こんな話をきいた。
とある戦前生まれの方と話しているとき、終戦直後に何を思った?と聞いてみたところ、電気をつけられるようになったことがうれしかった、と話してくれました。
映画のワンシーンシリーズ
ぼくは、このネタをいつか映画にしようとあたためていました。そう、何を隠そう、ぼくは以前、映画監督になりたかったのです。ところが、あまりに怠惰な性格と、あまりの遅筆と、あまりの統率力のなさと、あまりの実行力のなさによって、つまりはあまりに面倒くさがりだったために、映画監督どころか、ミニ映像さえもほとんど作らないまま、映画監督、映画監督という呪文とともに空の彼方に消えていったのです。
でも、ぼくが映画を志したのは他でもない、一つの理由は、ぼくは人の話をきくとよく頭の中に映像が回転しはじめるのです。それはほんの数秒だったりするのですが、その映像を表に出してみたい、という欲望がうずいたりするのです。しかし、その映像は、基本的に映像化するにはあまりにセッティングやキャスティングがめんどくさくて、いずれ、いずれ、といっているうちに何十年もたってしまったりするのです。そうです、ぼくはあきらめました。映画監督を。いやさ、自分が映画、のみならず映像をつくれる人間だということをいま、ここに基本的にあきらめました。
そうなるとかわいそうなのは、頭に浮かび、いまだその陰影を薄めないフラッシュ映像たちです。
ぼくはこれを、いまここに書くことで成仏させていきたいと考えました。
前置きが長くなったようです。本編に入りましょう。「12歳の白熱電球」
それはこんなシーンから始まります。
夏の夜中に、空襲警報が鳴り響きます。
家々からわずかに灯っていたろうそくの光が次々と消えていきます。
空に米軍のグラマン飛行機がわらわらわらわらと轟音をひびかせて飛んできます。
焼夷弾を落としました。
町は焼け始めます。
そして、ある日
玉音放送です。大人たちが正座し、涙をぬぐいながらラジオを聞いています。
大人たちにまじって、きょとんとした顔の12歳の少女が座っています。
5歳の弟ももじもじしながらとなりに座っています。大人達の顔を不思議そうに見上げています。
日が沈み、夜になりました。
大人達は沈痛な顔でぼそぼそと話し合っています。
少女は立ち上がり、白熱電球のスイッチをひねりました。
明るい光が家中に広がりました。
「わー明るい」
大人達も思わず電球を見上げます。
少女は部屋中を見渡し、久しぶりの夜の明るさに体中を喜ばせたのです。
そう、空襲を警戒して夜は電気をつけないように指導されていたのでした。
時間がたって
進駐軍がジープに乗ってやってきます。土煙がたちます。
こどもたちが駆け寄ります。「ギブミーチョコレート」
米兵はこどもたちの頭をなでながら、お菓子を配ってやります。
おかしをもらってうれしそうに駆け出していくこどもたち。
少女の家。
少女が弟を叱責しています。
「おまえ、日本男児だろう、はずかしくないのか!」
チョコレートを手にうなだれる弟。
少女にとって、憎き敵兵からほどこしをもらって喜ぶ弟が情けないものに思えたのです。
2年がたって
少女は中学生になっています。
学生服を着て通学路を歩いていきます。
季節は春ですね。桜がちらほら舞っています。
向こうから、外人のお姉さんが歩いてきました。すれちがいます。
ふわっとする香水の匂いと、真っ白いおしゃれな洋服。
洋服。
少女の目は洋服にくぎづけになりました。
あんな服を着てみたい。あんなきれいな服を着てみたい。
また数年がたち
少女はどこかの学校の前にたっています。
神戸洋装学院という看板が見えます。
日本初の洋服のデザイナー養成学校です。
少女は、自分で洋服をつくれるようになりたい、
そんな夢をいつしか抱くようになっていたのです。
この少女がのちに、日本のファッションデザイン界を開いていくことになるのですが、
それはまた別の機会にお話ししましょう。
まあ、ざっとこんなイメージが駆け巡っていたのです。
こうして書いてみると、まあありがちかな。
でもぼくの頭の中では、この凛とした少女のあいくるしさといったらないのですが、
それをお伝えするすべがなく残念です。
あ、いちおう言っておくと、上記のイメージはオリジナルは一切無く、
すべて誰かからきいたお話の寄せ集めです。
たまにはこんなシリーズも。
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