10/28/2012

書評:「ワークシフト」(リンダ・グラットン)



『ワークシフト』という本を知り合いから送っていただいて、ラオス小旅行の供としていました。

書評というか、この本を読んで浮かんで来たことを書いてみようと思う。
まずこの著書の訳者、どこかで見た事があるなあと思っていたら『フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか』と同じ訳者だった。

この『フリーエージェント社会の到来』、思い出の本でもある。どういう思い出かというと、あれは5年ほども前だろうか。将来が本当に真っ暗に見えていたときに、何かすがるような思いでAmazonで注文して読んだのを覚えている。なにかヒントが欲しかったのだろう。なにか、今とは違う働きかたがあるんじゃないか、できないか、という思いがあったのだと思う。当時はよくわからんけど題名だけで読もうと思った。で、実際この分厚い黄色い本を読んでみて、感想は、うーーん。というものだった。簡単に言えば、アメリカ、とくにカリフォルニア州ではすでに4人に一人のワーカーは企業に雇われず、フリーエージェント(フリーランス的な感じ)で働いているのだ、こらからこの流れはますます増すのだ、というような本だった。未来予言本というよりは、著者のダニエル・ピンクが実際に足で調べた豊富なデータを元に、分析的に書き上げているものだった。未来本ではなく実態本なのだ。

で、なにが「うーーん」だったかというと、なんとなく、自分に結びつけて考える事ができなかったのだ。フリーエージェント、企業に雇われない働き方、それを選ぶ人が増えている、すでにそういう生態系が出来上がりつつある、それは朗報だ。たしかに朗報ではあるが、僕にとっては解決ではないように見えた。

それは何か。それは、雇われていようと、いなかろうと、「何をするのか」が常に問題だったからだ。それが僕の問題だった。(当時はたしか働いていない時期)

 何を職業とするのか、それまでIT系の職業にはついてきた。企業の中でシステムエンジニアをしていたり、フリーのウェブデザイナー(なんちゃってレベル)などはやってきた。でも、それを続けたいとは思えなかった。つまり職種を変えたかった。でも何をすればいいのかわからなかったし、何でわからないのかもわからなかった。

雇われないことが即ハッピーにつながる訳ではないことはわかっていた。やる気がつづく職業につかなければ早番破綻するであろうことが、自らの性格を顧みると透けてみえていた。

だから、カリフォルニアのフリーエージェント達のレポートを読んでも、ああ、君たちはよかったね、と思うだけで、僕もそうなんだ!と手放しで救われるようなことはなかった。彼はなんであれ、職をもっている。自分の職種をもっているのだ。デザイナーかもしれないし、セールスかもしれないし、コンサルタントかもしれない。なんにせよ、私の仕事は◎◎です、と言える何かを持っていた。それをたまたま、企業に雇われる形ではなく、フリーという形でやっているということだ。当時、いったいどんな仕事なら自分にできるのだろうという問題に悩んでいた僕にとって、ただ、ああそうですか、という感じでしかなかった。つまり、ぼくがそれまでのキャリアを活かしてエンジニアやウェブ制作者などでフリーランスを目指すのであれば、大変参考になり、心強い本だったかもしれない。でもぼくはキャリアを変えたかった。

どんな形態であれ、仕事として「何か」はしなければならないのだ。その「何」が問題だったのだ。

そしてその問題はいまでも解消済みではない。いま、唯一やっている仕事はライフハッカーというサイトの翻訳だ。これは今一年続いている。これはある意味、好きな仕事だ。この延長や拡張、展開としてキャリアを積めればいいな、と思い始めているところだ。だから当時のぼくの悩みからは少し進んでいるとは思う。でも、自分は翻訳者として今後やっていく、という腹のくくりがあるわけではないのだ。そういうところが僕の長年の問題なのだ。腹をくくれない病みたいなものだ。

 ということをご説明したところで、「ワークシフト」の話をしよう。つまり、この本も、ぼくには「フリーエージェント社会の到来」的な受け止めかたをしてしまった。働き方が変わる、それはいい。きっとそうなるはずだ。働き方を自分で選べる時代がくる。もう来ている。自由度がかなり増す。その分、自己責任的に、自分の働き方を自分でマネージメントする必要が出てきますよ、というのが本書のメッセージの1つだ。何も考えずに過ごしていると、いつのまにか貧困や孤独に追い込まれるかもしれませんよ、的なことが書いてある。逆に主体的によく考え、アクションしながらやっていけば、いろんな働き方の可能性が開けますよ、という内容だ。あとはそのためのヒントが具体的に様々なケーススタディーとともに書いてある。

どちらかといえば、いや間違いなく「希望」が書いてある。ワークシフトにより、働き方が世界的に変わることにより、やはり、多くの人は今より幸せになるだろう、という予測が感じられる。だが、気をつけなさい、うかうかしていてはダメですよ、という釘が刺さっているという感じだ。

 でも、やはりまた再び改めて問われてしまったのだ。で、その新しい世界で君は「何を」仕事にするんだね?と。社会の中でどんな役割を担うことで収入を得るつもりですか?と。

だからーー、そこでしょ?そこだけでしょ?そこおれが腹に決めたら、あとはいろいろ可能性があるよ、ってことでしょ?でもそこは自分で決めるしかないんだもんね。

世の人々はどうなのであろうか。働く「内容」ではなく「働き方」が問題なのだろうか。つまり、会社員の人は、今と同じ仕事、同じ職種、同じ業界でいいから、ただ、自営業やフリーランスになりたい、という人が多いのだろうか。自営やフリーになれば自由度は増す。自分で様々な働き方を選ぶことができる。もしそうであるなら、彼らには朗報があるよ、ということだ。これから、雇われなくても食える人がいっぱい出てくるよ、という本なのだから。雇われなくてもと言う風に限定されているわけじゃないけどね。でも、大きく2分法で言っちぇえばそういうこと。今よりずっと自営業やフリー的な働き方がやりやすくなり、そうする人の割合も増えるだろう、ということなのだから、あなたもその一人になれる確率は今後増大する、ということだ。

なんだがまとまらなくなってきたよ。書きながら何かに気づき始めているような気がする。結局は、びびってないであれこれやってみるしかない立場にすでに追い込まれているのが俺なのだろう。もう企業に雇われていないし、心に秘めた憧れの職業があるわけでもないわけだからだ。

 今日は長くなるよ。

さっき、ここバンコクのコワーキングスペースHubbaで、というか今もそこにいるんだが、起業家2人としゃべっていた。ひとりは、顧客を巻き込んで商品開発する手法を広めようとしているアメリカから来た若手起業家、ひとりはここhubbaの創設者だ。で、僕が、いやーここにいると僕も起業したくなるな、なんかないかなー、とか適当に言っていたら、「なるほど。で、君のパッションはどこにあるんだい?」とずばっと質問が飛んできた。おれは、えっと、パッションは。。としどろもどろになってしまった。ぱっと何も言えなかった。久々に会話で焦った。なぜなら起業家達は、その質問がでたとたんに、真剣な顔つきになってしまったからなのだ。真剣な顔でぼくをじっと見ている。うかつなことは言えない。彼らはマジなのだ。

で、結局、ぼくはライフスタイルをどうのことの、みたいなわけわからんことを言ってお茶をにごし、では君たちのパッションはどこにあるんだい?と逆襲に出てみた。すると、彼ら2人はすらすらすらすらと、どんな動機で何を実現したいのか、よどみなく言いきっていた。そこには確かに、なにやら感情の動きが感じられた。つまり、口からでまかせじゃなく、彼らが本当に思っていることなのだろう。

Y世代だ。「ワークシフト」にも出てくるが彼らは20代〜30代前半のY世代たちだ。Y世代がピュワだ。自分の情熱に素直なのだろう。実に曇りない顔で、こういうことをやりたいので、やっているのだ、と言う。若気の至りだろうと言うかもしれないが、アメリカの彼などは、いままでに3回起業し、3回失敗しているのだという。今回はその失敗を活かして、その経験を起業家たちにシェアすることで仕事につなげていく、みたいな感じのことを言っていた。タフだね。

で、書評になっていないが、「ワークシフト」、これを読んでぼくが言えることは、働き方は変わる。それはもうすでに訪れた未来と言ってもいい。5〜10年でかなりの可能性が開かれ、とくに思い切らなくても自然にワークシフトしていく人たちが大勢現れるだろう。だから今会社の中で苦しい思いをしている人は、その苦しみは続かないかもしれない、と希望を持っていい。みんなが変わるのだ。常識も価値観もかわるということだ。だから苦しみもがいているだけで、あるとき、ふっと解決しているかもしれない。とにかく現状が際限なく続いていくんじゃないか、という閉塞感は持たなくていいと思う。現状が際限なく続いた歴史など人類の歴史にはないのだし。おおげさにいえば。小げさにいっても、ぼくが社会人になってから20年余り、思いも寄らない世の中にすでになっている。ちっとも予測できなかった。20年前のぼくから見れば今のぼくなどは生きていることにならない。それほど狭い価値観を持って僕は社会人になったのだ。

 もうぜんぜんまとまらないし、長い。すみません。だから言おう、未来はやはり明るいのだ。人の憧れが未来をつくるのだとしたら、いま、世界中の人が、いや、もっと限定して、日本人の憧れは、もっと気軽で自由で楽しい未来、もっとリラックスして、それでもやりがいがあって充実して、周りの人とわかちあって楽しく生きている未来、そういう未来に憧れ始めている。ぼくはそれを感じる。ならば、その憧れは実現するのだ。それが人類の歴史だ。具体的には欲も実現するのだが、つまりは憧れなのだ大元は。憧れは恐竜を空に飛ばし、人類を宇宙に飛ばし、そして、こんどは、何を飛ばすのかしれないが、最終的には欲と憧れの幻魔大戦の中で、おのれのリアリティにうちふるえながら生きる未来がやってくるだろう。


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