11/18/2012

さみしい論

今日はいつにもましてさみしい。
このさみしさはもしかすると友達がうんぬんというのではないのかもしれないね。



遠くに見えるこのビルは、希望のビルと呼ばれています。僕によって。
このビルは毎日オフィスまで歩く道すがらにあるのですが、はっと目に入るたびに心がスカッとしてじわーんといい気分になります。

なぜでしょう。別に何の思い出もありません。ただ、バンコクに来た最初のころ、もうほんとうに初日や2日目に、あたりを散策しているとき、バンコクってどんな街なんだろう?と歩いているときに何度も目にした覚えがあります。つまり目印にしていたのです。形がわかりやすいからね。

とにかく、このビルを見かけると、ああ、なんか楽しいな、って思うんです。ほんの一瞬だけ。で、さみしい論。なんだかね、さみしいのね。

というか、いま、思ったこと書いておく。つまり、さっきから記憶が流れ始めて、いろいろ思い出しているのです。それが僕をさみしくさせています。
ひとつは、若い頃映画が好きだったころの記憶。西にいい映画ありと言えば場末の小劇場でも偵察にいき、東に名作ありと聞けばツタヤをひっくり返して探したものです。

そして、いま、かつて僕に映画のことを教えてた監督さんのデビュー作の記事を見かけて、それは白黒な勢いの16ミリ映画なのですが、それはまだ見たことがないのですが、見たことがないだけにどんな映画だろうと想像し、きっとただならぬ何かが潜んでいるにちがいないと思いを馳せたあの頃のことを。

というか、思いを馳せたのはついさっきでした。そういえばあの映画を見れなかったな、と。

なんというか、映画の中に、なにかすごく大事なものが埋まっている、そう思ってやまなかったころがあるのです。その期間はたぶん7年くらい。

あれはなんだったのでしょうか、いまではすっかり映画も見なくなりました。こどものころ、世界は今より広かった。それはたぶん、現実と幻想の区別がまだあいまいだったからでしょう。ぼくは覚えています。自分がウルトラマンかもしれないと、家の裏でかくれて変身の練習をしたり、いつかM27星団からウルトラの父が迎えにくるかもしれないと、ひっそりと夜空を見上げたりした日のことを。

あのころは、銀河系のその向こうまでもが自分とつながりがあった、その向こうから今にも呼びかけがあるかもしれないとドキドキしていたあのころ。
そして、入道雲の上に王国があると思っていたあの頃。思っていただけじゃない、ぼくはそれを、見た。たしかに見た。雲の上に、黒い騎士たちが槍をもって並んでこちらを見下ろしていた。あそこにいけば、別の国がある。それを信じていたわけではないが、疑いもしなかった、そんな頃がある。その頃は雲の上でさえも自分と関わりのある国だった。

というように、とてつもなく広い地平を生きていた、そんな気がしませんか?いまや大人になり、子供のころにはないあれやこれやを知り、あの人この人と深いような人間関係を結び、恋などもたまにするのですが、それが何だというのですか。

いや、こどもの頃にかえりたいなどと言うつもりはありません。あの頃はよかったということでもないのです。ひとつの事実を述べるだけです。こどもの頃は、頭の中の世界もリアルワールドど地続きだったという事実を。

書くと少しさみしさおさまる。
iPhoneの電源がもうすぐ切れます。今日は充電ケーブルを忘れてしまったのです。iPhoneが消える。少しそわそわします。わずか2週間前には僕の手の中になかった人だというのに。




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