5/30/2012

シンガポール最終日


シンガポール最終日。
今日は近所のホーカーズ(大衆食堂)で福建麺というのを食べる。うまい。

しかし、シンガポールで気づいたことのひとつに、人々のルールを守る姿勢、礼儀ただしさ、があげられる。
たとえば昨日、地下鉄のチケットを買おうと列に並ぼうとしたら、インド系の女の子が走って来て、ぼくの前に割り込もうとした。すると、すぐにお母さんらしき人が、ちゃんと後ろに並びなさい、などと言って並び直させていた。インドを旅したぼくからすれば、インド人がルール守ってる!(差別的発言でごめん)と思っちゃったけど、よくみれば、みんなすげー成熟した市民の顔してる。ただ、人種がインド系というだけだ。

シンガポールの人口の7割以上は中国系だが、つまりは漢民族だと思われるが、ぼくは嫌な思いを1つもしなかった。つまり、ぼくの中でどこか中国人というのはいけすかない連中だ、みたいな観念が若干あったようなのだが、ここの中華系の人たちはすごく優しくて礼儀正しい。スマイルもある。100年前に本土から来た人々の子孫たちだ。中華系、インド系、マレー系というくくりより、シンガポール市民としてくくったほうがずっとしっくりくる感じだ。つまり、みんな「市民」の顔をしていた。

面白い感じだ。ここで食堂にいけば、中華料理がわんさかあって、みんな中国語はなしてて、でもお店はとってもクリーン、ルールを乱してる人は誰もいない。汚れたテーブルもすぐきれいに片付けてくれるし、ゴミを床に落とす人もいない。おつりを投げ返してくる店員もいない。中国旅行した人に聞いていた中国人のイメージとはずいぶん違う。

場所が人を規定するのだろうか。

しかしこのシンガポール、ちょっと前までは独裁国家だったという。刑罰も厳格で、数十年前まで思想統制も行われたとWikipediaかなんかに書いてあった。まあそのへんは日本も同じなんだけどね。どんどんかわっていくんだなあ。社会や常識というものは。

トラベルワーキング

しかし、今回のシンガポール旅行は思いのほか楽しかった。
一番の理由は、ローカルの人に案内してもらったことだろう。これは本当にいい思い出になる。ローカルしか行けないような、ちょっとわからいずらいところにあるおいしいご飯を食べられたのが最高の収穫だ。そういうのが旅の醍醐味だろう。前も書いたけどチキンライスね。おれ、ここに3回行きました。つまり3日連続で行きました。ええ、それほどおいしかったです。そして、一度連れてってもらったところに、今度は自力で行ってみる、というのもまた楽しんですよね。道に迷いながらも、あ、あった!となんとかたどり着く。そして思い出に浸りながら思い出を更新する。さらに、こんどは僕がこの店に誰かを連れて来てあげることができる。その日が待ち遠しい。きっと喜ぶにちがいないからだ。

それから第二に、今回は旅の目的がはっきりしていたこと。今回はインドネシアを出国しさえすればもう目的は達成なので、シンガポールについた時点で、何も求めるものはなくなっていたのだ。これが意外なほど気が楽になってよかったのだと思う。
思えば、あの自分探し時代、なんで海外旅行があれほどつらかったのかと思うけど、今ならわかる。それは、行く場所行く場所に期待値が高すぎたからだ。こんど行く国こそ、なにかが見つかるだろう、次の街へ行けば、自分を導いてくれる出会いがあるはずだ、そんな気持ちで旅をしていて楽しい訳がない。だってそれでは失望の連続になってします。出会いとは、偶然起きるから出会いなわけで、出会えるはずだ、出会わなくては行けない、と思いながらでは、ろくな出会いがあるはずなどないのだ。
それから、終の住処ではないけど、あの頃は、この国に絶対住みたい!と思える国を探していた。そういう国が見つかれば、一切をなげうって、その国へ移り住むのに。そういう熱い気持ちにさせてくれる国を探し歩いていたように思う。果たしてそんな国などなかった。そういう出会い方をする人もいるだろう、でも僕の場合はそうではなかった。どこへ行っても、それほど熱い気持ちにはなれなかった。でも漠然と、海外に住んでみたい、という気持ちだけがくすぶっていた。今なら思う。要はどこでもよかったのだ。とりあえずは。そこからまた別の国へ行ったっていいんだから。住む前から絶対満足いく国を探そうとしていた。そんな虫のいい話はそうそうないのだ。住んでみなければわからないことのほうが多いのだろう。

で、なんだっけ、そうそう、今回はシンガポールに別に何も求めていない、だから純粋に好奇心だけで見て回ることができた。そしてそれはとても楽しかった。あーこういうのを旅というんじゃなかろうか、もう何年ぶりかにはじめてちゃんとした旅をした気持ちなった。国を渡り歩くだけが旅ではなかった。ある意味、純粋な好奇心のようなものこそがいい旅の条件なのかもしれない。今回は期待もない分、失望もなかった。そのかわり、小さないくつものいい出会いがあった。それが旅なのだと思った。

そして、やはり人なのだと思った。旅は人と出会うことなのだと。
今回もバックパッカーに泊ってが、よかったと思っている。周りは学生ばかりで、ちょっとあれだが、値段もやすし、いまだにバックパッカーを使っているのだ。でも一番の目的は人との交流だ。旅人同士で交流したいじゃないですか。ビジネスホテルじゃ交流はできないもんね。今回も宿の主人夫婦をはじめ、それなりに毎日誰かと話していて、それがとても刺激がありかつ癒された。

そして、少しざわついているホステルのロビーで、パソコンを広げて仕事をするのもわるくない。意外と集中できる。
他の人たちもおのおのノートPCを開いてメールなどをしているのだ。その中にまじってたまに雑談などしながら翻訳を進める。悪くない。そういう環境の方がおれにはいいみたいね。ビジネスホテルにこもって仕事するより能率あがると思う。

そこで、こうしたトラベルワーキングを今後もどんどんしていこう、と思ったので、忘れないうちにマイTipsを書いておくことにします。


◎宿泊にはバックパーッカーを使う。
旅人との交流、WiFiのあるロビー、夜も淋しくない。値段も安い。デメリットは、ドミトリーに連泊すると疲れるということだ。どうしても睡眠が浅くなったりする。なので、旅が長くなるなら個室泊とうまく組み合わせて体調管理をするといいだろう。

◎PCは2台あると安心。
これは僕だけかもしれないが、もしPCが壊れたら代わりのPCをすぐ買うか、旅を切り上げなければならなくなる。毎日PCで仕事をするという前提だと。ネットカフェというものもあるが、そこで連日仕事をするのはちょっときついし、お金もかかる。壊れたらどうしよう、と思いながら旅をするくらいなら、多少重くなるが2台持ちしてしまったほうがいい。今回始めて2台持ちしているが、やはり安心感はある。でもまあ。。めったの壊れないからそこまでしなくていいかもね。。ぼくの場合は毎日欠かさず仕事したいので、今後も2台持ちをするつもりである。

◎タオルはスイムタオルが便利
これは前から使っているが、スイムタオルはすぐ乾くし、かさばらないし、普通のタオルより便利です。普通のタオルって朝一回つかうと夜はまだ乾いてないよね。旅をしていると頻繁にシャワー浴びたいのでスイムタオルは便利です。絞ればまたすぐ使えるというほど吸水性があります。(まあどこのホステルでもタオルの貸し出しはあるからそれを利用してもいいかもね)

◎シムフリーの携帯電話を一台持って行く
ぼくはサムスンの安い携帯を持って来ています。インドネシアで使ってるやつ。これはシムフリーなので、シンガポールでプリペイドのシムカード(800円)を買って入れ替えて使っています。やはり携帯があると便利。ほんとはiPhoneとかが一番なんだろうけどね。とにかくシムフリー携帯が一台あると便利です。なんで日本の携帯はシムフリーじゃないの?って超疑問になります。あれはおかしい。ほんと。ちなみにシンガポール、iPhone4sが5万円以下で売っていました!iPhone買うならシンガポールで決まりだね。

◎世界万能コンセントアダプタがあると安心
これが一つあれば、どこへ行ってもすぐ電源が使えて便利。つまりすぐパソコンが使える。現地でその国のアダプタを買うのが安くていいんだろうけど、いちいち電気屋探すの結構大変だし、空港では時間がないことが多いので予めもってるといいよね。
http://www.amazon.co.jp/dp/B001GV016U/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1338307525&sr=8-3


◎短パンとビーチサンダルは意外と要る
今回持ってくるのを迷って、やめておいて後悔しているのがこの2つ。別にかさばらないから持ってくればよかった。短パンは寝る時に寝間着代わりに使います。長ズボンだと暑い感じがするし、パンツ一枚だとトイレとかに立つとき、いいのかな?って躊躇しちゃうからね。サンダルもいらないと思ったけど、シャワーを浴びたあととか、靴履きたくなくなる。観光で一日靴を履いた後だと、ホステルでは靴脱いでくつろぎたいからね。仕方がないから裸足になってるけどビーサンあればなって今思ってる。

◎暑い国いくときも長袖のジャケットは要る(柔らかい素材がいい)
まあこれはわかると思うけど、飛行機の中も寒いこと多いし、ホステルも冷房がんがん効いてて寒いときある。とくに西洋人がいるときは、暑がってクーラーがんがんにするからね。寒くて寝れない、なんてこともあるから、柔らかい生地のジャケット一枚あるといいよ。

◎デジカメの充電器、忘れずに
◎パソコンの電源ケーブル、忘れずに
どちらも、忘れやすく、ないとすぐに困るもの。買うと高いし、2つあっても困るものだから、忘れずに持って行くにこしたことはありません。


ごめん、これぐらいしか思いつかなかった。。
もしかして、おれiPhoneもってないからわからないけど、iPhoneなんかがマストアイテムなのかもしれないな、と今思った。地図とかすぐみれるしね。最悪、iPhoneで仕事することもできなくはないかも。キーボードだけ調達すれば。買おうかなあ。。


えっとなんだっけ、そうだ、トラベルワーキング、1週間とかの短期ならそれほどつらくならずに楽しめそうなので、これからも近場をちょくちょく行ってみることにするよ。タイとかベトナムとかカンボジアとかね。今回もシンガポール、なにげに楽しかった!

5/29/2012

核武装と投票義務

今日は、宿の主人と面白い話を話し込んでしまった。

知ってた?シンガポールでは選挙の投票は「義務」なんだよ。投票に行かないと罰金があるんだって。おれ、まさか投票が権利だけじゃなく義務の国があるなんて思わないから、最初何言われてるかわからなかった。
でもご主人いわく、投票が義務であるおかげで、政治家が腐敗しないのだ、ということです。つまり、お金で票を買うようなことが難しい。おれが日本なんかはもう政治家は汚職まみれだよ、と言うと、それは、企業と政治家が結託するからだろう、と言う。
企業が自分たちに有利になる法律をつくらせるために政治家に金をばらまく。票も金で買うようなマネをする。そうして汚職のネットワークができあがるのだ、と言う。
シンガポールでは国民全員が投票にいくので、企業のパワーは相対的に小さくなるという。買収もしきれるものではない。結果、国民にとてよい政策をやってくれるクリーンな政治家が当選するのだ、という。すべてはシステムなのだ、とご主人。

なんでも前の大統領か首相かなんかが、イギリスで法律を学んだとても賢い人で、制度設計をびっちりやったそうだ。そのおかげで、シンガポールは汚職も腐敗もほとんどなく、うまくいっているのだと言う。

へーーー。


とにかく、投票が義務である国があるということに、驚き。知らなかった。


それから、こんな会話もあった。

ぼく「日本は核武装したほうがいいと言う人もいるが、ご主人はどう思いますか?」
ご主人「それはアジア諸国が許さないだろう」

あ、そうか、アメリカとかその他の核保有国ばかり気にしてたけど、アジアが嫌がるんだ。

ご主人「アジア諸国は日本がまた好戦的になりアジアへ侵攻することを恐れるだろう」

さすがにそれはないよ〜と思うが、アジアから見れば、あり得る話なのだろう。

ぼく「しかしですね、日本人の中には中国を恐れている人も大勢います。中国対策として核の保有もいたしかたないという意見もある」
ご主人「中国が日本を攻めることはないだろう。歴史をみれば、中国が他の大陸や他の島国を襲った歴史はない。中国は中国大陸にしか歴史的に興味を示してない。何千年もの歴史でだ。」

たしかに。。そういえば中国が海を越えて戦争したという話は聞かないなあ。ヨーロッパに攻め込んだとか。モンゴル帝国はやったけどね。それにくらべれば、海を越えて他国を侵略した実績は日本の方があるということになる。しかもついこの間だ。日本は他国の領土に対して野心がある、そう見られていてもおかしくはないのだ。先の日清日露、太平洋戦争だけでなく、豊臣秀吉の時代にも朝鮮半島を獲りにいってるわけだからね。歴史的にみて、わりと領土的野心がある国、ということになるのかもしれない。

ご主人「中国が日本を占領するメリットがないだろう。日本に何か資源がありますか?」
ぼく「資源、ないっす」


そうかー。面白いね。こんな視点も、日本にいたときは聞いたときないな。中国が歴史的には海外へ侵攻していない、ということとかね。んー、おれはいろいろ認識間違えてるところあるんだろうな〜。もっと勉強したくなった今日でした。

四つ目の

昨日は会心の夢を見たので、軽く記しておく。ほんとに軽くだから。
こんな夢だった。

「目が四つある女の子に案内されて、オンラインゲームの世界で冒険をする」

どうですか。秋葉のオタクも真っ青でしょう。
夢の始まりもいかすんですよ。

(以下、夢の説明をくどくどするので、他人の夢なんか聞かされてたまるか!という人はこの記事はとばしてください)


派遣切りにあって、知人から紹介されたアルバイトにしぶしぶ出かけたぼく。デパートに集合だという。どうせ物売りのアルバイトでしょう、ということで内容を確認せずに行ってみたところ、なにやら怪しい人たちが集合している。その中に四つ目の女の子がいた!
おれは、驚いた風な顔を見せないように、つまり、差別的な反応をしてしまわないように、ぐっと内心の驚きを抑えた。え、目が四つあるよ、この子。でも、かわいいのだ。

そして、仕事内容の説明がある。なんと、オンラインバトルゲームの中に入って、ゲームが滞りなく行われるように、いろいろパトロールする、という仕事らしい。つまり、ゲームのルール通りに行くように、バグってるところを人力で直していくという。えーそんな仕事あるの?と思っていたら、次の瞬間、もうゲームの中にいた。

ぼくらアルバイト達はなにやら白い特殊なバトルスーツみたいなのを来ている。おっとすぐとなりで機関銃を連射してるキャラクターがいる!そいつがどうもふんずまって体の角度を変えられなくなっているようなので(つまりプログラムのバグで)、人力で体勢を変えてやる。つまり、そのキャラをむんずとつかんで向きたそうな方向にむけてやった。すると、ガガガっと機関銃を放たれ、遠くのほうの別のキャラがどうっと倒れた。
なるほど〜こういう仕事か〜、これ面白いじゃん!こんなアルバイトならありだよね!

という夢。

それから、冒険はつづくのだが、長くなりそうなので割愛。


ごめん、とりまそれだけ書いておきたかった。とにかく、いい夢だった〜。夢心地とはこのことだ。シンガポールばんざい!

日本の閉塞感

いま、同じ宿に泊まっているアメリカ人の女の子と話していた。
そして、あれ?と言葉につまってしまうことがあったので忘れないうちに書いておくことにする。というか、書きながら考えたいのだ。

いろいろ自己紹介しているうちに、僕が、しばらく日本を離れていようと思うんだ、日本以外の国の空気を感じて、日本二帰った時に日本社会を変えることに貢献できればと思っているんだよね、的なことをちょっとまじめそうに言ってみたときのことだ。

彼女が「なんで変えるの?」的なことをいうので、
ぼくが、「日本は今閉塞感が強くてね。みんな苦しい思いをしている。それを変えないとね」

彼女「なんでそうなってるの?」
ぼく「たぶん日本人が抑圧的だからだよ」

彼女「なんで抑圧的なの?政府がそうしてるの?日本は民主主義?」
ぼく「え、民主主義は民主主義だし、政府が国民を支配しているわけではないよ」

彼女「じゃあどうして抑圧されてるの?」
ぼく「いや、日本人が自分たちで抑圧してるんだろう」

彼女「ふーん。たとえば、どんなふうに抑圧されてるの?」
ぼく「えっと。。。」

ぼく「あ、そうだ、インドネシアではさ、25歳を過ぎても結婚してない男がいると、お前はホモじゃないか、と周りからいじめられるそうだよ。25歳なら結婚していなきゃいけないんだ。そういう感じ、わかるよね?」

彼女は実はインドネシアに半年ほどいたことがあるという。

彼女「うん。わかるよ。日本も早く結婚しないとそう言われるの?」
ぼく「いやー昔はそうだったけど、今はそうでもないかな。。ほら、結婚は別にして、様々なピアプレッシャー(同調圧力)があるんだよ。そのことばはわかるよね?」

彼女「わかるわ。たとえばどんなプレシャーがあるの?」
ぼく「いやー、えっと、(一度入った会社を辞められないとか、と言おうと思ったが、それは何十年前のことだよ?と自問してしまう。)

ぼく「いい質問だね。君は賢いな。そうだね、具体例が大事だよね。えっと。。。(あれ?出てこないぞ)」
彼女「????」


おわかりでしょか、このような会話がついさっきありました。

ぼくは、日本の閉塞感の理由は、同調圧力(みんなが同じでなければならないという圧力)が強いせいだ、と説明した。
彼女は、たとえばどんな圧力がかかっているのか、と質問した。
ぼくは、具体的な例を思い浮かべることができなかった。(かつては、ということなら、結婚や転職周りの問題を言うことができた。でも、2012年現在、そんな圧力はあるのだろうか)


そう、ここでふと、あれ?今の日本に同調圧力なんて本当にあるのかな?と疑問に思ってしまったのです。
しかし閉塞感は感じる。それは体感として感じるわけです。これはどこから?

そのあたりを探ろう、という海外生活の新たな目的が芽生えたのでした。
なんか、おれ、わかったつもりになっていたが、今の日本に実際にどういう問題があるのか、わかってないんじゃないか、というね。もしかして、問題ないのかもしれないな、なんていうね。こともチラッと思ったりして。

しかし、言語化できないほど深いレベルで影響を受けているからこその閉塞感なのだ、という可能性もある。
このあたり、ひも解く価値はありそうだ。

それをひも解くには、やはりこうした外国人との交流が有効なのかもしれない、と改めて思ったよ。
「日本に民主主義はないの?」と素朴に聞かれると、そういうわけじゃない、と言うしかない。
国民に選挙権があるのに、なんで政治が国民の意に背いているの?みたいなところ、外国人に説明できないよね。
おれ、できなかった。もしかして背いてないのかもしれないね。

これが日本人同士なら、民主党もダメだね、でわかりあえちゃうんだけどね。
アメリカ人のしかも、まだ好奇心おう盛な10代には説明できなかったよ。それは君、わかるでしょ、ほら、どこも一緒でしょ、みたいなノリは通用しないのだ。なんでそうなってるの?とキラキラの瞳で聞かれてしまう。うっと詰まるしかない。

日本は本当に閉塞しているのか。まずここから検討してみる必要があるし、たしかに閉塞しているというなら、何がどう閉塞しているのかひも解かずにはいられないだろう。久しぶりに面白い思いをした。日本人相手なら「なんで日本を出て来たの?」「日本の閉塞感が耐えられなくてね」で通じちゃう。でも、外人の、しかもしったかぶりしないタイプの人が相手だと、非常に困ったことになるのだ。

お前、そんなえらそうにいろいろ言って日本を出て来といて、ぜんぜん説明できないじゃないか、ということになるのだ。
今日、米人の17歳にことばを詰まらされたこと、忘れない。


いやね、もしかするとね、日本はぜんぜん閉塞してないのかもしれませんよ。そんな疑問がリアルに湧いて来た夜だったのです。

5/28/2012

シンガポール2




今日もシンガポールにします。

今日は仕事が一段落したあとに、セントーサ島というテーマパークの中にある第二のカジノへ行ってきました。カジノは2つめです。そこで、あっと気づいたことがありました。よく見ると、お客がほぼ全員中国人だ!シンガポールローカルより外国人のほうが多そうだ、いうのは薄々わかっていました。で、勝手に世界中からギャンブラー客が押し寄せて、国際色豊かなカジノと勝手にイメージしていたのですが、よく目を凝らせば、日本人も見当たらないし、欧米人も1人もいません。ぼくが見た限り一人もいません。あれあれ?どういうことだ?あ!にわかに気づきました。ここ、シンガポールのカジノは、中国本土からの観光客を目当てに作られた巨大カジノだったのです。(たぶん)

増え続ける中国の富裕層を当て込んで作られたというところでしょう。その狙いがばっちり当たったのか、中国人のなぜかおばさんが多い、で溢れています。そうか〜。前の記事でぼくは日本人が世界で一番ギャンブル好きなのでは?と書きましたが、即座に撤回すべきでしょう、たぶん世界一は中国人です。行ったことないけど、そういえば映画やテレビニュースやなんかで街角のそこかしこで麻雀卓を囲む光景を見たことがあります。

そして、目を凝らせば、どう見ても中国由来のギャンブルもたくさん並んでいます。カード系は西洋から来た物でしょう、しかしサイコロ系は中国由来なのではないでしょうか。サイコロ系のギャンブル卓もたくさん並んでいます。

あーそうか〜。なぜかひとり納得して、カジノを後にしたのでした。
今日こそは少しお金を賭けようかと思ったのですが、どう考えても散財しそうなのでやめておきました。


ここ、シンガポールでもうひとつ気づくこと、それは人々はあまり英語を話していないぞ、ということです。
地下鉄に乗っていても、聞こえてくるのは英語とは違う言語です。たぶん中国語やヒンズー語やマレー語なのでしょう。どうも英語ではない。いや、これがいわゆるシングリッシュというものなのかな?とも思いますが、やっぱりどう聞いても中国語を話しているようです。

今日も、さっきパン屋でパンを買ったら、なにやら中国語でいろいろ言われて、わからないから適当にうなずいて買い物をすませました。もしかしてシングリッシュで話しかけられていた?でも最後にシェイシェイと言っていたのでたぶん全編中国語で話しかけられていたはずです。どういうことなのでしょうか。パンを買う日本人に中国語で話かける。。店員は英語がはなせないのかな?それともおれが中国系に見えたのか。たぶん後者なのでしょう。
そういえば、カジノに入る時も係員に中国語で何か言われた気がするな。だいたい状況で言われてる内容がわかったので適当にうなずいて流したけど、ぜったいあれ中国語だった。

つまり、シンガポールはぼくが思っていたよりもずっと中国だということですね、たぶん。

そうかー。ぼくはどこか中華系が多いけど英語が公用語のインターナショナルカントリーだと勝手に思い込んでいました。いわばアジア版のアメリカ合衆国、みたいな。でも基本的には中国系は中国語はなしてるみたいですね、日常は。そんな気がします。どうなんでしょう。

でも、変化といえば、おれ、半年前にきたときは決して中国語で話しかけられたりはしなかったぞ。今回はだいたい最初は中国語ではなしかけられる。これは変化だ。つまり、ぼくはどこか中国化したというか、東南アジア化してきたのかもしれません。今日だって服屋でTシャツ買う時に、店員に中国でなんか言われて、わからないから、わからないよ〜って顔したら、なんか店員むすっとして、早口でなんか言ってきて恐かった。もしかすると、うっかり中国語で話しかけられてとまどう日本人に見られていなくて、たんに返事をしない中国系現地人と思われていたのかもしれません。それ、いきなり怒られて恐いから、やめてくださいね。おもえば、頭も丸刈りにしちゃって浅黒く日焼けしてカバンも持たずに歩いてるおれが悪いんでしょうね。

ちょっと面白くてうれしくないことはないエピソードでした。

さて、溜まってる仕事の続きをしなくちゃ。しかしホステルの管理人さんよ、ホステルにいるのにずっとパソコンやってる僕を、観光もいかずに一人で引きこもってるかわいそうな人みたいに思わないでね。じゃっかん、不思議そうに見られているのを背中に感じながらも、やるべきことはやらねばならず、ネットが快適でエアコンが効いてて電源が使い放題なこのロビーが一番仕事がはかどるんだから、しょうがないよね!

5/27/2012

チキンライス



今日はシンガポールにいます。

今週どうも風邪をひいたようで、ふらふらするなあと思っていたのですが、重なるもので、半年に一度のビザの更新のためにバリを5月中に出国しなくてはならないのでした。どうも微熱があるようで体が熱いのですが、こればっかりはどうしようもなく、シンガポールに向けて旅立ったという次第であります。

おかげさまで、いまのところ、ひどくならずに治りそうな感じになっています。

今日は、知り合いに知り合いにチキンライスなる美味なる名物料理を食べにつれてってもらいました。冒頭の写真は、そのチキンライス屋です。かずある屋台の中でここだけ長蛇の列ができていました。
しかし、それだけの価値はあり、とってもおいしかったです。シンガポールに来たら、チキンライス、これはマストです。


実は半年前もシンガポールに来たのですが、そのときの感想は、あれー東京とあんまり変わんないぞ、ビルばっかりで面白くないぞ、というのが正直なものでした。バリ島にきて2ヶ月がたったころです。で、滞在2日で、もう見る物はないとばかりにそそくらとバリに帰ったのでした。たぶん始めてのビザの更新ということで、段取りをちゃんと踏めるだろうか、と緊張していたからでしょう、観光を楽しむ気分ではありませんでした。だが、今回は、もうビザの勝手がわかっているので緊張感がないことと、微熱があるので観光意欲ももとよりないことと、知り合いの知り合いがガイドしてくれるというおまけがあいまって、なんだか、シンガポール楽しいです。都会なのがむしろ楽しい。癒されるのです。

バリにくらべると人々もおだやか。うかうかしてるとだまされるぞ、とか、ぼられるぞ、みたいなのは皆無。成熟したカントリーです。空港の係員もみんなにこやか、手際良く処理してくれます。バリみたいに、ふてくされてだらだら、下手をするとワイロを要求、などという心配は皆無です。

あーここでは純粋に観光を楽しんでいいだね、そういうすこやかな気持ちになります。
なんだか、仕事もはかどりそうな勢いです。あ、そうそう、ネットが速いからだ。シンガポールはWIFIがとっても速い。ノーストレスです。バリにいるときは、仕事しながら結構ストレスあったのかも、と改めて思います。ネットが遅いというだけで、いろいろ待ちが発生して、いちいちストレスだったのです。ここではもうサクサク。

仕事をするためにも、シンガポール、もう少し滞在しようかな?とさえ思い始めています。ごはんも24時間の中華料理がいたるところにあります。明日はユニクロで買い出しなど予定しています。バリで変えない良質で安い衣料品を物色してきます。


シンガポールにサーフィンのできる海があれば、もうそこに住みたいな、と言う感じですね。都市と海のハイブリッドが今のぼくが一番求めている場所のようです。都市と海、そしてインターナショナルな環境、それがベストのようです。そして物価の安さが加わると鬼に金棒ですね。そういう場所はあるでしょうか。

物価も安すぎないほうがいいというのが今回始めてもった感想です。あんまり物価が安いと、現地の人と友達になりにくいのではないかな。一緒に遊べない感じというかね。ある程度経済状況が似ていないと、友達にもなりにくい、そう思いますね。

とはいえ、いまのところその物価の安さに助けられてなんとか生きてますってことなので、言えないんですけどね。でも感想としてはそういう感じです。


しかし面白いもので、空港に着くまでは、いやだなあ、なんでいちいち出国しなくちゃいけないんだ、とぐちをこぼしていたのですが、空港というのは魔術的な場所で、出国審査のゲートをくぐると、なんだか急に元気が湧いてきたのです。これから外国いくんだ!というワクワク感が立ち上がってきたのです。バリだって外国なんだけど、長く居るともう外国効果が薄れてきていたようです。毎日がマンネリ化するんですね。バリから出れるというだけで、なんだかわくわくして、空港に着く前は、できるだけ最短で帰ってくることにしようと思っていたのですが、今などは、風邪がなおりそうなら、もうちょっと長居してもいいんじゃないの?という気も湧いてきました。あわよくば東南アジア一周してみるか、などと思ったり。しかし、今回はほとんど準備も何もしてきていないし、パソコンも壊れそうなので、やっぱりそこそこで帰る方がよさそうです。バリに帰ったら修理ださないと。というか今週は仕事溜めてしまったのでキャッチアップを急がないといけない。いろいろあって大変なのです。しかし、体調管理は本当に大事ですね。気をつけていきましょう。


どうすれば日本が世界の中で勝てるのか、一等国になれるのか、という競争はやっぱりもう終わるんだな、ってここシンガポールで思いました。みなさん知っていますか?シンガポールにはラスベガスより売り上げが大きいカジノがあるのです。今日はチラ見してきましたよ。ドキドキしていったのですが、なんということはない、普通のおじちゃん、おばちゃんがルーレットを囲んでいました。怪しい雰囲気一切なし、日本のちょっときれいなゲームセンターという感じです。もちろん規模はぜんぜんちがいますがね。普段着で行ける感じです。

しかし、シンガポール政府もよく考えたもので、外国人は入場料無料なのですが、シンガポール人は6千円ほど入場料をとられるそうです。そうやって自国民をギャンブルから保護しているのです。さらに、家族からの申請があれば、その人の入場を禁止にする制度があるそうです。たとえば、夫がカジノに狂いだしても、奥さんが申請すれば、旦那は今後一切カジノに入れなくなるのです。これも自国民を保護する制度ですね。

うまくやっています。もちろん治安もぜんぜん問題なさそうです。悪そうな人はぜんぜん見かけません。ほんと観光客が集ってる感じです。それでラスベガスを超えられるなら、それはそれでいいんじゃないかと思いましたね。
東京にもカジノを、というプランもあるそうですが、ぼくはいいと思います。ありですね。シンガポールみたいに、ちょっと制度をうまくつくって、日本人がカジノで破産者続出、みたいなのだけ防げば、ありなんじゃないでしょうか。巨大なテーマパークにしか見えなかったですね、ぼくには。それほど健全さが漂っていました。
日本のパチンコのほうがよっぽど不健全ですね。それが規制されないってのも世界の非常識なんじゃないでしょうか。あれはレッキとしたギャンブルですね。日本国民はどこの国よりも普通の人がギャンブルに手を染めている国民なんじゃないでしょうか。カジノがあるシンガポールだって町中にパチンコなんてありませんから。
ね、面白いよね。日本にいるだけだと、え、東京にカジノ?あり得ない!何を考えているんだ!という反応をしてしまっていましたが、それはやっぱりすぐダークなイメージが出てくるからですね、マフィアが葉巻吸いながら札束どさどさみたいな。でもシンガポールで見た世界第3位のカジノはしごく健全な雰囲気だったとか、そういえばもう見慣れすぎた昼間から学生や主婦がパチンコじゃらじゃらという光景が急にいびつなものに感じられて来たりとか、そういうのも外国効果なのかもしれません。

日本には特にそういうものが多い気がしますね。自衛隊とかね。あれは世界的にはどっからどう見ても軍隊ですよね。軍服きて戦車に戦闘機なんですから。日本国軍ですよね。それでいいのに、そう呼ぶと何かが起きてしまうというのでしょうか。というか、国軍と呼ばないことによって平和が保たれるとしたら、それは単に未成熟な国だというだけのことではないでしょうか。そんなごまかしなどなくとも平和は保たなくちゃいけないはずですね。それとも自衛隊と呼ぶからこそ戦争しなくて済んでるのでしょうかね。そのあたりはよくわかりませんが、国軍は国軍だと思いますね。まずはそう定義してからルールを決めたほうがいい気がするなあ。これまでの経緯は置いておくとすれば。

パチンコだって完全にギャンブルでしょう。あんなとなりに景品交換所などという名前の、現金交換所があるわけですからね。あれ、一応、別の場所だから合法ということでしょう?なんというか、こっけいですよね。カジノです、ってやっちゃえばいいのに。だってカジノに並んでるスロットマシーン、あれはパチンコ屋にあるスロットマシーンとほとんど同じものでしたよ。もうまったく同じ。カジノが国中にあるのが日本なんですよね。

いや、おれはその是非を問うているわけじゃなくて、パチンコはギャンブルではありません、などと言う物言いがあるとしたら、それはもう通らないよね、ということです。そんなのみんなわかってる?じゃあ、国民をギャンブル漬けにしてるのはありなんでしょうかね。カジノなんかより問題だと思いますね。というか、政府というか、自分たちが自分たちをだますためにそうしているんでしょうね。ギャンブルやりたいから。

日本は元来、欲望には寛容な国だと言う気がします。色気のほうもそうですよね。それはそれでいい気もします。人間はそのくらいがいいんだよ、という気がします。でも、パチンコはギャンブルとちがう、自衛隊は軍隊とちがう、ということばのアヤの地続きのところで、原発事故も起きたのではないか、とぼくは勘ぐっているのです。

あーなんかまた暗いことを書いてしまった。。南国からのお便りブログのはずだったのですが。
まあ、またなんかいいことあったら、そのとき、報告しますので!

5/24/2012

翻訳の不思議2

翻訳をしていて気づいたことをもういっこ書くよ。

翻訳で難しいのが、どこでそれを完成とするか、である。
永遠に手直しを繰り返してしまうことも可能なのだ。文章とはそういうものだろう。
もちろん、締め切りというものがあるが、いつもいつも締め切りが来るまで直しつづけるとしたら疲労困憊してしまうだろう。

ぼくは、翻訳が完成するときのある法則に気づいた。
最初はざっと訳したあときは、ああ、こんな文章誰が読めるんだよ、直訳にさえなっていない。。とうなだれる。ところが一回二回と手を入れていくうちに、なんとなく読めるものになっていく。しかし、同時に、いったいこの文章はよくなっているのか、悪くなっているのか、いじくり回しすぎておかしくなっているんじゃないか、という疑念ももたげてくる。

そういうときに、ひとつに指標。細かいところを手直ししたくなったら、それは完成が近づいているのだ。
つまり、記事全体がしっくりこないだとか、この文章まるごとおかしいなあ、と思っているうちはまだ手をいれるべきなのだ。でもじきに、この単語はこっちのほうがいいな、とか、ここは「が」じゃなくて「は」だな、とか、この「無料の」は「フリーの」にしたほうがしっくりくるな、とか、一見、どっちでも意味は同じ、という部分が気になりはじめたら、それはもうすぐ終わりだよ、というサインなのだ。

そして、句読点ひとつが気になり始めたら、もう終わってもいいということだ。
この「、」はないほうがいいか、あったほうがいいか、そう迷っている自分がいれば、感覚的にえいやとどちからに決めてフィニッシュだ。

もちろん、あくまでそれは自分のなかの基準でしかないだろう。他人から見れば、もっとほかに手をいれるべき箇所があるのかもしれない。しかし、自分の中に基準があると便利ではある。

ご参考に。

5/23/2012

冷静と情熱のあいだ

辻仁成の「冷静と情熱のあいだ」をとなりの人に借りて読んだ。なかなか面白く一気読みしてしまった。それから、石田衣良の「ブルータワー」というのも一気読み。面白かった。明らかに日本語の本に飢えている。こんなことも海外暮らしの思わぬ副産物として現れてくる。日本にいるときは毎日のように本屋にいくの習慣だった。本屋こそが憩いのオアシスだった。

そうだ、ちょうどバリに来る直前の1ヶ月などは、毎日書店で4時あまりの時間を過ごしていた。何冊も立ち読みした。そして帰りに一冊の本を買う。カフェにいってそれをじっくりと読む。それが僕のオアシス的休日の過ごし方だった。そしてあの頃は毎日が休日のようなものだった。

そうだ、言っていこう。若い諸君に。
時間とお金と自由が十分にあるとどうなるか。あくまで僕のケース。最初は素晴らしい。素晴らしい開放感に酔った。しみじみと自由とはいいものだと思う。一日24時間を好きに使えるのだ。何をしてても誰にも何も言われない。そして、すくなとも1年以上はこのまま暮らせるくらいの蓄えがある。この素晴らしさ。旅行もいったし、友達とも遊んだし、いろいろなワークシップにも通った。
しかし、時期に持て余してしまった。自由を。
ごちそうの寿司だって毎日食べれば感動がなくなる。あとに残るのは、特別な寿司という食べ物を食べているという感動ではなく、寿司というなかなかおいしい魚料理を食べている、という地点に行ってします。もちろん、うれしい。おいしいからうれしいのだが、感動の部分は薄れていくだの。(何を隠そう、ほぼ毎日寿司をたべていたという経験もぼくにはあるのだ)

それと同じように、ただの自由は、自由になった!という感動は次第に薄れていくものだ。あとはただ、暇だという事実が残るだけ。毎日が日曜日ではあるが、人にはうらやましがれるが、とくに行きたい場所もやりたいことも思いつかず、一日中家にいることが多くなっていった。(あくまで僕のケースだよ)

そしてぼんやりと、ああ、このままじゃいけない、と思うのだった。

そんなことを年単位でやってしまったのが僕という人間なのだ。
ただの自由は一年で飽きるだろう。好きな事もやりたいことも思いつかなくなるのだ。
だから、さんざん我慢を重ねた後にくるリタイアメントという自由を僕は待つ気にはなれないのだ。
それはきっと退屈な自由であることだろう(ぼくの場合ね)

だから、僕は、いつも現役の自由を楽しんでいたいのだ。現役の自由とは、いつか終わる自由ではなく、例えば、それは次の就職が決まるまで、とか、家庭を持つまで、とか。そういう期限付きの自由ではなく、現役の自由がいい。さらに、我慢と自由の繰り返しで得られる自由も自由とは思えない。それはただの息抜きだ。

だから、現役の自由とは、きっと自由そうには見えないシロモノなのかもしれない。それは永遠の試行錯誤の苦しみの連続なのかもしれない。

おっと、話がそれた。話がきれいな方に流れようとしたのをおれはいまカンづいた。
そういうことじゃない。


「冷静と情熱のあいだ」を読んだ、という話だ。

情熱というのが長年のぼくのテーマだった。
情熱が沸かない、ということがぼくを社会的ひきこもり状態に置いた。
とにかくヤル気がないのだ。最低限のレベルで生きようとしていた。
しかし、どこかであがきもあり、それではない生き方をしたいと焦ってじたばたした。

僕はいろいろな先生に教えを請いながら、
情熱とはすでにあるもの。それに触れられないだけだ、と定義した。

そして、世に生きる人々が情熱を感じながらイキイキと生きてほしいというのが僕の願いだと認識するようになった。そのために何かをしよう。

しかし、情熱とは人から教えてもらえないことのひとつだ。ある人に情熱を持たせることはできない。情熱とは出会うものだし、個別に自分だけが感じるものだからだ。


3歳のころの魂はどういうものだったのか。
さいきん、3歳児と遊ぶたびに、彼を凝視して、その魂の有り様を、こどもらしさとは何かをわかろうとしていた。しかし、なかなかそれか!という瞬間はおとづれなかった。

ただ、今ひとつ思いつくのは、彼は、3歳児は、ぼくの部屋に「お絵かきしたい~」と言いながら入ってくる。そして、ぼくが今日は仕事なんだよ、というと、「あそぼうよ」と言う。
やることあるんだから、というと、「ないよ」と言う。もちろん、結局は納得して、「メールしてていいよ」ってイッテくれるのだが、隙あれば、「あそぼうよ。お絵かきしようよ」と言ってくる。
自分のしたいことがよくわかっているように見える。
そして、お手伝いさんがご飯ですよと呼びにきても、「いかない」と言っていかない。
でも、今日のご飯はミークアだよと言われると、「ミークア食べたい~」と言って走っていった。

もちろん3歳児なりに大人に気を使うところもあるようだ。
本当はまだ遊んでいたくても、大人が怒ってる感じだと思うと「わかった」と言っておとなしく帰ることもある。

でもひとつ法則があるといえば、自分がしたいことをすぐ口にすることだ。
お絵かきしたい、ミークア食べたい、布団にくるまってあそびたい、帰りたい、など。
そしてやりたくないこともすぐ口にする。帰りたくない、ご飯いらない、まだ眠たくない、など。

やりたいことをそれが実現できるかは別にして、すぐに素直に口にしていけば、それが3歳児ということになるのかな。思えば3歳児、自分のわがままが通ることはそれほど多くないはず。基本は大人の都合につきあわなくてはいけないのだ。でも、それでもしつこく口にするよね。昨日だめと言われたことでも、今日したければ、したいと言う。というかわずか10分前にダメといわれことでも、やりたい、といったりする。
時にはそれがうざったいが、ほほえましくもある。おまえ素直でいいね~。

とにかく3歳児に対しては、この子は今こう言っているが、本当はこうしたいのではないか、などという勘ぐりは無用なのだ。やりたいと言ったことがやりたいことであり、やりたくないと言っていることをやりたくないだけなのだ。それはある意味、楽だ。ことば通りに対応してばいいのだ。

そういう風に人と接していけば、3歳児になれるのか。あの頃の魂に近づけるのだろうか。

5/22/2012

ひきこもりに海外のススメだって

さっき、高城剛の「モノを捨てよ。世界へ出よう」を読了した。
インスパイアされた。

こんな一節がある。

「ほんの一ヶ月でも外に出れば何かが変わる!」という見出しの文章の中で、
日本のひきこもりにメッセージしている。しばし引用しよう。

一度外へ出た上でなら、そこから日本へ戻って再びひきこもりの道を選ぶのもあり得る話だと思う。これまでとは違った視座をもって、内向きの思考を突き詰められるからだ。徹底的に内面世界を追求することで生まれたアートや音楽は、インターネットを通じて容易に世界へと発信することが可能で、世界中からファンを見つけることができる。日本というローカルで生きていくことを決めた人にとっても、世界の視座を手に入れることで、日本で生き抜く上での貴重なアイデアを得ることができるはずだ。


面白い。ひきこもりの人に海外生活のススメ。
たしかに前の記事で、ぼくは海外生活のススメを躊躇した。それは、日本の会社で働いている人、せっかく日本で職を得て生計を立てている人が、海外にただ住んでみるということが見合うかどうか、ただ物価の安さに安住するだけのスタイルに堕してしまうのではないか、などといろいろ杞憂してしまった僕だが、ひきこもりなら話は別だ。口は悪いが、リスクがあんまりないように見えるからだ。

引きこもりのことをどれほど知っているかといわれると困るが、身体は健康なんだろう。だとしたら、あとは少しのお金だ。(またお金ですまない)親だって、部屋から出ない息子が海外へ行ってみたいと言えば意外と反対はしないだろう。あわよくばお金を融通してもらおう。

たとえばバリ島で一ヶ月、リーズナブルと割り切って暮らすなら、いくら必要か。

◎航空チケット 6万円(エアアジアならそれくらいであるだろう.キャンペーンを狙えばもっと安い)
◎到着ビザ代:2500円(これで一ヶ月いられる)
◎安宿:1万5千円/月(エアコンなし、水シャワーでよければ、この値段で海の側に住める。友達のベルギー人はここに3週間住んでいたから、まあ普通に住めるはずだ)
◎レンタルバイク:6千円/月(バリ島ではバイクなしではとても不便)
◎旅行保険:0円〜数万円(クレジットカード付帯なら無料で済む。それがいいだろう)
◎飲食、娯楽代金:3万円(一日千円と考える。これなら結構余裕がある)
◎レンタルサーフボード:1万円(一日500円を週5日で借りた場合。これで毎日波乗りだ)
◎ネット代、電話代:1500円/月
======================================================
これ合計で、12万5000円だ。

確かに安くはない。だが、10万少しで一ヶ月のバリ島サーフィン三昧ができる。
一生に一度と考えれば、高くはないだろう。親に借金したって将来返せない額ではないだろう。


バリ島で一ヶ月毎日サーフィンしたらどうなるか。
まず、肉体は変わります。体力がつくのみならず、あきらかに大胸筋が発達して、なにか変わった、という気持ちを持つことができるでしょう。また、毎日塩水につかるので、かなりリフレッシュされる。母なる海というではないですか。

一ヶ月もあれば、ほとんど誰でも確実に波乗りできるようになります。少なくとも波打ち際でイエーーイ!と叫ぶ間、ボードの上の立っていることはできるようになります。通常はそれ以上いけるでしょう。つまり、少なくとも、波乗りができるようになった、という経験を積めます。

あとバリ島はインターネット回線が遅いので、Youtubeとか見るのはかなりつらい。二コ生とかはちょっとムリ。ネットにどっぷりはまってる人もそれなりにネットから離れる時間が増えることになるでしょう。

それから人と話したくないなら、ネットとサーフィンだけやってればいいのです。ほぼ人と話さずに生活できます。とってもさみしいです。でも、お望みなら可能です。

とこんなことも書いてみました。まあひとつの情報として。

うっかり言った

先日のブログで、日銭が稼げるなら海外へ出よう、と言ってはみたが、ちょっとうっかりしたな、と思っている。まだ早かった。明らかに高城剛の本「モノを捨てよ。世界へ出よう」をAmazonでポチっとした勢いで書いてしまったのだ。ようは受け売りである。

おれの実感としては、まだ、わからない、が正しい。
バリ島に来ているが、あとで、物価の安い国で暮らすだなんて、ただの時間稼ぎだったと落胆することになるのかもしれない。日本でがんばればよかったと思うかもしれないからね。いや、本当はそうは思っていないけどね。これはこれでこうするのが俺のプロセスだった。そう考えているからね。そうする必然があったってこと。

だが、それはこれからの必然を規定するものではない。理性はこう言うだろう、かつてこれを選んだのなら、これからもそれを選ぶべきなのだ、と。しかし、プロセスというのは常に自覚より少しだけ先行して進んでいってしまうものではなかろうか。

という言い訳をしておきます。いい歳をして自分の行動がちっとも制御できない、おれです。自分でも不思議なのですから。ぜんぜんコントロールできない。頭いいはずなのにね。

それでは、いまから、高城剛を読みます。わくわくしますね。

そして、昨日からまた昼夜逆転の日がはじまってしまいました。いま徹夜明けの朝というわけです。
おれは今や知っています。これは。何か受け入れなければならないことを受け入れてないときのサインであることを。そして、それはまあいずれは終わり、仕事も生活もなんとかはなるということを。昼夜逆転であろうとなんであろうと起きている時間に仕事をすればいいのです。それは少なくとも十何時間はあるわけですから。昼夜にこだわりません。なんてね。

5/20/2012

明るいことも

暗い事ばかりを書いてきました。
たまには明るい感じで書いた方がいいよね。

といいますのは私、30歳で最初に勤めていた会社を辞めてからかれこれ10年あまり、社会へどう関わればいいのか、どう仕事をすればいいのか、どう生計をたてればいいのば、などなどに悩み続け、それが、しまいには生きるって一体なに?までいってしまったり、この社会はまやかしだ、どこかに真実がある、とばかりにスピリチュアルにどっぷりはまったり、人の好意にどっぷりおんぶされたりしながら生きてきました。

不安におののき、やさぐれ、現実から目を背けた日々があまりに長かったため、それが習い症にさえなってしまったようなのです。ですので、明るいことを書くと違和感を感じるのです。おかしい、おれがこんなに明るい展望を持つはずがない、後で足下をすくわれるぞ!と思ってしまうので、つい、暗い方、暗い方へとギアーをシフトしてしまうのです。もはやオートマチックなのです。

ところが、私もそろそろ人生の折り返し地点、暗いから助けて、とばかりも言っていられません。
なにか良き物を社会に付け加える義務さえ生じる年頃と言えるのではないでしょうか。

明るい話をしよう。

社会は人の成長に例えることができるのかもしれません。
そうするならば、日本国はいずれ死にます。
だが、それは、枠組みとしての日本国ということであり、日本人、ないしは日本列島に住む人々が死に絶えるという意味ではありません。
300年つづいた江戸幕府だって死んだのです。その枠組みは死んだ。
だが生命はつづいていくのです。そうやって社会も生命になぞらえてメタフォリカルに見て行くことができます。
江戸幕府が終わったとき、江戸に住む人々、日本列島に住んでいた人々は、一心同体で終わっていったのでしょうか。ちがいますね。ただ新しい社会をつくったのです。

江戸幕府こそ我が命、と思っていた人々、幕府一心同体的な家臣達は、幕府の終焉とともに腹を切るしかなかったのかもしれません。そうじゃない人は、諸藩統合的、士農工商平等的、海外漫遊的日本国というビジョンにわくわくしたのではないでしょうか。理解はできなくてもなにか風を感じたはずです。

いまぼくたちができることといったら、新しい風を感じてわくわくすることではないでしょうか。
これから一体何が始まるのか。明らかに、日本人全員がただ没落してくだけではないことは確かです。
かならず反作用が現れ、ダイナミックに胎動していくことでしょう。


だ、だめだ、やっぱりこんな明るいことを書くと、いけないことをしている気持ちになってくる。歯が浮くというやつです。


しかし、最低限言える事だけいうとしたら、ぼくは微風を感じています。なにか新しい風が吹き始めているようです。わずかながら、感じるのです。あ、こんどはそっちから風が吹くのか、と。

もうすぐ春ですね、恋をしてみませんか!

さみしいけど気が楽

最近、お金シリーズを延々と書いていますが、もうそれはいいよ、という人もいるかもしれないね。
まあ個人ブログだから気にせず書くけどね。お金にまつわる暗い気持ちは、おれのテーマでもあるので、こうして少なからず人に読まれるという力を利用して、自らのお金への関わりかたを見てみようという試みでもあるのです。

ところで。
バリ島に住んで半年超、率直な感想を一言でいうと「さみしいけど気が楽」になります。
さみしいというのはもう何回も書いてるとおり、毎日ひとりっきりでいる時間があまりにも長く、まだ友達ネットワークも整備されておらず、パートナーなどもいないことなどから、ああ、なんだかさみCと思うことが多いのです。それは時間が解決するかと思いきや、以外と長引いています。

それはさておくと、次は、なんだか気楽だなあ、という気持ちがあることに気づきます。
ここにいると、あまり自分を比較する対象と出会わない、ということかもしれません。
同じ歳くらいの日本人男にはめったに会いませんし、なんというか、ばりばりやってます!みたいな人はあんまりバリにはいない。どこかみんなのんびりしてる。日本人ね。
外人は、あいつは外人だから、と思うから、比較対象にはならない。
そうなると、たまにFacebookなどで元クラスメイトや元同僚が、会社社長やってます、だとか、子ども生まれました!だとかの書き込みを見たときくらいです。あーなんかおれ置いてかれてるのかなあ、って不安になるのは。やっぱりおれはダメ部族に入るのかなあって。

ひるがえって、一番大事なのはやはりお金です。
当面生活できるお金さえあれば、一晩寝た後に「まあいいや、なんとかなるさ」と思い直すことも可能なのです。そう、大事なのは黒字であるということです。
生計が赤字であれば、つまり、貯金を積み減らして生活している場合、ああ、早くなんとかしなくちゃ、と毎朝起きるたびにぞっとしなければなりません。一日一日とお金は減っていくのです。そして増えはしないのですから。つまりサスティナブルじゃない。続かないということです。

曲がりなりにも日銭入って、金銭的にサスティナブルな状態にでいるなら、「また明日考えよう」でもいいわけです。ぐずぐず悩んでないでとりあえずおいしいものでも食べにいったほうがいい。

しかし、サスティナブルでないなら、ああ、この食事代の分だけ、生きられる時間が減ってしまった、というような感覚にさえとらわれてしまうのです。それほど生きて行くということにお金というものがビットリと絡み付いているのです。

このような話は、社会に出てからずっと安定的に収入を得て来た人には、何の話かピンとこないかもしれません。

なので、一気に暴力的な方向に飛びます。

若い諸君よ、大事なのは金だよ!日銭だよ!わずかでもいい、日銭が稼げるメドがつくなら、半年でもいいから日本を出てしまいな!そしたら自分が生きているのに何が必須で、何がそうでもないのか、についての新しい視点が得られるだろう。

と言っておきます。

ことばが足らないようです。

日本を出て半年、なにか新しい発見があったかというと、それは、あ、おれというのは、このちっぽけなひとつの肉体のことなんだ、という発見です。

肉体が移動するのです。この肉体が日本列島を離れ、バリ島で生きているのです。この肉体がバリの気候に順応し、この肉体がバリのご飯を消化するのです。

なにをイワンとしているのかわからなくなってきました。


今の日本はダイナミックじゃない。そういう感想を持ちました。
もちろん、東北の津波、原発事故など大災害がありました。それは昨年の世界最大といっていい災害です。そこから復興しようとしている。だが、それだけのことがあった日本が何も変わっていないようにも見えます。というか、話題がなんか小さい。ニュースや人々がFacebookやツイッターでつぶやいている話題が小さい。橋本大阪市長、彼はいままでの政治家ができなかったことを実行していこうとしているという面では、なんだかすごいな、と思うけど、なんというか、ダイナミックじゃない。小沢一郎、控訴された、反小沢勢力がうんぬんかんぬん、ダイナミックじゃない。AKBがどうしたこうした、ダイナミックじゃない。金環食、それはおれも見たいけど、ダイナミックではない。

こんな風に書いて行くと、じゃあおまえはどんだけダイナミックか、とか、インドネシアはどれほどダイナミックなんだよ、と言われると、すみません、比較検討しているわけじゃないんです、としか言えない。比較してるのではない。なんか日本、ヤバいんでしょ?だったら、もっとダイナミックなことがばんばん起きてもいいのにな、って外野的な視点で見てしまうとそうなるのです。

たまに、日本人と話していると、「日本はもう終わりだ」とか「日本はこれからどんどんダメになっていくだろう」などとしたり顔でいう奴がいるが、それって余裕の発言ですよね?
本当はダメにならないと思っているか、日本がダメになっても自分は大丈夫だ、という何か秘策があるのかわかりませんが、おいおい、余裕あるね君、と思ってしまうのです。

前にも書きましたが、ぼくは日本の会社からお金をもらって働いていますので、日本がダメになったら超絶困るのです。インドネシアで生きて行くことすらできない。なので本当に日本がダメになるのなら、完全に国籍を変える事を真剣検討しないといけない。というか、だいたいダメってどういう状況のことなんでしょうね?貧しくなる。一時のソ連のような感じでしょか。食べ物も買えない。でも、いま、ロシア、景気いいみたいですよ。バリ島のロシア人めっちゃいます。どれくらい多いかというと、レストランの看板メニューが、英語の次はロシア語で書かれていたりします。かつては日本語だったのかもしれません。

すっかり迷走した。
何がいいたいのか自分でもわからないけど、なんか余裕あるんだねえ、みんな、ということと、実感してることと吐いてる言葉一致してる?ということと、さみしいから絡んでくれよ、ということです。

ではまた。

5/18/2012

またバブルを!

なんか、たまにチラッと思い出すんだけど。おれが大学生のとき、日本はバブルの真っ最中で、就職戦線異状なし、などの映画までつくられ、内定旅行などというものがあり、知ってますか?当時、内定した学生を海外旅行につれてったり、温泉に連れてったりして、他の会社を受けないように採用した企業が手厚く接待していたという事実を。これ普通に事実だったという事実を。

現在の日本に閉塞感があるとしたら、そのひとつは、労働市場が売り手市場じゃない、というところにあるだろう。どうもみんな仕事を得るのに苦労している。仕事をしたい人の数より仕事の数が少ないのだ。もちろん、こういうことを書くと、仕事を選んでるからいけないのだ、贅沢いわなければ仕事などいくらでもある!と言う人もいるだろう。しかし、ぼくはバブルの頃を思い出しているのです。あのころは、そんなゴタクを言わなくても、職が余りに余っていた。それも属にいう好条件の仕事が余りに余っていたのだ!
学生達は両手に溢れる内定を手に入れ、どこにいこうかとウハウハの気持ちでいたのだ。このどこにいってもいい気持ちになれる。それなのにそこからさらに選び放題の接待付きときたもんだ!こりゃこりゃ。

そういう時期もほんの一時かもしれないが、あった。あのときに閉塞感などという単語さえなかった。
全国民が浮かれていたのだ。

はっきり言おう、あの頃に戻りたいよ、おれは。
なんとなく浮かれていたいよね。でもどうだろう。閉塞感があるとはいいながら、実はあの頃よりも今の方が価値観は多彩なのかもしれない。新しいことに挑戦するドキドキ感は今のほうが味わいやすいのかもしれないとは思う。たぶんバブルの頃は、まわりと同じことをしてても十二分にお金が儲かっちゃうので、以外とみんな似たようなことばかりしていたような気がする。そして、似たようなものを一斉に求めて騒いでいた。

いや、おれが書きたかったのは、ある素朴な疑問についてだ。
なぜ、仕事よりも仕事を探す人のほうが多いのか。それはどういうことなのか。

わからない。そのことでみんなが奇妙に焦っている。暗い競争を強いられている。気持ちの中で。同級生が暗いライバルになっている。それは、どっちが勝つか!どっちが強いか!みたいな明るいライバルではない。どっちが食いっぱぐれるか、どっちが悲惨な気持ちで毎日を送ることになるのか、という暗い競争を闘っているのだ。そうだ就活のことだ。


そんなことを言うけど、アジアを見れば、インドネシアを見れば、もっとあからさまな競争が行われている。道を通るトラックの荷台にはジャワ島からの出稼ぎの労働者がわんさか乗っている。みんな疲れきった顔をしている。わざわざ出稼いで、体を真っ黒にして働いて、それでお金は少ししかもらえないのだ。日給250円の世界だ。割に合わないことこの上ない。それでもそれしか仕事ないから来ているのだろう。おれは職業差別をしたいのではない。でも、大変そうな仕事ほど給料が安いのがこれ、アジアの事実なのだ。みんな金のために働いているというのに。インドネシアでは最低賃金がとても低いのだ。もしかするとそれは日本の事実でもあり、世界の事実でもあるのかもしれない。いや、ヨーロッパやオーストラリアでは最低賃金がとても高いと聞いた事があるぞ。

何がいいたいのか。この、仕事とお金、という問題は、世界共通の問題であり、なんというか、未だに謎だ。なんか釈然としない。

まあでもいいのだ。たぶん問題がでかすぎるのだ。歴史さえ参照しなければならないだろう。それに理解したからといって何か解決するものではないのだ。

たぶん理解は遅れてしかやってこない。ちくしょう仕事なんてしょせん人が決めテルコトジャナイカ!

と叫んだところで、続きを書こう。

いま、こんな情景が浮かんだ。
ある村で、洪水があいつぎ、神の怒りを沈めるためにどこかの子どもを一人、生け贄にしなければならない。他に方法はない。だれかが犠牲になるのだ。はたしてどこの家から生け贄が出るのか。それは暗い諦め。暗いサクリファイス。
どうして洪水の生け贄が現代では不要になったのか。それはもちろん、治水技術が進んだおかげに違いないが、どこかで、うちの子を生け贄なんてされてたまるか、という親の思いが、もしかすると、みんなの為に死ぬのはいいけど、本当な死にたくない、という子ども自身のこころの叫びが、いつの日か治水技術を進化させたとも言えるだろう。そこには、求める気持ちがあった。理不尽と渇望があった。


さらに続きを続けよう。
そして、ぼくはここバリ島はインドネシアにいて、前にも何度も書いたことだけど、しみじみにシミジミに実感し、かつ感謝するのは、円の強さです。円高です。日本国の経済力です。
ぼくは疑いようもなく、その恩恵を受けまくっている。円高万歳!円高さまさま。日本の経済力ばんざい!日本の企業人、労働者、とにかく日本の経済力に貢献している日本人のみんな、ありがとう!と言わざるをえない。どれほど助かっているか。
そして、ぼくは、まぎれもなく、日本人の一員として、日本国の経済力という恩恵を共有しているのです。そこに明確な区切りがある。それはもっとブレイクダウンして見て行けば、日本で働くという権利です。それを保持している者同士で利益を共有している。まぎれもなく。

この恩恵を手放したくないおれは、日本国の「国力」が落ちないことを願う。
国力とは、経済力、円の強さだ。俺的にいえばそうなる。
経済戦争とはよく言ったもので、たとえば円が強ければ、外国のものをガツガツ買う事ができるのですぞ。たぶん一番いいのは土地を抑えることである。日本がスーパー経済大国になってハワイ諸島を買って欲しい、それがぼくの希望だ。そしたら、住民票を移すだけでハワイに住めるのだ。波乗り万歳なのだ。

この国家という枠で囲まれた利益の共有団体を、徐々にばらしていったらどうなるか。
そういう実験がこれから始まるだろう。為政者たちは国単位で戦いたいだろう。だが、もう古いだろう。
国際企業というものもあるが、これはあまりに富が集中しすぎている。もっとネットワークが複雑になれば、富をシャアするネットワークが複雑になれば、すなわち国家の枠が無形化していくことになるだろう。

なんかもう適当になってきた。また明日考えます!

5/17/2012

なぜ自宅ではだめなのか

いまダンキンドーナツに来ている。仕事をしにきたのだ。
しかし。なぜ自宅では仕事に集中できないのだろう。
なぜなのだろう。

今のところに引っ越してから、近くにカフェがないので自宅で仕事をするようになった。
2ヶ月前くらいだ。やってみると、できるじゃない!ということで、朝起きてからすぐ2−3時間集中することができるようになった。なんだ、要は集中力次第なんだよね。と。

ところが、ここ一週間ばかり、自宅で仕事をしてても時間ばかりが過ぎて、全然進んでいない事に気づく。これはいけない、ということで今日は速攻でマックとともに家を離れ、カフェを目指した。
そして、いまダンキンドーナツ。なるほど、家よりは仕事モードになって、それなりに進み出した。

しかし、なぜ、自宅ではだめなのか。それとも、ただ「飽き」が来るとだめだということなのかもしれない。つまり、カフェも毎日通っていれば自宅化してしまうのかもしれない。とにかく、いま、自宅ではどうにも気が散る、という状況に陥っていることがわかったので、当面は外で仕事をすることにする。

さてバリ島である。窓からふと空を見上げると、凧が2つ、そよいでいる。青空と雲を背景に、ぞぞぞぞぞーっと空を泳いでいる。よくみると向こうのほうにも凧が。すっかり見慣れてしまったが、これがバリの風景である。よく考えれば、優雅なものだ。孤独なフリーランス、このバリの油断した感じにけっこう助けられてなんとか保っているのかもしれない。来月を乗り切れば祝一周年になる。

ところで。200本を達成した。いつのまにか翻訳した記事が200本を超えていた。なかなかだね、これは。ちょっとご褒美ありなんじゃない?ということで、こんどサーフパンツを新調することにしよう。高いけどブランドものに手を出しちゃおうかな。ビラボーン、リップカール、クイックシルバーだ。


とはいえ、バリではおれは金持ちの部類に入る。日本人というだけで金持ちなのだ。
おれの微々たる収入でさえ、日本にいればワーキングプアと呼ばれであろう収入でさえ、インドネシアでは高給取りの部類に入ってしまう。現地の人から金持ちという目で見られるたびに、なんか納得いかない感が漫然とある。ちがうって、おれ貧乏だって、日本人としては!と力説したところで、Macを持ち歩き、エアコンのある部屋に住んでいる俺はどっから見ても金持ちの方に入るのだ。

そういう矛盾感を味わうことになろうとは思わなかった。これもまた、アジアに住んでみる、という実験の成果のひとつだろう。住まなければ、現地人の友達などができなければ味わうことはなかっただろう気持ちだ。割と大切に思っている現地人の友達が就職活動で苦労している。もうすぐお金がなくなると慌てふためいている。就職が決まるまでの生活費をおれが出してやることだって不可能ではないのだ。それは好意になるのだろうか?それとも札束にモノを言わせる暴力的な行為なのだろうか。

たとえば、昨日、こういう会話があった。
日本人たちと楽しく飲んでいると、takaは最近出会いあった?と聞かれた。
それで、ないこともないよ、かわいい現地人と何人か知り合ったよ、と言う。
すると「もう親が病気になった?」と笑いながら聞かれた。
つまり、こういうことだ。そういうケースがたくさんあるということだ。
つまり、現地人の美女と知り合う。うれしになってつき合う、するとしばらくすると、その子の親が病気になったと言われる。治療費に何十万もかかる、どうしよう。
どうだろうか、愛する彼女からそう言われたら、男なら金を出すだろう。払えない額ではないならなおさらだ。だが果たして、それは嘘なのだ。家族ぐるみで日本人をだますのだ。親からお礼の電話がかかってくることさえあるそうだ。そういう詐欺めいた話がわんさかあるのがここインドネシアなのだ。そんな実話をもううんざりするほど聞いた。

もちろん、そんなことをする人は一部だろう。それはインドネシアの名誉のために言っておかなければならない。まともな女の子もたくさんいる。しかし、見過ごせないほどたくさんいることもまた事実なのだ。油断していれば自分もいずれそんなケースに当たるだろう、というくらいには。

日本だって「玉の輿」という立派な言葉がある。
簡単に言えば、金持ちと結婚する、ということだろう。それが人生の成功だ、ということだろう。
インドネシアにいると、自分が玉の輿に乗られる側になるのだ。そのことにびっくりしているのだ。
まさかぼくが、逆玉に乗る事はあっても乗られる側に回るとは露ほども思わなかった。この甲斐性なしのおれが。玉の輿の「輿」になれるのだ。

いっそ輿になって、稼ぐ夫としてインドネシアで生きるのもありかな、とちらっと思う。
いまの経済格差がすぐには埋まらないという前提が必要だが、その前提にたてば、ここではおれは稼ぐ夫になれるのだ。あんたの稼ぎが少ないせいで、と日夜責められながら日本でダメ夫に甘んじるよりはよっぽど精神衛生上ましな人生が送れるだろう。

ノマドワーキングは、そこまでの可能性をおれにカイマ見せている。
オフィスを離れて自由にお仕事、などという甘い話ではないのだ。
アジアに住んで、玉の輿に乗られるのもありかも、というヘビーな可能性までをも開いたのだった。

ごぶさたマガジン

その昔、5時サタマガジンという名古屋ローカルの番組がありました。
それだけです。

さて。書く事ほんとないよねー。今日もお昼は仕事して、夕方サーフィンして、夜はご飯におよばれして久々に酔っぱらって芸などして、そんでいま。んー。しかし。

最近日本ではノマドという言葉が流行しているという。
そういうおれも最初はバリ島でノマドワークと銘打っていた。

しかし、自分がやってることがノマドという語感にしっくりこないので、使わなくなった。
別にノマドなんて言わなくてもちょっと前はSOHOという言葉もあった。簡単にいえば自宅勤務なのであり、ただのフリーランスなだけだ。

で、いまバリ島にいる。もっと産業や文化がある場所に住みたいな、と不満を覚えつつも、なんとなくまだ居る。それはサーフィンがあるからだと思う。
今日は、いつもと違うポイント、レギャンに行ってみた。なにやらざわついている。と思ったら、波が上がっていた!うまいローカル達がいっせいに出て来ているのだ。海が混んでいる。その光景を眺めながら、バリは本当にサーファーパラダイスなんだなあ、としみじみした。見渡す限り、50人以上のサーファーが海に入っている。それは識別できる範囲での見渡しなので、もっと向こうのほうまで数えると、200人以上は入っているだろう。たぶん今、この瞬間、バリ島全体では300人くらいのサーファーが海に入ってるんじゃないかな。もちろん、ローカルなんてサーファーということばがはがゆいくらいに海に受け込んでいる。もう当然中の当然、といった風情で小学生くらいのこどもがビュンビュン波に乗っている。学校帰りにちょっと、という感じだ。

波乗りの話題しかなくて申し訳ないが、バリはもうサーフィンだけでいいじゃないか、と思った。バリに来て何をした?サーフィンしかしてません。それでいいじゃない。外国人の友達できた?できてません。語学習得した?してません。なにがいい出会いあった?ありません。ただ、波乗りだけはわずかずつ、本当にわずかづつ上達しているのだ。それでいいじゃないか。

となんとなくあきらめに似た気持ちで海を眺めた後、波のまにまに走っていった。

5/13/2012

kokoronomoto

そうそう、この前話したオカマがいる食堂での話。
オカちゃんが、「ココロノモト」という歌を知ってるか?と聞いてくる。
おれは知らない、と言う。
なんでも日本の歌だそうで、インドネシアではみんな知ってるという。
んー?知らないぞ。。
で「こころのもと」ってどういう意味か?と聞いてくる。
んーそんな題名ってちょっとおかしいな、もしかして「こころのとも」じゃないの?と聞いてみる。
心の友なら、歌の題名として充分ありえる。

でも、オカちゃん、近くに居たインドネシア人何人かに相談して、やっぱり「こころのもと」だと言う。

そうか。。それなら、とぼくは考えて答えた。
ココロ=heart(ハート)だ。
モト=source OR base 、もしくはcenterだ。
だから、ぼくが訳すなら、cneter of heart かな、と答えておいた。

そして、次の日、いきつけの餃子屋で、店のバリ人の女の子に「ココロノモト」っていう歌知ってる?と聞いたところ、イエス!ということだった。ほんとだ、みんな知ってる。。。

そして、Youtubeでいろいろ検索してわかったことは、それはやっぱり「心の友」だったということだ。

この歌は、五輪真弓の歌で、2005年のスマトラ沖大地震のときに応援歌として、彼女がインドネシアで歌った歌だという。

オカマのオカちゃんは、この歌をかたことの日本語で、歌ってくれた。

そして、youtubeでこの歌を聴きながら、ぼくは「インドネシア人とは仲良くなれる」という確信が芽生えた。この歌の心揺さぶられる人たちとなら、きっと心を通じ合えるだろう。

歌ってなんだか、すごいね。

5/12/2012

雨が降っている

いま雨が降っています。乾期に入って久しぶりの本格的な雨です。

前回はちょっと殊勝なことを書いた。経済格差のこと。あれから、もっと前向きに考えてもいいんじゃないかって思ったりした。つまり、国間の経済格差を必ずしも悪というわけではなく、世界がうごめいていくひとつの諸相というだけの話かもしれないし、人類に何らかの学びをもたらす機会なのかもしれんないし、そもそも世界はそうなっている中で一個人のおれとしては、短い人生をせいいっぱい楽しみたいだけなのだから。世界経済はさながら実験中なのですから。あのシステムは失敗だったね、と世界規模での反省が生まれても何ら不思議はないのです。一国の単位で言えば、旧ソ連をはじめ、いくらでも失敗事例はあるのです。日本帝国だって失敗の一例でしょう。

まあいいや。そういう大きな話はそこそこで。いま雨が降って来たのです。
昨日はいつもいくポイント、クタのマクドナルド前がダンパーだったので、レギャンビーチのほうへ移動してサーフィンしてみた。(ダンパーとは、波がバシャーンと一気に崩れてしまうこと。波乗りしにくい)
レギャンの波はよかった。そこそこのうねりがばんばん入って来て人も少なかった。
もうまっすぐは滑れるようになったので、横にいく練習をする。でもどうしてもまっすぐいっちゃう。難しい。この、横に行く、というのがサーフィン初心者のひとつの壁になっていて、これを超えるとサーフィンやめられなくなる、上級者は口をそろえる。ぼくはこのバリで、この壁を越えてやろうと思っている。それまではバリにいる!という覚悟です。というか、乾期でクタの波がいい9月までにはなんとか。

そして、やはりそこそこのいい波に乗れると気分もよくなる。機嫌が波で左右されはじめた。さながら、阪神ファンのようだ。バリの後、どこへ行こう。いろいろなところへ滞在してみたいけど、波乗りができる場所につい限定しようとする自分がいる。しかし、それではあまりに限定されすぎる。

波乗りは、本当にありがとう。と思う。この究極のインドア派と友達に揶揄されてきたこのおれが、すっかりアウトドア派になっているからだ。もちろん、あいかわらずの出不精で、毎日同じ場所にしか行かない。それも涼しくなる夕方しかいかない。とてもアクティブなサーファーなどではない。でも、それでも、このおれが毎日外で運動しているという脅威。といってもまだ毎日やりだしたのはここ2ヶ月。いつ飽きるかわからないのだ俺だ。

だから、運動が苦手というひとには、サーフィンをおススメする。これは、前から言っているとおり、土手の芝生を段ボールに乗っかってすべる、あの快感であり、海とサーフィボードがあればできる。他のスポーツができなかったという人こそ、やってみてほしい。といいつつ、来年飽きているかもしれないのが俺だ。(こればっかり)

このまえ、ふと見かけたワルン(食堂)にご飯をたべにいったら、おかまがやってるワルンだった。どうも愛想がいいな、と思っていたらおかまだった。お客もおかまが集まっていた。おかまは世界共通、おしゃれで楽しげだ。お昼ご飯をたべにいったつもりが、気がつけば4時過ぎまでいてしまった。というのも、おれが帰ろうとすると、「あんた、どこ行くのよ!ここ座りなさいよ!」と言うのである。その希薄に飲み込まれて、乳首をつねられたり、顔をぷるぷるされたりに身を任せるしかなかったのである。

そして、おかまが年齢を聞いてきたから、ヒミツ、と言うと。んーっとおれの顔をじっくりじっくり観察して、1歳しかちがわない年齢を言い当てた!びっくり。ここまでジャストに当てられることは今までなかった。なんでわかった??と聞くと、目の下のしわでわかるわ、的なことを言っていた。わたしは年齢、ずばり当てられるのよ、ふん、みたいに言っていた。

そのおかま自体が年齢不詳、24、5歳かなと思っていたら、もうおかまバーで10年以上働いている的なことを言っていた。というか、おかま、おしゃれ。インドネシア人の私服はどうもダサイなと思っていたが、おかまは別。予算をかけずにきちんとおしゃれしている。そして楽しげ。この楽しげ、幸せ微笑みもれちゃう的な存在感は何なんだろうか。悩みがないはずはないのだが。。じっくりつきあってみたいと思った。

そして、あなたはゲイなの?と聞かれたので、「Not gay(ゲイじゃない)」と答えると、おかまは「Not Yet?(まだゲイじゃない)」とわざと聞き間違いをして、周りを爆笑させていた。あーギャグセンスも兼ね備えて、すごいな、このひとたち。

バリライフも8ヶ月目に入る。今一番行きたいところは、おかまバーなのである。

5/09/2012

経済格差って?くらくら

経済格差にくらくらしますね。バリ島はそれでもアジアでは物価は高い方で、タイやベトナムなんかに比べたらそんなに激安感はない。でも、日本との経済格差はばっちりある。ぼくぼくは日夜どぎまぎしている。

たとえば、こんな会話があった。
ジャワ島からバリに出稼ぎにきていたインドネシア人が、ジャワに帰るという。バリで仕事をしようと思ったが、うまくいかなかったようだ。また元の自動車修理工に戻るつもりだという。
おれが、そうか〜、もう帰っちゃうか、それは残念だね、的な言葉をかけていると、もう一人のインドネシア人がやってきておれにこういった。「おまえが雇ってあげられないのか」と。

おれは、もちろん速攻で否定した。むりむりむりむり、そんなおれひとりでもサバイバルなのに、誰かを雇うなんて、むりむりに決まってんじゃん。と苦笑いとヘツライでへらへらしながら答えた。
でも、そのインドネシア君は笑っていない。そして「無理なはずはない、日本人だからいっぱい稼いでいるはずだ」と言う。完全に真顔だった。おれは絶句してことばがでなくなってしまった。

たしかに。。たぶん雇えないことはない。ちなみに、後で聞いてみたところ、ジャワ島で自動車修理は月収が約9千円だという。9千円。雇えないことはない。
彼がおれの本当の心の友で、ぜったいバリに引き止めたいと思ったら、おれの手伝いをしてくれ、月に2万円払おう、と言えないことはない。言えない事は決してないのだ。だからぼくは黙るしかなかった。

これが経済格差というものか。。彼がとりわけ無能なわけはない。それがジャワ島での相場なのだ。
他にも、ジャワ島で外資系大企業に勤めているというエリートサラリーマンにも会った。インドネシア人だ。月収が4万円らしい。それは、ジャワ島では結構いい給料に入るのだ。話してみると、なるほど、頭がいい。英語もぺらぺら、日本のこともよく知っている。たぶん日本にいたら、エリート街道を普通に進んでいく人材だろう。それが20代後半で、月収4万円。これが経済格差。
もちろん、そのぶんインドネシアは物価も安い。4万円でアパートも借りてご飯も食べる事ができるはずだ。しかし、国際線の飛行機などおいそれとはのれない。おれがいろんな国を旅行したと言ってたら、じっと前を見つめていた。たぶん、自分も行けたらいいのに、と悔しい気持ちになったのだろう。君と俺とで何が違う?もしかすると、この日本人よりおれのほうが優秀なんじゃないか?そう思ってもおかしくはないし、事実そうかもしれない。それでも、国籍が違うというだけで、この可処分所得の歴然とした差が横たわる。

おれは経済格差を利用してのんびりさせてもらっている部類に入る訳で、そんなおれからみても、これはどうにもおかしい。システムとしておかしい。為替ってなんか詐欺の匂いがするぜ。

おれなんかが、日本円の札ビラもってバリで金持ちやってちゃ本当はいけないと思う。人間界のシステムとして、それは良いシステムではないと思う。でも、おれはそれができるのを知ってしまっているから、それを公使し、それを享受している。欲のためにだ。

なんとなく、先進国の人間は、日本の働き手は優秀で、経済格差のぶんだけアジアの働き手より優秀だ、なんて思ってたら大間違い。インドネシアの頭がいい子たちは普通に頭がいいよ。英語もぺらぺらだよ。ただ、国をまたいだ労働許可がとりにくい、という一点によって既得権益化しているようにも見える。我々だ。いやさ、そういう国づくりを先代、先先代から連綿と受け継いでやってきた、日本人集合としての積み上げがあるのだ、と言う事はできるだろう。その主張は正当でもあるだろう。

でもね、彼らの優秀さは日本人と別に遜色ない。でも5倍の所得格差。金融システムはつながってるから、その格差はきちんと格差として機能するのだ。つまり、おれは日本円もってきて、インドネシアで使えるのだ。彼らの一ヶ月の給料分をホテル1泊+ちょっと贅沢ディナーで消費することだってできるのだ。想像してみてくれ、たとえば新進気鋭の中国の金持ちが日本にやってきて、100万円単位でぼこぼこ買い物して、キャバクラでキャバ嬢達に30万円くらいのチップをがんがんはずんでいたら、どういう気持ちになるだろうか。そして、ちなみに月収は?と聞くと、一千万円くらいかな、とさらっと答えたら。そして、そんな若造どもが大挙して訪れたらどうだろうか。

もうやってられなくなるか、なんとかしてあの金をかすめとれないかって画策することだろう。

そういうのをぼくらは体験していない。ぼくらの世代以下の日本人は。経済大国以降の日本人はね。

かといって、別になんらかの結論や反省を出そうというわけじゃないけど、とにかくそうなっていて、そうなっている物同士が出会ったり、だましだまされたり、友達になったり、嫉妬したり、バカにしたり、恋愛したり、しているのだ。

ただ、それだけを言いたかったのだ。

5/07/2012

そんなに俺といるのがうれしいのか


ちょっとノロケなど書いてみる。

今日も、こどもが遊びにきた。
最近、仕事があるといって断ることも多かったせいか、日課のようだったお昼のドアノックがなくなっていた。で、今日、久しぶりにドアががちゃがちゃと言った。絶賛仕事中だったので、ちょっとしたイラズら気分ならほっとこうと思って、無視して仕事を続けた。でも、間を置いて2度三度とアプローチがあったので、玄関に出てみた。こども(3歳)が立っていた。そして、いつのものように、少しバツが悪そうな顔をした。

しかし、数秒くらいで復活して、お絵描きがしたい、と言う。いいよ、と言うと部屋の中にどんどこ入ってきた。おれは買ってあったのだ。こども用のお絵描きノートを。しめしめということで、それを差し出す。
そんなこんなでお絵描きしたり、ミニカーを持って来て一緒に遊んだりしていた。

おれは適当に仕事したり、遊ぶにつきあったり、口だけのおざなりな返事を返したりしながら、なんとなく一緒に時を過ごした。

こどもは床でミニカーで遊んでいる。そして、おれにそばへ座れ、と言う。充分近くに座っているのだが、もっと近くのすぐとなりに座れと言う。言うとおりにする。
ぼくは指定された場所にごろんと横になった。するとこどもはなんとなく側によってきて、おれのお腹あありに背中をぴとっとくっつけた。そして、そのままミニカーで遊んでいた。

そして、こどもが、だんだんだんだんうれしそうな顔になっていくのを眺めていた。それは、密やかなはにかみを伴った、静けさのある日曜の昼下がり的なよろこびだった。

ああ、なぜかそれは涙が出てくるような気分になった。ああ、幸せだ。このような幸せがかつて遠い昔にあった気がする。誰かと一緒にして、シーンとしていてあたたかくて、時間が止まっているような時間。とにかく誰かと一緒にいて、誰かと一緒にいるだけのことをしている時間。そんな時間をかつて十二分に楽しんでいた。そんな記憶な気になった。

自分でいうのはあれなんだけどね、こどもはおれといることがほんとうにうれしそうだった。

もちろん、10分もすると気が散ったようで、もうあっちへ行っていい的なインストラクションがあったので、そそくさと仕事へ戻る。そんなこんなをしていると、親が呼びに来た。お出かけをするそうだ。

そんな午後を過ごした後、今日も波乗りへ。しかし、今日波がぜんぜん悪かった。でかすぎて乗れない。
サンセットもいまいちで、しかたがないのでヤジ汁を食べに行った。これはうまい。クセになる。

そんなこんなで一日が終わっていってしまう。何にもしてない気分。

そうこうしていると、友達から、ブログ久しぶりだね、とのメールが届く。
読者がひとりでもいる限り、がんばって書きますので、ひとつヨロシク。

5/06/2012

かわりばえしない

ブログおひさだね。生活に代わり映えがなくてね。
そういえば、この前、友達がビーチで寝るんだ、というからつきあって寝てみました。
夜の10時くらい、砂浜をとぼとぼと歩いて静かなエリアを探す。なかなかよい場所が見つかり、そこに寝転がりビールなど飲みかわす。女の話などしながら、蚊を追い払いながら、星の話なんかもちょっとしながら、いつしか眠りについた。

すると、ぴかー!突然ライトに照らされた。目をこすって顔をあげると、ホテルの警備員らしきが5人くらい集まってきてなんか言ってる。どうやらここはだめ、あっちへ行け、らしきことを言ってる。ライトに照らされたままで寝る訳にいかないので、とぼとぼと退散する。そして、こんどは警備員が来なそうなエリアに腰を据え直す。おしっこなどしてから速攻で寝る。すると。。。どれくらい時間がたっただろうか、顔に何かが当たる。また当たる。んんっということで目が覚めると、雨が降っていた。

雨だぜ、ということで屋根のあるところへ退散。寒い。もう朝の5時だ。でもまだ夜明け前。サンライズくらい見たかったね、と残念がりながら家路についたのでした。まあ、野宿第1回目、失敗!でした。残念!でもぜんぜん眠れなかったけど、またチャレンジしたいなと思った。なんか不思議な感じがあった。こんどは一人でいってみようかな。

最近、ヨーロッパ人とたまに知り合いになって話すが、誰もぼくよりはしっかりと生活している。つまり、ちゃんとお勤めしていたり、自分の会社をやってたり、そしてみんな結構若い。んー。ヨーロッパ人にも「君は自由でいいね」などと言われて、ちっとも喜べなかった。なんか怖くなった。なんかとんでもなく危ない状況に自分がいるのではないか、とふと目を下の向けたら奈落の底の上の吊り橋を渡っていたけど、吊り橋の先の方が霧で見えないんだけどどうやら壊れているっぽい、みたいな気分になったりした。

腕じゅうに入れ墨を入れているオランダ人デザイナーのサーファーから、毎日サーフィンなんてうらやましいよ、などと言われて、かなり「ええ〜」と思う。やっぱまずいですかね?
おれやっぱ、やばい方向いってますよね?と思わず人生相談モードになってしまった。なぜなら、おまえらヨーロッパ人こそが、目指すべきライフスタイルを体現しているはずだったのだ。自由で好きな事を追求しながら、ちゃんと生きる、そっちへ行きたかった。日本よりはそういう奴がヨーロッパには多い、そう思っていたから、ヨーロッパ人に会うと、どこか「先輩」という気持ちで接してきた。日本人ももうすぐ君たちみたいに自由になるんだよ、って。

でも、けっこうちゃんとしてる。いや、ある意味、そここそが妥当で理想ラインなのかもしれない。おれはどこか、妄想が行き過ぎてしまっていたのかもしれない。やばい、もっとちゃんとしよう、と気持ちがギュッとなった。

でも、大局的に見れば割合的、程度的な違いがあれど、日本もヨーロッパも、30代男の悩み方は共通している。どんな人生相談もお互いにすぐわかりあってしまった。もっとやりがいのある仕事をしたい、結婚してなければいつ誰と結婚するか、もうそれだけだろう。奥さん、子ども、みたいなのは以外と話題に出てこない。家庭の悩みがないわけはないので話題に出せないだけなのかもしれない。


社会が複雑だからこそ、ぼくは今の仕事ができている。
日本社会が充分に複雑だからこそ、ぼくはライフハッカーの翻訳などというニッチな仕事がもらえているのだ。単純な社会なら、何をもって複雑/単純というかいま定義すべきだろうが、いろんな種類の仕事がある、という意味での複雑さだ。それはつまり、人々がいろいろな活動を享受している、人々の生活/活動に多様性がある、人それぞれ思い思いの生活を送っている、ということを意味すると思う。

単純な社会、たとえばどういう社会が単純なのかわからないが、まあ例えば40年前の日本なら、ぼくはどこかの企業で一生勤め上げる以外の選択肢があったかどうか、疑わしい限りだ。それがいつのまにか、いろいろあっていいじゃない?っていう社会になってきた。すっかりなったのだ。もっとなってくれればもっと生きやすいだろうと思う。ぼくは、ね。

人の活動がもっと個人的で複雑で繊細で豊かなものになっていけば、たぶんぼくはより生き延びやすくなるだろう。つまり、ぼくができるニッチな仕事がいっぱい発生するだろう。これが戦時中みたいにマッチョな社会構造だと、ぼく的にはつらい。体力や勤勉、根性はぼくの得意分野ではないのだ。

まあ、どっちでもいいや。またどっちでもいいこと書き始めてしまった。
そんなことより、月収100万円になりたい。そんな欲望を叶える方法を考えた方がましかもしれない。いってみたいな、月収100万円。友達でそれくらいの奴いたりするから、夢物語ではないよね。今年は金の話ばっかりしてみようかな。

5/02/2012

いましか書けないかもだから



最近よく遊んでいる団塊の世代の人と、話をしていたら、彼がこんなことを言っていた。
最近の日本の若者って物欲がないらしいね。車もいらない、なにもいらないってね。お金をどんどん稼ぎたいってのもないみたいね、と。

それを聴いた僕は、そうじゃない!と叫んだ。(もちろん心の中で)
そして、こういうことを話していました。
ぼくもその若者の端くれだとすると、欲がなくなったわけじゃないんですよ、と。

金が欲しくないわけじゃない。ただ、そのお金を得るために払う対価が、見合わないからなんですよ、と。
ここからはごく個人的なケースでお話します。
ぼくの場合、金はいつでも欲しい。買いたいものもだってある。昔の若者ように高級外車に憧れたりはしないが、機能的で生活を豊かにしてくれる製品は他にいくらでもある。いまのバリ島でも僕の生活なら、バイクを新車で買いたい。それから、Macbook AirとiPhoneが欲しい。かっこいいサーフパンツやウェットが欲しい。そして何よりも、日本や諸外国にもっと頻繁に行きたい。つまり航空チケットが欲しい。さらに言えば、バリ島で一軒家に住みたい。さらに言えば、ハワイやオーストラリアやブラジルに波乗りツアーできるだけの予算が欲しい。さらに言えば、毎晩もっとお金をつかってうまいもの食ったり、遊んだりしたい。

おっとこう書いてみると、普通の従来型の物欲だな、これは。。

ぼくがいいたいのは、ここから。ひと昔前の日本、景気がよかった日本であれば、この物欲を満たすためにはもっとがんばって働けばいい、ということだったのだと思います。一生懸命働けばそのぶん確実に報われる。体感的にもそうだし、社会全体がなんだかそういうムードで盛り上がっている、ということだったのだと思います。

ひるがえって今は、なんだか、大変そうだなあ、というのが先に立つ。これだけの物欲を満たすためには、いったいどれくらい残業すればいいのか。。どれくらいのストレスを我慢して働けばいいのか、っていう風に考えちゃうというかね。そこまでつらい思いしてまで、それ欲しいのか?と考えると、そこまでじゃないわ、ということなんだと思います。ぼくなんかはそうでした。

残業してまで欲しいものなんて、ないわ、と。だったら生活レベルはそこそこにしておいて、楽な方がいいや、という感じ。楽というと語弊があるでしょう。楽な仕事なんてそうはありません。しんど過ぎないほうがいいわ、ということね。ハワイ行ったって、高級マンション住んだって、毎日へとへとのストレスで胃腸キリキリしてたら意味ないよね、という感じといいましょうか。そんなふうによく思っていたように思います。

で、どうしてもストレスを抱えてしまう仕事はうまく最低限のダメージで乗り切って、あとは最低限のお金とあまった時間でそこそこ生活できればそっちのほうがいい、などという、縮小均衡的な発想でいたように思います。

そういうぼくをみて、団塊の人たちは、なんで?という顔をしていたように思います。欲しいものないの?家族はいらないの?若いんだからもっとがんばんなよ!もったいない!という感じでしょうか。

ぼくもそれを聴きながら、たしかになあ、とは思っているんです。そのとおり、まだ若いんだからがんばれるし何でもできるんだよな、本当は、と。でも体が動かないというか、どうしても自分の動きがそういうふうにはならないわけです。なんでかなあ、って自分でも疑問に感じていました。

そしてひたすら活動を停滞させてしまうのです。それはある意味、お金を使わないためでもありますし、単に「ダルい」からでもあります。


ところが、前も書きましたが、バリに来てから物欲の再来に見舞われています。
ああ、お金が欲しい。お金があればあれもできる、これもできる、というわけです。
それはなぜか?ズバリ、日本より物価が安いからだと思います。

たとえばすてきな庭付き一軒家に住みたい。それも割と都会の便利なところに住みたい。日本ではもう僕は完全にあきらめていました。何千万もかかります。ぼくのワーキングスタイルではローンだって組めないでしょう。でも、バリ島なら年間50万円でそれが手に入るのです。月にならすと4万円です。ね。どうですか?これなら欲しくなりますよね?悲しいかな、その50万円が払えないからアジアに出て来たようなものなんですが、まだ日本の金銭感覚が残っているから、え?月4万で素敵な一軒家借りられるの?だったらそっちがいいよ〜となるわけです。

それから。食べ物だってバリは安い。日本の半額以下の感じ。おいしいステーキだって500円くらい。日本で毎日のように300円の牛丼ですませていたのは、どうせ500円出したってたいしたものは食えない、と思っていたからです。食うだけのメシに1000円出すくらいなら、300円にして本でも買おうか、てなものです。ところが、ここでは500円だせば寿司だって食える。だったらやっぱそっちがいいな!となるわけです。

若干、物欲バランスが変わってきた。

あれ?なんかまとまりが悪くなってきたぞ。。
うーん。。

あ、そうだ、だからといってぼくは仕事をさらにガツガツやってお金を稼いで家を借りたい、とまでは至っていないんだった。
ということで、いま、論理が破綻しました。ので、話題を少しかえます。



簡単に言ってしまえば、欲と不安、それだけです。大変なのは。
欲と不安に突き動かされて何かをするのはしんどいよね、でもほとんどそうじゃない?
いまの日本などは、物欲より不安に突き動かされて右往左往してるというのが実態なんじゃないかな。
おれも「あんた将来どうすんの?」の一言で一気にダメな気持ちになります。体の力が抜けてしまう。



そんな話をしていたら、団塊氏は言いました。
あんたまだまだ若いんだから、そんな先のこと心配してないで、今メシが食えてるならもっといろんな体験をして、いろんなこと考えられるようになったほうがいいよ、あんたの発想はまだまだ狭い範囲でしかないんだよ、もっとやったこともないことやってみたほうがいいよ、というようなことを。


そういう言葉を都合良く採取しながら、なんとか生きてます。



追伸:
たぶんね、本当に書くべきなのは、仕事のことなんだよね。
ぼくが今のフリーランスの仕事にかわって、感じ方が変わってきたところがあるはずなんだけど、それを言語化するのがなんかむづかしい。
断片的なことを言えば、ストレスが激減した。いままでどんだけストレスあったのか、というと、それほどでもなくて、普通にお勤めしている人が普通に感じるストレスぐらいだとおもうけど。でも今はそういうのもなくなった。実はそれが一番大きいのかも。ある程度マイペースで翻訳して、最低限(バリ島で)ご飯が食える収入を得ている。そういう状況は始めてなので、まだよくわからないんだよね。
あと、ぼくの筆を鈍らしているのが、じゃあお前、今の状態を続けられるのかよ、と言われると、今の収入じゃあ日本で生活できないし、いつまで今の仕事があるかもわからない。だから、仕事かわってハッピーだよ!などと言える気分じゃあない。だけど、今月、来月という目でみれば、おおむね良好、とは言える感じかな。希望を感じるというか。これを基盤に、活動を拡大していけば、楽しくなってくるのかも、といううっすらとした予感。そして、それを大きく上回る不安がときたま襲ってきます。そういう感じ。まだ時間の経過が足りていないんだろう、たぶん。この感じであと丸一年生活できれば、「仕事」というものについて何かが言えるようになっているかもしれません。