5/02/2012

いましか書けないかもだから



最近よく遊んでいる団塊の世代の人と、話をしていたら、彼がこんなことを言っていた。
最近の日本の若者って物欲がないらしいね。車もいらない、なにもいらないってね。お金をどんどん稼ぎたいってのもないみたいね、と。

それを聴いた僕は、そうじゃない!と叫んだ。(もちろん心の中で)
そして、こういうことを話していました。
ぼくもその若者の端くれだとすると、欲がなくなったわけじゃないんですよ、と。

金が欲しくないわけじゃない。ただ、そのお金を得るために払う対価が、見合わないからなんですよ、と。
ここからはごく個人的なケースでお話します。
ぼくの場合、金はいつでも欲しい。買いたいものもだってある。昔の若者ように高級外車に憧れたりはしないが、機能的で生活を豊かにしてくれる製品は他にいくらでもある。いまのバリ島でも僕の生活なら、バイクを新車で買いたい。それから、Macbook AirとiPhoneが欲しい。かっこいいサーフパンツやウェットが欲しい。そして何よりも、日本や諸外国にもっと頻繁に行きたい。つまり航空チケットが欲しい。さらに言えば、バリ島で一軒家に住みたい。さらに言えば、ハワイやオーストラリアやブラジルに波乗りツアーできるだけの予算が欲しい。さらに言えば、毎晩もっとお金をつかってうまいもの食ったり、遊んだりしたい。

おっとこう書いてみると、普通の従来型の物欲だな、これは。。

ぼくがいいたいのは、ここから。ひと昔前の日本、景気がよかった日本であれば、この物欲を満たすためにはもっとがんばって働けばいい、ということだったのだと思います。一生懸命働けばそのぶん確実に報われる。体感的にもそうだし、社会全体がなんだかそういうムードで盛り上がっている、ということだったのだと思います。

ひるがえって今は、なんだか、大変そうだなあ、というのが先に立つ。これだけの物欲を満たすためには、いったいどれくらい残業すればいいのか。。どれくらいのストレスを我慢して働けばいいのか、っていう風に考えちゃうというかね。そこまでつらい思いしてまで、それ欲しいのか?と考えると、そこまでじゃないわ、ということなんだと思います。ぼくなんかはそうでした。

残業してまで欲しいものなんて、ないわ、と。だったら生活レベルはそこそこにしておいて、楽な方がいいや、という感じ。楽というと語弊があるでしょう。楽な仕事なんてそうはありません。しんど過ぎないほうがいいわ、ということね。ハワイ行ったって、高級マンション住んだって、毎日へとへとのストレスで胃腸キリキリしてたら意味ないよね、という感じといいましょうか。そんなふうによく思っていたように思います。

で、どうしてもストレスを抱えてしまう仕事はうまく最低限のダメージで乗り切って、あとは最低限のお金とあまった時間でそこそこ生活できればそっちのほうがいい、などという、縮小均衡的な発想でいたように思います。

そういうぼくをみて、団塊の人たちは、なんで?という顔をしていたように思います。欲しいものないの?家族はいらないの?若いんだからもっとがんばんなよ!もったいない!という感じでしょうか。

ぼくもそれを聴きながら、たしかになあ、とは思っているんです。そのとおり、まだ若いんだからがんばれるし何でもできるんだよな、本当は、と。でも体が動かないというか、どうしても自分の動きがそういうふうにはならないわけです。なんでかなあ、って自分でも疑問に感じていました。

そしてひたすら活動を停滞させてしまうのです。それはある意味、お金を使わないためでもありますし、単に「ダルい」からでもあります。


ところが、前も書きましたが、バリに来てから物欲の再来に見舞われています。
ああ、お金が欲しい。お金があればあれもできる、これもできる、というわけです。
それはなぜか?ズバリ、日本より物価が安いからだと思います。

たとえばすてきな庭付き一軒家に住みたい。それも割と都会の便利なところに住みたい。日本ではもう僕は完全にあきらめていました。何千万もかかります。ぼくのワーキングスタイルではローンだって組めないでしょう。でも、バリ島なら年間50万円でそれが手に入るのです。月にならすと4万円です。ね。どうですか?これなら欲しくなりますよね?悲しいかな、その50万円が払えないからアジアに出て来たようなものなんですが、まだ日本の金銭感覚が残っているから、え?月4万で素敵な一軒家借りられるの?だったらそっちがいいよ〜となるわけです。

それから。食べ物だってバリは安い。日本の半額以下の感じ。おいしいステーキだって500円くらい。日本で毎日のように300円の牛丼ですませていたのは、どうせ500円出したってたいしたものは食えない、と思っていたからです。食うだけのメシに1000円出すくらいなら、300円にして本でも買おうか、てなものです。ところが、ここでは500円だせば寿司だって食える。だったらやっぱそっちがいいな!となるわけです。

若干、物欲バランスが変わってきた。

あれ?なんかまとまりが悪くなってきたぞ。。
うーん。。

あ、そうだ、だからといってぼくは仕事をさらにガツガツやってお金を稼いで家を借りたい、とまでは至っていないんだった。
ということで、いま、論理が破綻しました。ので、話題を少しかえます。



簡単に言ってしまえば、欲と不安、それだけです。大変なのは。
欲と不安に突き動かされて何かをするのはしんどいよね、でもほとんどそうじゃない?
いまの日本などは、物欲より不安に突き動かされて右往左往してるというのが実態なんじゃないかな。
おれも「あんた将来どうすんの?」の一言で一気にダメな気持ちになります。体の力が抜けてしまう。



そんな話をしていたら、団塊氏は言いました。
あんたまだまだ若いんだから、そんな先のこと心配してないで、今メシが食えてるならもっといろんな体験をして、いろんなこと考えられるようになったほうがいいよ、あんたの発想はまだまだ狭い範囲でしかないんだよ、もっとやったこともないことやってみたほうがいいよ、というようなことを。


そういう言葉を都合良く採取しながら、なんとか生きてます。



追伸:
たぶんね、本当に書くべきなのは、仕事のことなんだよね。
ぼくが今のフリーランスの仕事にかわって、感じ方が変わってきたところがあるはずなんだけど、それを言語化するのがなんかむづかしい。
断片的なことを言えば、ストレスが激減した。いままでどんだけストレスあったのか、というと、それほどでもなくて、普通にお勤めしている人が普通に感じるストレスぐらいだとおもうけど。でも今はそういうのもなくなった。実はそれが一番大きいのかも。ある程度マイペースで翻訳して、最低限(バリ島で)ご飯が食える収入を得ている。そういう状況は始めてなので、まだよくわからないんだよね。
あと、ぼくの筆を鈍らしているのが、じゃあお前、今の状態を続けられるのかよ、と言われると、今の収入じゃあ日本で生活できないし、いつまで今の仕事があるかもわからない。だから、仕事かわってハッピーだよ!などと言える気分じゃあない。だけど、今月、来月という目でみれば、おおむね良好、とは言える感じかな。希望を感じるというか。これを基盤に、活動を拡大していけば、楽しくなってくるのかも、といううっすらとした予感。そして、それを大きく上回る不安がときたま襲ってきます。そういう感じ。まだ時間の経過が足りていないんだろう、たぶん。この感じであと丸一年生活できれば、「仕事」というものについて何かが言えるようになっているかもしれません。

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