不思議なことがあって、ぼくのサーフボードをみんながほめるのです。
たとえば昨日、バイクにボードを乗せて走ってて、信号でとまってたら、となりに来たバイクの男の子が、なにやら話しかけてくる。え、なに?よく聞くと、「ナイスボード」と言っています。そして、信号が青になり彼女を後ろに乗せて走り去っていきました。わざわざナイスと言うほどのボードなのでしょうか、ぼくのボードは。それ以外にも、ビーチでサーフィンの先生をしているバリ人にも、いいボードだね〜って呼び止められたこともある。なにか売りつけられるのかな?呼び止める口実かな?といつも思うけど、ボードをほめてくる人はいつもナイスな人間だ。物を売ろうとも、なんともしてこない。ただ、ほんとに僕のサーフボードを褒めているのだ。ほかにも、クラブに行こうとバイクをとめたら、へべれけに酔っぱらったオージーがからんできて、うわ、いやだな、とビビってたら、ロレツの回らない口で、ナイスボード!らしきことを口走ってへらへらしていたこともある。これ自慢しようにも、ぼく自身がこのボードのよさがいまいちまだわからないので、何とも言えないのだ。
たしかにこのボードはバリでカスタムオーダーしたものだから、よいものであってもらわなくては困る。店売りのボードよりは5割増で高いはずだ。でも当の持ち主は、2つのボードを見比べても、そのデザイン性以外の善し悪しはわからないときている。なんとも残念なことだ。
そして、ここからがまた不思議なもので、ぼくは最初の方は、ボードにぜんぜん立てないし、けがするし、立てもしないうちから2回も破損して修理代もバカにならなかったし、なんだこのボード、ぜんぜん乗りやすくないし、すごく壊れやすいじゃないか!なんかおれだまされたのかなーとまで思っていた。こんなカスタムオーダーを2ヶ月も待って何万円も払わなくても、中古ボード2万円で充分だったんじゃないか、ってね。
でも、サーファー何人にもボードを褒められたり、いつのまにか立てるようになってくると、ああーこのボードにしてよかったな、などとしみじみしながら、ボードをさすっている僕がいるのだ。あっけないものだ。人生万事塞翁が馬とはこのことか、とひとり納得したりする。
そして、いま、猫との抗争の真っ最中なのです。
どうやら、僕の部屋の天井裏に猫が住み着いたらしいのです。夜になるとドッタンばったん、超うるさくて眠れません。ひどいときは一晩中、暴れています。もうそれが一ヶ月弱くらい続いていました。大家さんに対策をお願いしているのですが、なかなか効果がでません。
ある日、怒り心頭のぼくは、はしごを借りて天井裏に突入。夜中にヘッドランプをつけて、ほうきを持っての特攻です。そしたら、なんと、暗闇に光る丸いものが4つ。そう、2匹いたのです!小さい猫と、さらに小さい子猫です。ニャーなどと言っていますが、ちっともかわいく思えません。
おれは、がオーー!と声を張り上げ、脅かす作戦に出ました。親猫は速攻で逃げさって、屋根の隙間から外で逃げていきました。子猫は逃げ遅れたのか、奥の方へ行っちゃった。がオー!と叫ぶと、びくっとしています。おれが近づいていくと、さささっと逃げちゃう。天井裏といっても床を歩けるわけではなく、梁の上を伝うように移動するしかありません。なのでつかまえられそうにありません。さんざん脅かして、その場は一時退散。
すると、、。また30分もしないうちにドッタンばったんやり始めました。また天井裏にいうと、また親猫が帰ってきています。おれが叫ぶと、親猫はまた速攻で外に逃げて行きました。子猫はやはり動けなくなっています。ちょっとかわいいです。子猫は外に出れないのかな?もしかするとここで生まれた子猫なのかもしれません。すごい小さいです。黒猫です。かわいいです。でもかわいいなんていってる場合ではない、ぼくを不眠にさせるにっくきヤロウなのです。どうしたら追い出せるでしょうか。。そんなことを書いている今もどたばたやってます。
ぼくは、ある人からのアドバイスではえ取り紙を買ってきました。猫は肉球にべたべたしたものがくっつくのをすごく嫌がるそうです。はえ取り紙でべったべたにしてやれば、もうこりて近づかないのではないか、ということ。明日の昼間にでも天井裏にしかけて、あいつらの肉球をべったべたにしてやる所存です。覚悟しやがれ!
そんな猫との抗争が終われば、そろそろバリ島も丸7ヶ月が過ぎようとするところ。来月はまた一時出国です。ジャパンツアーにはまだ早いようです。というか、国際免許と旅行保険の期限9月末までなので、そのタイミングでジャパンというのが都合がよさそうです。というか、ジャパンツアーするお金がまだ溜まっていません。日本は移動もなにもかも高いからねー。バリにいるとそういう感覚になります。とはいえ、沖縄から始まるジャパンツアー、必ず実現するのでお待ちください。当方、小荷物主義なので、おみやげは、なしです。というか、バリにたいしたおみやげありません。なんでも日本でも入手可能です。コピルアックあたり買って行って、みんなに一杯づつ飲ませるのも一興かな。ジャコウネコの糞でつくったコーヒーです。貴重なものです。
ああ、今日もまたどーでもいいことばかりを書いてしまいました。
一応、仕事もサーフィンもそれなりに順調です。健康もオッケーです。あとはとくに何もやってませんので報告することがありません。
写真は、よく遊んでるこども。3歳。かわいくて苦しくなります。
4/22/2012
翻訳の不思議
たまには仕事のこと書く。
最近、不思議だなあと思ってる事があって、それは、翻訳の仕事のことなんだけど、最近、翻訳記事がなかなかうまく訳せなくなってきている。日本語が下手になってきてるいのかもしれない。自分で訳した文章が、自分でしっくりこないのだ。これじゃあ意味不明だ。。がっくりした気持ちになる。おれって、まだまだなんだなあ。。ちょっと長い記事などになると、おれ、この記事いつになっても訳せる気がしない。。というときもある。英語もなんか解読不能なところがいくつかあるし、日本語にしてみたところが、なんかぜんぜんおかしな文章なのだ。これを直せるとは思えない。その証拠に、さっきから冒頭の文章を5回ほども書き直しているのに、どんどん悪くなるばかりだ。。おれ、やっぱりだめかも。。
そんなときもある。いや、けっこう頻繁にある。
しかしである。奇跡は起る。奇跡が起ってきたから今、こうしてまだ翻訳の仕事をやっていられるのだ。その奇跡とは。一晩寝かせることである。もうだめだー、ムリ!ぜったいこの記事ムリ!となっても、一晩寝て、あれ、どんなふうになっちゃってたかな?とおそるおそる、炊いたまま一ヶ月放置した炊飯器のふたをあけるような気分で昨日訳した記事をそっと開く。
すると、2つの反応がある。あれ?けっこういけてんじゃん。あとはこことあそこをこう変えれば、もうオッケーラインじゃない?という反応が1つ。思ったより昨日、がんばってたんじゃん。
もうひとつは、うげーーーなんだこの文章、これじゃ読めないよ〜。自分でも意味フじゃんか〜。というもの。しかし、それでも救いはあって、なんでこんな単語つかってんだ?とか、ここの文章丸ごといらんでしょう、とか、それなりに改善策が浮かんでくるのだ。昨日はさんざん時間使っても出てこなかった改善策が。いったい何が起きたのか。一晩寝ている間に何が起きたのか。
とうぜん記事のほうは一字一句変わるはずはない。それなら僕の側に何か変化が起きたのだ。これは魔法のようだ。この「一晩寝かせる」というテクニックを駆使する事で、慣れない翻訳という仕事をなんとかしのいで来たのです。それがおれの秘密です。
これにはデメリットがあって、どんな短い記事でも一晩寝かさないと気がすまなくなったことです。そして、寝かせれば寝かせただけ文章がよくなることがわかっているので、よし、明日もう一度、さらに明日もう一度見直してからアップしよう、などとやっていると、ずるずると締め切りがずれていってしまうことです。これは先方にも迷惑だし、おれも困ります。そこの調整があれだったのですが、まあ今のところ、揺れながらも、あるペースをつかみつつあるという状況です。
あれ、なんか最後つまらんこと書いたな。まあいいや。文章は寝かせるとなぜかよくなるという魔法でした。
昨日は土曜ということで、最近仲良くしてもらってるビーチボーイにクラブに連れてってもらった。西洋人のしゃれおつなのがしゃれおつな感じで踊っていました。アダルトな感じ。お客の大半は観光客じゃないそうです。みんなお金持ちだよーと言っていました。なにをしてる人たちなんでしょうね。バリでビジネスやってる人たちかな。そして、なんとかまじってフロアで踊ってみたのですが、思いました。なんか、おれ、こういうの、向かんね。
こういうしゃれおつたちは、生粋のしゃれおつで、しゃれおつなことが大好きな人たちなんでしょう。たとえば、何気なく着ているそのなんでもない地味な薄いグレーのシャツは、とんでもないしゃれおつブランドのシャツなのかもしれません。まったく識別できないぼくはしゃれおつじゃないんでしょうね。
どこか居心地が悪い思いをしながら、でも、ああ、ちょっとかっこいいなこいつら、くやしいな、とか思いながら、早々に退散することに。といっても2時くらい。そのクラブはここから盛り上がるということでした。
帰り、車で送ってもらいながら、おれはこういうことを考えていました。苦手なところに行くのは、人生の無駄か、はたまた自分を少しばかり変えるチャンスなのか。。
でもぼくは知っています。人生をかえるようなものは想定外の方向からやってくることを。だから、クラブはやっぱちがうんだろうね。しゃれおつの世界は。
またどうでもいいことを書いてしまいました。。なんかいかんね。もっとまじめな将来計画の話でも書こうかね、こんどはね。
4/21/2012
欲望
面白い出会いがあった。型破りな人生を歩んできた60代の男の人とビーチでお友達に。そのまま深夜まで話し込んでしまった。おれなんてほんと安パイな人生を歩んでるだけなんだな、と思わせられる話をえんえんと聞いていた。
お金も女もギャンブルも、仕事も、家庭も、人情も、ほとんどありとあらゆる経験を積んできてるその人に、おれは思わず聞いた。「○○さん、お金って結局何なんですか?なんでこんなに苦しいんですか?」
即答の返答が返ってきた。takaくん、お金っていうのはね、欲望のことだよ。
欲望がなければお金はいらないんだよ、と。インドのお釈迦様みたいな暮らしをして生きて行けるんだったら、お金なんていらないんだ、と。
いまね、これ以上書くのが面倒になったので話題かえるね。なんかすんません。
バリ島に来て、自分の欲望についてよく考えるようになった。
来る前は、バリの文化に触れて、少しスピリチュアルで、ヒューマンで、にこやかで、暖かくて、のんびりしてて、お金と無縁で、こどもたちの笑顔で、美しい田園風景で、そういうものに触れて、ちょっと人間らしい生活を取り戻そうかな、みたいなことをチラっと考えていたような気がする。
もちろんそういうものはバリにある。少し田舎にいけば目が洗われ、涙がにじんでくるような美しい生活の風景がある。
しかし、ここもインドネシア、えげつない欲望があらわになっている場所でもあるのだ。
およそ日本や先進国などは、その欲望がうすぼんやりしたオブラートでうまく包まれている。えげつなくぶつかり合わないようにうまくごまかされている。しかし、その実、この工業文明そのものが欲望の暴走機関車以外の何物でもないことが、ここにいると見えてくるような気がする。東南アジアはいままさに暴走機関車が動き出そうとキシめいているところなのだ。
およそ日本人は、他人のせいにしている。仕方ないからやっていることばかりだ。いや、日本人などとくくるのはおれのずるさなのだろう。日本で生まれ暮らしていた俺という人間、と置き換えてもいい。その人間は、仕方なくこう生きている、ような気分をかもしだしている。
しかし、あなたが仕方なくやっていることは、実は、欲望だ。
おれは、その60代の人生経験氏に聞いた。「お金というものは有限ですよね?世の中に存在しているお金の量って決められていますよね?ということは金儲けするということは、自分がたくさんお金をとれば、他の人の取り分が減るということですよね?あなたはお金をたくさん儲けてきたようですが、そのことをどう考えているんですか?お金を稼ぐことを肯定しますか?自分の中でどう解釈しているんですか?」と。
氏の解答はやはり即答であった。「肯定も否定もできないよ〜。」
詳しい解説はしません。メンドクサイのでね。
ただ言える事は、この長い会話の後で、ぼくはああ、と諦めの境地がやってきた。
それは、そうか、おれは、この欲望とずっとつき合っていくほかないんだな、という諦観だった。
お金が欲しい、それはやむことのない欲望なのだろう。いつだってもう少しお金が欲しい。そして、それがたとえ有限なもので、他人と取り合う他ないものだとしても、それでもぼくは欲しいのだ。自分が他人より少なくしかお金を取れてないと思えば、平等にせよ!と主張し、他人より多めにお金を取れていると思えば、まあそれはそれでよし、と思うだけのことが続いていくのだ。だってお金の取り分が減るなんてとんでもない、いま持っているものが持てなくなる、いま享受しているものを享受できなくなる、そんなのありえない、それどころかもっと先へ行きたいのに!もっとやりたいことがいっぱいある、欲しいものがいっぱいあるのだ。
お金は便利すぎるのだ。でもそれが人間が求めてきたことだ。
大きな話になりすぎた。ぼくはiPhoneを買わないだろう。他に使い道があるのだ。自分の欲望の優先順位が意識されてくる。
そうだ、書きたい事は1つ。すべては欲望なのだ。ぼくたちが苦しんでいるのは欲望についてなのだ。
状況や環境に苦しめられているのではない。そこに何か欲望があるから苦しいのだ。
その欲望を見つめたいと思う訳です。それはお釈迦様のように欲望から解脱せよ、ということはない。
自分の中にうずまく欲望を眺め回して、どの欲望を受け入れるか、どの欲望を実現させるべく動くのか、そういうことをおざなりにしてきたために、おれは、いつも「どうしたいのかわからない」を生きるほかなかったのかもしれない。
なんていうちょっと固い話になっちゃったな。ほんとはもっと生々しい感じなんだけどね。
欲望の肯定こそが生きるということじゃないのかな、っていうお話。
お金も女もギャンブルも、仕事も、家庭も、人情も、ほとんどありとあらゆる経験を積んできてるその人に、おれは思わず聞いた。「○○さん、お金って結局何なんですか?なんでこんなに苦しいんですか?」
即答の返答が返ってきた。takaくん、お金っていうのはね、欲望のことだよ。
欲望がなければお金はいらないんだよ、と。インドのお釈迦様みたいな暮らしをして生きて行けるんだったら、お金なんていらないんだ、と。
いまね、これ以上書くのが面倒になったので話題かえるね。なんかすんません。
バリ島に来て、自分の欲望についてよく考えるようになった。
来る前は、バリの文化に触れて、少しスピリチュアルで、ヒューマンで、にこやかで、暖かくて、のんびりしてて、お金と無縁で、こどもたちの笑顔で、美しい田園風景で、そういうものに触れて、ちょっと人間らしい生活を取り戻そうかな、みたいなことをチラっと考えていたような気がする。
もちろんそういうものはバリにある。少し田舎にいけば目が洗われ、涙がにじんでくるような美しい生活の風景がある。
しかし、ここもインドネシア、えげつない欲望があらわになっている場所でもあるのだ。
およそ日本や先進国などは、その欲望がうすぼんやりしたオブラートでうまく包まれている。えげつなくぶつかり合わないようにうまくごまかされている。しかし、その実、この工業文明そのものが欲望の暴走機関車以外の何物でもないことが、ここにいると見えてくるような気がする。東南アジアはいままさに暴走機関車が動き出そうとキシめいているところなのだ。
およそ日本人は、他人のせいにしている。仕方ないからやっていることばかりだ。いや、日本人などとくくるのはおれのずるさなのだろう。日本で生まれ暮らしていた俺という人間、と置き換えてもいい。その人間は、仕方なくこう生きている、ような気分をかもしだしている。
しかし、あなたが仕方なくやっていることは、実は、欲望だ。
おれは、その60代の人生経験氏に聞いた。「お金というものは有限ですよね?世の中に存在しているお金の量って決められていますよね?ということは金儲けするということは、自分がたくさんお金をとれば、他の人の取り分が減るということですよね?あなたはお金をたくさん儲けてきたようですが、そのことをどう考えているんですか?お金を稼ぐことを肯定しますか?自分の中でどう解釈しているんですか?」と。
氏の解答はやはり即答であった。「肯定も否定もできないよ〜。」
詳しい解説はしません。メンドクサイのでね。
ただ言える事は、この長い会話の後で、ぼくはああ、と諦めの境地がやってきた。
それは、そうか、おれは、この欲望とずっとつき合っていくほかないんだな、という諦観だった。
お金が欲しい、それはやむことのない欲望なのだろう。いつだってもう少しお金が欲しい。そして、それがたとえ有限なもので、他人と取り合う他ないものだとしても、それでもぼくは欲しいのだ。自分が他人より少なくしかお金を取れてないと思えば、平等にせよ!と主張し、他人より多めにお金を取れていると思えば、まあそれはそれでよし、と思うだけのことが続いていくのだ。だってお金の取り分が減るなんてとんでもない、いま持っているものが持てなくなる、いま享受しているものを享受できなくなる、そんなのありえない、それどころかもっと先へ行きたいのに!もっとやりたいことがいっぱいある、欲しいものがいっぱいあるのだ。
お金は便利すぎるのだ。でもそれが人間が求めてきたことだ。
大きな話になりすぎた。ぼくはiPhoneを買わないだろう。他に使い道があるのだ。自分の欲望の優先順位が意識されてくる。
そうだ、書きたい事は1つ。すべては欲望なのだ。ぼくたちが苦しんでいるのは欲望についてなのだ。
状況や環境に苦しめられているのではない。そこに何か欲望があるから苦しいのだ。
その欲望を見つめたいと思う訳です。それはお釈迦様のように欲望から解脱せよ、ということはない。
自分の中にうずまく欲望を眺め回して、どの欲望を受け入れるか、どの欲望を実現させるべく動くのか、そういうことをおざなりにしてきたために、おれは、いつも「どうしたいのかわからない」を生きるほかなかったのかもしれない。
なんていうちょっと固い話になっちゃったな。ほんとはもっと生々しい感じなんだけどね。
欲望の肯定こそが生きるということじゃないのかな、っていうお話。
4/14/2012
玄米調子ええやん
玄米を炊き始めて一週間。今日、やっとコツをつかんだ気がした。
圧力鍋で炊いているのです。圧力鍋初めてなので、よくわからんのです。
シュシュシュシュ言い始めてからどれくらい熱すればいいのか、などなど。
ネットを調べても諸説あって、何分どうすればいいか。
でも、むかし千葉のあるお宅で玄米の炊き方を教わった覚えがあるような気がしてきて、うーんと思い出しながら試行錯誤していたのですが、きょう、なんとなく、これかな、というのに行き着いた。
それはシュシュシュシュいいはじめてから弱火で5分あっためて、一回火から下ろす。
圧力が下がって圧力プラグがチンと下がったら、もう一回シュシュシュシュ言わせて、1分数える。そして火から下ろす。どうかな?正解かな?
これでなかなかのもちもちとはいかないまでも、もちx1.3くらいにはなった。
そこに、まだ熟れきらないアボカドを醤油づけにしたものを乗せる。チューブのみそ汁をひねり出しお湯をかける。どーですか。俺的にこれでパーフェクトな朝飯になる。俺的とは、料理の手間とかいろいろの要素の兼ね合い的に今のところのベスト朝飯、ということね。メンドクサイのは続かないからね。
ということで、玄米食ってるよ。いつまで続くかな。まあ、続くまででいいや、とりあえず第一回目だからね。
今日もね、仕事とサーフィンしかしてないから書く事ないよ。でも書かないといつまでも書かなくなりそうなので筆をとったよ。
きっと10代のころは、一冊の小説が今よりずっと大きなワールドをつくった。
そんなことをふと思い出すような気分になった。
なにか一冊の本を読んだ。例えばプラトーンというベトナム戦争の映画の原作本を読んだ日、ぼくはその本をその日一日読み続け、たぶん3日前くらいから読み続け、その日の晩飯前に読み終わった。そして、ご飯だよ〜と呼ぶ声。ぼくは食卓についたが、この食卓と家族という現実がどういう現実なのかよくわからずに戸惑っていた。プラトーンの世界が強烈すぎたのだ。少佐が死んでしまった。。プラトーンの兵士達と思い出を共有してしまったのだ。そして、いまこの平和な食卓を囲んでいるのだが、なんだか逆に現実味が湧かないでいた。簡単にいえば、ひたすらボーーッといていたのだ。その余韻は翌日も続いたような気がする。そして何かただならぬものを読んでしまった、やばかったかな、とさえ少し思った。そんな思い出もある。
高校生くらいのとき、いや大学生だったかもしれないな、三島由紀夫なども愛読していた。ぼくはそのころ、自分が世界で一番頭がいいと思っていたから、三島を知った衝撃はでかかった。つまりこういうことだ。世界中のあらゆる問題は僕に聞いてくれ、ぼくが即答で解決してあげよう、本気でそう思っていた。あれは17歳だった。なんで地球はぼくを中心に回ってるのかな?なんで神様はぼくをそういう風に生んだのかな?という疑問に日夜頭をひねっていた。そういう高校生だった。
そんなぼくが三島由起夫の小説に出会った。あれはなんだったかな。たしかこういう一節があった。葬式というのは死者のためにするのではない、残された遺族のためにあるのだ。と。おおお。それおれが考えてたことじゃん!おれより先に思いついてる人がいたのか!と驚きだった。それは小さな驚きとして、他にも数々の、それはおれが考えたことだよ、もう20年も前に考えてた人がいたのかーと本気で驚いた。行動学入門や、不道徳教養講座などなどエッセイも読破した。そして、しみじみこう思った。生まれるのが遅かった。あと20年早く生まれていれば。。本気で悔しかった。あと20年早く生まれていれば三島と語り合うことができただろう。僕たちは語り合うべきだったのだ。
そして、ぼくは17歳にして初の敗北を認めた。ぼくは三島に負けた。ぼくは三島由紀夫の部分でしかない、そう思った。ぼくの思考する空間があるとしたら、その空間は三島の思考空間に含まれてしまっていた、そう思ったのだ。つまり、ぼくが考えついたありとあらゆることは、すでに三島が考えついていたはずだ、という敗北感だった。それは敗北感というには幸福すぎる感覚でもあった。負けた、という感覚はあるにはあるのだが、ああよかった、というほっとするような気分もどこかで湧いていた。
ぼくは三島に包まれてしまった。いったい何冊読んだだろうか。文庫本を1冊づつ買いそろえていった。とはいえ、全巻読破にはほど遠く、処女作かつ最大の問題作であるはずの「仮面の告白」はたぶん最後まで読み通せなかったような記憶がある。「金閣寺」もなんか面白くないな、と思ったはずだ。最後の4部作も読み通していないと思う。いや、何度目かの挑戦のあとに読み通したのかもしれない。
そういう三島体験があった。そのころ三島の本は、ぼくにとって何かただならぬ重要なものだった。人生空間の半分ぐらいを占めているような感覚というか、三島とともにしばらく暮らしていたというか、そういう時代があった。短いとは思うけど。
なぜか三島を語ってしまった。それから寺山修司なんかを買いそろえたり、マイクルクライトンの新刊を待ち望んだり、村上春樹を読み始めたり、よしもとばななを読んだり、なにか本というものが自分にとってすごく大事なもの、本の中だけにぼくの本音が隠されているような気分で生きている時代があった。20代のころだ。
あの頃は、、ぼくはそれを必ずしも肯定しない。本の世界といわず、もっと目の前の世界を読めばよかった。そんな風に思ったりする。あの頃は未来のために生きていた。
しかし否定もする気はない。自分というものを立ち上げるために本の力を借りたのだろう。そうやって探っていくしかなかったのだ。ことばの力を借りたのだ。
今のぼくにとって、より肉体というものがモノを言い始めた。面白い本一冊より、いい波に一本乗りたい。いや、それは格好つけすぎかもしれないが、肉体の力をもっとちゃんと使いたい、そんな気分なのだ。もちろん、飽きっぽいぼくのことだから、来月何を言っているかはまた別の話だ。
そういえば三島由紀夫も晩年、急に体を鍛え始めた。青びょうたんみたいだった童顔の青年が、ムキムキの筋肉マンになっていったのだ。ジムに通っていたらしい。そして自衛隊での訓練、盾の会、市ヶ谷駐屯地、と時代は進む。おれは違うぞ、と思う。おれはただ波乗りがしたいだけなのだ。いや、そうじゃない、体に筋肉がついていくことをどこかでうれしく思っている。おれにも筋肉がつくのか!と。
結局僕は、三島由紀夫がどうして最後あんなことをしたのか理解できないでいるのだ。あまりにナルシスティックじゃないか。あるいはそうじゃないのか。
いったい何の話だか。玄米の話がどうしてここに。
もう他人の芸術の中にぼくの中の本当に大事なものがある、と思わないのかもしれない。
僕の中に隠された何か大事なものが、誰かの芸術作品の中に隠されていると思わないのかもしれない。
それはわからない。
4/13/2012
波に乗れなくて
今日は久しぶりに海に行けた。
ここ一週間ばかり、なんやかんやでまともに波乗り行けてなかったのです。
今日、行ってきました。
しかし。。波が小さい。しかも人がたくさん。波があんまりないときは、波とり競争になるので、いやです。なんか緊張するというか、おれこれ乗っていいのかな?みたいに毎回ヒヤヒヤします。まだサーファーのルールを把握してないのです。
今日は1時間ほどやったけど、1本も乗れず。しかもぜんぜんこれからというときに乳酸の洗礼を受けてしまいました。パドリングができなくなったのです。うでが疲れて。。
残念。。やっぱり休みとだめなんだね。ちょっとまえなら乗れたはずの波にどうしても乗れない今日でした。
そして、海で友達になったバリ人の男の子と再会。この子も貸しボード屋で働いているということで、う一緒に海からあがってちょとお話。日本語がなかなかうまい。日本に3年間いたとのこと。
そして、この子も日本人の彼女がいるとのこと。ここらへんの貸しボード屋の兄ちゃんはみんな日本人の彼女がいるんじゃないか?という勢いです。ほんとに。日本の女の子、世界を楽しんでいるんだなあ。なんか悔しい気持ちになりますね。おれも日本の男としてがんばらないかんな、となぜか武士のように思う。もっと世界を楽しまないと、いかんよね。がんばろうぜ、日本男児よ。
で、日本にいってきたバリ人はみんな僕にやさしいです。日本での体験がよかったんだろうね。日本人はやさしい、と言っていた。日本人ってやさしいんだね。話しているとこどもが来た。そういえば海でみた顔だ。7歳と9歳のローカルサーファー。めっちゃくちゃうまい。どれくらいうまいかというと、波の上で360という技をきめるために、わざとサーフボードのフィンをはずしている、というくらいの腕前だ。この事実がわかりますか?波に乗りながらサーフボードを360度水平に一回転させるのです。そうやって遊んでいるんですよ、この子たちはまったく!
そしたら、中国系の顔立ちの男の子としゃべっていた。フィリピン生まれ、オーストラリア在住だという。バリにはバケーションで来たと。お父さんが台湾出身ということだ。その子が胸に「勇」と入れ墨してて、かっこいいね!というと、照れていた。アジア系は照れる。
その字の意味知ってる?と聞くと、なんと知らない、とのこと。友達にすすめられるままに入れたとのこと。いちおう意味おしえる。
その男の子、ぼくは日本文化が好きなんだ、という。アニメかな?と思っていると、シントーということばが出る。神道が好きだと。仏教徒か神道が好きらしい。日本のフィロソフィーが好きなんだ、と言う。そして、フラワーの話をしてくれた。お花ね。お花が咲いて、枯れて土に帰って行く。そういう哲学が日本の哲学でしょう、と言ってくる。おれ、それ始めて聞いたな。でもなんとなくわかる気がする。そうだね、初めてきいたけどそれは確かに日本のフィロソフィーだね、と言っておく。無常ということだろう。諸行無常だ。日本の無常観に共感するフィリピン人の若者がここにいる。面白いな〜。世界は広いなあ。ちなみにフィリピンはキリスト教カソリックだそうです。
ビールをおごってもらってしばし談笑。この子、ほんとに日本に興味があるらしく、ぼくと話したがっていた。なんかうれしい気分。そして気がついたらすっかり日が暮れていた。となりで9歳の男の子がぶすっとしていた。貸しボードの兄ちゃんと一緒に帰るために待っているとのこと。ごめんごめん、ということで解散。今日、また少しバリの楽しみが増えた気分だ。こんどその子がちびっ子サーフィン大会に出るらしく、見に行くよ!ということになった。
ということではあるが、やはり、一本も波に乗れなかった日はどこか欲求不満だ。なんかスッキリしねえ。明日リベンジしないと。そして波乗りを日常化しはじめてから、起きてる時間が12時間くらいしかない自分に気づいた。いま夜の9時半、もうがっつり眠い。夜中に一回起きたりするけどね。
つーか、なんつーか、何にもしてないのに一日が終わっちゃう。あっけないもんだね。
4/12/2012
ウルワツ〜大人になったら
昨日は、日本から来ていた友達とウルワツという世界的なサーフスポートに行って来た。一応ブギーボードを持っていったのだが、さすがに怖じ気づいてしまいました。あんな遠くまでいけないよ。。
ここは面白い場所で断崖絶壁に取り付くようにたくさんの食堂やサーフィショップが所狭しと並んでいます。お店を伝うように崖の階段を下っていくと洞窟があって、洞窟に中から海へゲッティングアウトするわけです。一緒にいったばりばりのサーファー君は3時間乗ったあと、満面の笑みで戻ってきました。すごく楽しかった!ということです。いつかはこの波に乗ってみたいものです。しんどそうだから今はいいや。
欧米人達、楽しそうだな。世界中のサーファーが集まって賑やかです。なんか美男美女が多いのは気のせいかな。サーファーガール達がこんなにきれいだとは思わなかった。お腹ポッコリのおじさんサーファーたちもみんな楽しそうにしています。おれ、この仲間にまじりたいのかな?なんか遠い現実に思えてピンとこないのですが、いくつになっても波乗りで楽しそうな笑顔してられたらいいんだろうなとは思った。
そしてどこにも増して夕日がやばかった。太陽が丸すぎてUFOが墜落してんのかと思った。ここウルワツがあるバリ島最南端の半島は、ぼくはなぜかお気に入りの地域です。何にもないんだけど、バイクで走っているとこどもの頃の記憶がぱしぱしと蘇ってくるのです。それも7歳〜12歳くらいの記憶かな。夏休みの記憶というかね。「大人になったら」ってぼんやり考えていたころの記憶です。大人になったら。ぼくは何を思っていたのか、うまく思い出せません。思い出すのは、よく卒業文集とかで将来なりたい職業、とか書く時に、何も浮かばなくて困ってた記憶です。クラスメイトが警察官とか消防隊員とか書いている時代です。おれ、別にそういうのなりたくないし、他になりたいものないし。。苦し紛れにボクサーとか書いた記憶があります。もちろんなれるともなりたいとも思っていなかったはず。ただ、なったらどういう気分なんだろうな、みたいな漠然とした気持ちだったように思います。
今でもハッとすることがあるんです。今でもたまに油断すると、大人になったら、って考えているときがあるんです。大人になったら何をしよう?大人になったら何になろう?みたいな。
おまえ、十二分に大人だろうが!って自己突っ込みが入るわけですが、ふとそういう風な気分に浸ってるときがあるんです。でも昔に比べるとずいぶん減りました。
そして、あの20代のころのガツガツとしたエネルギーを思い出したりします。あの頃はどうしてあんなにエネルギーがあったのだろう。何者かになろうと必死にもがいていたと思います。しかしそこには絶え間なく湧き続けるエネルギーがあった。しかし、そのエネルギーはどこか負のエネルギーを帯びていて、ねばならない、ねばならない、と焦るように生きていたように思います。いまはちがうという意味ではありません。もう何十年も焦りっぱなしの人生です。
さて、先週今週は日本から友達が2組来ています。それぞれ別の用事での来バリですが、やはり友が訪ねてくれることはうれしいものです。世界から来る友達が長期滞在できるようにゲストルームのある家に住みたいな。そう思いつつもう何年も過ぎてしまっています。これはお金の余裕の問題なのでしょうか、それとも心の余裕の問題なのでしょうか。そういうことも考えつつ、今日も友達を送り出すのです。ちょっとさみしいです。
大人になったらラララをしよう。大人になったらラララ
4/06/2012
反発を生きてはいけない
常々、吉福さんが言っていること、それは、反発するということは執着するということと同じこと、ということだ。
誰かへの反発や、何かの証明のために生きてしまうなんてもったいない。
まあそれはいいとして。
ここ2日友達が泊りにきてて、一緒に波乗りした。楽しかった。サーフィン始めての人が乗れるようになってはしゃいでいる。始めて立って岸までいった人がはにかんだ顔で振り返る。うれしさを隠しきれない顔だ。親指をたててグッジョブを送ってやる。照れたように手を挙げた。
この瞬間が好きだ。小さなマサカの瞬間なのだろう。できないと思っていたことができた。できるかできないか不安でドキドキしていたことができた。おれにもできた!その喜び。そしてもちろん肉体的な快感。波を滑った浮遊間。それらが渾然一体となったあの懐かしきヨロコビ!
夜、家に帰って、疲れきった体のことを話題にしながら、友人はしきりにこどものころみたいだ、と言っていた。こどものころの夏休みみたいだ、と。そうなのだ。こんなふうに夢中で遊んで、体が芯からつかれている、この感じはいいじゃない!ね。
二日目、友達は砂に足の親指をつっこんだらしく、突き指した。必死にサロンパスを探しにいったが、どこかうれしそうだった。サーフィンの怪我はどこかうれしい。もちろん軽傷の場合に限るけどね。
こどものころ、近所の人たちとヨモギもちを作ったことがある。ちょうど今時、春先のころだと思う。みんなで近所の裏の空き地にヨモギをとりにいって、もちをついて混ぜる。あんまりよく覚えていないが、おばちゃんたちがヨモギを摘む姿と、もちがうす緑に染まっていく映像をかすかに覚えている。
なんでかわからないが、あの日は特別な日になっている。ぼくの中で。ときおりふっと思い出すのだ。とくに何かがあったわけじゃないし、とりたてて大感動した記憶もない。ヨモギもちの味も覚えていない。でもなにか、ヨモギを摘みもちをつく一連のプリセスが、静かで素朴に喜ばしかった日の記憶として頭のなかに余韻を残したのだろうか。
今日は何年ぶりかにそれを思い出した。朝起きて、ベランダにでたら、鳥が鳴いていたからか。
そして、「学研の科学」という雑誌が月イチで送られてくるときの興奮を思い出していた。
その中で、坂道についている輪っかのくぼみは何のため?という記事のことを思い出していた。あの、コンクリートの坂道なんかにある、滑り止めのためのくぼみだ。たくさんの輪っかが刻んである。それが何のためにあるか知らない時代がぼくにはあったのだ。あの輪っかは何のためにあるんだろう。雨に関係があるって書いてあるけど。そして、それが滑り止めのためにあると知って、なるほど!と感動したかどうかは覚えていない。ただ、雨の日に外へ出たいな、と思ったのはかすかに覚えている。こどもの頃、雨が降ると本当にカエルが鳴いていた!カタツムリが本当にあじさいの葉の上にいたものだ。
そんなころの空気の匂いのようなものをふわっと思い出したりしながら、友達が帰ったあとのシーツを洗濯した。
下の写真は友達と一緒にいった、ウブド近くにあるバリ舞踊の衣装屋さん。職人が水牛の皮を彫っている。とても上手。
誰かへの反発や、何かの証明のために生きてしまうなんてもったいない。
まあそれはいいとして。
ここ2日友達が泊りにきてて、一緒に波乗りした。楽しかった。サーフィン始めての人が乗れるようになってはしゃいでいる。始めて立って岸までいった人がはにかんだ顔で振り返る。うれしさを隠しきれない顔だ。親指をたててグッジョブを送ってやる。照れたように手を挙げた。
この瞬間が好きだ。小さなマサカの瞬間なのだろう。できないと思っていたことができた。できるかできないか不安でドキドキしていたことができた。おれにもできた!その喜び。そしてもちろん肉体的な快感。波を滑った浮遊間。それらが渾然一体となったあの懐かしきヨロコビ!
夜、家に帰って、疲れきった体のことを話題にしながら、友人はしきりにこどものころみたいだ、と言っていた。こどものころの夏休みみたいだ、と。そうなのだ。こんなふうに夢中で遊んで、体が芯からつかれている、この感じはいいじゃない!ね。
二日目、友達は砂に足の親指をつっこんだらしく、突き指した。必死にサロンパスを探しにいったが、どこかうれしそうだった。サーフィンの怪我はどこかうれしい。もちろん軽傷の場合に限るけどね。
こどものころ、近所の人たちとヨモギもちを作ったことがある。ちょうど今時、春先のころだと思う。みんなで近所の裏の空き地にヨモギをとりにいって、もちをついて混ぜる。あんまりよく覚えていないが、おばちゃんたちがヨモギを摘む姿と、もちがうす緑に染まっていく映像をかすかに覚えている。
なんでかわからないが、あの日は特別な日になっている。ぼくの中で。ときおりふっと思い出すのだ。とくに何かがあったわけじゃないし、とりたてて大感動した記憶もない。ヨモギもちの味も覚えていない。でもなにか、ヨモギを摘みもちをつく一連のプリセスが、静かで素朴に喜ばしかった日の記憶として頭のなかに余韻を残したのだろうか。
今日は何年ぶりかにそれを思い出した。朝起きて、ベランダにでたら、鳥が鳴いていたからか。
そして、「学研の科学」という雑誌が月イチで送られてくるときの興奮を思い出していた。
その中で、坂道についている輪っかのくぼみは何のため?という記事のことを思い出していた。あの、コンクリートの坂道なんかにある、滑り止めのためのくぼみだ。たくさんの輪っかが刻んである。それが何のためにあるか知らない時代がぼくにはあったのだ。あの輪っかは何のためにあるんだろう。雨に関係があるって書いてあるけど。そして、それが滑り止めのためにあると知って、なるほど!と感動したかどうかは覚えていない。ただ、雨の日に外へ出たいな、と思ったのはかすかに覚えている。こどもの頃、雨が降ると本当にカエルが鳴いていた!カタツムリが本当にあじさいの葉の上にいたものだ。
そんなころの空気の匂いのようなものをふわっと思い出したりしながら、友達が帰ったあとのシーツを洗濯した。
下の写真は友達と一緒にいった、ウブド近くにあるバリ舞踊の衣装屋さん。職人が水牛の皮を彫っている。とても上手。
4/03/2012
口笛が
今日びっくりした〜
海へいく途中、バイクに乗っていて、どうやら気分がいいぞということで口笛なんか吹いちゃおうとしたら、口笛吹けなくなってた。
これびっくりした。なにかの間違いじゃないかと何度も試してみたけど、音が全くでない。息がふーふーいうだけだ。バイク乗ってるからかなあ、と思い止まって試してみた。やっぱり吹けなくなってる!
口笛が吹けなくなる日が来るなんて夢にも思わなかった。ほんと1ミリも想像したことなかった。
なんでだ?どんだけやっても息がもれるだけ。こどものころから口笛吹けたから、口笛吹けない自分なんて記憶にもない。どういうことだ、これは。んー。鼻が通ったからか?そんなことあるかな。
と思いつつ、海に到着したけど、今日は満潮にあたっちゃってぜんぜん波の乗れず。最近仲良くしている貸しボード屋のに兄ちゃんから「6分だよ」と言われる。まだ6分しかたってないよ、さっきここ出てから。と笑われる。いいんだよ、だめなときはだめなんだよ。最近波に贅沢になっている。というか、連日通ってるせいで、腕があがらなくなってきてる。乳酸が解放されないのだ。ちょっと休んだほうがいいみたいね。ということで、さっさと終わりにする。
最初のころ、至れり尽くせりで接待してくれたビーチボーチたちも、いまではおれに全く興味を示さない。あ、またあいつか、ってなものです。まあ毎日来るくせに別に金落とさないからね。ごめんね。それでも散歩してるとまだたまに声かけられて、インドネシア語など教わったりして時間つぶす。サンセットを待つのだ。
とかっこいいこと言ったはいいが、今日は雲が多すぎてサンセット見えなかった。なんか物足りない日だな。でも今日は友達がバリにやってくるのだ。空港まで迎えにいく予定なのだが、さっき連絡あって飛行機が遅れるそうだ。深夜1時を回りそう。おれ起きてられるかな?まあ、なんとかなるでしょう。
今日は扇風機をかった。夜寝るときに、クーラーをつけたり消したりつけたり消したりしてめんどくさくなったのだ。扇風機ならまあ回しっぱなしでいいかな、と。
あと、ソリューションを見つけた。最近おれの中で流行ってる言葉はソリューションを見つける、だ。
ここ数週間ずっと探していたもの、それはタオルケット。布団だと暑い。何もないと寒い。タオルケットがちょうどいいんだが、売ってないのだ。いろいろなメガストアを回ったが、日本のタオルケットに相当するものが売ってない、でかいタオルを買いかけたが、やはりそれでもサイズが小さいのと、やたら高いのだ。4千円とか平気でする。で、どうしよっかー。友達きちゃうなーっと悩んでいたのだ。
そして、その悩んでいる間、あるときふと、肌寒くなったらシーツをはがして体に巻き付けて寝ている自分に気づいた。あ、これちょうどいいんだ。この薄さがちょうどいいんだ。シーツでいいんじゃない?上も下もシーツでいいんじゃない?とひらめいた。で、今日シーツを何枚かかってきたら、やっぱりいい感じだった。おわかりでしょうか?これがソリューションです。
毎週のようになんらかのソリューションを見つけている。というか、思い通りの物が売ってないことが多すぎるのだ。日本のようにはいかない。いらないかも?か、あれで代わりになるんじゃない?でいくしかない。
さあ、友達と無事に会えるでしょうか。といいつつ、今から仮眠しようとしています。寝てたら電話くることになってるからまあいいでしょう。
なんか毎日だるいです。
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