バリ島にいる理由のひとつに、夢の決着がある。
24歳のころから海外生活が夢だった。本当は20代のうちに叶えるつもりだったのだが、いろいろあって一度引っ込め、もうひとつの夢だった「海外放浪」に切り替えたのだった。いや、そんな意識的な行為ではなく、海外に引っ越してしまう、というエネルギーがもはや失われていたのだろう。そのかわりにたくさん旅をした。
しかし、どこかまだ満たされないものがあって、やはりどこか外国に住む、という行為をしてみたかったようなのだ。その夢がひきずりこじれにこじれ、いまバリ島に漂着したという次第だ。バリでよかったのか、と言われると、夢見たとおりではない、と言わざるをえない。当時の目的地は、アメリカ合衆国だった!カリフォルニアに住んでみたかった。
しかし今、カリフォルニアへの熱にうかされたような気持ちはもう冷めてしまっている。サンフランシスコに何度足を運んだことだろう。それは911以降かもしれない。どこか憧れが薄れてしまった。
いま、インドネシアにいて、当時の夢の、ひきずったままの脱ぎきれない皮のジャケットのような夢は、半分くらい決着がついた感じだ。まがりなりにも海外に住んだ。最低1年、そう思ってはいたが、それは間もなく達成されるだろう。しかしまだ半分はくすぶっている、それは、まだ外国の社会に混じり込んだという実感がないせいだろう。今のところはただ海外に居るだけに近い。あとの半分は結構ハードル高いよね、もうそっちはいいかなあ、という超メンドクサイ気持ちと、いや、ここまで来たならネクストステージを味わってみたい、という気持ちの両方が混在している。
もっとエネルギーがある20代のうちに、本格的に外国社会に頭を突っ込んでおけばよかったと思ったりする。きっともみくちゃにされるのは必然だろうからだ。
今書きたいのはなんだ、そうだ、夢には決着をとらなければいけない夢があり、それはきっと理由がわからないものなのだろう。
ぼくが海外で暮らしたい、という夢を諦められなかったのは、国際社会で活躍したいから、とか、日本がダメになりそうだから今のうちに英語力を磨いておこう、とか、おれって日本人といるより外国人といるほうが気が楽なんだよね、とか、そういうことでは一切ない。
ただ、そういうことをしてみたかった、というだけだ。はやるような気持ち。そういう気持ちを24歳のころに持ってしまった。たしか「異文化交流」をしたいのだ、と人には話していたように思う。しかし、それもちょっと違う。実は外国人にそんなに興味なかったりする。たぶんそれより、日本という国にいない自分、日本社会というものからある程度期離反された自分、というのを体験したかったのだろう。そのために、異文化を使おう、という。
いや、違う、やはり実際に異文化に興味がある、という一面もよく探ればあるようだ。今そういうサインが来た。というように、どうにも決着がついていない何かが自分の中にあって、面倒クサガリの自分をどうにかここまで押し込んできた。まったくばかげたことだと思うけれど、そこまでもわがままだった自分にひたすら驚くしかないのだ。
他人のためには一秒だって生きたことのないおれも、家族をもち父親になることがあるのだろうか。この年になると、人生設計というものがむなしく聞こえる。24歳のころは、30歳までにあれしてこれして、35歳までにこうなって、などという人生プランを持っていたように思う。いま、そういうものをはるかに超えてしまった。いつのまにか。40歳以降の自分は、24歳のころの自分のプランにも入っていなかった。なぜならば、すでに大成功を収めているはずだったからだ。ところが、今思い返せば、18歳のころの自分には40歳以降の人生プランがあったことを思い出す。あまりにも遠い故になんでも考えられたあの頃。
そう、もはや人生設計というのを持てるほど時間が残されているように感じない。だから、10年後のプランなどというのはむなしく響くだけだ。だから、もう1年後のプランだけを盲目的に近視眼的になんとか見て行くことができるだけだ。1年後、1年後、となんとか生き延びてるうちに寿命がくる、なんてのが悪くない人生と言えるのかもしれない。
なんて思っていると、80歳の知人からメールが舞い込む。あんたは私の半分よ。
あ、まだ若者という役割を演じる余地があるのか、とはっとする。ならば、ご期待に添えるよう、
2 件のコメント:
最近仕事で知った根付け作家の方は70歳中盤で、いま脂が乗りきった時期と言われているそうです。60歳なんかまだ駆け出し扱いらしいですから、わたしなんか産まれたか産まれないかくらい だとか笑
そら
そういう世界いいねえ。そういう世界を生きれば幸せだな。
コメントを投稿