4/09/2013

英語格差、貧富


バンコクにいて、しみじみ感じるは、英語格差だ。
タイだと、英語が話せるのは1−2割だそうだ。若者に限っても半分以下だろう。たぶん3割以下。
英語が話せる人はたいてい、インターナショナルスクールに通った人だ。基本は高校だろうが、中学とかもあるのだろう。
そういう人は、もうベラベラだ。英語うまいね、というレベルじゃなくて、本とかも普通に英語で読むレベル。
もっと端的にいえば、英語で普通に仕事ができるレベル。僕の周りのタイ人はそういう人がけっこう多い。

彼らは、簡単に言えば、家が金持ちなのだ。だからインターナショナルスクールにも通えたし、留学した人も多い。そして、みんないい車を乗っている。
そして、そういう階層同士でやっぱりネットワークしていて、一緒に仕事をしたり、プロジェクトをしたりしている。
彼らは資金力もあるので、新しいことにもどんどんチャレンジする。ある若者は、まだ30歳未満のはずだが、3つ目の事業を手がけているところだと言う。
先の2つは飲食店らしく、経営的にはうまくいかず撤退したのだという。2つ失敗しても3つ目ができる体力がある。

それは親の資金力だけに限らず、投資をうけるコネクションもあるということかもしれない。
もちろん、彼らに実力がないとは言っていない。実力もあるだろう。だが、チャンスの濃度はかなり違うだろうな、という印象だ。

そして、やっぱり英語ができるといいみたいだ。
給料の高い外資系に就職するにも英語は必須だ。英語ができれば、タイ人枠としてではなく、一般社員として勝負できるのだ。
そういうことは前々から日本でも言われているが、タイはすでにそれが当たり前に起きている印象だ。経済成長する途中でグローバリゼーションがも先に来ちゃった、ということかもしれない。日本は、高度成長が先にあって、その後にグローバリゼーションの波にさらされようとしているわけだ。

で、タイでもみんな英語を覚えたがっている。収入にダイレクトに響くからなおさらだ。
かつての日本みたいに、英語が話せるとかっこいいわね、なんてことではないのだ。生活レベルが変わるのだ。というか、ある階層以上に登りたければ、英語で足切りがあるのだ。

でも、やっぱり英語を覚えるにはそれなりの質の高い教育が必要で、それはやっぱりお金がかかるのだ。
もちろん、英語圏で育ててしまうという手もあるが、それもやっぱりお金がかかるのだ。

だから、偏見かもしれないが、お金持ちがますます有利になっていく、という風にも見えてしまう。
いや、そうじゃない、ただ、階層社会だというだけなのかもしれない。当たり前のことなのかもしれない。
自分の階層にあった職業につけばよく、下層階級には未だに英語は不必要、ということかもしれなく、逆に上流階級では英語ぐらいできないとコミュニティーに参加すらできない、という現実なのかもしれない。

だから、家がすごい金持ちなのに、英語があまりうまくない(といっても十分話せているのだが)タイ人の友人は、僕は英語がうまくないから。。とコンプレックスを持っている。友人のネットワークの中でも英語力のなさを実感させられてしまうのだろう。

はっきりいって俺は悔しい。英語、つまりはイギリス語が、いよいよ世界共通語としてのさばってきたのだ。
すでになっているのだ。世界で活躍したいなら英語は必須なのだ。明らかに。英語圏に生まれたどんだけ楽ができたことか。
例えば、これから発展するというミャンマーでは、英語教師の収入がかなり高くなっているそうだ。上の方の階級はこぞって子どもに英語を学ばせるのだろう。世の中が見えていれば当然そうなるだろう。

俺たちが時間と労力を使って英語を必死に覚えてる裏で、英語ネイティブたちは、何ら努力せず仰ぎ見られ、おまけにお金まで稼げてしまうなんて!
でもこれが現実である。アジアにいるとよくわかる。やっぱりなんとなく、西洋人が上に位置づけられているのだ。悔しさがにじむ。

もちろん、これは単なるやっかみに過ぎない。日本人に生まれたメリットもたくさんあって、僕だってそれを享受しているはずだ。
だから、何が言いたいかわからなくなったが、いま、子どもに英語を学ばせた方がいいのは事実なのだ。まず、それを実感しているということ。

もしかすると、高性能の自動翻訳機が発明されて、語学力というのが一切価値を失う未来があるかもしれない。これはSFではなく、どうもあり得ることらしい。けっこう開発が進んでいるらしい。コンピューターがまさかの将棋名人に勝つ時代である。10年前は考えられなかった。はっきりいって俺はショックだった。

だから、きっとそういう未来は来るだろう。でも、それが30年後なのだとしたら、やっぱり今の子どもには英語を習わせておくほうがいいのだ。

身もふたもないことを言っているのだろうか。でも僕にこどもができたら、そしてお金があれば、インターナショナルスクールに通わせてあげたいとは思う。それが事実。

別の未来としては、日本語がもっともっと世界に広まって、日本語で十分世界相手の仕事ができるようになるかもしれない。だが、今のところその兆候は見えない。

もちろん、英語さえできればいいのか、というとそれはノーだ。当たり前だ。その職業のスキルが一番大事だ。でも英語ができれば、同じスキルレベルでもチャンスは段違いに広がるぞ、ということなのだ。

もう僕は、いまから英語ペラペラを目指すのもしんどいので、ネイティブ並の人たちと全く同じ土俵で勝負することは考えもしていないが、ちくしょう、まだまだ西洋のターンは続くのか、とは思うのだ。これはなんだ、なんとかならんのか。



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