3/20/2012
こどもと遊ぶ
昨日はアパートのオーナーのこどもとしばらく遊んでいた。3歳くらいだろうか。男の子だ。
というか、気がつくと遊びに巻き込まれていた。
なんだろう?そうだ、廊下に出たところで、こどもがいて、こんにちは、とか言っていたら、いつのまにか、下駄箱の中でかくれんぼをしていたのだ。
かくれんぼというか、こどもが一方的に下駄箱の箱の中に隠れて、トントンしてくれ、と言う。
トントンとドアをたたくと、ドアを開けてくれるが、中で目をつぶって寝たふりをしている。
あれー寝ちゃってるなー。じゃあしょうがないなーと言って行こうとすると、ばあーといって目を覚ますのだ。そして、何してたの?と聞くと、ここで寝てたのだと言う。
まあこどもらしい遊びなのだが、これを何度も何度もやりたがるのだ。
これってなんだろう?これのどこが面白いのかな?と思いながらやっていた。合計すると20回くらいはやらされた。さすがにうんざりしてきて、どうやって遊びをやめればいいか考えのだが、むこうが次の遊びを考えるほうが早く、また次の遊びに巻き込まれてしますのだ。
そういえば、仕事の途中だった。早く帰らなければ。
でも、ぼくが気をそらすと、必死に気をひこうといろいろしてくる。
ぼくは、こども気持ちはもうわからないな、と思った。
その行動原理がよくわからないのだ。なんで、こんなことやりたがる?なんで何度も何度もやりたがる?そして、なんで大人につきあってもらいたがる?めんどくさそうにしている大人のおれに。
でも、たまに一瞬だけ、こどものころの気持ちを思い出すような感じがしたときもあった。
何度も繰り返すのは、あれはなにかある瞬間に感じるある感覚、ある感情を楽しんでいるのかな、と。
たとえばぼくがドアをぱっと開けて、彼を見つけたときの、見つけられたときの感覚。何かを感じているのだろう。そして目をぱっと開けておれがおおー!と言うときの感覚。なにかいい感じがするのだろう。
それを何度も何度も味わっているのだ。そこに理屈はないのだ。
ぼくは、ああーつかまっちゃった、どうしよう、もう疲れてきちゃったなあ、と思いながらも、
ああ、こんな風に、こどもと遊んでる最中に仕事に戻らなくちゃ、とか考えてるのって何かいやだな、これが大人スタイルなんだな、というか、おれがよくやってることだな、と思う。
こどもと遊んでいるのに、仕事の心配してる。
本当に仕事に戻る必要があるなら、ごめん!と言って切り上げて戻ればいいのである。
遊びにつきあってるということは、それなりにまだ余裕があるということなのだ。
だったらせっかく遊んでいるんだから、遊びに没頭すればいいのに。
そんなことを思いながらも、ふっ、ふっ、と「戻らなくちゃ」という意識がやってきて、ぼくを立ち止まらせる。部屋のほうを見て、どうしようか?と思うと、すかさずこどもが何かちょっかいをかけてくる。ぼくの迷いを察知するのだろう。
いまぼくと遊んでるんだから、ちゃんと遊んでよ、そういうことなのだろう。
そうだ、こどもの頃ってそうだったんだ。いま遊んでるなら、遊びに集中してたんだ。集中なんてもんじゃなくて、他のことを考える隙間が脳の中にないという感じなのだろう。
ああ、このようであれば一日はワンダーランドになるね。
でもどうしてもそうなれない自分にはがゆさを感じつつ、やっぱりいつ「ごめん」と言おうか考え続けていた。こどもは次々と新しい何かを見つけて新しい遊びを瞬時に開発している。常に何かに注目し、好奇心の波が次々やってきて耐えることがない。
そういうしているうちに、お手伝いさんが、こどもを呼んだ。ミルクの時間らしい。
こどもはなにやらぐずっている。お手伝いさんは慣れているようで、早くこないとごはんなくなっちゃよー的なことを言っている。
こどもはぐずりながらも走っていった。
やれやれ。ということで、部屋に戻り少し寝た。
こども感覚、どうすれば取り戻す事ができるのだろう。あれは無責任きわまりない子ども時代の特権なのだろうか。
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3 件のコメント:
楽しい時間で良かったねー:)
飽きっぽくて、でも楽しいことにはのめりこんで繰り返すって子どもだからなせる業だよね。
伊藤さんくらいの歳になれば、その子もかくれんぼ楽しまなくなるよ。笑
伊藤さんにとっての仕事が、子どもにとったら遊びだから。
ちなみにあかちゃん時代の「いないいないばあ」がかくれんぼの元になっている(隠れるという原理を自然に学んでいる)らしいんだけど。
バリ島でも「いないいないばあ」的なものがあるんでしょうか?
バリ島のいないいないばあか、ちょっと聞いてみるね。ありそうだね。
あの隠れて見つけてみもらう、
隠れた人をみつけるって行為に何か人間の原初的な何か感動があるんだろうね。あんなに何度も何度も。
面白いのが、子どもでもちょっと大きくなると、探す、見つけ出す、ってことが遊びの主眼になるとね?つまり本当にどこにいるかわからないところを見つけ出すのが面白いって感じで。
でも小さいこどもって、そこにいることがわかっているのに、隠れてるフリして、見つけるんだよね。で、それを喜ぶ。そこがもう大人のおれにはピンとこない。そこにいるの見えてるのになんで探すの?で、なんで感動できるの?って。
でも、そこに何かあるんだよなあ。なんかいい感じのなにかが。
子どもにとったら、新しい初めての体験だからじゃないかな。
伊藤さんがサーフィンを初めてやってみてワクワクするのと同じじゃないかな。子どもも遊んでいるように見えて、練習してるのかと思う。
自分の意思で自分の体を動かして、何か変化が生まれることを楽しんでる子どもは本当に楽しそうで、こっちが嬉しくなっちゃうよね。
いないいないばぁ調査、宜しくお願いします!
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