをまずやっていって、余った時間で将来のことを考えよう、というか、なんというか、半分諦めのような気分というか、なんかさみしい感じを伴う、ささやかな決意というか、投げやりになってきちゃったというか、なんかそういうものです。

だって結局、なんでおれがいまバリ島でこんなことをしているにか、本人にもわからないんだから始末におえない。いろいろ理由や構想をしゃべることはできるけど、実はどれも本当の本当のところではないがしている。そして、そうこうしているうちに、思い通りじゃない事態がどんどん舞い降りてきて、きりきり舞いさせられるのだ。

ところで、クタの海岸は夕方になると現地の人や観光客が大勢出てきてサンセットを見つめます。夕日を見ていたくなる気持ちって万国共通、そこに何があるんだろうね。みんな黙ってみています。とくに最後、太陽の上のはじっこがついに姿を隠すその瞬間は。

3/24/2012

ニュピは過ぎ行く

昨日はバリのお正月ニュピだった。

この日は外出禁止で、電気や火のの使用も禁止になる。
去年などはうっかり外出していたフランス人が捕まったとニュースになっていたそうである。
けっこうマジなのだ。

で、ドキドキしながらも、その日を待った。
いちおう、買い出しとして、でもまだガスが使えないから、バナナとクラッカーを買い置きして、サバイバル体勢を整えた。もちろん水はいっぱい補充。まあたった一日だ。食わなくても問題はない。水さえあればということで、そっちは余裕。問題は、夜、真っ暗闇の中で耐えられるのか、ということ。もちろんパソコンも使えない。日没が8時前として、寝るのが早くて12時だから、4時間あまりを真っ暗闇の中で何をして過ごせばいいのだ!!

と思っていたらもうニュピ当日。朝起きて、こっそりパソコンを開く。少し仕事をしかけたが、ニュピのことを調べていたら、労働も禁止、とある。そうか、労働も禁止なんだ。せっかくだから、パソコンのない一日にしてみよう、と思い立つ。1日休んだからといってなんということもない。むしろ、丸一日パソコンを開かなかったことなんて、ここ数年あっただろうか。いい機会だから眼を休める日にしよう、と思いパソコンを閉じ、電源を抜いた。

しかし暇である。外出もできない。アパートの住民たちはニュピ脱出をしてしまった。毎年やってくる何もできない1日にうんざりしているのだろう。もぬけのからだ。

あー暇だな〜とアパートの廊下をうろうろしていたら、ガチャっとドアが開いた!なんと住人が一人残っていた。なんでも翌日の早朝から仕事があるそうで、ニュピ脱出できなかったとのこと。そうですかーひまですよねーとだらだら話す。その人は夜も電気を使いたいと窓を新聞紙で覆っていた。明かりが漏れないようにするためだ。明かりが漏れると見回りの人がやってきて怒られるという。

そっかー。おれも夜対策しといたほうがいいかな?と新聞紙を取り出すも、んーどうせなら真っ暗闇を一晩体験しようじゃないか、と思い直す。で、なんとなく瞑想などしながら夜を待つ。

7時ごろから日が傾いてくる。夕焼けがかすかに見える。気づかなかった、夜ってゆっくりやってくるんだね。待っていると、なかなか暗くならない。ずっと夕方の薄暗がりが続いている。なかなか暗くならんなーと思って空を見上げると、意外なほど星がキラキラとまたたいていた!お、もう星がでてるな。眺めているとどんどんと光を増して行くようだった。とはいえ、その日は曇り。満天の星空とはいかないようだ。なかなか夜にならない。ベランダからよその家の様子をうかがう。近所にはバリの家族達が住んでいる。よく見ているとガスつかってがんがん料理してるし、電気もつけている。なんだ、電気つかってんじゃん。さらによく見ていると、窓に黒い布をつけている。あ、夜も電気使うつもりまんまんじゃん、この人たち!と思う。そうか、みんなうまくやってんだなー。もしかするとバリ人じゃなくてジャワ人なのかもしれない。ジャワ人はヒンズー教じゃないからニュピは関係ないもんね。

なんだ、おれのほうが厳格にルール守ってるぜ、と思う。そうこうしているうちに、寝てしまった!
夜がふけたら、星を見にいこう、そう思いながらもうとうとする体に身を任せていたら、なんとなく朝になってしまっていた。あ、ニュピが終わった。朝が来たのだ。もう朝か。普段不眠症のくせに、こんなときだけ寝付きがいいなんて。。。ほんと思い通りにならない身体だ。

ニュピ明けの朝は、すっきりと晴れわたって気持ちいい。ときおり雨が降ってくるが、天気雨だ。
よし、ニュピをサバイバルしたぞ!と妙な達成感を感じながら、すぐさま仕事に取りかかる。最近、10分間ルールを適用しているのだ。朝起きたら、すぐに10分間だけ仕事をするのだ。コーヒーを飲むのも、シャワーを浴びるのもその後だ。そうすると、なぜだか午前中の仕事がはかどるのだ。現に、今日も仕事が一段落するまでメールやウェブをみないで過ごせた。気がちりやすい僕にしては上出来だ。これが、朝一でメールを見てしますと、どこか心がざわついてしまい、気になる事を調べはじめたり、返事をかいたり、なんだかんだいって2、3時間をつぶしてしまったりするのである。そこを、最初に仕事から始めると、なんとなく一段落するまでそのまま続けられるのだ。これがライフハックというやつなんだね。ライフハッカーの翻訳をしているとこういう生活の知恵みたいなものがいろいろ知れるのでよい。ときおり、こういう自分にとって真に役に立つヒット作にも出会う。

ところでなんだっけ。そうか、ニュピがおわった。あっさりと過ぎていった。悪くないね。とても静かで、仕事も娯楽も禁止されて、なんとなく普段考えないことがぽつぽつと浮かんできたりしていた。というか、ずっと独り言をぶつぶつ言ったりして、ちょっと危ないヤツになりかけていたりもしたけど。

まあそんな感じでした。

写真は、ニュピの前日のお祭りオゴオゴに繰り出した人々。山車も楽隊も出て、日本のお祭りみたいでいした。


3/20/2012

こどもと遊ぶ




昨日はアパートのオーナーのこどもとしばらく遊んでいた。3歳くらいだろうか。男の子だ。
というか、気がつくと遊びに巻き込まれていた。
なんだろう?そうだ、廊下に出たところで、こどもがいて、こんにちは、とか言っていたら、いつのまにか、下駄箱の中でかくれんぼをしていたのだ。

かくれんぼというか、こどもが一方的に下駄箱の箱の中に隠れて、トントンしてくれ、と言う。
トントンとドアをたたくと、ドアを開けてくれるが、中で目をつぶって寝たふりをしている。

あれー寝ちゃってるなー。じゃあしょうがないなーと言って行こうとすると、ばあーといって目を覚ますのだ。そして、何してたの?と聞くと、ここで寝てたのだと言う。

まあこどもらしい遊びなのだが、これを何度も何度もやりたがるのだ。
これってなんだろう?これのどこが面白いのかな?と思いながらやっていた。合計すると20回くらいはやらされた。さすがにうんざりしてきて、どうやって遊びをやめればいいか考えのだが、むこうが次の遊びを考えるほうが早く、また次の遊びに巻き込まれてしますのだ。

そういえば、仕事の途中だった。早く帰らなければ。
でも、ぼくが気をそらすと、必死に気をひこうといろいろしてくる。

ぼくは、こども気持ちはもうわからないな、と思った。
その行動原理がよくわからないのだ。なんで、こんなことやりたがる?なんで何度も何度もやりたがる?そして、なんで大人につきあってもらいたがる?めんどくさそうにしている大人のおれに。

でも、たまに一瞬だけ、こどものころの気持ちを思い出すような感じがしたときもあった。
何度も繰り返すのは、あれはなにかある瞬間に感じるある感覚、ある感情を楽しんでいるのかな、と。
たとえばぼくがドアをぱっと開けて、彼を見つけたときの、見つけられたときの感覚。何かを感じているのだろう。そして目をぱっと開けておれがおおー!と言うときの感覚。なにかいい感じがするのだろう。

それを何度も何度も味わっているのだ。そこに理屈はないのだ。
ぼくは、ああーつかまっちゃった、どうしよう、もう疲れてきちゃったなあ、と思いながらも、
ああ、こんな風に、こどもと遊んでる最中に仕事に戻らなくちゃ、とか考えてるのって何かいやだな、これが大人スタイルなんだな、というか、おれがよくやってることだな、と思う。

こどもと遊んでいるのに、仕事の心配してる。

本当に仕事に戻る必要があるなら、ごめん!と言って切り上げて戻ればいいのである。
遊びにつきあってるということは、それなりにまだ余裕があるということなのだ。
だったらせっかく遊んでいるんだから、遊びに没頭すればいいのに。

そんなことを思いながらも、ふっ、ふっ、と「戻らなくちゃ」という意識がやってきて、ぼくを立ち止まらせる。部屋のほうを見て、どうしようか?と思うと、すかさずこどもが何かちょっかいをかけてくる。ぼくの迷いを察知するのだろう。
いまぼくと遊んでるんだから、ちゃんと遊んでよ、そういうことなのだろう。

そうだ、こどもの頃ってそうだったんだ。いま遊んでるなら、遊びに集中してたんだ。集中なんてもんじゃなくて、他のことを考える隙間が脳の中にないという感じなのだろう。

ああ、このようであれば一日はワンダーランドになるね。

でもどうしてもそうなれない自分にはがゆさを感じつつ、やっぱりいつ「ごめん」と言おうか考え続けていた。こどもは次々と新しい何かを見つけて新しい遊びを瞬時に開発している。常に何かに注目し、好奇心の波が次々やってきて耐えることがない。

そういうしているうちに、お手伝いさんが、こどもを呼んだ。ミルクの時間らしい。
こどもはなにやらぐずっている。お手伝いさんは慣れているようで、早くこないとごはんなくなっちゃよー的なことを言っている。

こどもはぐずりながらも走っていった。

やれやれ。ということで、部屋に戻り少し寝た。

こども感覚、どうすれば取り戻す事ができるのだろう。あれは無責任きわまりない子ども時代の特権なのだろうか。

3/18/2012

引っ越し開始

昨今の無気力のせいか、10日ばかり引き延ばしにしていた引っ越しをついに始めた。とりあえず荷物の半分を運び込む。それがバイクに1回で積める量なのだ。とはいえ、バイク2往復で引っ越しが終わる。実にコンパクトな生活だ。

洗濯機と冷蔵庫を前に住んでいた人から譲り受けた。さっそく洗濯機を回してみる。楽しみにしていたのだ。ずっとランドリー屋さんに頼んでいたのだが、つい行くのがめんどくさくて洗濯しない人生を歩みかけていたのだ。パンツなんか3回くらいはいたりして。Tシャツなんか10回くらい着たりしていた。あぶなかった。臭い臭い人生が始まりかけていた。

二層式である。なんか子どもの頃に見た事がある。懐かしさを覚える。使い方がいまいちだったけど、適当に回してみる。けっこう短時間でさくさく終わる。これはいいね。2回も回してしまった。今日は天気もいい。

今日はなんと、昨今の睡眠障害のせいで、30時間くらい無睡眠の状態でいた。いまにも眠りそうなのだが、いざベッドに寝てみると、うっと意識を失いそうな瞬間にパチッと意識が戻ってしまうのだ。眠らないぞ、という強靭な意志がどこかで働いているかのようだ。眠ろうとする意識と眠るまいとする意識の戦いといった様相だ。眠りたくない意識が勝利しつづけていた。この状態は非常に困る。基本は眠いのだから、きちんとした作業がなにもできないのだ。たとえば、翻訳の仕事なんてとてもできる頭の状態ではない。買い物にも行きたかったが運転に危険を感じる。だから洗濯くらいが関の山なのだった。

しかしそうこうしてるうちに、2時間ほど寝ていたようだ。ドアをノックする音で目覚める。そうだ、今晩はアパートでBBQをやるらしく、お誘いを受けていたのだった。そそくさと外へ。おいしそうな海鮮のBBQが始まっていた。日本人とバリ人あわせて10人くらいが集っている。ひさびさに華やいだ気持ちになる。ビールをもらってぺちゃくちゃと話していた。ビール2本目に口をつけたところで、お腹がゴロゴロいいだしたので慌てて部屋に戻ってトイレへひた走る。用をすますと、頭がくらくらする。心臓もばくばくいっている。酔っぱらったらしい。しばしベッドに横になる。で、気がついたら、すっかり寝ていた。BBQも終わったようだ。

深夜2時頃、またおかしな時間に目が覚めてしまったと思いながら、いまケンタッキーに足を伸ばして仕事を軽くしていたところだ。このように、細切れの時間を組み合わせてできる仕事なのはありがたい。しかしそのせいで、すっかり生活リズムが狂ってしまったとも言えるのだが。

明日は引っ越しの続きをしよう。

3/16/2012

胸騒ぎ


風の強い日は胸騒ぎがする。

今日は久しぶりにビーチ沿いを散歩してみた。
いままで気づかなかったコンビ二や、お寺を見つける。
こっちのお寺は日本の神社みたいなところもあって、有名なバリの割れ門をくぐると、四角いスペースがぽかーんと現れる。そして、そのさらに奥にまた割れ門があって、たいがいは立ち入り禁止になっている。特別な儀式のときや関係者だけが入れるのだろう。

風がびゅうびゅう言っていて、木の葉っぱがざあざあ言っていた。
ぼくは散歩道からはずれてお寺の中でしばしたたずんでみた。なんだか胸騒ぎがする。
風の音が皆騒ぎを呼び起こしたようだ。

なにか起りそうな、あるいはすでに起ってしまったことをこれから受け入れる事になるのだ、というような不穏な、それでいてどこかすがすがしいような胸騒ぎだ。

チャナン(お供え物)をして回る女の人がいた。にっこりとあいさつしてくれる。お線香がかすかに香る。

ぼくはまた散歩道に戻り歩き出す。帰りにコンビニでアイスを買って帰ろう。それだけは決めている。
とぼとぼ歩き、こどもが遊ぶのをみたり、あいからわずマッサージのおばさんにしつこく声をかけられながら、ときには無視、ときには愛想笑いを返しながら歩いていた。

そして、帰って、ネットを思う存分してから、寝た。至福。お昼の3時過ぎであろうか。
まだ時間が膨大にあったころ、お昼の3時がただの穏やかな昼下がりだったころ、それがお昼寝の時間だった頃を思い出すような気持ちがした。
思えば大人になって移行、いや、もう中学生くらいから、どこか時間に追い立てられるように生きてきたように思われる。

こんなことを覚えている。当時、中学生のとき、ぼくは部活動に精をだしていた。朝の6時起きで朝練に行き、土日も練習に明け暮れた。そんなころ、たまにふっと部活がお休みになるときがあった。先生に用事があったり、学校の何かの都合で休みになることがごくまれにあった。そんなとき、ぼくはなにやらイライラと焦ったことを覚えている。
せっかくの休み、数ヶ月に一度くらいしかないお休みを、無駄なく過ごしたいと思うのだ。家でだらだらしているなんてもったいない。前日に明日の土曜日が急に休みになったのを知ると、ぼくは友達に手当たり次第電話をかけたりした。明日遊ばない?そういうときに限って仲のよい友達は用事があるのだった。そして今思えば不思議だが、なぜか同じ部活の仲間とは遊びたくなかった。別の友達がよかったのだ。そして、2、3人に電話したあと、もうやけくそになって、ぜんぜん仲良くない友達に電話したりもした。相手は電話の向こうでとまどっていた。なんでおれに?というところだろう。で、当たり前のように断られるのだった。

そんなことが数回あったように記憶している。それほどたくさんあったわけじゃない。だけど、あの焦る感じはよく覚えている。明日、何の予定もないなんて、許せない、ぜったいいやだ、と焦る気持ち。わずか14歳だった。

大人になれば、たまに聞くことがある。スケジュール帳に空欄があると不安になるの、という人もいる。スケジュールを埋めようと努力するビジネスマン、ビジネスウーマン。

中学生のぼくもそんな感じだったのだろうか。なんであれほど焦っていたのか。ふつうの休みをゆったり楽しめばよかったのではなかったか。そうか、もしかすると、家にいたくなかったのかもしれないし、友達と遊ぶこと=充実と考えていたのかもしれない。

とにかく、そんな記憶がたまに浮き上がってきたりすることがあるなあ、なんて考えながら、珍しく風がビューびゅーと吹くバリの海岸を歩いていた。

3/15/2012

あれ、わるくないじゃんKFC



昨日は夜の10時に起床して(いったいどうなってるんだ!)、少し仕事をしていたら腹がへってきたので、近くのケンタッキーフライドチキンに行くことにした。
定番の、チキンとご飯(バリではご飯があるのだ)とペプシを注文した。レジの店員の男の子が、「イチ?イチ?」と聞いてくる。1つでいいか?ということらしい。というか、日本語だよ!っていうアピールだね。「イエース、イチ、イチ」と愛想笑いをしておいた。愛想笑いといったのは、そのとき僕は少し疲れていて、あまり交流したくはなかったのだ。

で、ニコニコ店員からチキンを受け取り、食べていた。すると、テレビから何やらダンスの映像が流れてくる。インドネシアの若者がブレイクダンスをがんがん踊っているのだ。「おお!」思わず見入ってしまう。うまいのだ。女の子がポップダンスをバチバチと決めている。かっこいい。へーインドネシアもダンス流行ってるんだー。ぼくはよく見ようとテレビの近くの席に移動した。

しばらく見入っていると、「ダンス好きなの?」と声がした。あのニコニコ店員が近くに来ていた。
そうそう、ダンス好きなんだよねー。そうなんだ、インドネシアも流行ってるよ!みたいな会話をごにゅごにょしていた。

そしてごごにょごにょしてる間にFacebookのアカウントを交換したりして、一緒にテレビみながら、サッカーの話とか、女の子の話をしていた。(ちなみに日本の女の子が大好きだそう。はやり肌が白いから。そして目が細いからだって)、1時間くらいはぺちゃくちゃやっていた。途中、お客がくると、席をはずしてレジを打ちにいっていた。

ぼくはまあ、やっぱりどこか調子が悪く、あまりテンションは上がらなかった。まあ、向こうもがっつり話しかけてくるわけじゃなく、一緒にテレビを見ながらごにょごにょやっていた。お姉さんは歌をうたってるんだ、とか、将来はビジネスマンになりたいんだ、とか言っているのを、そうかーなんて聞いていた。

そんで、適当なところでバイバイして、向かいのドーナツ屋で仕事の続きをしているところなのだ。
で、ふと思った。別にもう慣れっこになってたけど、こんなこと日本はちょっとないよなーって。
ケンタッキーの店員がいくら深夜の暇な時間だとはいえ、お客と一緒にテレビ見ながら世間話してるなんて。なんだかんだいっても、バリってゆるいところなんだなーって再確認した気持ちになった。
そして、これってやっぱ悪くないよな、って思った。お客のおれからしても、別にちゃんと注文は聞いてくれるわけだし、暇な時間にカウンターから出てきて世間話したっていいよね。深夜なんだし。と思った。もちろん、ぼくがマネージャだったらそうは思わないかもしれないとは思う。やっぱりダレてる、っていう印象は否みようがない。

でもね、いいんじゃない、こういうのも。日本がよくないっていうわけじゃない。日本のファーストフードのサービスの質の高さはまじ感動レベルだ。あんな丁寧な対応はどこの国でも出会えない。でもこういう、お互いひまだからおしゃべりしようかってのも、これはこれで悪くない。俺は好きだね。

そういえば、ドーナツ屋に入るとき、テーブルで談笑してた男の子たちがぼくを見て一斉に立ち上がった。なんだ??と思ったら店員たちだった。そそくさと立ち上がってカウンターの向こうへ消えていった。なんか悪いことしたなーって気分になった。おれ一人のために、おしゃべりの時間を邪魔してしまったようだ。でもこっちもお客、ドーナツをたべる権利くらいある。でも、店員達には、苦しゅうない、レジが終わったらまたおしゃべりしなよ、って言いたかった。言わなかったけど。

忙しい時はきびきびレジを打たない店員にイライラすることもあるけど、こんなひとりぼっちの深夜は、悪くないじゃん、って思えるね。


あ、それからニコニコ店員、津波のこと気にしてくれてた。バリ中の人が日本のためにお寺でお祈りを捧げてくれたそうです。

3/13/2012

金利とかなんだとかで

ここ数日、なぜか経済のことを調べていました。といって、いろんな動画を見まくっていただけなのですが。そしてその結論は、ようわからん。です。

だってね、すごい経歴のすごい頭よさそうな専門家の言う事が、人によって180度違ったりするんですよ、つまり経済政策ね。結局目的はひとつ、国民の感じる幸福度が上がるにはどうすればいいの?ってことだというのはそれでオKだと思うんだけど、そこへ至る方法論がもうまちまち。

簡単に言えば、今金利を上げるべきなのか、下げるべきなのか、そんなことでも意見が割れる。そして、その結果いかんで、景気が大きく左右され、国民の幸福度ががつーんと変わるというわけです。たぶんね、もうやってみなきゃわからない、って世界なんだと思う。経済政策って。ファクターが多すぎる。

それで、なんか腹立つなあと思って、なんだろうと思ったら、前もちょっと書いたけどさ、そんな金利を2%にするか3%にするかみたいなことで、日銀総裁というじいさんの胸先三寸で、国民の幸福度がそんなに左右されてたまるか!ということです。いや、実際にはそれが現実なんだよ、今のシステムではそうなっているんだよ、世界中がそうだよ、ということかもしれません。だったら、そんなシステムって何だよ?ってことです。

そんなね、政府の政策ひとつでガラーーと景気が左右されていいのですかね?国民みんながせっせとお仕事してる総体が経済、景気というものであるなら、それはもっと淡々としたものであってほしいですね。でもいまの中央にあれだけのお金を集めている方式では、一部の専門家がしくっただけで国民の3ヶ月分の働きが水の泡、みたいな世界が展開されているんですかね?まったく恐ろしいことです。

景気うんぬんよりも、そのこと自体が国民をうっすらと失望させているんじゃないですかね?無力感を。だってそうでしょう。水の泡。でも世界を見渡せば、激しいインフレであっという間に貯金がパーになった国、かつてのソ連とか、もあるらしいので、これが今の金融資本主義のばかばかしさなんでしょうね。

そんなことがやっとわかってきた昨今です。あーばからしい。こわいこわい。どーしようかね、これ。

3/10/2012

おい、経済難しいな、おい

急に経済に興味がでて、いろいろネットをあさっていました。
そのなかで、高橋洋一さんという人が日本経済を語っている動画を見たんだけど、驚く内容が語られていた。
http://www.youtube.com/watch?v=KTCpu4AOVYg

なかでも、そういうもんなの??となったのは、日本の財政赤字の話。
いまの日本の財政赤字が1000兆円以上あるんだけど、それをどうやれば無くせるか、というもの。
高橋洋一さんは、経済成長すればいい、と言う。
中でも名目GDPというのが大事らしくて、名目DGPというのはつまりは、国民の給料(収入)の総和らしいんだけど、それが毎年5%で伸びていけばあっと言う間に債務はなくなる、らしい。ちなみに今は2%以下。

で、その名目GDPを伸ばすのに一番いい方法は、お金を刷ることなんだって。お金をどかーんと20兆円とか刷って、世の中に投下すれば、お金を獲得しようとみんなが動き出して、経済が活気づく、というお話。
駅前でお金をばらまいたら、みんな動き出すでしょ?ということらしい。

で、とんでもないインフレになっちゃう危険はないの?ということだけど、
その危険は無い、と。逆にいえば、いまはデフレになっちゃってるので、少しインフレになるくらいまでお金を刷って調整したほうがいいのだ、ということらしい。

話、わかりますか?
まあ簡単にいると、単純にお金(日本円)をいっぱい刷って世の中に流通させれば、経済効果がすぐ現れて、景気がよくなって、オールオッケー!になるよ、みたいな話。ごく簡単にいえばね。

これほんとならサ、いますぐやってよね!って思うよね?
つーか、ほんとにそういうことで、景気が左右されて、人の気持ちがあがったり下がったり、自殺率が上がったり下がったりするのって、なんかねーー。それが現実なのかもしれないけど、なんかとんでもない時代に生きてるんだなーーーって思うよね。

まあでも景気に関わらず、景気に左右されずにハッピーでいられる体質に自分はなりたいものだと思いましたよ。

3/08/2012

あってはならないこと

なんだかよくわからない記憶シリーズ

かつて、理想のお嫁さん、結婚したい女性タレントナンバーワンとして王座に君臨していたのは「東ちづる」だ。今の若い人にはわからないかもしれないね。まあ、そういうさわやかな美人がいた。たしか何年にもわたって、結婚したいタレントの座をキープしており、クイズ番組などで輝くような笑顔をキラキラと見せていた。

ところが、あるときふっとTVに出なくなったと思ったら、しばらくして手記が出た。たしか、記憶がたしかなら、子ども時代のトラウマかなんかで悩んで、まあ精神を若干病んでしまったらしいのだ。もちろん、その後に復帰していたから何らかの回復はみせたのだろう。しかし、その後は、理想の結婚相手として持ち上げられなくなったように思う。
ぼくはその手記を本屋で見かけたとき、びっくりした。なにせ、あの幸せの可能性を一身に集めたかのような、万人の憧れである東ちづるが、精神を病んだなどと告白しているのだ。そんなばかなことが。そう思えばぼくは若かった。まだ学生だったと思う。そして、世間がそれをそれほど騒いでいないのが不思議だった。みんな知らないのかな、まさかあの東ちづるが、こんなことになってるなんて!

今思えば、大人たちはみんな、東ちづるだってそんなことくらいあるよ、同じ人間じゃないか、ってわかっていたのだと思う。だから騒がなかった。いくら世間の憧れを凝縮したような美人タレントだって、そりゃあ一皮むけばいろいろあるわな、人間なんだから。でも、当時のぼくにはまだそれがわかってなくて、ひたすらびっくりしていた。天真爛漫に生まれてからずっと生きてきた人だと思い込んでいたのだ。

でも別の違和感も覚えていた。なんでみんな、話題にしないんだろう?というものだ。東ちづるがTVに出るたびに、いいなあ、美人だなあ、気だてがよさそうだな〜、きっといい嫁さんになるなあ、とうるさいくらいに言っていた大人達(たぶん親かな?)が、何も言わなくなっていた。ノーコメントなのだ。

東ちづるが過去のトラウマに苦しむなんて、あってはならないことだったのだ。だから人々は黙殺したのだ。ぼくは後にそう解釈した。(ちょっと話が大げさになってきたね、すみません)

ぼくはテレビの本質をかいま見た気がしたのだ。芸能界の本質と言ってもいいかもしれないし、人々が芸能界に求める本質といってもいいのかもしれないが、ああ、こういうことか、と思ったのだ。

あってはならないことは、さっさと退場しなければならないのだ。テレビからは。
ぼくたちと同じ地平にある日常なんて、テレビの中に見たくはないのだ。「人間」が映ってる必要なんてないのだ。

こうしたことは、もう言い古されたテレビ批判なのかもしれない。
でも、テレビに限らず、あってはならないことが、ひっそりと表舞台から退場していくのを、いくつか見た。みんながっかりしたくないのだ。自分と同じものなんて見たくないのだ。嫉妬してもいい、憧れさせられてもいい、なにか自分の中にある間違いが解消されたケースの人間を見ていたいのだ。

ふーー。疲れた。重い記事が続く。

勝ちたいんです



どうでもいいことシリーズ

かつて、とはいってもそれほど昔じゃない以前、AKB48にめちゃくちゃ詳しくなったことがある。あれはそうだ、前の仕事を辞め、でもそこから何をいたらいいか皆目わからん、という日々が続いていたときだ。そういうときはネットにはまるものだ。夜な夜なネットをしていたら、YoutubeでAKBのひとりひとりをドキュメンタリーで追ったような動画をみつけた。まだそのころは、AKBといえども2人くらいの名前しか知らず、ネタとしては口にすれど、なにを大騒ぎしてるのかよくわからん、といった感じだった。ところが、あまりに時間を持て余し、見れるだけの動画を見つくし、かといって映画を借りてきても見通す集中力がなく、とにかく時間を塗りつぶせるものを探していたとき、そのようなときにAKBに出会ったのだ。

そして、なにげなくそのドキュメンタリーっぽい動画を見始めた。1本みるとだいたいその子の人となりがわかるような動画だった。いろんな子がいるんだねー。いつのまにそれなりにはまっていた。僕がその動画をあるだけ見た。つまり、40本くらい見たのだろうか。30本だろうか、とにかくYoutubeにあるだけ見た。それもわずか3日間くらいで見た。もう専門家になっていた。顔と名前が一致する子が50人ほどになっていた。

そして、とある1本の動画を見ている時だ。
そうだ、そのドキュメンタリーというのはじゃんけん大会を追った動画だった。そこで、あるメンバーの子が、このじゃんけんにはどうしても勝ちたいのだ、としゃべっているのを見ていた。その子はこんなことを言っていた。わたし、○○ちゃんとは学校の同級せいなんです、でもいつも○○ちゃんは仕事で忙しくて学校にいないのに、私はあんまり仕事がなくて学校にいたんです。同級生達に今日は仕事の日じゃないのー?○○ちゃん今日もいないよねー、と言われるのが悔しかった、と。
私、悔しかったんです。毎日。でもどうにもならなかった。だから、今日、私、じゃんけん、どうしても勝ちたいんです。○○に勝ちたいんです。

と言いきっていた。
僕はこれを見たとき、なぜか、感動した。
「わたし、どうしても○○に勝ちたいんです」

それを聞いて、おおーーと思った。いいね〜。なんだか、いいね〜。涙すらでる気がした。

それはある側面では、負け惜しみ的な闘争心であり、行き過ぎた負けず嫌いであり、所詮は目立ちたい、人気者になりたい、というある種いやしい欲望の発露であるように見えた。
しかし、一方では、すごく純粋な感情の吐露、ストレートな情熱、ゆがんでいない競争心、澄み切った欲望といったものにも感じられた。若干、いやけっこううらやましい気持ちになった。その欲望はさわやかですらあったのだ。

ああ、この子はほんとうに、クラスメイトに勝ちたいんだな。一度でいいから勝ってみたい。そういう地点にいるのだな。そしてそれを、今ここで悪びれずに表現している。


おっとと、AKBの事をこんなに書くのはいやだった。このブログは女性も読んでいる。どう思われるかわかったもんじゃない。だから、これで最後になると思うし、でも、その「私、勝ちたいんです」というあのシーンが脳裏を巡るので、これは何かあると思って筆をとることにしたのだ。

そして言い訳のようになるが、日本を出てバリ島に来た瞬間から、AKBに全く興味を失ってしまった。あれは、日本という現象の中に起きていた何かだったのだろう。というか、日本の芸能界全体にみじんも興味がなくなった。これは面白い発見だった。

逆に、政治や経済には興味が湧いてきて、ニュースをチェックするようになった。それが外国に出るひとつの作用なのかもしれない。

ちょっと戻ると、わたし、○○に勝ちたいんです。この台詞、おれも言ってみたいな。誰かに勝ちたいって心の底から言ってみたいな、なんか。大人になるにつれて、誰かに勝ちたいって言わなくなってきた気がするし、どこか言っちゃいけなくなった気がする。でも、そういう純粋な嫉妬みたいなものを、パッと花開かしてみたいな、とおも思ったのだよ、ということを書いて、とりあえず記憶の中のAKBには成仏してもらうことにする。

新幹線のバチンバチン



記憶シリーズを続けよう。
これは、とくに書くべきことではない、もしかすると書かないべきことなのかもしれないが、なにか心に引っかかっているので、書きながら検証してみることにする。

数年前、ぼくは新幹線に乗っていた。実家かどこかから当時住んでいた東京へ帰る夜の新幹線だ。ぼくの席の通路を挟んだ隣の席に、親子3人が乗っていた。母親と、幼稚園くらいの男の子と、2歳くらいの女の子だ。こどもたちは声をあげてはしゃいでおり、母親は静かにしなさい、となだめようとしていた。こどもたちは鳴り止まない。すると、母親が怒った。あんたたち、いいかげんにしなさい!そして、何かを言った。たぶん、ちゃんと座りなさい的なことだろう。それを聞いた男の子は、自らベビーカー(たしか)に自分の体を押し込めて、自らベビーカーのベルトをした。恐怖に震えて縮こまっている。女の子は平気な顔をして立っている。
母親は、いいかげんにしなさい、と言いながら、女の子のほほをビンタした。ぼくが書きたいのはここからである。男のはとなりでぶるぶる震えている。しかし女の子は何事もなかったかのように突っ立っている。母親を見る目は挑戦的ですらあり、口ものに笑みすら浮かべているようだった。あれ?びびってないな。男の子との対比ですごく不思議な光景だった。母親はもう一発おみまいした。バチーンと音がした。女の子は泣きもせずに反抗的な態度を見せていた。きょとんとしている感じかもしれない。

女の子、強いな。いや、そうじゃなく、そのとき思ったのは、あー2歳だとまだ学習が染みてないんだな、というか、事態を把握していないな、というか、起きていることとをリアルタイムで把握できてないんだな、という感じだ。母親に叱責されているのである。

そして、母親は、あんたたち、家に帰ったらバチンバチンだからね、わかってるよね。と言った。おれはその一言は本当にいけない、と思った。それはしつけを逸脱している。男の子は震え上がっている。前にも経験があるのだろう。女の子は平気な顔で黙っている。

行き過ぎたしつけはいけない、そんなことを言おうとしているわけではないのだけどね。でも、そのとき、おいおい、お母さん、それは何かあなたの生活のどこかに問題があるんじゃないですか、と言いたくなった。なにか苦労をしているのだろう。夫との関係かもしれないが、なにか玉突き事故のように、こどもが叩かれている、そんな気がした。

とはいえ、おれもさすがに、ちょっといいですか、それはやり過ぎですよ、と言う気にまではならず、お母さん、家に帰ったら、こどもを叩かないであげてくれ、と願うばかりだった。

さて、この記事、何を言いたかったのだろう。ずっとひっかかって考えてみたかったのは、母親のことじゃなく、あの女の子のことだ。あの2歳くらいの子の、あの叩かれても平気な顔で動じない態度を見せていた、あの現象のことだ。あれはなんだろう。どこかぼくは、あれはあの年齢特有のものの気がしたのだ。あの年齢でしかできない何か、まだ何かが始まっていないがゆえにとれる態度というものがある気がしたのだ。そしてあの女の子もたぶん、あと2年もすれば、がくがくぶるぶると震えておとなしく座ってしまうのだろう。いや、どうだろう、もしかして性格によるのかもしれない。あの女の子はとんでもなく強気な女の子なのかもしれない。

とにかく、なにかとんでもなく耳を汚すことを書いてしまった気もする。書き始める時は、もっとどこか発見とか、哲学的な何かが出てくるかと思ったが、どこか重苦しい気持ちが残っただけだった。

まあこういう記事も実験的に書いていく。

オカルチックジャパン



こちらにきてから、日本にいるときはあまり思い出さなかった記憶をよみがえることがある。環境に誘発されるのだろう。似た空気に誘われるのかもしれない。

先日、飛行機の轟音の話を書いたが、ぼくは子どものころからはるか上空を飛んでいく、かすかに聞こえてる飛行機の音が好きだった。飛行機雲とともにそれを好んだ。あれはどういうことだったのか。あれは機械の音だ。鳥のさえずりではない。でもぼくは、あの、水色の空、はるか上方を飛んで行く、飛行機の音、そして、飛行機の音が聞こえなくなる瞬間が好きで、つい耳をすませたものだった。

そういえば、かつて、獨協大学に通っていた。仕事でだ。仕事の関係で毎週のように通っていた時期がある。大学の新しいプロジェクトをサポートする仕事だった。それで、ある日会議室で、10人くらいで円卓を囲んでディスカッションをしているときだった。あれはたぶん、夕方になる前くらいか。いや、お昼ごろだったのかもしれないが、突然、ゴーン、ゴーン、ゴーン、と鐘の鳴る音がしてきた。さすがは独協大学である。ヨーロッパなのである。ゴーン、ゴーン、という聞き慣れない、でも心地よい鐘の音を聞いていたとき、あ、っと思った。なぜ鐘を鳴らすのかがわかったからだ。あれは、人をはっとさせるためだ。
鐘の音が聞こえ、ぼくは我に返った。いや、もちろん寝てたわけでもボーッとしてたわけでもなく、仕事の会議を一生懸命聞いていたのだが、なにしろぼくは議事録係をやっていたから、だけど、鐘の音を聞いたとき、はっと我に返る思いがしたのだ。まるで昼寝をしていたみたいに。

鐘の音とともに、窓からサーッと風が入ってきた。風もまた同じ役割を持っているのだとしった。風がほほをすり抜けるとき、風がいま肌をこすっていくのを、感じずにはいられない。そして風はさーっと吹いて行ってしまう。かすかに余韻が残っている。


そして、ぼくは子どもの頃、昼寝から目が覚めると、部屋の音に耳を澄ました。しーんというあの音だ。不思議なあの音。完全に静かなときに聞こえてくる音の無い音だ。それは冷蔵庫のジーっとう音とも違う。どこからともない空気がわずかに緊張している音。それは心地よい。そして、カーテンの隙間から光が射している方を見れば、光の中にホコリが舞っている。こちらは音をたてない。だけど、もやもやと白いほこりが光の中を舞っている。それも心地よい。そして、太陽が落ちている畳の上に、手の甲を差し伸べてみる。暖かい。半分だけ光に当ててみる。半分だけ暖かい。

そのような、時間。時間を味わう時間。それが、こどものころは頻繁にあったように思う。そしてその時間は、母親が作るごはんの匂いでやぶられる。お腹が空いているのだ。ホットケーキの匂いがしたら、もう別の人生が始まる。口の中の期待と喜びでいっぱいになる。ギラギラしてくるのだ。

なにかこのようなことを書く気分というのが来たのだろうか、文体まで変わってしまっている気がする。神妙過ぎる。いつもひとりで歩いていた。散歩の時間。あれはさみしい時間だったのだろうか。孤独の時間。もっと人と時間を共有して生きた方がいいのだろうか、などと考えたりしていた。それはついさっきの話ね。

さて、夜型が極まって、ついに起床時間が夕方前になってきてしまった男の、あわれな断末魔と思ってお聞き流し願いたい。

いまこれを書き終われば、一杯のエスプレッソが飲める。それだけが楽しみ。

3/06/2012

まあなんつーかね



まあなんつーかね、思い通りにはいかんもんだよね。

先日、いよいよ引っ越しとお伝えしましたが、それで昨日、新しいお部屋を見に行ってみたのですが、部屋の中はかなり上等で、オッケーオッケー、いいねいいね、とつぶやいていたのですが、すると、そこへ、轟音が鳴り響きました。ゴーーー。飛行機が通過したのです。

あれあれ、空港が近いのはわかっていたけど、飛行機こっち側に飛んでくるのかよ!
飛行機はてっきり空港から海側へ向かって飛んでいくものだとばかり思いコンでいました。
どうも頭上を通過するようです。で、数十分に1本の割合で飛行機が通過していきます。けっこう大きな音が鳴り響いています。

あーー、あららーーー。どこか気落ちしてしまいました。

なにせ、今まで住んでいた部屋を移動したかったのは、夜中に近所のクラブの爆音が聞こえてくるのに嫌気がさしていたのが半分だったからです。轟音から轟音へ。なかなか逃れられない。。

どこか悲しい気持ちになりながら、新居でしばし時間を過ごしていたのでした。

しかし、まあ、もう決めちゃったことだし、とりあえず数ヶ月住んでみて、またここを拠点に部屋探しをすればいいかな、って今日あたりは思っています。どうしても耐えられないほどの音ではありません。
それに、おなじアパートに日本人が何人も住んでいるようですし、意外と住んでしまえば慣れてしまうものなのかもしれません。

しかししかし、バリ島にきてからの部屋探し、ひとつのズバリ気に入る部屋に巡り会っていません。かれこれ10部屋くらいは見たでしょうか。やはり、ジャパンスタンダードで考えているうちは、なかなか大変なのかもしれません。思えばバリ人たちはみんなもっと壁の薄い長屋のようなところで暮らしています。バリではプライバシーを買うのは高くつくというわけです。

ということで、思い通りにいかない日々が続きますが、まあ、のんびりだましだまし生きいこうかと思っています。

とりあえず、熱中症以来ご無沙汰となっていたサーフィンを再開しますかね。

3/05/2012

いよいよ引っ越し



来週、いよいよ引っ越すことになった。

思えばこのアパートも長く住んだ。4ヶ月かな。仮の住まいのつもりが、他によいアパートがなかなか見つからず、長居したのだ。でも、ちょっと夜中の騒音に悩まされた時期もあったけど、いつの間にか慣れてしまっていた。スタッフもナイスだし、海も近いし、なにげにいいアパートだったように思う。週3回のお掃除までついていた。ある意味、おれには贅沢すぎた。

しかしこれからは、ぜんぶ自分でしなければならない。当たり前だけどね。こんどのアパートは、とりあえずサーフィンできる海が近くなるのと、キッチンがつくのと、お風呂がつく。実はまだ部屋の中見ていない。他の部屋をみただけだが、まあ同じだろう。友人知人の紹介でやっと引っ越すことができそうです。

バリに来ると、情報が思うように集まらない。東京みたいに、ネットをちゃちゃちゃっと調べると何でも出てくる、お部屋だって探せちゃう、というようにはなっていない。口コミしかないのだ。知ってる人に聞き回るしかない。そういうご縁の力が試されるのがバリ生活である。そして、誰を信用するか、というのも重要だ。情報がそろわないのであるから、自分で情報をぜんぶ集めて比較検討、というわけにはいかない。入手できた数少ない情報の中からエイや!と選ぶしかない。そのとき、この人の紹介なら信じよう、乗っていこう、みたいな感じで決めることが多くなって来たように思う。

これは僕にとっては大きな変化だ。ぼくはご縁派ではなく、どちらかというと情報比較検討型の人間だったのだ。と思ってたけど、どうなのだろう?という疑問が今わいたけれども。

まあとにかく、住む地域が変わって少し新しい生活が始まりそうである。楽しみです。

そして今日、毎日通っている日本食屋さんに行ったら、注文する前に「オサシミベントーネ」と言われてしまった。若干はずれていたのだが(今日は焼き魚にしようかと思っていた)、常連になった気がして気分がよかったので、わかってるね〜という顔で「イエース」と言ってしまった。おばさん、ニヤリとした。

思えばぼくも変わりばえのしない人間で、ひとつのものが気に入るとずっと注文しちゃう。よくいくカフェでも、ぼくが指1本をたてるだけで、「コーヒー一杯」という意味になることを2〜3人の店員が把握してしまった。というか、もうコーヒーと言うまえに向こうがOK!と言ってくるのだ。
毎日コーヒーを2杯ずつ飲み続けた成果がここにある。

そんなカフェともお別れかと思うと、少しさみしいかと思いきや、そうでもない。
またいつでも来れる。でもちょっとやっぱりさみしいかな。

3/04/2012

眠れない2



結局、あの眠れない夜は朝になったら眠りにつくことができた。そして、お昼頃目を覚ますと、手がしびれていた。手に力は入らないのだ。つまり、うまく握れない。ぼくはこれをぐっすり眠れたサインだと解釈している。全身が心地よくだるいのだ。睡眠中、体の力が抜けていた証拠だと思っている。

そして、ひとつの仮説を思いついた。
要は、エネルギーの放散がうまくいっていないのだ。溜まっているのである。
そして、ヨガにいっても酒を飲んでも、エクササイズをしても結果はかわらない。
だとするならば、ひとつ思い浮かぶのは、ぼくはここ数日、誰ともしゃべってない。すれ違うひととあいさつくらいはすれど、話らしい話はなにひとつしていない、つまり、おしゃべり時間が5分/日に満たないくらいなのだ。それが数日続いていた。
これじゃないのか。これが眠れない原因じゃないのか。おしゃべり好きのぼくをして、これほどしゃべらなかった期間もないものだ。

ということで、昨日は、そんなことを話しながら友達とスカイプを数時間もして、さらにその後で、数少ないバリで出会った友達とごはんを食べにいって3時間以上ノンストップで語らった。ほぼぼくがしゃべり倒していた。あーおれこんなにしゃべれるんだ。忘れていた。

そして、帰宅したのが深夜1時過ぎ。ほどよく眠い。軽くネットして、2時前、超眠い。
しめしめということで、明かりを消し、眠りについた。

ところが。どうも体がむずむずしてきた。お腹も張っている。体がむずむずして眠れない。なんだこれは。食べ過ぎたか。帰宅してデザートがわりにお菓子を食べてしまったのが裏目にでたか。

むずむず、寝返り、眠れねーを繰り返しながら、たぶんまた朝型までもんもんとしていた。
そして、今、正午過ぎ、割とぐっすり寝た感をもちながら、目覚めた。全身がほどよくけだるく、手に力が入らない。よい傾向だ。

そして思った。ああ、ようは単なる夜型なんだ。やっぱり。

おしゃべりも関係なかった。気分はだいぶすっきりして、あー楽しい!って時間を過ごせたけど、それで眠れるわけではなかった。そして眠れないといえど、いつもの時間が来れば結局は眠るのであり、結局、いつもの時間に起き続けているのだった。ただの寝る時間、起きる時間の問題なんだ。

じゃあしょうがないか。。不眠症というわけでもない、結局はそれなりに毎日睡眠しているのである。ただ思い通りの時間に就寝できていないというだけだ。

んー。まあ、睡眠の話はこれくらいにしよう。しょせんは自分と自分の問題なのだ。誰に迷惑かけているわけじゃあないのだから。

ね。

3/03/2012

眠れぬ夜



いやー眠れないね。久々の大きな眠れない波がやってきている。
どこれくらいかというと、昨日も眠れない夜で、朝まで起きてて、朝になっても眠れないから、なんとなく起きて、ごはん食べに行って、そのままなんとなく起きてたら、夜の12時くらいにしめしめ、眠くなってきて、もうちょっとだけあそんで2時前くらいに、おー眠気の波が来た〜ということで寝た。

しかし、しばらくするとやっぱり眠れないので、パソコンは見ないようにして、iPodで音楽聞いていた。そして、ハーモニー体操のスキャニングの音声があったので、やってみた。

音声にガイドされながら、自分の体を静かに感じていうというエクササイズだ。
30分ほどで完了、しめしめ、からだが静かになっている。なんとなくうとうとしていると、意識が遠のいてった。

そして夢の中での出来事だ。
オーストラリアに旅立った友達が(これはリアルな話)、宮大工になって帰ってきた(これは夢)という夢。おおーあいつが宮大工なんかになって帰ってきたよ、びっくりだなーーと夢の中で思う。
もちろん夢とは気づいていない。そして、なんかわからんけど、机の上を跳ね回っていたら、どこかから、ウーウーというサイレンみたいな音が聞こえてきた。なんだ、この音は??なんだなんだ、気になる。あ、もしかしたら、エスプレッソマシーンが動いてる?スイッチ入れたままだった?もしかしていまエスプレッソ抽出中??(気づかないなんてありえないんだけど)やばい、スイッチきらなくちゃ!あ、でもなんか寝てるらしい、目が覚めない、目を覚まさなきゃ、首回さなきゃ、頭起こさなきゃ、エイ!
とここでリアルに起きた。

起きてしまった。
せっかく、久々に早めの深夜に眠りにつけそうだったのに、わけわからん夢のせいで、いや、たぶん音は本当にどこかで鳴っていたんだろうけど、夢の中でおかしな解釈(エスプレッソ)をしたせいで、せっかく眠りにつきそうだった自分を強引に起こしてしまった。

いったいこれはなんだ。どんないやがらせやねん。
なんで、こんなことする?せっかく眠れそうな体、強引に起こさんといてくれるか?おまえ。
って誰が。誰がこんなことをしたのか。自分だ。残念だ。自分だ。自分が自分を起こした。

自分が、自分が眠りにつくのを断固阻止しようとしている。強靭な意志を感じる。眠らせまいとする強い意志を。行った何を伝えたたい?しばらく考えたが、わからなかった。

たぶん、交感神経と副交感神経のバランスが壊れているダケなのだろう。
たんなるコーヒーの飲み過ぎか、たんなる運動不足なのだろう。
それか、帰来の心配性が頭をもたげ、頭の中でぐるぐるしているせいだろう。(しかし今は大きな心配事はないのだが。。。)

そして、いま朝の5時、もう眠れずに2日目に入る。どうなる、おれ?
まあ、べつに明日は仕事休もうと思ってたし、夜に用事があるだけだから、どーでもいいんだけど。

でも、あの、眠りにつこう、今にも夢の中にどっぷりいこうとしていた自分を、何者かが(まあ自分だかが)急いで必死に起こした。おの事実をおれは忘れないぞ、ぜったい許さないぞ!

って誰にどう八つ当たりすればいいというのか。肩が痛い、肩が痛いです。


ということで、引っ越し先の部屋が、思いのほか早く空くようで、来週にも引っ越しする予定です。
それで何かが変わることを激しく期待します!


写真は、バリの伝統のお船です。

日本の製造業ほんとすげー

いやーバリにいると、いまさらだけど、日本の製造業ってほんとすごいんだなーってつくづくおもうね。
もうみんな知ってると思うけど。

電車がないバリ人の足といえば、バイクなんだけど、ほとんどホンダ。たまにヤマハ。それで99%。
車もいっぱい走ってるんだけど、ほとんどトヨタ。こっちだと関税がかかって値段が2倍になるんだけど、みんながんばってローンで買ってる。アバンザという人気車が一千万円くらい。でもがんばって買う。

もうさ、町中が日本のバイクと車で埋め尽くされてるわけ。それがもうバリ人の生活の必需品中の必需品になってるわけ。月給2万円くらいのスーパーの店員の子が中古で7万円するホンダのバイクをローンで買ってがんばって10年くらい乗ってるわけ。それぐらい必需品。

すごいなー。日本の製品に命預けてるわけだからな。車ってすごい。ケータイやPCなんかとはわけがちがうもんね。いいかげんな製品間違っても使えないもん。

バリではカメラ持ってる人はまだすくないけど、これはバリに限らずヨーロッパでもどこでもそうだけど、もう日本のカメラしかないもんね、ほぼ。以前にポーランド人に相談されたけど、キャノンとニコンでどっちがいいか?だからね。ちょっとマニアックな人でミノルタはどうかな?ぐらいなもので。日本製品の中での迷いだから。20万円くらいのデジタル一眼レフをうれしそうに買ってた。これも渾身の買い物だよね。そういうのはもう日本製品しかない!みたいな世界になってる。

ど金持ち向けには、イタリアやドイツ製品があるけど、あれはある意味一般向けから撤退したんだと思うね。ジャパン製品に勝てなくて。富裕層向けというニッチへいった。

まあ、車、カメラ、といっても少し古い産業な気もするけど、車なんて生活必需品だからね。ないと仕事いけないって人ばっかりでしょ、アジアでは。

別に日本讃歌するつもりじゃないけど、あれためて、すごいところまで行ったんだな日本って、って思って、自動車やカメラつくってきた技術者をすごい尊敬する気持ちになったよ。いやーほんとすごいものつくったね。誇りに思います。

まあ、いまさらだけどね。

3/01/2012

おれたちは贅沢になった


今日は、ひさびさに午前中に起きて仕事に取りかかる。昨日自分で翻訳した記事で、朝一番の朝食前に、とにかく生産的なことをしろ!それが秘訣だ、というのがあって、影響をうける。
朝起きたら、メールもチェックするな、Facebookもいじるな、ニュースもみるな、その前に仕事とか、何かを書くとか、生産をしなさい、という。情報の消費より先に生産をまずしろ、と言う。
それが「Information Diet(情報ダイエット)」という本をアメリカで出版した人の金言なのでした。

で、さっそく実践。起き抜けにまず1時間ほど仕事、ここでコーヒーをはさんでまた2時間仕事、ここでお昼過ぎになったので、いつもの日本食屋さん「漁師」に出かける。今日もお刺身定食、うまい。でも若干飽きてきた。

そして、夕方はまたヨガに。最近肩こりがひどい。こんなに肩こりになったことはないのに。バイクにのる生活も肩こりの原因っぽい。これから通わないとな。



そして、今日の議題は、日本ってやっぱ贅沢になったんだな、ということ。

バリのひとたちを見ていて、みんな仕事ものんびりしてるし、昼間からぶらぶらしてるおじさんもいっぱいいるし、よくこれでみんな食っていけるな、と思っていたけど、やっぱりあれだね、大勢で住んでるからだな。これ前も書いたかもだけど、やっぱり3世代あたりまえの大家族で住んでるんだよ。それに、バリでは地域共同体が強固にあるから、路頭に迷う前に誰かが世話をしてくれるのだろう。

たしかに飯を食うだけなら、それほどお金かからない。一家に一人、大黒柱がいて、そこそこの収入を稼いでいればいいし、柱がいなくても4人くらいでよってたかって稼げばなんとはなるんだろう。昔の日本もそういう風に暮らしていたのだろう。

ところが、今や僕たちは核家族が当たり前、そして核家族に1つ庭付きの家がほしい。となると、毎世代、自分で家を建てなければならない。土地も買って。まあ多くはマンションを買うのだろうが、それでも大変である。これが3世代同居でいくなら、基本的に先祖伝来の土地と家を使い回すだけだ。兄弟が多い場合でも、うまく土地を分割したり、家を借りた方の兄弟を経済的に支援したり、でうまくやっていくのだろう。バリ人もよく見れば、自分の生まれた地域を動かない人が多いようだ。ずっと地元で暮らしていくのだ。

日本の場合は、高度成長期に大勢がで都会に出た、という経緯があって、そこから核家族が進行した。そしてマイホームが夢になった。そのための必死に働いて、所得のその夢を後押しするかのように倍増していった。ところがいまや、経済が停滞、日本は貧しくなろうとしている。

日本人は生活水準があがってしまった。日本の家はうさぎ小屋と揶揄されることもあるが、それは欧米と比較した場合だろう。バリ人のほうが一人当たりのスペースはずっと小さいように見える。小さなワンルームにごちゃっと住んでいる家族も大勢いるし、一人暮らしの若者は家賃5千円の4畳半が標準である。日本や一人暮らしでもエアコン、冷蔵庫、ベランダつき、と来たものだ。結婚でもしようものなら、2LDKは欲しいよね、という世界だ。だれもがそれを当たり前のように求めるようになった。

でもそれは世界標準からいうとやはり贅沢である。欧米と比較したときだけまだまだと言えるではないだろうか。

何が言いたいか。つまり、日本はなんだかんだいっても世界の中では贅沢な生活水準に慣れきっているんだということと、でもそれがわかったからといって、生活水準を少しも下げたくはない、ということだ。

一度味わった生活を失うことは難しい。

ぼくだって、エアコンがない、ホットシャワーがない、自分専用のそこそこ広い部屋がない、なんてもはやあり得ない。もっと上を目指して行くつもりでさえある。もちろん家だって欲しい。その欲望はいくら世界のエネルギー問題、人口問題、環境問題、南北格差問題、などなどを考慮したって少しも妥協したくはないのだ。だってそれはもはや生理に訴える欲求だからだ。

こうしたことは繰り返し書いてきたかもしれないが、いまいちど、問い直しておこうと思った。
ぼくたちは贅沢になったが、その贅沢を少しも手放す気はないのだ。
少なくとも僕はそうだ。生活レベルは上げこそすれ、絶対下げたくはない。原発だって考えちゃう。そういうことなのだった。

もちろん、自然エネルギーでまかなうというのが僕の基本中の基本の意見だが、本格的に、原発をとるか生活レベルをとるか、とマジな話として問われたら、安全な原発をつくりましょう、と言ってしまうかもしれない、ということだ。まあ絶対そうならないようにしていこうよね、そこは信念と工夫で乗り越えていこうね、ということではあるのだが。

みんなで貧しくなりましょう、と言われたって、おれは嫌だね。
ということでもあるだ。

であるからして、未来にまだ繁栄があるとしたら、
人間の欲望の持ち方がかわって、貧しい生活をむしろ欲望するようになるか。
生活レベルの上昇、もしくは満足を確保しつつ、地球を破壊しないレベルのエネルギー消費でおさえる、
のどちらかしかないだろう。

ぼくは、人間が求める生活レベルはどこかに上限があると思っている。
たとえば、家族4人で暮らして行くのに10部屋もある家はいらないし、車も3台とかいらないだろう。
だから、万人がある程度、もうこのくらいがちょうどいいよ、というレベルまで生活レベルが一律にあがったときに、地球の環境が持ちこたえているか、という問題のような気もする。

楽観的すぎるだろうか。

また丸坊主。



最近どうも髪がのびてかゆい感じになっていたので、床屋にいってきました。
日本人がやっているおしゃれサロンに行こうかとも思ったのですが、けっこう遠くて面倒だったので、近所のバリ人御用達の床屋へ。

ここは以前に一回きました。ここではじめて丸坊主にしたのでした。そのときの開放感を思い出す。
しかし不思議なもので、日本にいる間、何度か丸坊主にしようと思ったことはあれど、なぜかハードルがとっても高く、いちども実行に移せなかった。
なので中学生以来の丸坊主をここバリで実現したことになる。

なんであれほど丸坊主にするのが敷居が高かったのか。どうせ生えてくるというのに。
たまに丸坊主にする友達を横目に、なぜか踏み切ることができなかった。
あれだ、つまり、丸坊主にしたときにどう見えるかわからなかったからだ。
なにせ前回は中学生のときである。もう大人になった自分が丸坊主にしたときに、どのような風体になるのか。すげーださかったらどうしよう。元通りちゃんと伸びるのに半年くらいはかかるだろう。

そういう先の見えなさ、結果のわからなさがぼくを丸坊主に踏み切らせなかったのだ。

一方、今はどうだろう。ここバリでは。
ほとんど何の心理的抵抗もなかった。ああーいっちょ丸坊主いっとくか、ってなもので。
ださくなることがちっとも怖くなかった。笑われるぐらいが面白いとおもった。

この変化はどこからくるのだろう。日本人の目がない、というのが大きいのだろうか。
たぶんバリ人は坊主頭のぼくを見ても、ださい、とは思わないだろう。あー日本人が丸坊主にしてる、と思うだけだろう。

ぼくが日本で気にしていたのは、たくさんの日本人の目なのだろう。
それは、友達や職場の同僚であろうし、あるいは街行く見知らぬ人々も含まれるのかもしれない。
ここバリでは、圧倒的に日本人の目がない。
たまにあったとしても、お互い様、だれもが少しずつスタンダードから外れてしまったモノ同士なのだった。

ということで、めんどくせーからまた丸坊主にしてやりました。
ええ、すっきりしました。いま改めて鏡を見ると、ちょいださいです、はい。頭のてっぺんが何やら平らです。本当は昔のベッカムみたいな髪型にしたいんだけど、英語が通じないと床屋さんで説明するのを断念しました。

次回は、インドネシア語を習得して、なんとか旧ベッカムヘアーに挑戦したいと思います。
ちなみに床屋代、100円でした。安いよねー。大満足です。