暗い事ばかりを書いてきました。
たまには明るい感じで書いた方がいいよね。
といいますのは私、30歳で最初に勤めていた会社を辞めてからかれこれ10年あまり、社会へどう関わればいいのか、どう仕事をすればいいのか、どう生計をたてればいいのば、などなどに悩み続け、それが、しまいには生きるって一体なに?までいってしまったり、この社会はまやかしだ、どこかに真実がある、とばかりにスピリチュアルにどっぷりはまったり、人の好意にどっぷりおんぶされたりしながら生きてきました。
不安におののき、やさぐれ、現実から目を背けた日々があまりに長かったため、それが習い症にさえなってしまったようなのです。ですので、明るいことを書くと違和感を感じるのです。おかしい、おれがこんなに明るい展望を持つはずがない、後で足下をすくわれるぞ!と思ってしまうので、つい、暗い方、暗い方へとギアーをシフトしてしまうのです。もはやオートマチックなのです。
ところが、私もそろそろ人生の折り返し地点、暗いから助けて、とばかりも言っていられません。
なにか良き物を社会に付け加える義務さえ生じる年頃と言えるのではないでしょうか。
明るい話をしよう。
社会は人の成長に例えることができるのかもしれません。
そうするならば、日本国はいずれ死にます。
だが、それは、枠組みとしての日本国ということであり、日本人、ないしは日本列島に住む人々が死に絶えるという意味ではありません。
300年つづいた江戸幕府だって死んだのです。その枠組みは死んだ。
だが生命はつづいていくのです。そうやって社会も生命になぞらえてメタフォリカルに見て行くことができます。
江戸幕府が終わったとき、江戸に住む人々、日本列島に住んでいた人々は、一心同体で終わっていったのでしょうか。ちがいますね。ただ新しい社会をつくったのです。
江戸幕府こそ我が命、と思っていた人々、幕府一心同体的な家臣達は、幕府の終焉とともに腹を切るしかなかったのかもしれません。そうじゃない人は、諸藩統合的、士農工商平等的、海外漫遊的日本国というビジョンにわくわくしたのではないでしょうか。理解はできなくてもなにか風を感じたはずです。
いまぼくたちができることといったら、新しい風を感じてわくわくすることではないでしょうか。
これから一体何が始まるのか。明らかに、日本人全員がただ没落してくだけではないことは確かです。
かならず反作用が現れ、ダイナミックに胎動していくことでしょう。
だ、だめだ、やっぱりこんな明るいことを書くと、いけないことをしている気持ちになってくる。歯が浮くというやつです。
しかし、最低限言える事だけいうとしたら、ぼくは微風を感じています。なにか新しい風が吹き始めているようです。わずかながら、感じるのです。あ、こんどはそっちから風が吹くのか、と。
もうすぐ春ですね、恋をしてみませんか!
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