11/27/2012

アイ子16歳問題

いまaneと名乗る謎の人物から、「アイ子16歳問題」とは結局なんなんだ?というコメントが届いた。誰だろうアンネフランクかもしれないが、潔く答えることとしよう。

アイ子16歳問題とは、忘れもしないぼくが中学生のときの事件だ。
まず前提として、当時「アイコ十六歳」という映画が公開されたことを言わねばならないだろう。富田靖子主演で結構話題になったはずだ。

あれは僕がたしか中学2年くらいで、評議委員という学級委員みたいなのになっていたときだ。あるとき、学校のイベントとして映画の上映会をしよう、という企画が立ち上がった。体育館で全校生徒が見るのだ。いや、学年全員くらいだったの規模かもしれない。

とにかくそういう企画があり、先生たちが選んだ10作品くらいの候補から、各クラスの評議委員たちが集まって上映作品を決めることになった。

評議委員たちの投票で、上位2つの映画が選ばれ、その2つで決戦投票することになったのだ。忘れもしない残った2つの映画とはイギリス映画「炎のランナー」そして、「アイコ十六歳」だ。

はっきり言って「炎のランナー」はいわゆる優等生映画で、オリンピックを目指す若者の努力と苦悩と栄光、みたいな映画だ。先生が見せたがるような映画だった。「アイコ十六歳」はまあふつうの高校生が好むような明るい青春ドラマだ。弓道部に所属する16歳の女の子が主人公だ。

その2つを巡って評議員の中でどちらにするか紛糾、最後は決戦投票になるのだが、途中、それぞれを押すメンバーが議論を戦わせた。ぼくは何が、使命感というか、絶対そうすべきだという熱い気持ちをなぜか持ちながら、「炎のランナー」を絶賛主張した。アイコ十六歳?あり得ない、そんなくだらない娯楽映画、わざわざ上映する必要なんかない!

ぼくは揺るぎない決意と確信をもって決戦投票に挑んだ。果たして。結果は、僅差で「炎のランナー」が勝利した。ほんの1、2票差のほんとの僅差だったのを覚えている。
ぼくは、「へーアイコ十六歳みたい映画を見たい人がそんなにいるんだ?」と意外に思ったのを覚えている。と同時に、なにか所在ない違和感もほんのかすかだけ感じていた。でもそれが何かわからなかった。

そして、時は過ぎ、上映会の当日。僕たちは意気揚々と体育館に集まった。証明が落とされ、真っ暗の中を「炎のランナー」が上映された。

ぼくは凝視していた。そしてぼんやり考えていた。どこかさびしい気持ちがするのはなぜだ。これでよかったはずなのに、絶対こうすべきはずだったのに、どこか心がうきたたないのはなぜか。いや、中学生の僕にそんな分析力はない。これは後から考えての意味付けなのかもしれない。

とにかく、映画は面白くなかったのだ。それは真面目な、優等生的な、努力は報われる的な、それでいて抑えめな、ヒューマンな映画だった。感動はできた。でも面白くはなかったのだ。そして、どこかみんなに申し訳ない、と言う気がした。アイコ十六歳は僕がつぶしたようなものだ、そう思っていた。そして、みんな、アイコ十六歳を見た方が楽しかっただろうな、とくに女の子たちはアイコ十六歳を見たかったんだろうな、アイコ十六歳を上映すれば、もっとうきうきとしたはしゃいだ華やいだ上映会になったんだろうな、と思えてしまったのだ。

そして、映画が終わり、エンドロールが静かに流れている余韻の中で、少しかなしい気持ちになっていた。それは映画そのものがそうさせたのかもしれないが、ある事実に気づいてしまったのだ。それは「実はぼくもアイコ十六歳を見たかったのではないか」ということだ。ほんとうは。
 
でもなぜか、男子ということで男子的に格好つけたのか、 たんに恋愛の混じる青春ものを見るのが恥ずかしすぎたのか、つまらない選択をしてしまった、と自覚した。そう、はっきりと自覚した。ぼくは、自ら、つまらない方を選んでしまった。
まじ、みんな、ごめん。 

 もちろん、投票の結果なのであり、僕以外にも半分の人は「炎のランナー」を選択したのだ。だからそんなに思い詰めることはないのだが、つまり、ぼくもアイコ十六歳を見てみたかった、そのことに後々気づいていくことになるのだ。そしてそのことは、映画をみるまえから本当はわかっていた。ただ気づけなかっただけだ。

そして、後日アイコ十六歳を見てみたら、やっぱり面白かった。


つまり、アイコ十六歳問題とは、こういう、自分の本当の気持ちとはうらはらに、間違った選択をしてしまうことを指すようになった。それはかっこうつけだったり、臆病だったり、なんやかやなのだろうが、それは、選択した後になってわかることで、でも直後にただちにわかるようなことだ。

ほんとうはアイコ十六歳を見たかった。そのことを認められない自分は、中学2年のあの評議会の教室に置いてきたいのだ。みんなでアイコ十六歳を見て胸躍らせればよかった。

もちろん、じゃあ実際にアイコ十六歳を上映していたら、「炎のランナー」にしとけばよかったと思ったのかもしれない。選択なんてそういうもでもある。

でもね、やっぱりね、そう、よく覚えているのは、みんなに悪いことしたなあ、という気持ち。おれがかっこうつけたばっかりにみんなのお楽しみを奪ってしまった。

もちろん、みんなはアイコ十六歳が最後まで候補になっていたことを知らなかったので、後で責められたりはしなかった。 だから僕の心の中でだけ、ひっそりと後悔されたのだった。








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