とはいえ、こういう言葉もぼくの中に共鳴しているのです。
それはたしか五味太郎さんが言ったことばですが、
大人達がやみくもに心配ばっかりしているのはよくない。大人達が心配ばかりしている中を育っていくこどもたちはどうなるのだ。こどもたちは、安心の中で育つ必要があるのだ。大人達はこどもたちに、何も心配いらないよ、あなたたちが巣立つまで、わたしたちが守ってあげるから、と言わなければならないのだ、と。
これを聞いたとき、そうだ!という声がぼくの中に起った。
もちろん五味さんの真意は、現実を見据えながら、適切に自己判断しながら、ということではあるとおもうが、心配だ心配だ、危ない危ない、と言うだけというのはそれはそれで最悪だ。具体的な行動を起こさないのなら、ただ危ないというのはよそう、と思ったりした。
そして僕の中でも、ぼくが放射能汚染のことをどのくらいに捉えているのか、不確かだ、としか言えない。いまは日本にいないから、身体のアラートは鳴らないし、普段は忘れている。
なんかもうこれ書くのいやになってきた。きっと読む方もいやだろう。
なんかもっと楽しいことをやっぱりね。
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