人は自分勝手な物語を生きればいいのではないでしょうか。
今朝は珍しく朝6時に起きて海へ。
朝一の海を独り占めしたかったのです。
もちろんサーフボードを連れてです。
6時10分、海に到着。朝日に照らされた海は静まり返っています。
堤防の上を早起きのバリ人たちがお散歩しています。
朝一の海は静まり返りすぎていました。
波ねーじゃん。
30分ほどストレッチなどして波を待ちますが、一向にウェーブが来ません。
ひとまず朝ご飯を食べにいくことにしました。
近くのワルン(食堂)へ。完全ローカルのワルンで、英語が通じず。
他のお客さんの助けを借りてなんとかナシチャンプルーとバリコピ(コーヒー)を注文しました。
小一時間休憩して再び海へ。
波はさらに引き潮で、沖へ沖へと遠ざかっていました。
潮見表を読み間違えていたようです。
もうとりあえず海へ。ボードに腹這いになり、ちゃぷちゃぷ遊びました。
ニューボード、いい感じです。パドリングもすいすいです。
あまりに波がなく、ブギーボードみたいに遊んでから、8時頃に海をあがりました。
そんなこんなのニューボードデビューの朝でした。
えっと、ここからがタイトルの話題です。
バリに来てから数日置きに誰からから「なんでバリに来たの?」と聞かれます。
いつもは、物価が安いから、サーフィンができるから、の2本立ててで回答しています。
さらに仕事のことなどつっこんで来た人には、パソコン1つでできる仕事に変わったからかねてから興味があった海外暮らしをスタートしてみたのだ、と言うことにしています。
ほとんど以上で、説明は完璧なのですが、しかし僕の中で振動している何か別の理由がある気もしていました。それははっきり何かはわかりません。
5年前、ぼくがあらゆる希望がなくなった(かのように思え)吉福さんのところにインタビューという名の人生相談にいったとき、結論としては、あんたは金、仕事、女の全てにひっかかってるんだね(笑)という結論が言い渡されました。(笑)の部分は本当に笑われたのです。
で、吉福さんの処方箋は、お金については貯金をなくすこと、仕事と女について、ぼくの中になにか結ぼれ、ひっかり、フィクセーションがあるから、それを解消するのが一番だ、ということであり、そのためには、いろんな仕事や女をとっかえひっかえ試すつもりで自覚をもちながら様々な実験を繰り返して行け、というアドバシスに結実しました。
果たして、その後、数年の間に本当に貯金はゼロになり、そのおかげで仕事を探しはじめ、めでたく6年ぶりの社会復帰とあいなったわけです。そして女性関係のほうもそれなりに雪解けを迎えたのでした。
しかし、しかし、3大テーマはまだしっかりと僕の中に「まだここにいるぞ!」と声をあげているのです。牛歩の歩みで進歩はしている、しかしまだまだしっかりと結ぼれがあるのがわかるのです。
実験が足りないようです。
しかし、あれから5年経ってまだここまで。解決にはほど遠い。あと何年たてばぼくは一人前になれるのでしょうか。しかし、人生はあまりに短い。一生のうちに間に合わないかもしれない。
しかしかし、これはぼくが定義したぼくの物語なのです。
3大テーマで起きている結ぼれを解消していくこと、そのための実験をしていくこと、そして隠れテーマのようにある本命テーマはきっと「情熱問題」でしょう。どうやったら情熱を燃やせるか。
そしてさらにその底に身を潜めてたまに噴火する裏番長は「ここ一番で噴火する極度の不安症」というものです。こいつのおかげで数々の失敗をしてきたし、数々のチャンスに手を伸ばしそこねてきたのです。
もちろん情熱にもかかわるでしょう。
こうした、まあこうして書いてみると、なんのことはない、誰にでも当てはまりそうなしごく一般的な問題・課題を抱えているだけ、と言ってもいいのですが、我が身中に内在するそういうものの実態を確かめ、なんとか解消したり手なずけたり解放したりしていこう、それがぼくが半分無自覚で選択している自己物語なのです。
ぼくはその物語を生きている(つもりで生きている)ので、実は他のことはよくわかりません。
これは全て自分のことであり、全く自分勝手な自己中心的な物語だといえます。
だけど、他人の物語を生きるよりは自分の物語を生きた方がいいし、事実、それ以外に生きる方法などありはしないのです。少なくともぼくにとっては。
おっとなんだかまたおかしなまじめ腐った話をしてしまいましたね。
自分勝手な物語をどうせ生きているなら、せめてその実験結果はフィードバックさせてもらおう、と常々考えておるわけですが、まあそれは込み入った話にあるので個別に聞きにきてくださいね。
みんな自分勝手に生きましょう。
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