12/15/2012

タイでも板挟み文化

このまえ、タイのとあるお役所で働くタイ人の男の子と友達になった。政府系のお役所である。一応プライバシーに配慮してどの役所かは伏せる。

就職してまだ一年たってないとのことなのだが、毎日が大変だという。お役所の役所文化に苦しめられているのだ。

彼いわく、複数の上司の間で板挟みに合っているのだという。上司Aがやれといったことをやっていると、上司Bが、お前なんでそんなことやってるんだ!と怒る。で、じゃあといって中止すると、上司Aがお前、やれと言っただろう!と言ってくる。上司Aと上司Bは直接話をしない。という状況がそこかしこであるらしい。

なんだかよく聞く話ですね。日本の組織にはありがちな話です。ぼくも身に覚えがありますよ、ええ。さらに、彼は毎日7時半ごろに出勤して、退社するのは夜10とかになるらしい。ほんとは5時前に帰っていいらしいのだが、上司たちが帰らないので帰りづらくて帰れない、とのこと。

あれあれ?どこかで聞いた話ですね。いやー日本とくりそつじゃないですか。あれ?タイってそんな国だっけ?と素朴な疑問が走る。でも、少なくともタイの政府系お役所の1つでは、そういう感じらしい。上級職になるとストレスで病気になっている人が珍しくないのだとか。

むむむ。タイはもっとあっけらかんとしたゆるゆる文化の国だと思っていたが、全部が全部じゃないようね。道理で、この国、いろいろちゃんとしてるw

しかしこの彼、将来ビジョンもびしっとあって、頼もしい。頭もいい。タイ人も優秀な人がいっぱいいそうだね。ちなみに日本に留学していたそうで、日本が大好きなのだとか。うれしいですね。

そういえば、その日、もう一人のタイ人の友達の女の子から、 ヤンデレについてのレクチャーを受けました。なんでも日本のアニメでヤンデレなるものが流行ってるそうで、ツンデレの変化形みたいなのだが、挿し絵つきでケーススタディーをレクチャーしてくれました。日本びいきの外国人に会うとなんだかやっぱりいい気分。

とはいえ、タイ語、まだ手がでていません。いくつかスクールに見学にいったのですが、どこもプライベートレッスンしかやってない、みたいな感じなのです。プライベートレッスンなら学校に金落とさないでどっかのタイ人に直接お願いしたほうがいいなあ、などと思っているうちに、時が過ぎ行くのです。


 常に予測不能な未来に向かう方が元気が出る気がします。日本のことです。明日ですか、選挙もあるということで政治の季節がやってきているわけですが、ぼくもいろいろ考えて、ちょっと知人と議論などして思うことは、正しいことは1つじゃないということです。

やってみなければわからない、ことだらけ。脱原発にしたってそう、経済にどんな影響があるか、わからない。でも、原発残したまま経済成長を狙って汲々としていく社会より、勢いで原発撤廃しちゃった、さあどうしよう?と頭つきあわせて知恵を出し合う社会のほうが元気がいい気がしますね。映像として人々の元気がいい姿がイメージできる。

 きっとなんとかなるんですね。未来が空いていれば。未来がぽかーんと青空のように空いてることが大切で、確かな設計図などなくてもかまわないのです。なんとなく安泰そうな未来図を描いたって、その図にたちこめる背景がグレーの曇り空なら、それは未来と呼べない代物なのです。

未来はいつだって青空じゃないといけない。それは現実には様々な道な問題、障害が発生してくるでしょう、永遠に。原発を撤廃したってすぐにいい社会になるとは思いません。そんなヤワな話じゃない。そんなに簡単に歴史は切断できないのです。

それでも未来は空っぽの青空じゃないといけません。空っぽすぎて、よい、おれもいっちょう何かをやってみようと思えるような、そんな笑いがこみ上げてくるような吹きっさらしであるべきなのです。

日本における回復力は凄まじいものがあります。それをぼくは神戸大震災のあとに感じました。ぼくは、神戸の震災を目の前で見たのですが、倒壊した高速道路や、横倒しになったビルを見て、ああ、これが元にもどるのに5年はかかるだろう、神戸は壊滅した、と呆然とした気持ちになったことを覚えています。

しかし、実際、ぼくが街が回復したと思える状況になるまで、1年もかからなかったのです。日本の底力ってすげえ、とそのとき思ったのを記憶しています。

だから、脱原発、上等なわけです。ぽかんと空いた穴を埋める、それは日本人にとって難しいことではありません。そこにやるべきことがちゃんとあれば、すごい力が発揮されてしまうのが日本文化なのです。戦後の復興を見るまでもないことです。

だから、埋めるべき穴が、きちんと穴の形で現れていることが大切なのです。なんだかよくわからない、埋めるべき穴もないのに、なんだか足下がぐらぐらして気分が悪い、そんな状況が一番たちがわるいわけです。

ぽっかり穴が空くこと、きちんと空洞化すること、それこそが日本の未来へのトンネルとなるのです。抽象的すぎますね?ええ、そうでしょう、ぼくはイメージだけで今しゃべっているのですから。

ですから、みなさん、福島第一原発の建屋が吹き飛んだように、ぽっかりと天井に穴があくこと、それが日本の未来なのですよ。福島第一原発の炉心は、むき出しの情熱をいまでも燃やしているのです。作り物だった建屋は吹き飛んだ、なんだか清々しさを感じたのは僕だけでしょうか。

実態があらわになったのです。それはそれなりの意味があることです。(あの、これはイメージの話なんで、そこんとこよろしく。もちろん吹き飛ばなかったほうがいいに決まってる)

 まあ、そんなことでね、日曜日の選挙、楽しみですね。











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