12/30/2012

年は暮れ行く

いやー。今日もなんとかお仕事してます。
昨日は年末最後の土曜日ということで、同僚とバーへ。近くにいい感じのジャズバーがあったのでそこへ。ビールをのみ、スコッチを飲んだ頃に調子が出てきたようで、えーい繁華街へ繰り出せーとなって、いつのまにか4時近くまで飲み歩いていました。もっとも僕場合、後半はほんんど水です。

バンコクに来て3ヶ月、知り合いもちらほらできてきました。単発のちょっとした仕事をいただいたりもしました。助かります。まじで助かっています。ありがとうございます。

昔から感謝の気持ちが足りないと言われてきた私ですが、こうして外国にいると、なるほど、人から助けられて生きているものなのだなあ、と思います。それはいろいろな形でいろいろな人からです。

ブログとは便利なもので、とりとめもなく書いていても誰からも怒られない、にもかかわらず、それなりに友人知人に近況が伝わっていくのがいいですね。それと自分のストレス解消にも役立っています。

なんと明日は大晦日、早いものです。バンコクのニューイヤー、どんな感じなのでしょうか。街に繰り出したい気持ちもありますが、やっぱり誰とも約束がない私です。なんか、おれ、これというイベントの日になると、なぜかひとりぼっちになっていることが多いのはなぜなんでしょう。。聞いてみるとみんななんやかんや予定があるようです。まあ恋人がいる人は恋人と、いない人もまあそれなりの人とどこかへ行くとのこと。なぜか俺のところには誘いがこないのは、なんででしょうか。あまりに人気がないじゃありませんか。というか、いつもの仲間、というのをなかなか形成しないのがよくないのかもしれません。

まあいいでしょう、さみしいばなしをお聞かせしてもしょうがないですね。でも、僕みたいな人はほかにいないのかな?って素朴に疑問がありますね。なんでみんなそんなに一緒に遊ぶ人がいつもいるんだろう。。寂しすぎる疑問ですね。。いや、私もだよ、という人がいれば、一緒にさみしいねっていってスカイプでもしたいところなんですがね。

まあいいでしょう、本当は2012年の締めくくりと2013年の抱負を今一度、抱きたかったのです。いまから書きます。

おれもっとすごいこと思いついたよ。30代の10年を一気に締めくくるとともに、40代の抱負を書くというのはどうだ。

10年を締めくくっちゃうからね、これ。すごいよ。
30代はまさに、すごい10年だった。バカみたいな10年だった。記憶喪失の10年だった。半分くらい覚えてない。前後関係もあいまいな記憶が多い。まともな精神状態じゃなかった時期が多かったのだろう。それでもまあこんなカフェでパソコン叩いて、もうすぐ新年だね、なんて言ってられるのは奇跡に近い。いや、そんなにいろんな事件があったわけじゃなくて、ただ、ひたすらに、未来が暗かっただけだ。

なんか同じ話になってきたので、もうやめる。この前も書いたね、これ。ということで、今後の10年の抱負を述べることにする。これからの10年は、みなさまへの感謝の気持ちを形にしたい、とか思えるような人間になりたい。みたいな。。

今後の10年は、あのね、ちょっと話が脱線するけど、来年からは昔の仲間なんかに会っていきたいと思ってる。中学の同級生や高校の同級生や、そういう何十年も会ってないような奴らだ。同じ歳の、ばかなことばっか一緒にやってた馬鹿野郎どもにだ。そいつらに会って、自分があの頃からどう変わったか、どう変わってないのか、お互いに確認する。そして、時間が過ぎた、大人になったということが、どういうことなのかを知る。

いや、本当のことを言おう。今後の10年は、あ、また脱線するけど、この前、ふとしたことで昔の日記みたいのを見ていたら、やたらと「リアル」という言葉が出てきていた。リアル、リアル、リアルを感じたい、とか、リアルなものを求める、とか。そういうことを書いていた。中学生の日記じゃないんだから、って一瞬思うも、ああ、そんな風に思ってたな、と思う。

とはいえ、その日記、わずか1年半ほど前の日記なのだ。この1年半に何か変化があったとすれば、リアルというものがもはやキーワードではなくなった。なぜかはわからない。いまの自分がリアルじゃない、とか、この世の中がリアルじゃない、とか思わなくなっていた。それは震災があったからかもしれないし、外国に来たからかもしれない。

今、リアルといえば、預金残高のことに過ぎない。これはリアルだ。ほっといても増えるものではない。かわりに、勝手に減るもでもない。働いた分だけ入ってきて、使った分だけ出て行く、これほどリアルなものはない。この一年、このリアルと格闘してきた自分だから、もうリアルを探す必要もないのかもしれない。おかしな話をした。

とはいえ、昨年の住民税や年金など、未払いのものもある。払わないといけない。住民票は抜いてきたからと言いながら、そのへんはちょっと逃げている。所得税は天引きされている。おっと何の話か、。

あ、そうだ今後10年の抱負なのだが、やっぱり社会性かな。社会性をしっかりとつなげていきたい。最近ようやく、自分が社会の中で生きていることがわかるようになってきた。勝手に浮遊しているわけではない。とはいえ、それは、しおらしくするということとは違う。なんというかもっと、普通にやりたいな。

うーん、だめだ、何も考えてないことが露呈した。

抱負などない!そんなものは、ない。大人になって以降、予定通りに進んだことなど一度もない。そういえば、名前の画数占いでも、星占いでも、すべての運を子供時代に使い果たしたと、言われたよ。たしか。そういうことなので、今はいわば余生なのだ。余生ならば余生らしく、アクシデントを楽しんでやっていきたいものだと思っているが、臆病な自分に嫌気がさす毎日を送っています。

もーいかん、ぐるぐるしてる。たぶん酒が抜けてない。まだまだいっぱい書くよ、明日もひまだからね。というか、これ、ブログ、日本語の書き方を忘れないために重要。最近、翻訳スランプなのはもしかして、日本語を書く量が減っているからかもしれない。日本にいるときは、もっとメールしてたし、会話してたし、本も読んでいたからね。そういう日々のことってなにげに影響でかいね。だから書くよ。








いつかは叙事詩に

なんだか戦争のことを書きたい、今日も。

太平洋戦争もいつかは叙事詩になるのかなあ。
ローマの、カエサルの、カルタゴの、チンギスハーンの、源頼朝の、ひよどり越えの、平家物語の、戦国武将の、織田信長の、本能寺の変の、関ヶ原の合戦の、ような、物語になる日がいつかはくる。

すでに日露戦争はそうなりかけている。日本海海戦は、ロシアの戦艦が何隻も沈んで、何千人ものロシア人が死んだけれども、我々にとってそれは大日本帝国艦隊の、坂の上の雲の、秋山兄弟の、コサックの、バルチック艦隊の、東郷平八郎の武勇伝としての、叙事詩になりかけている。

遠い昔の戦争は、英雄たちの物語であり、近い昔の勝ち戦も、英雄たちの冒険奇譚になっていく庶民のこころがある。

たぶん、いつかはすべての戦争が叙事詩になる。戦艦大和は美しかった。宇宙戦艦ヤマトになったほどの。

日経新聞を開けば戦争用語がちりばめられている。戦略、なんてずばりのものもあるし、つまりはぼくらは戦ってきたのだ。戦後もずっと。

みんななにげに戦いが好きなのさ。生々しいのは嫌いだけど、叙事詩としての戦争はどこか心を躍らせる。だから人々は十分に時間が過ぎるのを待っている。あのどえらい戦争を物語にできる日を待っている。それは100年後かもしれないし、600年後かもしれない。その日はいつかはくる。

キノコ雲を美しかったと物語れる日を待っている。それは人間のもうひとつの感性。生々しさが早く過ぎ去ることを待っている。人々は物語れる日を待っている。



12/29/2012

侍と戦争

近代の戦争はつまらないものになったと思う。
近代の戦争は、侍みたいな男がでていって、その武を争う、というのではなく、どちらが威力のある武器を持っているか、そして、どちらが優れたレーダー装置を持っているか、どちらがそぐれた兵站をシステム化できるか、みたいなテクノロジー戦争だからである。

男の中の男がライフル一丁を持って立ち上がっても、500キロ沖に浮かぶイージス艦から放たれたトマホークを迎え撃つことができない。

現代の国防とは、民を守るために命を投げ出すことではなく、むしろ自由をなげうつことになる。命をかける気があったとしても、一人で敵と立ち向かう意味はかなり薄い。それよりも自衛軍に入って一兵卒となれ、ということなのだ。そして上官の言う通りにひたすら働き、出くわした敵を上官の命令に従って撃て、ということに過ぎない。

それが現代の戦争だ。いや、もしかすると、戦国時代の足軽たちもそんな一兵卒に過ぎなかったのかもしれない。しかし、曲がりなりにも男一匹が刀一本をかついで立ち上がる実践的な意義はあったに違いない。7人の侍で村を守ることができたのだ。

だから、なんだというとあれだが、つまり今後話題になるであろう国防のことを書こうとしているのだが、もし隣国と戦争になったとする。いや、戦争というと近代戦になってしまうので、どっかの国の海賊が攻めてくるとする、明日にも福岡に上陸して略奪、皆殺しをやるらしい、という情報が入ったとして、戦う意志のある男は武器をもって福岡に集合!みたいなことであれば、僕はありかな、と思う。そこで防がなければ、住民が殺されてしまう。そんなとき、もはや戦うしかない。それを戦争と呼ぶなら、戦争をやるしかないだろう。そのために武器がある。

アメリカの全米ライフル協会だって、いつの日が政府が国民を弾圧し始めたときに、政府を倒すために個人の銃の保持にこだわっている、と聞く。スイスだって永世中立国とはいいながら、国難とあれば男どもがライフルを持って集まることになっていると聞く。
だが、それはもはや近代ではあまり意味がないことだろう。そこには気概の痕跡、意志の証明として残されているだけであろう。

なんだか上手く結論にもっていけない、簡単に言えば、徴兵制は絶対いやだね、命をかけるとしても大組織に組み込まれた一兵卒として死にたくない、というようなことを書こうと思ったのだが、論旨がつながってこない。

というか、国防の名のもとに行われることは、本当に防衛なのだろうか、という疑問だ。家族や仲間を守るために戦う、それが防衛だとすると、近代戦争は本当に防衛戦争なのだろうか。たとえば中国を例にとっても、これだけ経済的にも文化的にも人的にも交流している国同士が、防衛戦争を行う、ということがあり得るのだろうか。

たぶん、起きるとしたらそれは防衛戦争ではなく、なにかもう少し違った、せめぎ合い戦争、みたいなものになるだろう。自国民の命や自由を守る防衛戦争と、人の住んでいない島や領海を守るせめぎ合い戦争は、少し違ったレイヤーとして考えなければならないと思う。つまり、せめぎ合い戦争には、ほかの解決策があるかもしれないからだ。

だが、歴史をヒモとけば、日本だけでなく西洋諸国同士だって、どこだって、せめぎ合い戦争でたくさんの血を流してきている。戦争も環境問題と同様、一発で解決することなどたぶんできない。ただ、粗く見て行かないで、ほんとうにもう最終手段しかないの?という問いかけはしていかなればならないだろう。

というか、まあ、自由を徹底的に奪われる徴兵制度なるものは絶対反対ということです。そんな風に自由を奪われるなら、ライフルをもって義勇軍に参加するほうがましだ、なんて思うけど、まあそれはそれでただの幻想かもしれません。






12/28/2012

締めくくり

もう仕事納めの日なんですね。今年を締めくくることにしますか。


今年は、んーあたふたしてる間に終わりましたね。
一番の収穫はサーフィンをがっちりできたことですかね。ただの憧れだったサーフィンが日常になった一年でした。今なら胸をはって湘南を闊歩できる。一年前は、どこか恥ずかしい気持ちで湘南海岸にいた気がします。

あまりに遅がけのサーフィンビギナー。しかもまだまともに立てない君。でも湘南ビギナー時代もすごく楽しかった。i-surferというサーフィンスクールに通って、毎週顔を合わす仲間ができて、

1月の真冬の海に入ったときには自分でも笑った。こんな真冬に俺なにしてんだって。でもウェットスーツとはすごいもので全然寒くなかった。こんな瞬間が僕は好きだ。自分でも笑っちゃうような瞬間。こんなところで自分何してんだろー?って。

あ、これは今年の話じゃなかった。今年はバリ島でサーフィンをがっちりやりました。バリ島を発つ最後の日には、七夕の短冊にも書いたほどの夢、横に滑る、を達成。ほんの一瞬、一回限りのことだったけど、一度味わってみたいと切望していた、波を横方向へすべっていく、のを体験できた。

不思議と大感動はなかった。できた時は、あれ?これなの?という感じ。これでいいのかな?って。でも後からほかほかとうれしさがやってきていた。

それから、10人くらいにサーフィンを教えた。みんな立てた。サーフィンを教えるのがこんなに楽しいことだとは知らなかった。絶対無理だと言ってた人がボードに立てて、興奮している。そんなシーンを見るのが好きだった。人生でこれほど海と戯れた日々はなかった。子供の頃以上、何十倍だ。それはやはりうれしいことだった。

それから、人生初のそれなりに本格的なフリーランスを体験。なんとか1年、生き延びた。まあグダグダなときもあったり、貯金を積み減らしながらの生活だったりで、生き延びたと言っていいのかわからないが、一応、赤字黒字ラインはぎりぎり超えてる気がする。いや、まだかな。まだ貯金に頼っていた面が大きいかも。来年こそ試される年になると思う。

思えば、2009年から毎年の抱負が「サバイバル」になっていた。来年も引き続き抱負はサバイバルだ。意味は簡単なことで、経済的に破綻せずに生活できるかどうかだけだ。もちろんそこには、身体、精神面の健康も含まれる。それも経済の大事な大事な絶対資本だ。

絶対資本を崩しては経済も立ち行かない、そのことがビンビン感じられたのが今年、フリーランス元年であった。幸運にも、今年もほとんど病気らしい病気はしなかった。来年も健康を保ちたい。というか、保たざるをえない。絶対資本を守り抜く、それがサバイバルのベースとなる。

といいながら夜更かしが止まらない私であった。

ということで、昨年8、9月のあの絶望の日々を思えば、ずいぶん好転したものだと思う。あの頃は生きて行ける気がしなかった。道筋がない気がしていた。今でも夜や朝起きたときに、やや、おれの人生にはもはや道筋がない!とゼツボーな気持ちになるときがある。それはもうクセのようになっている。

そういう感情ともたわむれつつ、2013年に向かっていく、さあ、どうしようか。2013年の抱負は、このままフリーランスで生き延びること、まずそれが第一。できれば仕事をもう1つ増やしたい。そのほうがバランスがとれそうな気がする。

今思ったけど2013年ってなんか字づらがいいね。ほっこりする。楽しげな並びだ。そんなぼくだが、仕事納めに失敗して、明日もあさっても仕事をするはめに。夏休みの宿題状態が今だに続いているのであった。明日に伸ばせるなら伸ばす、みたいな。。

とはいえ、自分にこう言おうと思う。「よくぞご無事で。。」

ぎりぎりの状態を早く脱したい2012年の年末なのであった。








原発がなぜいけないのかわからなくなる話

このまえ、知人の原発推進派(というか単純に日本は今のところ原発が必要だと思っている人)と議論をしていて、あれ、困ったな、という気になった。

それは衆議院選挙の前のことだったのだが、その人は言う。原発を廃止したら、電気が足らなくなるぞ、今までのような生活ができないのを覚悟しているのか?と。

ぼくは答える、そこまでの覚悟はないけど、原発がなくても現状程度の電気は発電できると聞いている、と。

彼は問う、いかに?と。風力ですか?太陽光ですか?と。風力や太陽光では十分な電力も発電できないし、コストもかさむ。それに風力発電は超音波被害みたいなものを発生させ、周辺の住民や農業に被害が出ているのを知っているか?と言う。

僕は、風車の被害のことは調べたことがなかったので、ちょっと焦って、ゆくゆくは自然エネルギーが望ましいが、当面は火力発電でまかなえると聞いている、と答える。

彼は、それなら石油の輸入を増やさなければならない、外国へのエネルギー依存度がさらに高まることになる。それに温暖化にも悪影響が増す。それでいいのか?、という。

僕は、外国への依存度的なことは考えていなかったので焦って、天然ガスが日本海にあると聞いている、などと口走った。

彼は、それはまだ実用化されていない、当面はどうするつもりなのか?と言う。そして、そもそも原発なしでやっていける根拠をちゃんと集めてあるのか?と問いかけてくる。

僕は、え、え、と焦って、そんな全部調べてられない!とついに切れる。いろんな学者がいろんなことを言っている。できる、できない、どちらの情報も錯綜している、そんなの素人の僕が全部調べて、全部判断できるわけがない、その代わりに僕は人を信頼している、飯田さんという人を昔から知っていて、親善エネルギーにも原発エネルギーにも詳しい人らしい、だから僕は飯田さんを信頼する。彼が原発なしでも大丈夫というなら、僕はそれを信頼する、と最後の屁のようなものをかますしかなかった。

彼は、ああ、飯田さんね、と言って、なんとなくそこで議論は終わった。

僕は、内心、これは大変なことになったぞ、と汗をかいていた。
当然のごとく正しく主張できると思った脱原発、以外とちゃんとした根拠をがんがんと示すことができなかったのだ。つまり、どの研究期間がどんなレポートを出していて、それに反論する学者はこう言っているが、それにも反証することができる、ほら、こういうデータがある、みたいな精密な議論をしなければ、ある意味、相手の主張する論拠を」「すべて」反駁できなければ、この議論には勝てないのだ。そして、そんなことはちょっと無理だ。

ならばと伝家の宝刀を出すのもありだろう。核廃棄物を処理できないうちは、原発を稼働すべきではない、そんな汚染物質を未来の子供たちに残してはならないのだ、という倫理に訴えるしかなくなってくる。でもそれはそれで、こういう反論もくらうことになる。あの環境にやさしそうな国スウェーデンだって原発があるんだぞ、スウェーデンだって核廃棄物を出している。核廃棄物が倫理的に犯罪だというなら、世界にある何十もの原発保有国はぜんぶ犯罪国家ということなるが、それでよろしいか?と。

スウェーデンも原発あったのか。。自分の無知を嘆く。スウェーデンも原発やってるなら、地球環境にとってそんなに悪いものじゃないのかも。。うまくやればいいだけの話で。。などという考えもちらっと差し込んでくる。

それで、僕はアブねえ、と気を取り直して最後の防戦を試みる。いや、ヨーロッパには地震あんまりないからさ、日本は地震国、津波もある、原発そのものの善し悪しは置いといて、地震国日本に原発は適さないのだ、いかがか?

これでなんとか勝てる。さすがにそれは確かにそうだな、ということになる。しかし、地震に耐える原発をつくればいい、技術革新のためにも自国で原発技術を保有したほうがいいのだ、と言われてしまうと、およよ、と完全論破は諦めたほうがよさそうだ、ということになる。

そして、なんとなくもう面倒だから議論するのよそう、と思う。おれはおれで勝手に脱原発に一票入れていくから、お前はお前で原発推進に一票いれればいいじゃないか、などと思う。しかし、本当はそうじゃないだろう。別に好きなアイドル、どっちがかわいいか、で言い争ってるのとは違う、何かあれば一蓮托生、同じ国に住む人間として、お前はお前で好きにしな、俺は俺で好きにするさ、という問題とは違うのだ。

事故があれば脱原発派のひとも被害をくらうし、もし原発を廃止して電力不足になれば、原発推進派の人も等しく影響を受けることになる。ここはひとつ、一緒に議論してどうするか決めていくしかないテーマなわけだ。

でもどうやって議論するのか?それが問題だ。お互いに理論武装してやり合うのか?それってすげー大変。学者の間でさえ意見が割れているのに、素人の間で議論するには何をもってすればいいのか。

とはいえ、とにかくみんなが少しでも知識をつけて、ああでもない、こうでもない、と言い合っていくしかないだろう。すぐに答えを出すのではなくて。僕の腹の中では脱原発と決まってはいるが、もしめっちゃ安全な原発が開発されて、廃棄物の処理にもうまい解決策が登場したら、そこは再考を要するだろうし、原発廃止したから今後3年は電気料金は10倍ね、と言われたら、そしてそれが専門家や技術者の間でかんかんがくがく大議論した上での妥当な結論だと言われたら、え、まじ?ちょっと待って、ゆっくり廃止でもいいのかもね、などと考えてしまうだろう。

だから、なんとなく国民の大半が、まあなんとなく妥当な現実はここらへんにあるらしい、という情報共有がなされて、じゃあ、こうだよね、という流れになるしかないと思う。というか、何か現実的な選択肢をつきつけられてから始めて考えられるということかもしれない。電気料金あがるかも、じゃなくて、具体的に、来月からいくらになります、と言われてはじめて、それは待った、なのか、それはおかしい、経営者首にしろ、なのかもしれないが、なにかつきつけられないとなかなか頭も回らない。

僕はあの大震災と原発事故が、原発を一刻も早くなくすことが国民益、だということを示す「突きつけられた現実」だと思ったのだけど、自民党の大勝を見ると、そうでもない、という人が以外に多いようだ。

これから僕にできることと言えば、脱原発を訴えていくことではなくて、原発の廃止と、核廃棄物の妥当な処理方法、そしてなるべくクリーンなエネルギーのことを研究してくれる人を応援することだと思うし、もちろん、原発もありかもという意識は少しは残しておくことだと思う。つまり原理主義に陥らないように。

何か青い空が見えるような未来プランをみたいよね。それは今までのような生活を諦めるということからしか来ないのだとしたら、それはそれで突きつけられたほうがいいのだと思うが、それは何が起きれば突きつけられたことになるのだろうか。たぶんそれは電気料金の値上げという形しかないのかもしれない。

今回は原発の話、次回はエネルギーの話します。







12/27/2012


これは、いま住んでいるアパートの階段の踊り場にある窓から外をみた風景です。なんか豪邸みたいなのが建っています。白い宮殿のようです。

昨日は、10時近くまでオフィスで仕事して、どうもまだできそうな気がしたので、近くの24時間空いているカフェに行ってみた。

すごいもので、白い学生服を着た学生たちがたくさん勉強しにきている。みんな教科書とノートを開いて何かやっている。1時とか結構遅くまでやってた。

そこで、なんとか電源も確保、WiFiはないのだが、iPhoneのデザリンでしのぐ。iPhone便利だね!で、仕事を始める前に、さっき渡されたクリスマスプレゼント(クジ引き交換用)をさっそく開く。ちいさいノートとキーホルダーが出てきた。かわいい。なかなかセンスがいいね。そして、小さな手紙がついていた。というか、付箋に何か細々書いてある。

なになに、本当は僕にマクラを買ってくれようとしたらしい。でも、目を付けておいた枕をいざ買いにいくと、お店ごとなくなっていたとのこと。なぜ枕かというと、あなたはいつも寝ているから、と書いてある。そうです。このバンコクでもぼくはいるでも寝てるキャラを早々と確立しているのです。

まあ普通に毎日軽く昼寝をするだけなんだけどね。そういうスペースもあるから。僕は家では眠れなくても外ではよく眠れるのです。まったくどういうことでしょう。いじわるなボディーです。

まあ、そんなこともあり、ちょっと心も温まったので、仕事を続けてみました。まあ2時間くらいできたかな。そして家に帰ってなんだか眠くなっているので、今日こそは寝れると思ってバチっと電気を消してみたのですが、小一時間もすると目が冴え冴えになったので、動画でも見ることに。本当はこれがいけないんだろうけど、意志が弱いわたしです。

そして、やっぱり朝方に寝て、午後に起きました。ブルーな気分になりました。

そして、てくてく歩いていって、最近見つけたサンドイッチ屋さんに入る。実はここ、この前サンドイッチを注文したら面倒だなあという顔をされたので、ちょっと足が遠のいていたのですが、気を取り直して行ってみた。すると、今日はニコニコ迎えてくれて、いつものでいいの?と聞いてくれた。イエスと答えて席に座る。今日は機嫌がいいのか、それとも前回別に面倒がっていないのか、僕は往々にして取り越し苦労が多い気がする。

相手のちょっとした挙動で、あ、おれは煙たがられた、と思ってしまうのだ。嫌われたと思うことは滅多にないのだが、煙たがられることはいつも心配している俺だ。なぜなのかはわからない。いまそう書いていたら、小学生のときのことをぽつんと思い出した。

小学生のとき、ぼくは好きな男の子がいた。それは、まあ小学生なので、普通に友達として好きということと、どこかそれ以上の感情もあった気もする。女の子を好きになるようなドキドキする感じとは決定的に違うのだが、なにかすぐ触れたくなる感じ、かわいいから顔をなでたくなる感じ、そういう感じはあった気がする。

で、毎日のようにかまい倒していて、親友みたいになっていて、僕もしっかり親友だと思い込んでいたのだが、ある日、彼から発せられたことばにあぜんとしてします。「◎◎君はくどい」と言われたのだ。

◎◎君と書いたのは、当時僕が友達からなんと呼ばれていたか思い出せないためだ。いくつかのあだ名があった気がする。

そのとき、あ、こいつは本当はいやがっていたのか、と目が覚めるような気持ちになったのを覚えてる。てっきり喜んでいると思っていた。でも、うざがっていたのだ。

もちろん、今ならわかる。普通の反応だろう。それほど僕はうざいほどに触ったり、いじったり、からかったり、あくまでいじめてはいないと思うけど、とにかく面倒くさい奴だったことは確かだろう。

それからそうなったというわけではないと思うが、もしかすると誰の中にもある感情なのかもしれないが、相手の顔色をうかがうような態度が僕の中にしっかりと根付いている。

で、サンドイッチ屋さんが、機嫌良く注文を聞いてくれて、ぼくはiPhoneをいじりながら待っていた。4、5人のタイ人がどやどやっと入ってきた。ワイワイと楽しそうにおしゃべりしている。と、その中のひとりが、唐突にぼくの前に立った。?と見上げると、女の子がこっちを見ている。なに?と言おうとしたさなか、彼女の手にコーヒーカップが握られていた。コーヒーを持ってきてくれたのだ。店員だったのか。。焦るじゃんか。

あとで聞くと、店員ではなく、店長の親戚だという。日本語が話せるといるので、こんにちは、と言うと、照れたようにあっちへ行ってしまった。

そして、クリスマスなのに日本に帰らないのか?と聞かれる。僕は、帰らないと答える。すると、日本が嫌いなのか?と聞く。そうだ、と答えると、びっくりしていた。いやいや冗談だよ、と言って、単純に外国に住んでみたいからここに来たんだよ、と言う。そうですか、とちょっと納得していた。向こうの座席の下の座り込んでいる、むかし流行った黒人のなんとか坊やみたいな小さな男の子が、ほにゅうびんを握ってじっと僕を見つめていた。

さっきの親戚の女の子がなにか言いながら近づいてきた。プリングルスみたいなお菓子の筒を差し出している。くれると言うのか。では、ということでちょうだいする。中身はひまわりの種だった!おー、これぞまさに所変われば品変わるだね。

そんなこんなでサンドイッチ屋をあとにして、いまオフィスに到着。今日も遅いおそいスタートだ。でもいいや、また深夜のカフェにいけばいいんだから。

どうでしょう、これが僕の典型的な一日です。代わり映えがしませんね。こんなものです。そして、とりとめもなく書いているから長いですね。がんばって読んでくれなくていいですよ、仕事にとりかかる前に筆をすべらせておこうというウォーミングアップをしているだけなのですから。

人生とは不思議なもので、そう、よく病は気からとか、なんとかも気の持ちよう、とか言いますが、まったくその通りで、その人の基本的な性格や、性向みたいなもので、人生はどんどん形作られてしまいます。それは他人を見てればわかりますよね。自分で勝手に被害者妄想にとらえていつも怒っている人がいるかと思えば、なんとなくいつも明るくてアクティブに動き回っている人もいます。同じ条件が降ってきても、両者はちがう体験をするでしょう。

そんなことはわかっているのですが、では今日からすべてをポジティブにとらえ、何事にも臆せず、どんどんやりたいことをやっていく、みたいになれないものです。気持ちの切り替えも半日もてばいいほうで、一晩寝たら元通りです。まったく。

とはいえ、細かい軌道修正は必要で、勝手な思い込みを1つでも減らすことが大事になってきます。たとえばサンドイッチ屋がぼくを煙たがっているかと思えば、実際はそうでもなさそうだったり。それはコミュニケーションをとってみて始めてわかること。しかし、ここでも罠が待っていて、ぼくがあまりに強く思い込んでいると、サンドイッチ屋はぼくを嫌いにちがいない、と決め込んでお店にいけば、つまり、かなりのしかめっ面でお店に顔を出すことになるのでしょうが、そうすれば、店員も思わず身構えるわけで、その顔もしかめっ面になるでしょう。すると僕は、ほら、やっぱりこの店員はぼくを嫌いなんだ、という解釈が生まれ、それは顔を見れば火を見るより明らかで、事実にしか見えないことでしょう。

そういうふうに、思い込みが真実にまで昇華してしまうことだってあるのです。その人のなかで勝手に、ですが。そういうことをどうすれば回避できると思いますか?

これは本当に人生にひびく大問題なのですが、一発解消ということがなかなかできないやっかいな問題なのです。

まあいいのです、それはたぶん昨日ネットでトーク番組を見ていて、ぼくイケメン!の狩野英孝が出ていて、ほとんど天然で、自己肯定感がすごいのを見て、つまり、自分をほめてくれることばを全部真に受けて、自分をけなす言葉をぜんぶはねのけていく様をみて、ああ、こういう風に生きられればずいぶん楽だろうに、と思って、感慨にふけっていただけなのです。

さて、仕事の時間です。


12/26/2012

五味太郎のばかやろうに

五味太郎のバカやろうに今日も嫉妬していました。
いちいち説明するのもだるいので、興味がある人はこちらのリクルートのインタビューを読んでみてください。まったくうらやましい感じで生きてますよ、この人は。

今、僕は、今日中に仕上げてやろうと思った翻訳記事が、どうにもいい文章が出てこなくていったん筆を置いたところです。最近めっきり日本語が書けなくなってる気がしてなりません。本も読んでないからかなあ。ボキャブラリーがさっと出てこないのです。

世の中で一番大切なものは「不思議」という言葉なのかもしれません。世の中なんて言ったらおおげさですが、僕にとってのキーワードなのかもしれません。

僕はある時期、心理セラピーをしきりに受けていたことがあります。それは、もちろん精神的にダウンしている時期であり、なんとかそこから立ち直りたいという思いで通っていたのですが、でもその底流では、心って不思議だなあ、という好奇心に突き動かされていたようにも思います。

僕はそのある時期まで、心が不思議とは思っていませんでした。どちらかというと、自分のことは自分でよくわかっている、他人のことまでよくわかっていると思い込んでいたのです。例えば、就職活動で「自己分析」なることが流行していましたが、当時のぼくは、自己分析などする必要なしと豪語していました。自分のことは十分に分析済みなのだ、と。

しかし、ある時期のあと、にわかに自分の心がわからなくなり、いったいどうなってるんだ、おれの心は、ということでいろいろ調べ始め、果てはアメリカのエサレン研究所まで行ってしまいました。

たぶん、わかりたいという気持ちが、そもそもいけなかったのだと思います。わかるはずだ、という態度は間違っているように思います。心についてです。

ちょっといま書こうとしたことから離れ始めて焦っています。いったいどうすれば。。つまり、書きたかったフレーズは、五味太郎は不思議の入り口をいつも探している、ということです。

そうなんじゃないかな、ってことで。不思議についてはベクトルが2つあって、不思議を減らしていくやりかたと、不思議がふえちゃうやり方です。五味氏はたぶん不思議がわかると同時に不思議が増えちゃうやり方をしている、だから無限に不思議とたわむれていられるわけです。

そして不思議が不思議であることそのものを不思議がって遊んでいる、そんな態度を身につけておられるお方だとお見受けした。

いまここに宿る不思議、不思議を指差し続ける作家、それが五味太郎だ、とでも言っておきましょう。

といいながら、それほど五味さんの絵本を読んだわけじゃないんだけどね、まあイメージで言わせてもらうとこうかな、みたいなね。

そういう僕は、なんだか最近スランプちゃんです。いつも、かな。
またしても昼夜逆転現象とたわむれています。少し前は仕事の集中力もいちじるしく低下し、翻訳が終わらなくて終わらなくて大変でした。2日前くらいから集中力は戻ってきた感じでしょうか。でも昼夜逆転はまだ続きそうな気配です。これはほんとやっかいで、たとえば、昨日などはもう強引に直すぜ、ということで睡眠時間4時間くらいで強引に起きして、昼間なんとか眠らずにがんばって、夜12時、さあ寝るぞ!となったのですが、一瞬は寝れるのですが、1時間もせずに目が覚めてしまって、結局朝まで眠れませんでした。こういうときは待つしかない、というのが経験上わかっています。待てばいつの間にか治っているのです。

僕が宮崎駿の映像に求めているのは、あの、空を飛ぶ浮遊感であるように。
五味太郎の絵本にはある種の静けさがあるように。
なんとなく言葉にならず意識にものぼりずらいものに支えられて僕らは日常生活を乗り越えているかもしれませんね。


いま、先週のクリスマスパーティーのプレゼント交換会で、ぼくだけもらえなかったプレゼントをやっともらえました。僕が引いた番号の人がその日に来なくて、プレゼントがもらえなかったのです。さみしい思いをしました。その人がさっきテコテコとやってきて、僕の鞄の中にプレゼントを押し込んで行きました。今見るな、ということらしいです。なんだか期待しちゃいますが、予算が決まっているのでたいしたものであるはずはないのですけどね。ということで、仕事にもドリアす。



12/23/2012

楽しいってなんだろう

楽しいとは何か。それが大命題なのです。あるとき、とある高齢者の方にくどくどとお悩み人生相談を聞いてもらっているとき、「あなたは何してるときが一番楽しいの?」と聞かれました。僕はうっと言葉につまり、何も言えなくなってしまいました。即答できなかったのです。これといった趣味もない私です。そのときはたぶん、友達と酒を飲んでしゃべっているとき、などと答えたと思います。でも我ながら、情けない回答だな、と思っていました。

なにかに情熱を燃やしている人が昔からずっとうらやましいのです。

それはさておき、昨日は、通っているコワーキングスペースがクリスマスパーティーとのことで、仕事はちょっとお休みで、昼間からゲームやなんやにいそしんでいました。わたくし、この手のパーティーはあまり楽しめないタイプ。はめが外れないのです。でも、まあそこそこはしゃいだあとに、男ども6人でバークローリングに行こう!ということになる。

バークローリングとは、バーをはしごすることです。なんと9つのバーを回るまで帰らない、という。えーーおれ絶対無理、と思いながらも、帰ろうかな、と思いながらも、せっかくタイでタイ人たちが誘ってくれたんだから行ってみよう、と思い直す。しかも前日に寝るのに失敗して2時間ほどしか寝てない。既に眠い。しかし、まあ2軒ほどつきあって適当に切り上げようと、というつもりで一緒についていきました。夜の9時くらいです。

最初、一件目は軽く腹ごしらえしようということで、近くのカフェバーに。チャーハンとビールを頼みます。店の隅でターンテーブルが奏でる薄暗いテーブルを6人で囲んでビールをちびちび飲んでいたら、なんだかひどく懐かしいある感覚がやってきました。

なんだろう、これは。なんか、静かにわくわくしているような感じです。お腹の底のほうから、静かにしかしふつふつと何かがこみ上げてきます。それははっきりと体感をともなった感覚です。あまり味わったことがない。近年では覚えがないが、たしかにかつて味わったことがあるような感覚です。

なんだろうな、これは。寒い冬にココアとか飲んで、じわーーとくる、あれが逆の方向で、腹の底のほうから胸のあたりにこみ上げる感じです。それが繰り返し繰り返しやってきます。それはいうならば、安心感をともなったワクワク感、という感じでしょうか。

たぶん、これから地元のタイ人に未知のナイトスポットを案内してもらう、いったいどんな場所に連れていってもらえるんだろう、というどうしようもなくワクワクした気持ちと、なんとなく顔見知りのメンバーに囲まれて気兼ねなくできるという安堵感のミックスしたものなのでしょう。

そんなシチュエーションは別に珍しくない気もしますが、たとえば他のメンバーと2人でバーやクラブに行くときには感じたことがない感覚です。6人というのがなにか鍵なのかもしれません。ちょうどいい人数です。心細くもないし、多すぎもしません。

ということで、寝不足とアルコールとでなんだかわからないうちに9軒回ってしまいました。とくにこれといって事件もなく、ハッピーもありませんでしたが、またやりたいな、という後味が残りました。今度は女の子も少しいたほうが楽しいかもしれません。ただグループで騒いでいただけでしたが、なんだ妙にいやされる感じがありました。

ということで、意外なことに、仲間と酒を飲んで騒いでいる、というのがぼくの最も楽しいことなのかもしれません。あんまりそういう場面を率先して作ろうとしてこなかったし、誘われてもおっくうになって断ることも多かったのですが、あれあれ、おれこういうのがすごく好きなのかもしれない、なんて思っていました。たぶん僕以外の人にとっては、そんなの楽しいに決まってんじゃん、ということかもしれませんが、自分ではあまりそう思っていなかったのです。

僕が唯一はまったスポーツにして、100%の絶賛を与えるサーフィンにしても、ひとりで黙々とやっていると次第に飽きてきます。やっぱり誰かと海にはいってはしゃぐ、というのが楽しいんですね。

そういうことの重要性をあんまり考えてきませんでした。逆にいえば、いままで恵まれていたというか、酒を飲んで騒げる仲間がいつでも近くにいたということなのかもしれません。外国にいて、始めてそういうことの重要性がわかってきた気がします。自分にとっての。

今日もやっぱり寝坊してしまったのですが、いそいそとオフィスにでかけ少し仕事をこなす。昨日バークローリングに出かけたメンバーが5人そろっていた。最後までいた3人で、マッサージに行こう、ということになり、さっき行ってきました。タイマッサージです。かなり気持ちよかったです。腕がいい。そして、またあの、静かなわくわく感がありました。

気兼ねない仲間と、未知の体験、その2つがそろうとき、この感覚がやってくるのかもしれません。今後追求していきたいところです。







12/15/2012

タイでも板挟み文化

このまえ、タイのとあるお役所で働くタイ人の男の子と友達になった。政府系のお役所である。一応プライバシーに配慮してどの役所かは伏せる。

就職してまだ一年たってないとのことなのだが、毎日が大変だという。お役所の役所文化に苦しめられているのだ。

彼いわく、複数の上司の間で板挟みに合っているのだという。上司Aがやれといったことをやっていると、上司Bが、お前なんでそんなことやってるんだ!と怒る。で、じゃあといって中止すると、上司Aがお前、やれと言っただろう!と言ってくる。上司Aと上司Bは直接話をしない。という状況がそこかしこであるらしい。

なんだかよく聞く話ですね。日本の組織にはありがちな話です。ぼくも身に覚えがありますよ、ええ。さらに、彼は毎日7時半ごろに出勤して、退社するのは夜10とかになるらしい。ほんとは5時前に帰っていいらしいのだが、上司たちが帰らないので帰りづらくて帰れない、とのこと。

あれあれ?どこかで聞いた話ですね。いやー日本とくりそつじゃないですか。あれ?タイってそんな国だっけ?と素朴な疑問が走る。でも、少なくともタイの政府系お役所の1つでは、そういう感じらしい。上級職になるとストレスで病気になっている人が珍しくないのだとか。

むむむ。タイはもっとあっけらかんとしたゆるゆる文化の国だと思っていたが、全部が全部じゃないようね。道理で、この国、いろいろちゃんとしてるw

しかしこの彼、将来ビジョンもびしっとあって、頼もしい。頭もいい。タイ人も優秀な人がいっぱいいそうだね。ちなみに日本に留学していたそうで、日本が大好きなのだとか。うれしいですね。

そういえば、その日、もう一人のタイ人の友達の女の子から、 ヤンデレについてのレクチャーを受けました。なんでも日本のアニメでヤンデレなるものが流行ってるそうで、ツンデレの変化形みたいなのだが、挿し絵つきでケーススタディーをレクチャーしてくれました。日本びいきの外国人に会うとなんだかやっぱりいい気分。

とはいえ、タイ語、まだ手がでていません。いくつかスクールに見学にいったのですが、どこもプライベートレッスンしかやってない、みたいな感じなのです。プライベートレッスンなら学校に金落とさないでどっかのタイ人に直接お願いしたほうがいいなあ、などと思っているうちに、時が過ぎ行くのです。


 常に予測不能な未来に向かう方が元気が出る気がします。日本のことです。明日ですか、選挙もあるということで政治の季節がやってきているわけですが、ぼくもいろいろ考えて、ちょっと知人と議論などして思うことは、正しいことは1つじゃないということです。

やってみなければわからない、ことだらけ。脱原発にしたってそう、経済にどんな影響があるか、わからない。でも、原発残したまま経済成長を狙って汲々としていく社会より、勢いで原発撤廃しちゃった、さあどうしよう?と頭つきあわせて知恵を出し合う社会のほうが元気がいい気がしますね。映像として人々の元気がいい姿がイメージできる。

 きっとなんとかなるんですね。未来が空いていれば。未来がぽかーんと青空のように空いてることが大切で、確かな設計図などなくてもかまわないのです。なんとなく安泰そうな未来図を描いたって、その図にたちこめる背景がグレーの曇り空なら、それは未来と呼べない代物なのです。

未来はいつだって青空じゃないといけない。それは現実には様々な道な問題、障害が発生してくるでしょう、永遠に。原発を撤廃したってすぐにいい社会になるとは思いません。そんなヤワな話じゃない。そんなに簡単に歴史は切断できないのです。

それでも未来は空っぽの青空じゃないといけません。空っぽすぎて、よい、おれもいっちょう何かをやってみようと思えるような、そんな笑いがこみ上げてくるような吹きっさらしであるべきなのです。

日本における回復力は凄まじいものがあります。それをぼくは神戸大震災のあとに感じました。ぼくは、神戸の震災を目の前で見たのですが、倒壊した高速道路や、横倒しになったビルを見て、ああ、これが元にもどるのに5年はかかるだろう、神戸は壊滅した、と呆然とした気持ちになったことを覚えています。

しかし、実際、ぼくが街が回復したと思える状況になるまで、1年もかからなかったのです。日本の底力ってすげえ、とそのとき思ったのを記憶しています。

だから、脱原発、上等なわけです。ぽかんと空いた穴を埋める、それは日本人にとって難しいことではありません。そこにやるべきことがちゃんとあれば、すごい力が発揮されてしまうのが日本文化なのです。戦後の復興を見るまでもないことです。

だから、埋めるべき穴が、きちんと穴の形で現れていることが大切なのです。なんだかよくわからない、埋めるべき穴もないのに、なんだか足下がぐらぐらして気分が悪い、そんな状況が一番たちがわるいわけです。

ぽっかり穴が空くこと、きちんと空洞化すること、それこそが日本の未来へのトンネルとなるのです。抽象的すぎますね?ええ、そうでしょう、ぼくはイメージだけで今しゃべっているのですから。

ですから、みなさん、福島第一原発の建屋が吹き飛んだように、ぽっかりと天井に穴があくこと、それが日本の未来なのですよ。福島第一原発の炉心は、むき出しの情熱をいまでも燃やしているのです。作り物だった建屋は吹き飛んだ、なんだか清々しさを感じたのは僕だけでしょうか。

実態があらわになったのです。それはそれなりの意味があることです。(あの、これはイメージの話なんで、そこんとこよろしく。もちろん吹き飛ばなかったほうがいいに決まってる)

 まあ、そんなことでね、日曜日の選挙、楽しみですね。











12/14/2012

ビジネス

今日、昼前ごろ、コワーキングスペースで一ヶ月ほど一緒にいたイスラエルさんから電話があった。お茶でもしよう、と言う。いそいそと行ってみると、ばしっと何かの資料をとりだした。なんでも、新しいビジネスを思いついたのだという。ちなみに彼はオンラインゲームサイトのオーナーでもあります。

沈香油という、特殊な木からとれる特殊なオイルを日本に売りたいのだと言う。タイで製造して日本に売りたい。調べたら日本に大きなマーケットがあるらしい、しかも需要に供給が追いついていないらしい、ひいてはこのビジネスに乗り出したいのだ、と。

そして、だれか日本で売ってくれる人を知らないか?と単刀直入である。ん〜。そもそも、その沈香油っておれ知らなかったしなあ。。でも、高級エッセンシャルオイルとして確かな需要があるという。お寺の儀式とかでも使うものだという。

そうですか〜。なんかピンとこないまま話を聞いていた。なんならお前が代理店になってもいいんだぞ、おれがお前に売るから、お前はそれを日本で売ればいい。実に単純明快なビジネスだぞ、と。

すでに、オイル製造工場のめどもたっているそうで、あとは販売パートナーさえ見つかれば事業に乗り出すのだと言う。しかも、それを思いついたのがわずか2週間前だというこのアグレッシブさだ。

これが起業家の行動パターンなのか〜。彼は本国にいるときからいくつもの会社を立ち上げては売却したりしている、やり手の起業家なのだ。

まあ、ちょっと誰かに聞いてみるよ、とお茶をにごしつつ、でもおれの知り合いで貿易やりそうな人いないよなあ、と思いめぐらす。誰も思いつかない。

するとイスラエル氏は、なんでお前がやらないんだ?的なことを言う。利益でるぞ、最初から月に30万円の利益はかたいぞ、うまくいけば100万くらいの純利益を手にできるよ、と言う。けっして怪しい話じゃないとは思う。人としては怪しいやつじゃないし、計算もちゃんと立っているようだ。

でも、なんか急に脳が回らなくなって眠気を感じる。なんか、よくわかんないっす。。あ、おれ、ビジネスってだめなんだなって気づく。うまくいけば、というか、まあ普通程度にがんばれば軌道に乗るんじゃないか、とは理性的に判断できる。だが、気持ちが動き出さないのだ。なんだかそれ面倒だなあ、みたいな。

というかたぶん僕では成功しないだろう、そんな予感がする。で、血気盛んなイスラエル氏に聞いてみた。なんでそんなにビジネスアイデア湧いてくるの?なんでそんなにアクティブなの?と。

するとイス師いわく、自分は事業を起こすのが好きなんだ、と言う。人と話しているだけで、たくさんのビジネスアイデアを思いつくそうである。あ、それはこうすればビジネスになるぞ!みたいな感じで自動的に浮かぶのだそう。自分の脳はそうできている、とのこと。

なるほどー。なんかやっぱ違うな、と思う。おれの脳はそういう風には動き出さないもんな、、

で、まあ一応、沈香油に興味ある人いれば、僕に連絡くれれば紹介しますが、なんか、あ、と思う。「脳が自動的に動き出す」ということばに何かはっとする。そうか、あいつらはそういう感じなんだな。そりゃまともに競争しても勝てないわ、つまり、起業家たちは、四六時中、事業のことを考えているのだ。自動的に。ぼくがにわかのやる気でうーんとうなって考えたところで、24時間考えてるやつにかなうわけはないのだ。

逆にいえば、おれの脳はどういう動きをしているだろう、と興味がいく。脳が自動的に動いている動き方がわかれば、それがぼくの得意分野ということになる。自動的なんだから苦労なしだ。それを仕事になるまで伸ばしていくのが良策だ。と思いつつも、なんだかよくわからーんとなって考えるのを止めてしまった。おなかを壊していたのもある。

とりあえず、適当にあたってみるよと返事をして、今日はお別れ。そうか、起業系じゃないんだろうな、ぼくの脳のつくりは、と今更のように確認する気持ちになる。回らないもん話聞いてても。

おまえ彼女いないのか、だったらうちの秘書を紹介してやる、とか言い出したので焦る。おまえのSkypeを教えろ、と言ってすばやくコンタクトに追加。近々連絡する、まずはスカイプで話して見なさい、と言って去っていった。なんでもやることが早いわこの人。なるほどなあ、、と感慨にふけりまくりのバンコク、季節は冬に相当するらしいが、やっぱりめちゃ暑のバンコクの師走なのでした。







12/13/2012

なんだか今日はだるい

今日はだるい。いっぱい寝たはずなのにだるい。ビールを連続で飲み過ぎているのかもしれない。最近、なんとなく仕事帰りに同僚とビールを一本飲む習慣がつきはじめている。

これは決して悪くないこと。念願の友達付き合いでもあるし、一日の緊張を緩めるごほうびでもある。しかし、僕が酒に弱いのが痛いところ。やはり、連続してくると体にくるのだ。たとえビール1本でもだ。というか、1本だけ、と言いながらだいたい2本飲んじゃう。流れで。そうなると、かなりのものだね。

同僚とはドイツくんなのであった。ドイツくんは北朝鮮がロケットを発射したことを知っていて、オキナワの上空を飛んだって?と聞いてきた。へー知ってるんだ?と驚く。尖閣も竹島も知ってた。国際的にも割と関心を持たれているのだろうか。

 そんなこともありつつ、かなりバンコクにもなじんできた。といいながら、わずか2駅の間を徒歩で移動する生活です。最近電車乗ってないなあ。こんなことでいいのだろうか。いつだって半径500メートルで生活してしまう俺なのであった。

最近、Lang-8という添削エクスチェンジサイトを試している。これは、いろんな国の人が日記を書いて、お互いに添削するというサイトだ。たとえば僕が英語で日記をかくと、英語圏の人が添削してくれる。これはとてもいい!一回、フィリピンの学生に添削してもらったけど、なるほど!という感じで、ひとりで勉強しているよりよっぽど上達できそうだった。

で、ぼくは日本語の添削を受け持つわけだが、基本的に、相手は中国人が多い。中国人で日本語を勉強している人がたくさんlang-8を使っている。たいていは日本に留学中の学生か、中国の大学の日本語科の学生だ。

それで、彼らはかなり日本が上手で、漢字まじりの日本語の日記をすらすら書いてくるのだが、その内容を読んでいると、慣れない留学生活で苦労している様子がうかがえる。

忘年会に行く金がないけど、どうやって断ったらいいか?とものすごく長い謝罪文を添削してくれと言ってきた学生もいた。友達ができないと泣いている学生もいた。中国の大学の日本語科の学生は、憧れの日本に行ける日を夢見ていると書いていた。

なんとなく、じーんとする。若いっていいなあ、というか、みんななんか一生懸命やってんだなーって。「日本に行きたい!」という母国人である僕にはちょっと共感できない夢を抱いて勉強している若者がいる。なんか不思議な感覚。へーーそうなんだ。うれしくもある。そっかそかあ。

なんか日本ってすごい国なんじゃないか、そんな感慨がふつふつと湧くことが多い。昨日などは、友達のTV関係者からもらった「恵比寿マスカッツ」のTシャツを着ていたら、というかかなりお気に入りなので週に2回は来ているのだが、タイ人の友達に、「それは恵比寿マスカッツだね」と指差される。え???知ってるの???

まじ焦る。聞くと、タイ人の男はみんな知ってるよ!とのこと。有名だそうだ。おいおい、おれこのTシャツ着て街を練り歩いちゃったよ、学生街も行っちゃったよ、まじで大丈夫かな。という恥ずかしい気持ちがわいてきた。このTシャツ、デザイン的には黒字に蛍光緑色でマスカッツメンバーの名前がローマ字で並んでいるだけで、ぱっと見は普通のおしゃれなTシャツにしか見えない。しかし、知るヒトゾ知る、というところがおきにいりだった。

タイ人、みんな知ってるって。そして彼はこう言った。いまタイの若者の間では、音楽と言えばK-POP、AVといえばジャパン、となっているのだとか。おいおい、それ大丈夫かよ。。。ちょっとなんかヤバいな、という気持ちになる。おいおい。。なんかそれが今の日本の文化状況を表しているような気がしてきた。いかんな、と思う。

焦ったけど一応おれは、エロは日本の伝統文化だ、と見栄を切っておいた。ドイツにそんなのないだろう?と。200年前の江戸はポルノグラフィーであふれていたんだぞ、と。

といいつつ、なんとなくちょっと悔しいような気持ちになった。もっと表の文化でガツーンといわしとかないと、ね。日本の音楽、なかなか世界へ行きませんね。いや、10年前はビジュアル系がタイの若者を席巻したらしいですよ。だから時代の趨勢ってだけですかね。

またどうでもいいことを書いてしまった。

最近部屋が汚くなってきた。掃除しないと。洗濯はこまめにしてるんだけどね。来週はビザの延長手続きにいってきます。早いものでラオスから帰ってもう2ヶ月がたつのか。あっという間だね。というか、いよいよパソコンの調子が悪くなってきた。もう4年以上使ってるからなあ。買い替え時かなあ。

とはいえ。もうすぐ都知事選挙、と衆議院選挙ですね。都知事選、面白そう。石原さんがいなくなって、波乱がありそうな予感。猪瀬さんはあんまり人気ないと思う。なんか華がないし、言ってることも以外とでたらめだし。ぼくが都民だったら宇都宮けんじ氏に入れますね。一回、まともそうな人に政治をまかせてみたい。結果がどうあれ。そんなことを思っていました。ぼくは昔、枝野さんが好きだったのですが、今ではすっかり失望しています。でも、新しい実験をしていかないと、面白くないですからね。というか、宇都宮さんは普通に信頼できると思いますね、まだちょっとしか知らないけど。

衆議院はどうなるんでしょうね。まあ何でも一気に変わるのは無理でしょう。少しづつまともになっていけば。8000万人いるドイツでも、まともな政府がつくれるんだから、日本だってできるだろう、最近はそう思っています。

 さて、なにやらオフィスでいまから外部のイベントをやるらしく、そろそろ追い出されるところです。やれやれ。でもまあ、活気があって非常によろしい。












12/05/2012

いつか来た道



いつもの道シリーズ。これは、オフィスへ向かう道です。まえもアップしたっけかな。どうですか、まっすぐでしょう。だいたい、お昼前の11時頃に通るのですが、日差しがめちゃくちゃ熱いです。

ブログ読者から、さいきん元気がないんじゃないか、と聞かれたが、そうでもないです。ネガティブ調で書きすぎたのかな。なんだか最近、よく眠れるようになってきて、寝付くのはいまだに2時3時なのですが、そのあとほぼ目が覚めずに朝まで寝ることができます。今朝などは、朝起きたとき、あれ?さっき寝たばかりだけどもう朝??という軽いサプライズがありました。時計を見ると10時過ぎ。十分に寝ています。つまり、それだけ眠りに集中できていたということでしょう。眠りさえ集中力が鍵なのです。

こんなこと書くからいけないのか。それから、バンコクよりバリにいたときのほうが楽しそうだったと言われました。あれ、そうなのかな?としばし考えます。そうでもない気がするけど、たしかにバリにいたころのほうがエネルギッシュではあった気はします。毎日のように海と格闘、アドレナリンが出まくっていたのです。

いまでは、一日パソコン人生、仕事人生です。もっともそのためにバンコクに来たのですが。君はいま楽しいのか?その問いに、うん、楽しい!と答えられる時間など、人生にどれほどあったでしょうか。たぶん1年のうち、延べで数日間、てなものです。

とはいえ、家族や友人の心配に答えるならば、たぶん心配されてないと思いますが、まあ、このままの日々がしばらく続けばいいと思ってるよ!という答えになるかと思います。しばらくとは半年とかそれくらいのスパンです。

えーなにか面白いこと書きたいんだけど、なにも出てこないなあ。まああれかなあ、原発がなんで嫌なのか考えてたけど、つまりは見えないからだと思ったんだ。放射能は見えないし、匂いもしないから、なんか超怖いなって。致死量の放射能を浴びてる最中でも、防衛本能は発動しないんだよね?つまり、肉体が危険を感知して、とにもかくにも逃げ出す、みたいなことが起きない。そうなると、理性の部分で常に危険を感知。回避しなければならない。それってけっこうしんどいことだなって。

まああともちろん、廃棄物が処理できないってのもすごいことだけどね。どうすりゃいいんだ、ということで。地底に埋めればいいのかというと、それもうーん、みたいな。とにもかくにも、人類が愚かしい進歩をしてきたという側面の何かを象徴している、、と書きかけて、面倒になりました。もう耳にたこだよね?このあたりの議論は。

そういえば、地元の同級生たちが厄年でどうたらこうたらとメッセージがとびかってる。お祓いをするのだとか。え〜と思う。まだこれから災難があるのかよ、と。これから災難が来るとしたら、これまでは何だったのか、と。おいおいおいおい、かんべんしてよ、これから上向いて行きたいんだよ、おれは。やっとそういう心境になれたんだよ。その矢先に、はい、あんたこれから厄年だから気をつけてね〜とか言われて、はいそうですか、って言えるかよ!ってことよ。

でも長く続いてきた風習でもあるので、無下にはできない。なんだかなあ、、の気持ちです。逆の幸年みたいなのないのかね、ついちゃってついちゃってしょうがない、運が良すぎるから浮かれすぎないように!みたいな歳ってないのかね。なんでそういうのを用意しておかないのかねえ日本文化はよ、

そういえば、バンコクに来てから夜の幽霊が恐くなくなりました。前からそれほどでもなかったんだけどますます。というのは、例えば夜中、2時過ぎ、そろそろ寝るか、と電気を消して、あ!思った以上に真っ暗になったとします。ふと窓の方をみると、若干怖い気持ちがしてきます。あの窓から幽霊がじとっと見ていたりしたらどうしよ。。1回はそう思います。でもバンコクではここから違います。

あれ、ここはタイだよ、まさか日本の幽霊でないよね?と思うのです。落ち武者出れないよね?と。兵隊さん出れないよね? だとしたらなに、タイ人の幽霊でるしかないね、でもおれタイ人の幽霊となると全然イメージできなわ、俺の中にタイの幽霊のイメージがないのです。出るとしたらどんな風貌なのかねこれ、などと考えているうちに、もういいや、どうせ出ないわ、と全然怖くなくなって、電気をぱちっと消すことができるのです。おやすみなさいzzzz





12/02/2012

日記

しかし常々申し訳ないと思っています。このブログを読んでくれている関係各者に。もっとバンコク事情を教えてくれよと思っていることでしょう。

でもねーなんつーか、もう何を見ても何を食べてもさほどのびっくりも感動もないのです。タイ人たちと話しても、えーー!そんなに文化違うんだ!みたいなことはほぼ皆無です。たぶん、もう、エキゾチックを求めてアジアを旅する時代は終わったのでしょう。とくにバンコクなど都市部にいれば、そこはもう東京です。かといって田舎に行けばいいのかといえば、それなら日本の田舎だっておれまだ回ってないよーということなので、なんつーか食指が動かないわけです。

昨夜は、ドイツくんとまたビールを飲みにいきました。そして、いろいろ語るわけですが、たとえば、戦争のことなんか話しました。ドイツくんが、日本はなんで第二次世界大戦で戦争をしたのか?と聞いてきました。いま調べてるところなんだよ、と答えます。あと宗教のことも話しました。ドイツくんはキリスト教が好きじゃないみたいで、神なんかいないし、宗教を支配の道具につかってる、と言っています。仏教の方がいいね、と。まーしかしね、戦争や宗教の話、異文化だけに面白いのかとおもったら、ぼくのこの今のテンションの低さでわかってもらえるとか思いますが、意外と面白くなかったです。

いや、話してる間は面白いんです。ドイツはなんで戦争したんだ?と聞いたり、イスラエルのことどう思う?とか聞いたりするのは、日本人に聞くよりも何倍も面白いですよね。でもね、翌日になって振り返ると、なんつーか、まあどうでもいいことだよね、お互い、という感想が出てきてしまうのです。

アクチュアルなテーマではない、ということです。それがなくても生きていけるといいますか、そのことをとくに考えなくても日常にあんま影響ない、そんなことなんですやっぱり。それよりも、おまえ、仕事の調子どうよ?みたいなほうがずっと大切な問題なわけです。でも業界がちがうから、話もいまいち盛り上がりません。ドイツくんはプログラマーです。

ぼくが今こうして人の名前を書かずにドイツくんなどと書くのは、一応プライバシーを配慮してのことなので、あしからず。決してよそ者扱いしているわけではありません。

アクチュアルな問題とは、その問題を解かなければ、うまくやらなければ生きていけない、というような問題です。それは基本的には仕事関係か、パートーナー関係、肉親関係くらいですね。そうです、人の悩みの基本形です。あと金の問題もありますが、まあ、これは仕事に含めちゃってもいいでしょう。お金は稼げば解決するのです。

 でもねーこれが意外にもう退屈なんですよね、話してても。それは結構だれと話してもそうで、以前からちょこちょこと言ってきたかもしれませんが、他人の仕事の話聞いても、自分に関わりがあるように思えてこないし、他人の恋愛の話なんて、勝手にしろ!と思うばかりで、まあ家族問題くらいは相談に乗ってあげてもいいかなと思うけど、なかなかそんな話題にはそうそうなりません。

まあたいていは仕事か恋愛ですね。まったく退屈です。かといってじゃあ、音楽が映画で盛り上がれるのかというと、最近、音楽も別にこれといって聞かないし、映画もまあ見るには見ますが、それについて誰かと語らなければ気が済まない、というほどの気持ちになることはまれです。本もぜんぜん読んでいません。

となるともう話題がないよ、の一言なんのです。これは感性が鈍ったのでしょうか。なんだか少し悲しいです。でもしょうがないよねえ、という感じ。

もしかして、こうやって感性を失っていくのかもしれませんね。年齢でしょうか。なんでしょうか。

なんであの頃、お互いの将来みたいな話題で一晩中語り合ったりできたのか不思議でなりません。あの頃とはつい1年半前くらいのことなんです。 つまりは日本を発つ前です。

もしかして外国にいるからでしょうか。。とにかく、酒を飲みながら語り明かしたいなんてテーマがひとつも見つからないのです。そんなことは、酒を飲める年齢になってから一度としてなかったことです。

だから例えば今夜したいことといえば、お家にかえってダウンロードしてあったドキュメンタリーとか講演会の動画を見たいな、というぐらいなのです。ちょっとおおげさに言っていますが。それもどうしても見たいというわけではありません。なんとなく夜の時間つぶしに動画をみることがパターンになってしまっただけなのです。

あんまりぼやいててもしょうがないけどね。申し訳ないですね、いつもこんな調子で。みんな日本でどういう思いで過ごしているのでしょうか。ふっとわからなくなります。ぼくと無関係のところで日本という営みが行われている気さえしてきます。

ここ、コワーキングスペースでは、若き起業家がひっきりなしに出入りしています。石を投げれば起業家に当たる、という様相です。以前ならもっとワクワクしたはずなのに、なんか、あ、起業したの、すごいね、がんばってね、応援してるよ!くらいの感想しか持たなくなりました。それは慣れたというよりか、ま、俺とは関係なさそーだな、と思えてしまうという感じで。

 さみしいことです。というか、お前大丈夫か?と自分に問うてしまいます。お前だって何がしかのビジネスして生きていくんだろう?自営で行くんだろう?と。もっとアンテナ伸ばせよ、と叱咤するのですが、5分ももちません。

いったいどうするつもりなのか、自分で自分がわかりません。ほんと、なんか、やばいわ。なにかきっかけがひつようです。







12/01/2012

平気で生きて行くための哲学

平気で生きて行くための哲学が欲しい。
欲しいということは、まだこの手の中にはないということだ。

今朝、また起きることができた。昨夜は友達とバンコクでお初のバーへ出かけた。金曜の夜だ。ダンスバーみたいな感じで、クラブというほどのフロアはないのだが、みんな酒を飲みながら踊っている。98%はタイのローカルのようだった。みんなとっても楽しそうだった。ぼくも珍しく、そこそこ楽しめた。僕は実はこういう場所は苦手の部類にはいるのだった。

今朝は、ちょっとだるい感じで起きて、二日酔いではない。僕は酒がものすごく弱いので、どれだけ呑んでも二日酔いにはならないのだ。つまり、サイクルが早いのだ。二日酔いとはたぶん、体の許容量を超えて我慢比べみたいに呑み続けることができる人がかかるものなのだろう。

そして今朝は、いつも通の時間に起きて、やっぱりオフィスに向かった。予定がない日はぜんぶ仕事なのだ。そして、最近通うようになったコーヒーショップでコーヒーを買う。白いおしゃれなカフェだ。お客はいない。でもコーヒーはなかなかだ。店員は英語を話さなかったが、パグ犬がいつもよってきてめちゃかわいい。気がつくともう足下にいて、ぎろりと見てくる。なでてやると、うれしいのかごろんと転がって腹をみせた。腹をさすってやるとじっとしている。もういいかな、と思ってやめると、友達の女の子にどこか似ている黒めがちのくるくるの眼で、またぎろりと見た。もっとなでてくれということか。そんなことをくり返しているうちに、コーヒーができあがった。

コーヒーショップを出ると、向こうから自転車がやってくる。女の人が運転する自転車の座席の前に、小さな女の子がちょこんと乗っている。やや、これは、、あの子かな?と思っているうちにすぐそこまで迫っていて、そして、耳慣れない音を聞いた。あまりに耳慣れないので、最初は何が起こったか0.5秒ほどフリーズしてしまったくらいだ。その音は、「ハロータカ」と言っていた。

その自転車にちょこんと乗っている小さな人間から、「ハロータカ」という音が発せられたようなのだ。あれ?おれの名前知ってたの??????
何個ハテナを書いても足りないくらいの驚きだ。初めて名前を呼んでくれた。というか、出会って2回目のあいさつをしてくれた。じわーんとうれしくなる。まったく子供というものは、女の子というものは、行動パターンが読めないものである。

そして引き続きてテクテク歩いて、いまここ、オフィスでこのブログを書いている。

iPhoneのニュースに、日本未来の党という政党が若者に人気らしい、という記事が飛び込んできていた。さっそく調べてみようとしたが、なんとなく面倒になってやめた。自然エネの飯田さんがいるようなので、原発関係はOK政策を出してくれるだろうからだ。投票したいな、と思う。月曜日、大使館に行ってこようかな、

あ、そうだ平気で生きて行くための哲学について書こうとしていたのだった。忘れていた。今の日本、生きて行くことは難しくない。生きて行くだけなら、生活保護だってあるし、親類縁者に頼ってもいいし、本格的に飢え死にする、住む場所もまったくない、ということはないはずなのだ。
家がなければ超格安で市営団地に入れる制度があるはずなのだ。調べればある。たぶん月に数千円でそれなりに普通の部屋に住めるはずだ。
そして生活保護などをもらえば、もう食べていけるはずなのだ。だから、生きて行けない、なんて人は日本にはいないはずなのだ。

ただ、平気で生きて行くことが難しいだけなのだ。いや、そういうことじゃないのかもしれない。ただ、生きて行く、ということはそれほど確固とした自明の自然のことではないのかもしれない。

人が生きて行くのに必要なのは、家と食べ物だけではないのかもしれない。まあそういうことなのだろう。でもそういうことを包含してもなお、平気で生きて行くための教育、そういうものが欲しい。びくびくと顔色をうかがうように生きるのではなく、平気でふんふんふんふんって生きていけるための、何かだ。それは知識でもあるだろうし、スキルでもあるだろうし、哲学、思想でもあるのかもしれないけど。

「彼はもうすぐ治るわ」とフェイが言った。 いま映画「恋する惑星」のワンシーンがフラッシュバックした。

君、何か本当のことを言ってくれないか。「君はまじめか」夏目漱石の小説で、(題名忘れた・・・「こころ」かな?)、先生が「僕」に最後に問うたのは、そんな言葉だった。

まじめか。それはつまりは、君は本気なのか?ということなのだろう。本気といってもそれは、意思の強さ、意思の固さ、みたいなことではなく、本当のことを言ってくれているのかね?という方向のニュアンスのものなんだと思う。

何が本音かなんて、当人にだってわからないようなものだ。ただ、そこには方向性というものは存在するだろう。本当のことを言おうとする方向性を君は努力してくれているのかね、この私に向かっては。そういう問いかけだったんじゃないかと思う。

僕にとって本音というものは、ズバリ一言で提示されるようなものではない。それはたこ焼きの中身のようなものだ。焼きたての、おいしくできたたこ焼きは、外はぱりぱり、中はもちもち、そしてその中心部には、危険なほと熱く、まだどろっとしているマグマがひそんでいる。うっかり一口で噛み切ろうとしよもんなら、あちち!!大変危険である。だから、口の中でハフハフ、ハフハフ、いわせて冷ましながら食べるわけだが、ではあのドロッがなければいいのかというとそうではない。やけどのリスクはあれど、あのどろっとした熱いやつをハフハフいいながら、味わう。それこそがたこ焼きの醍醐味というものなのだ。あれがなければたこ焼きなどわざわざ食べる意味などないとさえ言える。

そういうドロっとしたものを君は保持しているのかね。あります!ほんとうかね。本当です、先生!そうか、ではハフハフしてもいいのかね。はい、ハフハフしてください!

あれ、なんかおかしなことになってきた。。ちょっと失敗。ここまでということで。