12/26/2012

五味太郎のばかやろうに

五味太郎のバカやろうに今日も嫉妬していました。
いちいち説明するのもだるいので、興味がある人はこちらのリクルートのインタビューを読んでみてください。まったくうらやましい感じで生きてますよ、この人は。

今、僕は、今日中に仕上げてやろうと思った翻訳記事が、どうにもいい文章が出てこなくていったん筆を置いたところです。最近めっきり日本語が書けなくなってる気がしてなりません。本も読んでないからかなあ。ボキャブラリーがさっと出てこないのです。

世の中で一番大切なものは「不思議」という言葉なのかもしれません。世の中なんて言ったらおおげさですが、僕にとってのキーワードなのかもしれません。

僕はある時期、心理セラピーをしきりに受けていたことがあります。それは、もちろん精神的にダウンしている時期であり、なんとかそこから立ち直りたいという思いで通っていたのですが、でもその底流では、心って不思議だなあ、という好奇心に突き動かされていたようにも思います。

僕はそのある時期まで、心が不思議とは思っていませんでした。どちらかというと、自分のことは自分でよくわかっている、他人のことまでよくわかっていると思い込んでいたのです。例えば、就職活動で「自己分析」なることが流行していましたが、当時のぼくは、自己分析などする必要なしと豪語していました。自分のことは十分に分析済みなのだ、と。

しかし、ある時期のあと、にわかに自分の心がわからなくなり、いったいどうなってるんだ、おれの心は、ということでいろいろ調べ始め、果てはアメリカのエサレン研究所まで行ってしまいました。

たぶん、わかりたいという気持ちが、そもそもいけなかったのだと思います。わかるはずだ、という態度は間違っているように思います。心についてです。

ちょっといま書こうとしたことから離れ始めて焦っています。いったいどうすれば。。つまり、書きたかったフレーズは、五味太郎は不思議の入り口をいつも探している、ということです。

そうなんじゃないかな、ってことで。不思議についてはベクトルが2つあって、不思議を減らしていくやりかたと、不思議がふえちゃうやり方です。五味氏はたぶん不思議がわかると同時に不思議が増えちゃうやり方をしている、だから無限に不思議とたわむれていられるわけです。

そして不思議が不思議であることそのものを不思議がって遊んでいる、そんな態度を身につけておられるお方だとお見受けした。

いまここに宿る不思議、不思議を指差し続ける作家、それが五味太郎だ、とでも言っておきましょう。

といいながら、それほど五味さんの絵本を読んだわけじゃないんだけどね、まあイメージで言わせてもらうとこうかな、みたいなね。

そういう僕は、なんだか最近スランプちゃんです。いつも、かな。
またしても昼夜逆転現象とたわむれています。少し前は仕事の集中力もいちじるしく低下し、翻訳が終わらなくて終わらなくて大変でした。2日前くらいから集中力は戻ってきた感じでしょうか。でも昼夜逆転はまだ続きそうな気配です。これはほんとやっかいで、たとえば、昨日などはもう強引に直すぜ、ということで睡眠時間4時間くらいで強引に起きして、昼間なんとか眠らずにがんばって、夜12時、さあ寝るぞ!となったのですが、一瞬は寝れるのですが、1時間もせずに目が覚めてしまって、結局朝まで眠れませんでした。こういうときは待つしかない、というのが経験上わかっています。待てばいつの間にか治っているのです。

僕が宮崎駿の映像に求めているのは、あの、空を飛ぶ浮遊感であるように。
五味太郎の絵本にはある種の静けさがあるように。
なんとなく言葉にならず意識にものぼりずらいものに支えられて僕らは日常生活を乗り越えているかもしれませんね。


いま、先週のクリスマスパーティーのプレゼント交換会で、ぼくだけもらえなかったプレゼントをやっともらえました。僕が引いた番号の人がその日に来なくて、プレゼントがもらえなかったのです。さみしい思いをしました。その人がさっきテコテコとやってきて、僕の鞄の中にプレゼントを押し込んで行きました。今見るな、ということらしいです。なんだか期待しちゃいますが、予算が決まっているのでたいしたものであるはずはないのですけどね。ということで、仕事にもドリアす。



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