11/11/2012
書評:「ワークシフト」しつこく続き
これはスターバックスです。いつもタイトルを決めてからブログを書くけど今日はあとでいいや。いま保坂和志「考える練習」っているWEB連載読んでたら面白いと思った。そのなかで、希望を語るとバカだと思われるって書いてあって、なんか、あ!と思う。
ちょっと前から「ワークシフト」という本の書評を書こうとしているんだけど、まだ書けていないことがあって、それは、あの本に著しい違和感を感じた、ということなんです。
なんか、そんなことしか書けないのかお前は、って作者にいいたい気持ちがあったんです。読後に。でもそれがなんなのかうまく言えなかった。
働き方がかわる。おもにインターネットのおかげで、また、人々の意識の変化によって、はたまたグローバリゼーションのさらなる蔓延によって、かわる。前にも書いたがそこには基本的には希望が見られている。もっと自由に、自分らしく、自分を活かして働けるようになるわよ、ということだ。
でも、その裏で、悲観的な側面も語られる。たとえば、石油などエネルギー資源の高騰により、移動が制限されるというのだ。飛行機が高くて乗れなくなるとかそういうことだろう。そのせいで、自宅に籠もりっきりで過ごす人も出てくるだろうと言っている。お金がなければ移動ができないのだ。これを新しいタイプの孤独と貧困と言っている。
また、中国やインドの安い労働力と知らないうちに競争させられて、いつのまにか貧困層に落ちてしまう労働者も出てくるだろうという。グローバリゼーションだ。格差もグローバルになるということだ。アメリカの底辺は、中国の底辺と同じ収入になっちゃうよ、ということだ。
だから、時代を読み、未来に付加価値を認められる職種を見極め、賢くスキルを身につけていくべきだという。そしてジェネラリストよりスペシャルリストになることが重要で、それも専門性がすぐに陳腐化するから、「連続スペシャリスト」を目指すべきなのだという。
笑わせるな。と僕などは思ってしまう。なにが連続スペシャリストだ。これが本当に世界で何本かの指に入る経済学者の言うことなのだろうか。そんな未来予測、聞いたってしょうがないじゃない。そんな程度なら週刊ダイアモンドに毎週毎週書いてある。
もっと夢のある話を聞きたかった。現代の延長としての未来予測などに何の価値があろうか。だが悩ましいのは、この僕だって、青臭い理想主義がまかり通る世の中など、二度とこないだろうとわかっていることだ。なにはともあれグローバリゼーションは進むし、世界に格差は広がり続けるだろうと予測する。
だがやはり、果たしてそれでいいのか?といいたくなるのだ。社会の変化においてきぼりにされて孤独になったり、貧困になったりする人をどうするのか。それが問題なのであり、社会の変化にうまく乗っていく方法、などは聞いてもしょうがないのだ。
僕はわかっている。自分の論理はすじが通っていない。適当にことばを投げつけているだけだ。なんだろうまだこの違和感をうまく言えそうにない。なにか怒っている。それは、弱者を救え、と単純に言いたいわけではない。僕だって弱者に手を差し伸べているのかと言われると、イエスとは言えない。
僕だって平均よりちょい上の暮らしを常にしていたいと願う小市民なのだ。だが、和魂洋才、という言葉をいま思い出す。西洋には和魂がない。もうそれははっきりしているじゃないか、と思う。西洋にはサバイバルしかない。もうそう言っちゃうよおれは。いま、かわぐちかいじの「ジパング」読んでるところだからね!
洋才はすばらしい。ぼくだって快適にネットしながらコーヒー飲みたいときはスタバにくるのだ。というか、この、毎日一番長くおつきあいしているMacBookProちゃんだって、最近入手して溺愛しはじめたiPhoneだって、アメリカから来た。アメリカ精神がつくりああげたすばらしいプロダクトなのだ。
ぼくが来ているTシャツだって、ゲバラのプリントがでかでかとあったとしても、西洋からきたものだし、ぼくが背負ってるリュックもクイックシルバーだ。洋の技術、デザイン、発明はやはり優れている。
いま、Macが若干フリーズしていた。5分ほど待っている間に、気持ちがすこし恥ずかしくなった。また威勢のいいことを書いてしまったようだ。
なんというかさー、力が強くても、頭がよくても、経済力があっても、軍事力があっても、知略があっても、グルーバルな視野を持っていても、すばらしい文明を誇っていても、すばらしい文化を持っていても、それでも、他人のものを奪っちゃうだめ。他人の自由を奪ってはだめ、というプリンシプルがいま必要な気がする。
自分の自由を守るために戦うことは必要であるが、それは本当にリーズナブルな範囲の行為なのか。
おっとこれ以上は犯罪者を牢獄に入れることの是非とかにもなってちょっと面倒なので、やめとく。えっとなんだろうなー、そう、「ワークシフト」、なんつーかそこには何か大事なものが欠けていて、それが僕をいらいらさせる。それはなんつーか、弱さへの共感みたいなものというか、もっと人間のどうしようもなさへのもどかしさ、というか、なにかそういう要素がすっぽりと抜け落ちている。昼間しかない、平板なSF映画に出てくる未来みたいな未来しか描かれていない気がしたのだ。
やはりこの記事も「ワークシフト」の書評ということにします。
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