10/21/2012

おそらく最初の記憶


ぼくが長い間、人生の最初の記憶だと思っていることがある。
それは、昔住んでいた小さな一軒家の4畳半の居間で、姉が始めて幼稚園に行く日、姉が幼稚園のほとんど黒に近い紺色の制服を着て座っている。あたまにはフェルト素材の同じく黒っぽい帽子が、すこしも型くずれしてない丸さを誇ってちょこんと載っている。ピンクと白のストライプのリボンが踊っている。姉はまた、黒いタイツを履いている。そして、少し横に足を崩した正座のような姿勢で僕と向かい合うように座っている。
そして、ぼくは、だらしなくパジャマのままでそれをじっと見ている。もうすぐ幼稚園のバスが迎えにくる。ぼくは何か新しいことが始めることだけはわかったようで、ドキドキどきどきしている。そして僕のとなりには小さな薄いグレーのような黄土色のようなブチの猫が座っている。少し肌寒い早春の朝なのだ。

とこういう記憶だ。しかし、これはたぶんうその記憶だ。
ぼくの家で猫を飼っていたことはない。母が動物アレルギーだから、簡単に近所の猫を家にあげていたとも考えらられない。それにたぶん、姉が始めて幼稚園にいくとき、ぼくは1歳とかだろうから覚えてるわけはないし、第一、ぼくが1歳のころ、ぼくたちはその記憶のシーンにある家とは別のアパートに住んでいたという事実があるだ。


だからこれは本当の記憶ではない。うまく合成されたにせの記憶。もしくは印象だけから再生した借り物の記憶なのだろう。


そして、次に、疑惑の記憶がある。もしかしてこれが人生で最も古い記憶なのではないかという記憶だ。
それは、ぼくと姉と母と父が、土手の下の道を歩いている。母がすごくうれしそうに何かを父に話している。はしゃいでいるようだ。父は肩にかつぐようにして何かの箱を持っている。どうやらトースターのようだ。時刻は午後の3時半といったところだろう。まだ十分に明るいが、少しだけ夕方の気配がする黄色く焼けたオレンジの光が射している。

これがなぜ最初の記憶っぽいか。それは我が家ではじめてトースターを買ったであろう場面であることと、そんな土手の下の道を通って買い物にいくようなルートは、ぼくが覚えているこどものころ住んでいた家の周辺にはないのだ。だから、これはぼくがもう覚えていない、ぼくが3歳まで住んでいたというアパートへの帰り道ではないかと思うのだ。

だがしかし、これもまた本当の記憶ではないだろう。だから、ぼくは確かめずにいる。

こどものころの記憶を思い出すとき、まるで扇風機のまえに顔をもっていったときみたいになる。
風がわーーっと口にぶつかってくる。涼しくて気持ちよくて、おかしくてウキウキするんだけど、息がちゃんとできず、どこか息苦しい。

でもこのまま窒息してしまうとは思わないので、その息苦しさを楽しんでみたりする。

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