10/15/2012

戦争論2

そう、戦争の話というよりは、言論の話であり、言論というよりは無意識化されていることの話であり、無意識化されている欺瞞という話なのだ。ぼくにとっては。

そういうものが日本の活力を奪っている。また、そういうものがアメリカを没落させてゆく。それはそうなるに違いないのだ。原爆投下を間違ったことだと言えないアメリカ大統領の口からどんな言葉が吐かれたとしても、それは信用に足る言葉だろうか。もちろんその刃は日本にも返ってくる。そうなるとぼくは左翼的になるのだ。

誰も本当のことを言わない世の中。それは人が死ぬ世の中です。

おっと、勇ましいことを書いてしまった。それはもしかして敗戦間際の日本、情報統制下の東ドイツのことなのかもしれません。迷走してきたようなのでこのまま迷走を続けましょう。

 まあそんな勇ましいことじゃなく、ただ、ちくしょう!という気持ちがぼくの中にある。その正体を探りたいだけなのです。

しかし、じゃあ僕のなかにびしっと筋の通った戦争観、歴史観があるかというと、それはないのです。常に混乱している感じ。そんな混乱を抱えながらも、「楽しく生きる」ことを目指して日夜がんばっているのです。だってそうでしょう? どうせ生きるなら楽しくなくっちゃ。

そんな風な僕が国民のひとりとして日本国を構成している。その不思議。いったい我が祖国はどうやって日々成り立っているのでしょうか。気がつけばそこにあった。だが、混乱したままそこにある、そしてその混乱の中を育だちぬいてきたのが僕たちなのです。しかもその混乱は、内面的な混乱であり、外部のサバイバルという形で現れた混乱ではありません。サバイバルならば生き抜けます。人間は、いやさあらゆる生命は、そのように設計されているからです。

いよいよ勇ましくなってきました。
 ちがうんです、そんなことを書きたいわけじゃない。僕が普段気にしていることはもっと小さいことです。大きく見積もっても、今度どんなふうに仕事を広げていこうか、というそこまでです。それ以上に大きなことはある意味どうでもいいことなんです。ぼくだってまずは飯が食いたいのですから。それも楽しく(ここちょっと贅沢ね。すみません。。わがままかつミーハーなもんで。。)。

だから日本を代表するミーハーなぼくとしては、ミーハーにも、世界の中で日本を考えるなどという若者の教科書の1ページ目に載っているようなことをやるつもりでいたりするのです。いや、うそです。それは結果的に、です。

たとえば、ここタイの人々は、僕たち日本人が抱えるようなどこか暗い、忸怩たる、裏腹の、賛否両論な、口論の種になるような、戦争問題は抱えてないと思いますからね。壊滅的な戦争はしてないですから。その反面で、なにもそこまでというほど政治では熱くなっているようです。つい昨年でしょうか、赤シャツ、黄シャツに分かれて銃撃戦を行なっていたのがこのバンコクだったのが。政治闘争で人が死ぬ。市街戦になって軍隊まで出動するなんて、今の日本では考えられません。

そんな風に、あれ〜なんでだろう〜みたいなことは日夜思う訳ですね。やっぱり外国にいると。でもそれもうそです。本当は、なんとなく旅気分を続けたい、それだけなのかもしれません。

はい、もう話題それまくり。

わかっています。ぼくが本当に頑張らねばならないのはやはり仕事。そこから目をそらしつづけた10年を取り戻さなくてはいけないのです。ふー、そのことを考えると急に頭脳の回転が止まるかのようです。まだ戦争の話のほうが長く話せますね。

あーがんばらないと、がんばりますよ。ええ。





0 件のコメント: