12/28/2012

原発がなぜいけないのかわからなくなる話

このまえ、知人の原発推進派(というか単純に日本は今のところ原発が必要だと思っている人)と議論をしていて、あれ、困ったな、という気になった。

それは衆議院選挙の前のことだったのだが、その人は言う。原発を廃止したら、電気が足らなくなるぞ、今までのような生活ができないのを覚悟しているのか?と。

ぼくは答える、そこまでの覚悟はないけど、原発がなくても現状程度の電気は発電できると聞いている、と。

彼は問う、いかに?と。風力ですか?太陽光ですか?と。風力や太陽光では十分な電力も発電できないし、コストもかさむ。それに風力発電は超音波被害みたいなものを発生させ、周辺の住民や農業に被害が出ているのを知っているか?と言う。

僕は、風車の被害のことは調べたことがなかったので、ちょっと焦って、ゆくゆくは自然エネルギーが望ましいが、当面は火力発電でまかなえると聞いている、と答える。

彼は、それなら石油の輸入を増やさなければならない、外国へのエネルギー依存度がさらに高まることになる。それに温暖化にも悪影響が増す。それでいいのか?、という。

僕は、外国への依存度的なことは考えていなかったので焦って、天然ガスが日本海にあると聞いている、などと口走った。

彼は、それはまだ実用化されていない、当面はどうするつもりなのか?と言う。そして、そもそも原発なしでやっていける根拠をちゃんと集めてあるのか?と問いかけてくる。

僕は、え、え、と焦って、そんな全部調べてられない!とついに切れる。いろんな学者がいろんなことを言っている。できる、できない、どちらの情報も錯綜している、そんなの素人の僕が全部調べて、全部判断できるわけがない、その代わりに僕は人を信頼している、飯田さんという人を昔から知っていて、親善エネルギーにも原発エネルギーにも詳しい人らしい、だから僕は飯田さんを信頼する。彼が原発なしでも大丈夫というなら、僕はそれを信頼する、と最後の屁のようなものをかますしかなかった。

彼は、ああ、飯田さんね、と言って、なんとなくそこで議論は終わった。

僕は、内心、これは大変なことになったぞ、と汗をかいていた。
当然のごとく正しく主張できると思った脱原発、以外とちゃんとした根拠をがんがんと示すことができなかったのだ。つまり、どの研究期間がどんなレポートを出していて、それに反論する学者はこう言っているが、それにも反証することができる、ほら、こういうデータがある、みたいな精密な議論をしなければ、ある意味、相手の主張する論拠を」「すべて」反駁できなければ、この議論には勝てないのだ。そして、そんなことはちょっと無理だ。

ならばと伝家の宝刀を出すのもありだろう。核廃棄物を処理できないうちは、原発を稼働すべきではない、そんな汚染物質を未来の子供たちに残してはならないのだ、という倫理に訴えるしかなくなってくる。でもそれはそれで、こういう反論もくらうことになる。あの環境にやさしそうな国スウェーデンだって原発があるんだぞ、スウェーデンだって核廃棄物を出している。核廃棄物が倫理的に犯罪だというなら、世界にある何十もの原発保有国はぜんぶ犯罪国家ということなるが、それでよろしいか?と。

スウェーデンも原発あったのか。。自分の無知を嘆く。スウェーデンも原発やってるなら、地球環境にとってそんなに悪いものじゃないのかも。。うまくやればいいだけの話で。。などという考えもちらっと差し込んでくる。

それで、僕はアブねえ、と気を取り直して最後の防戦を試みる。いや、ヨーロッパには地震あんまりないからさ、日本は地震国、津波もある、原発そのものの善し悪しは置いといて、地震国日本に原発は適さないのだ、いかがか?

これでなんとか勝てる。さすがにそれは確かにそうだな、ということになる。しかし、地震に耐える原発をつくればいい、技術革新のためにも自国で原発技術を保有したほうがいいのだ、と言われてしまうと、およよ、と完全論破は諦めたほうがよさそうだ、ということになる。

そして、なんとなくもう面倒だから議論するのよそう、と思う。おれはおれで勝手に脱原発に一票入れていくから、お前はお前で原発推進に一票いれればいいじゃないか、などと思う。しかし、本当はそうじゃないだろう。別に好きなアイドル、どっちがかわいいか、で言い争ってるのとは違う、何かあれば一蓮托生、同じ国に住む人間として、お前はお前で好きにしな、俺は俺で好きにするさ、という問題とは違うのだ。

事故があれば脱原発派のひとも被害をくらうし、もし原発を廃止して電力不足になれば、原発推進派の人も等しく影響を受けることになる。ここはひとつ、一緒に議論してどうするか決めていくしかないテーマなわけだ。

でもどうやって議論するのか?それが問題だ。お互いに理論武装してやり合うのか?それってすげー大変。学者の間でさえ意見が割れているのに、素人の間で議論するには何をもってすればいいのか。

とはいえ、とにかくみんなが少しでも知識をつけて、ああでもない、こうでもない、と言い合っていくしかないだろう。すぐに答えを出すのではなくて。僕の腹の中では脱原発と決まってはいるが、もしめっちゃ安全な原発が開発されて、廃棄物の処理にもうまい解決策が登場したら、そこは再考を要するだろうし、原発廃止したから今後3年は電気料金は10倍ね、と言われたら、そしてそれが専門家や技術者の間でかんかんがくがく大議論した上での妥当な結論だと言われたら、え、まじ?ちょっと待って、ゆっくり廃止でもいいのかもね、などと考えてしまうだろう。

だから、なんとなく国民の大半が、まあなんとなく妥当な現実はここらへんにあるらしい、という情報共有がなされて、じゃあ、こうだよね、という流れになるしかないと思う。というか、何か現実的な選択肢をつきつけられてから始めて考えられるということかもしれない。電気料金あがるかも、じゃなくて、具体的に、来月からいくらになります、と言われてはじめて、それは待った、なのか、それはおかしい、経営者首にしろ、なのかもしれないが、なにかつきつけられないとなかなか頭も回らない。

僕はあの大震災と原発事故が、原発を一刻も早くなくすことが国民益、だということを示す「突きつけられた現実」だと思ったのだけど、自民党の大勝を見ると、そうでもない、という人が以外に多いようだ。

これから僕にできることと言えば、脱原発を訴えていくことではなくて、原発の廃止と、核廃棄物の妥当な処理方法、そしてなるべくクリーンなエネルギーのことを研究してくれる人を応援することだと思うし、もちろん、原発もありかもという意識は少しは残しておくことだと思う。つまり原理主義に陥らないように。

何か青い空が見えるような未来プランをみたいよね。それは今までのような生活を諦めるということからしか来ないのだとしたら、それはそれで突きつけられたほうがいいのだと思うが、それは何が起きれば突きつけられたことになるのだろうか。たぶんそれは電気料金の値上げという形しかないのかもしれない。

今回は原発の話、次回はエネルギーの話します。







3 件のコメント:

マツ さんのコメント...

個人的に書きたいことがいっぱいあるけど(笑)、すこしだけ。

まず、日本の火力発電は石油じゃなく石炭を使ってる。

代替エネルギーはと聞かれると、火力でもよいけど、天然ガスで、ガスコンバインド発電と答えるのがいいと思う。クリーンでCO2の排出も少ない。でゆくゆくは自然エネ。
(石油が46.2年、石炭が118年、天然ガスが58.6年、ウランが100年といわれてる。ちなみに日本でも石炭はまだまだ埋蔵しているって話もある。)

その天然ガスは日本はオマーンから輸入してるけど仕入れ値はなぜか石油の動向に比例する変な契約をして高く買っているのが現状。これを是正して且つロシアやアメリカなど他の国と競合させていけば自然に市場原理で今より安くなる。

まだまだあるけど、このへんで。

Unknown さんのコメント...

お、情報ありがと!
つまり、簡単にいうと、いますぐ原発を廃止してもさほどの混乱もなく、経済やなんやもどーとでもなるってことだよね?w

マツ さんのコメント...

いますぐ原発を廃止しても・・・、
いま2基しか動いてないので電力量はどうにでもなるよね。経済が絡むとオレにはわからんけど、原発止めると日本経済が悪化するという脅しは納得できる根拠は今のとこ見たことない。もともと事故前から日本経済は下降してるし、事故前からどんどん工場は海外にいっちゃってるし。
原発利権を含めて、いろんなものをものすごく抜本的な改革をしないかぎり、日本は終わると思う。