10/24/2012

天皇論

じつは、僕は戦争論につづき天皇論を華々しくぶちあげるつもりでした。

その書き出しは決まっていた。

「ぼくは天皇は現人神だと思う。この現代においても。」という書き出しだ。

 ところが、天皇についていろいろ調べている途中、昭和天皇が広島の原爆投下について、「やもおえないことだと思う」と発言しているYoutube動画を見つけてしまった。

動画から天皇陛下のお言葉通りに抜き出すと、以下になります。

「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾には思ってますが、戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やもおえないことと私は思っております」

おっとこれは。。なにやらガーンとなぐられたような気になる。ポカンとしてしまった。この動画の説明には、「1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」とある。

なんというか言葉を失う。あれ?これはどう考えればいいのかな。。どう解釈すればいいんだっけ。。

にわかに自分の天皇観がわからなくなってしまった。

先日のブログで、僕はいせいよく、アメリカ大統領は原爆を「間違っていた」と発言すべきだ、と書いた。そういう仕切り直し、けじめ、みたいなものをとってもらわないとまともに対話する気にならんもんね、と思っていた。謝罪でなくてもいいのだ。今の自分たちは、今の自分は、原爆投下を間違った行為だと思っている、という認識を示してほしいだけだ。もちろん本当にそう思っていればの話なのだが。

ぼくはこれを当然のことのように思って先日の記事を書いた。日本人はみんなそう思ってるし、アメリカ人も本当はそう思ってるでしょ?という意味で。

ところが、先の天皇陛下が「やむを得ないこと」とおっしゃっている。。陛下がやむを得ないと言っているのに、おれが「あるまじき行為」と言ったところで、どうなのかな?なんて思ってしまったり、いや、そういうことじゃない、と思い直したり、わけがわからなくなった。

なので、いったんここらへんの話題はもうやめとこうかな、と思う。なんか自分でもよくわかってないわ。

で、冒頭にもどり、なぜ天皇は現人神だと思うのか、さらっと書いて終わりにしておく。なぜならば、いまの平成の天皇陛下を見ていると、もちろんテレビで見ただけの印象で書く事になるが、どう考えても、ふつうの人間では耐えられないお立場にいるように見える。プライバシーも自由もものすごく制限されている。自らの行動、発言、一つ一つがものすごい影響力を持つことを十分にご存知だろう。彼は権力者ではない。何の権力もない。権力にまかせて豪遊もできない、女も囲えない、下々を思い通りに働かせて悦に入ることもできない。ただひたすらに国事行為を忙殺され、それでいて国民から一心に頼られ、そうたぶん精神的にはそうとう頼られているのだ。そして諸外国へいっては慰霊祭に出席されたりしている。外国の要人やメディアに対して天皇が与える印象が、日本の外交にひびくことも重々にご存知だろう。そんな日々のなかで、テレビで見る限り、健やかなお顔をして文句ひとつ言わずに務めを果たしておられる。(もう勝手に敬語になっちゃう)

 ぼくたち国民は、身勝手にも、その、叶えられない純真さと無垢さを天皇に託しているのだ。自分たちのスピリテュアリティーを天皇に預けることで、現実を、日々を、のうのうと生きていけているのだ。

 そういうようなもろもろの意味において、天皇陛下はこの現代においても、いや、この現代においてこそ、現人神であらせられる、という思いが体の芯からツーンと湧いてくるのだ。たとえばダライラマだって普通の人間じゃないというような意味において。日本にだってダライラマはいるのです。ただ黙って静かにあらせられるのです。


ということなんだけど、ぼくのなかで思考が分裂しちゃったので、いちど天皇論はご破算にします。すんません。。







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