3/24/2013

犬に追いかけられTrueMoveしてオフィスにいる




今日は、朝から洗濯をした。そのあいだに少し近所を散歩してみた。思えば、ここに住んで数ヶ月、オフィスへの往復ばかりで意外と近所を歩いていない。いつもいく屋台ストリートの奥へと進んでみた。ふむふむ、日曜で車も通らず、静かでいい感じだ。緑もある。すこし行くと、芸能関係の社長宅といわれる大豪邸がある。生け垣でぐるっとなってて中が見えないが、すごい門構えだ。もう少しいくと、最近できたばかりのコンドミニアムが建っている。たぶん2LDKくらいで20万/月くらいする感じだろう。

ふむふむ、バンコクもすごいよね、と歩いていたら、赤ん坊が道ばたに立っている。ゴミ捨て場でゴミ袋とたわむれている。おいおい、なんでここに赤ん坊いるんだよ、と思う。おむつの赤ん坊だ。

あれあれ、と見に行くと、あ!家があった! ゴミ捨て場のすぐ脇の空き地に、バラックでつくられた家らしきものが2、3軒見えた。ビニールシートの屋根で壁がない感じの家だ。住人たちが座ってくつろいでいた。赤ん坊の母親らしき人もいて、ゴミを拾っているようだった。

ほぼホームレス、という感じか。日本でもホームレスの人は見かけるが、赤ん坊ははじめて見たので、ちょっと驚く。

もう少し奥まで行ってみよう、ずんずん歩いていくと、犬がめっちゃ吠えて来た。家の敷地の中からだ。なんだか怖い。さらに進んでいくと、道の向こうに一匹の犬がじっとこちらを見ていた。ずーーっと見ている。若干不穏な空気がでているので、念のため棒切れを探す。でかいエンドウ豆のカラみたいなのが落ちていた。50センチくらいか。結構かたい。いざとなれば武器にはなるだろう。エンドウを持ってさらに歩いていくと、、、突然新しい犬がとびだしてきて、ガウガウガウガウと吠え出した。そして3匹くらいで向かってくるではないか!やべえ、ぼくはすぐにきびすを返した。走ると追いかけられそうなので、たまに棒を振りかざしてメンチを切りながら、早足で歩き去ろうとする。しかし、着いて来る。わんわん言いながらついてくる。。じゃっかん冷や汗がでる。近くに人もいない。百メートルほど歩くころには犬は追いかけてこなくなっていた。

彼らなわばりだったのだろう。知らない人間に警戒したのだ。ということは、ここは、知らない人間はめったに通らない道なのだろう。百メートル歩けば渋滞するほどの目抜き通りだ。なんだか不思議な気持ちなった。

そして、携帯のキャリアを乗り換えたので、その設定をしてもらいにいった。TOTというキャリアからTrueMoveに乗り換えたのだ。
理由は、TOTの電波が悪いことと、後払いしか選べないことだ。そのせいで偉い目にあった。まあ少しぐらい超過料金払ってもいいやと思ってiPhoneでYOUTUBEみたりしていたら、目ん玉とびでるくらいの金額が請求されたのだ。といっても月一万円くらいだが。基本料金が千円だったから、あまりの差額にびびった。せめて3千円くらいで着地すると思っていた。。

そこで、急遽、プリペイドが選べる回線に切り替えたのだ。これなら安心だ。使い過ぎても、ネットが使えなくなるだけだ。また入金すればその分だけ使えある。シンプルである。しかも、WiFi無制限のプランがあったのでそれを選ぶ。
3G通信は2Gまで、WiFiは無制限、音声通話は200分で、月に2100円だ。まあ悪くない。

WiFiは、Trueカフェと呼ばれる直営のカフェが市内いたるところにあるので、そこで使える。あと、大きなショッピングビルならたいていTrueもWiFiが飛んでいる。これは便利だ。あと、日本に帰ったときは止めておけるし、便利だ。

そして、今日はなんとなくオフィスに行きたくない、観光でも出掛けようかと思ったが、とりあえず2時間くらいは仕事するか、と思ってオフィスに来た。こういうフレキシブルさはやっぱりいいね。

だが、やはり日曜日は日曜らしく、休暇を過ごした方がいい気もするな!









3/21/2013

暑いけど風がある


今朝、起きて、オフィスへ向かうとき、風が吹いてきた。
いま、バンコクは夏に向かうところで、日増しに暑くなっている。
昼間などは頭がぼーっとなってくる。
この先、いったいどうなるんだ?と思っていたが、朝方、風が吹くようになった。

前から吹いていたのかもしれないが、朝、オフィスに向かって歩き出すと、まず、排気ガスの臭いがむわああっと漂ってくる。うへー臭い、と顔をしかめるも、この道を歩いていくしかない。

タイ人たちも耐えかねるようにで、女の人などは口にハンカチをあてていたりする。
そういえば、タイ人の女性は、モタサイ、つまり、バイクタクシーに乗るときに、横乗りをする。いわゆるお嬢様座りをするのだ。みんながみんなだ。

見ていてもアブなっかしい。うしろにコケたらどーするのだ?でもみんな優雅に、でも暑さと匂いに顔をしかめながら乗っている。

そんな大通りのわきの歩道を、テクテクと一駅分歩くのが日課だ。
そんなとき、ふわーーーっと風が吹いてくると、一瞬、心だけ立ち止まる。

あー気持ちいいな、と思う。そして、いま外国にいるんだな、という感じがふわっとやってくる。あ、いま俺タイにいるんだな。

あ、この感じは、と初めての海外旅行、インド旅行を思い出す。
あの日、あの朝、夜中の便でデリーについて、真っ暗な中をホテルまでたどりつき、泥のように眠った翌朝。目が覚めて、一瞬、ちいさなパニックにおちいる。あれ?ここはどこだ? 明らかに見慣れない風景。石の壁、石の天井。木の扉で閉じられた小さな窓。

あ、そうか、おれはインドにいるんだ。と、思った瞬間、体中をじわーーと喜びと興奮が駆け抜けた。あーおれ、インドに着いたんだ。

まだ信じられない感じのボクは、ぼうっとした頭のままで、小さな窓を開けてみた。うわー。見た事の無い風景。赤茶けた大地と、赤茶けた建物たち。徹底的に乾いた空気。
あーーここはインドだ。ほんとうにインドに来たんだ!

あの朝の感動は忘れられない。わくわくが止まらない、わくわく死してしまいそうな感じ。その後、帰国するまでの3週間は、まるで夢の中にいるようだった。

あのときの感動の何十分の一でしかないかもしれないが、それでも、ささやかな実感は湧いてくる。ああ、俺は、いま、外国にいるんだ。

でも今の僕には、外国の風景よりも、日々の仕事や生活が大事で、今日も、急ぎ足でオフィスへ向かう。今日中に片付けたいことがあれとこれと。そして、今日は、いつものブランチプレートのカレーを少し多めにしてもらおう。と野望する。

今日は、となりに日本人の男の子が座っている。2週間いるのだという。バンコクでも何かをやりたいと言っている。俺はなんだかうれしくなった。でもこれはなんだろう?と思う。普段、道や、ラーメン屋や、アパートのエレベーターなどで、大勢の日本人とすれ違う、でも、僕はなぜか顔をうつむかせてしまう。あまりしゃべりたくないのだ。ただの人見知りもある。だが、どこか、避けたくなる気持ちがある。

でも、オフィスで日本人に会うと、うれしくなる。どこか仲間的な意識になるからだろうか。それとも、自分が気に入っている場所で出会う同胞だからだろうか。僕はアリジゴクのように待っている。この場所で、このHubbaというコワーキングスペースで、面白い人たちがやってくるのを待っている。待ち受けている。

僕は、積極性がないので、こうした場所はありがたい。出不精なので、いろんな場所やイベントに出掛けていって、人と知り合うということがほとんどない。僕は待ち受けタイプなのだ。じっと息をひそめて待ち、窪地に落ちて来たアリには、そそそと歩み寄るのだ。

よく日の当たった白い壁を見ている。木の陰が揺れている。意識は子ども時代に飛びかけている。よく晴れた日に、母と姉と洗濯物を干した。そんな記憶があるような、ないような気がした。




3/20/2013

ルーチンとかアートとか

さいきん、毎朝、帽子屋さんカフェに通っている。8時に目覚ましが鳴る。もぞもぞ起きて、なんだかんだで9時頃家を出る。てくてく歩いて9時すぎにカフェに到着だ。

カフェではモーニングセットを出してくれる。フルーツやコーヒーが飲み放題で、目玉焼きやお肉、トーストなんかもついてくる。それを食べにいくのだ。

たまにお米が食べたくなると、タイ飯のお店に行くこともある。なんにせよ、朝方をキープするために、ルーチンをつくろうとしているのだ。

今日、なんとなく前から気になってたけど声をかけずらかった2人組に声をかけてみた。オフィスでのことだ。彼らは何枚かの絵をテーブルにならべて何ごとかを真剣に話し合っていた。僕が絵に興味を示すと、彼らはこっちにおいでと手招いてくれた。

初めてしゃべった。彼らはイギリス人で、アジアのアーティストを発掘する仕事をしているらしい。それぞれ、写真家だったり、ドキュメンタリー作家だったりもするらしい。ふむふむ、刺激的なひとたちだ。そのうち一人は下北沢に住んでいたことがあるらしく、吉祥寺も知っていた。話も盛り上がる。

なんかおもしろい人たちと知り合えたな、とこころが踊った。バンコクにいつまでいる?と聞くと、3年くらいいる、と言う。長いね!と言うと、ゆっくりやっていこうと思うんだ、とのこと。なんでも、ここに来る前はインドネシアに一年半ほどいたらしい。

ひとしきり話したあと、なぜ今まで話しかけにくかったのか、わかった。自分と領域が違いすぎるからだろう。彼らはアート系ど真ん中だ。やっぱり僕はIT業界が長かったせいか、相手がプログラマーなんかだと話し易いし、話題もつなげる。アートの奴に何を聞いていいかわからないし、なんかオーラ的に怖かったりする。

でも最近少し変化もあって、ITにどんどん興味がうすれてきている。新しいプログラミング言語の話を聞いても、わくわくしない。むかしはとにかく試してみたい衝動にかられたものだが。ときにこちらから聞きたいこともない。だから会話が弾まなくなっていた。

どういう人となら話が弾むのかなあ、って思っていた。スタートアップの人とビジネスモデルの話をしても盛り上がらないし、社会起業家の人と地球環境について話しても盛り上がれなかった。

アーティストとなら盛り上がるのかというと、そうでもないけど、まだ、なんでこんなことしてるの?という個人的な興味は持ちやすい。なんでこんな絵描いてるの?みたいな。でも、何か情報交換をするわけでもなく、話のネタはつきてしまう。

そういえば、昨日、Tシャツを買いに、アソークという駅のターミナル21というショッピングモールにでかけてみた。ぐるぐる回っていると、おもしろいTシャツ屋がいっぱいあることに気づく。各店がそれぞれオリジナルに溢れている。あるTシャツ屋さんで足が止まる。なんか、日本的というか、日本の浴衣みたいな柄をTシャツに入れこんでいる。おもしろいな〜と思ってみていたら、お店のおばさんがニコニコしていた。

おばさんに、自分で作ったの?と聞くと、イエス!と言う。へーーと言っていたら、あ、娘がつくったのよ、という。そうかー。なんかいい感じだね、と思う。そんな感じで、手作りっぽい服の店がずらーっと立ちならんでいる。見事な刺繍が入ってるTシャツもある。うーん、買っちゃおうかな、と何度も思ったが、結局無難なものを買ってしまった。でも、こんど一枚ぐらいは、あの刺繍Tを買ってみよう。決して高くない。高くても1500円だ。

なんだか、バンコクってひそかにTシャツ天国になってんじゃない?って思ったり。みんな工夫をこらしている。それでいて手頃な価格で買える。楽しみが1つ増えた気がした。

前回、ズボンを手作りしたいと書いたが、その気持ちの延長にこれもある。自分で作らなくても、なんとなく手作りっぽい服を来たいな、という気持ちもあるようだ。安価な大量生産品を着るのも飽きたし、がんばって高価なブランド品を買うのも疲れる。

少々、難があったとしても、若手のメイカーが手作りしてくれた服をきるのは気分がよさそうだ。あとは、いい出会いがあればいいなあ、という感じかな。でも、ことズボンに関しては、僕の要求を満たしてくれそうなものは見つけられなかった。また探しにいくよ。






3/18/2013

ズボンにご立腹

昨日、ジーンズを買おうと思ってデパートを巡った。こっちはジーンズが高い。というか、それなりに名前を知ってるブランドの服は日本よりずっと高い。たとえば、リーバイスの普通のジーンズが9千円くらいする。高いよね?

で、なんとかお気に入りの見た目のジーンズを見つけて試着してみた。サイズを合わせて、座ってみたりしていたら、だんだん腹がたってきた。

着心地がいまいちなのだ。なんでもう何十年もズボン毎日履いてるのに、着心地がびったりのズボンに出会ったことがない。着心地とルックスの両方が合格、ということね。どちらかだけならある。着心地だけいいズボンなら、ゆったり目で生地がうすいものを買えばいい。サラサラと気持ちがいい。でも、デザイン的にかっこいいのがあまりない。たまに、お!と思って値札を見ると、2万円とかしている。なぜか高いのだ。

で、ジーンズとかならかっこいいのがいくらもあるが、ほぼ、着心地は期待できない。ごわごわするのだ。あれがいやなのだ。昔はそれでも見た目重視でスリムなんてのを履いたりしていたが、もう嫌だ。そこまでがんばれない。でもダサいのも嫌。それでいて、高すぎるのも嫌。となると、本当に選択肢がないのだ。

世にアパレルブランド、ショップたくさんあれど、僕の要求を満たすズボンを作れないとはこれいかに。そんなに厳しい要求してるか、おれ? ユニクロより高くてもいいんだよ。リーバイスくらいのかっこよさでいいんだよ。着心地もシルク並みでなんて言ってない。綿パンくらいでいい。

でも、それが難しいんだってよー。毎日のものなのにね。ちくしょう。同様に、靴もいつだって不満。この靴最高!って靴に巡り会ったことない。こんなに靴があふれているのにね。もう自分で作るしかないのかなー。

世の中は、これからメイカーブームになるらしい。つまり、ネットよりリアル。製品を自分で作っちゃおう!という時代になるという。
それなら僕は服をつくりたいよ。自分の服を。ミシンとか覚えないかんのかな? 高い金はらって特注しないといかんのかな? そこをなんとかならないかな。

なんてことを考え始めています。タイだけになんとかなるんじゃないのか。

大量生産品だから買えている。それが現実なのだろうか。それがユニクロ的現実なのだろうか。庶民はオーダーなんかしてる場合じゃねえよ、ということなのだろうが。

しかし、昨日見た、ALWAYS 三丁目の夕日2 では、ろくちゃんのドレスをミシンで生地から自作していたぞ。思い出せば、こどものころ、お母さんが自分のワンピースをつくっていたような気がするぞ。僕の幼稚園の服とかもお母さんがミシンでつくってくれた思い出があるぞ。あのころは、作れていたんだ。

そういえば、昔はミシンが一家に一台だったが、今はあるだろうか。ミシンの時代に戻ろうじゃないか。でもせっかくの新時代なのだから、一家に一台などとケチなことは言わず、みんなでシェアして、高性能ミシンを使えばいいじゃないか。そんな毎日毎日使わないのだからね。なんてことにならないか、ちょっとしらべてみるぞ。ラジコン自作してる暇あったら、服を自作したいものだよ、ほんとに。おれは怒ってる!



3/14/2013

朝起きるようになったら

朝起きるようになったら、逆に時間が飛んでいく。
なんでだ??
あっという間にオフィスの閉館時間になっている。買い物にいく時間もなくなっている。これで仕事の効率があがっていなかったら、泣けるな。それは月末になるまでわからない。

バンコクに移動して、たぶん2割くらいは仕事量を増やすことができた。でも、それ以上に、生活コストも上がってしまったので、収入支出の効率的にはバリ島時代より厳しくなってしまった。いったい何をやっているのか。。

でもまあよしとしよう。生活コストを下げるのが今の目的ではないのだから。むしろ上げていくのだ。そして収入を押し上げるのだ! と思ってはいるが、なかなかそう簡単にはいかないね。なんか自分の一日の生産量に限界があるのかもしれない。仕事時間を増やせばその分できる、みたいな風にはなってない。残業しても生産量は少し増える程度らしい。これは教訓にしなければならないだろう。だが、一応4月まではこのままの体制で実験期間とする。

オフィスにも人が増えて来た。タイ人がどどっと増えた。いま、毎日15人くらいは来ているだろうか。全体では100人近くいるかもしれない。オーナーたちはやる気まんまんで、年内にバンコクでコワーキングスペースをあと3つつくる予定だという。明らかにタイの若手スタートアップシーンを牽引している。まだ26歳。やり手だね。

というか、なんせこの若さですごいホスピタリティーがあるから、彼がやれば成功するだろうね。思えば最初からいい環境に巡り会えたな、という感じだ。ここにいるだけで、タイのスタートアップシーンがかいま見れるのは楽しい。いろんな企業が表敬訪問にやってくる。日本からもちらほらやって来る。俺はここのヌシとして君臨して、日タイのスタートアップをつなぐ何かをしてもいいかもしれない。といいつつ、彼らの会話にまじると、シーンについて何も知らないおれだった。ぜんぜん流れについていってない。。

このまえ彼らが新しいプロジェクトをするというので聴いていたら、苦学生向けのクラウドファンディングをやるという。政府には期待できないからね、と。もう日本より少しも遅れていない。スピードも速いし、ぜんぜん大手企業の介入ぬきで、がんがんやってる。どこから資金が出ているかわからないが、タイには個人の資産家がいっぱいいるから、そういうところから出ているのかもしれない。事業として採算があってるのかはまだ不明。今は度外視しているのかもしれない。とにかくスピーディーにやろうとしている感じだ。

僕も何かタイの文化に絡んだことをしてみたい気が湧いてきている。けど、何やっていいかわからないね。タイ語できないしね。でも、翻訳やってます、というと、まず、タイ語から?って聴かれるから、できません、って言うのがおっくうになってきてる。タイ語の文字は難しそうだなあ。。でもかわいいから好きだけどね。

あと、日本語から英語の翻訳はできないか?とも聞かれるね。そこにニーズがありそうだが、逆翻訳はそうとう難しい。でも、ニーズは増えるかも。日本人が海外で商売するなら、英語で、ってことになる。そのとき、日本語から的確な英語に翻訳できる人がどれほどいるか、ということだ。あんまりいなそうだ。

今頼まれているのは、帽子屋さんのキャッチコピーの翻訳。日本語から英語。過去にネイティブやバイリンガルに頼んできたけど、しっくりいかないのだという。ただの文章じゃなくて、キャッチコピーとかは、やっぱりそれらしく訳してほしという。

僕もできないよ〜ということで、今、ネイティブの友達に相談中。ネイティブネットワークを広げたら、ひと商売できるかもしれない、などと思う。

まあでも、とりあえず、目の前の仕事に追われている日々が当分は続きます。


3/09/2013

「Always 三丁目の夕日」を見た

「Always 三丁目の夕日」を見ました。
タイ人の友達が、絶賛してたので彼に借りてみた。いままで、毛嫌いして見てなかった。だって、昔はよかった、みたいなのってつまんないよね。きれいごとうそっぱち映画見たってしょうがないよ、って。

で、見た感想は。。泣けました。なかなかいい。続編も見たい。
とはいえ、やっぱり、きれいごと映画だな、って思うけどね。ぜったいあんなじゃなかったと思う。でも、あれは未来の思い出なんだなって。かつて一度も実現したことのない、暖かい世の中。もしくは、記憶の中で美しくなった子ども時代の思い出。かな。

実際のところはわからないけど。その時代を生きていないから。

でも、続編も見たいな。

集団就職で青森から出て来る女の子がやっぱいいよね。
金の卵の時代かな。あれはもうちょっと後かな。

東北の高校を卒業する17歳の女の子が、学校で一枚の求人票を見ている。東京で住み込みの仕事があるという。この仕事なら資格も取れるかもしれない。そして、独り立ちできるかもしれない。東京でひとりで生きていけるようになるかもしれない。

今のようにインターネットなどない時代。テレビさえない時代。行ったこともない東京は、どれほど遠かったことだろうか。

求人票を握りしめて、係のところへ行く。私、ここに応募します。17歳がそういうことをする時代があった。

今日、朝、オフィスに行く前にコーヒーを買った。コーヒーを待つ間、外を見ると、ガラスごしに風が吹いているの見えた。木々が揺れていた。それを見て、なんだかほっとしている。なぜだろう? 世の中に風がなくなればどうなるのだろう? などと思う。

17歳が旅立ちを決めたときには、必ず、風が吹いていたはずだ。それは、いつも通学の途中で通りすぎる漁港だったはずだ。海を向いていたはずだ。風は髪をたなびかせたはずで、スカーフを顔のあたりまで巻き上げたかもしれない。

いつも、何かを決めるときには、風が吹いている。






3/07/2013

忙しい

なんだか忙しい。やってもやっても仕事が終わりません。
おかしいなあ、こんなだったかな。もっとできる男だったはずだが。。

もう眼が痛いです。ということで、ブログの更新がないのは、たんに時間がないからですので、ご心配なく。

ところで、緊急にお知らせ。ぼくは気づきましたよ。というかある仮説を思いつきました。

X-JapanのHideは、シンディーローパーを継承しようとしていたのではないか、と。

少し前、鬼束ちひろがシンディーのTime after timeを歌うのを聞いて、なんだ最高じゃないか!と思ってたまに聞いていたのですが、すると、最近の鬼束ちひろのファッションってシンディーみただな、とか思いはじめたところ、シンディーの昔のPVなどつらつらと見ていたりするころ、あ!これはHideだ!と思い至ったのです。

シンディーも赤い髪をしていた。そしてあのファッションセンス、あの眩しいような眼のメイク。そして、なんとなく伝わってくるものも似ている気がします。いまにも踊りだしそうなこどものイメージです。

赤い髪のエイリアンは、シンディーローパーを好きだったのだろうか。ググってみたが何も見つかりませんでした。

ぼくもあの眩しい眼が好きです。



3/04/2013

たこ

今朝も、8時頃に起きた。朝型になってきた。シャワーを浴びて、アパートのすぐ前にある小さなレストランに入る。最近開店した店で、ほぼアパートの住人向けのお店だ。僕は、ここに4回ほど通ったのだが、お店のママはなぜか僕のことを「tako」と記憶してしまった。

takaだと何度かいったはずだが、翌日になるとtakoになっている。面白いからそのままにして、今日まで来てしまった。アパートには日本人もたくさんいるので、名前のうしろに「さん」をつけることを、ママは覚えたようだ。

だから、僕は「takoさん」と呼ばれることになる。満面の笑顔で、タコさん今日も元気ですかあ!、と聞かれたら、元気だね〜とニヤけるしかなくなる。

今は、夜の9時を回ったところ。仕事がたまっているんだよ。明日も朝起きるんだ。

最近、オフィスに仲間が増えた。いまこの時間だって、まだ6人くらい残ってる。少し前は、ひとりぼっちになることも多かった。やっぱりにぎわってるほうがなんだか仕事もしやすかったりする。つまり、なんとなく、うきうきするんだろう。そのほうが、集中することもできたりするのだろう。図書館みたいなもんだな。

いま、となりにデンマーク人のプログラマーがいる。タイに住んで2年になるという。だから聞いてみたんだ。ねえ、デンマークって世界で一番幸せな国なんでしょう? それってほんと? って。そしたら、うーん、それは本当だけど、幸せにもいろいろな幸せがあって。。と言う。ふむふむ、それで? それで君はなんでタイにいるの?

彼は言う。デンマークは素晴らしい国なんだけど、少し退屈なんだ、と。例えば、みんなめったに外食しないんだ、という。外食がすごく高いらしく、みんなおとなしく家にかえって家族で食卓を囲むのだ。それは素晴らしいことなんだけど、少しばかり退屈でもあるんだ。バンコクみたいに、毎日外で飯くって、毎日カフェでお茶飲んでってわけにはいかないんだよ、と。

あ、ちなみにその人独身ね。ふーむ、そういうこともあるんだね。幸せな国は少し退屈な国でもあるのかもしれない。

なんにだって両面があるってことで、まとめちゃおうかな。それでいいよね。

あと10分で閉館だって。帰りますか。今日もフルーツジュース買って帰るよ。ミックスでいいよね。トマトも人参も入ってるんだって。





バンコク観光勝負:ウィークエンドマーケット



2日目の朝は、チャトチャック・ウィークエンドマーケットに朝から出かけた。僕がバンコクに来る前から聞いていた観光スポットだが、今日のこの日まで来れずにいた。友人が行くというので、これ幸いとついていく。

朝9時半、最寄り駅につくと、すでにマーケットに向かう人の列ができていた。そそくとついていく。途中、観光案内のブースに立ち寄ると、ものすごく感じのいいスタッフが応対してくれた。公務員のはずだが、いい感じだった。朝から気分も上がる。そして、道を歩いていると、友人が、はたと足を止めた。道ばたで営業している屋台を凝視している。ここで食べて行こう、といきなり朝食に。

人のよさそうなおばちゃんとおじちゃんがやってる屋台。魚の唐揚げと、ゆで卵と、野菜のなんか、をご飯によそってもらう。これが、、うまイ!最高!これがタイのローカルフードなのだ。またしてもアローイ!を連発しながら完食。わずか60バーツ。

なんでも、友人は、見た瞬間に最高フードの匂いがしたという。美味しい屋台の雰囲気をぷんぷんかもしだしていたとのこと。こういう発見は旅の醍醐味でもある。

そして、目的のウィークエンドマーケット。もう服屋だらけ、雑貨だらけ。。2時間ほどぐるぐる回ったら、目も回ってしまった。午前中で切り上げることに。すごく疲れたけど、バンコクに来たなら一度は行くといい場所だな、と思う。バンコクの活気がよくわかる。

友人は言う。バンコクは世界の市場なんだよ、と。なるほど。市場だと考えると、バンコクがよくわかる。とにかく何でも売っている。この街がまるごと巨大なマーケットなのだ。

人ごみと暑さでぼーっとしながら、ようやくたどり着いた帰りの電車の中、今日は朝から「勝ち」だね、とほくそ笑みあう僕たちであった。







3/01/2013

Time after time

友人が帰り、今日からまた日常が始まった。6日間いた友人は、少しうれしい置き土産を置いていった。それは早起きだ。行動をともにしていたので、ここ数日は朝8時には起きていた。その余韻で今日は9時頃自然に目が覚めた。あ、朝型に戻ってる。二度寝しないように急いでベッドから体を起こす。

いつまで続くかはわからない。でもやっぱり朝から起きていると一日が長くなる気がする。オフィスの向いの帽子屋さんカフェで、毎朝グリーンスムージーを出してくれるという。とりあえず、明日の朝、来るのでスムージーよろしく、と言って店を出た。

シンディーディーローパーのTime After Timeを聞いていた。好きな歌だ。そして、この曲に付随するさまざまことが思い起こされた。たぶん、この曲になんの理由でかわからないが、結びついた記憶たちだ。例えば、今浮かんでくるのは、ひとりで3週間歩き倒したニューヨークの道々、10年前に友人に始めて会ったときのこと。 はじめてバンドを組んで、友達が買ったボンジョビのテープを興奮しながら眺めたこと、記憶は芋ずる式に出て来るね。

ところで、記憶とは不思議なもので、記憶がなければ自分ではいられない。さりとて、人は過去の記憶に生きるではなく、今を生きしかないのはわかりきったことである。でも、その今を生きるのは、私という記憶でもあるのだ。

そして、記憶とは何だろうか。記憶とは「すべて」だろうか。僕が経験したすべてのことが、覚えている、いないにかかわらず、記憶なのだろうか。覚えていることを中心に、うろ覚えなことがグラデーションしているのが記憶なのだろうか。

ときどき、誰かの思い出話を聞いていると、その人の記憶が自分の記憶かのようになってしまうこともある。そんな場面を経験した気になってしまうのだ。

昔読んだ児童小説なんかも、いくらかは記憶の一部になってしまったにちがいない。

 記憶は重ね合わせてそこにあるものなのだろう。友人としゃべっているとき、出会ってからいままでの記憶もまた、重ね合わされている。

「トップガン」という映画があった。たしか中学くらいのころ、大ヒットした。トムクルーズだ。今でもテーマ曲を聞くと興奮する。かっこいいー!って思いながら憧れて見ていたころを思い出す。しかし、そのトップガンたちが、イラクやアフガンで「誤爆」をやらかし、たくさん子どもが死んでいる。憧れの飛行機乗りたちが、ベトナムに枯れ葉剤を撒いたと知ったのは大人になってからで、そのことを現実として少しは実感できるようになったのは、ごく最近のことだ。

アメリカだけがどうこうじゃなく、かっこいいトップガンの裏には、はらわたがむかつくような人間のずるさが張り付いている。

歴代戦争は「ずるさ」が引き起こしてきたのだ。闘争本能でも、暴力性でもなんでもない、ずるさ、なのだ。

人間がずるさを克服するのは、あと何千年か、かかるだろう。いや、何百年、くらいかな。それとも一気にニュータイプが生まれて、わずか数十年のことなのかもしれない。

しかし、ずるさ、と言ってもそれは、頭で考えだしただけの概念なのかもしれない。よくわからない。あまり深く考えてもしかたがないだろう。

それよりも、シンディーローパーってなんだかいいよな〜、なんでかな〜ってことを考えたり、最近の鬼束ちひろはひどいけど何だか好きだな〜って、 なんでかな〜考えたりしてるほうが、意味があることかもしれない。

今日、タイのミルクティー、というのを注文してみたら、インドのマサラチャーイみたいに少しスパイしーでおいしかった。



バンコク観光勝負:タイ東北料理店「ティダイサーン」



水上マーケットアムパワーで惨敗した僕たちは、気を取り直してタイ東北料理店の「ティダイサーン」へ向かった。ビクトリーモニュメント駅のランナム通りにある。

少し迷いつつ、なんとか到着。客席はがらがらだ。若干心配になりながらも、とりあえずシンハービールを注文。友人がたったと料理を注文してくれた。

ビールで乾杯。きゅーと胃に染み渡る。うまい。料理もたったか運ばれてきた。まずは、サラダ。激辛だ。そして、鶏肉の炭火焼。激ウマだ。肉厚でジューシーだ。今、思い出したらよだれが湧いてきた。そして、豚肉のなんとか。激ウマだ。そして、エビの唐揚げ。激ウマだ。もう全部激ウマで、アローイ、アローイと歓声をあげながらの晩餐となった。(アローイはタイ語で「おいしい」の意味)

これは勝ちだね、と勝利を噛み締める二人。午前中は完敗だったが、夕食は完勝。腹一杯たべて、最後はスープ。トムヤムとはちがう、しょうがベースの薬膳料理みたいなスープが出て来る。具も魚介と野菜がてんこもりだ。これが、酸っぱうまい!。また、アローイ、とため息をついて、完食。本日の晩餐を終えた。そして、お会計もビール2本飲んで、ひとり1200円な感じ。満足度に比べると、安い!であった。

タイのオーソドックスなイサーン料理(東北部の料理)を堪能したいなら、ティダイサーンで決まりではないでしょうかね。もっとも、僕が見つけた店ではありませんがね!ぜんぶ友人が調べて来てくれました。

ということで、帰りに近所の屋台でフルーツのスムージーを買って、少し早めに帰宅です。ちなみにマンゴーとストロベリーです。






ワイルド



これを描いたのはブラジル人アーティストです。バンコクのギャラリーで出会いました。かっこいいですね。全体の下地にトライバルな模様が入っています。どうやって思いつくんでしょうね。彼はこの下地模様を使った絵をたくさん描いていました。


しかし、このブログも元を正せば、仕事をしながら外国をゆっくり移動する、という体験をレポートしようと思って始めたのですが、何をどうレポートすればいいのか、計りかねているうちに、はや一年が過ぎ去ってしまったのでした。

生活費やビザの取り方、ざっくりした物価、インターネット事情などはそれとなく報告してきましたね。今でも、ビザの取り方など問い合わせのメールが来るので、それなりに役立っているのかもしれません。



バンコク観光勝負:アムパワース水上マーケット



ここ一週間ほど、日本から友人が来ており、いろいろ観光巡りをしていました。

初日は、アムパワー水上マーケット。バンコクから南へ一時間半ほど車を走らせたところにある、有名な観光スポットです。運河の上に市場が開かれているという。写真のとおり、カヌーのったおばちゃんがココナツを売りにきたり、チキンを売りにきたりします。運河の両岸には土産物屋が並びます。

ここがアムパワー水上マーケットかあ。。しかし、結果を言うと、敗戦しました。
 来る価値のないところでした。

まずもって、ここまで来るのが大変。電車でいけないので、車でいくしかありません。僕たちは、ビクトリーモニュメント駅から出ている小型の乗り合いバンに乗っていきました。

まず、バンがなかなか来ない。小一時間はまったはずです。ほとほと待ち疲れたころに、バンが登場。乗り込むとすでに車内はほぼ満席。全部で10席ほど。一番後ろの席に乗り込むと、これが大失敗で、超せまい。膝が胸にくっついちゃう感じ。エコノミーの飛行機より狭い。この状態で2時間弱。しかも運転手が飛ばしまくりの車線変更しまくりで、命の危険さえ感じる状況。苦痛。

そして、やっとこさ気を取り直して、さあ水上マーケットを見にいくぞ!となったのですが、なにやら、ボートに乗らなきゃいけない、と言われます。 ボートでしかマーケットまで行けないと言うのです。で、そのボートがまた高い!1時間ひとり300バーツ!(900円)。そんなに高いわけないだろ!

言い忘れましたが、バンコクからここまで来るバンの料金はわずか80バーツ(240円)でした。

一緒にいた西洋人のおじさんも若干キレています。交渉しても、ぜんぜん値下げしてくれません。タイ人もこの値段で乗るのか!と聞くと、外人は別料金だ、と言います。

でもここまで来たのだからと自分をなぐさめ、300バーツ払って乗り込みます。しかし。。
これがしょぼすぎる。狭い運河をボートで行くのですが、その両側には、まったくどこにでも売っているしょーもない土産物屋が立ち並んで、しかも何倍も高い値段で売っています。さあ買ってくれ、と言わんばかりにいちいちボートが横付けされます。誰が買うか!そういうんじゃないんだよ、俺たちが見たいのは。もっと普通の地元の人たちがわいわいと買い付けしてる、にぎわってる市場を見たいんだよ、、、でも、そんなのはどこにもありません。

たまにボートにのった、明らかに観光用にひっぱり出されたおばちゃんが、ココナツなんかを売りにきますが、何の風情もありません。そして、あっというまに終わってしまいました。なんだこれ??観光地のていもないしていません。

ボートですれ違う観光客たちは、みんな無表情。こんなはずじゃなかった、と心の声が聞こえてきそうでした。

すっかり落胆した僕たちは、もう帰ろう、ということで、すぐに帰りのバンを予約。そそくさと家路についたのでした。まあ、でも、バンを待ち間に、近所の商店街を散策したのは、これは楽しかった。バンコク郊外のローカルたちの生活が垣間見える感じがしました。

 しかし、、往復3時間かけてきて、これかよ。。僕たちはがっかりさえも通り越して、こういうこともあるんだね、と話ながら、どっかの掲示板に最悪だった、って書き込まないといかんね、などと話ながら、バンコクに帰り着いたのでした。まずは一敗です。。

 夕方前にバンコクに帰りついた僕たちは、気を取り直して、東北地方のイサーン料理のお店へ向かったのでした。