翻訳をしていて気づいたことをもういっこ書くよ。
翻訳で難しいのが、どこでそれを完成とするか、である。
永遠に手直しを繰り返してしまうことも可能なのだ。文章とはそういうものだろう。
もちろん、締め切りというものがあるが、いつもいつも締め切りが来るまで直しつづけるとしたら疲労困憊してしまうだろう。
ぼくは、翻訳が完成するときのある法則に気づいた。
最初はざっと訳したあときは、ああ、こんな文章誰が読めるんだよ、直訳にさえなっていない。。とうなだれる。ところが一回二回と手を入れていくうちに、なんとなく読めるものになっていく。しかし、同時に、いったいこの文章はよくなっているのか、悪くなっているのか、いじくり回しすぎておかしくなっているんじゃないか、という疑念ももたげてくる。
そういうときに、ひとつに指標。細かいところを手直ししたくなったら、それは完成が近づいているのだ。
つまり、記事全体がしっくりこないだとか、この文章まるごとおかしいなあ、と思っているうちはまだ手をいれるべきなのだ。でもじきに、この単語はこっちのほうがいいな、とか、ここは「が」じゃなくて「は」だな、とか、この「無料の」は「フリーの」にしたほうがしっくりくるな、とか、一見、どっちでも意味は同じ、という部分が気になりはじめたら、それはもうすぐ終わりだよ、というサインなのだ。
そして、句読点ひとつが気になり始めたら、もう終わってもいいということだ。
この「、」はないほうがいいか、あったほうがいいか、そう迷っている自分がいれば、感覚的にえいやとどちからに決めてフィニッシュだ。
もちろん、あくまでそれは自分のなかの基準でしかないだろう。他人から見れば、もっとほかに手をいれるべき箇所があるのかもしれない。しかし、自分の中に基準があると便利ではある。
ご参考に。
2 件のコメント:
同感です。翻訳していると何度も読むことになるから、どうしても客観性を失いがち。フレッシュアイで確認するためにも、こういう「自分基準」って大事ですよね。
そうそう。フレッシュアイにするためにも寝るのが大切なんだね、いまわかった。
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