3/08/2012

新幹線のバチンバチン



記憶シリーズを続けよう。
これは、とくに書くべきことではない、もしかすると書かないべきことなのかもしれないが、なにか心に引っかかっているので、書きながら検証してみることにする。

数年前、ぼくは新幹線に乗っていた。実家かどこかから当時住んでいた東京へ帰る夜の新幹線だ。ぼくの席の通路を挟んだ隣の席に、親子3人が乗っていた。母親と、幼稚園くらいの男の子と、2歳くらいの女の子だ。こどもたちは声をあげてはしゃいでおり、母親は静かにしなさい、となだめようとしていた。こどもたちは鳴り止まない。すると、母親が怒った。あんたたち、いいかげんにしなさい!そして、何かを言った。たぶん、ちゃんと座りなさい的なことだろう。それを聞いた男の子は、自らベビーカー(たしか)に自分の体を押し込めて、自らベビーカーのベルトをした。恐怖に震えて縮こまっている。女の子は平気な顔をして立っている。
母親は、いいかげんにしなさい、と言いながら、女の子のほほをビンタした。ぼくが書きたいのはここからである。男のはとなりでぶるぶる震えている。しかし女の子は何事もなかったかのように突っ立っている。母親を見る目は挑戦的ですらあり、口ものに笑みすら浮かべているようだった。あれ?びびってないな。男の子との対比ですごく不思議な光景だった。母親はもう一発おみまいした。バチーンと音がした。女の子は泣きもせずに反抗的な態度を見せていた。きょとんとしている感じかもしれない。

女の子、強いな。いや、そうじゃなく、そのとき思ったのは、あー2歳だとまだ学習が染みてないんだな、というか、事態を把握していないな、というか、起きていることとをリアルタイムで把握できてないんだな、という感じだ。母親に叱責されているのである。

そして、母親は、あんたたち、家に帰ったらバチンバチンだからね、わかってるよね。と言った。おれはその一言は本当にいけない、と思った。それはしつけを逸脱している。男の子は震え上がっている。前にも経験があるのだろう。女の子は平気な顔で黙っている。

行き過ぎたしつけはいけない、そんなことを言おうとしているわけではないのだけどね。でも、そのとき、おいおい、お母さん、それは何かあなたの生活のどこかに問題があるんじゃないですか、と言いたくなった。なにか苦労をしているのだろう。夫との関係かもしれないが、なにか玉突き事故のように、こどもが叩かれている、そんな気がした。

とはいえ、おれもさすがに、ちょっといいですか、それはやり過ぎですよ、と言う気にまではならず、お母さん、家に帰ったら、こどもを叩かないであげてくれ、と願うばかりだった。

さて、この記事、何を言いたかったのだろう。ずっとひっかかって考えてみたかったのは、母親のことじゃなく、あの女の子のことだ。あの2歳くらいの子の、あの叩かれても平気な顔で動じない態度を見せていた、あの現象のことだ。あれはなんだろう。どこかぼくは、あれはあの年齢特有のものの気がしたのだ。あの年齢でしかできない何か、まだ何かが始まっていないがゆえにとれる態度というものがある気がしたのだ。そしてあの女の子もたぶん、あと2年もすれば、がくがくぶるぶると震えておとなしく座ってしまうのだろう。いや、どうだろう、もしかして性格によるのかもしれない。あの女の子はとんでもなく強気な女の子なのかもしれない。

とにかく、なにかとんでもなく耳を汚すことを書いてしまった気もする。書き始める時は、もっとどこか発見とか、哲学的な何かが出てくるかと思ったが、どこか重苦しい気持ちが残っただけだった。

まあこういう記事も実験的に書いていく。

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