6/08/2012

徳が高い人

最近つるんでいる英人のサーファー氏は徳が高い人である。

どういう人か。
サーファー氏とは僕がいつもいくサーフポイントで出会った。サーファーらしからぬ、まったりとしながらも紳士は感じが漂っていた。出会った時はぽつんと昼寝をしていた。

毎日顔を会わせるのでいつしか一緒に海に入ったり、ご飯を食べにいくようになった。
バリには三回目だという。休暇を利用してサーフィンに来ているのだという。6週間いる予定だそうだ。

一緒に海に入ってちょっと驚いた。サーファー氏、上級者じゃない。一ヶ月前のぼくくらいの腕前だ。もうサーフィン歴15年だと言っていたはずだが。。しかし、小さな波にのり、振り返った笑顔は満面だった。ほんとにサーフィンを楽しんでいるんだな〜。こっちまで楽しくなってくる。

小さな波を何度も何度も日が暮れるまで楽しんでいた。
ぼくはなんだかこの人は徳が高い人だなあと思った。なんというか、欲が少ないというか、自分を満たすために多くを必要としていないように見えた。波と遊んでいられればそれでもう十二分に楽しいのさ、他に何がいるのさ?っていう感じだ。

もちろん、彼も本国に変えればエンジニアという仕事がある。海まで6時間かかるらしいから、帰国してしまえばサーフィンはおぼつかないだろう。また次のバケーションまで待つしかないだろう。そのライフが充実したものなのか、ぼくにはわからない。とはいえ、彼は、15年まえにロンドンから6時間かけて海に通ってサーフィンをはじめ、果ては6週間の休暇を使ってバリ島に来るようになったのだ。彼はサーフィンが好きなのだ。そして、それをひっそりと充実して楽しんでいるように見えた。

自分が充実するために人を利用しなくていい人、多くのリソースを必要としない人、そういう人が僕には徳が高いひとに見える。でもこれは微妙なところで、ただあきらめて退屈な人生を生きている人や、本当の気持ちがわからないほど自分を押さえ込んでしまった人にも、そういう人はいるだろうが、ぼくが言っているのはそういう人とはちがう。多くを必要としないが、充分に満たされている人のことだ。活き活きと生きている人のことだ。そういう人はたいてい、ひっそりと生きているのだろう。

この英国紳士のサーファー氏が、果たしてぼくが見立てた通りの徳の高い人なのかはわからない。まだつきあいが短すぎるのだ。でも、このサーファー氏といるとどこかほっとする。それは今、事実なのだ。

ところが、このサーファー氏、英国人なので英国なまりの英語を話す。これが聞き取れないのだ。どれくらい聞き取れないかというと、maybeとかsometimeとか、waterが聞き取れない。ということは、ほとんど何も聞き取れないということだ。

だから何度も何度も聞き返して、なんとか最低限の会話をしているといった次第。もう会話の80%はいいかげんにあいづいを言っているだけなのだ。相手が何かいっているときはReally?とかあいづちを打っていればそれとなく会話は続いて行くのだ。何か聞かれたときははちょっと困るが、わかるまで聞き返すか、面倒なときはmaybeとか言っておくこともある。そんなコミュニケーション障害がある間柄なのだが、多分今日も一緒にご飯を食べるだろう。もうあと数週間で彼は帰ってしまう。


とここまでするすると書いて、んーちょっと足りないなと思ったので書き足す。
なんというか、やっぱりきれいごとにすぎたかな、と思った。
たぶん英国紳士氏も、長い付き合いをすれば、ここはちょっとね、という部分がいくらもでてくるに違いなく、ひっそりと生きている徳の高い人を見つけた、などと悦に入ってるわけにはいくまいな、と反省してしまったのです。こと外国人など見ていると、割り引いて美化するか、過剰に悪く見てしまうものなのかもしれません。なんかよくわからんけど、反省。




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