3/16/2012

胸騒ぎ


風の強い日は胸騒ぎがする。

今日は久しぶりにビーチ沿いを散歩してみた。
いままで気づかなかったコンビ二や、お寺を見つける。
こっちのお寺は日本の神社みたいなところもあって、有名なバリの割れ門をくぐると、四角いスペースがぽかーんと現れる。そして、そのさらに奥にまた割れ門があって、たいがいは立ち入り禁止になっている。特別な儀式のときや関係者だけが入れるのだろう。

風がびゅうびゅう言っていて、木の葉っぱがざあざあ言っていた。
ぼくは散歩道からはずれてお寺の中でしばしたたずんでみた。なんだか胸騒ぎがする。
風の音が皆騒ぎを呼び起こしたようだ。

なにか起りそうな、あるいはすでに起ってしまったことをこれから受け入れる事になるのだ、というような不穏な、それでいてどこかすがすがしいような胸騒ぎだ。

チャナン(お供え物)をして回る女の人がいた。にっこりとあいさつしてくれる。お線香がかすかに香る。

ぼくはまた散歩道に戻り歩き出す。帰りにコンビニでアイスを買って帰ろう。それだけは決めている。
とぼとぼ歩き、こどもが遊ぶのをみたり、あいからわずマッサージのおばさんにしつこく声をかけられながら、ときには無視、ときには愛想笑いを返しながら歩いていた。

そして、帰って、ネットを思う存分してから、寝た。至福。お昼の3時過ぎであろうか。
まだ時間が膨大にあったころ、お昼の3時がただの穏やかな昼下がりだったころ、それがお昼寝の時間だった頃を思い出すような気持ちがした。
思えば大人になって移行、いや、もう中学生くらいから、どこか時間に追い立てられるように生きてきたように思われる。

こんなことを覚えている。当時、中学生のとき、ぼくは部活動に精をだしていた。朝の6時起きで朝練に行き、土日も練習に明け暮れた。そんなころ、たまにふっと部活がお休みになるときがあった。先生に用事があったり、学校の何かの都合で休みになることがごくまれにあった。そんなとき、ぼくはなにやらイライラと焦ったことを覚えている。
せっかくの休み、数ヶ月に一度くらいしかないお休みを、無駄なく過ごしたいと思うのだ。家でだらだらしているなんてもったいない。前日に明日の土曜日が急に休みになったのを知ると、ぼくは友達に手当たり次第電話をかけたりした。明日遊ばない?そういうときに限って仲のよい友達は用事があるのだった。そして今思えば不思議だが、なぜか同じ部活の仲間とは遊びたくなかった。別の友達がよかったのだ。そして、2、3人に電話したあと、もうやけくそになって、ぜんぜん仲良くない友達に電話したりもした。相手は電話の向こうでとまどっていた。なんでおれに?というところだろう。で、当たり前のように断られるのだった。

そんなことが数回あったように記憶している。それほどたくさんあったわけじゃない。だけど、あの焦る感じはよく覚えている。明日、何の予定もないなんて、許せない、ぜったいいやだ、と焦る気持ち。わずか14歳だった。

大人になれば、たまに聞くことがある。スケジュール帳に空欄があると不安になるの、という人もいる。スケジュールを埋めようと努力するビジネスマン、ビジネスウーマン。

中学生のぼくもそんな感じだったのだろうか。なんであれほど焦っていたのか。ふつうの休みをゆったり楽しめばよかったのではなかったか。そうか、もしかすると、家にいたくなかったのかもしれないし、友達と遊ぶこと=充実と考えていたのかもしれない。

とにかく、そんな記憶がたまに浮き上がってきたりすることがあるなあ、なんて考えながら、珍しく風がビューびゅーと吹くバリの海岸を歩いていた。

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