12/16/2011

僕の通ってきた道

よくメールのやりとりをさせてもらっている戦前生まれの女性の方がいるのですが、その人から、あなたの怒りはどこにあるのか?と聞かれて考えていました。政治に関してです。いまの若い人はどう思っているのか聞かせてほしいという。

そこで、ぼくが返信したメールをここに転載します。なぜなら、同年代の人に、そう、その通り!なのか、いや、そんな風には感じてなかったけどな、なのか、そういう声を聞いてみたいと思ったからです。
では以下。


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ぼくの場合はどうかと思い出してみると、物心ついた頃には高度成長期で、日本中が沸き立っていました。日本は世界で一番になった!みたいなニュースが連日流されていました。ぼくはいい大学、いい会社とエリートコースに乗ることだけを考えていたように思います。政治を見れば、わけのわからない言葉を弄する大人達がへらへら笑っているだけに見え、政治家はみんな強欲じじいどもだと決めつけていました。そして、政治が自分の生活にそれほど関わりがあるとは思えなかったのです。政治がどうであれ、一流大学へ行って一流企業へ入ることが幸福への切符であり、それは端的に受験勉強を勝ち抜くことでした。政治は関係なかったのです。

ぼくが政治に関心をもち始めたのは、実に米国の9.11事件の後からでした。
それまでは日本の首相の名前も知らなかったのです。

この温度差はでかいですね(笑)

今のぼくの怒りはどこにあるのか。怒りはあるんですが、それを誰にぶつければいいのかわからない感じがしています。一部の政治家が悪いのか?でもその政治を選んでいるのは国民です。官僚が悪いのか?でもその官僚を許してきたのは他ならぬ国民です。つまり、ぼくは、60年代の学生運動にも立ち会っていませんし、国家が武力で弾圧している現場を見ていません。ぼくの目には、政治家や官僚はやはり国民が選び許してきたように見えるのです。その場合が、だれに怒りを向ければいいのでしょうか。自分を含む国民全体の無知と欲望と馬鹿さ加減に意識が向いてしまいます。政治家がダメなら次の選挙で選ばなければいい、でもいまの政府が国民の総合的な合意で出来上がっていることはやはり否めないのです。

ぼくは石原都知事がどうも嫌いなのですが、ぼくがどんなに投票にいっても石原さんが圧勝してしまいます。都民の総意は石原にあり、ということです。この場合、怒りを向けるべきは石原氏ではなく、石原氏を支持している大勢の都民ということになります。

なので、ぶつけ用のない怒りとやるせなさを感じているのです。ぼくの世代には共通する意識かもしれません。

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ここまです。
こうしてみると、なんか言い訳してるようにも見えますね。でもこれが高校生ぐらいのころの実感だと思います。
9.11以降、ぼくはにわかに政治に目覚め、ビデオニュースなどのサイトで様々な情報を集めはじめました。米国の実態、日本の実態、いま思えば驚愕の事実に「ほんとかな〜」と半信半疑で聞いていましたが、今思えばほとんど事実でした。9.11以降、日本の空気感は一変しましたね。もちろんバブル崩壊に次いで、という感じですが。

こんな時代だからこそ、ぼくは自己の幸福を徹底的に追及しようと思っています。正しいことではなく。

2 件のコメント:

マツダナオキ さんのコメント...

怒りは、官僚に向け、政治家に向け、電力ムラに向け、国民に向け、自分に向ければいいのさ

Unknown さんのコメント...

そうだね、自分にも向けつつ、奴らにも向ける、ってことでいいだよね。怒りを表現していくか。