12/04/2011

昔はよかったバリ

このまえ、バリ在住30年という人にあった。
1970年代にバリに始めてきて、その自然の美しさ、そして何よりの人々の素朴さ、あたたかさに魅かれて移り住んだと言う。おりしも日本は高度成長の真っ最中であった。

そして、バリもすっかり変わってしまったと言います。
こんなに車も走ってなかったし、海も空気もきれいだった。
ひとびともお金お金と言うようになってしまった、と。

だから、より田舎に引っ越したのだと言う。

なるほどーわかるよー。わかります。
昔の記事を読むと、バリがどれほど素朴で美しかったかわかります。
あと20年早く来たかった。人々が素朴で美しかった夢の島だったころのバリを知りたかった、と思うときもあります。

しかし、実際のところこう思うのです。「当たり前じゃん」と。

バリ人だって人間です。近代化を望むのは当たり前です。
誰だって車に乗りたい。どこへでも行けて非常に便利このうえない。こんなすごい物、欲しいに決まってる。わたしは車なんていらないよ、という人は、それは機能的な日本の都会に住んで鉄道のお世話になってるから言えること。鉄道のないバリ島では、車(バイク)があるかないかで、まるで行動範囲が変わってきます。こっちでは小学生みたいな子もバイクにのってます。

そんな排気ガスをまき散らす車なんかにわざわざ乗らないでくれ、とは誰も言えませんね。
だから、心情的にはとても共感するとはいえ、「素朴だったバリ島」が失われていくことを嘆いている人を見ると、ずいぶん自分勝手なことを言うものだな、と思ってしまうのです。

自分だって、日本だって、昔は素朴で善良な人々に見えたはずです。江戸末期ころに蒸気船に乗ってやってきた西欧人から見れば、かつての日本の田園風景はとんでもなく美しく、村人はみんな善良に見えたことでしょう、お金お金、とも誰も言ってなかったでしょう。あまりに縁遠かったからです。
お金だけあっても自由に使える自由がなかったのかもかもしれません。

そんな素朴な日本人が、わずか100年あまりでバブル期には「エコノミック・アニマル」とさえ揶揄されるほどになりました。お金に物をいわせて世界中の不動産を買い漁ったのです。
そして、欧米から「ライジングサン」、「ジャパンアズナンバーワン」といわれ、いい気になっていたのです。ぼくも子供の頃にこう思っていたのを覚えています。「日本で一番になれば世界で一番なんだな。よし、日本のトップを目指そう!」って。たしか小学生くらいにぼんやりそう思いました。
そう、集積回路の記事を読んだときです。日本はまたしても世界一になりました、的な記事が連日新聞をにぎわせていました。

日本人は近代化を目指し、欧米に追いつけ追い越せを合い言葉に、富を求めたのです。そして実際に国民は豊かになりました。もちろん、環境破壊や公害病など犠牲は払われました。しかし、やはり日本人の集合意識は、それを求めて邁進したのです。もう一度やり直しても同じ道を辿ったと思います。

このバリ島でも、質の悪い排気ガスをまき散らしながら車とバイクが走り回っています。外出すると、目とのどが痛くなるほどです。服も排気ガスの匂いで臭くなってしまいます。
放射能の危機から逃れたはずのバリ島で、肺がんになるリスクのほうが高いんじゃないのか、と皮肉な気持ちになることもあります。

しかし、それをバリの人々は選択しているのです。つまり近代化です。
海も汚れています。排水を川に垂れ流しているからです。かつて日本で起きたことがそっくり起きるのです。それは無知から来るとも言えるかもしれませんが、知っていても変わらないでしょう。企業は公害を防ぐコストを払いたくないはずですから。それよりも今はさらなる生産、近代化が優先されます。世界中の先進国が通ってきた道なのです。

それでもバリの人たちは、もしかすると日本人より賢い気がします。宗教も好影響を与えるているはずです。バリでは高いビルを建てられません。さらに、儀式で使う一部の海はしっかりと開発から守っています。まだ、近代化より宗教を優先しているのです。その分ましだと言えます。たぶんバリの人たちはバリの自然を守りながら、うまく最低限の犠牲を払いつつ先進国並みの近代化をとげるでしょう。

人間の欲望なんてさしてかわりはしないのだな。
バリに来て、そんなことを思ったりしているのです。

とはいえ、バリ島、毎日が青い空、これはやはり、いいです。

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